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幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(第5話 世界が反転する日)




 イースが傷だらけの身体を引きずって森に辿り着いた頃には、日はもう西へと傾きかけていた。
 森の奥――かつて占い館があった場所で、足を止めて息を整える。
 木々の間に手を翳すと、一瞬、蜃気楼のように空気が揺らぎ、まるで澄んだ湖が景色を映し出すように、古い洋館が姿を現した。

 門を潜って、階段の前のロビーで足を止める。
 仲間――と言っていいのだろうか? サウラーとウエスターが、イースを待ち受けていた。

「ふん、でかい口を叩いた癖に、何の成果も無しに逃げ帰るとは。所詮は人形だな」
「黙れ! それを呆れるほど幾たびも繰り返してきたお前に、言えたことか」
「何だとぉ!?」

「落ち着け、ウエスター。僕らに非難する資格は無いさ。だが、同じ轍を踏むだけなら、君が生まれた理由はどこにあるんだい?」
「そんなことは、ノーザさんにでも聞くんだな。私には報告義務がある――通せ!」

 あからさまに敵意をむき出しにするウエスターと、いつものからかう口調ながら、どこかいぶかしむようなサウラー。そんな二人を押しのけて、イースはノーザの元へと急ぐ。

「お帰りなさい、イース。無事で何よりだわ」
「申し訳ありません、ノーザさん。お借りしたソレワターセを失い、任務も果たせず……」

「構わないわ。それに、ちゃんと成果はあったようだし」
「それは、どういう意味でしょうか?」

「フフフ……気にしないで、あなたは次に頑張ってくれたらいいの。手段は問わないわ。プリキュアを徹底的に追い詰めて、奴らの本気を引き出しなさい」
「ということは、インフィニティを奪取するのではないのですか?」

「そのことなら別の手を考えてあるわ。あなたは自分の役割を果たせばいいの」
「ですが……。奴の、今日の力をまた発揮されたら、対処する術がありません」

 なおも言い募るイースに、ノーザは妖艶で、冷酷で、実に愉しそうな笑顔を見せた。

「心配要らないわ、イース。東せつなは、もう出て来ない。仮に現れたとしても、今度はただ見ているだけのはずよ」
「えっ……なぜですか? そもそも変身できなければ、奴はただの人間のはずです。それなのに、あの力は一体……」

「おしゃべりはお終いよ。これ以上、余計なことを考えるのはおよしなさい」
「はっ、申し訳ありません。次は必ず、ご期待に応えて見せましょう」

 ノーザはその言葉に頷き、満足そうな笑みを浮かべると、空間の扉を開いて自室へと戻っていった。
 イースはノーザの姿が完全に見えなくなるまで、跪いて見送った。やがて誰も居なくなった通路から立ち上がると、地下の一室を目指して歩き出す。
 炎のように燃え盛る闘志と、氷のように揺るがぬ決意を――その美しき相貌に宿して。






『幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(世界が反転する日)――』






「ちょっと窮屈だけど、ごめんね」

 ラブは自分のスポーツタオルをベンチに敷いて、バックを枕代わりにして、せつなの身体をそっと横たえた。
 戦いの後、ピーチの腕の中でせつなは意識を失ってしまった。
 祈里が診たところ、呼吸も脈拍も正常のようで、苦しそうな様子はない。

「本当は、すぐにお医者様に診せた方がいいのだけど……」
「うん。でも、せつなが嫌がると思うから」

 先日、意識不明で自宅に運び込んだばかりなのだ。何日もしない内に同じことがあったら、あゆみと圭太郎がどれだけ心配するかわからない。
 そこで、少しだけ公園で休ませて、様子を見ることにしたのだった。

「ラブ、タオルを濡らしてきたわよ」
「ありがとう、美希たん」

 ラブはせつなを起こさないように気を付けながら、そっと額や首元の汗を拭いていく。
 この前とは違い、表情も穏やかだ。

「よかった。本当に疲れて眠っているだけみたい」
「うん。睡眠ってね、微かに意識はある状態なんだって。だから、ラブちゃんの動きにも反応してるでしょ?」

「そっか、寝かせる時も動いたよね」
「よほど疲れてるのね。ここまでされて目覚めないなんて」

「せつな、どうしちゃったのかな?」

 ポツリとラブがつぶやく。それを聞いて、美希と祈里も顔を見合わせて小さく頷き、互いに表情を引き締めた。
 二人とも、その話題を切り出すタイミングをうかがっていた所だったのだ。

「変身もしないでソレワターセを倒しちゃうなんて、確かに普通じゃないわね」
「前に美希ちゃんが言ってた、“準備”っていうのと関係あるのかな?」

「ええ。今回のことと、この前せつなが攫われたことは、無関係じゃないはずよ」
「つまり、ラビリンスにつかまった時に何かされたってことだよね?」
「やっぱりそうなのね。せつなちゃん、イースに変身できなくなってたみたいだし……」

「イースだけじゃないわ。パッションにも変身しようとして、失敗してたでしょ?」
「それは、リンクルンが偽物だったんじゃ?」

「偽物のリンクルンをわざわざ隠したり、ましてや、取り返したりすると思う?」
「そうね、せつなちゃんも驚いてたみたいだった。きっと本物なのよ」
「そっか……」

 美希は、何かを感じているようだった。もともと感の鋭い子だし、ラブとは別の意味で、とことんまでせつなと――イースと渡り合ったことだってある。
 ダンスのタイミングが合わなくなったこと。イースに変身できなくなったこと。パッションにも変身できなくなったこと。
 人間離れした力を発揮して、ソレワターセを打ち破ったこと。
 その全てが繋がっている気がした。そして、それはせつなが居なくなった、あの日から始まっているのだ。

「変身できないことは置いとくとして、さっきの力のことだけど……」
「せつなちゃん、強かったね。怖いくらいだった。それに――」
「それに――何なの? 言って、ブッキー」

「うん。なんだか危険な力なんじゃないかって」
「そうね。守るための力じゃなくて、壊すための力。そんな気がしたわ」

 言いにくそうに続ける祈里に、美希も厳しい顔で同意する。ラブは、眠っているせつなの髪をそっと撫でながら、掠れた声で言った。

「せつな、悲しそうだった。あんなに強いのに、なんだか泣いてるみたいに見えたよ」

「変身できない今となっては、頼もしい力でもあるのだけど……」
「だめよっ! あの力は、もう使っちゃいけないと思う」

 珍しく、強い口調で祈里が美希に反論する。

「わたしね、変身の意味がわかった気がしたの」
「変身の、意味?」

「うん。プリキュアに変身するのは、強くなるためだけじゃない。自分じゃない何かに変わることで、身体だけじゃなくて、心まで守ってくれるのよ」
「それで……それでせつなの戦いは、あんなに痛々しかったのかな」
「じゃあどうするの? 今日だって、アタシたちだけじゃ勝てなかったじゃない」

 ため息交じりでそう呟く美希を、ラブは強い眼差しで見つめる。

「勝てばいいんだよね? あたしたちだけで」
「ラブ!」
「ラブちゃん!」

 叫ぶように呼びかける二人に、うん、と一つ頷いて、ラブの視線は再び、せつなの方を向いた。

「あたしね、約束したの。せつなはあたしが守るからって。約束したのに――守れなかった。
 また、守れないところだった……。ごめんなさい」

 せつなに向かって、ラブは囁くような声で話しかける。
 彼女の痛みを分かち合おうとするように、優しく黒髪を撫でながら。
 嬉しいことや楽しいことだけじゃなくて、辛いことや悲しいことも、半分こするって誓ったから。

 やがて顔を上げたラブは、せつなの手をしっかりと握った。もう一度、美希と祈里の目を交互に見つめ、揺るがぬ意志を湛えた表情で、力強く宣言する。

「今度こそ、約束するよ。あたし強くなるから。もう――絶対に負けないから!
 せつなも、シフォンも、みんな守ってみせるから」

 その手の上に、美希が手を重ねる。続いて、祈里も。

「美希たん! ブッキー!」

「一人で頑張るなんて言わせないわよ? アタシたちは仲間でしょ」
「そうよ、ラブちゃん。わたしたちは、四人でクローバーだもんね」

「二人とも……ありがとう!」

 せつなをこれ以上戦わせない。せつなの分まで強くなる。それが、三人の出した結論だった。
 それは――これまで防戦一方だった、プリキュアの戦い方、在り方すら変える、大いなる決断でもあった。






 やがて目覚めたせつなと一緒に、ラブは家に帰った。本当に疲れていただけなのか、せつなの身体に変調は無かった。それには安堵したものの、問題はその先にあった。
 美希と祈里は、なにも口にしないで別れた。せつなのことはラブに任せると決めたらしい。
 だが家に帰ってからも、その日の二人は、いつもとはまるで違っていた。

 ラブは何かを言いかけては、すぐに口ごもってしまう。せつなの方も、自分からは何も語ろうとしない。
 それが不自然であることは、互いに十分わかっている。だから、自然と口数も少なくなってしまう。
 ダンスの話をしても、学校の宿題の話をしても、テレビや雑誌の話題を振っても、どれも続かなくて、まるで盛り上がらなかった。
 いつもなら、あゆみや圭太郎も交えて、楽しいおしゃべりが続くのに。
 二人の様子がおかしいのを察して、あゆみが事情を尋ねるものの、それがかえって気まずい空気を広げてしまう。
 夕ご飯を済ませると、せつなも逃げるように自分の部屋に閉じこもってしまった。

 せつなはベッドの上で丸くなって、両手で耳を押さえてうずくまる。


“欲しいなら――奪え”


 あの闇の底から響くような声が、また自分を変えてしまいそうな気がしたから。

(力が――欲しい)

 そう望んだのは、確かに自分自身だ。だけど、あの力は……。
 自分が望んだ、「みんなの幸せを守る」ための力とは、ほど遠いものに思えた。

 コンコンと、やや力強くドアがノックされる。
 軽く身だしなみを整えてから、せつながドアを開けると――そこには意を決した表情のラブが立っていた。
 黙って部屋に招き入れると、ラブも何も言わずに部屋に入り、後ろ手にガチャリとドアを閉めた。

「せつな、ソレワターセを倒した時のことは覚えてる?」
「ええ。ぼんやりとだけど」

「あれは、せつながもともと持ってる力なの?」
「そんなわけないでしょ。力が欲しいと思ったら、勝手に身体が動いていたの」

「じゃあ、変身できなかった理由に心当たりはある?」
「……わからないわ。この前、ノーザに何かされたのかもしれない」

 ラブの質問は、問い正すような口調ではなかった。ただの確認なのだろう。

 事実、せつなの答えは、いずれもラブの予想の範囲内だった。
 全ては、たった一言を伝えたいがため。それが――せつなを傷付けることになろうとも。

「せつな、落ち着いて聞いて。あたし、美希とブッキーと話して決めたの」
「……なに?」

 不安そうなせつなの目を、こわばった顔で見つめたまま、ラブは深く息を吸い込み、一息で言った。

「せつなには、ラビリンスとの戦いから外れてもらう。少なくとも、また変身できるようになるまでは」
「なに言ってるの? ラブ。変身しなくても戦えるわ! 見てたでしょ?」

「もう決めたの! せつなはしばらく家から出ないで、タルトとシフォンを見ていて。ラビリンスは――ラビリンスは、あたしたちが倒すから!」

 せつなの目が大きく見開かれ、ラブをまじまじと見つめる。まるで、目の前の相手が誰であるかもわからないような顔で。
 少なくともせつなの知っているラブは、「ラビリンスを倒す」なんて、決して口にするような子じゃなかったから。

「待って、ラブ! 迷惑をかけてることは謝るわ。だけど、三人だけで戦うなんて無茶よ!」
「自分でもよくわからない力で戦うなんて、そっちの方が無茶じゃないっ! タルトとシフォンだけならともかく、せつなまで守りながらじゃ戦えない。お願い、わかって!」

 ラブの固い意志と剣幕に押されて、せつなは何も言い返すことが出来なかった。もとより、こうなった原因は自分にあるのだ。

「それと、ダンスレッスンはしばらく中断するから。もしかしたら大会にも出れなくなるけど、ごめん……」

『とにかくせつなは、家から出ないで』そう言い残して、ラブは固い表情のまま、足早に部屋を出て行った。
 茫然として、返事も出来ないせつなを残して――






(どうして! どうして――こんなことに!)

 せつなは姿見に映る自分自身を、倒すべき敵のように睨み付ける。悪いのは全部自分だ。そんなこと、仲間になる前からわかっている。
 ラブたちが心配してくれてることも、あの力が危険だってことも、ちゃんとわかっているし、こうして恐怖だって感じてる。
 だからって、戦いから逃げてどうしろと言うのだろう。
 自分の身に何かが起こっているのは確かで、それは隠れていれば解決するという問題ではない。
 第一、いくら頑張ったところで三人では限界がある。グランドフィナーレだって、四人揃わなければ使えないのだ。

(何より――私が一番戦わなければならないのに!)

「スイッチ・オーバー!」

 握った拳を胸の中央で合わせて――開く!
 しかし相変わらず、身体には何の変化も起こらない。
 動作は完璧で、発音も集中力も問題ない。そもそも変身の失敗など、これまで一度だってしたことがなかった。

(それに、あの力は一体……)

 こうなった以上、もう、おぞましいなんて言ってられない。
 目を閉じて、あの時の感覚を思い出す。自分の中に、もう一つの人格があるような感覚。いや、人格というより衝動のようなものだった。
 まるで、動物の本能のような――そう思った時。

「教えてあげましょうか?」

 部屋のどこからか、女性の声が聞こえてきて、せつなは驚いて目を開けた。
 とっさに周囲を見渡すが、目に入るのは見慣れた部屋の家具だけ。今この部屋には、彼女一人のはずだった。

「ここよ。あなたの目の前にいるわ」

 信じられないことに、声は鏡の中から聞こえてきた。鏡に映っている自分が、自分に向かってひらひらと手を振っている。

「お前は――何者なのっ!」

 鏡の中のせつなが、口を横に大きく開いて笑みを浮かべる。その表情には、確かに覚えがあった。

「あなたは――ノーザっ!」

 せつながそう呼ぶと、鏡の中の映像がグニャリと歪んで、ノーザの姿に変化する。

「ご名答。“お前”から“あなた”と言い替えたのは誉めてあげる。でも、私のことはノーザ“さま”とお呼びなさい」
「さま、ですって? ラビリンスの者がその呼び方を強要するのは――!」

「そう――しもべと相対する時だけよ。そろそろ、何か思い出したかしら?」
「失われた、私の記憶のことを言ってるの?」

 せつながそう聞き返すと、ノーザは心底、可笑しいといった表情で声を立てて嗤った。

「これは傑作ねぇ。ええ、ある意味、あなたは最高傑作と言っていいわ。“スイッチ・オーバー”にも、“チェインジ・プリキュア・ビートアップ”にも、ずいぶんと笑わせてもらったけど」
「なにが――なにが可笑しいというの……。答えろ、ノーザっ! お前は私になにをした!」

「いいわ、教えてあげる。あなたは記憶喪失と思っているみたいだけど、初めからありもしないものを、思い出せるはずがないでしょう?」
「だから――それはどういう意味なの?」

 もったいぶって、こちらの反応を愉しみながら話すノーザを前に、せつなはありったけの忍耐力を駆使して平静を装う。

「むかしむかし……でもないわねぇ。そう、三人の幹部の一人、イースの処分が決まった時のことよ。私は欠けた戦力の補強のために、クラインに二株のソレワターセを託したの。
 その内の一体は、占い館でイースたちと戦い、後にパッションを加えたプリキュアに敗れたわ。
 そして、もう一体のソレワターセは、イースが仕掛けた爆薬からゲージを守り、その後もゲージを守り続けたの。不幸のエネルギーの呪詛の声、嘆きと悲しみに耳を傾け、それを糧に成長しながらね。
 この前、パッションのハピネスハリケーンからゲージを守ったのも、私を道連れにゲージの中に飛び込もうとしたイースを止めたのも、みんなこのソレワターセのお手柄よ。まさに最強のソレワターセってところかしら」

「それと……私の記憶が無いことや変身できないことと、何の関係があるというの?」
「フフフ、まだわからないの? それとも、わかっていて、認めたくないのかしら?」

 せつなの顔色は、もはや蒼白を通り越して、まるで人形のようだった。紫色の唇を、血が滲むほどに噛み締める。死刑の宣告を受ける、罪人のように――
 ノーザは、これまで見せたこともないほど冷酷で、それでいて愉しそうな笑みを浮かべながら――告げる。

「そのソレワターセこそが、あなたの本当の姿よ。すっかり、自分が“東せつな”だと思い込んでいるようだけど、残念だったわねぇ」



最終更新:2014年01月26日 13:05