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One Step Beyond ―キュアエコーの方法― (3)




 スイーツを堪能したあゆみたちは、またおしゃべりに華を咲かせながら歩き出した。
 その背後、上空。
 何かが浮いている。
 人影。いや、それには尻尾がある。
 狼。いや、それは立っていた。
「ウルッフッフッフ」
 それは笑った。足元を見下ろす。
「人間どもがうじゃうじゃいやがる。
 バッドエナジーも集め放題ってことだ!」
 その、宙に浮かぶ二本足の狼、「ウルフルン」はそう叫びながら本を取り出し、絵の具のようなものを握りつぶした。
「世界よ、最悪の結末、バッドエンドに染まれ!
 白紙の未来を、黒く塗りつぶすのだ!」
 真っ黒な絵の具を本にたたきつける。空が青みを帯びた灰色に染まり、まばゆかった日差しが一瞬で消えた。
「人間どもの発したバッドエナジーが悪の皇帝ピエーロ様を甦らせていくのだ!」
 その本に、どす黒い波動が吸い込まれていく。その大元は、地上の人間達だった。
「休みなんて、楽しくない」
「ショッピングなんて無意味」
「もう何もかもいらない」
 全ての人々が絶望していた。その絶望が生み出す負のエナジーが黒い波動となって、ウルフルンの手の中の本に吸い込まれていく。ウルフルンは重さを増していく本に満足感を覚えた。
「ウルッフッフ。
 さすがの俺も持ちきれねぇな。これだけのバッドエナジーは」
 言葉とは裏腹にウルフルンは笑っている。
「多すぎて笑っちまうぜ!」
 その大きな笑い声に目覚めた者がいた。
「これは」
 あゆみだった。
 辺りを見回したあゆみは、その光景に唇を振るわせた。誰もが膝をついて崩れ落ち、焦点の合っていない目は冷たいアスファルトに向けられ、はっきりしない声で何かを呟いている。
「まりちゃん!」
「スイーツなんかいらない」
「まりちゃん!
 どうしたの!
 目を覚ましてよ!」
 無駄だった。どれだけ肩を揺り動かしても、まりはあゆみを見ない。そのまま、さっきまでおいしそうに食べていたはずのスイーツが無駄な存在であることを繰り返していた。
「みなちゃん!
 めいちゃん!」
 ふたりも同じである。みなはアクセサリで着飾ることを否定していた。めいはまったく聞き取れない。口を開くことすら無意味だと思っているようだった。
「なにが…」
 もう一度、見渡す。誰もいない。友人を気遣っている人も、子供を心配している親も、恋人の様子に不安を抱いている若者もいない。
 この光景に恐怖を感じているのはあゆみだけだ。いや、そもそも顔が見えない。みなうつむいている。怯えているとは言え、辛うじて顔を上げているのはあゆみだけだった。
 空は暗い。まるで絵の具で塗りつぶしたような色をしている。かすれた部分が模様のように見えるが、それはあゆみの知っている空ではなかった。
(フーちゃんのときだって)
 あゆみが「フーちゃん」と呼んでいた不思議な生き物。
 それはどうやら「フュージョン」という生命体の一部だったらしいのだが、そのフュージョンが世界をリセットしようとしてこの町を闇で包んだときも黒雲があった。不気味な色ではあったが、あれは空だった。
 今は違う。あゆみは、異次元の世界に放り込まれるとしたら、こんな風に感じるのだろうかと思った。
「…。
 あれは」
 人々の体から潜み出している黒い波動が一ケ所に集まっている。そこに何かがいる。
 あゆみは首を振った。
 あれがフーちゃんだ、などということはありえない。同時に、そう考えてしまう自分が許せない。
 それもやむをえないことではあった。今までの生活の中で、今起こっていることと共通点がありそうな出来事といえば、あの事件だけだからだ。
 だが、絶対に違う。
 フーちゃんは友達だ。あゆみが暮らすこの町をどこかで見守ってくれている。こんなひどいことをするはずがない。
 では、あれは何者なのだ。
 それはゆっくりと降りてきた。近づいてくるにつれて、姿が見えるようになる。灰色の狼の様な顔。その口角は上がっており、意地の悪い笑いを浮かべている。
 この世界の生き物ではない。それに気づいたとき、あゆみの唇が震え、足から力が抜けそうになった。
 だが、辛うじて崩れ落ちずに済んだ。
(私は)
 唇を噛む。
(私は)
 目を上げる。
 あの出来事であゆみは学んだ。
 話してみる勇気を持つことが大事なのだ、ということを。
 狼の様な人影が近づいてくる。あゆみは手を握り締め、足に力を込めた。
 恐い。
 恐いのは当然だ。
 しかし、そこでひるめば、その恐さが永遠に続くことになる、ということを今のあゆみは知っている。
 そして、それを乗り越える事はきっと不可能ではない。
(だって。
 だって、私は)
「なんだ、お前」
 ウルフルンはあゆみに気づき、降下のスピードを上げた。自分の足があゆみの顔の高さになったところで止まる。
「絶望してねぇのがいるのか」
「絶望…?」
「まぁ、これだけ人間がいるんだ。一人ぐらい、そういうのがいるってこともあるわな。
 それにしても気の毒なことだ」
「どういうことですか」
 震える声を絞り出す。ウルフルンはそれに気づいたのか、笑顔をさらに歪ませた。
「黙って絶望してた方が楽だった、ってことになるからさ。
 見てみろ」
 ウルフルンは改めて腕を組み、辺りを見回した。
「ここにいる全員が絶望して立ち上がれなくなってる。俺がこうして現れても、驚きもしない。声も出さない。
 お前、こんな中で、たった一人、生き残っちまったんだぜ。
 これからどうするんだよ。
 ウルッフッフッフ。
 アァッハッハッハ!」
「どうして」
「は?」
「どうして、こんなことをするんですか」
「それを聞いてどうする」
「教えてください。
 なんでこんなことをするんですか」
「いいだろう」
 ウルフルンはその場所に座った。椅子が突然、現れた、というわけでもない。しかし、ウルフルンの姿勢は、明らかに座っている姿勢だった。
「俺たちの王を復活させるためだ。
 偉大なる、ピエーロ様をな」
「そのことと、町の人たちを絶望させたのは」
「ピエーロ様の復活には、おまえら人間が絶望したときに発する、『バッドエナジー』が必要なんだよ。
 ほら」
 ウルフルンが持っていた本を見せる。人々の体から染み出した波動、「バッドエナジー」がまだ集まり続けていた。
「これがピエーロ様のお力になる。
 今日は大漁だからな、ピエーロ様の復活はぐっと近くなったぜ」
 うれしそうに笑う。
「みんなはどうなるんですか」
「ウルッフッフ。
 言ったろ?
 お前だけが生き残った、って」
 今度はひきつったような笑い。
 同じようにあゆみも表情をひきつらせていた。
「私だけが生き残った、って…」
「『バッド』な『エナジー』だからな。
 そいつを全部、吸い上げられちまったら、どうなるかはわかるよなぁ」
「返して!」
「なんだ?」
「それをみんなに返して!」
「はいそうですか、って返すわけねぇだろうが」
「返して!」
 気づかずに足を進めるあゆみ。ウルフルンを厳しい目で睨みつける。
「おお、おっかねえ。
 その目力に免じて、お前のバッドエナジーを搾り取るのはやめといてやる。どこへでも行きな。
 そうだな。あちこちで、俺が来るのを大人しく待ってろ、って触れ回ってくれたら、こっちの仕事も楽になるかもな。ウルッフ――」
「早く返して」
 あゆみは一歩も引かない。ウルフルンは苛立ったのか、舌打ちをした。そして立ち上がる。
「今日は、これは使わなくて済むかと思ったんだが」
 どこからか赤いボールを取り出す。
「よく考えてみれば、残ってるのがお前一人とは限らねぇ。
 これだけ広いと、まだいる可能性もあるわけだ。
 一人見たら30人いると思わなきゃな」
 また笑う。だが、今度は不快感を含んでいた。
「そいつらも含めて一気に片付けてやる。
 いでよ、アカンベー!」
 ウルフルンはそのボールを高々と掲げた。
「通路が」
 ペデストリアンデッキが持ち上がり、くねくねと動いた。先端が二つに割れてねじれ、口のように開く。ライトが二つ並び、目のように光った。それはまるで鎌首をもたげた蛇、いや巨大なドラゴンだった。
「アカンベー、まずはこいつを始末しろ。
 根掘り葉掘り聞きやがって、うるさくってしょうがねぇ」
〈アカンベー〉
 ツーロアカンベーが空中で身をくねらせたと思うと、あゆみにむかってきた。
 足がすくむ。恐怖に手が震えている。
 だが、じっとしていてはならない。それは何も解決しない。
 それに、あの化け物が暴れれば、友人達はもちろん、ここでうずくまっている人たちにどんな被害が及ぶかわからない。あゆみは走った。
「ほら、走れ、走れ。
 俺のアカンベーは早いぞ」
 ウルフルンがまた笑う。
 あゆみはビルの陰に入った。あれだけ大きいのだから、そこまで追いかけてはこないだろう、と思った。
「隠れたって無駄だよ、お嬢ちゃん。
 アカンベー、突っ込んじまえ」
「え…」
 また、あゆみの唇が震える。
 ツーロアカンベーはビルとビルの間に突っ込んでくるつもりなのだ。
「そんな」
 ビルが崩れて大惨事になる。早く出なければ、あゆみはまた走った。そうしてビルの間を抜ける。
「止まれ」
 アカンベーはウルフルンの命令でピタリと止まった。
「ビルを壊してわざわざ人間どもを減らすことはねぇ。
 それは、バッドエナジーをすべていただいてからの話だ。
 さて、小うるさいお嬢さんはどこまで逃げたかな。
 探せ、アカンベー」
 わざわざ探し回る必要もなかった。あゆみは、ビルの間の通路を出たところで様子を伺っていた。
「まだそんなところにいたのか」
 ウルフルンが上から回り込んだ。ツーロアカンベーの瞳があゆみを照らし出す。
「もう、やめて」
「なんだ、降参か。もうちょっとねばってくれないとつまん――」
「早く、みんなのエナジーを返して。
 そして、この街から出て行って」
「んだと…?」
 ウルフルンの目が冷たく細められた。
「お前、誰にもの言ってるか、わかってるんだろうな」
「あなたがやっていることが正しいとは思えない。
 みんなを絶望させて、エナジーを勝手に奪うなんて間違ってる。
 そんな、自分達のことしか考えないやり方、そんなことしちゃいけない!」
「アカンベー」
 ウルフルンが冷たい声とともに指差すと、ツーロアカンベーはビルを乗り越え、あゆみに迫った。
 激突するまでもない。
「キャアッ!」
 巨大なツーロアカンベーが近くを飛び去っただけで、あゆみの体は宙に浮いた。ツーロアカンベーの体が巻き起こした風に高々と飛ばされる。
(聞いてもらえなかった)



最終更新:2014年04月05日 18:26