私を呼んで、愛の言葉で(前編)/一六◆6/pMjwqUTk
「出来たぁ? ブッキー」
「うーん……もうちょっと……」
ラブの言葉にも顔を上げず、真剣そのものといった表情で、祈里がスポイトの先端を見つめている。黄色い液滴が、ポタ、ポタ、ポタ、と三滴落ちて、平皿に入れられたアロマオイルがきれいな山吹色に染まった。
「出来たー! これをペーパーに染み込ませて、ケースに入れればいいのよね?」
そう言いながら手際よく作業を進める手元を、せつなが興味津々で覗き込む。
「へぇ。アロマって美希がよく作ってくれるけど、ブッキーも上手なのね」
「ううん、わたしはこれが二回目。美希ちゃんに教わって、前に一回作ったことがあるだけだよ。ハイ、これで完成」
祈里が差し出した出来たてのアロマにそっと顔を近づけてから、せつなが柔らかな笑顔になる。
「いい香り。何だか心が安らぐみたい」
「ホント、いい香り~。凄いね、ブッキー。この前と全くおんなじ香りだよ。これならきっと、喜んでくれるねっ」
ラブも、せつなの隣から鼻をひくひくさせて香りを楽しんでから、満面の笑顔で親指をぐっと立てた。
今日は土曜日だが、ミユキの都合でダンスレッスンはお休み。おまけに桃園家では、圭太郎はゴルフ、あゆみはパートで両親共に不在だ。
昨日の夜にそのことがわかったとき、だったら明日はタルトをねぎらう日にしようよ!とラブが言い出して、すぐさま
美希と祈里に連絡を取ったのだった。
このところ、シフォンがインフィニティになる頻度が高まり、タルトはずっとクローバーボックスを回すのに掛かりきりだった。先日クローバーボックスが行方不明になりかけた教訓から、夜の間だけは、ラブとせつなも含めた三人で時間を区切り、深刻な睡眠不足にはならないようにしたものの、やっぱりタルトの負担が大きなことに変わりは無い。
せめて少しでもその労をねぎらおうと、心ばかりの贈り物やご馳走を用意し、あとは四人でシフォンの相手をして、タルトには夕方までゆっくり休んでもらおう、という計画だ。
そこで、まずは準備の時間を稼ぐため、ラブがタルトにカオルちゃんの店までお使いを頼んだ。カオルちゃんにも、細かい事情は話せないまでも密かに協力を頼み、お使いの時間を出来るだけ引き延ばしてもらうことになっていた。
「良かった。いつでも作ってあげるってタルトちゃんと約束したのに、結局あれから、一度も作ったことなかったから……」
手の中の小さな陶器を愛おしそうに見つめながら、祈里が呟く。その横顔を、せつなも微笑みながら見守った。
初めてこのアロマを作ったとき、祈里はまだタルトのことを、『タルトさん』と“さん”付けで呼んでいたらしい。フェレットが苦手だったせいで、フェレットそっくりのタルトとも、なかなか打ち解けられなかった――そう聞いたときには、祈里にも苦手な動物がいたという事実に、それはそれは驚いたものだ。
自分だって、最初から祈里と『せつなちゃん』『ブッキー』と呼び合う仲だったわけではない。だからこそ、初めてタルトと心を通わせた思い出の品であるというこのアロマへの祈里の想いは、せつなにもよくわかる気がした。
これで祈里からの贈り物も完成。プレゼント兼お昼のパーティー用の、ラブのハンバーグとせつなのコロッケも、あとは焼くだけ、揚げるだけで、既に準備は完了している。
残るひとつは――。
「ところで、美希のほうは上手くいってるのかしら」
「そうね。何だかヤケに静かだし、ちょっと心配だよね」
せつなの言葉に、どうやら同じことを考えていたらしい祈里も心配そうな顔になった。
ラブ、せつな、祈里の三人はラブの部屋に居るのだが、美希は今、シフォンと一緒にせつなの部屋に居るはずだ。最初こそ、シフォンがキュア~!とはしゃぐ声と、それをたしなめる美希の声が聞こえていたのだが、今は何だかしーんとして、物音一つ聞こえてこない。
「そうだね。タルトが帰って来ても困るし、ちょっと様子を見にいこっか」
ラブがそう言って立ち上がる。続いてせつなと祈里が立ち上がったのとほぼ同時に、カチャリとドアが開き、シフォンを抱いた美希が、何だか疲れた顔をして部屋に入ってきた。
私を呼んで、愛の言葉で(前編)
「どう? 美希たん。うまくいきそう?」
ちょうど良かった、という笑顔で問いかけるラブに、美希が力なくかぶりを振る。
「それが……。シフォン、ちゃんと『タルト』って言葉は喋ってくれるんだけど、タルトのことは、呼んでくれそうにないのよ」
「……へ??」
「それ、どういう意味? 美希ちゃん」
頭の上にクエスチョンマークが見えるような顔で首をひねるラブ。祈里も不思議そうに、美希とシフォンの顔を見比べている。
そんな中でシフォンだけが、美希の腕の中で、キュア~!と機嫌の良さそうな声を上げた。どうやら二人の表情が面白かったらしい。
美希が考えた贈り物は、シフォンにタルトの名前を呼ばせることだった。
キルンが現れ、シフォンが片言の言葉を喋るようになったとき、彼女はすぐに、ラブたち三人を名前で呼ぶようになった。その後でプリキュアになり、ラブの家で一緒に暮らし始めたせつなのことも、最初から名前で呼んでいた。しかし、何故か一番付き合いが長いタルトだけは、いつまで経っても名前で呼ぼうとしないまま、現在に至っている。
最初はそのことにショックを受け、押し入れに隠れてふて寝するほど落ち込んでいたタルトだったが、今ではすっかり諦めたのか、そのことを口に出すこともほとんどない。でも、シフォンのためにあんなに一生懸命なタルトが、もしもシフォンに名前を呼んでもらえたらどんなに喜ぶか――それは四人とも、ありありと想像することができた。
美希は、以前シフォンと仲良くなったときに、すっかり育児にハマって買い求めたという育児書を何冊も持って来て、「アタシ、完璧に教えるわ!」と張り切っていたのだが……。
「口で説明するより、見てもらった方が早いわね」
そう言って、シフォンを抱いたままラブのベッドに腰掛けた美希は、シフォンの身体を自分の方に向けて、その無垢な瞳を優しく覗き込んだ。
「いい? シフォン。もう一回やるわよ。タ・ル・ト」
「たーるーとー!」
「おおっ! ちゃんと言えてるじゃん!」
ラブが目を輝かせて、シフォンの頭を撫でる。
「問題はこの後、ってこと?」
ラブとは対照的に冷静な声で問いかけるせつなに、美希は小さく頷いてリンクルンを取り出した。
あらかじめ撮影しておいたタルトの画像を、シフォンに見せる。
「じゃあ、シフォン。これは誰?」
「……プリ?」
リンクルンを見つめていたシフォンが、おもむろに首を傾げたのを見て、ラブも祈里も、思わず驚きの声を上げた。
「えーっ!? シフォン、タルトだよぉ。どうしてわからないのっ!?」
ラブが、美希の膝の上からシフォンを抱き上げて、肩を揺さぶる。
「ちょっと、ラブちゃん! ……ねえ、シフォンちゃん。シフォンちゃんとずーっと一緒に居るタルトちゃんのこと、ちゃんとわかってるよね?」
ラブの剣幕に泣き出しそうになったシフォンを、祈里が引き取ってあやしながら語りかける。
シフォンは、プリ~……と不満げに呟くと、祈里の視線から、ぷいと顔をそむけた。
仕方なく、祈里はシフォンをラブのベッドの上におろした。彼女のお気に入りのクマのぬいぐるみを、その隣に座らせる。するとシフォンはあっさりと機嫌を直し、ぬいぐるみで遊び始めた。
「要するに、『タルト』って言葉は言えるけど、それがタルトのことだとはわかっていないってこと?」
流石に心配そうな顔をするせつなに、美希は、そうなのかな……と自信なさげに呟く。それを聞いて、ラブがまた、信じられない、という調子で声を上げた。
「でもさぁ! シフォン、あたしたちの名前は最初っからちゃんとわかってたじゃない」
「うん、そうだよね。喋り始めたとき、最初にわたしの名前を呼んでくれたの、よく覚えてるもの」
祈里も当惑したように、小さく頷く。
「そうよね。それなのに、どうしてタルトの名前だけ、わからないんだろう……」
美希がお手上げという表情で、ぼそりと呟いた、そのとき。
「あ……。そうか、もしかして……」
三人のやり取りをじっと聞いていたせつなが、何かに気が付いた様子で、顔を上げた。
「ねえ、ブッキー。シフォンはブッキーのこと、『いのり』って呼ぶわよね。それって、ブッキーがシフォンに自分の名前を教えたの?」
「えっと……どうだったかな。特に教えた記憶もないけど、最初からそう呼ばれてたと思うよ?」
「ラブも美希も『ブッキー』って呼ぶのに、シフォンにそう呼ばれたことは無いのよね?」
「そう言えば……」
畳みかけるようなせつなの質問に、祈里が目を見開く。
「美希もそう。ラブは普段、美希のことを『美希たん』って呼ぶし、ブッキーは『美希ちゃん』でしょ? でもシフォンはいつも『みき』って呼んでる。もし、ラブかブッキーが呼んでいるのを真似しているんだとしたら、どちらかの呼び方になりそうなものだと思うけど」
「そう言われれば、そうね。つまり……えっと、何が言いたいの? せつな」
少しの間、虚空を睨んで考えていた美希が、降参、という顔でせつなの顔を覗き込んだ。
せつなは、まだ少しも腑に落ちない様子の仲間たちを見回してから、少し辛そうな顔で下を向いた。そのまましばらく膝の上に置かれた自分の手を見つめてから、意を決したように、ぽつぽつと説明を始める。
「つまりシフォンは、みんなの真似をして人の名前を呼んでいるわけじゃないってことよ。周りの会話を聞いて名前を覚えたんじゃなくて、もしかしたら……元々、知っていたのかもしれない」
「元々、知っていた?」
どういう意味よ、と言いかけて、今度は美希がハッとする。
「つまり……シフォンの頭の中には、元々アタシたちの名前がデータとして入っていたってこと? つまり、その……無限メモリーの」
「私にも、はっきりしたことはわからない。シフォン自身も、その辺のことは無意識のような気がするし。でもそう考えると、シフォンがみんなを呼ぶときの呼び方に、一応の説明は付くわ」
言いにくそうに言葉を発した美希に、せつなが低い声で答える。それを聞いて、祈里が不思議そうに小首を傾げた。
「でも、そのことと、シフォンちゃんがタルトちゃんの名前を呼ばないことには、どんな関係があるの? せつなちゃん」
「思い出してみて。私たちがタルトとシフォンを追ってスウィーツ王国に行ったとき、タルトが自分の名前のことを話していたでしょう?」
せつなにそう言われて、今度はラブが首をひねる。
「そう言えばそうだったね。えーっと……タルト・フ・ハンバーグ……みたいな」
「ラブちゃん、ハンバーグじゃなくて、フォンボルグだったと思う」
「あれぇ……そうだっけ」
祈里にたしなめられて、頭を掻くラブ。美希はそれを苦笑いで見やってから、改めてせつなに向き直る。
「確か、タルト自身も長すぎて覚えきれてないって感じだったよね」
「ええ。おそらくシフォンは、タルトの名前が頭に入ってはいるけれど、それを喋ることは、まだ出来ないんじゃないかしら。あまりにも長くて複雑だから、まだ片言しか喋れないシフォンには無理なのかも」
せつなの説明に、部屋の中が一瞬、しんと静まり返った。
「なるほどね。タルトちゃんの顔と名前が一致していないわけじゃなくて……」
「あんまり長い名前だから、それでいつも首を傾げているのかもしれないってことなのね」
少し考えてから、ようやく合点がいったという顔で頷く美希と祈里。あの頃、タルトに名前を訊かれるたびに、プリ?と無邪気に首を傾げていたシフォンの顔が、頭をよぎる。
シフォンのもうひとつの姿と言われている、無限メモリー・インフィニティ。覚醒するとシフォンとしての意識は消えてしまうが、普段のシフォンも、数々の不思議な力を持っている。これまでは、シフォンの超能力、と片付けていたその能力も、おそらくインフィニティとしての力の一部が顕れたものなのだろう。
せつなの仮説には説得力があるし、そう考えれば確かに説明は付く。しかし、それが当たっているとすると――。
「本当にそうだとすると、シフォンがもっと大きくなるまでは、タルトの名前を呼ばせるのは難しそうね」
せつなの言葉に、二人とも少し寂しそうな顔で頷く。
「そっか……。シフォンのメモリーが完璧なのが、裏目に出たってわけね」
「それにタルトちゃんだって、自分が覚えきれていないような長い名前で呼ばれても、ただ面喰っちゃうだけだよね」
無邪気に遊ぶシフォンとは裏腹に、部屋の空気が重苦しくなる。それに気付いて、美希が慌てて無理矢理に笑顔を作った。
「あ……みんな、ゴメンね~。それじゃあ仕方ないから、アタシはタルトに何か別の贈り物を……」
「大丈夫だよ!」
美希の言葉を遮って聞こえてきた、力強く明るい声に、三人が思わず顔を上げる。そこには、場違いなほど明るい表情でニコリと微笑む、ラブの顔があった。
「シフォンは、タルトが大好きなんだもん。そのタルトの名前を、呼べないわけないよ!タルトも覚えていないような長い名前じゃなくて、あたしたちが呼んでるのと同じ、『タルト』って名前をさ」
「だから、それが無理なんだって話をしてるんじゃないの」
少々呆れた口調の美希に、それでもラブは穏やかな表情で、ううん、と首を横に振る。
「大丈夫だよ、美希たん。あたしにいい考えがあるの」
そう言って、ラブはそのキラリと輝く瞳を、せつなに向けた。
「せつな、お願い。アカルンに頼んで、あたしをスウィーツ王国に連れて行って」
「え……それは構わないけど、どうするつもりなの? ラブ」
小首を傾げてラブと美希のやり取りを眺めていたせつなが、その言葉を聞いて、ますます不思議そうな顔をする。
「詳しいことは、行ってからね。美希たんとブッキーは、ここで待ってて。すぐに帰ってくるから、シフォンのことをお願い」
相変わらず笑顔のラブに、美希と祈里も、訳がわからないという表情で顔を見合わせてから、うん、と頷いたのだった。
~前編・終~
最終更新:2014年03月03日 21:53