ミルクと青い薔薇(I)
ここには私たちの住む家と街があって、空と海が広がっていて、その遥か向こうにはたくさんの国がある。
それらが地球の上に成り立っていて、その外には太陽系の星々が、更にその外宇宙には銀河の深淵が広がっている。
それが私たちの世界のすべて。
だから…、そこから時空も次元も超えた先にある世界を知る者は少ない。
“パルミエ王国”は、そんなパラレル・ワールドにある知的生物共同体のひとつだった。
緑豊かな自然に囲まれた常夏のこの国には、我々の世界で言う“ぬいぐるみ”に似た小さく不思議な生き物たちが平和に暮らしている。
かつて侵略組織“ナイトメア”の侵攻により滅亡の危機を迎えたパルミエ王国だったが、二人の若き王子と彼らが導いた“伝説の戦士”たちの活躍により、大きな被害を蒙りながらも再び平和の時を取り戻していた。
だが復興を進める今のパルミエ王国に、二人の王子の姿はない…。
建設工事の進む王宮の一角にある部屋で、少女は便箋にペンを走らせていた。
ほのかにピンク味をおびた白い体毛、長く垂れた両耳、前髪と首元を飾る赤いリボン。
“ミルク”…。 それが少女の名前。
ふとペンを持つ手を止め、ミルクは窓から覗く空を見上げる。 世界は違えど、同じ空の下にいるはずの人を想って。
「ココさま…。 ナッツさま…」
王宮付きの準・世話役であるミルクにとって、それは仕えるべき主(あるじ)の名前であり、尊敬すべき次期国王の名であり、密かに想いを寄せる相手の名でもあった。
二人は今、新たな脅威からパルミエ王国を含む周辺諸国を救うため、再び伝説の戦士たちと共に彼女らの世界へと移り住んでいる。
ココさまとナッツさまに逢いたい…。
そんな想いから書いた手紙に応えて、一度はパルミエ王国に戻って来てくれた二人の王子だったが、再び国を後にしてから既に数日が経っていた。
(せめてミルクもお側に。 一緒に連れて行って欲しかったミル…)
それは世話役の勤めではなく、ミルク自身の想い。
私も、もっとお世話役として一人前になれたら。 いやそれよりも、伝説の戦士たちのようにココさまナッツさまをお守り出来る“力”があれば…。
けれど、ミルクに出来るのはこうして二人宛に、国内の様子を知らせる手紙を書くぐらいだった。
『ミルク! どこにおるパヤ。 ミルクっ!』
「あ、はーい。 ただいま参りますミル」
ペンを置き、椅子から飛び降りて急ぎ足で扉へ向かう。
その途中…。 足を止めてもう一度、窓から空を見上げる。 彼女の気持ちを置き去りにするような、青く澄んだ空…。
密かなため息をひとつ残して、ミルクは部屋を後にしていった。
“ナイトメア”によって捕らえられていた全国民は救い出されたが、国自体はほぼ壊滅したパルミエ王国は今、国民総出で再建活動を進めている。
かつての豊かな国を思い、また今再びの平和を実感しながらも、それは過酷な労働の日々だった。
年齢も身分も関係なく、建物を築き、畑を耕し、木々や草花を植えていく…。
王宮付きの王子お世話役とは言え、ミルクも例外ではなかった。 お世話役と言えどもつい先日まで見習いであり、まして仕えるべき王子二人も不在である今は。
王国のあちこちに植えられた草花を手入れしながら、水場まで何度も往復して水をやってまわる。
その日、最後にミルクが足を運んだのは、つい数日前に大きな花壇を築いたばかりの場所だった。
その中心に、ミルクはひと粒の種を植えていた。 ミルクが拾った、不思議な青い光を放つ種…。
「また大きくなってるミル」
種を植えてから5日。 すでに芽は伸び、その先には小さなつぼみがついている。
つぼみの先端からは、あの種が放っていたのと同じ青い光が微かに漏れていた。
いったいどんな花が咲くんだろう?
そんな期待を抱きながら、手にした如雨露(じょうろ)を傾けて水をそそぐ。
さらさらと降り注ぐ水滴を見ながら…、ミルクはこの青い種を拾った日、ココ王子とナッツ王子が人間の世界へと戻っていった日のことを思い出していた。
あの時、引き止めようとするみんなをたしなめながらも、自分がいちばん『行かないで』と言いたかった。
泣き出す小さな子供たちをなだめながらも、自分がいちばん泣きたかった。
水をやりながら、不意に視界が涙でぼやけてくる。
最初は、そのせいかと思った。
小さかった緑のつぼみが、少しずつ膨らんできたように見える。
「…ミル?」
目の錯覚じゃない。 硬そうだったつぼみが、みるみる大きくなり、ほどけていく。
それにつれ、つぼみの先端から微かに漏れていた青い光も広がってくる。
この成長の早さはいくら何でも普通じゃない、そう思って開いていく花を覗き込んだ時…。
爆発するような、青い閃光に視界が包まれた。
…………
夢を見ていた。 これは、きっと夢だと分かる夢…。
広大な庭園の中を、ミルクはひとり歩いている。
見渡す限り周りにあるのは、赤い薔薇の花…。
雲海のように広がる赤い薔薇の中に一筋伸びる道を、ミルクはよちよちと歩いていく。
やがて…庭園の中心に開けた場所が見えてきた。
「ミル…?」
そこに、誰かが立っていた。 横向きで立つ長身のシルエット。 足先までを覆う長いドレス。 波のように流れる長い髪…。
ミルクに気付くと、まるで自分の娘を見るような慈愛に満ちた微笑みを向ける。
(……だれミル?)
ミルクは不思議そうに、その人を見上げていた。
…………
意識が戻り、焦点が定まってきて最初に目に止まったのは一輪の薔薇の花だった。
地面から優雅に伸びる、きらめく燐光に包まれた青い薔薇の花…。
「あれ? どうしてこんなところに…?」
自分が地面に横たわっている事に気付いて、のろのろと身体を起こす。
そこで異変に気が付いた。
傍に立つ建物の、二階部分が目線の高さに見えてぎょっとする。 慌てて立ち上がると…その建物の屋根の上が目に映った。
思わず周囲をぐるっと見渡す。 周りも同じような光景だった。 まるで高い樹の上に登ったような、ミニチュアの街を見ているような眺め。
(街が小さくなった!?)
違う。
“自分が大きくなった”のだ。
足元を見下ろす。 地面を踏んでいるのは確かに自分の足だけど、かつての身長以上に長く伸びた両足の先に赤いローヒールの靴を履いている。
両手を顔の前にかざして見る。 手のひらからはすらりとした五指が伸び、先には形が整った丸い爪が付いていた。
「うっそぉっ!?」
半ば悲鳴のような声が、パルミエの街に響き渡る。
“人間”の姿になったミルクが、そこに立っていた。
最終更新:2013年02月24日 14:38