「まなびのじかん」2
「これでもねぇ、小学校時代は優等生だったんだ」
「なんとなく、そんな気はします」
「そう?」
「特に勉強しなくても成績が良かったタイプじゃないですか?」
「そうそう!あんまり勉強に苦労…って覚えがない。あくまで子供の頃限定だけど」
明るく朗らかでハキハキした小学生のミユキが目に浮かぶ。
きっとリーダーシップも取れる人気者だったのだろう。
せつなは微笑ましい想像に頬を緩ませながら、どういった訓練がミユキに適しているのかと
思考を組み立てていく。
恐らくミユキは自立志向が高く、あまり型に嵌めたり詰め込まれるのを嫌うかも知れない。
しかし、詰め込み式に慣れてないなら却って敢えてそれをやってみる価値はある。
「そう言うタイプ、危ないです。勉強した事が無いから勉強の仕方が分からないんですよ。
だから一度躓くと一気にガタガタになるんですよね」
「う…ものすごく思い当たる…」
「基礎を系統的に覚えずに、その場限りで誤魔化して凌いで…気が付けば俗に言う『何が解らないかも分からない』状態に陥ります」
「返す言葉もありません…」
机に突っ伏して項垂れるミユキにせつなは質問を重ねる。
どうやら既に授業は始まっているらしい。
やはり自分に適した勉強法が分からないらしい。
それなら、まずはこちらがキチンとスケジュールを組んでノルマを課した方が良さそうだ。
「苦手なのは数学として、他は大丈夫なんですか?」
「うん、追試まで掛かってるのは数学だけ。理科とかもかなりギリギリだけど…まぁ、いいや…」
「得意な科目は?」
「英語は、かなり良い方だと思う。やっぱさ、いずれ海外公演とかやってみたいし、出来れば留学
なんかも。英語はかなり力入れてたから…」
「他には?」
「うんとねぇ…」
国語の成績も悪くない。
ダンスと音楽は一心同体。歌詞付きの曲を踊る時は歌の世界観の理解は必須。
言語力はあるに越した事はないので、読書も苦にはならない。その流れで古典も割りといける。
歴史や社会といった暗記科目も、振り付けを初見で覚えたりと短期記憶が鍛えられているお陰か
それほど苦労せずに済んでいる。
「なるほど、ダンスと結び付けたら何とかなるんですね…」
「…でも数学はどうやっても無理…テンポ数えたり…とか?」
「まあ、そこまで無理矢理結び付けなくてもいいですね…。普通にやりましょう」
「出来るかなぁ…」
ねえ、ミユキさん、とせつなは呼び掛ける。
「得意な教科なら、答案用紙を前にしたらパッと分かりますよね。じっくり問題読まなくても、
『あ、解りそう』って言う感じ」
「あ、うん。そう言う時って結構良い感じに点数が取れる」
「それほど得意じゃなくても、力を入れてやった教科なら、答案用紙の前で絶望したりはしませんよね」
「うん。分かる部分を頑張って埋めて、まだ時間があれば残りを解く。一問でも当たれば儲け物だから」
「じゃ、数学はそのレベルを目指しましょう」
「ーーー!」
「スラスラ解けなくても構いません。何問かは自信を持って出来る様に。何問かは悩みながらでも解ける様に、
残りは時間があれば食らい付く。正解なら儲け物、くらいで」
「…出来る、の?」
「出来ます。現にさっき出来ました。ちょっと取っ掛かりさえ見つかればちゃんと正解しました」
「でも…その取っ掛かりが自分で見つけられない」
「それは経験不足だからです。ミユキさんの頭が悪いからじゃありません」
「………」
「ミユキさん、頭が悪い訳じゃありません」
「…ホントに、そう思う?」
「当たり前です。出来ないと思い込んでるだけです。本当に頭が悪ければどんなに説明したって
理解できません。ヒントだけで正解出来るのに頭が悪い訳ないです」
せつなはきっぱりと断言した。
ミユキは顔を見られない様に再びテーブルに突っ伏す。
さすがに後輩の前で涙目にはなりたくない。
ずっと、自分は馬鹿なんだと思っていた。
「子供のころ優等生だったなら、ありがちです。周りはミユキさんなら手助けがいらないと
思ってたんじゃないですか?」
「……」
「自分に出来る事は自分でしてきて、出来ない事もなるべく人に頼らず何とかしてきたんでしょう?」
「…でも、そんな事ないよ?いっぱい助けてもらってるし、その、勉強だけじゃなくて、ダンスだって
仲間やスタッフの力が必要なんだし…」
「手助けするのと、盛り立てるのは違うと思います」
「……」
「分からないって泣き付いた事も、出来ないって投げ出した事も無いでしょう?
みんな、ミユキさんなら出来る。そう期待するのが普通になってます。ミユキさんもそれにずっと応えて来た」
「……うん」
「本来なら、家庭教師の先生達の『一夜漬け作戦』だってかなり大変ですよ。何パターンも暗記して、
それに数字までは予想出来ないだろうから本番ではミユキさんが臨機応変に対応しなくちゃいけない」
「……」
「馬鹿だと思ってる相手には勧めません。出来ると思われてるからです」
「…そう、なのかな?」
「そうですよ。先生達のミスはミユキさんが更に大変な道を選ぶとは考え付かなかった事です」
そうなのだ。皆、ミユキの努力家振りを甘く見ていた。
只でさえ忙しいミユキにこれ以上負担を掛けたくない。
だから、より効率良い方法を提示しただけなのだ。
ミユキ本人を少しでも知っている人なら尚更だ。馬鹿になんか出来る訳がない。
方針は決まった。せつなはこれからの指導方法を説明する。
まず、試験に必要な単元の選別。基礎の洗い直し。そして、とにかく例題をこなす。
試験の予想問題は作らない。ミユキの力が及ばなければそれまで。
目的は試験の合格では無い。ミユキの自信回復と、コンプレックスの克服。
だから、ミユキが地力を付けて自分で乗り切る必要がある。
「まず、自分で考える習慣を付ける事。問題集の模範解答は没収します」
「えっ?!でもそれじゃあ、確認出来ない…」
「解答を見ながら問題を解く癖は抜いてもらいます。分からなければ電話してきて下さい。
深夜でも早朝でも構いません」
せつなは例えを出しながら説明する。
まず、勉強は知らない土地へ出掛ける様なものだと考えて欲しい。
その時、他人に案内されてただ連れて行ってもらうのと、自分で考えて迷いながらも目的地を目指すのと。
次に同じ場所へ行く時、より鮮明に道を覚えているのはどちらなのか。
「でも、仕事帰りとか本当に遅いよ?」
「私は一日二日寝なくても何とかなります。ミユキさんの方が大変なんですから遠慮は無用です」
「………」
「ミユキさん、これはお願いしてるんじゃありません。解らなければ速やかに質問。疑問を後回しにしない。
時間を置けばどこが解らなかったのか忘れます。これは教える側からの指示です。分かりましたか?」
「はい、先生」
「毎日宿題を出します。時間が無いなら中途半端に全部やろうとせず、解る物からやる。
何が得意で何が苦手かを考えながら進めていきます」
ミユキは年下の先生の言葉をメモを取りながら熱心に聞いている。
「とりあえず、今やってる問題集に印を付けましたから、丸の付いてあるのをやって下さい。他のは手を出さない」
「はいっ!」
「例題をたくさん解いて、解き方のパターンを覚えていきます。応用はそれから…」
その日はせつなの指導方法の説明、問題集の買い足しと中の問題の選別で一度解散した。
夜になって電話での質問。根気よく話を聞き、絡まった紐をほぐしていく。
教えてみると、ミユキは非常に熱心でいい生徒だった。
頭の回転は早いし、記憶力も良い。
ただ、どの問題もヒント無しで解くのが苦手だった。
次からは解く例題にヒントを書き込む様にした。ヒントは補助線をどう引くか、
どの数に代数を当て嵌めるか、などの具体的な物からだんだん簡略化していく。
こなした例題数に比例して、質問電話が減ってくる。
そんなこんなで一ヶ月経つ頃には、仕事場で勉強、その間せつなは宿題のチェック。
ノルマが済めば理解度の低い部分の質疑応答。その日宿題を渡して解散、と言う生活パターンが出来上がっていた。
……
…………
「はぁぁ…疲れたよー…」
ミユキはベッドに倒れ込み、体を投げ出した。
しかし、すぐに思い直して自室のテレビを点ける。今日放送分のトリニティが出ている番組の録画を見る。
いくら勉強が厳しくても本職を疎かには出来ない。
どんなに忙しくても仕事のチェックはリーダーとしての義務だ。
「レイカの立ち位置、もうちょい右寄りかな…あれじゃ出だしが遅れる…」
ナナはちょっとテンポが速い。新しい振り付けの時に出る癖だ。つい先走り気味になる。
自分は、まだ充分に踊りきれて無い。もう少し練習が必要か。次の休みにスタジオに自主練の予約を入れよう。
勉強の方もせつなは休日の過ごし方は自由にさせてくれている。
休みの日こそ付きっきりでみっちり勉強させられるのかと思っていたミユキは少し拍子抜けした。
せつなはおっとりと微笑みながら言った。
(もちろん、ミユキさんが勉強したいならいくらでも付き合います)
せつなは言う。ミユキのダンサーとしての生活習慣はあまり変えたくないのだと。
普段から鍛えている人間は、体を動かさずにいる事に焦燥感を覚える。少しでも衰える事に恐怖心が湧くはずだ、と。
だから休日は思い切り体を動かしたり、友人との時間を楽しんだりした方がいい。
それに、休日だって宿題は出す。24時間ダンスレッスンをする訳じゃない。
数時間、勉強の時間は取れるはずだ、と。
(それともミユキさん、監視してないとサボる、なんて事はないですよね)
もちろん、休日でも先生への質問は24時間受け付け中だ。
行き詰まったらいつでもどうぞ、とニッコリされたらとてもじゃないがダラダラした休日を
過ごす気にはなれない。
「さて、せつな先生の宿題やるかな…」
すっかり見慣れた几帳面な書き込みの字。今日は三角関数だ。
「えーと、何なに、タンジェントがこれとして、コサインを求めるのよね…tanθ=sinθ/cosθだから…」
せつなはいつ電話しても一コールで出てくれた。
いつでも出られる様に気を配ってくれていたのだろう。
せつなは良い先生だ。こちらがつい愚痴っぽくなっても、泣き言を言っても粘り強く付き合ってくれた。
決して声を荒げる事も、内心はどうであれ呆れた態度を表に出す事も無い。
まあ、それが却って怖い事もあるのだが。
こちらの気の緩みをすかさず見抜き、ヒヤリとする程鋭い空気を出してくる。
手を抜けない。けど、出来た時に見せてくれる笑顔は何よりの励みになった。
それに締め付けるだけじゃなく、緩める所はちゃんと見極めてくれる。無理は禁物。苦痛だけでは続かない。
それをちゃんと判ってくれている。
(しかし今日のせつなちゃんは怖かった…)
真面目にやろう。急がば回れ。千里の道も一歩から。ダンスも数学も同じだ。
結局、一つずつ着実に進んだものしか自分の物にはならない。
そう、肝に命じて、今日の楽屋でのやり取りを思い出した。
………
………………
ここはいつもの楽屋。すっかり生活の一部として定着したせつなの授業。
まずは最初に宿題のチェック。間違った問題や曖昧な部分の復習から始まる。
「ミユキさん…」
呼び掛けるせつなの声にいつもと違う響きを感じ、ミユキはビクリと顔を上げた。
「これ、演算してませんね?」
質問ではなく、断定。
確かに昨夜の宿題はやりなれたパターンだった事もあり、碌に見直しもしなかった。
「計算ミスが二ヶ所、単位も書き忘れてます」
ミユキの背中を冷たい汗が流れた。
確かに少し手を抜いてしまったが、そこまで追求されるとは思わなかった。
「精度の低い訓練などやっても意味がない。おかしな癖が付くだけ」
「……」
「見直しは必須です。何重に確認してもミスをするのが人間。それをチェックもせずに通すのは論外」
「………はい」
「二度は言いません。いいですか」
「はい……ごめんなさい…」
せつなの目かスッと細まり、ひやりとした空気が漂う。
ミユキは緊張に背中を強張らせながら、改めて間違えた問題に取りかかる。
確かに単純なミスだ。書いてる字にすら緊張感に欠けているのが見て取れた。
そんなやり取りを目にして、勉強の邪魔をしないように少し離れた場所に座っていた
ナナとレイカも軽く目を見張る。
「コワっ…!せつなちゃん、キャラ変わってない?」
「でもほら、ミユキの集中力上がったみたいよ…」
後ろ姿に必死な気配が立ち上っているのが分かった。
声を荒げも、ネチネチ責めもしないが、せつなの短い言葉には有無を言わせぬ圧力が感じられた。
「でもせつなちゃん、何であんな頭いいの?確か帰国子女だよねえ?」
「あれじゃない?海外の学校だと得意な分野はどんどん先に進めてくれたりとかって聞くよね」
「ああ、スキップってやつ」
「でもその分日本史とかは苦手って言ってたよ」
「マジ…?」
何故か変な顔をするレイカにナナが不思議そうに尋ねる。
「何?なんかあったの?」
「いや、この前せつなちゃんと喋ってたんだけどさ…
ナナ、江戸幕府の将軍は全部で何代か知ってる?」
「えと、最初が徳川家康だよね。確か…15代?」
「そう、最後が慶喜」
「うんうん、聞いた事ある」
「じゃ、足利幕府は?」
「……えーと、室町、時代だっけ?足利尊氏しか分かんないかも」
「最後は義昭ね」
「ああ、前に織田信長のドラマで聞いた気がする」
「まあ、一般的にはその程度の認識で普通よ」
「いったいなんなの?」
「義昭は15代。てのがまあ、一般的。でも正確には室町幕府は15人16代。一人で二回やった人がいる」
「………」
「…って、話をこの間せつなちゃんとしてたのよ」
「まず何で中学生と高校生でそんなマニアックな話題になるのか理解出来ない。レイカって歴女だっけ?
…てか、せつなちゃん、日本史、苦手なのよね?」
「らしいよ、せつなちゃんの中では」
「………」
「………」
「あたしも勉強教わろうかな…」
「やめときなって。ナナはミユキほど根性ないでしょ」
緊張感漂う二人をひっそり眺めながら、残りの二人が緊張感のないヒソヒソ話に花を咲かせる。
「これで、どうかな…」
ミユキがミスした問題のやり直しと、今日のノルマを差し出す。
「……はい、結構です」
ニッコリと可愛らしく微笑んでくれたせつなに安心して、ミユキはようやくホッと息をつく。
サボったら一発で釘を刺される。
これで密かにでも手を抜くのは完全に無理だと覚悟が固まった。
最終更新:2014年03月06日 23:19