第30話 それは、魔法の言葉
ラブはぼんやりと部屋の窓から夜明け前の空を眺めていた。
なぜ朝日は夕焼けほど赤くはならないんだろう、でも確か朝焼けって言葉は聞いたことがある。
(朝焼けの日は天気が悪くなるとか何とか…)
せつなに聞けばわかるかな。そんな意味も無いことをつらつらと考えながら
こんな時間になってしまった。
夕飯の時間をかなり過ぎてから帰宅したために母にはかなり叱られた。
ちょうど、帰ってきた父に宥められ三人での夕飯になった。
一つポツンと空いた席。以前は当たり前だった光景。何でこんなに違和感があるんだろう。
ずっと一人っ子だったけど、ラブには一人で夕飯を食べた記憶がほとんどない。
母は働きながらもいつも夜はラブが一人にならないようにしてくれていた。
父が残業で遅くなって母と二人の時はあったけど、こんなにも一人足りない気分にはならない。
(どうしてだろう…)
考えながら、ふと思い付いたのは、両親は家族だから、と言う事だった。
父も母も、どんなに遠くに行ったって帰ってくるのは当たり前だった。
帰らないかも知れない、どこかへ消えてしまうかも知れない、そんな事は考えた事も無かった。
でも、せつなは違う。
家族になるつもりで迎え入れた。両親も実の娘の様にせつなに接してくれている。
でも、自分は違ったんだ、とラブは今更ながら自覚した。
せつなは家族じゃなかった。だから出ていったら、そのまま帰らないかも知れない。
せつなはどこにも居場所が無かった。
しかし、どこにも居場所が無いと言う事はどこにでも行けると言う事でもある。
保護してくれる存在もなければ、縛るものも無い。
例えラブがどれほど側にいて欲しいと願っても、せつなにその気が無くなれば
どこにでも自由に行けるのだから。
実の姉妹なら喧嘩しようが仲違いしようが両親の庇護下にいる限り、家を出る事なんて出来ない。
(だから、あたしはせつなを家族にしたかったのかな…)
せつなが、自分の背中に自由に羽ばたける翼がある事に気付く前に、
その足に枷を嵌めてしまいたかった。
ラブは膝に顔を埋め、長く長く息をつく。
どうしてだろう。自分はただせつなを好きなだけなはずなのに。
どうして、せつなを想う気持ちを言葉にしようとすると自分が卑怯者に
なった様な気になるんだろう。
せつなをラビリンスから取り戻そうとしたのも、この家に住まわせたのも、
みんなせつなの為を思ってしたつもりだった。
せつなが好きで、幸せになって欲しくて。
そして、せつなの幸せの中に自分の存在もあってくれたら嬉しい。そんな風に感じていたつもりだった。
せつなの笑顔が自分に向けられている。それだけで幸せになれるはずだった。
でも、実際はどうだっただろう。
せつなは何回泣いたんだろう。
せつなを何回泣かせてしまったんだろう。
(自分の…事しか考えてなかった…ってコトなのかな)
たぶん、せつなに聞けば、そんな事無いと言ってくれる。
自分は幸せだ、と。その幸せはラブのお陰なんだと。
でもラブはそんな言葉も素直には受け入れられないだろう。
ずっと心に引っ掛かっている負い目と言う名の棘。
ラブでなくても良かったのかも知れない、と言う不安。
もし祈里でも美希でも、せつなは同じように愛情を育てていったのではないだろうか、
そんな疑念が澄んだ泉の底に溜まった砂の様に沈んでいる。
ふとした拍子に掻き混ぜられた砂粒は透明な水を濁らせ、またゆっくりと沈んでゆく。
せつなと暮らし始めてから、何度そんな気分を味わったのだろう。
何度唇を重ねても、何度肌に証を刻んでも、いつかせつなが他の誰かをその瞳に映してしまうのではないか。
そんな埒も無い妄想に振り回されていた。
「…せつな………」
声に出して呟く。
途端に胸の中が甘酸っぱさで満ちる。
どうしてこんなに好きなんだろう。
結局、何をどう考えても行き着くのはそれだった。
自分でも理由なんて分からない。でも、好きになってしまった。
それこそ、祈里の言葉ではないが、神様が決めたとしか思えないくらいに。
会いたい。一分一秒だって離れていたくない。
せつなは物じゃない。せつなにだって自分の時間が必要。
早く帰ってきて。抱き締めさせて。
離れてたって大丈夫。だってせつなが帰ってくるのはここなんだから。
ラブは自分の体を抱き締め、思わず込み上げた笑いを堪える。
(ダメだ…あたし完全に頭おかしいよ)
せつなを閉じ込めて独り占めしたい気持ちも本当。
せつなに色んな幸せを知って欲しいと言う気持ちも本当。
誰も見ず、自分だけを見つめて欲しい。自分の存在だけがせつなの唯一の幸せであって欲しい。
他の何も求めないでいて欲しい。
それも、本当。
馬鹿みたいだ。それじゃせつなはただのお人形さんになってしまうのに。
矛盾してる。自分だけを知って、ラブだけのせつなでいて欲しいのに、
沢山の選択肢の中から最良のモノとして選ばれた訳では無いのが不安だなんて。
だったら今は満足な状況なんじゃないのか。
祈里に愛され、求められながらも自分を選んでくれたのだから。
こんな事を考える自分自身にゾッとする。
どうしてこんなに中途半端なんだろう。
大人ぶってすべてを水に流す事も、子供の様に嫌だ嫌だ許せないと泣き喚く事も出来ない。
欲しい答えもすべき事も分かっているのに。
許すと言って楽になってしまいたい。
せつなにも、「祈里を許して」そう言ってしまいたい。
そうすれば、きっとすべてが終わるのに。
(……本当に…?)
じゃあ、何が引っ掛かるのだろう。
償って欲しい訳ではない。それは祈里が自分で考える事だから。
謝って欲しい訳でも無い。だって祈里がせつなを好きになってしまったのは罪では無いから。
自分はこれからどうしたいのか。きっと、どうもしない。
今まで通り、ずっとせつなと手を繋いで行く。それだけ。
そして、美希や祈里ともずっと親友のままでいたい。
本当に、それだけが望む事なのに。
「せつな、せつな、せつなぁ……」
好きな人の名前は魔法の言葉だ、とラブは思う。
呪文の様にただ繰返し唱えていると、心の中の余計な濁りが澄んでゆくような気がするから。
グツグツと煮えたぎる胸の内がすぅっと凪いでゆく。
せつなに会いたい。顔を見て、声を聞いて、体に触れたい。
あの声で名前を呼んでもらえたら、きっとまた頑張れるから。
ラブはそっと家を抜け出す。
まだ夜も明けていないのだから、せつなもぐっすり眠っているだろうに。
それでも何となくじっとしていられなかった。
まだ寝静まった商店街。何をするでもなく、ぶらつく。
開店の早いパン屋さんや豆腐屋さんはもう仕込みに入っているだろうか。
朝食用に買えるかも知れない。押し掛けて行って見学させてもらったらダメかな。迷惑かな。
もし良いよって言われたら、今度せつなを連れて行こう。
きっとせつなはパンや豆腐が出来る所なんて見たことないだろうから。
って、あたしもないんだけどさ。
少し、幸せな気分になっている自分が可笑しくなる。
せつなと一緒にしたい事、見せたいものを思い付く。ただそれだけで。
単純にも程があるだろうに。
(…これで、いいんだよ、ね)
この、ほんのり温かい小さな幸せを幾つも幾つも層の様に積み重ねて行きたい。
そうすれば、いつか堪え難い程の辛い記憶も重なった幸せの狭間で馴染んでいってくれるのかも知れない。
自分は考えるのに向いてない、とラブは思う。
向いてないのにあれこれ考えてしまうから馬鹿な事を言ったり仕出かしたりしてしまう。
考えるより先に行動する方が性にあっている。
まあ、その衝動に任せて行動した後で、本当にこれで良かったのかとまた悩んでいては世話は無いんだけど。
仕方ない。これが自分なんだ。
そして、せつなが好きになってくれたのも、こんな自分なんだろう。
馬鹿で、考え無しで、突っ走ったいいけどすぐにつまづいて転んでしまう。
でも、いつだって真剣だったはずだ。
だから……
突っ走った結果が自分だけでなく、大切な人を傷付けてしまっても、ただ謝る事しか出来ない。
ただ、正直でいる事しか出来る事が思い付かない。
今はただ、せつなに会いたくて、抱き締めたくて。
でも、どんな顔していいのか分からなくて。
せつながどんな表情をしているのかも想像出来なくて。
(……え?………なんで?)
「ラブ、こんな時間にどうしたの?」
どうしてせつなが?
まだ夜も明けていない、群青の空。
青く澄んだ空気に浮かび上がる、夜空の色の髪と月光で染めた白い肌。
ほんの少し首を傾げ、儚い程に柔らかな微笑みを浮かべている。
「……ラブ…?」
頬に触れて来るほっそりとしなやかな指は、滑らかな陶器の様に冷たく、
でも夜明け前の空気よりはほんのりと温かく。
思わず握り締めて自分の頬に押し当てる。
血の通う、生身の体。確かに、そこにいて、自分を見つめてくれている。
「…あの……」
「……?」
「…おかえり、なさい!」
せつな軽く目を見開いて、儚く淡い微笑みから、輝く様な笑顔を見せてくれた。
「ただいま、ラブ」
最終更新:2013年02月23日 23:52