幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(第1話 ラビリンスからの招待状)
「ワガナハ インフィニティ……ムゲンノ メモリーナリ……」
深夜のラブの部屋で、ボーっと淡い光を放つシフォンの体が浮かび上がる。
つぶらな瞳は理性の光を失い、愛らしい声は無機質な音声と化し、まるで命の無い機械人形のようだ。
「ん……なぁに? シフォン……。いけない! タルト、シフォンが!」
「わっ! 任しときぃ。クローバーボックスよ、頼むでぇ」
タルトがオルゴールを奏でると、光は消え、シフォンはすぅっと目を閉じた。
聖なるメロディが本来の人格を目覚めさせたのか、あるいはインフィニティを眠りに導いたのか。
自我を取り戻した……と言っても眠っていたらしいシフォンが、そのまま落下しかけるところを、ラブが危うく受け止めた。
「ラブっ! 今っ!」
異変に気付いたせつなが、ドアをノックもせずに飛び込んでくる。
ラブはシィーっと口元に指を当てた。
「もう大丈夫。元に戻って、そのまま寝付いたから」
「そう。よかった……」
小声で説明するラブに、せつながホッと胸をなでおろす。
「せやけど、いつまでこんなことが続くんやろうなぁ……」
インフィニティの覚醒は、それを望まないラブたちやシフォンにとっては悪夢でしかない。
いや、夢ならばいつかは覚めるだろう。しかしシフォンの場合は、クローバーボックスがなければ目覚めることはないのだ。
「どうして、こんなことに……」
ラブがシフォンを抱く腕に、少しだけ力を込める。
こんなにも良い子なのに、何の罪もない無垢な魂なのに、どうして幸せに暮らすことが許されないのか――
(ごめんなさい。ラブ、それにシフォン。みんな私がやったことよ……)
せつなは辛そうな表情で唇を噛み、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
本当は、ラブに詫びたかった。シフォンに償いたかった。全ての人に許しを請いたかった。
でも、そんなことをしても誰も救われない。謝ったところで自分の心が軽くなるだけで、その分みんなを困らせるだけだ。
「シフォンがインフィニティになったのは、不幸のゲージが満タンになったからよ。シフォンを救うにはそれを壊すしかないけれど……」
「占い館には、もう入れないんだよね?」
「せやなあ。それに、あそこにはノーザが居る。あいつは今までの敵とは違うで。何をしてくるかわからへん。迂闊に飛び込むんは危険過ぎるわ」
そうとも限らないけど――と言いかけて、せつなは口をつぐんだ。
ノーザは必ずしも占い館に滞在しているわけではない。本国で活動していた頃から、別の世界・空間にいくつもの研究室を構えていたのだ。今だって、どこから出入りしているかわからない。
しかし、それを話したところで、占い館には居ないことを保障してくれるものでもなかった。
「問題は他にもあるの。不幸のエネルギーは負の感情の集合体よ。怨念のようなもので、迂闊に解き放てば世界中に災いをもたらすわ」
「でも、壊さなきゃシフォンもこのままだし、ソレワターセも無限に生み出されるんでしょ?」
「ええ。それに、使った分の不幸のエネルギーを補充するために、今後も街が襲われることになるわ」
「壊しても、壊さんでも、どっちにしても問題山積みかいな。しかも壊す方法も見つからへん。八方塞がりやなぁ……」
明日、改めて話し合おうと約束して、せつなは自分の部屋に戻った。
もっとも、この相談は美希や祈里も交えて既に何度も行っている。そして毎回、何の解決策も出せないままだった。
暗い気持ちでせつなが布団に潜り込もうとした時、部屋の隅にある姿見がボンヤリと輝きを放った。
真っ平らなはずの鏡面が、まるで水面のように波紋を広げる。そして、その中心から筒状に巻かれた紙が飛び出してきた。
それは、クラインからの手紙だった。
【明朝、占い館の跡地にて、ノーザ殿がお待ちしております。イースとして、ラビリンスにお戻りなさい】
「今さら――何のつもりでこんなことを。馬鹿馬鹿しい……」
せつなは侮蔑の表情を浮かべ、その手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
その行為を見咎めるように、鏡が新たな光を放つ。鏡面がグニャリと歪み、居るはずのない者の姿を映し出す。
薄緑色のロングヘアーに、木の枝と双葉をモチーフとした髪飾り。美しくはあるが、同時に残忍さを感じさせる大柄の女性。
それは、せつなのよく知る人物だった。いや――忘れたくても忘れられない、脳裏に刻み込まれた恐怖の象徴。ラビリンスの最高幹部、その人だ。
「あなたは――ノーザっ!」
「フフフ、お前と呼ばないだけ誉めてあげる。でも、次からはノーザ“さん”と呼びなさい」
「どういうこと? こんな下らない誘いに、私が乗るとでも思ったの!」
「あ~ら残念だわぁ。でも、断ったりしていいのかしら。次に送り込まれるのも、無害な手紙とは限らないのよ?」
「人質を取って……脅しているつもり?」
「人聞きが悪いわねぇ。私はチャンスを与えてあげてるの。不幸のゲージを、壊したいんでしょう?」
「それは……」
どうやら、先ほどのラブたちとの会話まで聞かれていたようだった。ならば、この家の全てはラビリンスの監視下にあると考えて間違いない。
もし断れば、ラブやタルトやシフォンはもちろん、あゆみや圭太郎にまで災いが降りかかると言いたいのだろう。
「手紙の指示に従いなさい、イース。幹部として返り咲くも良し、捕虜として投降するも良し。ただし、仲間を連れて来るようなら――」
「どうなるというの?」
「あなたの大切な家が無くなるだけよ。跡形もなく、キレイサッパリとね。ウフフフ……」
「わかったわ。お願い、この家の人たちには手を出さないで」
肩を落とし、うつむいて震えるせつなを見つめて、ノーザは満足げに笑う。そう、ここまで言ってやれば、彼女にはもう選択肢は無い。
やがて姿見はただの鏡に戻り、部屋は再び暗闇に包まれる。
だが、せつなは絶望などしていなかった。
顔を伏せたのは、闘志に燃える瞳を隠したかったから。震えたのは、怒りが身を焦がしたから。両手は固く拳を握り、来たる戦いを待ち構える。
避けられない罠ならば、力尽くで踏みにじるまで!
既にせつなに迷いは無く、ノーザの抹殺と不幸のゲージの破壊に向け、全速力で思考を働かせていたのだった。
『幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(ラビリンスからの招待状)――』
落ち葉の敷き詰められた早朝の森を、せつなはゆっくりと歩いていく。
朝日を浴びて金色に輝く紅葉。肌に吹き付ける冷たい風。美しいけれど、何かの終わりを感じさせる風景。
もうじき、占い館の跡地に到着する。そこには、幾重もの罠が仕掛けられているに違いない。
覚悟は出来ている。恐怖は無いが、緊張は極限まで高まっていた。
まだ薄暗い時刻に家を出て、やっと陽が昇ったばかり。昨夜はインフィニティの騒動でラブもタルトも寝不足のはずだ。自分の姿が無いことに気付くまでには、大分時間があるだろう。
巻き込む恐れがないと安心するべきなのか、助けが期待できないことを不安に思うべきなのか――
ドームのコンサートの一件以来、せつなは自分が犠牲になればいいという考えを捨てた。みんなと一緒に、幸せになりたいと願って戦ってきた。
そんなせつなの心を再び蝕んだのが、満タンになった不幸のゲージの存在だった。
シフォンから平穏な生活を奪い、外出の自由すら失われた。毎日のように強力なソレワターセが襲来し、全員がクタクタに疲れ果てた。
インフィニティの覚醒の間隔は日増しに狭まり、とうとう自分たちの居場所まで突き止められた。
守りに徹するのも、もう限界に近いことを感じる。
目的地まで、あと数メートル。そこで強烈な悪寒を感じて、せつなは足を止める。
背景から突然抜け出したかのように、ノーザが静かに佇んでいた。
「早かったわね。どちらを選ぶか、決断はできたのかしら?」
「ええ、もう迷いは無いわ」
「いい返事ねぇ。あなたの答えがとても楽しみだわ」
ノーザは右手を翳して時空の扉を開き、占い館を出現させる。案内など不要とばかりに、せつなは館へと足を進めた。
二人の姿が建物内部に消えた後、再び館はその姿を隠したのだった。
せつなは他の設備には目もくれず、真っ直ぐに不幸のゲージの間を目指す。ノーザもまた、それを止めようとはしなかった。
不幸のゲージは円柱状の強化ガラスで作られており、無数の計器が備えられている。占い館の地下から天井近くまで、支柱のようにそびえ立つのだ。
各階層でそれぞれの部屋と繋がっていて、どこからでも監視が出来るようになっている。逆に言えば、そのくらい注意しておかねばならないほどに、危険なものでもあった。
濁った黄色い液体が、巨大な容器を満たしている。液状化しているものの、その正体は強大な負のエネルギー。怒りや悲しみが凝縮された、怨念のようなもの。
この内の一滴だけで、人間一人を狂わせてしまうほどの力を持っている。
それが……これだけの量だ。一体、これまでラビリンスは、どれほどの人々の幸せを奪ってきたのだろうか。どれだけの嘆きと悲しみを与えてきたのだろうか。
「綺麗でしょう? あなたが精一杯頑張って、人々の不幸を貯めたゲージよ。嬉しいわ。私、あなたにお礼が言いたくて仕方なかったの」
「そうね。この嘆き悲しみを集めたのは、この私。メビウス様がしもべ――イース」
「理解できたようね。寝返ったところで、犯した罪は決して消えない。あなたはこの世界の人間の敵よ。その上、メビウス様に逆らえば、ラビリンスにとっても敵。全てを敵にまわして、あなたは何のために戦うのかしら?」
「ええ。もっと早く、ここへ帰ってくるべきだった……」
「大丈夫、今からでも遅くはないわ」
「……もっと早く、わたしが集めた不幸のゲージを! 全ての元凶を! 破壊しにくるべきだったのよ!!」
怒りに全身を震わせて、せつなが叫ぶ。
「お馬鹿さんねぇ。満タンになったゲージを壊せるのかしら? そんなことをすれば、あなただけじゃない。この世界の全てに不幸が襲いかかるのよ?」
「今なら、館は異空間にあるわ。ここから出さなければいい。それに、ノーザ! あなたも道連れにできるっ!」
「交渉決裂ね。いいわ……その方が楽しめるもの」
ノーザが数本の蔦を伸ばしてせつなを襲う。しかし、標的が不幸のゲージを背にしているため、その攻撃には切れがなかった。
蔦がせつなの身体に迫った瞬間、残像を残してその姿が消える。そして一閃!
赤い光が、ノーザとせつなを繋ぐように駆け抜けた。
「なっ! 疾いッ!!」
「はあぁぁ――っ!!」
せつなは、いや、一瞬の間にキュアパッションへと変身した彼女は、ノーザの背後に回りこむ。
辛うじて間に合ったガード。渾身のパンチを両手で受けて、ノーザは大きく後退する。今度は、ノーザがゲージを背にする番だった。
「吹き荒れよ! 幸せの嵐! プリキュア・ハピネス・ハリケーン!!」
「おのれっ!!」
ノーザは右手を横に伸ばし、床に這う植物を操った。それはノーザごとゲージを覆い隠し、ハピネスハリケーンのエネルギーを弾き返す。
そう! 防いだだけではなくて、跳ね返したのだ。
「フハハハハ……残念だったわね、キュアパッション。これはソレワターセなの。生まれたての苗じゃなくて、こぼれ出た不幸のエネルギーで育った大株よ。自分の技を喰らって倒れるがいい!」
ハピネスハリケーンの真っ赤なハートが暗黒に染まる。不幸の嵐となって、キュアパッションに牙を剥く。
彼女の技は、プリキュア唯一の空間範囲攻撃でもある。逃げ場を失ったパッションは、無数の黒色のハートの攻撃に晒されて――
技の力が消え去った後には、何も残らなかった。
「これは――どういうこと!?」
「こういうことよっ!」
「しまった! ぐがっ……」
ノーザの頭上に赤い光が発生する。その直後に首が、恐ろしい力で締め上げられる。
ハピネスハリケーンが通じないのはわかっていた。パッションは反撃を利用して姿を隠し、瞬間移動でノーザの隙を突いたのだ。
「おのれ……離せ!」
「私だって、ラビリンスだった。全ての人を恨むつもりなんてない。だけど、あなたは危険すぎる。ここで倒させてもらうわ!」
「倒す? お前ごときが、このノーザを倒すですって?」
「確かに、まともにやりあえば勝ち目なんてない。だけど、ここならっ!」
全ては計画通り。ここまでは想定の範囲内であり、次が用意した最後のカードでもあった。
パッションは、ノーザを拘束する力を更に強める。
「まさかっ! お前はっ!」
「他人の不幸は蜜の味……なのよね? たっぷり味わうがいいわっ!」
パッションとノーザの二人の身体が、赤い光に包まれる。アカルンの力によって粒子と化して跳ぶ。
不幸のゲージのガラスの壁を越え、その中身を目指して――
ウエスターとサウラーが館内部での戦闘に気付き、不幸のゲージの間に駆けつけたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
不幸のゲージは無事だった。ノーザは服装を乱したまま、疲れた様子で肩で息をしている。
そんなノーザの姿を見るのは、二人にとってももちろん初めてのこと。
そして、その足元で倒れているのは――
「イース! お前、イースじゃないか!? どうしてここに!」
「説明していただけますか? ノーザさん」
ウエスターがパッションを助け起こす。どうやら気を失っているようだった。
「仲間に戻りたいと言うから中に入れてあげたのだけど、裏切られた。それだけのことよ。再教育するから、私の部屋に運んでちょうだい」
「ですが、管理データーの書き換えは本国でしかできないはずです。それなら一度帰還して――」
「おお、そうだとも! また三人で……いや、四人で一緒にやろうじゃないか」
「生憎だけど、私には私のやり方があるの。もちろん、メビウス様への忠誠は取り戻してもらうけど……その前にやることがあるでしょ?」
「やること、とは?」
「決まってるじゃない。――制裁よっ!」
ノーザは凶悪な笑みを浮かべて、舌なめずりをする。多少手こずりはしたものの、この展開は狙い通りだった。
万が一にも、イースが自らの意志でラビリンスに戻る、などと考えていたわけではない。
「他人の不幸は蜜の味。イース……あなたとプリキュアどもの不幸は、一体どれほど美味しいのかしらね」
ノーザは一足先に部屋に戻り、イースの受け入れと、ある計画の準備を進める。
仲間を一人失うことで、プリキュアはソレワターセへの対抗手段を失う。だが、それだけでは全く足りない。
計測できないほどの力を持つインフィニティを確実に捕えて、プリキュアを完膚なきまでに叩きのめす。もう二度と、メビウス様に歯向かえないように。
その上で、自分の嗜好を満たせるならば、それこそ最高ではないかと――
「うっ、うう……、うああああ……。うっ、ああっ、ぎっ、うっ、うっ、……っああああ!」
占い館の全館に、イースの声と思われる絶叫が響き渡る。悲鳴と呼ぶには、あまりにも痛々しい喚き声。聞いているだけで、全身が凍りつくような苦悶の声。
それが、かれこれ半日も続いていた。喉が潰れたのだろうか、最初は大きかった声が、ずいぶんと掠れて小さくなっている。
しかし、苦痛が治まったわけではないことが、変わらず聞こえる荒い呼吸から感じ取れた。
ウエスターとサウラーは、申し合わせたように会議室に集まっていた。
何のことはない。ただ、一人で聞いているのは辛くて、じっとしていられなくなったのだ。
「ええぃ! ノーザのヤツは何を考えているのだ。イースは仲間だろうがっ! 何のためにここまで痛めつける必要がある!」
「イースは自分の意志で、メビウス様の管理を退けたんだ。再び管理したところで、また同じことになるかもしれない。だから心を折るつもりなんだろう」
「何を冷静に解説してる! お前はそれで平気なのか?」
「平気じゃないなら、どうすると言うんだい? わざわざイースの声を僕たちに聞かせているのは、見せしめの意味もあるはずだよ」
ウエスターはサウラーの胸倉を掴んでいた腕を外し、背を向けて部屋を出て行く。
「どこに行くつもりだい?」
「決まっているだろう? ノーザに抗議してくる!」
どうやって……と言いかけて、サウラーは結局黙り込み、そのままウエスターを見送った。
ノーザの部屋は空間的に切り離されていて、自由に行き来できるのは本人だけだ。こちらからは用があっても連絡すら取れない。
(だが、それを言ったところでどうなる? 無駄な時間を使っているのは、何もウエスターだけじゃない……)
部屋には変わらず、イースの叫び声が響いている。
サウラーは苦い顔でコーヒーを啜り、再び手に持った本に目を落とした。しかしいくら文字を追っても、内容は全く頭に入ってこなかった。
ノーザの自室兼、研究室。さほど大きくない部屋の中には、ノーザ自らの手で改良した幾多の植物が生息している。
いや、この室内そのものが巨大な植物の一部であり、壁も床も天井も、生きた樹木で作られていた。
占い館の一室ではなく、本国に在るわけでもない。空間を自在に操り、どこでも瞬時に移動できるノーザだからこそ使えるスペースであった。
「……っ……ぁ……」
その部屋の片隅から、小さな声が発せられる。壁から伸びた茨の蔦に、四肢を拘束された少女。
さっきまで気を失っていた子が、短い眠りから目を覚ましたのだ。
ミディアムレイヤーの黒髪に、紺のベストとスカート、赤いカットソー。
それは、この世界の人間の姿であり、今となっては少女の本来の姿でもある。名を――
「さあ、休憩はお終いよ。続きを始めましょう。あなたの名前と所属を話してごらんなさい」
「私の名前は……東せつな。元、ラビリンスのイースで、今は四人目のプリキュア、キュアパッ……ああああ――っ!」
名乗りを終える前に、少女が苦痛の余り絶叫する。可憐な容姿を歪ませて悶える姿を、ノーザはうっとりと眺めた。
少女の頬に手を当てて、そのまま顎まで指を滑らせる。うつむいた面を無理やり持ち上げて、怒りの篭った反抗的な目を楽しそうに見つめる。
「強情な子は好きよ、イース。あなたはどこまで私を楽しませてくれるのかしら?」
「苦痛……なんかで、お、お前の言いなりには、ならないわ……」
「それは楽しみねぇ。その痛みは、ナキサケーベ召還に伴う痛みと同じよ。懐かしいでしょう? ただし、肉体は傷付かず、命が削られることも無いけれどねぇ」
「ずいぶんと……優しいのね……」
「フフフ……当然よ。そうでなくては、長くは楽しめないでしょう?」
ノーザはニヤリと妖艶な笑みを浮かべると、少女から手を離した。
「呪いなさい、イース。自分をこんな目に合わせた、己の愚かさを。あなたが苦しんでいる間にも、街は笑顔で溢れているわ。理不尽な、この世界そのものを憎みなさい。あなたを救うのは、メビウス様への忠誠だけ」
「……私は……ぎゃ、二度と、うっ……幸せを、う、奪ったり……しない。ぎっ……ぐっ、あああ――っ!」
少女を拘束する茨の蔦が、どんどん伸びて全身を覆っていく。苦痛は更に激しさを増し、再び少女は気を失った。
「誰が寝ていいと言ったのかしら?」
ノーザは嗜虐的な笑みを浮かべ、手元の計器に手を伸ばす。少女の意識を強制的に覚醒させようとする。
が、それを邪魔するかのように、部屋に警告音が鳴り響いた。占い館の内部モニターを殴りつけて、破壊しようとしている男がいるのだ。
ノーザは舌打ちすると、仕方なく空間の扉を開き、その男の前に立った。
「ウエスター君。これはどういうつもりかしら?」
「それはこちらのセリフだ、ノーザッ! お前こそ、何のために仲間を傷付ける!?」
ウエスターは怒りの形相でノーザに詰め寄る。襟元を両手で掴んで、吊るし上げようとして――
「そんな――馬鹿なッ! このオレが力で……!」
ノーザは子供の手を捻るかのように、易々とウエスターの拘束を解く。逆に関節をねじ曲げて、力づくで床に這わせた。
「私のことは、ノーザさんと呼ぶように言ったはずよね? ウエスター君。あなたにも再教育が必要かしら?」
「教えて……ください、ノーザさん。こんなことに、何の意味があるんですか……」
「いい子ね、最初から素直にそう言えばいいのよ。イースはね、偉大なるメビウス様に恥をかかせたの。再教育の前に、それを死ぬほど後悔させるのが筋でしょう?」
「だが心を壊してしまえば、それはもう人形と変わらん。イースが幹部である理由もなくなってしまうのだぞ?」
「ええ、そうならないように加減が必要ね。あなたに免じて、イースを少し休ませることにするわ」
ノーザはウエスターの手を離し、部屋とは別の空間を開く。
「どこへ行くんだ? ノーザ……さん」
「本国に用事を思い出したの。少しの間だけ、イースが逃げないように見張っておきなさい。これは命令よ!」
「承知――した」
ノーザが姿を消したのを確認すると、ウエスターはズカズカと彼女の私室に上がり込んだ。
イースは壁の中ほどに、両手を広げて十字の姿勢で吊り下げられていた。
気を失っているにも関わらず、ピクピクと時折痙攣する。恐らくは、意識の無い状態でも苦痛が続いているのだろう。
艶やかで美しい黒髪は、ベッタリとした汗で顔に無残に張り付いている。茨の棘が肌に突き刺さり、蔦がギュウギュウと締め付けている。
「待っていろ、すぐにここから出してやる」
蔦に触れたとたんに、おぞましいほどの激痛が、電撃のようにウエスターの腕にも伝わった。
しかし、ウエスターは一瞬表情を歪めただけで、黙々と蔦を引きちぎっていく。全てを外し終えると、少女を抱えて部屋から飛び出した。
小さな腰を右腕で支え、肩にもたれさせるように担いで、疾走と呼べるほどの速度で館の出口を目指す。ノーザが、いつ戻ってくるかわからなかったからだ。
そんな様子を、二人の人物が見つめていた。
その内の一人はサウラー。見なかった事にするかのように会議室のモニターを切り、一層苦い顔でコーヒーを飲み干すと、次元の壁を操作して館を森に出現させた。
もう一人は――本国に戻ったはずのノーザだった。
彼女は満足げにクツクツと笑うと、楽しそうな、それでいて凄みのある表情で、ウエスターと、まだ意識の戻らない少女を見送った。
最終更新:2014年01月26日 12:57