幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(第10話 最後に残された幸せ)
覚めない悪夢の合間に、短いけれど幸せな夢を見た。
こんな私にも、帰る場所ができたと思った。人間として、生きていいんだって。
そんな――儚い夢を見た。
ここは、四つ葉町の森の外れ。薄暗がりの中で、ガザガザと、人間サイズの“何か”が徘徊していた。
そのモノは、『木を隠すなら森の中』と、そんな諺を思い出し、逃げるように木々の中へ飛び込んだ。
このような異形の身体では、自由に街を歩くことも出来なくて――
ようやく一息ついて、大きな樹木にもたれかかった。目を閉じて、自分の理想の容姿を思い浮かべる。
散り散りに乱れていた心が、呼吸の落ち着きと共に収束していく。やがて樹木のような化け物は、可憐な少女に姿を変えた。
「これが、私に出来る唯一の変身……。ちゃんと考えたこともなかったわ。変身って、自分以外の何かに変わることなのね」
それは、つまり今の姿は――本当の自分ではないということ。
人は家に、動物は巣に、そして化け物は闇に帰る。
役目を終えたら――土に還る。それがこの世の理なのだろう。
「それでも、後悔なんてしない。だから――だから、そんな目で見ないで……」
少女の視線の先には、泣き出しそうな顔でこちらを見つめる、ヌイグルミのような生き物がいた。
もう拘束はしていないのだから、自分の意思で帰ることもできるはず。でも、そのヌイグルミは、片時も少女の側を離れようとしなかった。
その子の名前はシフォンという。ラブたちプリキュアの仲間で、スウィーツ王国の妖精の子ども。
だけど、それらは表向きの姿で、もう一つの名前はインフィニティ。その能力は――無限のメモリー。正真正銘の――
「キュア~? せつな、帰ろ」
「だからっ! 私は……」
帰れる――ワケがないと思った。だって、“せつな”であることを、自ら否定してしまったのだから。
自分の本来の姿――それがどんなものなのか、頭ではちゃんと理解していたはずなのに、それでもあまりの衝撃に我を失ってしまった。
せめて、ラブに直接見られていなければ……。事前にちゃんと話せていたら……。未練たらしく、頭にそんな“もしも”が過ぎる。
先に正体を知られてしまった以上、もう誤解を解くことも叶わないだろう。いや、誤解なんかじゃない。一時は本気で、東せつなを殺すつもりだったのだから。
(どうしてシフォンは、私をせつなと呼んだの?)
ただ、それだけが知りたくて。気が付いたら、シフォンを抱えて逃亡していた。
あの時の自分には、せつなの面影なんてまるっきり無かったはず。ラブだって、ソレワターセと認識していた。それなのに――
「せつな~、ラブ、心配してる」
「だから、違うって言ってるでしょ!」
苛立った少女が、シフォンのふわふわとした身体を両手で掴む。
「いい? 私は人間じゃなくて、ソレワターセという化け物なの。このまま、あなたをノーザの元に連れて行けば、ラビリンスの幹部にだってなれるのよ」
「どうして?」と疑問に思ったところで、シフォンにちゃんとした説明は出来ない。ならばと、あえて口に出して脅してみた。
事実、今となっては、それが人間として生き残る唯一つの手段だろう。ノーザは自分にその選択をさせるために、あゆみを誘拐したに違いなかった。
少女の言葉の意味を理解したのか、それとも殺気立った顔が怖かったのか、シフォンの表情が見る見る強張る。それが泣き顔に変わったところで、少女は腕を緩めた。
「行きなさい……シフォン。あなたを心配してくれる、人たちのところに」
「キュア~」
シフォンは、しばらく少女の顔を見つめてから、フワリとその場から姿を消した。
これで良かったんだ、と思えた。
全ては映画の結末の通り。独りになったドッペルゲンガーは、鏡の破片で喉を突いて死んだ。
だけど、自分は誰も殺めずに済んだ。それどころか、大切な人を救うことができた。たとえ、その先に破滅が待っていようとも――
それでも、ずっと救われる結末だと思えた。
大きな悲しみと、小さな喜びを胸に、少女はこの世界に別れを告げる。
辛いことばかりだったけど、あたたかな時間だって過ごせた。後悔は無いけれど、未練はあるから――
もしも叶うなら――次に生まれ変わる時は、人間になりたい。無理ならせめて、この森の木々の一本になろう。
少女は木に身体を預けたまま、ゆっくりと右手を上げる。そして、鏡の破片のように硬い手刀を形作ると、その切っ先を自らの喉に向けた。
「キュア~、キュア! キュア!」
「えっ!?」
不意に静寂を破る幼い声が聴こえて来て、少女は動きを止める。目の前に現れたのは、ラブたちの元に帰ったはずのシフォンだった。
先ほどと違って、嬉しそうな、自慢げな、そんなにこやかな表情で。
驚きで力の抜けた少女の掌に、フワリと一枚の葉っぱが舞い降りる。
いや、よく見ればそれは一枚ではなくて、四つの葉が連なった形をしていた。
脳裏に――東せつなの記憶の中に、その形が鮮明に浮かび上がる。それは、同じ色と形をしたペンダント。
「これは、四つ葉のクローバー? 幸せの……素」
「キュア! キュア!」
「あなたが、探してきてくれたの? 私を励ますために」
「せつな、笑って」
「だからっ――私は、せつなじゃないのに……。馬鹿ね」
少女は、シフォンをギュッと抱きしめた。
そして、ごめんなさいって、何度も謝りながら泣いた。
本来ならあやすべき小さな子に、いっぱいの愛情で包まれながら……。
短いけれど、安らげる時間だった。この子とはずっと一緒に居たはずなのに、こうして向き合ったのは初めてだった。
少女は不安げに、シフォンの愛らしい顔を見つめる。口には出さず、そっと心の中で問いかける。
(シフォン――あなたは私と同じなのよ。自分でわかってる?)
スウィーツ王国の長老に拾われた、不思議な妖精シフォン。やっと片言で話せるようになったばかりの、小さな赤ちゃん。
イタズラ好きで、みんなの笑顔が大好きで、とっても優しい子。
でも同時に――管理国家ラビリンスが、総統メビウスが、執拗に求めるインフィニティ。
シフォンの本当の正体は、東せつなの記憶を辿ってもわからなかった。確実に言えるのは、ただの妖精ではないってこと。
ラビリンスの全てのコンピューターを駆使しても、この世界より遥かに人口の少ない本国の管理だけで手一杯だった。それなのに、シフォンのもう一つの姿のインフィニティは、全てのパラレルに生息する全ての生命を管理できるという。
無限のメモリーと呼ばれる、“超越者”にして高位の存在。その恐るべき力の秘密は、ラビリンスの科学力でも解明できない。そういう意味では、自分なんかよりよっぽど化け物だろう。
(何も知らないこの子は、自分をせつなだと思い込んでいた私と同じ。いつか、自分の運命と向き合う日が来るはず。その時、この子は同じように苦しむのだろうか? シフォンであることを諦めて、インフィニティであることを受け入れて――)
自分が本当は“人間”東せつなではないように、この子だって“妖精”シフォンではないのかもしれない。
あるいはシフォンとは、インフィニティを隠すために与えられた、仮の人格なのかもしれない。いつかは、目覚めるのが運命なのかもしれない。
だとしても――
(幸せになりたいって、そう願って何が悪い! 許されない幸せを、それでも求めて何が悪い!)
自分の幸せはもう望めない。だけど――
“許せるのか?”
こんな無垢な子供を、道具として利用するラビリンスを!
ラブの笑顔が失われ、あゆみの微笑が凍り付く、そんな温もりの消えた社会を!
人々の嘆きと悲しみが木霊し、笑顔と幸せが奪われ、心を殺して人形のように生きるしかない世界を!
“欲しいなら――奪え”
(ええ、欲しいわ! みんなで笑って生きられる世界が! シフォンのままで幸せに暮らせる未来が!)
ゾクリ――と、身体が震える。戦いの予兆を感じ取り、赤黒い闇の底から魔物が目を覚ます。
何色かもわからない血が、熱く、熱く、煮えたぎる。
帰る場所を失って、大切な人との約束を破って、人としての生すら諦めて――
それでも、心まで化け物になったわけではなかった。
自分には、守りたい人が居る。叶えたい願いがある。そのために――行かねばならない場所がある!
(償いではなくて、正義感でもなくて。損得や、善悪と関わりなく、「与える」ことによって生まれる幸せ。そんなものがあるのなら――)
「私の幸せは、まだ終わっていない。私に『与える』幸せをちょうだい、シフォン! 一緒に占い館に行ってくれる? ラビリンスの野望をこの手で砕いて、あなたの未来を掴んでみせる!」
たとえ全てが上手くいったとしても、もう二度とこの地を踏むことも無いだろう。別れを惜しむように、少女はシフォンを片手に抱いて、ゆっくりと歩き出す。
まずは警戒されないように、敵の懐に入り込むこと。沸き上がる殺気を内に秘める。
目的地に着くと、じっと目を閉じて意識を集中させた。深層意識の奥の奥、赤黒い闇に潜むモノ。その全てを引き出すために――
『幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(最後に残された幸せ)――』
「最後に勝つのは、私だったようね。ちょっと手こずったけど、ソレワターセを完全に支配したわ。私の想像を超える化け物に成長した、この子の力――四人で敵うか、試してみるがいい!」
光を失った少女の瞳が、破壊と略奪の衝動に、赤黒い炎を燃やす。
姿だけは、せつなのままで――見る者をゾッとさせるような、冷たく残忍な表情で笑った。
緊張した表情で構えを取る、ピーチ、ベリー、パイン。そんな三人を庇うように、悲壮な顔でイースが一歩前に進み出た。
「イース? どうしたの?」
「まさか、一人で戦うつもり?」
「無茶よ! ここはみんなで力を合わせて――」
「今回ばかりは、力を合わせたってどうにかなる相手じゃないわ。公園での戦いを忘れたの? あの子は巨大化したソレワターセを、一分とかからずに倒してしまった。同じことが私たち四人で出来ると思う?」
ピーチたちの提案を、イースは即座に否定する。この中で唯一彼女だけが、少女の恐ろしさを実体験として知っていた。
「だったら、なおさらイース一人でなんて戦わせられないよ!」
「そうよ、やってみなければわからないわ」
「四人でがんばろう、ね?」
「死ぬわよ? それも――確実に」
イースは一瞬たりともソレワターセの少女から目を離さず、緊張に震える声で言った。
そのただならぬ様子から、ピーチたちも自分の考えの甘さを知る。
「たった一つだけ、勝算があるの。私が防御に専念して時間を稼ぐから、その間にキュアスティックで攻撃して。進化したみんなの技なら、きっと当てられるはず」
「でもっ! そんなことしたら、あの子が――」
イースの提案に、ピーチが青い顔をして問い返す。
「プリキュアの技の性質は浄化よ。あの子の本質は悪じゃないはず。あるいは――傷付けずに、悪意だけを消せるかもしれない」
「あるいはって、じゃあ、上手くいかなかったら……」
「最悪の場合、消滅させてしまうかもしれない……。それでも、このままじゃ全滅するだけよ」
「だったら、ダメだよ。あの子を傷付けたくないもの。あたしが呼びかけてみる!」
「だから無理だって言ってるじゃない! そんな余裕のある相手じゃないのよ」
「イース、アカルンは使えるんでしょ? ここはひとまず撤退しましょう」
思わずカッとなってピーチに食ってかかるイースに、ベリーが冷静な声で呼びかける。
しかし、イースはその言葉に目を伏せると、低い声で言った。
「どうしても……退けない理由があるの。でも、最悪の場合はあなたたちだけでも脱出させるわ」
「イース! あなたはまだそんなことを!」
「来るよっ!」
ソレワターセの少女が一息に迫り来る。それを、同じく飛び出したイースが迎え撃った。
イースは一切の攻撃を諦めるのと引き換えに、防御に特化した戦法を駆使して戦った。
全神経を視界に集中させて、可能な限り敵との距離を一定に保つ。身体中の筋肉を弛緩させて、瞬発力を限界まで高める。
両手は前方に突き出して攻撃を流し、足は肩幅に開いて左右の動きに備える。重心は後ろにかけて相手の打点を崩す。円を描くように動き、背後へと回り込む。
蝶のように軽やかに舞い、少女の猛攻を凌ぐイース。しかし、その表情にはまるで余裕が無かった。
相手の攻撃を流しただけで腕は痺れ、身体を掠めただけで精神が削られる。わずか一撃でも、喰らった時点でジ・エンド。
例えるなら、生身の人間が、高速で襲ってくる刃物を避け続けるようなもの。手加減無しの少女の攻撃は、それほど圧倒的な殺傷力を秘めていた。
「はやくっ! キュアスティックを!」
「だけどっ!」
「このままじゃイースが――ピーチ!」
「一か八かになるけど、やりましょう。ピーチ!」
「みんな……なに言ってるの? あの子を死なせちゃうかもしれないんだよっ!」
ピーチがそう叫ぶと同時に、その手に握られていたピーチロッドが消失した。空になった手は拳を握り、イースの窮状を救うべく参戦を決意する。
ベリーとパインは、止む無く二人で必殺技の準備に入る。だが、それを黙って見ているノーザではなかった。
「ソレワターセ、あの二人を先に片付けろ!」
「しまった!」
少女がイースから離れ、真っ直ぐにベリーとパインに襲い掛かる。
技の発動準備に入っていたベリーは、不意を付かれ、腹部を殴られて気を失う。辛うじてガードが間に合ったパインも、そのまま後方に弾かれ、壁に叩き付けられて昏倒した。
わずか数秒で、四人の内の二人が意識を断たれてしまう。それでも――命があるだけマシだったのかもしれない。
呆然としているピーチを、少女は次の標的に選んだ。
技の発動を阻止するために、スピード重視で攻撃した先の二人とは違う。今度は威力重視。渾身の力を込めた攻撃モーションで、右ストレートが繰り出される。
それは、公園でソレワターセに止めの一撃を加えた時と同じ動き。
つまり、プリキュア四人の必殺技と同等以上の威力がある――“打撃”だった。
ピーチを助けようと、イースが全速力で駆ける。だがっ、間に合わない!
「ピーチっ!!」
「キュア・キュア・プリップー!!」
イースの絶望の悲鳴――それは、シフォンの幼い叫び声に掻き消された。瞬間移動したシフォンがピーチの前に立ちはだかり、間一髪で少女の攻撃を受け止めたのだ。
少女の拳が、強い衝撃に動きを阻まれる。シフォンの超能力で作り出されたバリアーが、ビリビリと電光を発した。
イースは一瞬、安堵の表情を浮かべるものの、その直後に凍り付いた。
ミシリ、ミシリと、不気味な音が響き渡る。電撃をものともせずに、少女の拳がバリアーを打ち破ろうとしていた。
そして――ついにバリアーが粉々に弾け飛んだ。
「「シフォン!!」」
ピーチとイースの悲鳴が重なる。しかし、恐れていた惨劇は起こらなかった。
バリアーの砕けた瞬間に、シフォンに体当たりするかのように、何かが横から飛び出した。小さな灰色の身体――タルトだ。
おかげで直撃は逃れたものの、衝撃の余波までは防げなかったのだろう。タルトはシフォンの無事を確認してVサインを決めると、そのまま気を失った。
それっきり、動かなくなったタルトとシフォン。そちらに目を向け、何故か少女が動きを止める。
理由を考える余裕なんて無かった。イースはチャンスと見て、少女の無防備な背後から、後頭部目がけて全力で殴りつける。
「決まった!」そう思った瞬間。
パシン! と小気味よい音がして、イースの拳が受け止められる。
そこにあったのは、見慣れたピンク色のリストバンドと、同じ色のニットのブレスレット。それは――キュアピーチの腕だった。
「ごめん、イース。ここは、あたしにまかせて欲しいの。何があっても――お願い!」
「ピーチ――あなたは……」
「シ……フォン? ぁ…ァ…アアアアア!!」
動きを止めていた少女が再び暴れ出す。身体を後方に捻りながら、裏拳をイースに叩き付けた。
イースはとっさに後ろに跳んで威力を殺す。それでも受けた腕は壊され、衝撃で脳震盪を起こす。床に叩き付けられ、跳ね返って、何メートルも転がって――激痛の中、辛うじて意識だけを繋ぎ止めた。
「フフフ、フハハハ、素晴らしい! やっぱりあなたは私の最高傑作だったわね。さあ、残るはあと一人。さっさと始末なさい!」
「ァ――ァァァアアア!!」
ノーザが、圧倒的な勝利に酔って歓声を上げた。その声はノーザの紋章を通じ、“強制”となって少女を突き動かす。
再び、大きなモーションからの右ストレート。今度は阻むものも無い。ピーチは顔を伏せたまま肩を震わせ、避けようともしなかった。
「ダアァァ――ッ!」
これで――終わり。ノーザが勝利を確信する。
しかし――ピーチが顔を上げた瞬間、裂帛の気合が一閃した。
信じられないことに、ピーチは先ほどイースにしたのと同じように、少女の拳をガッチリと受け止めたのだ。
「何っ!? まさか、そんなことが――これは一体どういうことだ!?」
「アアァァ――!!」
「ハアッ!!」
今度は、少女の左ストレート。それを、さっきと全く同じようにピーチは受け止めた。
全身から迸るような気合いを発しているのに、その目は凛と澄み渡っていて、その表情は、深い湖のように穏やかで――
「そんな――お前にそんな力は無いはず! 何故だ! 何故、そんなことができるっ!?」
「なぜ? 必要……だからだよ。絶対に……負けられないからだよ。みんなで、幸せゲットするためだよ! 決まってるじゃない!!」
両手を拘束された少女が、狂ったように身体を捻って暴れ出す。それすらも――ピーチは力づくで抑え込んだ。
「大丈夫、大丈夫だから。もう心配いらないから。だから……泣かないで」
「あ……ああっ……」
少女の全身から力が抜け落ちる。そこでピーチも掴んでいた腕を外して、抱き寄せるようにその身体を支えた。
そして何かを取り出そうとピーチが下を向いた瞬間、自由になった少女の右腕が、下から突き上げるようにピーチの腹部を殴り付けた。
「あ……アアァァ――!!」
「がはっ!」
安心して、気を抜いたところの不意打ち――無防備な状態での直撃だった。
ピーチの身体が“く”の字に折れる。気と衝撃が外まで貫通して、後方に風を巻き起こす。
それでも、ピーチは倒れない。自分を殴った右腕はそのままに、少女の左手にすがりつくようにして――
その腕にそっと、赤いブレスレットをはめた。
「プレゼント……勝手に開けちゃってゴメン。これで……お揃いだね」
「アァ……ああっ……ああああ!」
「大丈夫、このくらい痛くないよ。だから、帰ろう? せつなと、みんなと一緒に」
「あ……ああっ、わた……私は――もう!」
「なんて……呼んだらいいのかな? 帰ったら、おかあさんとおとうさんに相談しよう。子供の名前はね、親が付ける……ものなんだよ」
ピーチはそう言って、少女の頭に両手を回して、優しく胸の中に抱き入れた。
彼女の腕に触れたノーザの紋章が、徐々に光を失って消えていく――
「そんな馬鹿な……ありえないッ! ソレワターセよ、戦いなさいッ! この私の命令が聞けないと言うのッ!?」
強制力を失ったノーザの命令が、静けさを取り戻した広間に空しく響く。
ピーチは、さっきの言葉を最後に意識を失っていた。少女を抱く腕から力が失われ、もたれかかるようにその場に崩れ落ちる。
自我を取り戻した少女が、とっさにピーチの身体を支えた。そして、ベリーとパインと、シフォンとタルトと、みんな一緒に、並べるように横たえる。
「フフフ、アハハハ、遂に――プリキュアを全て倒したのよ! さあ、お手柄よソレワターセ。後はインフィニティを渡せば、私はあなたを――」
「――黙れっ!」
少女は鋭い眼光でノーザを射竦めると、その脇を通り過ぎて、今度はイースを抱きかかえて――
やはり、同じようにピーチたちと一緒に寝かせた。
そして、イースの腰からリンクルンを取り出して、プリキュアの妖精に呼びかける。
シフォンを例外として、本来ならば、ピックルンはそれぞれのマスターの呼びかけにしか応じない。まして、能力を行使できるのはマスターだけ。
わかっていても、今はどうしてもアカルンの力が必要だった。祈るような気持ちで手を合わせる。
「プリキュアの妖精。幸せの赤いカギ、アカルン。私はあなたの主人のニセモノだけど……。たった一度でいいの、私のお願いを聞いてくれる? みんなを、この館の外に運んであげて」
「キィ――!」
少女の想いが届いたのか、リンクルンからアカルンが飛び出して、ピーチたちの周りをクルクルと回る。
そこで、唯一、辛うじて意識のあったイースが口を開いた。
「待って……。不幸のエネルギーを集めたのは……私……よ。あなたに責任はないわ。あなたが犠牲になんて――」
「勘違いしないで、イース。私は罪を償おうなんて、これっぽっちも考えてないわ。私はただ――自分の望みを叶えたいだけ。大切な人たちを、守りたいだけなの。
わかっているんでしょ? ノーザを――人間を殺してしまったら、もう、二度とみんなは笑えなくなる。だけど生かしておいたら、きっと、おかあさんたちが襲われる。だから、人間じゃない私が――」
「それを――犠牲と言うのよ!」
「だったら……私はそれでもいい。やり残したことは、本物のあなたに託すから。どうかシフォンを、私と同じ目に遭わないように……導いてあげて」
少女はアカルンに目配せして、瞬間移動の発動を促す。
イースが止めようとするが、迷った挙句、アカルンは少女の命令を優先させた。イースと出会って以来初めての、ただ一度きりの反抗だった。
「待てッ! そんなことをさせるものかッ!!」
逆上したノーザが、転移を阻止しようと飛び込んでくる。
しかし、それより先に瞬間移動が発動して、ピーチたちは赤い光に包まれて姿を消した。
「オノレ――こうなったら!」
ノーザは後方に空間の裂け目を開き、自分も転移しようと試みる。しかし、そこに飛び込むよりも速く、少女の蹴りがノーザを薙ぎ倒した。
「どこに行くつもりなの? お前はここで死ぬのよ、ノーザっ!」
「ヒィ――ッ!」
ノーザは恐怖の表情を浮かべて、後ろを向いて走り出す。
もう――威厳も何も無かった。取り繕うこともできないほどの、絶望的な状況だった。
しかし、行く先々で少女が先回りする。その度にあがき、苦し紛れの攻撃を仕掛けるものの、通じるはずも無くて――
やがて、ノーザは壁際に追い詰められる。そこは不幸のゲージの巨大な容器そのものであり、少女が亀裂を入れた部分でもあった。
「“償い”は、お前にこそ必要よ、ノーザ。滅びるがいい――不幸のエネルギーの呪詛に埋もれて!」
「メビウス――様ァァアアア!!」
少女の一撃が、ノーザの胸に迫る。
その強大な力は、ノーザの心臓を易々と貫いて、背後の不幸のゲージすら破壊するはずだった。だが――
恐怖に顔を歪め、メビウスの名を叫ぶノーザを見て――少女は映画に登場した、ドッペルゲンガーを思い出す。その脳裏に、あゆみとの会話が蘇った。
『与えることが幸せなら、やっぱりあのドッペルゲンガーのように、奪うことは不幸なのね。それを罪と言うんでしょう?』
『人は誰だって、過ちを犯すものよ。それで幸せになれないのなら、誰も幸せになんてなれないわ』
(もしかして、ノーザもまた、「欲しがることすら許されない者」だとしたら……)
少女の動きが止る。その隙を、ノーザは見逃さなかった。
迷ったのは、ほんの数秒のこと。その僅かな時間が過ぎ去った後に、立っていたのはノーザの方だった。
少女の口から、大量の血液が溢れ出す。
床に転がった、その小さな背中からは……ノーザの放った無数の蔦が、針の山のように顔を出していた。
「フフフ――良かったわね、ソレワターセ。見なさい、あなたの血はきれいな赤色よ。満足かしら?」
「ゴフッ……ゴポッ……」
もう、少女は言葉を返すことも出来なかった。ヒューヒューと、苦しそうに息を吐き出す。
「このまま楽に死なせはしないわよ。このノーザに、恥をかかせてくれたのだから……。お前の強大な力をいただくわ。それとも、返してもらうと言うべきかしら? もともと、お前は私の身体の一部から生まれたのよ」
ノーザから伸びた、少女に刺さったままの蔦は、そのまま少女の肉体を侵食して、主であるノーザに送り込んでいく。
取り込まれていくのは、身体だけではなかった。薄れゆく意識の中、蔦のラインを通して、ノーザの秘密と、彼女の抱える闇が少女に流れ込んでくる。
(そう、だったの……。ノーザもまた、欲しがることすら許されない者。私と同じ――化け物だったなんて……)
やがてノーザは、少女を喰らい尽くして――完全に同化した。
その瞬間、ノーザの瞳が紫色に怪しく光った。彼女の身体が、人間の殻を破って巨大化していく。
強大で――醜悪で――おぞましい、真の化け物へと変貌する。
「フフフ、手に入れたぞ、最強の力を! この身体があれば、プリキュアなど一捻りで潰してくれる。――ん? なんだ……この音は? まさかっ!」
ソレワターセの少女に亀裂を入れられ、度重なる戦闘の余波でそれを広げ、今、ノーザの巨大化の際の振動で限界を迎えた、不幸のゲージの隔壁が――ついに砕け散る。
「そんな――させるものかアアアァァァ――!!」
ゲージを破って飛び出そうとする不幸のエネルギーを、ノーザーは巨大な蔦を巻き付かせて塞いでいく。不幸のエネルギーは蔦を食い破り、外に出ようとする。
そのエネルギーの一部を吸収して、ノーザは更に蔦を増やし、不幸のゲージの破壊を食い止める。
狂ったエネルギーと、極大の力とが衝突し、建物全体を崩壊に導いていく。
亜空間の檻の中で、管理国家ラビリンスの侵攻拠点、通称――占い館が、人知れず消滅したのだった。
最終更新:2014年01月26日 13:14