ミルクと青い薔薇(III)




 “エターナル”…。

 ミルクがその名を聞いたのは、数日前パルミエ王国に一時帰国したココ王子の口からだった。

 久々に王子の玉座についたココは、ミルクとパパイヤ世話役長など王国の重鎮たちの前で、いつになく重々しい様子で今、世界で起こっている出来事を告げた。

 その中で語られた“ナイトメア”に次ぐ新たな脅威。 それが“エターナル”…。

 パルミエ王国とは異なる、どことも知れぬパラレル・ワールドに拠を構えるその組織は、世界中から価値あるものを集めては拠点である美術博物館で丁重・厳重な管理を施しているという。

  “人知れず地に埋もれた稀少な宝を”

  “紛争の中で失われんとする価値あるものを”

  “永久(とわ)に美しく、存続させるために”

 だが、それは彼らの勝手な価値基準でしかなかった。 その名の下で行われているのは、破壊と暴力による略奪…。

 “ホシイナー”と呼ばれる怪物を操り、意に沿わぬあらゆる障害を排除して、価値あるものを奪い去っていく侵略組織。

 ココ王子・ナッツ王子と“伝説の戦士たち”は今、とある人物から託された鍵“ローズパクト”をエターナルの襲撃から守り、散り散りになったパルミエ周辺国の国王を探して“キュアローズ・ガーデン”へと向かうため、戦っているという。


「…“エターナル”!」

 その冷酷非道な犯罪組織の幹部を名乗る者が、今、ミルクの目の前に立っている。

 ココ、ナッツ王子も、“伝説の戦士たち”も、今ここにはいない…。


「パルミエ王国のチビどもが、何かちまちまやっていると聞いて来てみれば…、こんなオモチャみたいな国を作っているとはね」

 エターナル・情報収集分析班幹部“クラケーヌ”は、片手を腰に冷笑をこめた眼差しで周囲を見渡す。 そしてネイルアートを施した片手の人差し指をピンと立てて見せた。

「つまらない偵察任務のついでに、少ーし壊させてもらうわ」

 人差し指の先から、雷撃がほとばしる。 中空を蛇行しながら走ったそれは街外れにある物見の塔を直撃した。

 根元から崩壊した塔が横倒しになる。 土煙と一層大きな悲鳴がパルミエの街を吹き抜けた。

「なっ! やめなさいっ!」

 思わず飛びかかるミルクを払いのけるように、クラケーヌは片手を軽く振るう。 それだけでミルクは突風に会ったかように宙を舞い、数メートル吹き飛ばされた。

「っく! ああっ!」

 投げ出されたミルクの裸身が地面を転がる。

「とんだ裸のお嬢ちゃんだこと。 …ん?そうか、お前もパルミエの民だな? パルミエ民族の中には人間の姿になれる奴もいると聞いた事があるが…」

 両手をついて何とか上身を起こしたミルクは…、クラケーヌの姿を見て声にならない悲鳴をあげた。

「そんなもの、コケおどしにもならないわね!」

 まっすぐミルクを指差した手から、ペパーミント・グリーンの雷撃が放出され、すぐ目前まで迫っている。

 ミルクの目の前の地面に、それが着雷した。 直撃は免れたものの、衝撃でミルクの身体はまた横倒しになる。

(ああ…。 ダメ…)

 言われた通りだった。 姿は人間になっても、“伝説の戦士たち”のように戦う力があるわけじゃない。 圧倒的な暴力の前に、ミルクはただ無力だった。

 クラケーヌの狂ったような高笑いと、あちこちであがる崩壊の音の中、苦痛と悔しさで滲む目を開く。

 そこはあの青い薔薇の花壇だった。

(力…。 私にも、力があれば…)

 ぼやけた視界と喧騒の中、それでも優雅に佇む一輪の薔薇が、目に映る。

「私も守りたい…。 ココ様を、ナッツ様を、パルミエ王国を、この街を…」

 渇望するように、届かぬ青い薔薇へと手を伸ばす。

「守りたい…。 みんなを…。 みんなを守る力を!」

 その瞬間。 ミルクの声に呼応するかのように薔薇の放つ青い燐光が輝きを増す。

 そして花の上の中空に、ホログラフィのように“それ”が現れた。

「えっ?」

 薄紫色の光沢のある本体に、いくつものカラフルなボタンが散りばめられた20センチ程度の大きさの端末と、細いペンのようなブラシのようなもの。

 ミルクが今まで目にしたこともない物だった。

 …いや、似たようなものを見た事がある。

 あの“伝説の戦士たち”がいつも腕にはめていた“ピンキー・キャッチ”と呼ばれる端末。

 選ばれし者だけが持つことを許される、力の象徴である伝説のアーティファクト(工芸品)…。

“パレットを…、手に取ってください”

 どこからともなく、優しげな声がミルクの耳に届いた。


「…なんだこれは?」

 そんなミルクを無視して、クラケーヌが青い薔薇とその上に浮かぶ物の前に歩を進める。

 エターナルとしての関心が、それに何らかの価値ある可能性を見出していた。

 貴重な宝物(ほうもつ)かもしれない…。

 手を伸ばした時、その周囲に紫色の電撃が展開され、クラケーヌの手を打った。

 慌てて引っ込めた手を押さえて、困惑と憎しみの眼差しで後ずさる。


“パレットとペンを、早く…”

 クラケーヌと入れ替わるようにして、ミルクが身体を引きずるように薔薇の方へと近づく。

 そしていっぱいに腕を伸ばし、アーティファクトへと手を差し伸べた。

 クラケーヌの時と同じ紫電が張り巡らされるが…、それはミルクの手には何の危害も及ぼさない。

 パレットの持ち手に指を掛け引き寄せる。 もうひとつのブラシペンもミルクの右手に納まった。

“左端と3つの薔薇のボタンを順に…”

 透明なカバーが開く。 呼び声が示す4つのボタンをブラシペンでなぞる。

 もうひとつの右端のボタンに、認証完了を示す薔薇の文様が浮かびあがった。

 ミルクの脳裏を…あざやかな青い空と青い薔薇のイメージが駆け抜ける。 パレットとブラシペンを手に、たじろぐクラケーヌに向かい、ミルクは立ち上がった。


「蒼空なる薔薇への転身(スカイローズ・トランスレイト)!!」


 コマンド・ワードを高らかに唱える。 役目を果たしたパレットは手から消え、代わりにミルクの身体に変化が起こり始めた。

 無数の青い光の花びらが、ミルクの周囲に吹き上がる。 それが両腕・腰まわり・足元・上半身の順に収束して、それぞれグローブ・スカート・ブーツ・ドレスに変わりミルクの身体を包む。

 我に返ったミルクは、自分の格好を見て驚いた。

 白を基調に紫のラインの入ったショートドレス。 胸元には不可思議な青白い燐光が集まっている。 それは何かを形取っているようだったが…その輪郭はあいまいで、何なのかは分からなかった。

 けれどこれは。 この格好は、まるで…。

「“プリキュア”!? 私が…?」


 見知らぬアーティファクトを手にした少女が、瞬時に白と紫のドレス姿に変身したのを見て、クラケーヌは驚愕した。

 が、その気持ちを抑え込み、少女目がけて続けざま二連射で雷撃を放つ。

 エターナルの中では情報収集分析班として後方支援の役割が多い彼女だったが、エターナルとして必要な高度な戦闘技術と非情の精神は十二分に身につけていた。

 二連射は半ばけん制。 そこから間を空けて、より威力の高い一撃を放つ。

 ミルクは最初の二射を左右に身体を振ってかわし、足元に来た一撃をバック転で避けた。

 そのまま勢いで二転すると地面を蹴って後ろへ飛び退き、距離を取る。

 軽く蹴っただけなのに、ゆうに100メートルを滑空してミルクは地面に降り立った。

「すごい!」

 とっさに取ったアクションだったけど、さっきまでのミルクの身体能力を明らかに凌駕している動きだった。

 身体が羽毛のように軽い。 ずっと空を飛んでいられそうな気さえしてくる。


(あの変わり様…。 やはり、戦闘体勢になったのか?)

 クラケーヌも、目の前の一見ひ弱な少女が“戦士”であることを悟った。

(どういう事だ? パルミエ王国にこんな奴がいるなんて情報はなかったはずだ)

 そんなクラケーヌに向かって、ミルクがひと飛びで距離を詰めてくる。

 とっさに腕をクロスしてガードする。 そこに鋭い蹴りを受けて、クラケーヌはくぐもったうめき声を漏らした。

 正拳、裏拳、前蹴り、肘打ち、蹴り上げからのかかと落とし。

 矢継ぎ早に繰り出される攻撃が、クラケーヌを翻弄する。

(すごい! すごい! すごいっ! これが“プリキュア”の力?)

 パルミエ王国に伝わる伝説。 世界が危機に瀕するときに現れる、5色の蝶が司(つかさど)る伝説の戦士“プリキュア”

 かつてミルクが目にしていた、その凛々しくも可憐に戦う勇姿。 その伝説を今、ミルク自身が再現しようとしていた。

 身体はこんなに軽々と動き、繰り出す攻撃は鋭く正確に、相手を貫く。

 次に何をすればいいか分かっているかのように、身体は自然と蝶のように舞い、蜂のように刺す。

 突然目が覚めたかのようなミルクの反撃に、クラケーヌは防戦一方に追い込まれていた。

 勝てる。 これなら“エターナル”にだって。

(見ていてください、ココ様、ナッツ様。 悪い奴は今すぐミルクが。 ミルクが!)

「でやあああああっ!」

 気合と共に、ミルクは渾身の力でとどめの正拳突きを繰り出した。

 激しい攻防から一転。 近接状態の二人の間に一瞬の静寂が訪れる。

「………!」

 …ミルクが繰り出した拳を、クラケーヌの手のひらが受け止めていた。

 とっさに拳を引こうとするが…、食い込むようにがっしりと掴まれていて、ぴくりとも動かせない。

「まさかパルミエ王国に、お前のような戦士がいるとはね」

 青ざめるミルクに、顔をあげたクラケーヌがなぶるような目つきを向ける。

「けど…。 非力すぎるんだよ! お嬢ちゃん」

 掴まれた腕を伝導体にして、強烈な電流がミルクの身体に浴びせられる。

 悲鳴をあげてよろめいた肩口につま先蹴りを受けて、地面に膝と両手をついた。

「…っ。 このおっ!」

 気丈に立ち上がりクラケーヌに殴りかかるが、身体の軸をずらして軽くかわされる。 ぶつかり合う直前、カウンターで鳩尾に鉄拳がめり込んだ。

「…奇襲が通用するのは、最初の一回だけよ」

 突き上げるような腹部の痛みに声も出せないでいるミルクの耳元に、クラケーヌがそう囁く。

 はじき飛ばされたところに続けざまに雷撃が飛んでくる。 腕をあげて庇うが、細い電流は鞭のようにミルクの身を打ち据えた。

 痺れる身体をこらえて腕を下ろしたミルクの目に、絶望的な光景が映る。

 空に向けて高々と両手を上げているクラケーヌ。 その頭上に…、巨大な雷球が形成され唸りをあげていた。

「黒コゲになりなさい」

 なすすべもないミルクを押し潰すように、それが落ちてくる。

 ミルクを中心にした辺り一面に、殺傷力を秘めた荷電粒子が嵐のように吹き荒れた。

 ひび割れた地面が、強力なプラズマにさらされて次々とめくれ上がる。

 その中に、人化したミルクの身体は飲み込まれていった…。



最終更新:2013年02月24日 14:50