幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(第9話 せつなとイース・占い館の攻防)
四つ葉町の中央に位置する森を抜ける、一本の小道。見上げれば木々の間から、顔を出したばかりの小さな星の光が見える。
建物ひとつない、そんな寂しい場所――いや、かつては人気の占いスポットがあった場所に、一人の少女がひっそりと佇んでいた。
年齢は十代半ばだろう。赤いカットソーに紺のスカート、その上から紺のジャケットを羽織った姿。細い腕には、一体のヌイグルミが抱かれている。
長い睫の下の目はじっと閉じられていて、まるで一体の美しい彫像のようだ。
時間が経つにつれ、木々は次第にその色を濃くし、やがては森全体が闇に沈んでいく。
それを待っていたかのように、少女はゆっくりと目を開いた。そして静かに歩みを進めると、突然、何もない空間にヌイグルミを突き出して、凛とした声を張り上げた。
「ノーザさまの命令に従い、インフィニティを奪取した。開門を願う!」
不意に周囲の景色が歪み、巨大な建築物が出現する。さっきまで何も無かったところに、まるで初めからそこに存在していたかのように、違和感無く森に溶け込んでいる建物――これこそが、管理国家ラビリンスの侵攻拠点。かつて占い館と呼ばれた、古い洋館だった。
バタン、と勢いよく門が開き、中から大柄の男性と、少し遅れて細身の男性が出て来た。ラビリンスの四大幹部である、ウエスターとサウラーだ。
「イースじゃないか! まさかお前の方から戻ってくるなんて、どういう風の吹き回しだ?」
「理由なんてどうでもいいさ。インフィニティを連れて来たのなら歓迎するよ。ただし、それが本物であるならね」
「心配しなくても、本物よ。あなたたちは……私を、イースと呼ぶのね」
「どういう意味だ? イースはイースじゃないか」
「まるで、そうじゃないような言い草だが?」
少女は、心底不思議そうな彼らの態度に、一瞬だけ、いぶかしむ様子を見せる。
だが、すぐに興味を失ったように視線を正面に戻した。
「好きに呼べばいいわ。ノーザさまは、今どこに?」
「さあな、オレにもよくわからん」
「じきに現れるさ。それより、インフィニティをこちらに渡してもらおうか」
仲間の帰還を素直に喜んでいるのだろう。ウエスターは嬉しそうに、親しげに少女に接する。
反対にサウラーは、彼女の態度に不自然なものを感じている様子だった。警戒を解かず、ヌイグルミの引渡しを要求する。
「その必要は無いわ」
「なにっ!?」
「それは、どういう意味だい?」
「シフォンは渡さないと言ったの」
「イース、お前はッ!」
「やはり、裏切り者のままってことか」
サウラーに続いて、ウエスターも少女を敵と認め、戦闘態勢に入る。
しかし、少女はそれをまるで意に介さなかった。彼らの挙動など自分には関係ないとばかりに、自然体で口を開く。
「メビウスが全パラレルを支配したら、その後の世界がどうなるか、想像したことはあるの?」
「メビウス……“様”を付けろ、イース! そうだな、本国のようになるんじゃないのか? もう、美味いドーナツは食べられなくなるな。それがどうしたというのだ?」
「いずれにせよ、僕たちが考えるべきことじゃないね。メビウス様の御意志に、疑わずに従うのが忠実なるしもべというものさ」
二人の返答を聞いて、初めて少女は表情を変化させた。
赤い瞳を揺らし、悲しそうに目を伏せる。
「あなたたちもまた、欲しがることすら許されない者……。今は何を話しても無駄ね。ここで眠ってもらうわ」
「眠る? フン、何を言うのだ。オレがお前の目を覚まさせてやる!」
「二対一で勝ち目があると思うのかい? こうなったからには、手加減しないよ!」
ウエスターとサウラーは、同時に少女に襲い掛かる。
攻撃が先に届いたのはサウラーだった。少女はその蹴りをステップだけで易々と避ける。
サウラーの攻撃に重ねるように、死角からウエスターのパンチが飛んでくる。少女はその拳を、手首を掴むことで受け止めて見せた。
それは異常な光景だった。変身したウエスターの身体を、生身の少女が片手で拘束して、しかも微動だにしないのだ。
少女のもう片方の手は、シフォンを優しく抱きかかえたままだった。
サウラーが体勢を立て直し、滑るように少女の背後に回り込む。今なら彼女の両手は塞がっていて、防御すらできないはず。
「もらった!」とばかりに、サウラーが攻撃を仕掛ける。が、少女は信じられないことに、ウエスターの巨体を振り回し、まるで武器のようにサウラーに叩き付けた。
「馬鹿な……。このオレが、子ども扱いだと?」
「お前は一体――何者だ?」
「好きに呼べと言ったはずよ。名も無き、ただの化け物なのだから……」
重なるように倒れ込み、いまだ立ち上がれもしないウエスターとサウラーに向かって、少女はゆっくりと歩み寄る。
「恐れなくていいわ。私は何も、復讐に来たわけではないのだから――」
少女の手が、二人に向かって伸びる。そこからは、もはや戦闘と呼べるものではなかった。
沈黙した二人を、その場に――占い館の外に寝かせて、少女はシフォンを抱いたまま、館の中へと姿を消した。
『幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(せつなとイース・占い館の攻防)――』
せつなが――いや、ソレワターセがベランダから姿を消して半刻ほど後のこと。ラブの部屋に、美希と祈里とタルトが集まっていた。
ラブから連絡を受けて、二人は、取るものもとりあえず駆け付けて来たのだった。
あゆみは、今は一階で圭太郎が診ている。意識はまだ戻らないが、特に外傷も無く心配なさそうだった。
ラブはまずさっき起きたことを説明し、その後、これまでの彼女の様子をつぶさに伝えた。前々から相談はしていたものの、話していない事も多かった。
何しろラブは、せつなと同じ家で暮らしているのだ。外で会うだけの美希や祈里とでは、情報の量が違いすぎる。
一区切りついてから、ポツリとラブがつぶやく。
「せつな、一体どうしちゃったのかな……。もしかして、前にブッキーとタルトが入れ替わった時みたいに、ソレワターセと身体を入れ替えられたとか?」
「そうね。それなら確かに変身できないのも、生身であんなに強いのも、説明が付くけれど……」
「だったら、慌ててベランダから逃げ出す必要もないんじゃない? 心はせつなのままなんだし」
「そっか、そうだよね……」
「もしかしたら――」
美希が躊躇いながら口を開く。二人の視線が集まるのを感じて、慎重に語り始めた。
「実際にラブが見たんだし、せつなの身体がソレワターセだったのは確かなのよね?」
「うん、間違いないよ」
「その上で、せつながシフォンを連れて逃げたのだとしたら――」
「だとしたら?」
「言って、美希ちゃん。覚悟はできてる」
「身体だけじゃなくて、心もソレワターセだったと考えるしかないわ」
そこで、ラブと祈里が息を呑む。
その言葉の意味するもの――事の重要性を二人が理解するのを、美希は少しだけ待ってから続けた。
「最初から話が出来すぎだったのよ。ウエスターが連れ出したにしても、あのノーザが、せつなから目を離したりするかしら?」
「じゃあ始めから、せつなをあたしたちに返すつもりだったってこと?」
「そんな感じには見えなかったけど、ウエスターさんも利用されていたとしたら……」
「ええ。さっきまで一緒に居たせつなは、ニセモノだったってことになるわ」
美希は顔を上げて、キッパリと言い切った。
確かにそれが、現状ではもっとも矛盾の無い推論ではある。
「そんな……。あ、でも! それならどうして変身もできないのに、一緒に戦ってくれたの?」
「そうだよ、美希たん。あれは確かにせつなだったよ! そうでなきゃ、あたしたちを助けてくれるはずないじゃない!」
なおも言い募るラブと祈里に、美希は淡々と答えていく。その疑問については、美希も既に考えていた。彼女だって、できるなら違っていて欲しいのだから。
「アタシにも、あれが演技だったとは思えない。だけど、もしもよ? 本人が、自分がニセモノであることに気付いていなかったとしたら?」
「……そうね。国民を管理してるラビリンスなら、本物のせつなちゃんの記憶を、そっくりソレワターセに移すこともできるのかも」
「それじゃ、さっき逃げたのは――」
「多分ソレワターセは、最初は自分がホンモノのせつなだと思ってたはず。きっと、どこかの時点で目が覚めて、シフォンを連れ出す機会を狙っていたのよ」
「じゃあ、今日の戦いでせつなちゃんがイースを庇ったのも?」
「ええ。タイミング的に見ても、ノーザの指示に従ったとしか思えないわ」
急に話さなくなったラブが、再び口を開く。その頭の中にある想いは、ただ“ひとつ”だけ。
「じゃあ、せつなは? せつなはどこ? 本物のせつなは、どこにいっちゃったの?」
「もうわかるでしょ? ホンモノだと思っていたせつなが、実はニセモノなのだとしたら――」
「うん。あの偽の黒いイースこそが、洗脳された本当のせつなちゃん……」
「……せない……」
ラブがうつむいたまま、とても低い声で、とても小さな声で、押し殺すように言った。
「許せない。どうして――どうして、そんなに酷いことができるの!?」
「ラブ、落ち着いて」
「ラブちゃん……」
「落ち着いてなんかいられないよ! せつなも、シフォンも、どうしてそっとしておいてくれないの? あたしはラビリンスを許せない! ノーザも、ソレワターセも! みんなみんな――絶対に許さない!!」
ラブは両手の拳を固く握り締め、スッと立ち上がった。滅多に見せない、険しい表情で。激しい怒りに、瞳を燃やして。
もちろん許せないって意味ならば、美希と祈里だって同じ気持ちだった。
「行きましょう、ラブ。どうにかして占い館に入り込んで――今度こそ決着を付けるのよ!」
「そうね。シフォンちゃんとせつなちゃんを、助け出そう!」
「そして、ラビリンスを倒してみせる! もう、こんな想いはたくさんだよ!」
三人が決戦を覚悟し、殺気立って、部屋を飛び出そうとした時だった。
珍しく――と言っていいだろう、それまで黙って事の成り行きを見守っていたタルトが、初めて口を開く。
「ちょっと待ちや……。今のあんさんらを、行かせるわけにはいかへん!」
「タルト、どうして止めるの? シフォンが攫われたんだよ?」
「せつなちゃんも、このままにしておけないでしょ?」
「そもそも、タルトはラビリンスの野望を挫くために、この世界に来たんじゃないの?」
「ああ、その通りや。ワイかて最初は、積極的に戦おうとせえへんあんさんらに、焦れたこともあった。けどな――同時に感心もしとったんや」
タルトは悲しそうな顔で、震える声で語る。
「ピーチはん! 一体、どうしてしもうたんや? ぜんっぜん、らしくないやんか。みんなで幸せゲットするために戦ってたんやないんか? そのみんなってのは、あんさんらの身内だけのことなんか? キュアピーチは愛の戦士なんやろ? 『敵が許せないから倒す』やなんて……。そんな戦いの、どこに愛があるんや!」
「それは……。でも、あたしが甘いせいで、せつなが酷い目に遭って……。シフォンまで攫われて……」
「その責任取るために、そんな、らしくない戦い方するんか? あゆみはんが言ってたで。人は誰でも過ちを犯すって、それはみんなで償えばええんやて、その代わり、今度はみんなの過ちを償う手伝いをするんやって。そうやって助け合って、支え合う。愛情って、そういうもんやないんか?」
ラブは、息もしないでタルトを見つめる。タルトの声が、あゆみの声に――そして、幼い頃に聞いた祖父の声に、重なって聞こえた。
タルトは、「ちょっと待っとってや」と言うが早いか部屋を飛び出し、すぐに戻ってきた。そして両手に抱えた、綺麗にラッピングされた、二つの箱をラブに渡す。
「サプライズや思うたから、内緒にしとったけどな。パッションはんの――ニセモノの方のな。あの子、ピーチはんにプレゼント買ったんやで。お小遣い全部つぎ込んで、足りん分はあゆみはんに出してもろて……。そりゃもう、嬉しそうにしとったんや。あれが演技なんかであってたまるかいな」
ラブは、震える指で丁寧にラッピングを解いた。
中から出て来たのは、赤色とピンク色の、ペア・ブレスレットだった。
桃色の瞳が驚きで大きく見開かれて、そこから大粒の涙が溢れ出してくる。
ラブは肩を小さく震わせて、声を殺して泣いた。
いったい、あの子はどんな想いでこれを買ったんだろう。
せつなには、幸せの素のペンダントがあった。みんなと一緒に過ごした、思い出があった。
だけど、あの子には何もなかった――何もないことに、気付いてしまった。
だから、欲しかったんじゃないのか? あの子と自分とを繋ぐ、幸せの素に代わる何かを。
きっと、見て欲しかったんじゃないのか? せつなの偽者としてじゃなくて、本当の自分自身を――
“罪を憎んで――人を憎まず”
どうして、こんなに大事なことを忘れてしまったんだろう?
みんなで幸せゲットするって決めたのに。
自分の幸せも、みんなの幸せも、二兎を追って、両方ゲットするって誓ったのに。
ラブはブレスレットの片方をポケットに入れて、もう片方を大切そうに自分の腕に嵌めた。
「行こう! 美希たん、ブッキー。思い出したよ。あたしは愛じゃなくて、ラブ! 世界中の人の心を愛でいっぱいにしなさいって、おじいちゃんが付けてくれた名前なの。だから、ゲットしてみせる。あたしたちだけじゃなくて、せつなやシフォンだけじゃなくて、あの子や、ラビリンスのみんなの幸せも一緒に!」
「そうね、アタシは美希。この先、どんな困難が待ち受けていても、決して希望は失わない!」
「うん、わたしは祈里。信じればきっと願いは叶うって、祈りを込めて付けられたの。だから、信じてる!」
「よっしゃ! それでこそピーチはんたちや。待っててや、シフォン、パッションはん。今、助けに行くからな!」
今は何より――刻が惜しかった。ラブ、美希、祈里は、そのまま部屋でプリキュアに変身し、窓から飛び立つように、深夜の街を駆け抜ける。
来る夜明けを、せつなと、シフォンと、そして――あの子と一緒に迎えるために!
地下室から天井までを突き抜ける、円柱状の大部屋。複雑な計器が並ぶ中、一際大きな目盛の針が揺れる。
FUKOと書かれたその目盛は、既に許容量の限界であることを示すように、レッドゾーン一杯まで振り切れていた。
巨大な容器に、なみなみと満たされた黄色い液体。かつては糧としていたはずの不幸のエネルギーを、少女は憎々しげに見つめる。
(私は――こんなものを守り続けていたというの?)
少女は拳を振り上げ、目の前の巨大なゲージに叩き付ける。
全長四十メートル以上。直径で五メートル以上。強化ガラスの隔壁だけでも、少女の拳より厚いだろう。
そんな不幸のゲージに、少女の無造作な一撃が打ち込まれ、それだけで大きな亀裂が入る。
時間を置かずして二撃目を放つ。拳が障壁を叩く寸前で、数本の蔦が少女を拘束し、その動きを止めた。
「おやめなさい、ソレワターセ。自分が何をしているのか、わかっているの?」
「もちろん承知してるわ、ノーザ。お前をおびき寄せるために、わざわざ加減して殴ったのよ」
少女が怒りの篭った声で言い放つ。彼女の背後に現れ、蔦を伸ばして動きを止めたのは、ラビリンスの最高幹部ノーザ。少女の生みの親であり、不幸のゲージの全権を握る者。
少女は自分を縛る蔦を容易く引き千切り、ノーザに向き直る。
「あら、恐い顔をして。その様子だと、私からの贈り物は気に入らなかったようね?」
「どうして東せつなが、たった一人で、罠と承知でここに来たのか、ようやくわかったわ。脅したのね? おかあさんたちを人質に取って」
「正解よ。そして同時に、あなたが私の命令に従わなくなった時の、保険の一つにもなるってわけ。フフフ……人間の絆って、便利ねぇ。わかったのなら、インフィニティを渡してもらえるかしら?」
「お断りよ。無駄だと思うけど一度だけ忠告しておくわ。イースを返しなさい。そしてこの世界から手を引けば、命だけは見逃してあげる」
少女の脅しを受けて、ノーザは心底可笑しいといった様子で嗤う。その後、鬼の形相で少女を睨み付けた。
「最高傑作だと思っていたけど、とんでもない失敗作だったようね……。不良品は、処分が妥当な処置というもの――消えなさい!」
ノーザは、今度は二桁に及ぶ数の蔦を伸ばして攻撃する。それらは先ほどと違って、拘束用の触手ではなく、少女の身体を貫く槍と化して飛んだ。
しかし、少女はまるで動じない。左手はシフォンを抱えたまま、右手の甲で跳ね除け、掌で流し、片手だけで全ての攻撃を捌いていく。
気が付けば、蔦は全て根元から断ち切られ、少女はノーザの懐に踏み込んでいた。
少女の右手がノーザの首に伸びる。ギリギリと締め上げるその力の強さに、ノーザの冷たく整った顔が苦痛に歪んでいく。
「がっ! はッ……」
「最高幹部? たかだか人間の分際で、化け物である私に、勝てるとでも思ったの?」
「おのれ、調子に乗るな……。手に負えない駒を、無策で放つノーザではないわッ!」
ノーザの表情と声色から、完全に余裕が消え失せる。彼女の紫の瞳が怪しく光り、真っ赤な舌がチロチロと伸びる。
「カアッ!」と気合を発すると、今度は少女の方が崩れ落ちた。
「これ……は……?」
ノーザは、ようやく自由になった身体をほぐし、荒い息を整える。逆に少女は、苦しげに息を詰まらせていた。
目の前で、シフォンが泣きそうな顔で少女を見つめている。ノーザを絞め上げていたはずの腕が、逆に彼女自身の首を圧迫しているのだ。
自分の身体が自由にならない。首の後ろの一点だけが燃えるように熱いのは、ノーザの紋章が輝いているからだろう。
そのせいなのか、それとも酸欠のせいなのか、頭がぼうっとして、目がよく見えなくなってきた。
徐々に、世界が赤黒い闇に包まれていく。その闇に意識が飲み込まれそうになるのを必死で堪え、少女は何とか唇から言葉を絞り出した。
「そう。これが……もう一つの、保険って……わけね?」
「ええ、そうよ。管理国家の最高幹部たる者が、しもべの管理すらできないんじゃ、格好が付かないでしょう?」
形成を逆転させたノーザが、余裕を取り戻して笑みを浮かべる。
もっとも、少女は自由に動けないものの、いまだ死には至っていない。自害を命じたにも関わらず、意思の力で抵抗しているのだ。
しかし、それも時間の問題と思えた。徐々に抗しきれなくなって、少女の顔は血の気を失っていく。
「やっかいなことね。イースの記憶には、主に対する反逆の因子でも仕込まれているのかしら? でも、もう終わりにしましょう。今、楽にしてあげる――」
「クッ……」
ノーザが少女に詰め寄る。万が一にも、支配を解いて暴れ出さないとも限らない。その前に止めを刺そうと、尖った長い爪を少女に向けた。
その時だった――
ひゅん、と空間を切り裂いて飛ぶ、真っ赤なダイヤ。
殺気を伴った低く鋭い声が、がらんとした室内に響き渡る。
「ナケワメーケ、我に仕えよ!!」
そこに現れたのは、もう一人の東せつな。漆黒の闘衣に身を包んだ、本物のイース。
彼女の放ったダイヤは、ノーザと少女の間の狭い空間を切り裂き、背後に聳え立つ、不幸のゲージに突き刺さった。
「あなたは……」
「これは……どういうことなの? イース。答えなさいッ!」
「こういうことよ! ナケワメーケ、ノーザを捕らえろっ!」
不幸のゲージは、見る間に化け物へと変貌していく。階層を分ける仕切りから伸びた巨大な腕が、ノーザをゲージに押し付けて磔にする。
そしてイースは、握った拳を胸の中央で合わせて――大きく左右に開いた!
“スイッチ・オーバー”
漆黒の衣が、白鳥のような純白の衣に切り替わる。
心が澄み渡っていく。憎しみは優しさに、破壊衝動は勇気に変わっていく。
光の差さない地下の部屋で、白銀の髪が煌く。暗闇の中で、月の如き純白の衣が光を放つ。
これこそが、鋼の檻を切り裂く刃。友の愛を剣に変え、イースが手にした新たな力。大空を翔ける自由なる翼。
「クッ、離せッ! まさか、お前は――最初から!?」
「その通りよ!」
「待って……。これはどういうことなの!?」
身体の自由を取り戻した少女が、わけがわからないという表情で、イースに問いかける。
イースは、申し訳無さそうに少女に向き直ると、事情を語り始めた。
「あの時、ノーザに敗れた私は、自分がソレワターセだという暗示にかけられたの。なんとか抵抗はできたけれど、ノーザを野放しにしたまま、逃げ出すわけにもいかなかった。
だから、私は半端にかかった暗示を利用して、心を邪悪に染めて、ノーザに従うフリをしたの。自分の計画が思い通りに運んでいる間は、おかあさんたちには手を出さないと思ったから……。
そうして、反撃のチャンスを待ったのよ。あなたには、悪い事をしたわ。ごめんなさい――」
「まさか、このノーザを謀るとはね……」
「四大幹部は、戦闘力だけで選ばれたわけじゃないわ。各々が得意とする能力を評価されて、この地に送り込まれたの。そして私の役目は、潜入と工作よ!」
「だけど、ここからどうするというの? ナケワメーケごときで、このノーザを倒せると思ったら――」
ノーザが力を込めると、ナケワメーケの腕が軋み、徐々に拘束が緩んでいく。
「動かないでっ! 何を背にしていると思ってるの? 抵抗するなら、不幸のゲージをこの場で壊すわよ!」
「そんなことをすれば、お前だって助からないのよ? それどころか、不幸のエネルギーが世界中に飛び散って、大いなる災厄をもたらすことになる」
「ええ。だから始めからこうするつもりで、工作を進めていたのよ。占い館を通常空間から切り離したわ。今なら、不幸のエネルギーを亜空間に閉じ込められる」
「なんですって!」
ノーザは不自由な指先を使って、空間からキーボードを呼び出し、館の位相を操作しようとする。
しかし、いくらボードを叩いても、ERRORの文字が表示されるだけだった。
「プロテクトをかけさせてもらったわ。これは私にしか解けない。伊達に毎日、管制室に通ったわけじゃないのよ」
「おのれ――おのれッ!!」
ノーザは警告を無視して、拘束を解いて空間転移を行おうとする。しかし、ゲージから新しく伸びた数本の腕が、更に固くノーザを拘束した。
彼女の空間移動は、アカルンのような瞬間移動ではない。自らが動けない状況ではどうしようもなかった。
「消えなさい、ノーザ。不幸のエネルギーと共に。私も付き合うわ――」
「駄目よ……」
イースが最後の命令を、ナケワメーケに下そうとする。それを、弱々しい少女の声が止めた。
「私はおかあさんに約束したの。東せつなは、必ず無事に帰って来るって。だから――その役目は私に……」
「あなたは本当に、せつなになったのね」
イースは少し驚いた顔をした後、優しげな視線で少女を見つめた。そして、その柔和な表情のままで、ゆっくりとかぶりを振る。
「ありがとう。でも、私は不幸のエネルギーを集めた者として、この嘆きと悲しみを、聞き届ける義務があるの。だから、今からはあなたが東せつなよ。おかあさんとおとうさんをお願い。そして、ラブたちを助けてあげて」
イースは、腰からリンクルンを取り出して、アカルンを呼び出す。
せめて、少女とシフォンだけでも逃がそうと。
その時――凛と響く新たな声が、部屋の外から聞こえてきた。
「待って!」
次の瞬間、不幸のゲージの間に設けられた、強固な扉が吹き飛ぶ。
扉を蹴破って現れたのは、三人の少女と一匹の動物。
その中央に立つキュアピーチは、手に小さな箱を抱えていた。
「話はクローバーボックスを通して全部聞かせてもらったよ! だけど、誰も犠牲になんてさせないから!」
「なっ……」
想像もしていなかった事態に、イースは軽い眩暈を覚える。
衝撃のあまり声も出なかった。まさか占い館を隠す前に、ピーチたちが入り込んでいたなんて。
ソレワターセの少女の侵入に、プリキュアの乱入。彼女たちを巻き込むまいと、綿密に立てた計画が、水の泡と消えていく。
(どうして……)
どうしてこうも、思うように事が運ばないのか……。
「フフフ、フハハハ……」
不意に響き渡った高らかな笑い声に、イースはハッとして身構える。
ピーチたちに気を取られた、ほんの一瞬。その間に、ノーザはナケワメーケから解放され、殺気を漲らせて立っていた。
そのノーザを守るように、たった今、ナケワメーケの宝玉を打ち砕いた少女――ソレワターセが付き従う。
「最後に勝つのは、私だったようね。ちょっと手こずったけど、ソレワターセを完全に支配したわ。私の想像を超える化け物に成長した、この子の力――四人で敵うか、試してみるがいい!」
光を失った少女の瞳が、破壊と略奪の衝動に、赤黒い炎を燃やす。姿だけは、まだせつなのままで――見る者をゾッとさせるような、冷たく残忍な表情で笑った。
呆然と立ち尽くす四人。元の姿に戻った、大きく亀裂の入った不幸のゲージが、ミシミシと不気味な音を立てながら、そんな四人を見下ろしていた。
最終更新:2014年01月26日 13:12