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イエローハートの証明 ( 第2話:四つ葉町に残りしもの )




 ラビリンス歴××××年。
 総統メビウス――長きにわたり人々を管理し続けてきた、国家管理用のメインコンピュータ・メビウスが、自爆という思いがけない最期を迎えた。
 人々は自我を取り戻し、命令通りに何不自由なく生きる真っ平らな人生よりも、自分で考え、自分で行動し、自分で確かめる人生を選択する。
 そのために、ラビリンスには長らく存在していなかった「政府」というものが、異世界の仕組みを参考にして、急遽作られた。
 自分の人生を自分で決めると言っても、社会生活においては、一人一人が自分勝手に決められないことが実に数多い。そのため、今までのようにただ管理されるためではなく、人々がそれぞれの人生を生きるための、社会のルールが、仕組みが、組織が必要になったのだ。

 ほどなくして、三人の人物が、異世界からラビリンスに帰還した。
 二人の青年と、一人の少女。ラビリンス四大幹部と崇められてきたうちの三人だが、その実態は、メビウスが全パラレルワールド制圧のために、異世界に送り込んだ尖兵たち。そして、にも関わらず、ラビリンスの解放に多大な貢献をした若者たちでもあった。
 中でも紅一点である少女が、ラビリンスをメビウスから解放した立役者・プリキュアの一人であったことから、一時は歓迎ムードが盛り上がった。が、彼女がもうプリキュアにはなれないと知って、人々は落胆し、その盛り上がりは急速に冷めていった。

 ラビリンスのために何か役に立ちたいという彼らに、新政府のメンバーたちは逡巡した。
 彼らも自分たちと同じ、メビウスの命に従っていただけだということは、頭ではよく分かっている。しかし、彼らは管理する側の――メビウスの側の人間だったではないかという思いも、心の中にある。
 多くのラビリンス人が初めて体験する、理屈と感情とのせめぎ合い。そんな中、三人は周りの理解も協力も待つことなく、一人一人それぞれのやり方で、ラビリンスのために動き始めた。そして、そんな彼らの言動を目の当たりにして、人々の彼らに対する思いも、少しずつ変わっていった。

 メビウス崩壊から、四か月。人々の日常が、曲がりなりにもようやく落ち着きを見せ始めた頃、元・三幹部の彼らもまた、彼らなりに、新生・ラビリンスに溶け込みつつあるように見えた。



   イエローハートの証明 ( 第2話:四つ葉町に残りしもの )



「じゃあ、焼けたら火を止めて、お皿に盛り付けて下さい。余ったソースはこうやって、上からかけるといいですよ。」
 そう言いながら、少女が鮮やかな手つきで盛り付けの手本を見せる。ラビリンス人らしい色白の頬と、穏やかな光を放つ赤茶色の瞳を持つ少女。だが、頭を覆う三角巾の裾から覗くのは、ラビリンス人のものではない、漆黒の髪の毛だ。
 少女の手元を見つめる十人ほどの男女も、全員が三角巾で髪を包み、緊張の面持ちでフライ返しを握っていた。それぞれフライパンを覗き込み、慎重にすくい上げて皿の上に盛り付けたのは、こんがりと美味しそうに焼けたハンバーグだ。
 人々の間から、盛り付けが終わってホッとしたような笑顔がこぼれる。その様子を、少女――せつなは微笑みながら見守った。

 ラビリンス全土に幾つもある、食材貯蔵庫 兼 給食センターのひとつ。せつなは、ここの所長の頼みを受けて、今日初めて、ラビリンスで料理を教えていた。
 メビウス管理下のラビリンスでは、食事は全て機械で作られたものが配給され、人々はそれを、決められた時間に決められた場所で摂取するだけだった。つまり、料理をするという習慣が、ラビリンスには存在しなかった。
 だから今でも人々の食事は、基本的に給食センターにある機械で作られ、配給されている。もっとも、今では食事の味は飛躍的に改善されていたし、メニューも幾つかある中から選べるように、少しずつ変わりつつはあるのだが、食事は全て給食であるという事実は、以前と変わりがなかった。

『今まで義務だとしか思っていなかった食事という行為が、喜びや幸せに繋がるのなら――そして、それを作る「料理」という行為が幸せを生むのなら、是非、異世界で学んできたそれを、私たちにも教えてほしい。』

 給食センターの所長を務める中年の女性がそう頼んできたとき、せつなは、自分がラビリンスのために何が出来るか模索していたところへ、一筋の光が射したような気がした。
 料理を教えるには、今のラビリンスには無い家庭用の調理器具を、工場で作ってもらうところから始めなければならなかった。そしてやっと料理を教えられる段取りが整ったのだが、希望者を募ったところ、予想を遥かに超える申し込みがあり、とてもせつな一人では教えられない人数が集まってしまった。
 そこで、給食センターで働いている人の中から、当日せつなの手助けをするメンバーを募ることにした。それぞれの調理台をまわって指導したり、うまくいかなくて困っている人にアドバイスしたりする役目だ。そして今日が、立候補してくれた彼らのための、事前実習だった。

「やっぱり、せつなさんのが形も焼き色も一番きれいね。私のは、少し焦げてしまいました。」
 せつなの皿を覗き込んで、一人の若い女性が呟くように言う。
「僕のは端の方が少し割れちゃった。これじゃ美味しくないかなぁ。」
「私のは、何だか形がいびつになっちゃったわ。」
 自分の皿を眺めて肩を落とす人々に向かって、せつなは穏やかにかぶりを振る。
「大丈夫、みんな上手に出来てるわ。成形や焼き方は、慣れれば上手になります。さぁ、冷めないうちに頂きましょう。こうやってみんなで作ったものを食べると、とっても美味しいし、とっても楽しいわ。」

 真っ白なテーブルクロスが架けられた大きなテーブルを、全員で囲んで座る。一人一人の目の前に置かれているのは、全員で作ったスープとサラダ、それにニンジンとブロッコリーを付け合わせにしたハンバーグだ。
 全員が一斉に同じ物を食べるのは、以前からラビリンスでは見慣れた光景だ。でも、あの頃とは明らかに、人々の様子が違う。
 わずかばかり頬を紅潮させた人々の目には、自分で初めて作った料理への期待と不安が満ちている。それを嬉しく思いながら、せつなは「いただきます。」と手を合わせた。

 全員がせつなに倣って手を合わせてから、料理をひと口、口に運ぶ。
「どう・・・ですか?」
 そう恐る恐る声をかけるせつなに、さっきの若い女性が、笑顔で頷いた。
「美味しい・・・。とっても美味しいわ!ちょっと焦げたところも、何だか香ばしくって。」
「私のも、形は悪いけど、味は結構いいんじゃないかな。」
「僕のも。でも、やっぱり割れちゃったところは、少しパサパサしているみたいですね。」
 皆が笑顔で、口々に感想を言い合う。せつなはそれを見届けてから、自分もハンバーグをひと口頬張った。
(良かった。ラブが教えてくれたのと、同じ味だわ。)
 じわりと胸の奥に広がる痛みと一緒に、ハンバーグのかけらを飲み込む。その時、一緒に実習を受けた所長が、せつなに話しかけてきた。

「ねぇ、せつなさん。ハンバーグって、形が良い方が均一に火が通って美味しく焼けるし、焦げていない方が美味しいんですよね?」
「ええ。」
 せつなが生真面目に頷くのを見て、彼女は勢い込んで身を乗り出す。
「だったら、機械で作った方が美味しいはずだと思うんだけど。料理が美味しければその分だけ、みんな幸せになれるんでしょう?」
「確かに、美味しい料理は、人を幸せにします。でも、料理がくれる幸せって、それだけじゃないと思うんです。」
 そう言って、せつなは食卓を囲む人々を見渡す。
「みんなでこうやって顔を合わせて、楽しくおしゃべりしながらご飯を食べること。それだけで、一人で黙って食べるのとは、美味しさが全然違うでしょう?
それに、誰かのために料理を作ったり、誰かに料理を作ってもらったりすることも、大切な幸せですから。」

 せつなの言葉を、真剣にメモを取って聞いていた人々が、何かまだしっくりと来ていない顔で、隣り同士、ぼそぼそと話を始める。
「誰かのために・・・か。じゃあ、やっぱり味より、「誰かのために作る」ってことが、大切だってこと?」
「いやぁ、でもだからって、マズいものを食べさせてもねぇ。ほら、昔の食事みたいに。」
「そうだな。あのときは、みんな一緒って言っても一人で食べてるみたいなもんだったけど、あの食事だったらみんなで食べても、きっと美味しくないよなぁ。」
「うん。だから、こんな美味しい料理を教わったら、それだけでみんな、幸せですよ。」

 食卓のあちこちから聞こえる声を、せつなはもどかしく思いながら聞いていた。そうじゃない。伝えたいことは、そういうことじゃなくて・・・そう思った時、せつなの脳裏に、明るく楽しかった桃園家の食卓の風景が浮かんだ。

――出来たぁ!ラブちゃん特製・激うまハンバーグ!

 キラキラと輝くラブの瞳。家族の料理をひと口食べただけで、感激していたお父さん。学校のこと、ダンスのことを優しく尋ねながら、時には厳しく娘たちの好き嫌いを注意していたお母さん・・・。
(あの食卓のあたたかさを、幸せを、私はいつか、この人たちに伝えることが出来るんだろうか・・・。)
 せつなは、胸の奥に再び湧き上った痛みをこらえて、もうひと口、ハンバーグを口に運んだ。


   ☆


 その夜、一人で暮らす小さな部屋に帰って来たせつなは、暗い部屋の奥に、かすかな光が見えているのに気付いた。
 不審に思って灯りをつけずに部屋に入り、光の元を探る。淡く柔らかなその光は、どうやら部屋の隅に置かれた机の、一番上の引き出しの隙間から漏れているらしかった。
(ここに入っているのは・・・まさか!)
 急いで引き出しを開け、その一番奥にあるものを確認する。
 久しぶりに目にする、赤と黒で彩られた携帯電話。大切にしまい込まれていたリンクルンが、淡いピンク色の光を放って、せつなを待っていた。
 震える手でそれを取り出し、画面を開く。
『メール・1件』
 その差出人は、ラビリンスに帰って来ても片時も忘れたことのない、この世で一番大切な、親友の名前だった。

 以前、異次元にある館でノーザに捕えられた時、リンクルンから三人の仲間の声が聞こえて、助けられたことを思い出す。
(そうだった・・・。リンクルンはもう変身アイテムじゃないけど、仲間たちとは、今も繋がっていられるのね。)
 本文を開くのすらもどかしく、せつなはメールに目を走らせる。が、いくらも読まないうちに、その顔からは笑みが消え、表情は難しいものに変わった。

(どうしてナケワメーケが?ウエスターは、今はラビリンスに居るはずだし、そもそも今の彼がこんなことをするとは思えない。それに、黄色いハート型の光って、それは一体・・・?)
 ふと気になって、メールの送信日時を確認し、思わず溜息を付く。昨日の夕方。今から一日と六時間ほど前だ。異世界間通信のタイムロスというよりも、おそらく単純に、自分が昨日はリンクルンの光に気付かなかったのだろう。
 きっとラブは、メールが届いたかどうか気が気ではなくて、昨日からずっと落着きなく、うろうろしているに違いない。
 とりあえず、ちゃんと届いたことだけでも知らせようと、返信メールを打ちかけた時、せつなのもう一つの携帯――普段使っているラビリンス国内用の携帯電話が、着信を告げた。
 発信元を見て、せつなの表情がさらに険しくなる。
 電話を耳に当てながら、せつなは部屋が真っ暗だったことを思い出して、やっと灯りを点けた。


   ☆


 ラビリンスの首都の中心――ちょうどメビウスの城があった場所から少し離れたところにある、新政府の庁舎。その一室で、サウラーはコンピュータの画面を、じっと見つめていた。
 その右手には、相変わらず角砂糖が山盛りになった紅茶のカップ。ラビリンスに帰還しても、この習慣は改まっていないらしい。
 ここはサウラーの資料室兼研究室。もっとも、異世界のものも含む彼の蔵書は、とてもこの部屋では収まらず、会議室になるはずだった隣室までも、第二の資料室にしてしまっている。
 彼はここで、その膨大な資料の中から、今のラビリンスに役立ちそうな情報を収集し、解析する仕事に力を入れていた。

 サウラーの視線がすっとドアの方に流れたのと、コンコン、というノックの音が聞こえてきたのとが、ほぼ同時だった。
「どうぞ。開いているよ。」
 声をかけると、自動ドアが音もなく開き、硬い表情のせつなが、部屋に入って来た。
「こんな時間に呼び出してすまない。久しぶりだな、せつな。元気だったかい?」
「ええ。あなたも元気そうね、サウラー。それにしても、あなたにそんな人並みの挨拶をされるなんて、ちょっと不思議ね。」
「からかわないでくれよ。」
 二人の間の空気が、ほんの少し和む。が、それも一瞬。
「それで、まずはあなたが見つけたものを見せてくれる?」
 せつなの言葉で、部屋の雰囲気は再びぴりりと引き締まった。

「これだよ。最初は何が映っているのか、まるで分からなくてね。ノイズ除去と解析に一日かかって、やっとここまでだ。」
 サウラーが、今まで見ていた画面を指差す。そこに映っていたのは、紫色の箱のような体に細長い手足を持った、怪物の映像。不鮮明だが、その胴体には確かに黄色いダイヤが貼りついているのが見える。
「メビウスの崩壊で、管理されていた異世界は全て元に戻った。それはこの目で確かめたが、念のために、細かく確認しておきたくてね。
新政府から微量分析の専門家に依頼してもらい、異世界にラビリンスの超科学の痕跡が残っていないか、解析していたんだ。
そうしたら、四つ葉町に微かだが反応があった。あそこは僕たちが長く居た場所だから、何か残っているとしたら、一番確率が高い。ただ、あまりに微かな反応なので、それが何なのかまでは分からなかった。そのうちに急に反応が強くなって、こんな映像が捉えられたというわけだよ。」
 サウラーが説明している間に、映像の中の怪物が両手を前に突き出し、弾丸のようなものを発射する。そして、もう一度発射しようとしたとき、その体が突然、大きな黄色いハート型の光に包まれ、消滅した。

「ラブのメールに書いてあった通りだわ。」
 せつなが掠れた声で呟く。既に先程の電話でメールの内容を伝えられていたサウラーが、ああ、と頷いた。
「それで、ウエスターは?あの黄色いダイヤはウエスターのものによく似ているけど、まさか彼の仕業じゃないんでしょう?」
「無論だ、と言いたいところだが、彼がまだ捕まらないんだよ。おおかた、また携帯も見られないくらいバタバタしているんだろうがね。」
 サウラーの言葉に、せつなは心配そうに眉根を寄せる。
 ウエスターは今、ラビリンスに新たに作られた警察組織で、一個大隊を率いていた。
 国民一人一人が自我に目覚めるということは、その自我が衝突する事態をも避けられないということだ。彼は、時と場所を選ばず発生する多くの諍いを鎮めるために、毎日あちらこちらを飛び回っていた。
「じゃあ、あの黄色いハート型の光のことは?何か分かったの?」
「残念ながら、それもまだだ。プリキュアの技にそっくりだが、まさかキュアパインの技ではないんだろう?」
「それは無いわ。ラブのメールには、ブッキーも一緒に居たって書いてあるし、そもそも彼女はもう変身は出来ないんだから。」

「そうだよな。」
 そう言って、サウラーは紅茶を啜りながらじっと考え込む。やがて、彼はせつなの方を見ずに、画面を見つめたまま口を開いた。
「まぁウエスターの仕業かどうかは、彼と連絡が取れればはっきりするさ。むしろ危険なのは、彼の仕業じゃなかった場合だ。」
 サウラーの言葉に、せつなが小さく頷く。
 ラビリンスの超科学で作られた幹部専用のダイヤが、万が一、ラビリンスのあずかり知らぬところで暴走していたとしたら――考えただけで恐ろしい。
「もしかしたら、僕らは気付かないうちに、あの町にとんでもないものを残してきたのかもしれない。まさかとは思うが、もしそうなら・・・」
 サウラーは呟くようにそう言いかけて、我に返ったようにせつなの方に向き直ると、いつもの淡々とした調子で言った。

「申し訳ないが、君は一足先に四つ葉町へ行ってくれないか。まだ少し気になるデータがあるから、僕はすぐにはここを離れられないんだ。ウエスターに連絡を付けたら、すぐに向かってもらう。それに、ラブたちが実際にナケワメーケを見たのなら、話が早い。彼女たちだって、君がそばに居た方が・・・」
「ちょっと待って。ラブたちを巻き込むつもり?彼女たちは、もうプリキュアじゃないのよ。それに、私だって。」
 驚いて食ってかかるせつなに、サウラーは小さく肩をすくめる。
「別に巻き込むつもりはなかったが、彼女たちはもう、巻き込まれてしまっているんだろう?それに、ナケワメーケだけでなく、あのプリキュアの技にそっくりな光まで出現しているんだ。いくら変身できなくても、彼女たちが大人しく指をくわえて見ていると思うかい?」
「それは・・・。」
 言いよどむせつなに、サウラーはなおも冷静に言葉を繋ぐ。
「早いうちに、あのダイヤについて――ナケワメーケの核の力についてよく分かっている人間が、四つ葉町に行った方がいい。こちらとはいつでも連絡が付けられるように、異空間通信機も渡しておく。だから、頼む。」
「わかったわ。」
 ようやく頷いたせつなの肩を、サウラーはポンと叩いて、そんな自分に照れたように、さりげなく顔をそむけた。


   ☆


 次の日の朝、せつなは給食センターの所長に、数日の休暇を願い出た。もしかしたら料理を教えるスケジュールも変更しなくてはならなくなるかもしれなかったが、所長は事情を聞いて、快く承諾してくれた。

「せつなさーん!」
 異空間移動ゲートへ向かおうとセンターを出たところで、後ろから呼び止められた。振り向くと、昨日実習を受けていた若い女性が、小走りでやって来る。彼女はせつなに追いつくと、息を弾ませながら言った。
「昨日は、ありがとうございました!
実は私、せつなさんの話を聞いて、誰かのために料理を作る、っていうこと、早速やってみたくなっちゃって。
でも、家には料理を作れる器具なんて無いから、所長さんにお願いして、昨日のスープの残りを、少し分けてもらったの。」
 彼女はそう言って、少し照れ臭そうに微笑んだ。
「家に帰ってから加温器で温めて、同じ居住区に住む子供たちに、食べてもらったの。みんな凄く喜んで、美味しい、って。それを見たら、私も嬉しくて。こんなに喜んでくれるんなら、もっと料理上手になって、美味しいものを作ろうって思って・・・。
その時ね。私、せつなさんが言ってたこと、少し分かったような気がしたの。美味しい料理は、人を幸せにする。それは、食べた人だけの幸せじゃないのね。」

 昨日の子供たちの笑顔を思い出しているのか、時折嬉しそうに微笑みながら、ゆったりとした口調で語る彼女。その顔を見ながら、せつなの胸にしみじみと嬉しさが湧き上がる。
(あんな拙い私の言葉から、この人は、あたたかい幸せな時を作ってくれた・・・。)
 その時、何かがせつなの心に引っ掛かった。自分は何か、大きな間違いをしていたのではないか、というぼんやりとした思い。が、その正体が分からないうちに、彼女は笑顔で会釈をすると、またセンターへと引き返してしまった。

 せつなは、ふっと小さく息を吐いて、再び歩き始めた。四つ葉町に帰って、またあの町の笑顔に触れ、桃園家の食卓を囲んだら、もしかしたら何かが見えるかもしれない。そんな気がした。
 これはただの里帰りではないけれど、そうすることでラビリンスに何かを持ち帰ることが出来るなら、それはきっと、大切な仕事だろう。
 せつなはそう思いながら、さっきよりも幾分弾んだ足取りで、異空間移動ゲートへと向かった。


   ☆


 高速で後ろへと流れる光の回廊が、ふいに途切れる。ゲートが開くと、頬を撫でる五月の風が、真っ先にせつなを出迎えた。
 思わず息を詰めて、異空間移動ゲートの外に出る。
 そこは、クローバーの丘の上――せつなが四か月前、ラビリンスへと旅立った場所だった。

(帰って来たんだ・・・。)
 いや、今回はただの里帰りなどではない。四つ葉町に一大事が起こって、そのために帰って来たのだから――そう思うのに、心臓が苦しいくらいに、喜びに打ち震える。まるでのぼせたように頬が熱くなり、気を抜くと、辺りの景色がすぐに涙の向こうに霞んでしまう。
 こんなにも、自分はこの場所に焦がれていたのかと、自分で自分に驚くほどの反応だった。

 せつなは、パンパン、と自分の頬を叩くと、ぐっと拳を握って歩き出した。
 今にも走り出しそうになるのを抑え、落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり――と自分に言い聞かせながら。今走り出したら、とても自分を抑えられる自信など、無かったから。
 あの日、あゆみに声をかけられた場所を通り過ぎ、初めて家族で食事をしたレストランの前を行き過ぎる。そして坂道を下ると、見えてくる、白地に緑色の「クローバータウン・ストリート」の文字。
 その時。

「せ~つなぁぁぁ~!!」

 夢の中で、何度も何度も聞いた声。四カ月の間、一番聞きたかった声が、夢でなく、現実に鼓膜を震わせる。
 そして、通りの向こうから転がるように駆けてくる人物を見た時、せつなの中で、抑えていた何かが音を立てて弾けた。

「ラブ・・・ラブ~!!」

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら走ってくるラブに向かって、全速力で走り出す。
 手を取り合い、抱き合うまでのほんの数秒が、まるで映画のスローモーションみたいに、何十倍にも何百倍にも感じられた。

「せつな・・・せつな・・・せつな・・・」
 ラブが、せつなの体をギュッと抱きしめたまま、その肩に顔を埋めて、幼子のように震える。その髪を右手で優しく撫でながら、せつなは左手をそっとラブの背中に回して、その温もりを、全身で感じた。

「ちょっと、ラブ。みんなが見てるわよ。」
 平静を装いながらも明らかに震えている声が、二人に近付く。顔を上げると、そこには涙に濡れた蒼い瞳があった。
「美希!!」
「お帰り、せつな!!」
 美希が駆け寄って、ラブごと、せつなを抱きしめる。
 彼女たちをよく知るクローバータウンの人々は、互いに笑みを交わしながら、ただ黙って、そんな彼女たちを見守っていた。

 やがて、三人が顔を見合わせて、嬉しさを隠せないように、うふふ・・・と笑う。が、次の瞬間、せつなはキョロキョロと辺りを見回して、怪訝そうにラブと美希に問いかけた。
「あれ・・・ブッキーは?」
 途端に二人が、心配そうに顔を見合わせる。
「ブッキー、今日は体の具合が悪いらしくって・・・。よっぽど酷いのか、リンクルンに電話しても、ちっとも出てくれないの。」
「尚子おばさんに伝言したんだけどな・・・。せつなが帰って来るって聞いたら、ブッキー、這ってでも来るはずなのに。」
 ラブと美希の言葉に、せつなも顔を曇らせる。
「きっとせつなが帰ってきたこと、まだ知らないんだよ。あとでブッキーの家にお見舞いに行って、びっくりさせようよ!せつなの顔見たら、ブッキー、すぐに元気になるって。」
 ラブが力強い声でそう言って、ニコリと笑う。それを見て、美希もせつなも、ええ、と頷いた。

 この時、祈里に一体何が起こっていたのか――。
 ラブも美希も、そしてせつなも、まだ知る由もなかった。

~第2話・終~




最終更新:2013年12月24日 19:35