イエローハートの証明 ( 第3話:ホンモノの、不幸の世界 )
空が、重く垂れ込めている。
風はなく、木の葉ひとつそよぎはしない。
全てがモノトーンに沈んだような世界の中で
あちらこちらで存在を主張している、黒々とした鉄格子。
(わたし・・・なんで動物園にいるの?)
聞こえるのは、わたしの足音と息遣いだけ。
まるで世界にたった一人で取り残されたよう――そう思った時
大小様々な動物さんたちの目が、わたしを見つめているのに気付いた。
(どうしてみんな、檻の外に!?)
驚くわたしの耳に、静寂を破って聞こえてくる小さな囁き。
――人間だ!人間がいるぞ!
――人間は、勝手で残酷だ!
――人間なんか、嫌いだ!
囁きは次第に大きくなり、辺りの空気を震わせる。
突如、真ん中にいたインドゾウが、長い鼻をくねらせ、高らかに雄叫びを上げた。
――人間を倒せ~!!
それを合図に、動物さんたちの群れがゆっくりとこちらに迫って来る。
――倒せ!!
――人間を倒せ!!
大地は震え、木々はざわめき、冷たい風が頬に吹き付ける。
そして、揃ってこちらに向けられている、風よりなお冷たい無数の目、目、目・・・。
(わたしの知ってる動物さんたちはみんな、素直で優しい心を持ってる。
あなたたちは・・・誰?)
そこで、ハッとした。
「この世界は・・・」
「ニセモノだよっ!!」
ふいに辺りの景色が夢のように掻き消えて、
わたしは不幸のゲージの前に、仲間たちと一緒に立っていた。
それぞれの不幸の世界から、四人とも帰って来られたのだ。
でも。
あの時のわたしは、まだ知らなかった。
本当に怖いのは、「人間」を嫌いだと言う動物さんたちなんかじゃない。
動物さんたちが、わたしを恐れ、わたしに敵意を抱くこと。
そして、わたし自身が彼らを恐れ、拒絶してしまうことなんだっていうことを。
イエローハートの証明 ( 第3話:ホンモノの、不幸の世界 )
話は一日前――つまり、あのナケワメーケが現れた日の翌日に遡る。
今日は、ラブは家族でお出かけ、美希はモデルの仕事、祈里は病院の手伝いがあるので、ナケワメーケの謎の解明については、ひとまず中断することになった。そして、昨日せつなに送ったメールに返事が来たら、ラブがすぐに美希と祈里に連絡することになっていた。
にもかかわらず、今日の祈里は病院ではなく、買い物袋をぶら下げて、とぼとぼと街を歩いていた。その左手の親指には、真新しい包帯が巻かれている。
昨日の夕方、帰宅してから、いつものように動物病院のお手伝いをしていた時のこと。彼女は実に久しぶりに――おそらく、本人も覚えていないほど幼い頃にフェレットに噛まれて以来、患畜である犬に噛まれたのだ。いや、危険を察知した正に注意を促されて、咄嗟に手を引っ込めたので、怪我自体は大したことなかった。左手の親指に犬の歯が当たって、少し切れたくらいのものだ。
ただ、噛まれた原因に問題があった。診察のために犬を押さえている最中に、待合室の話し声に気を取られて、手元がおろそかになったのだ。
待合室から聞こえてきた会話は、昼間ほんの少しだけニュースで流れた、あのナケワメーケのことだった。その話をしている、と気付いた瞬間から、つい全身を耳にして聞き入ってしまった。何か新しい情報があるかも・・・と、そんな期待も少しあったのかもしれない。
しかし、そんな言い訳が通用するようなことではない。勿論、誰かに言えるようなことでは無いけれど。もし正に声をかけられなかったら、もっと酷い噛まれ方をしていただろうし、下手をしたら治療中に暴れた犬にも怪我をさせていたかもしれないのだ。
院長の一人娘に怪我をさせてしまった、と慌てる飼い主をなだめながら、無事に犬の治療を終えた正は、珍しく厳しい顔をして、怪我が治るまでは病院のお手伝いを休むよう、祈里に言い渡した。
「いいか、祈里。どんな時でも、何があっても、治療している動物から注意を逸らすなんて、あってはならないことなんだぞ。動物は、人間の気持ちを敏感に感じ取る。ただでさえ居心地の悪い診察台の上にいるのに、体に触れている人間の注意が自分から離れたら、どんなに不安になると思う?」
こんな時でも決して声を荒げず、穏やかに語り聞かせる父の声が痛かった。母が何も言わずに手当てをしてくれた、傷の痛みよりずっと。そんなこと、お手伝いを始めたもっと幼い頃から、ちゃんと分かっていると思っていたのに。
情けなさに涙が出そうになるのをぐっとこらえて、両親に向かって深々と頭を下げる。その頭に、ポン、と手を置いてから、正は娘の顔を覗き込んだ。
「さっき母さんから聞いたんだが・・・。今日は何かおかしな事件があったみたいだな。祈里、また何か大変なことに関わっているんじゃないのか?」
たった今までとは打って変わって、心配そうにカタンと下がった父の太い眉毛。その隣からこちらを覗き込む、自分によく似た母の瞳。
「えっ?・・・ううん、そんなことないよ。」
ついこの間、あんなに心配をかけたばかりだというのに、また二人の心を痛めるわけにはいかない――そう思いながら、祈里はわざとのんびりとそう言って、笑って見せたのだが・・・。
昨日の両親の顔を思い出して、祈里はほぉっとため息をつく。あんな風に返事をしたけれど、謎は何一つ解けてはいないし、解決の糸口だって掴めてはいないのだ。
少し気分を切り替えようと空を見上げると、一羽のツバメが、ついーっと頭上を飛んで行くのが見える。その行先に見るともなく目をやった時、ここから昨日の工事現場までは割合に近い距離だということに気付いた。
(現場百ぺん、っていうのは、刑事さんの言葉だったっけ。昨日はあんなことがあって気が動転してたから、何か見落としているものがあるかもしれないよね。)
「ありがとう、ツバメさん。」
祈里は、空に向かって柔らかく微笑んでから、買い物袋を持ち直し、小走りでその場所へと向かった。
商店街の外れにある工事現場には、今日も人の影は無かった。連休中は、もしかしたら工事はずっと休みなのかもしれない。
昨日、ナケワメーケが祈里たちを追いかけてきたときに壊したのか、囲いの一部が破れている。祈里はそこから、そっと中を覗き込んだ。
地面には、あちらこちらに何かをぶつけたような凹みが出来ている。積み上げられていたらしい機材の一部は、雪崩を起こして辺りに散らばっている。
昨日ナケワメーケがここで暴れた証が、色濃く残る光景。それを悲しそうに眺めていた祈里が、あ、と声を上げた。
デコボコになった地面の上で、何かがキラリと光ったのだ。目を凝らすと、囲いに近いところに、紫色の小さなものが落ちている。
囲いの破れ目から中に入ってみると、思った通り、それは昨日のナケワメーケの元になった、小さな香水瓶だった。
(あの黄色い光でナケワメーケが消えたってことは、これはもう、浄化されてるってことなのかしら。)
少しためらってから、買い物袋を持っていない方の左手を、思い切って香水瓶に伸ばす。そっと手に取り、持ち上げようとした時。
「痛っ!」
今度は中指に鋭い痛みが走って、祈里は思わず香水瓶を取り落した。
土の上で、瓶がカチャリと音を立てて二つに割れ、鋭い切り口を覗かせる。どうやら今の衝撃で割れたわけではなくて、割れ目の部分が下になっていただけらしい。そのせいで、手を切ってしまったのだ。
(と言うことは、やっぱり浄化されたわけじゃないんだわ。プリキュアの技なら、瓶が壊れたりしないはずだもの。)
じんじんと痛み出した左手を押さえながら、今度は香水瓶を手に取らず、しゃがみ込んで目を凝らす。
紫色の長方形のガラスの瓶に、同じくガラスの丸い蓋が付いた形。蓋の下には、金色の小さな刻印のようなものが見える。
もっとよく見ようと顔を近付けた祈里は、そこで思わず顔をしかめた。祈里の考えを裏付けるかのように、香水瓶が嫌な臭いを発しているのだ。昨日、ナケワメーケが攻撃してきたときに嗅いだものよりは遥かに弱いが、どうやら同じ臭いらしい。
そしてその臭いは、瓶を掴んでしまったせいで、祈里の左手にも付いてしまっていた。いや、気のせいか、左手に付いた臭いの方が、今漂っている臭いよりも強いような気さえする。
何だか気分が悪くなってきて、祈里は急いで立ち上がると、その場を離れた。早くどこかで手を洗おうと、水道のある場所を目指す。香水瓶をそのまま置いてきてしまったことに気付いたのは、しばらく経ってからのことだった。
近くの児童公園の水道で、祈里は、包帯を巻いた親指を濡らさないように、苦労して手を洗った。そして、カバンに入れておいた絆創膏を、左手の中指に貼りつけた。
(親指に包帯、中指に絆創膏って・・・。美希ちゃんに見られたら、一体何したの、って怒られそう。)
小さく肩をすくめ、ベンチに置いておいた買い物袋を手に取る。その時、水でも飲みに来たのか、一匹の野良猫が祈里のそばを通りかかった。
「あら、こんにちは。」
いつものようにそう挨拶して、猫に向かってニコリと笑う。だが、相手の反応が、いつもとは全く違った。
最初は祈里に近づこうとしていた野良猫が、ふいに立ち止まったのだ。そして、背中を丸め、祈里の方を睨み付けるようにして、フーッと全身の毛を逆立てた。
「どうしたの?何も怖くなんかないよ。」
驚いて声をかけたものの、猫は、一歩、また一歩と後ずさると、くるりと後ろを向いて、一目散に駆け去ってしまった。
「・・・なんで?」
祈里が不思議そうに首を傾げる。だが、異変はそれだけでは終わらなかった。道を歩く祈里に、いつもは親しげに寄って来る動物たちの様子が、今日はまるっきり違っていたのだ。
散歩中の犬に出会うと、キャン!と一声鳴いて飼い主の後ろに隠れてしまう。中には遠巻きにして吠えかかってくる犬もいる。飼い主の方は、祈里に対してはいつも通りで、ペットの変貌に慌てたり驚いたり。犬に会うたびにそんな光景に出くわして、最初は何とか笑顔を作っていた祈里の表情も、次第にこわばってきた。
何かおかしい。勿論、中には人見知りで、飼い主以外の人間を警戒したり、すぐに吠えかかって来る犬も多くいる。でも、あんなに揃いも揃って怯えられたり敵意を向けられたりしたことは、今まで一度も経験が無い。しかも、どの犬も皆、祈里の手が届くところまでは決して近付こうとはしないのだ。
犬だけではなかった。電線にとまっているスズメたちも、公園で餌を啄んでいる鳩たちも、祈里が近付こうとすると一斉に飛び立ってしまう。一度などは、カラスが祈里の頭すれすれに飛んで、威嚇するようにカアカアとけたたましい声を上げた。いつもなら道でよく見かける猫たちは、あれ以来、一匹も姿を見せない。
(なんで?どうしてなの?動物さんたちが、みんなわたしを避けてるなんて!)
あまりの出来事に、悲しみよりも混乱が先に立って、祈里はその場に立ち尽くす。
ふと気付いて、さっき割れた香水瓶を触ってしまった左手の臭いを、もう一度嗅いでみた。動物は、人間に比べて何十倍も何百倍も嗅覚が鋭い。もしかしたらそのせいで――そう思ったのだが、気が動転しているせいか、あの臭いがまだ残っているのかどうか、自分ではよくわからない。
(それに、嫌な臭いがするからっていうだけで、あそこまで怯えるかしら。近寄る前から警戒しているみたいだし・・・。)
それともこれは、まだ浄化されずに残っている、ナケワメーケの力なのか。
背中にぞくりと寒気が走ったような気がして、祈里は両手で自分の身体を抱いてから、慌てて左手を下ろした。左手だけじゃない、もしかしたらさっきのあの臭いは、服や身体にも付いてしまっているのかもしれない。
(もしそうなら、早く家に帰らないと・・・。)
一刻も早く、この状況から逃れたかった。動物たちの怯えた目を見るたびに、憎々しげな吠え声が聞こえるたびに、まるでそれらが氷の剣のように心に突き刺さる。自分は何もしてない、自分のせいではないとわかっていても、胸の中が、どんどん冷たく凍り付いていくような気がする。
買い物袋を持ち直し、足を速めようとする。その時、向こうから明るい子供の声と、元気な犬の鳴き声が聞こえた。
「あ、祈里おねえちゃーん!」
山吹動物病院ではお馴染みであり、クローバーの四人とも親しい、タケシ少年と愛犬のラッキーだ。その姿を見て、祈里の表情が凍りつく。
いつもなら、こうやってばったり出会うのがとても嬉しい二人――そして今は、一番会いたくない一人と一匹。
(もしも、ラッキーにまで嫌われてしまったら、わたし・・・。)
「タケシ君、ラッキー。お願い、来ないで!」
「・・・え。祈里おねえちゃん?」
祈里に駆け寄ろうとしたタケシ少年が、その切羽詰まった声を聞いて、きょとんとした顔で立ち止まる。ラッキーの方は、飼い主が立ち止まったのに気付いて、くぅん、と不満気に鼻を鳴らした。が、次の瞬間、さっとタケシ少年を庇うようにその前に立つと、祈里に向かって、低い唸り声を上げ始めた。
「ちょっと、ラッキー!どうしたの?祈里おねえちゃんだよ?」
タケシ少年が、驚いてラッキーの首を抱く。ラッキーのつぶらな瞳は、祈里その人ではなく、その左手だけをじっと見つめていたのだが、それに気付く余裕は、今の祈里には無かった。
わなわなと唇を震わせながら後ずさり、踵を返す。そして、タケシ少年が呼ぶ声に振り返りもせず、その場から逃げ出した。
どこをどう走ったのだろう。気が付いたら、祈里は自分の家の前に立っていた。早速病院の入り口から中に入ろうとして、そこでぴたりと足が止まる。
今、ここから中に入ったら、たちまち病院に来ている動物たちが騒ぎ出して、収拾がつかなくなってしまう。かと言って、通用口から家に入っても、入ったところには、入院している患畜たちのケージが並んでいる。
どうすれば、彼らを騒がせずに家に入ることが出来るのか――そんなことで悩んでいること自体、目眩がしそうな状況だったが――迷った末、祈里は意を決して通用口のドアを開けた。
全速力でケージの前を通り過ぎ、母屋に飛び込む。動物たちの、いつもより大きな鳴き声に耳を塞ぐようにして、素早く母屋のドアを閉めた。
「祈里、帰ったの?」
物音に気が付いたのだろう。病院の方から、母の声が聞こえる。返事をしようとして、祈里は初めて頬が濡れていることに気付き、口をつぐんだ。今声を出したら、母には泣いていることがすぐにばれてしまうと思ったからだ。
黙って買い物袋の中身を手早く片付けてから、祈里は急いで浴室に駆け込んだ。
蛇口を目一杯ひねって、頭からシャワーを浴びる。タオルにボディソープをいつもよりかなり多めに付けると、ごしごしと力を入れて全身を洗った。左手の傷に石鹸が沁みてズキンと痛んだが、今はそんなこと、気にしてはいられない。
何だか誰かが鐘でも打ち鳴らしているように、頭の奥がガンガンする。
これだけ洗えば、もう大丈夫なのか。それとも、まだ足りないのか――。
自分の感覚が、ちっとも当てにならない。そんなこと、動物たちの前では当たり前のことだとわかっていたのに、こんな事態になってみると、それがこれほど不安でもどかしいとは。
(キルンが居てくれれば・・・。)
一瞬だけそう思ってから、祈里は頭を振ってその考えを追い払った。キルンが居たら、動物たちの気持ちはわかるだろうが、その分、彼らの怯えや敵意が、言葉になって伝わってしまうかもしれない。そんなの、怖くてとてもじゃないけど聞くことが出来ないと思う。
(お互いに一歩ずつ近付くって言っても、これじゃ近付きようが無いよ、お父さん・・・。)
何だか背中が寒い。熱いシャワーを浴びなくてはと、祈里はのろのろと立ち上がり、もう一度シャワーの蛇口をひねった。
それから十分ほど経った頃。
不審に思って母屋を覗きに来た尚子が見たものは、出しっ放しのシャワーの下で、赤い顔をして崩れるように座り込んでいる、祈里の姿だった。
☆
次の日の朝。
「全くもう。あんまり心配させないでちょうだい。」
布団の上から、ぽんぽん、と母に優しく叩かれて、祈里は、ごめんなさい、と小さな声で謝った。
尚子に発見された時、祈里は熱を出して、浴室にうずくまっていたのだ。
すぐに薬を飲み、一晩ぐっすり眠ったお蔭で、こじらせる前に熱は下がった。が、当然のことながら、祈里を見つけた時の尚子の驚きと心配は大変なもので、祈里はベッドに横になったまま、さっきまでこんこんと説教をされていたのだ。
「お父さんが、牛のお産で隣町の牧場に行ってるから、ちょっと行って来るわね。夕方には戻れると思うから、今日は一日、大人しく寝ているのよ。」
「お母さん・・・もしかして、わたしのせいでお父さんの手伝いに行くのが遅くなっちゃったの?」
心配そうにベッドの上に起き上がる娘に、尚子は穏やかに笑って首を横に振った。
「心配しないで。今度のお産は順調のようだし、牧場にも、手伝ってくれる人は居るんだから。」
「でも、牛のお産なら、本当はもっと時間がかかるんじゃないの?わたしなら、もう大丈夫よ。」
「お父さんの出産予定時刻はよく当たるから、多分間違いないわよ。
出かける前にもう一度覗きに来るけど、戸締りはして出かけるから、起きて来なくていいからね。」
そう言って部屋を出て行く母を、何とか笑顔で見送ってから、祈里は深いため息をついた。
(そうね。お父さんは、いつも患者さんのことをよく見て、よくわかっているんだもんね・・・。)
子供の頃から尊敬し、憧れている父。そんな父が、今日の祈里には、いつもに増して――痛いくらいに、眩しかった。
その日、おそらく物心ついてから初めて、祈里は全く動物と触れ合うことのない一日を過ごした。
用があって一階に下りることがあっても、いつもは頻繁に訪れる患畜たちのケージを、覗こうともしなかった。
扉一枚隔てたところに、大好きな動物たちがいる――そう思っても、あの動物たちの怯えた目が、敵意に満ちた唸り声が頭に浮かんでしまう。
あんなに徹底的に洗い流したのだから、あの臭いのせいで怯えられることは、もうないんじゃないか――そう思うのに、確かめるのが怖くて、足が前に進まない。
(以前、ノーザさんの術で、誰も居ない動物園で、動物さんたちに襲われそうになったことがあったっけ。あの時みたいに、ここがニセモノの世界ならばいいのに・・・。)
そんなことを考えて、布団の中でギュッと目を閉じ、目が覚めろ、と念じて、恐る恐る目を開けてみる。
でも、そんな子供じみたことをしても、事態は何も変わらない。これが現実であることは、自分が一番よく知っていることだ。
まるで自分が自分で無くなったように、何もやる気が湧いてこなかった。このままではいけない、と思っているのに、身体が、頭が、心がまるで動かない。
出かける前に尚子が覗きに来た時には、ベッドの中で寝たふりをしていた。
何度かリンクルンが鳴っているのにも気付いたが、出る気になれず、マナーモードにして机の引き出しに仕舞った。
もしかしたら、せつなと連絡が取れたのかもしれない。それに、ナケワメーケが関係していることなのだから、本当ならすぐにラブと美希に相談すべきことだろう。
でも、こんな自分を彼女たちには見せたくない。大丈夫だといくら言っても、ラブと美希――それにせつななら声を聞いただけで、自分の状態に気付いてしまうだろう。
いや・・・それとももしかしたら、何も気付いてくれないんだろうか。自分でも自分が信じられないような、でも確かにわたしの中にある、こんなにも弱くて、自分勝手で、冷たいわたしの心になんて・・・。
祈里は、頭から布団をかぶって、身体を小さく丸める。美しい五月の一日は、そんな祈里を取り残したかのように、今日も明るくのどかに過ぎ去ろうとしていた。
~第3話・終~
最終更新:2013年12月24日 19:36