ミルクと青い薔薇(IV)




 …………

(あ…。 また、あの夢…)

 これは夢だと分かる夢。

 広大な庭園。 無数の赤い薔薇の花。

 そして、見上げるミルクの前に立つ女の人…。


「よく来て下さいました。 ミルクさん…」

 慈悲深い、柔らかな物腰で女性はミルクに声を掛ける。

「あなたは…誰ミル? それにここはどこミル?」

「わたくしの名は、“フローラ”」

 片手を胸元に当て、うやうやしく名のる。

「ここ、“キュア・ローズガーデン”の守り人…」

「キュア…、ローズガーデン?」

 聞き覚えのある名前。 ココさまナッツさまが目指しているという場所。

「ここが、“キュア・ローズガーデン”ミル?」

 ミルクは“人化の術”の解けた、本来の姿で薔薇の園に立っていた。

「もしかして…、ここは天国ミル? ミルクは、死んじゃったミルか?」

「いいえ。 今は夢の中にいるあなたの意識を、ここに招いたのです。 ミルクさん、わたくしの意志を、あなたに託すために」

「あの時の声…」

“パレットを…、手に取ってください”
“パレットとペンを、早く…”

「あれは…。 ミルクにずっと声を掛けてくれていたのは、あなただったミルか。 それにミルクに力を与えてくれたのも」

 フローラがうなずく。

「でもミルクは…。 ミルクは、やっぱりプリキュアにはなれなかったミル。 エターナルに負けちゃって、街も壊されて、みんなもきっと…。 やっぱりミルクみたいな弱い子は、力は持てないんだミル…」

 涙ぐむミルクに、フローラはそっと首を横に振って見せた。

「力は強い人のところに集まるのではありません。 たくさんの想いや願いから生まれるもの。

 ミルクさん、あなたの力は、あなた自身のものですよ。 わたくしはほんの少し、そのお手伝いをさせて貰っているだけ…」

 フローラが空中に手をかざす。 そこに水面のように揺らぐ鏡が現れた。


「ご覧なさい…」

 鏡面に次々と、ミルクがよく知る人たちの姿が現れる。

 伝説の5人の戦士、“プリキュア”…。


 あふれる品位と教養。 皆を影で支える功労。 それに病に倒れたミルクを癒してくれた優しさ。 知性と青き泉の使者。

 皆を傷つけんとする災いを受け止める慈愛の守り手。 本を手に楽しい話を読み聞かせてくれた。 安らぎと緑の大地の使者。

 小さな身体をいっぱいに使って敵に立ち向かう勇気。 舞台で軽やかに歌う姿に心が弾んだ。 はじける光とレモンの香りの使者。

 内に秘めた熱い心を力に変え先陣をきる勇姿。 鮮やかな花と綺麗なアクセサリーを届けてくれた。 情熱と赤い炎の使者。

 そして…。

 倒れそうな時に決して諦める事なく皆を励まし導いていく笑顔と魅力。 くじけそうになったミルクを幾度も支え助けてくれた。 夢と希望の使者。


「あなたはかつて、プリキュアたちと共に過ごし、共に喜び、共に悩み、共に戦って来ました。

 誰よりもプリキュアたちの心を知る、誰よりもプリキュアの心に近いあなただからこそ、託したいのです」

 フローラはかざした手でミルクの姿をなぞる。

 手のひらに一瞬ミルクの姿が隠れた瞬間、ミルクはあの白と紫のドレスをまとった人の姿に変わっていた。

「こちらへ」

 促されて、ミルクはフローラの元に歩み寄る。

 そこに一輪だけ、他と異なる色の薔薇が咲いていた。 ミルクが育てたのと同じ、青い薔薇の花。

 その花弁に溜まった一粒の雫(しずく)が、ふちを伝い、花びらの先に来る。

 横に立つフローラを見上げる。 もう一度うなずくのを見て、ミルクは青い薔薇に向き直り、目を閉じて口を開いた。

 舌先に、薔薇の雫が落ちる。

 身体の隅々まで、薔薇の香りが染み渡り広がっていく。 すべての悩みや迷いが晴れたかのように、穏やかな気分になっていった。


「どうぞ、これを」

 洗礼を終えたミルクに、フローラはあの薄紫色のアーティファクトを差し出す。

「“ミルキィ・パレット” あなたの力を導く元になってくれるでしょう」

 ミルクは、手渡されたパレットをじっと見ていた。

「覚えておいてください。 今のあなたの名前は―――――――。 他の誰でもない、あなた自身の想いと願いの力」

「私自身の…、想いと願いの力…?」

「すべてのパラレル・ワールドに危機が迫ろうとしています。 今、あなたの国を襲っている脅威も、その一端に過ぎません。

 大切なものほど失いやすいもの…。 本当に大切なものなら決して手放す事のないよう、その力であなたの大切なものを守ってください。

 そして、いつかプリキュアたちと共に来てください。 わたくしの元へ。 この“キュアローズ・ガーデン”へ…」


 …………

 崩壊するパルミエの街を眺めていたクラケーヌは、背後に誰かの気配を感じて振り返った。

 陥没した地面の中に、よろめくように白と紫のドレスの少女が立っている。

(まだ、立ち上がれるのか?)

 向き直って、攻撃に備え身構える。


「薔薇が…」

 うわごとのように、ミルクはつぶやいた。

「薔薇が…咲いてた。 たくさんの赤い薔薇と、青い…薔薇」

 焦点の定まらない目で、ふらふらとクラケーヌの方に足を踏み出す。

 が、すぐに倒れそうになって、そばに立つ樹に寄りかかり身体を支えていた。

(もう、戦う力もないか…)

 おそらく気力か半分無意識的に立ち上がって来ただけだろう。

「さてと…。 戻って報告書をまとめないといけないのでね。 答えてもらいましょうか」

 クラケーヌは構えを解いて、腕を組んだ。

「お前はいったい何者? 今、エターナルで言われている“プリキュア”というのはお前の事か? だとしたら他の4人はどうした? “ローズパクト”はお前が持っているのか?」

 立て続けの問いかけに、何の反応も返っては来なかった。 ただ、樹にしがみついてうな垂れている。

 もはや、口も聞けないか…。

 つまらない思いで、とどめの雷撃を浴びせようと腕を上げた時だった。

「あんたなんかに…」

 倒れかけかと思った少女から、強い口調の声が返って来た。

「あんたなんかに教える事は、何もないわっ!」

 きっ、と顔をあげた少女の目に、先ほどとはまるで別人のような強い意志がみなぎっている。

 それが冷静沈着だったクラケーヌの癇に障った。

「なんだと…?」

 ミルクは樹から離れると、しっかりとした足どりでその場に立つ。

「でも、最初の問いにだけは答えてあげる」


“お前はいったい何者?”

「私は…」


“覚えておいてください。 今のあなたの名前は―――――――”

「私の名前は…」


 真の名前と共に、力の解放を。


「私の名前は……。 “ミルキィ・ローズ”!!」


 それは今のミルクの名であり、言霊(ことだま)であった。

 ミルクの身に、第二の変化が現れる。 頭頂部と後ろ髪を結んでいたリボンがほどけ、結わえていた髪がとけて広がった。

 次の瞬間、その髪は長さも量も、倍ほどのボリュームに膨れ上がる。

 波のように広がる髪を、輝く青白い光になったリボンをもって、見えざる手が左右に結ぶ。 結び目に黄色の宝玉(オーブ)が現れ、そこから鮮やかな青のリボンが木の葉のように開いた。

 両耳にティアドロップ形のピアス、額の中心に薔薇の紋章が浮かび上がり、髪の結び目から伸びたつると繋がって額冠(サークレット)を形づくる。

「青い薔薇は秘密のしるし…」

 顔の前にかざした手で、胸元に集まっていた燐光をなぞる。 今やはっきりと、その燐光が形を現した。

 そこに花開いたのは…。 大輪の青い薔薇のコサージュ。

「ミルキィ・ローズ!!」


 何が起こったのかは分からないが、一瞬にして神々しい姿に変わったミルクに、クラケーヌは苛立ちをつのらせた。

「“ミルキィ・ローズ”だと? 笑わせるなっ!」

 変身を終え、クラケーヌに鋭い視線を向ける少女に向かって、一度さげた手を再びかざす。

 が、次の瞬間、その手を捕まえられ背中に捻り上げられていた。

「なにっ!?」

 さっきまで目の前にいたはずなのに、あっさりと背後にまわり込まれている。

(馬鹿な!? 何も見えなかった?)

「いい加減にしなさい。 せっかくみんなで築いたパルミエの街を、こんなにめちゃくちゃにして」

 力ずくで腕を振りほどき、至近距離からボディブローを放つ。 が、両手であっさりと受け止められる。

 少女は渾身の拳を止めたまま、微動だにせずその場でクラケーヌを睨みつけていた。

「奪ったり、壊したり、傷つけたり…。 どうしてあなた達はそんな事しか出来ないの?」

「そんな…。 まさか…」

 今の2,3手だけでクラケーヌは悟っていた。 目の前の相手が自分を遥かに上回る“格上”の存在であるということを。

 けど、自尊心がクラケーヌ自身の売りであるはずの正確な情報分析力を否定した。

 奇怪な雄叫びをあげて殴りかかってくる、その拳をミルク…“ミルキィ・ローズ”はすらりとかわして腕を取り、同時に足先をブーツで踏みつけた。

 そして強烈な膝蹴りをクラケーヌの腹部に叩き込む。

 腕と足を押さえられているせいで後ろに飛ばされる事も出来ず、クラケーヌは弓なりに反って空気を全部吐き出さされた。

「虐げられる者の痛みを知りなさいっ」

 そのまま無造作に放り投げられ、宙を舞い地面に叩きつけられる。

 痛みをこらえて立ち上がり、雷撃を乱れ撃つ。 それも水でもはじくかのように易々と払いのけられた。

 踏み込んで来たミルキィ・ローズが攻撃を繰り出す。 さばき切れたのは最初の2,3撃だけだった。

 わき腹、肩、足元、上腕、頬の順に連撃を受けて、クラケーヌは無様に地面を転がる。

 力、スピード、技の全てを兼ね揃えた完璧な攻撃だった。

「さぁ。 みんなに謝ってパルミエ王国から出て行きなさい。 あなたも、他のエターナルも、もう二度と来ないと誓って」

 ボロボロになったクラケーヌが、地面に座り込むようにして、ゆらりと身体を起こす。

 その肩が小刻みに震えていた。

 泣いているの…? そう思った時、狂おしい笑い声が漏れ聞こえてくる。

「まさか…。 まさかパルミエ王国に、これほどの戦士がいたとはね。 情報収集分析が甘かったわ。

 けど、パルミエの民にいい様にやられて帰って来たとあっては、スコルプやアナコンディたちのいい笑い者…」

 顔をあげるクラケーヌ。 その眉間には皺が刻まれ、目は三角形に吊り上がりすさまじい形相と化していた。

「不本意だけど…。 本気を出させてもらうわっ!!」

 空に向かってクラケーヌが大きく吼えた。 周囲に電流が渦を巻き、髪に下がったエクステンションが逆立つ。

 そして身体はみるみる内に巨大に膨れ上がっていく。

「ええっ!?」

 見上げるほどの山のような大きさになるクラケーヌの影。 雷流が収まったとき…、そこに、巨大な“クラゲ”の怪物が鎮座していた。



最終更新:2013年02月24日 14:55