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不幸の中へ




 御子柴邸の広大な裏庭の地下に造られた、秘密研究施設。その天井の一部が轟音と共に吹き飛んで、部屋の中にとんでもないものが姿を現した。
 鈍いグレーに光る巨大な頭と、ひょろりと長い手足。黄色いダイヤを貼り付けた黒縁眼鏡の奥で、邪悪に燃える二つの赤い眼――。
「ナケワメーケ!」
 突如現れた怪物の姿を目にして最初に動いたのは、さっき健人に博士と呼ばれた男だった。

「これは・・・行方不明になっていた、サンプルNo.10かっ!一体、いつのまに坊っちゃんに・・・。待っていて下さい、坊っちゃん。すぐに助けますからね!」
 震える声でそう呟くと、博士は上着のポケットからリモコンのようなものを取り出した。二歩、三歩、ふらふらと歩を進めながら、その先端を目の前の異形へと向ける。と、そこへ、甲高い少女の叫び声が響いた。

「待って!何をするつもりなんですかっ?」
「ボクヲ バカニスル ナ~ケワメ~ケ!」
 少女の声に振り向こうとした途端、大音量の雄叫びが降ってきて、博士がビクリと首をすくめる。が、不幸中の幸いと言うべきか、ナケワメーケは体を伸ばした拍子に、天井に開いた穴に頭がすっぽりとはまってしまって、身動きが取れずにいた。やみくもに長い手足を振り回してはいるものの、その動きは全てむなしく空を切っている。
 消滅させるなら今のうち。だが、ぐずぐずしては居られない。強大な力で天井をさらに破壊されるのも、時間の問題だろう――驚きと焦りでパニックになりそうな頭の片隅で、妙に冷静にそんなことを考えながら、博士はやっと少女を振り返った。

「いっ・・・一体、何をするつもりなんですか!?」
 少女――祈里が緊張の面持ちながら、博士に向かって精一杯の声を張り上げる。
 その隣りにはせつなが並び、せつなの隣りにラブが、祈里のもう片方の隣りに美希が立って、彼と向かい合う。
 四人の少女の真剣な表情――しかも、こんな怪物を目の前にしているというのに、やけに落ち着いたその態度に、一瞬面喰った顔をしてから、博士は早口で言った。

「何って、坊っちゃんを元に戻すんだ。坊っちゃんを化け物にした、あのダイヤ型の”核”に仕込んだ自動消滅プログラムを作動させるんだよ。」
「自動・・・消滅プログラム?」
 怪訝そうに問いかけるラブに、博士はチラチラとナケワメーケに目を走らせながら、小さく頷いて見せる。
「ああ。最後の手段だが、背に腹は代えられない。だから、君たちは早く逃げなさい。」
「でも・・・!」
 祈里がそう言いかけて、言葉を探すように視線を泳がせる。そんな祈里の肩にそっと手を置いてから、今度は美希が博士と目を合わせた。

「そのプログラムって、もしかして大きなハート型の光で怪物を包み込んで浄化・・・えっと、消滅させるんですか?この前みたいに。」
「え・・・そうか。君たち、No.9の・・・あの空き地で暴れていた怪物を見たんだね?」
「はい。」
 美希のはっきりとした返答に、博士は合点がいった様子で――そして同時に、観念した様子で、小さく頷いた。
「そうだ。あの”核”には、もしものときのために、プリキュアの・・・こういう怪物を倒すプリキュアの技を手本に作ったプログラムが埋め込んであるんだ。」
「違う!あれはプリキュアの技とは違います。」
 博士の言葉に、祈里がいつになく激しくかぶりを振る。そして意を決したように、今日も左手にだけ付けていた手術用の手袋を脱ぎ捨て、絆創膏を取ると、まだ生々しい中指の傷を、彼の目の前にかざした。



   イエローハートの証明 ( 第10話:不幸の中へ )



「え・・・その傷が、どうしたっていうんだ?」
 博士が、もう一度チラリとナケワメーケの様子を確認してから、少々苛立たしげに問いかける。一刻も早く、このリモコンのスイッチを押したいのに――言葉に出さなくても、態度から彼の気持ちは痛いほどに伝わる。が、祈里は自分を励まし、真っ直ぐに彼を見つめて口を開いた。
「これは、あの空地に現れた怪物が消えた後に残った、香水瓶の欠片で切った傷です。瓶は真っ二つに割れて、怪物じゃなくなってからも、凄く嫌な臭いがしてました。
あれは浄化なんかじゃない。プリキュアの技なら、あんな状態にはなりません。」
 祈里の話の内容とその真剣な表情に、博士の視線が揺らいだ。
「し・・・しかし、プログラムの発動により、怪物は消えたはずだ!」
「怪物が消えただけじゃダメなんです。それだけじゃ、ダイヤが持っている不幸の力は、消えないんです!」
「不幸の力?力そのものに、幸も不幸もあるものか。じゃあ他に手があるのか?坊っちゃんを元に戻す方法が!」
「それは・・・」
 祈里が泣きそうな顔で言葉に詰まる。するとその時、二人の会話の間、じっとナケワメーケを見つめていたせつなが、静かに声を上げた。

「ねえ、みんな見て。ほら、あそこ!」
 せつなが指さしたのは、相変わらずじたばたと両手を振り回しているナケワメーケの、ちょうど顔のあたり。グレーの球体のような頭部の中に、ぼんやりと黒っぽい影のようなものがあるのが、ひび割れて残った天井越しに見える。さらに目を凝らしてよく見ると、それはちょうど耳を塞いでうずくまったような格好の、ひょろりと手足の長い人影に見えて――。
「あれって・・・健人君!?」
「じゃあ、健人君はナケワメーケになったんじゃなくて、あそこに捕らわれているの?」
「ってことは、このナケワメーケって・・・。」
 口々に驚きの声を上げる仲間たちの隣りで、せつなが再び口を開いた。
「健人君、眼鏡をかけていないわ!」
「えっ、せつな、ホント?って、そんなとこまで見えないよ。」
「でも、そうだとすると、このナケワメーケの正体は・・・」
「健人君の、眼鏡・・・。」
 祈里がそう呟いた、その瞬間。

「シンパイソウナ カオナンカ スル ナ~ケワメーケ!」
 それに答えるかのように、ナケワメーケが再び咆哮を上げた。それと同時に、ドーンという衝撃音が辺りに響く。
 ナケワメーケが下から両腕を突き上げて、天井をさらに破壊したのだ。自由を取り戻した巨体は、見る間にさらに一回り大きくなって、体をかがめて五人をのぞき込むようにしながら、のそりと一歩近付いてきた。

「危ない!」
 さっきまで、あっけにとられて四人の会話を聞いていた博士が我に返り、少女たちを下がらせようと両手を広げた。その弾みで、博士の手からリモコンがするりと滑り落ちる。
 リモコンは一度小さくバウンドしてから、床の上をすーっと滑って、あろうことか、ナケワメーケの足下で止まった。その上に、怪物が無造作に鉛色の足を振り上げる――。
「や・・・やめろーっ!」
 カシャリ。
 博士の叫びもむなしく、ナケワメーケの足の下から頼りないほど軽い音をして、リモコンはあっけなくただの残骸と化した。

 博士の膝が、ガクンと崩れ落ちる。怪物の方は、もう足の下の異物になどまるで興味を示さず、再び目の前の人間たちに向けて、その赤い瞳をギラリと光らせた。
 いち早くせつなが、続いてラブ、美希、祈里が、座り込んでしまった博士の体を抱えるようにして、怪物から距離を取ろうとする。が、それと同時に、ナケワメーケの大きな拳が五人に迫る!

 博士を庇いながら、思わずギュッと目をつぶるラブと祈里。反射的に腕で衝撃を防ごうとする美希とせつな。
 だが、恐れていた瞬間は訪れなかった。

「ダブル・ラビリンス・キーーーック!!」

 叫び声と共に再び聞こえる、ドーンという衝撃音。恐る恐る目を開けた彼女たちは、次の瞬間、パッとその顔を輝かせた。

 盛大にひびの入った壁にもたれかかるように、倒れている巨体。そして、その前に颯爽と立ちはだかる、二つの白い影――。
「よぉ。遅れてスマン。」
「全く・・・。あまり無茶しないでくれよ。」
 起き上がろうともがくナケワメーケに油断無く身構えながら、ウエスターとサウラーは、一瞬だけ彼女たちを振り返り、肩越しに小さく微笑んだ。


   ☆


「き、君たちは、一体どこから・・・」
 博士が起き上がるのも忘れて、突然現れた男たちに目を白黒させる。
「そうか!さっき聞こえた声は、君たちの・・・」
 そう言いかけて、博士はハッとした様子で身を起こすと、机の上に置いてあったもう一つのリモコン――さっき彼が部屋を開けたときのリモコンを操作して、元通り、隣りの部屋との間に壁を作った。その行動を見て、せつなは一瞬、背中にヒヤリと冷たいものを感じた。
 仲間たちは皆、目の前のナケワメーケに気を取られているが、隣りの部屋にはまだ大量のダイヤが眠っているのだ。

(もし、ナケワメーケがダイヤの容器を壊すようなことがあったら、大変なことに――。この人が気付いてくれて良かった。)

 せつながそんなことを思っている間に、軽い調子で博士に答えを返したのは、ウエスターだった。
「脅かして悪かった。が、その話はまた後だ。まずはさっさとダイヤを外して、こいつの始末を付けなきゃならんからな。」
 そう言いながら、ゆっくりとナケワメーケに近付くウエスターに、サウラーが怪訝そうな声で問いかける。
「だが、ウエスター。このナケワメーケには、君のコントロールは効かないんじゃないのかい?」
「ああ、そうだろうな。」
「だったら・・・一体どうするつもりなんだ?」
 尋ねながら、何となく嫌な予感を覚えたサウラーは、ウエスターが両手の指をボキボキと鳴らすのを見て、その予感が的中したことを知った。
「そんなの決まってるじゃないか。力ずくでダイヤを引き剥がす!サウラー、おまえはこいつを、しっかりと押さえていてくれ。」
「はいはい。僕が押さえ込めるような大きさじゃないが・・・仕方ない、何とかするさ。」
 サウラーが、やれやれ、とため息をつきながら、ウエスターの後に続く。すると、その傍らをすり抜けて、少女たちがナケワメーケに駆け寄った。

「健人君!」
「健人君、聞こえるっ?」
「こっちを見て、健人君!」
「お願い!」
 横倒しになったナケワメーケの顔の部分に向かって呼びかける四人に、今度はウエスターが呆れた顔をする。
「お前たち、どこまで危ない目に遭えば気が済むんだ・・・。まあいい。すぐにこいつを解放するから、待っていてくれ。」
 言うが早いか、とぉっ!と跳躍し、横倒しになったナケワメーケの上に着地する。そして巨大な黒縁眼鏡に貼り付いている黄色いダイヤに、おもむろに手を掛けた。

「・・・っつ!!」
 ダイヤに触れた瞬間、触れた部分にバチバチと電光が走り、ウエスターの顔が苦痛に歪む。それでもウエスターはダイヤから手を離さず、渾身の力を込めてそれを引き剥がそうとする。だが、その途端。
「うっ、うわぁぁぁっ!」
 健人がナケワメーケの中で、世にも苦しそうな呻き声を上げた。ナケワメーケが横倒しになったせいで、彼も横たわった格好で、眉間の辺りを両手で押さえ、激しく頭を振っている。
「ウエスター、ダメ!ダイヤを剥がそうとすると、健人君が苦しむみたいだわ!」
 せつながウエスターを見上げて、鋭い声で叫ぶ。
「ええい、一瞬のことだ、我慢しろ!」
「無茶言うな!彼は、生身の、人間だ、ぞ!」
 起き上がろうともがく怪物の一挙手一投足を、小刻みな攻撃で全て無効化する――そんな神業と呼べるような動きをしながら、サウラーも途切れ途切れに声を張る。
「くそぉ・・・なら、どうすればいいんだ!」

 ウエスターが、悔しそうにダイヤから手を放した。電光が収まり、健人は気を失ったように、両手をだらりと下ろす。
「健人君!健人君、しっかりして!」
 ついにラブがナケワメーケの傍らに駆け寄って、その表面――ちょうど顔の横に当たる部分に手を当てた。意外と硬く弾力のあるその表面を、どんどんと拳で叩いて呼びかける。せつな、美希、祈里もそれに続き、口々に健人の名を叫んだ。
「ナケっ!?」
 四人の方を振り向こうとするナケワメーケの顔面に、ウエスターが素早く右ストレートをお見舞いする。すると、中に居る健人が一瞬顔をしかめてから、ぼんやりと目を開いた。

「健人君!」
 祈里が、ナケワメーケの表面に当てた手に、思わず力を込める。すると。

(・・・えっ!?)

 左手の中指が、ナケワメーケの体の中にズブリとめり込んだ。
 右手の感触とは明らかに違い、まるで寒天か何かに手を突っ込んだかのように、わずかな抵抗しか感じない。そのまま力を入れると、なんと中指に続くように、左手が手首までナケワメーケの中に埋まってしまった。

(もしかして・・・このまま中に入れる!?)

 そう思った途端、身体がぶるっと震えた。
 ナケワメーケの中に入る――それも、取り込まれた健人があんなに苦しんでいる、その只中に入っていく。それが恐ろしくないわけがない。でも――。

(自分を信じて――。)

 プリキュアになったときから、ずっと唱え続けてきた、もはや祈里にとっておまじないのような言葉を、もう一度胸の中で呟く。

 次の瞬間、祈里は大きく息を吸い込んで、左手を一気に前へと突き出した。
 ゆっくりと、祈里の体がナケワメーケの中に入っていく。完全に半身になって、肩と左足までのめり込ませたとき、驚愕の表情で自分を見つめるせつなの姿が目に入った。
 祈里は、悪戯っ子のように肩をすくめて、口を開いた。
「せつなちゃん、ラブちゃん、美希ちゃん。わたし、健人君を連れに行ってくるね。」

「え・・・ブッキー、何言ってるの・・・って!何やってるの!?」
「ちょっと!どうやってナケワメーケに入れたのよ!?」
 大きく目を見開くラブと美希の向こう側から、せつなが飛んできて、祈里の右手を掴む。
「ダメよ、ブッキー。そんな危険なこと、させられないわ!」
 しかし、祈里はニコリと笑うと、ゆっくりとかぶりを振った。
「わたしね、せつなちゃん。健人君を助けるなんて、そんなことは出来ないけど、ここから連れ出すことなら、ひょっとしたら出来るかもしれないって気がするの。せつなちゃんが、わたしを部屋から連れ出してくれたみたいに。」
「ブッキー!」
「大丈夫よ。わたしはもう、不幸に飲み込まれたりしないわ。これはきっと、わたしにしか出来ないこと。それに、わたしには仲間が・・・みんなが居るもの。だから、ここで応援してて。お願い。」
 穏やかにそう言うと、祈里は再び大きく息を吸い込んで、するりとナケワメーケの中に消えた。祈里の手を握りしめていたはずのせつなの手が、むなしくナケワメーケの側頭部にぶつかる。

「ブッキー!一人で行っちゃダメだよぉ!」
「ちょっと待ちなさいよっ・・・アイタ!」
 祈里に続こうとナケワメーケに突進したラブと美希が、弾力のある壁に跳ね返されて尻餅をついた。
「おい!何があったんだ!」
 ナケワメーケの上から、ウエスターが叫ぶ。が、それに答える者は誰も居なかった。
 呆然と見守る仲間たちの目の前で、祈里の後ろ姿は暗いグレーの霧の中を、少しずつ遠ざかって行った。


   ☆


 辺り一面灰色に濁った空間の中で、健人はぼんやりと目を開いた。
 少しの間、気を失っていたらしい。さっき、ちょうど目と目の間あたりに凄まじい痛みが走ったのを覚えているから、そのせいかもしれない。
 が、痛みのお蔭か、健人はようやく自分を取り戻して、少しは周りを見る余裕が出て来ていた。

(ここは・・・どこだ?)

 右も左も上も下も、どんよりと重い空気のようなものに覆われている。体の感覚が戻って来たらしく、自分が横になっていることに気付き、健人はゆっくりと体を起こした。

(僕は、どうしてこんなところに・・・確か、博士にダイヤのことを隠すのはもう嫌だと言いに行って・・・でも、そこに何故か桃園さんたちが来て、ダイヤを見られてしまったんだ・・・。)

 思い出した事実に、心がギュッと固く冷たく縮こまっていくような気がして、はぁっと小さく溜息をつく。そのとき不意に、どこからか小さな声が聞こえた。

「・・・とくん・・・健人君!」
「その声は・・・山吹さん?」
 久しぶりに、外に向かって言葉を発したような気がした。しばらくキョロキョロと辺りを見回して、ようやくこちらにゆっくりと近付いて来るぼんやりとした影を見つける。
 もっとよく見ようと、いつものように眼鏡を押し上げようとして、健人は初めて自分が眼鏡を掛けていないことに気付き、愕然とした。
 こんなことに気付かないなんて、普段では考えられないことだ。健人の視力では、朝目覚めてすぐに眼鏡を掛けなければ、日常生活にも困ってしまうのだから。こんなに視界が悪くて何も見えない場所にいるせいで、かえってこんな当たり前の違和感に気付かなかったのだろう。

「困ったな。あれが無いと・・・」
「健人君!」
 何も見えない、と言いかけたとき、今度はすぐ近くから声が聞こえて、健人は我に返った。
 目の前に、こちらを覗き込む祈里の顔が見える。勿論、ハッキリとは見えないのだが、その顔が心配そうな、それでいて少し安心したような表情をしているのは、健人にもかろうじて分かった。
「山吹さん・・・どうしてここへ?」
「健人君を助けに来たに決まってるでしょ。さぁ、わたしと一緒に、ここを出ましょう。」
 祈里が、いつもの穏やかな声でそう言って、右手を健人に差し出す。が、健人はその手を取らず、唇を噛んで下を向いた。
「・・・怒らないんですか。僕は、皆さんを騙していたのに。」
「でも、それには何か訳があるんでしょう?」
「訳なんて、ありません。僕は・・・僕は、自分の立場を守るために・・・そんなわがままな理由で、嘘をついたんです。」
「ね、健人君。その話は、外へ出てから聞くわ。まずはここを出ることが先。一歩を踏み出すことが出来れば、何かが少しずつ変わることだってあるよ。」
 そう言って、祈里はだらりと下がった健人の右手を掴み、その手をギュッと握った。
「わたしも一緒に行くから。ね?一緒に頑張ろう。」
「・・・はい。」
 健人がようやく、まだぎこちなくて弱々しいながら、祈里が見慣れた、少し照れたような笑顔を見せる。
 その笑顔に、祈里がホッと小さく息をついた、その途端。二人の足元が、ぐらりと大きく揺れた。

「や、山吹さん!」
 健人が初めて自分から、祈里と繋いだ手に力を込める。が、そこまでだった。
 二人はそのまま為す術もなく、突如湧き起こった大きなうねりの中に、あっけなく飲み込まれた。


   ☆


「ブッキー!ブッキーーー!!」
「ラブ、落ち着いて。アタシたちは、中には入れないんだから!」
 ナケワメーケに遮二無二駆け寄ろうとするラブを、美希が必死で押しとどめる。
 ウエスターとサウラーは、せつなから事情を聞いて、まずは揃ってナケワメーケの鳩尾にパンチを叩き込んだ。
「ナ・・・ケ・・・」
 怪物が動きを止めたのを見定めて、三人に駆け寄る。

「また無茶なことを・・・。しかし、どうして祈里はナケワメーケに入れたんだ?」
「よく分からないけど・・・。ブッキー、ナケワメーケだった破片に触れて怪我をして、それで不幸に陥ったでしょう?どうやらその傷が、ナケワメーケに反応したみたいなの。」
 せつなの説明にも、今一つピンとこない顔のウエスター。その隣で難しい顔をしていたサウラーが、静かに口を開く。
「とにかく、こうなったからには彼女が少年を連れて戻ってくるまで、ナケワメーケをこのまま寝かせておくしかない。君たちは下がっていてくれ。僕とウエスターで、時間を稼ぐ。」
「分かったわ。」
 ウエスターが再びナケワメーケの上へと跳び上がり、サウラーが足下へと回る。せつなはラブと美希を促すと、少し離れたところで、ウエスターとサウラー、そしてぼんやりと見える祈里と健人の姿を見守った。

 さっきのパンチが思いのほか効いたのか、ナケワメーケはまだ動かない。祈里が、健人のいる方向へ向かって、ゆっくりと泳ぐように進んでいるのが見える。
「頑張って・・・ブッキー、頑張って!」
 いつしかせつなは、胸の前で両手を組み合わせて、祈るように親友の姿を見つめていた。ラブと美希も、それに倣うように両手を組み、祈里を見守る。
 一秒が何十分にも感じられるような時間が過ぎて、ようやく祈里が健人と向かい合い、その手を掴んだ。
「やった!ブッキー、健人君のところに辿り着いたよ!」
 ラブがホッとしたような声を上げる。だが、そのとき。

「ナ・・・ナ・・・ケワメ~ケ~!!」

 怪物が、再び赤い瞳をギラリと燃え上がらせる。
「サウラー!お目覚めだぞ。」
「よし、任せろ!」
 身構えるウエスターとサウラー。だが、ナケワメーケの動きは、二人の予想を裏切るものだった。

「ボクノ コトナンカ ダ~レモ ワカラナ~ケワメ~ケ!」
 三度雄叫びを上げたナケワメーケの体が、ぐんぐんと大きくなり始めたのだ。
 慌てて飛び退くサウラーをしり目に、今や丸太のような太さになった両足が壁に突き当たり、そしてぶち抜く。
 横たわったままの状態なのに、顔に掛けられた黒縁眼鏡が、大破した天井の縁に当たる。

「ナ~ケワメ~ケ~!」
 一層低く、一層おぞましい響きとなった声でそう叫んでから、怪物はもうウエスターとサウラーをものともせずに、ゆっくりと体を起こした。そして、天井の残りをバリバリと、まるで包装紙でも剥がすように破り捨てると、ひょいと石段を昇るような調子で、地上へと出てしまった。

 ウエスターとサウラーが、一気に地上へと跳び上がり、怪物の後を追う。
「ま・・・まずい・・・ど・・・ど、ど、どうしたらいいんだ!」
 博士が、部屋の隅でガタガタと震えだす。

「何だ?何の音だ!」
「裏庭の方だぞ・・・」
「うわっ!何だあれはっ!」
 屋敷の方から、複数の声がかすかに聞こえて来て、せつながハッと顔を上げる。すると、さっきまで泣きそうな顔をしていたラブが、きりりと表情を引き締め、二人の仲間を見回した。

「美希たん!せつな!行くよっ!」
 それは、プリキュアのリーダー・キュアピーチが蘇ったかのような表情。一瞬顔を見合わせて、美希とせつなも力強く頷く。
「オーケー!」
「分かった!」
 今はか弱い普通の少女である自分たちに、出来ることなんてほとんど無い。それでも、必死で頑張っている祈里のために、健人のために、ウエスターとサウラーのために、ほんの小さなことでも、出来ることがあるかもしれない。いや、きっと何かあるはずだ。

 元来た狭い階段を、三人は地上へと駆ける。早く――少しでも早く、仲間たちの元へと。
 だから、誰も気が付かなかった。
 天井があらかた無くなった研究室の隣の部屋で、ダイヤが封印された数多のガラスの筒が、カタカタと小さな音を立てて振動し始めていたことに。
 裏庭を取り囲む並木が、不意に現れた闖入者に驚いたように、ざわざわと揺れる。御子柴邸の長い夜は、まだまだ終わりそうになかった。

~第10話・終~



最終更新:2014年08月18日 22:07