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地下に眠るもの




 足音を立てないように、薄暗い廊下を歩く。
 自分の家なのに、こんなに気を遣うのはおかしいのかも知れない。でも、こんなところを誰かに見られて、心配そうな顔なんてされたくはない。

 広い屋敷を取り仕切ってくれる執事さん。家事をこなしてくれる何人もの家政婦さん。全員の食事を作ってくれるコックさん――忙しい両親に代わって、僕の日常を支えてくれている人たち。
 以前はその穏やかな笑顔を目にすると、ああ、この人たちも僕の家族なんだなって、何だか安心できたのに。

「お帰りなさいませ、坊っちゃん。お帰りが遅いので心配していました。」
「お夕食の準備が出来ていますよ。まずは手洗いとうがい、それにお着替えを。」
 今日、成果があるはずのない怪物探索から、夕食の時間に少し遅れて戻った時も、口々にかけられる声にただ頷いて、誰とも目を合わせずに部屋に入った。みんなの表情の奥に見える、その本当の気持ちを見ないで済むように。

――夕食の時間は分かっているのに、遅れるなら一言連絡すればいいものを・・・。
――連休中、毎日毎日、どこをほっつき歩いているのかしら・・・。

――こんな頼りない跡取りで、御子柴財閥は大丈夫なんだろうか。

 柔らかな表情に隠された、こんな硬く冷たい刃物のような本音に、僕はいつ気付いてしまったんだろう。
 ごく最近のような気もするし、しばらく前のような気もする。でも、いずれにせよその切っ掛けは、きっと半年前のあの出来事――両親が僕を鍛えるために企画した、船上パーティーだ。

 始まって一時間もしないうちに、ラビリンスに襲われて船が暴走し、そのままお開きとなってしまった、あのパーティー。
 プリキュアのお蔭で、大事なゲストは誰一人傷付けずに済んだし、乗っ取られていたプリンセス号も、元に戻った。
 でもあの後、主催である御子柴グループの対応に問題は無かったのかと、一部のマスコミから声が上がった。あんな大がかりなパーティーの責任者が、たかが中学生の僕だったことを、非難するような記事もあった。
 家族や友人は、そんな僕を気遣う言葉をかけてくれた。あんな状況では、大の大人だって何も出来なかったはずだ、って。でも――僕がもっとしっかりしていれば、あんな記事を書かれずに済んだのかもしれない。

 悔しさと恥ずかしさと、情けなさ。そのもやもやとした思いには、これからもっともっと頑張ろうと誓ったあの日の気持ちを思い出すことで、自分なりに決着を付けたはずだった。
 それなのに――。

(みんな本当は、僕が御子柴家の跡取りで大丈夫なのか、心の中では心配したり呆れたりしていたんだ・・・。もっとしっかりして、僕が将来御子柴グループのトップに立っても安心だって、みんなに思わせなくちゃ。)

 平和が戻り、もうプリキュアも居なくなったこの町に、再び怪物が現れたと知った時、何とかしなくちゃ、という気持ちの奥に、正直、チャンスだという気持ちもあった。
 他でもないこの僕が、その怪物から町の人々を守ることが出来たら、きっとみんな、僕を認めてくれるだろう――そう思ったから。

 御子柴グループの後継者という特権を、自分からこんなに積極的に使ったのは初めてだったかもしれない。
 警備員さんたちを集め、一緒に町をパトロールした。もしも怪物が現れたら、町の人たちを守って速やかに避難させられるように。
 御子柴家・地下秘密研究室のリーダーに、プリキュアの技じゃなくても怪物を倒せる方法が無いか、研究してもらえるようにお願いもした。

 大輔君と裕喜君は、自分たちも一緒に怪物を探したいと言ったけど、僕は断った。
 これは、御子柴家の力を駆使するからこそ出来ること。一般家庭の中学生にはそもそも出来ることじゃないし、危険を伴うことでもある。
 それに――これまでずっと心からの友達だと思っていた彼らもまた、僕のことを引っ込み思案のお坊ちゃん育ちだって、心の中ではバカにしているのが分かったから。
 だから、声が震えそうになるのを我慢して、ここは一歩も引かなかった。二人とも、そんな僕に怒ったり驚いたりしたけれど、やがて諦めたように去っていった。
 僕が大人しいばかりの男じゃないっていうことが、二人にもよくわかったはずだ――追いかけたい気持ちを抑えて、僕はそう自分に言い聞かせた。

 こうして怪物が現れてから三日が過ぎて、何だか雲行きがおかしくなったのは、昨日のこと。
 怪物を生み出す元になるダイヤが、もしかしたら僕の家にあるかもしれない――そう桃園さんに言われたときは、自分の耳を疑った。
 そして、本当にダイヤを見つけてしまった時は、夢であってくれと、思わず神に祈ってしまった。

 呆然と立ち尽くす僕に、囁く声。
 こんな大々的に探索団を組織しておいて、よりにもよって御子柴家にダイヤがあったなんて言ったら、自ら笑いものになるようなものだ。そんな愚かなことをするよりも、ここはダイヤなんか無かったことにして、密かに処分してしまえば――。
 一度はその声に頷いて、僕は桃園さんたちに嘘をついた。自分でも驚くくらい、堂々と大胆に。彼女たちが、僕の言葉に疑念を抱きながらも、疑う根拠が見つけられずにいることが、僕には彼女たちの顔を見ていればわかったから。
 だけど――。

(いいのか?みんなはごまかせても、自分をごまかすことは出来ないぞ。)
(御子柴グループの大きな力を、自分のためだけに使うなんて・・・それが本当に、後継者のするべきことなのか?)
(もっとしっかり頑張るって、そういうことなのか?)

 自問自答を繰り返し、ついに心を決めて、僕はまたあの場所を目指して歩き出した。
 もしかしたら、僕は疲れていたのかもしれない。
 本音と建て前――嘘の気持ちと本当の心。常にその二つを目にし、その違いに振り回されてばかりの毎日に。
 そして、今度は他でもない僕自身が、嘘で真実を取り繕おうとしているという現実に。

 暗闇をぼんやりと照らす、懐中電灯の頼りない灯り。
 そのわずかな光にすがるようにして、僕はとぼとぼと歩き続けた。



   イエローハートの証明 ( 第9話:地下に眠るもの )



 住宅街の一番奥まった場所。その広大な面積を占める、巨大な屋敷。
 夜目にも高くそびえる黒々とした鉄の門を、ただちらりと眺めただけで、ウエスターとサウラーは屋敷の横手に回った。

「潜入口はこっちかい?ウエスター。」
「ああ。でも潜入するのは、このデカい建物では無い。この敷地には、ダイヤを隠すのにもっと打って付けの場所があるんでな。」
 そう言えば、ウエスターは以前、この場所でプリキュアと戦ったことがあったはず。サウラーは、ふと思い出したその過去を口には出さず、黙ってウエスターの後に続く。

 やがて、ウエスターが立ち止まった。見上げる高い塀の内側には、二重になった並木が連なっていて、その並木に囲まれて、御子柴家の裏庭が――裏庭と呼ぶには広大過ぎる芝生が、一面に広がっている。
 目と目を見交わしたのを合図に、二人はそれぞれ、左右の拳を胸の真ん中で合わせ、それを前後に三回捻ってから、さっと開いた。その瞬間、二人の闘衣が一瞬だけ淡い光を発する。
 監視システム無効化プログラムの発動。この状態なら、ラビリンスが認識しているあらゆるタイプの監視システムを一切気にすることなく、目的地に潜入することが出来る。
 いかにも異世界に送り込まれる尖兵らしい機能――この世界ではまだ使ったことのなかった機能は、今でもまだ健在だった。

 二人はあっという間に塀を飛び越え、敷地の中に移動する。そのまま芝生の中央付近まで走ってから、ウエスターが不意に立ち止まり、自分の足元を指差した。
 サウラーが小さく頷いてベルトに手をやると、中空に光でできたキーボードが浮かび上がる。その端末を操作すると、ものの三十秒ほどで、地面の一部が音もなく動き始めた。
 まるで芝生が長方形に切り取られたかのようにすっぽりと地面に穴が開き、一台のエスカレーターと、その先に広がる地下の空間が出現する。そこはかつて、プリキュアたちが特訓を行った、御子柴家地下秘密特訓場だった。

「こんなところに、ダイヤがあるっていうのかい?」
 エスカレーターを駆け下り、数多くのトレーニングマシンが整然と並ぶスペースを一瞥して、サウラーがウエスターに問いかける。
 床も壁もメタリック・ブルーで、おまけに地下のせいか天井が低いので、何だかやけに暗く見える空間。だが、このトレーニングスペースの他に、身体能力のデータを解析するコンピュータ・ブースや、それぞれの訓練メニューに応じた特殊施設も完備され、思ったより格段に充実した施設のようだ。

(だが・・・特訓場という施設の目的を考えれば、ここは多くの人間が出入りする場所。ダイヤを隠すのに適しているとも思えないが・・・。)

 そんなサウラーの疑問とは裏腹に、ウエスターはあっけらかんと、こう言ってのけた。
「ここなら“秘密”と名がついているから、一部の人間しか知らないだろうし、何より地下にあるからな。お宝を隠すには地面の下、って昔から決まっているんだろう?」
「・・・何の昔話を聞いたのか知らないが、それを言うなら、地面の中・・・つまり、土の中だろう?
それに、こんなに多くのトレーニングマシンがあるということは、これだけの人数が訪れる機会もあるということじゃないか。名前ほどの秘密性があるとは思えないが。」

 呆れたように額に片手を当ててから、サウラーが気を取り直してコンピュータ・ブースの扉を開いた。ここならば、施設の全貌が見渡せるシステムが備わっているだろうと思ったからだ。
 サウラーが部屋のモニターに施設全図を表示し、各部屋の室内カメラとラビリンスの端末を繋げて、ダイヤの検知を試みる。その間に、ウエスターは建物中を駆け回って、自らの目と感覚を駆使してダイヤを探す。
 だが、結局この建物のどこからも、ダイヤの反応も、その姿も、見られはしなかった。

(まずい・・・。このままでは、時間が過ぎるばかりだ。ここは引き揚げて、屋敷の方を探索するべきか?)

 気持ちが焦っているせいか、サウラーの耳に、ウエスターの声が心なしかのんびりと響く。
「おい、サウラー。もう一度、ここの見取り図を見せてくれないか。」
「これかい?」
 サウラーが訝しげに頷いてモニターを操作すると、ウエスターは彼の隣りにやって来て、ぶつぶつと呟きながら、それを確認し始めた。

「えーっと、入って来たのがここだから、この部屋は・・・ここだよな?この、一番右端の部屋。」
「ああ、そうだ。」
「ふむ・・・これがこの施設の全見取り図だとすると、この部屋の右側には、何もないということになるな。」
「ああ、そうだよ。それが一体どうした?」
 少し苛立った口調のサウラーに、ウエスターは静かに壁の一角を指差す。
「だったら、どうしてあそこに扉がある?キャビネを置いて上手くカモフラージュしてあるが、あの壁の切れ目は不自然だ。扉じゃないのか?」
「・・・・・・!」
 サウラーは、一瞬目を見開いてから、おもむろにウエスターが指さした壁の方へと駆け寄った。ウエスターが渾身の力で金属製のキャビネをどけると、果たしてそこには、人一人が通れるような、小さな扉が現れた。


   ☆


「人間、何でも機械を通して見ることに慣れてしまうと、感覚が鈍るようだね。こんな簡単なことにも気付けないだなんて。」
「まあ、そう言うな。お前がこの施設の見取り図を出してくれなかったら、俺も気付けなかったことだ。」
 悔しそうに下唇を噛みしめるサウラーの肩をポンと叩いて、ウエスターが狭い通路へと歩を進める。扉の向こうにあったこの通路の先には、何の変哲も無さそうな、もう一つの扉があった。
 ガチャリとノブを回すと、扉は拍子抜けするほどあっけなく開いた。その先は真っ暗。ウエスターが、壁を探ってスイッチを見つけ出し、灯りを点ける。

 光の中に現れたのは、さっきの広大なトレーニングルームに比べれば、それほど広くは無い部屋。特訓場とは異なり、白を基調にしたその部屋の、向かって右側の一角には、コンピュータにモニターやキーボード、それに何かの計測器のようなものが、所狭しと置かれている。そして左側には、作業台とおぼしき長机が幾つか見えるのだが・・・その一番奥の机を見て、二人は息を呑んだ。

 最初に目に飛び込んできたのは、長机の上にずらりと並んだ、ガラスの筒のようなもの。そして、その中で浮遊したまま、自転するかのようにゆっくりと回っているのは――。

「・・・俺のダイヤかっ?でも、なぜこんなに沢山!?」
「まさか・・・複製したのか、あのダイヤを!」
 ウエスターとサウラーが、呆然とした表情で呟いてから、ゆっくりとテーブルに近付く。
 近くでよく見ると、ダイヤはひとつひとつ、その色も形も大きさも少しずつ違っていることがわかった。

「なるほど、このダイヤは俺のものでは無いな・・・。ん?だが待てよ。俺のダイヤもどこかに混じっているようだぞ。かすかに気を感じる。」
「どうやら、本物はラビリンス製のガラス容器に封入されているようだ。おそらく、不幸のゲージと同じ材質のガラスだろう。複製品の方は、もしかしたらガラスも複製かもしれないな。
道理で異世界からの感知が難しかったはずだ。こんなに近くに居ながら、やっと気配が感じられる程度なんだからね。」
 サウラーの言葉に、ウエスターが苦い顔で頷く。

 強大な不幸のエネルギーを長期間閉じ込め、しかも近くに居る人間に何の影響も与えずに保持できる――そんな、物体のみならずその力までも遮蔽する、ラビリンス製の特殊ガラス。
 ノーザが、ウエスターから受け取ったダイヤをこのガラスに入れて渡したのは、受け手である御子柴家の人間に害が及ばないようにという配慮だったのか、それとも別の目的があったのか――その真意は、今となってはわかりようが無い。

「しかし困ったな。この前のナケワメーケが複製品から生まれたのだとすると、これ全部始末しなければならないってことになるが・・・」

(でも、一体どうやって。複製品には、俺のコントロールは効かないだろう。)

 ウエスターが言葉を切って、難しい顔で考え込んだ、その時。

「誰ですか?・・・そこに、誰か居るんですか!?」
 不意に、部屋の外から押し殺したような声が聞こえた。それと同時に、二人が入って来たドアとは反対側の壁全体が、まるでシャッターのようにゆっくりと上がり始める。
 素早く元来たドアまで戻る二人。だが、どうやらこのドアは内側からは開かない設計になっているらしかった。
 ドアをぶち破る時間も、ロックを解除する時間も無い。
 二人は咄嗟にその場で跳躍すると、忍者よろしく天井近くに張り付いて、身を隠した。


   ☆


 その頃。
 カオルちゃんのドーナツ・ワゴンから降りたラブたち四人は、お礼を言うが早いか、一斉に御子柴家の門に駆け寄った。
 住宅街のしーんと静まり返った、真夜中さながらの気配に一瞬ためらってから、ラブが意を決してブザーを押す。
 しばらくして、どちら様でしょうか、という不審そうな声が、インターフォンから聞こえた。

「夜遅くにごめんなさい。あたし、健人君の同級生の桃園ラブです。友達が三人一緒です。あの・・・健人君、居ますか?」
「夜分にすみません。今日中に、どうしても健人君に会わなくちゃならない用事があるんです。」
「非常識な時間なのはわかっています。でも、どうしても今日じゃなくちゃいけないんです。」
「お願いです。健人君に会わせて下さい。」

「・・・わかりました。どうぞ、お入り下さい。」

 四人の必死の頼みに気圧されたように、重々しい音を立てて門が開く。それを待ちかねて、四人は玄関までの長い道を一気に駆け抜けた。
 だが、辿り着いた御子柴家の様子は、何だか妙にざわざわしていた。

「申し訳ありません。坊っちゃんが、お部屋にいらっしゃらなくて。今日はお夕食の後は、お出かけになっていないはずなんですが・・・。」
 玄関を開けてくれた家政婦さんらしき女性が、四人に上がるように促しながら、心配そうな顔をする。
 屋敷の中は、何人もが行ったり来たりしていて、時折「坊ちゃま~!」「健人坊っちゃ~ん!」と、健人を呼ぶ声がしている。

 一瞬、ラブの脳裏に、昼間喫茶店で会った時の健人の顔が浮かんだ。堂々としている素振りながら、何だか落ち着きがなく、そしてどこか寂しそうに見えた、あの顔が。
 次の瞬間、ラブは家政婦さんに向かって、きっぱりとこう言い切っていた。

「あたしたちも、一緒に探します!」
「い、いえ、お客様方は、こちらでお待ちになって・・・」
「健人く~ん!健人君、どこに居るの~!?」
 驚く家政婦さんの言葉を遮って、ラブが声を張り上げる。
「ちょっと、ラブ!」
 慌てて止めようとした美希は、隣りをすり抜けて前に出た二人が同じように声を張り上げるのを見て、唖然とした。

「健人君!居たら返事をして。」
「私たち、あなたに伝えたいことがあって来たの。だから、お願い!」
「もう・・・。みんな、そんな大声出したら近所迷惑・・・って、こんな大きなお屋敷じゃ、そういう心配は要らないか。」
 美希が、諦めたようにふぅっとため息をついて、自分も声を上げようと、今度はすぅっと息を吸い込んだ、その時。
「あれ・・・おい、誰だ?裏口の戸締りを忘れてるぞ!」
 屋敷に響いた怒声に、四人はハッとしたように顔を上げた。

「すみません!その裏口って、どこですかっ?」
 ラブが、声が聞こえた方へと走りながら、相変わらず大声で問いかける。
「あ・・・ああ、このドアなんですが・・・」
「そのドアを出ると、どこに出られるんですか?」
「いや、どこと言われましても・・・」
「ちょっと失礼します!」

 ラブが勢いよくドアを開けると、ひんやりとした夜の空気と一緒に、草の匂いが流れ込んだ。そこには黒々とした二重の並木と、今は闇に沈んだ広い芝生が広がっていたのだ。
「え?ここって、あの地下特訓場があった裏庭じゃ・・・あ、せつな!」
 記憶を辿るラブの隣りから、せつなが外に飛び出し、一目散に走り出した。ラブ、祈里、そして美希が、慌ててその後を追う。
「お客様~!困りますよ、スリッパのままで外に出られては!」
 後ろから、慌てたような声がかかる。が、全速力で走る四人の耳には、もうその声は届かなかった。


   ☆


 地下秘密特訓場から狭い通路で繋がった、研究室のようなスペース。その壁の一枚がシャッターのように開くと、そこには小柄な一人の中年男が立っていた。
「あれ?誰も居ないんですか?確かにこの部屋から、声が聞こえたんですが・・・。」
 そう言って、男は辺りを見回しながら部屋の中へ入って来る。
 彼の後ろに広がっている空間は、どうやらここと同じくらいの大きさの部屋のようだった。壁で研究室を二つに区切って使えるような、可動式の作りなのかもしれない。

「アラームが鳴った形跡は無い。監視カメラにも、何も映っていない、か。おかしいな。やっぱり気のせいか?」
 男は、天井近くに潜んでいる二人にはまるで気付かぬまま、素早くモニターをチェックし、しばらく部屋を見回してから、どこかに電話を掛け始めた。
「ああ、私だ。秘密地下研究室で、何か話し声のようなものが聞こえたんだ。念のため、特訓場の方に異常がないか調べてくれるか?」

 電話の最中も落ち着きのない様子であちこちに目を配る男を見ながら、サウラーは秘かにため息をつく。
 闘衣に仕組まれた機能のお蔭で、セキュリティに引っ掛かってはいないが、コンピュータ・ブースの中を調べられたら、キャビネの位置が違っているのがすぐにバレてしまう。

(こういうとき、相手を倒して引き上げるという手段が使えないのは、意外と面倒だね。)

 心の中でそんなことを呟きながら、どうにかしてダイヤを持ち出せる手段がないかと思いを巡らす。すると、案の定。
「なにっ、キャビネが!?どういうことだ。セキュリティ・システムの故障かっ?」
 男が電話口に向かって叫び、机をガンと拳で叩く。すると、それが合図だったかのように、もう一つの声が聞こえた。

「あの・・・博士、居ますか?昨日のことで、ちょっと話があるんですけど。」
 その声は、男が入って来た方の部屋の外から、遠慮深げな調子で掛けられた。


   ☆


 芝生の上をひた走ってきたせつなは、目当ての秘密地下特訓場の入り口とは別の場所から、にわかに灯りが漏れたのを見て、足を止めた。
 特訓場の入り口と同じく、広い芝生の一角。しかし、漏れている光の強さから考えて、特訓場のような大掛かりな入り口では無いらしい。おそらく狭い階段か、小さなエレベーターが隠されているのだろう。
 その秘密の入り口を、今まさに使っている人物。それは、この屋敷をよく知らないウエスターとサウラーよりも、行方不明の健人である可能性の方が、ずっと高いと思われた。

「みんな、あっちの入り口に誰か居るわ。きっと健人君よ!」
 後ろに続く仲間たちに声をかけて、急いで方向転換する。辿り着いた入り口は、思った通り、梯子のように狭くて急な階段で、特訓場と同じ深さまで延びているようだった。
 仲間たちと小さく頷き合って、そっと階段を下り始める。下りたところは狭く短い通路になっていて、突き当りに小さなドアがあった。
 四人揃うのを待って、静かに通路を進む。すると突然、ドアの向こうから、大きな男の声が聞こえた。

「坊っちゃん!どうしてまたこんなところにいらしたんですか?」
「あ!せつな凄いね。健人君、ここに居たよ!」
 ラブが、パッと表情を明るくして、ドアのノブに手を掛ける。その瞬間、せつなはドアの向こうに、かすかな気配を感じた。
「ラブ、もしかしたら、ウエスターとサウラーもこの部屋に・・・」
 しかし、せつなのその言葉は、ラブがドアを開く音で掻き消された。

 部屋の中に居た二人が、驚いた顔でこちらを振り返る。一人は健人。そしてもう一人は、小柄な中年の男性だ。

(あれ?この人、どこかで見たことがあるような・・・)

 その男性を見て祈里がそう思った時、健人に駆け寄ろうとしたラブが、不意に足を止めた。

「・・・健人君。」
 ラブの目が、二人が居る場所のさらに奥の部屋――ウエスターとサウラーが潜んでいる部屋の一角を、ひたと見据えている。つられてそちらに目をやった三人も、思わず、あっと声を上げた。
「ねえ、この部屋にあるのって・・・」
 ラブが震える声で呟く。
 そこにあったのは、四人の想像を遥かに超える数の黄色いダイヤが、今は沈黙を守って、ガラスの入れ物の中で静かに眠っている光景だった。

「いや・・・ち、違うんです。桃園さん、僕は・・・」
 しどろもどろになる健人に、彼の隣りに立つ男が追い打ちをかける。
「坊っちゃん・・・まさか、お友達にダイヤのことを?」
「違います!僕は、そんな・・・」
「ねえ、健人君。あのダイヤって、全部ラビリンスのものなの?あんなに沢山?」
「いえ、それは・・・」
「あのナケワメーケは、ここにあったダイヤから生まれたものなのね?」
「蒼乃さん・・・。いえ、あの、それは・・・」
「そうか!お友達をここに連れてきたのも、坊っちゃんですね?」
「違います、博士!」
「いや、そうに決まってる。こんな場所、自力で来られるはずがないんだ!」

「違う・・・違う・・・違ーーーうっ!!」

 わなわなと震えていた健人が、普段からは想像できないような大声を上げて、激しくかぶりを振る。
 その瞬間。

(・・・・・・!何?この感じ。)

 せつなが反射的に、ラブと男の手を掴んで、力任せに引っ張った。
 幼い頃から培われた戦士の本能か、背中にゾクリと寒気が走るような正体不明の危険を察知して、咄嗟に身体が動いたのだ。
 しかし、それと同時に訪れた事態には、さすがのせつなも、ただ驚くよりほかは無かった。

「うわぁぁぁっ!!」

 部屋の中に、突如巻き起こった竜巻。それは健人の身体を包み、研究室の天井を突き破って、激しく吹き上がったのだ!

「なっ・・・何!?」
「え・・・まさか、これって!」
 美希と祈里が、信じられないといった表情で、目の前の異変を見つめる。
「健人君!」
「坊っちゃん!」
 今にも飛び出しそうなラブと男を、せつなが必死で引き留める。

 やがて竜巻が収まった後、そこにはさらに信じられない光景が広がっていた。

 破れた天井から外に飛び出しそうな、鈍いグレーに光る巨大な頭。ひょろりとした長い手足も胴も、やはりメタリックな鈍い輝きを放っている。
 顔の真ん中には、黄色いダイヤを貼り付けた巨大な黒縁眼鏡。その奥で、吊り上がった二つの目が、ギラギラと邪悪に赤く燃えている――。

「ナケワメーケ!」

 呆然とする五人――いや、反対側からこの光景を見ている二人も加えた七人の目の前で、その怪物は、何とも哀しそうな雄叫びを上げた。

~第9話・終~



最終更新:2014年07月22日 01:06