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御子柴邸へ!




 左手の親指の爪の下辺りに、歪んだ“m”の字のように見える傷。そして中指の腹の部分には、赤黒く斜めに走る線のような傷。
 丁寧に洗った二つの傷を新しい絆創膏で覆って、祈里は静かにため息をついた。

(健人君・・・やっぱり何か隠しているのかな。)

 夕方、せつなが挙げた不審な点を、ひとつひとつ思い返す。考えれば考えるほど、彼女の指摘は的を射ているように思われた。
 祈里は他の三人と違って、健人が警備員たちを引き連れて街を闊歩していた様子を見ていない。だから、その話をラブから聞いた時にはどうにもイメージが湧かなかったのだが、昼間、喫茶店で健人に会って、確かにその様子が普段と明らかに違うと感じた。

 二度目のため息をついて、昨日みんなに見せたあの船上パーティーの招待状に、もう一度目をやる。
 昨年の秋、健人に招待され、ドレスまでプレゼントされて、気乗りがしないまま仕方なく出かけた船上パーティー。慣れない華やかな場所でコチコチに緊張したものの、健人もやはり不安を抱えているのだと知って、祈里はようやく少し落ち着くことが出来た。
 その後、ウエスターが船にソレワターセを憑依させたため、キュアパインに変身したのだが、健人はパインと動物たちと一緒に、必死で戦ってくれた。「みんなで力を合わせるんだ!」と動物たちに叫んだあの声は、今でもはっきりと覚えている。

(でも、今日の健人君は、力を合わせるっていうより、みんなの力を断って、一人で頑張ってるっていうか・・・何だかいつもの健人君じゃないみたいだった。あんな顔、今まで見たことあったかなぁ。)

 そう心の中で呟いた時、不意に何かが引っかかった。

(・・・今まで見たことあった・・・?まるでいつもの健人君じゃないみたい・・・?)

 深く濁った水の底から何かがプカリと浮かび上がってくるような、そんな感覚。思わず目の前の封筒を、もう一度見つめる。

――えっ?この封筒なら見たことがあるぞ。

 昨日、この封筒をみんなに見せた時、隼人がそんなことを言っていなかったか?
 確かにあの船上パーティーの時、ウエスターはその場に現れたが、それは船をソレワターセにするために、パーティーに潜り込んだのだと思っていた。だが、この封筒を見たことがあるということは、実はウエスターは、あの船上パーティーに正式に招待されていたのかもしれない。
 でも――だとしたら、一体誰に?

 そして、今日の健人の、一瞬も自分たちと目を合わせようとしなかった、一見堂々としているのに、少しも落ち着きのなかった姿を思い出す。
 まるで自分の周りに高い壁を作って、そこから抜け出せなくなっているような、あの姿――それは、ついこの間の自分の姿ではなかったか?
 深い悲しみの底で、心が硬く冷たく閉ざされ、その悲しい現実だけでなく、誰の言葉も、誰の想いも受け取れなくなってしまった――何だか自分が自分じゃないみたいだった、あの時の気持ち。

(そう。まるで突然起こった不幸が、どんどん自分の内側に入り込んでくるみたいな・・・えっ?)

 あともう少し。もう少しのところに、何か答えのようなものがある気がする。
 祈里は逸る気持ちを抑え、机の前に座った。スタンドを点け、ノートを広げてペンを手に持つ。何となく、こうやって腰を据えれば、何かが見つかるような気がしたから。

 ナケワメーケのコアである黄色いダイヤを、ノーザに渡したウエスター。
 そのウエスターが招待された、御子柴家の船上パーティー。

 今頃になって現れた、黄色いダイヤを付けたナケワメーケ。
 そのナケワメーケの残骸に触れて、不幸に陥った自分。

 その時の自分と同じような雰囲気を持つ、御子柴家の一人息子・健人の様子――。

(・・・まさか、そんな!)

 祈里は愕然とした表情で、ポロリとペンを取り落した。
 あまりにも突拍子もない考えだと思う。でも、それならつじつまが合うんじゃないか、という気もした。いずれにせよ、少しでも可能性があるなら、確かめないわけにはいかないだろう。
 壁にかかった時計を見る。もう早いとは言えない時間だが、まだ寝てはいないかな、と思えるくらいの時間――。
 祈里は少しためらってから、意を決したように、リンクルンに手を伸ばした。



   イエローハートの証明 ( 第8話:御子柴邸へ! )



 その電話がかかって来た時、せつなはパジャマ姿で、自分の部屋のベッドにラブと並んで腰かけ、とりとめのない話をしているところだった。
 せつながこの部屋で暮らしていた頃は、ベランダで、あるいはどちらかの部屋で、よくこうやって肩を並べて他愛もないおしゃべりに興じたものだ。その時は、部屋で話すときは大抵ラブの部屋でだったのだが、今回の帰省中は、ラブがせつなの部屋にやって来ることの方が多かった。

 突然鳴り出したリンクルンに黄色い光が点滅するのを見て、せつなが少し心配そうに眉をひそめる。
 こんな時間に、祈里から電話とは珍しい。何か悪い知らせでなければ良いが・・・そう思いながら電話に出ると、普段より硬い祈里の声が耳に飛び込んできた。

「もしもし、せつなちゃん?ごめんね。こんな時間に悪いんだけど、隼人さんと連絡取れないかな。」
「一体どしたの?」
 電話の向こうで、祈里が、あのね・・・と言って口ごもる。
「ちょっと気になることがあって・・・。何か証拠があるわけじゃないし、ただの思い過ごしかもしれないんだけど。」
「ちょっと待って。ここにラブもいるから、二人で一緒に聞いてもいい?」

 せつながそう言って、リンクルンをラブに渡す。耳の良いせつなは、こんな肩が触れ合うような距離なら、隣りにいるラブの受話器から漏れる祈里の言葉を聞き取るくらい、わけはない。
 ラブも心得たもので、うん、と真剣な顔で頷くと、リンクルンを挟んで頬と頬とがくっつきそうなくらい、せつなの方ににじり寄って来た。
 あまりの近さに、せつなが少し顔を赤らめてから、それでもラブとの距離はそのままに、じっと耳をそばだてる。
「いいよ、ブッキー。話して。」
 ラブの声を合図に、祈里は考え考え、話し始めた。

「あのね。昨日みんなに招待状を見せた、去年の秋の船上パーティーなんだけど・・・。あの時、隼人さんがパーティーに招待されていたのか、もしそうだとしたら、誰に招待されたのか、それが訊きたいの。」
 電話の向こうが、一瞬、しんと静まってから、再びラブの声がした。
「でもさぁ、ブッキー。あの時、隼人・・・ウエスターは、船をソレワターセにしたでしょう?招待されたんじゃなくて、船に忍び込んだんじゃないのかなぁ。」
「わたしも最初はそう思っていたんだけど、隼人さん、昨日、あの招待状を見たことがあるって言ってたでしょ?忍び込んだんなら、招待状なんて見てないはずよ。ということは、やっぱり正式に船に乗ったんじゃないかと思うの。」
「うーん・・・でも、ウエスターって御子柴家と何か関わりがあったの?何もないのに招待されるなんて、ヘンだよね。」
「ううん、もしかしたら、ヘンじゃないのかもしれないわ。」

 ふいに、ラブの声の向こうから、低くて小さな声が聞こえた。ゴソゴソという音の後に、電話の主がせつなに替わる。
「ブッキー。ひょっとして、ウエスターが船上パーティーに招待されたのは、何かの代償だったんじゃないか――そう思ってるんじゃない?」
「だいしょう?」
 今度はラブの声が遠い。せつなが、ラブと祈里、両方に話しているような調子で言葉を繋ぐ。
「見返り、っていうことよ。あの頃のラビリンスでは、それが当たり前だった。何かを手に入れるためには、引き換えに、必ず何か代償が必要だったの。
そして、船上パーティーの招待状と引き換えに渡されたのが・・・」
「ええ。ひょっとして、あのダイヤは御子柴家の誰かに渡されたんじゃないかって・・・そう、思ってしまったものだから。」
 えーっ!?というラブの叫び声が、電話口から離れているのに、耳に痛いようなボリュームで聞こえた。


   ☆


 すぐに隼人に連絡を取ることにして、祈里との電話を一旦切る。そして、せつなは机の引き出しの中から、携帯電話によく似た小さな機械を取り出した。
 異空間通信機。ここへ帰って来る前にサウラーに渡されたもので、同じものを隼人も瞬も持っている。ラビリンスと四つ葉町という異世界間でも通話ができる、ラビリンスの超科学の結晶。それは同じ世界に居る同士の場合でも、勿論通話が可能だった。

 隼人の番号を呼び出してコールするが、電源が切られているとのメッセージが流れる。不審に思いながら瞬にかけてみると、今度はワンコールで、押し殺したような低い声が聞こえた。

「やぁ、どうしたんだい?」
「ちょっと隼人に訊きたいことがあるんだけど、通信機の電源が入っていないみたいなの。瞬、あなた今、隼人と一緒?」
 せつなの問いに、電話の相手が軽いため息をついたのが聞こえた。
「一緒に居ることは居るけどね、彼は今、電話には出られないよ。ちょっと取り込んでいてね。」
「取り込んでるって、こんな時間に一体何を・・・」
 そう言いかけて、せつなが不意に押し黙る。電話の向こうからかすかに聞こえた、ある音が気になったのだ。

「ねぇ、瞬。あなた今、どこにいるの?」
「どこって、四つ葉町公園に決まってるだろ。」
「本当に?今、何かおかしな雑音が聞こえたみたいだったけど。」
「ああ、隼人が今、こんな時間からドーナツを揚げていてね、その油の音だろう。取り込んでいるっていうのは、そのことだよ。全く、こんな時間からいい迷惑だ。」
 瞬の声には少しの揺らぎもなく、平静そのものだ。
 せつなは、そう、と低い声で呟くと、じゃあ明日の朝かけ直す、と早口で瞬に言った。

 あっさりと電話を切ったせつなに、ラブが心配そうに問いかける。
「隼人さんとは、話が出来なかったの?瞬さん、何だって?」
「ラブ・・・。あの二人は、どうやらもう二人だけでどこかに向かっているようだわ。きっと健人君の家よ。」
 せつなの、一見淡々とした――しかし深い悲しみに満ちた声音に、ラブは息を呑んで彼女を見つめた。


   ☆


「電話、イースからだったのか?」
「ああ。幸か不幸か、君が通信機の電源を切っていたせいでね。」
 瞬――いや、今は白い闘衣に身を包んだサウラーの、少し恨みがましい口調に、ウエスターは前を向いたまま、すまん、と呟いた。
「まあ、それはいいさ。しかしマズい時にかかって来たな。彼女のことだ、もう僕らの行動には、きっと気が付いているよ。」
「お前が上手く話してくれたんじゃないのか。」
「そのつもりだったんだが・・・さっき、閉店しようとしている飲食店の前を通ったろ?あれが失敗だった。」

 せつなの耳が捉えたのは、四つ葉町で一番遅くまで開いているレストランのシャッターが閉まる音だったのだ。確かに公園に居ては、この音はまず耳に入らない。
 咄嗟に、せつなにとっても馴染みが無いであろう音を引き合いに出したのだが、あれでごまかされる彼女ではないはずだ。

 そう。二人はせつなが睨んだ通り、いつもの公園に居るわけでは無かった。既に人気のなくなった四つ葉町商店街を、御子柴邸に向かってひた走っていたのである。

「全く。君が彼女たちに黙って一人で決着をつけようなんて、らしくないことをするからだよ。」
「仕方ないだろう?今回のことは、まだ分からないことが多すぎる。これからどんな危険が待っているか知れないんだ。そんなことに、今はもう普通の少女の力しか持っていないあいつらを、巻き込みわけにはいかないじゃないか。それに・・・これは元々、俺が撒いた種だ。」
 ウエスターが、真っ直ぐ前を向いたまま、低い声で言う。

 ノーザに渡したダイヤのことをすっかり忘れていたのは、あのダイヤが既に使われたものと思い込んでいたためだった。世界中のおもちゃが子供たちの手から消えた、と聞いた時、ノーザさんはやっぱりやることがデカいと、密かに感心したのを覚えている。
 だが、昨日あの招待状を見たとき、かつてノーザから同じものを手渡されたことを思い出して、ウエスターは――隼人は微かな疑念を抱いた。
「ウエスター君。人質作戦って言葉、あなた知ってるかしら・・・。」
 そう言って楽しそうな笑みを浮かべながら、ノーザがあの封筒と、新しいソレワターセの実とを差し出してきたあの日――あれはウエスターがノーザのために黄色いダイヤを召喚した、ほんの少し後のことだったのだ。
 ひょっとして、あのダイヤは使われずに残っているんじゃないか――その疑念を、カオルちゃんに背中を押されて確かめてみると、やはりダイヤは使われていないことが分かった。

(あの封筒がダイヤの代償だったのだとしたら、ダイヤはまだこの世界・・・おそらく御子柴家に――。)

 どうして今まで気付かなかったのだろう。自分のうかつさにまた腹が立って来て、ウエスターはグッと奥歯を噛みしめる。そして、隣りを走る白い影に、ちらりと目をやった。

「お前も付いて来なくていいんだぞ、サウラー。」
「ほぉ。これまた、いつも仲間仲間ってうるさい君らしくない発言だね。」
「言っただろう。今回のことは、俺の・・・」
「君だけの責任じゃないさ。僕だって、近くに居たのにそんなことにまるで気付かなかったんだからね。」
 独り言のような低い声でそう言ってから、サウラーが我に返ったように、わざとらしく肩をすくめる。
「心配しなくても、僕は僕の興味で向かっているだけだよ。僕の探索にも引っかからない方法で、あのダイヤがどうやって保管されていたのか、見てみたくてね。」
 そう言ってニヤリと笑う仲間の顔から、ウエスターはぷいと顔をそむけた。
「勝手にしろ。イースたちが来る前に終わらせるぞ。」
「ああ、そう願いたいね。」

 あの屋敷に何が待っていようとも、ダイヤを見つけ出して処分する。もう二度と、この世界に不幸をばらまくことが無いように――。
 二人の走るスピードが、ぐんと上がる。この長い通りを抜ければ、住宅街。御子柴邸は、その一番奥まったところにあった。


   ☆


 せつなの話を聞いて、ラブはすっくと立ち上がった。
「行こう、せつな。すぐにブッキーに電話して。あたしは美希に・・・」
「ちょっと待って、ラブ。行くって、御子柴家へ?」
 慌てて制するせつなに、力強く頷くラブ。
「でも・・・あの二人はきっと、御子柴家にこっそり忍び込んでダイヤを探すつもりよ?今の私たちに、あの二人についていく力なんて無いわ。」
「分かってる。それでも、二人だけで行かせるわけにはいかないよ!」
 きっぱりとそう言い切ってから、ラブは表情を和らげて、せつなの顔を覗き込んだ。

「ねえ、せつな。確かにあたしたちは、隼人さんたちと同じことは出来ないよ。でも、隼人さんたちには無理でも、あたしたちだから出来ることだって、あるじゃない。」
「私たちだから・・・出来ること?」
 不思議そうに小首を傾げるせつなに、ラブはニコリと笑って、今度は優しく頷いた。
「健人君と隼人さんたちは、お互いのことをよく知らないよね。でもあたしたちは、健人君とも、隼人さんや瞬さんとも友達でしょ?だから、あたしたちが一緒に居た方が、みんな話がしやすいはずだよ!」

 こんな夜遅くに押しかけて、話し合いも何もないんじゃ・・・と言いかけて、せつなは口をつぐむ。
 ラブが言っているのは、そういうことではないのだろう。
 友達同士を争わせたくない。その場に居て、両方が幸せな結末となるように、少しでも力になりたい――ラブの想いは、きっとそういうことだ。
 自分だって、健人の様子がおかしいのは気になるし、何より隼人と瞬の二人が心配だ。確かに二人とも、この世界の人間が及びもつかないような力を持っているけれど、その力に任せて御子柴家に忍び込み、ナケワメーケのコアとなるダイヤを排除する――今回の事件がそれだけで済む単純なものとは、せつなにはどうも思えないのだ。
 とはいえ、ここでみんなが乗り込めば、今度はみんなが危険な目に遭うおそれが、十分にある。

 せつなは、上目づかいにラブの顔を見て、おずおずと言った。
「ねえ、ラブ。仲裁役っていうだけなら、何も四人で行かなくても・・・」
「せつな、忘れたの?あたしたちは、いつだって四人。四人一緒なら、出来ないことなんて無いよ!それに、健人君も、隼人さんと瞬さんも、あたしたちみ~んなの友達でしょ?」
 ラブが、一言一言を噛みしめるようにそう言って、もう一度せつなの顔を覗き込む。
 その目は、強くてあたたかな光をいっぱいに湛えていた。かつては受け止めることも、真っ直ぐに見ることすらも出来なかった光――そして、これまでどんな時もせつなを励まし、導いてくれた光。

(ラブは変わらないわね。あの頃から、少しも。)

 かつてのように目をそらすことなく、真っ直ぐに、愛おしそうにラブの顔を見つめて、せつなは少し照れ臭そうな笑顔で、しっかりと頷いた。
「・・・分かったわ。みんなで、行きましょう。」


   ☆


 洋服に着替え、二人で一階に下りる。リビングのドアの隙間からはまだ明かりが漏れていて、テレビの音と、あゆみと圭太郎の話し声がかすかに聞こえていた。
 ひとつ大きく深呼吸してから、ラブがドアを開ける。
「お父さん、お母さん。」
「あら、ラブ、せっちゃん。どうしたの?こんな時間に。」
 あゆみが台所から出てきて、驚いた顔で二人の姿を見つめる。二人の真剣な顔つきを見て、圭太郎もテレビを消してこちらにやって来た。

「あたしたち、これから行かなくちゃいけないところがあるの。帰りは凄く遅い時間になっちゃうと思うけど・・・でも、どうしても行かなきゃいけないの。だから、行ってきます!」
「ちょっと待ちなさい、ラブ。一体どこへ行くって言うのよ。」
「それは・・・」
 口籠もるラブの後を、せつなが引き取る。
「ごめんなさい、今は言えないの。でも、そんなに遠くじゃないから心配しないで。」
「どうしても、今行きたいのか?もう夜も遅いし、明日の朝になってからの方が・・・」
「ごめんなさい。今じゃなきゃダメなの。」
 心配そうに二人の顔を見比べる圭太郎に、今度はラブが頭を下げる。
 あゆみは、圭太郎とそっと顔を見合わせ、小さくため息をついてから、改めて二人の娘たちに向き直った。

「どこに行くのか、何をするのか。それは、今は言えないって言うのね?分かったわ。じゃあ、二人がこれから何のために出かけるのか、それを教えてちょうだい。」
「何の・・・ために?」
 ラブがきょとんとしてオウム返しに呟き、せつなは不安そうな眼差しであゆみを見つめる。
 あゆみは、ええ、と頷くと、いつになく真剣な声音で言葉を続けた。
「二人とも、こんな夜遅くから出かけて親に心配かけると思ったから、こうして言いに来たんでしょう?だったら、わたしたちがあなたたちを信じて送り出せるように、言えることは、ちゃんと言いなさい。
何のために行きたいのか――そしてどうしたいのか。親として、それだけは聞かせてもらいます。」
 きっぱりとそう言い切って、あゆみは二人の答えを待つ。
 圭太郎は、娘たちを静かに見つめたまま、そんなあゆみの肩に、そっと手を置いた。

「それは、健・・・えーっと、友達のためだよ!あたしたち、今すぐ友達を助けに行きたいの。ねっ、せつな。」
「ええ。私、そのために精一杯頑張るわ!」
 ラブが叫ぶように答え、せつなが力強く頷く。
 だが、あゆみはそれを聞いて、一瞬だけ心配そうに眉をひそめた。そしてすぐに真剣な表情に戻って、さらに畳みかける。
「そう、友達のため・・・。それだけなの?」
「えっ?」
 ラブとせつなが、揃って声を上げる。
「お母さん、何言ってるの?それだけじゃ、いけないの?」
 ラブが、驚きと不満が入り交じった表情で、あゆみに詰め寄った。が、あゆみは少しも動じない。
「こんな遅い時間から、わざわざパジャマを洋服に着替えて、お母さんにお小言を貰って・・・。それでも友達のためだから仕方が無い、我慢して行かなきゃって、そう思ってるっていうこと?」
「ちょっとお母さん!そんな意地悪な言い方しなくたっていいじゃん!」
 ラブが、なおもあゆみに詰め寄ろうとした、その時。
「いいえ、我慢なんかじゃないわ。」
 低く、柔らかく、でも凛として揺るぎのない声が、リビングに響いた。

 せつなが、真っ直ぐにあゆみを見つめてから、そっと目を閉じる。少しの間そうしてから、ゆっくりと言葉を押し出した。
「私たちが・・・私が、みんなと一緒に友達を助けたいの。一人で抱え込んだり、無理して頑張ったりしている友達のそばに行って、一人じゃないって、そう伝えたいの。それは私たちにしか出来ないし、私がやりたいことだから。」
 そう言って静かに目を開けたせつなは、あゆみを見つめて声を震わせながら、それでもはっきりと言った。
「だから――行かせて、お母さん。」



 今、やっと分かった。ウエスターとサウラーが、過ちの精算のために二人だけで御子柴邸へ向かったと知った時、なぜあんなに悲しいと思ったのか。
 彼らの気持ちは、手に取るように理解できたはずだった。自分が蒔いてしまった不幸の種は、自分で刈り取らなければ、という想い。たとえ自分はどうなっても、仲間を巻き込みたくない、という願い。その気持ちは、あの時、一人で不幸のゲージを壊しに行ったときの自分の気持ちそのものだったからだ。
 それなのに、今は二人の決意を知って、言いようのない悲しみを覚える。
 仲間だなんて少しも思っていなかった、出し抜くべき同僚としての出会いも、プリキュアとラビリンスとして激しく敵対した過去も、関係ない。いや、そんな過去があってやっと仲間になれた彼らだからこそ、ラブや美希や祈里と同じように、一緒に笑っていたい――その想いが、心に強く湧き上がってくる。それが、自分の幸せな未来だと思える。

(みんなも――ラブや美希やブッキーも、あの時、こんな気持ちでいてくれたのかしら・・・。)

 目を瞑ると、底抜けに明るくあたたかな、ラブの笑顔が浮かんだ。悪戯っぽくパチリとウィンクしている美希。おっとりと優しい口調で話す祈里。
 四つ葉町を離れてから、何度も何度も脳裏に思い描いた、仲間たちの姿――。
 こういう時、決まって自分の姿はそこには無い。自分は自分の目には映らないのだから、それが当然だ、とずっと思っていた。
 でも、今は何だかいつもと少し違った。相変わらず自分の姿は見えないけれど、仲間たちがとても近くに感じられる。全員が、せつなにあたたかな笑顔を向け、楽しそうにウィンクしてみせ、嬉しそうに話しかけてくる。
 おまけに、せつなに向かって得意げにドーナツを差し出すウエスターと、そんな彼に肩をすくめてから、せつなにニヤリと笑いかけるサウラーの姿まで浮かんできた。

(そう・・・。今まで私は、みんなの未来は描けても、そこに自分の姿を描けていなかったのね。)

 健人やウエスターやサウラーを助けたいのは、彼らみんなと笑い合える、そんな未来を作りたいから。そういう未来に、自分も居たいから。
 そして、その未来に自分が居ることが、仲間たちの幸せでもあるんだって、今はっきり、そう信じられた。



 あゆみが、せつなの顔を見つめて、やっと表情を緩める。
 優しさに満ちた、そして、心配そうな表情になるのを必死で抑えているような、そんな笑顔で、あゆみはせつなに頷いて見せた。
「行きなさい、せっちゃん。お父さんもお母さんも、ここで精一杯応援してるわ。」
「お母さん・・・ありがとう!」

 涙声でやっとそれだけ言うせつなを、あゆみがしっかりと抱き締める。そして、同じように潤んだ瞳でせつなを見つめるラブを、もう片方の手で抱き寄せた。
「ラブも、しっかりね。お友達を助けて、必ずみんなで帰ってらっしゃい。」
「うん、任せといて!」
 ラブは、あゆみの腕の中で、明るく声を張り上げる。

「二人とも、気を付けて行くんだぞ。」
 圭太郎があゆみの後ろから、右手をラブの、左手をせつなの肩に置いて、深く静かな声で言った。
「はい!!」
 娘たちが声を揃えて返事をするのを聞いて、あゆみと圭太郎がそっと手を離す。
 きりりと表情を引き締め、外に飛び出す二人の後ろ姿を、父と母は、祈りを込めて見守った。


   ☆


 表通りに出てみると、商店街はもうどの店もシャッターを下ろしていた。闇に慣れない目に、夜の街がなお一層ガランと寂しげに感じられる。
「せつな、こっち!」
「ええ、わかってる!」
 ささやき合いながら、住宅街の方に向かって駆け出そうとする二人。と、その時、不意に横合いから、一筋の眩しい光の線が走った。続いて光を追うようにして、大きな影が現れ、二人の行く手を遮る。
 色まではよく分からないが、見慣れた形の大きな車。そして、その窓から二人に手を振っていたのは――。
「美希たん!ブッキー!それに・・・カオルちゃん!」
 思わず叫んだラブに、車の中の三人が揃って人差し指を唇に当てた。

 いつもはドーナツ・スタンドになっているはずの後部座席に座った祈里がドアを開け、カオルちゃんが運転席からこちらを振り返る。
「乗りな、お嬢ちゃんたち。」
「カオルちゃん、ありがとう!でも・・・どうして?」
「話は後。急いでるんだろ?」
「はい。助かります!」
 ラブとせつなが急いで祈里の隣りに乗り込む。美希と祈里も、ラブとせつなから電話をもらって駆け出したところで、車に乗せてもらったらしい。
 カオルちゃんは、夜なのに相変わらずのサングラスを押し上げ、いつもののんびりとした口調で言った。
「それじゃ、ちょーっと飛ばすから、しっかり捕まっててね~。」
 次の瞬間、夜の四つ葉町商店街を、音速のドーナツ・ワゴンが駆け抜けた――。


   ☆


 その頃、御子柴邸では、健人が屋敷の長い廊下を歩いていた。思い詰めたような、何か意を決したような、そんな顔つきだ。
 普段はほとんど使われない、裏庭へと通じるドアを開け、人目を気にしながら外に出る。
 小さな星が夜空に瞬いて、そんな健人を見下ろしている。が、健人は懐中電灯の淡い光を頼りに足元ばかりを気にしながら、ただ一人、ある場所を目指して進んでいた。


~第8話・終~



最終更新:2014年06月15日 00:40