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幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(第8話 イース対プリキュア)




 四つ葉公園のステージの入り口で、ラブたちが足を止める。『立ち入り禁止』と書かれた黄色い看板が、行く手を阻んでいた。更には数名のガードマンが巡回している。
 いつもなら、スチールフェンスに南京錠が掛けられているだけで、警備の人はイベントがある時に見るだけだ。ラブは顔見知りの一人に事情を尋ねた。

「おじさん、こんにちは! 今日は、ここで何かあるの?」
「やあ、ラブちゃん。残念だけど、ここには入れないよ。昨日のラビリンスの襲撃で床の一部が破損したらしくてね、危険だから使用禁止になったんだ。明日には復旧工事が始まるから、しばらく余所でレッスンしてもらえるかな」
「そんなぁ、よそって言われても……」

 ラブたちが顔を見合わせる。確かに通常のダンスレッスンなら、他の場所でも出来るだろう。だが、今日の本当の目的はプリキュアの特訓だ。人目を考えると、どこでもというわけにも行かない。
 三人は一旦引き下がって、ガードマンから離れたところで顔を突き合わせた。

「どうしよう……ミユキさんに相談してみようか?」
「それよりも、もっと確実な方法があるわよ。ね、ブッキー」
「え? 確実って……美希ちゃん、もしかして!」

 困った顔でリンクルンを取り出すラブに、美希が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 パチリとウインクしたことで、祈里にも美希が何をしようとしているのか理解できたようだった。

 ラブたちは、再びガードマンに駆け寄る。ただし――今度はプリキュアの姿で。

「プリキュアです! 訳あってここを使わせていただきます。危険ですから、誰も入れないようにお願いします」
「はっ! 了解しました!」

 彼らは一瞬硬直した後、一様に最敬礼して指示に従った。錠が外されて、フェンスの扉が開かれる。

「お勤め、ご苦労さまです!」
「ありがとう、おじさん」

“おじさん”と、親しげな口調で声を掛けられたガードマンが首をかしげる。「プリキュアに、知り合いなんて居ないはずだが……」と。
 いずれにせよ、プリキュアはこの街の恩人で英雄だ。彼女たちへの協力は、いかなる状況においても最優先される。ガードマンたちは、これまで以上の熱心さで、張り切って警備に勤めるのだった。






『幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(イース対プリキュア)――』






 タン、タン、タン、と軽快なステップを踏みながらピーチが舞う。ダンス――ではなかった。ベリーとパインが、前後左右から波状攻撃を仕掛ける。
 ピーチはそれらを華麗に避けながら、間隙を縫ってスティックを振っていく。
 まるで――踊るようにステップを踏んで。
 そして――歌うように詠唱を完成させる。


“ダブル・プリキュア・キック!!”


 業を煮やしたベリーとパインが勝負に出る。空高く舞い上がり、太陽を背にして、矢のような勢いで渾身の蹴りを放った。
 ピーチはとっさに上空に跳んで攻撃をやり過ごし、最後の一振りを完成させた。

「そうは――!」
「させないからっ!」

 上空は攻撃には有利だが、足場が無い分だけ防御には不利だ。先に着地したベリーとパインは、すぐさま投石を放った。
 たかが石ころ――でも、プリキュアの全力で放たれた飛礫は、銃弾を超えて砲弾並みの威力を持つ。ピーチはそれをキュアスティックで迎え撃った。

「悪いの、悪いの、飛んでいけ! プリキュア・ラブ・サンシャイン・フレーッシュ!」

 威力は通常の数十分の一。糸のように細く絞った光が、飛礫から飛礫へとジグザグに飛ぶ。
 技が打ち砕くのは攻撃力だけ。光に掴まった石は運動能力を奪われて、乾いた音を立てて地面に落下した。
 ピーチは軽やかに着地して、ガッツポーズを決める。ベリーとパインも笑顔で駆け寄った。

「お見事! 完璧ね、ピーチ」
「うん。これならソレワターセとだって!」

 しかし、そこで三人の表情が凍り付く。
 彼女たちの視線の先には、いつ現れたのか、不敵に腕を組んだイースが立っていた。

「ソレワターセとだって、だと? 何やら小器用な技を身に着けたようだが、そんなものが通じると思っているのか?」

「やっぱり、あたしたちを追って来たんだね。そうじゃないかと思ったよ」
「パッションが抜けたから、シフォンを狙うより、倒す方が効率がいいと思ったの? だとしたら――」
「大間違いよ! 今度は、負けない!」

 事前に調べておいたのか、今しがた確認したのか。イースは、彼女たちが三人だけで行動しているのを見透かしているようだった。
 グランドフィナーレが使えず、せつなもここには居ない。絶対的な有利を確信して、ジョーカーの札を切る。

「ソレワターセ、姿を現せ!」

 ナケワメーケが“集める”ことに特化した魔物なら、ソレワターセは“奪う”ことに特化した魔物だ。
 今回の略奪のターゲットは、プリキュアの命そのもの。“ついで”で戦っていたこれまでと違い、初めからプリキュアの抹殺に目的を絞って挑むのだ。
 攻勢を強めるソレワターセを前に、たちまちプリキュアは劣勢に陥っていく。

 しかし、イースには一つだけ不安要素があった。ノーザは彼女に対して、「プリキュアを倒せ」ではなくて、「追い詰めて本気を引き出せ」と命じたのだ。

(その真意――あるいは……)

 イースの危惧は、やがて現実のものとなった。徐々に、プリキュアがソレワターセに拮抗し始めたのだ。
 かつての彼女たちには、メンバーが一人でも欠けると動きがチグハグになる弱点があった。しかし、今はまるで、もともと三人であったかのようなコンビネーションを見せている。
 動きに迷いがなく、闘志にも揺らぎが感じられない。とてもではないが、「本来の力」を失っている者たちの戦いではなかった。

 たまらず公園の木々を取り込んで、ソレワターセがさらに巨大化する。まがまがしい青紫色の葉を茂らせた大樹のような姿となって、プリキュアたちに向かって高速で蔦を伸ばす。
 だが、それすらも簡単に跳ね除けられてしまった。

「なぜだ! どうして三人だけでここまで戦える?」

 イースの問いかけに、ピーチたちが敢然と答える。

「離れていても、あたしたちはいつも一緒だから!」
「そう。せつなは一人じゃない! 決して一人にはならない!」
「いつだって心は繋がっている。わたしたちは、四人で戦ってるの!」

「「「みんなで! 幸せゲットするために!!!」」」


“プリキュア・コンビネーション・キック!!!”


 叫びと共に、プリキュアたちがソレワターセの巨体に向かって、タイミングをズラしてキックを放つ。
 ピーチは右肩を、ベリーは左肩を、パインは軸足を。それぞれ順に蹴り飛ばすことで、ソレワターセを独楽のように回転させ、ついに転倒させた。

「みんな、行くよ!」

 ピーチの合図で、三人が必殺技の発動準備に入る。ピーチ、ベリー、パインの呼びかけに応じて、プリキュアの妖精が姿を現す。
 愛の桃色のカギ“ピルン”・希望の青いカギ“ブルン”・祈りの黄色いカギ“キルン”。
 くるくると舞い踊り、リンクルンの封印を解き放つ。

「はっ!」
「とうっ!」
「えいっ!」

 開放の儀式、三人の乙女の祈り。
 それぞれがリンクルンのローラーを回す。
 ピーチはすくい上げるように、ベリーは水平に切り裂くように、パインは優しく弾くように。


“届け! 愛のメロディー! キュアスティック、ピーチロッド”
“響け! 希望のリズム! キュアスティック、ベリーソード”
“癒せ! 祈りのハーモニー! キュアスティック、パインフルート”


 ピーチはロッドを滑らすように――ベリーは帯刀からの抜刀の動きで――パインはフルートを奏でるように。
 それぞれのスティックの鍵盤から聖なる旋律が鳴り響く。


“悪いの、悪いの、飛んで行け! プリキュア!!!”


“ラブ・サンシャイン”
“エスポワール・シャワー”
“ヒーリング・プレアー”


 凝縮されたエネルギーが、解放を求めて先端に集う。
 ハートとスペードとダイヤの形をした力の結晶が、光弾となってソレワターセに襲いかかる。

「そんなものが、通じるものかっ! 弾き返せ、ソレワターセ!」

 ソレワターセは、枝と葉を光弾側に集中展開させてシールドを張る。その守りは、たった三人のキュアスティックなど、訳もなく防ぐ力があった。
 そう――シールドで受け止めたならば。

「そうやって防ぐってことは、当たると痛いってことだよね!?」

 三人の放った光は、ソレワターセに命中する直前に軌道を変えて、垂直に舞い上がる。
 ピンク・ブルー・イエローの三色の光が、螺旋を描きながら一塊になって飛ぶ。遥か上空、視界の外まで翔け抜ける。
 これこそが特訓の成果であり、ここからが切り札だった。

「だあぁぁ――!」
「ヤアァァ――!」
「はあぁぁ――!」

 ピーチがロッドを采配のように下し、続いてベリーがソードで斬り付け、最後にパインがフルートを振り落とす。
 回転・加速したキュアスティックの光が、落雷の勢いと疾さで――シールドをすり抜けてソレワターセを貫いた。


“フレ――ッシュ!!!”


『はあぁぁ――!!!』三人のスティックの先端が円を描く。

「シュワ~シュワ~」

 パンッ! パンッ! と弾けるような音を立てながら、ソレワターセーは消滅した。

「くっ、次こそは――必ず!」

 イースは背を向けて走り去ろうとする。しかし、その進行方向にソードを構えたベリーが立ちはだかっていた。

「悪いけど、ここは通せないわ」

 同じく左後方からはピーチが、右後方からはパインが、それぞれイースを包囲する。

「本当はね、今までだって何度も倒すチャンスはあったんだよ」
「でも、逃げる人まで傷付けたくなかったから……」
「いつか、わかりあえるって思ったから!」

 ピーチが振り絞った声で告げる。

「でも、あたしのそんな甘い判断が、せつなをあんなに傷付けた……。だから、ここは通せない! お願い、あなたソレワターセなんでしょ? せつなの能力を返して! さもないと、倒してでも奪い返すから!」
「まるで、これまでは見逃してやっていたかのような言い草だな……。いいだろう。お前たちなど私の敵ではないことを、ここで証明してやる!」

 気合一閃! イースがピーチに向かって詰め寄る。
 高速の拳を連打で叩き込み、最後に蹴り飛ばす。更に追撃をかけようとして、ベリーとパインの挟撃に阻まれた。
 イースはベリーのキックを受け流し、パインのパンチをガードで耐える。
 そして二人は離れ、再びイースが囲まれた最初の陣形へと戻った。

「ピ-チ、大丈夫?」
「うん……。なんともないよ」
「なんとも!?」

 驚いたのはベリーだけではなかった。ピーチ自身が信じられないような顔で、まるで痛まない身体を確かめながら頷く。
 反対にイースは顔をしかめて、ダメージを受けた腕を押さえていた。

「考えるのは後にしましょう。ここで決めるわよ! ピーチ、パイン!」
「そうだね――わかったよ!」
「そのための特訓だったよね」

 三人が必殺技の発動モーションに入る。これまでのキュアスティックならば、小柄で敏捷なイースにはまず当てられない。だが今は、囲まれている上に負傷までしている。
 何より、もはやピーチたちは、光弾をコントロールして追尾させることもできるのだ。

 一か八か、イースの身体がユラリと揺らぐ。
 イースの回避が先か――キュアスティックが捉えるのが先か――

 しかし、そのどちらでもなかった。

 一陣の疾風を纏って、何者かがイースの前に割って入った。戦いに「待った」をかけるかのように、ピーチの正面に立って両手を広げる。
 赤いカットソーに紺のスカート。戦いの場にあまりにもそぐわない、普段着姿の少女。
 問うまでもなく、東せつなその人であった。

「せつなっ! どうしてここに? なんで止めるの?」
「ごめんなさい。理由は後で話すから、とにかくキュアスティックを下げて」

「事情を話すのが先よ、せつな。このチャンスを逃すわけにはいかないわ!」
「聞かせて、せつなちゃん。わからないことが多すぎる」

 切っ先にエネルギーを貯めた、いつでも発射できる状態で、ピーチたちはキュアスティックを構える。
 それも、三方向からの誘導弾だ。せつながどう庇ったところで、彼女を回避してイースに命中させるのは難しくなかった。
 イースもそれを承知しているため、迂闊には動けずにいた。

「あーら、何を教えてくれるの? 是非聞かせてもらいたいけど、先にイースを連れて帰っても良いかしら?」

 突如空間が歪み、この均衡を破る、新たなる来訪者が姿を見せた。
 のんびりした口調でありながら、聞く者に寒気を感じさせるような凄みを伴った声。
 ラビリンスの最高幹部、ノーザだった。

「ノーザ……。あなただけは――絶対に許さない!」

 ギリッと歯を噛み合せてピーチが唸る。まるで暴発するかのように、ラブ・サンシャインの光弾がノーザ目がけて飛んだ。
 軽くかわしたノーザに、更にUターンして光が迫る。

「あら――恐いわぁ」

 光がノーザを貫通した、と思った途端、ノーザの姿が掻き消える。目標を失った光は、そのまま大気に散った。

「どこっ? どこなのっ!?」

 ピーチが驚いて辺りを見回す。ノーザは、そんなピーチを嘲笑うかのように、まるで初めからそこに居たような自然さで、イースの傍らに立っていた。

「フフフ、イースは返してもらったわよ」

「待ちなさい!」
「行かせないわ!」

 ベリーとパインが走る。キュアスティックは使えなかった。ピーチのフライングに気を取られたせいで、切っ先に溜めていたエネルギーは失われてしまったのだ。
 しかし二人の到着を待たずして、ノーザはイースを連れて、空間の裂け目の中に姿を消した。

 せつなは動かなかった。いや、動けなかった。
 立ち去り際に、ノーザがせつなの耳元で囁いたのだ。

「おかあさんとのデートは楽しかった? せっちゃん」と……。






 せつな、ラブ、美希、祈里が、クローバータウンストリートに向かって全速力で駆ける。とりあえずの目的地は、あゆみと別れた喫茶店だ。
 イースとの戦いを止めた理由を聞くのは、他でもないせつなの一言で後回しとなった。
 ノーザが去った後、青ざめた顔で彼女が告げたのだ。「おかあさんが、襲われたかもしれない」と――

 せつなは、疾走による呼吸の乱れとは別の理由で、心臓が破れそうなほどに激しく鼓動を打ち鳴らしていた。
 どうか、杞憂であって欲しいと願った。ノーザがあの場を逃れるための、その場凌ぎの脅しであればいいと。
 ちゃんとシフォンには気を付けていたつもりだった。タルトも一緒にバッグの中に入ってもらって、片時も離れなかった。
 一緒に出掛けたメンバーの中で、戦えるのは自分だけであることも自覚していた。だからこそ、自衛手段を持たないあゆみには、十分に配慮するべきだった。

(どうして――よりにもよって、おかあさんなのっ!)

 祈るような気持ちで、力いっぱいに喫茶店のドアを開く。驚く店員を無視して、四人はあゆみが座っていたテーブルに駆け寄った。

「居ないわね。おばさん、もう家に帰ったんじゃないかしら」
「でも、携帯にかけても繋がらなかったし……」
「帰る途中なんじゃない? 周囲の雑音のせいで呼び出し音に気付かないのかも」

 話し合うラブたちを余所に、せつなは黙々とあゆみの痕跡を探す。
 そこに、さっきの店員が声を掛けてきた。

「あの~、先程から、そちらの席のお客様の姿が見えないのですが……。お知り合いなら、お会計をお願いできないでしょうか?」

 その一言で、その場が凍り付いた。せつなとラブは血相を変えて店内を駆け巡る。美希は化粧室を覗きに行った。仕方なく、残された祈里が会計を済ます。
 結局、あゆみが店から出たのを見た人は居なかった。いつからか、忽然と姿を消したらしい、ということしか判らなかった。
 もう――疑うまでもない。こんな真似が出来るのは、空間移動を行えるノーザだけだ。

 かと言って諦められるはずもなく、それから数時間に渡って、四人による懸命な捜索が行われた。もちろん警察にも連絡したが、本当にラビリンスの仕業なら成果は期待出来ないだろう。
 最悪の展開だった。せめてあゆみを攫ったのが、ウエスターかサウラーであったなら……と思う。
 彼らの拠点は占い館であり、入れるかどうかはともかく、居場所だけは判明している。
 その点、ノーザは神出鬼没だ。彼女が果たして占い館に住んでいるのか――どうもそうは思えない。それどころか、この世界に居るという保証もない。
 ただ、何か意図があって誘拐した以上、必ず要求があるはずだ。今はそれを待つより他なかった。






 一日中全力で走り回った上に、精神的な不安も重なり、クタクタに疲れ果てたせつなが自室に戻る。
 ラブにシフォンとタルトを預けて、一人、部屋の中で苦しげな息を吐く。
 現在、置かれた状況こそが、これ以上無いくらい最悪なんだと思っていた。その甘い認識を、一体何度塗り替えられたことだろう。

 ベッドに身を預けたものの、眠る気になんてなれなかった。こうしている間にも、あゆみがどんな目に遭っているかわからないのだ。
 それでも軽く目を閉じて、今日起きた出来事を順に思い出す。
 そこに――見落としている、何かのヒントがあるかもしれないと期待して。

 特訓に出かけるラブを見送って、その後にあゆみに映画に誘われた。そのタイトルは、『ドッペルゲンガー(~もう一人の私~)』だった。
 狙い済ましたようなタイトル。完全に一致する魔物と自分の立ち位置。
 勿論、あゆみが全てを承知で誘ったわけがない。かと言って、ノーザの手引きにしては、彼女にメリットが何もない。偶然にしても出来すぎているなら、これはきっと運命なのだろう。

(内容は、鏡の中のもう一人の自分が……。――鏡?)

 そこで、何かが引っかかった。
 もとよりこの一連の苦境は、ラビリンスからの招待状が、部屋の“鏡”を通じて届いたことから始まっていた。
 手紙は、せつな個人に宛てて送られたメッセージだった。もしかしたら――

(まさか――いや、きっと!)

 せつなはベッドから静かに立ち上がり、恐る恐る姿見を覗き込む。
 鏡に映るのは、反転した部屋の姿。しかし、構図が逆なだけではない、大きな違いがあった。
 現実の部屋には無くて、鏡にだけ映っている人物。うつ伏せに倒れている女性。ピンクのカーディガンに、鮮やかな赤のスカート。

(やっぱり! おかあさん……)

 ノーザは、今日一日のせつなとあゆみの行動を監視していたのだろう。そこでせつなの心境の変化を知って、次の手を打ってきたに違いなかった。
 せつなは悲痛な表情で鏡を覗き込む。しかし、姿見の中に手を差し出そうとしても、冷たい鏡面に阻まれるだけだった。

(どうしたらいいの? 一体、どうすれば助け出せるの?)

 せつなは焦る気持ちを抑えて、懸命に頭を働かせる。
 シフォンの能力は不安定で、転移ポイントの指定は出来ない。スウィーツ王国の力でも、いや、ラビリンスの転移技術ですら、鏡の中の世界などという特殊な空間の出入りは不可能だろう。
 そんな真似ができるのは、ノーザ本人か、あるいは、アカルンに選ばれた本物の東せつなのみ。

(だったら、イースを捕らえて、目を覚まさせて……)

 そこまで考えて、せつなは首を振る。それが可能としても、一体何時間、いや、何日かかるのか。
 この中の環境がどうなっているかなんてわからない。それまで、あゆみが無事でいられる保障なんてないのだ。

(こうなってみると、昼間の戦闘でイースを逃がしてしまったのが、心底悔やまれる……)

 ふと気付く。本物のせつななら、確かにあゆみを助け出せるだろう。アカルンの瞬間移動の力は、ノーザすら超えて全パラレルで最強だ。
 しかし、偽者だからこそ、出来ることもあるのではないか? 現に、自分の戦闘能力はイースやパッションすら凌いで、恐らくはノーザすら圧倒するだろう。

(考えろ――自分が何者であるのかを……)

 すぐに答えは出た。そして、思いついてしまった策に、嫌悪感のあまり、思わず身が震えた。
 それでも、これがあゆみを今すぐに、それも確実に救える唯一の方法だった。

(鏡の中に入る手段が無いのなら、自分の中に鏡を取り込むまで)

 せつなは部屋の電気を消した。赤いカーテンも閉じて、なるべく光を遮断する。それでも、完全な暗闇が訪れるには時間が早すぎた。
 いや、どうしたところで、視界を塞いだまま遂行できる作業ではない。

 せつなは初めて、自分から頭の中に呼びかける。深層心理の奥の奥、赤黒い闇の底に潜むモノ。
 破壊と略奪を繰り返す本能。常に満たされぬ欲望。虚無ゆえに飢えし渇望。邪悪なる意志が、少女の身体の解放を求める。

 その――体内に虫が這い回るようなおぞましい感覚に、思わず拒絶してしまいそうになる。
 せつなは両肩を抱き、歯を食いしばって耐えた。挫けそうな心を鼓舞するために、あゆみの言葉を思い出す。

『そうじゃなくて、あなたが帰ってくるのよ』
『なんだか今のせっちゃんは、別の人のような気がして……。でも、今の積極的なせっちゃんも大好きよ』

 初めて――本当の自分を見てくれた人だった。
 帰ってきなさいって――居場所を与えてくれた人だった。
 自分でも、あるかどうかもわからない――人としての心を、「ある」と信じてくれた人だった。


“欲しいなら――奪え”


(ええ、欲しいわっ! もう一度、おかあさんの声が聞きたい。優しい笑顔が見たい。誰のためでもなく――私自身のために!)

 せつなは最後の枷を外し、内なる力を解放していく。

(お願い――おかあさん。せめて私が助け出すまで、目を覚まさないで……)

 祈るように頭を垂れた首の後ろから、怪しい緑色の光が放たれた。
 せつなの身体が変化していく。愛らしい少女の姿から、醜い植物の化け物の姿へと。
 艶やかな黒髪は濃緑の葉に、細く美しい手足はゴツゴツとした枝に、華奢な肢体は赤い目が宿る太い幹に、一切の面影すら残さずに――

 ソレワターセの姿に戻ったせつなは、目の前の姿見を取り込むと、同化して鏡型の化け物となった。
 そして自分の体内から、造作も無く一人の女性を取り出した。
 目的を果たしたソレワターセは、取り込んだ鏡を己の身体から切り離しつつ、あゆみをそっとベッドの上に降ろした。

 そこで――見てしまった。

 あゆみを抱える自分の、枝のような腕を。
 元に戻った鏡に映った、植物のような自分の姿を。

 身体に流れる血の色を――確かめることすら恐れていた少女だった。

 わかっていても、おぞましくて。覚悟していても、受け入れられなくて。
 目の前に突きつけられる正体。言い逃れの出来ない真実。
 理解していたのは、頭だけだったと思い知る。

「嫌ぁぁあああ――!!」

 そう、叫んだつもりだった。実際には、人の言葉にはならなかった。
 ただソレワターセは、その中のせつなの心は、恐怖と混乱のまま絶叫するのだった。






 その頃、ラブは自分の部屋でタルトから事情を聞いていた。
 今日一日のこと。そこで何があったのか、せつなから聞ける雰囲気ではなかった。

 大半は愚痴だった。狭いカバンの中に一日中押し込められていたこと。一度も出してもらえなかったこと。自分も映画を見たかったこと。
 だけど、せつなとあゆみの様子が実に楽しそうで、微笑ましかったこと。
 有益な情報のないまま相槌を打っていたラブは、突然聞こえてきた大きな声に、驚いて顔を上げた。
 ラビリンスの化け物の雄叫びと似ている気もしたが、あんな響きをラブは知らない。まるで獣のような、それでいて深い悲しみを伴った、慟哭の声。

「せつなっ! どうしたの? 何かあったの!?」

 ラブが部屋を飛び出し、隣室のドアを乱暴にノックする。だが、ノブには鍵が掛けられていた。そして、絶叫は紛れもなくこの部屋の中から聞こえてくる。
 仕方なく、ラブは自分の部屋に取って返し、ベランダへ出た。せつなの部屋はカーテンが閉められ、窓の鍵も掛けられている。ラブは部屋から椅子を取ってくると、躊躇なくそれを窓に叩き付けた。

 ガッシャ――ン!!

 高い音を立てて窓に穴が開く。ラブはそこから手を突っ込んで鍵を外すと、カーテンを開けるのももどかしく部屋に飛び込んだ。
 そこでラブが見たものは、姿見の前でくぐもった叫びを上げるソレワターセと、せつなのベッドに意識なく横たわる、行方不明だったあゆみの姿だった。

「おかあさん!!」

 ラブが真っ先にあゆみに駆け寄る。無事は確認できたものの、状況が理解できない。
 呆然とした表情でそこに立つ化け物を見上げ、ハッとした。

「どうしてソレワターセが……せつなは? せつなはどこっ!?」
「ラ……ブ……」

「なんで? どうしてソレワターセが、あたしの名前を呼ぶの?」

 混乱したラブが、頭の働かないまま、うわ言のように問いかける。
 それに答えたのは、目の前の化け物ではなくて、一緒に付いて来ていたシフォンだった。

「ラァ~ブ、せつな」

 シフォンがせつなと、そう呼んだ。小さな腕が指す、その先に居るのは――

「嘘……。もしかして、せつな……なの?」

 ラブの声を聞いて、ソレワターセは我に返ったようだった。
 ソレワターセは、まるで自分の姿を隠そうとするかのように、枝を前に突き出して身体を覆った。
 その姿は、子供がイヤイヤをするかのように弱々しくて……。低い唸り声も、悲鳴のようにしか聞こえなくて……。
 ラブを恐れるかのように一歩つづ後退し、やがて壁に突き当たったソレワターセは、さっきラブが開け放した窓からベランダへと飛び出した。

「待って! せつな。せつな、なんだよね?」
「オオオォォ!」

 その声に応えるかのように、ソレワターセがスルスルと蔦をラブの方に伸ばす。蔦はラブをかすめて、その背後に居たシフォンを拘束した。そして目にもとまらぬ速さで、手すりを越えて外へと躍り出た。

「しまった……シフォン!!」

 ラブが慌てて追いかけようとするが、ここは二階だ。
 転がり落ちるように階段を降りて庭に出た時には、もうソレワターセの姿も、シフォンの姿も、どこにも見えなくなっていた。

「せつな……。シフォン……。どうして――」

 シンと静まり返った薄暗がりの中、裸足のラブが膝を付いて崩れ落ちた。

「どうしてよぉ――っ!!」

 冷たい晩秋の色なき風が、悲しみに暮れる二人の少女の間を吹き抜ける。
 長い――長い夜が始まろうとしていた。



最終更新:2014年01月26日 13:10