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届け、本当の心




 まるで激流のような重い空気の流れが、ようやく止まった。それに少しホッとしながら、祈里と健人は恐る恐る目を開ける。
「うわ・・・何これ。」
 最初に声を上げたのは、祈里だった。
 さっきまでとは違って、やけに視界が良好に感じられる。しかし辺りの空気は相変わらず、灰色に濁ったまま。
 その違和感の正体は、目の前にある大きなガラス窓のようなものだった。わずかな間隔をあけて隣り合った、横に長い長方形の二つの窓。何故かそこに映る景色だけは、はっきりと見ることが出来たのだ。
 そして窓の向こうを見た祈里が最初に驚いたのは、その目線の高さだった。
 いつの間に外に出たのか、眼下には黒々とした芝生が広がり、その向こうには御子柴邸の灯りが見える。そして芝生の上には、こちらを見上げる小さな人影。よく見ると、どうやら人影はラブたちだけでは無いようだった。お屋敷の中から、一人、また一人と芝生の上に人が現れて、こちらを見上げている。

(ナケワメーケが大きくなった、ってことかしら。)

 気を取り直して、傍らに居る健人を振り返った。ナケワメーケは暗がりに立っているようだが、ここはぼんやりと明るくて、健人の姿は灰色の霧の中にぼやけて見える。その横顔に向かって、祈里は努めて明るい声で言った。
「さぁ健人君、早くここから出ましょう。随分高いところに来ちゃったみたいだけど、何とか下に降りられる方法を・・・」
「・・・やめろ。そんな顔で、こっちを見るな!」
 突然そう叫んだ健人に、祈里が目をパチクリさせる。一瞬、自分に向かってそう言われたのかと思った。が、健人の顔はガラスの方を向いている。
「健人君、何を・・・」
 そう言いかけて健人の視線の先に目をやった祈里は、そこで言葉を飲み込んだ。

 いつの間にか窓に大写しになっている、顔、顔、顔――ラブ、美希、せつな、ウエスター、サウラー。それにお屋敷の人たちらしい何人かの大人の顔。それらの顔が全て、険しい表情でこちらを見つめている。
 ある者は怒りに満ちた眼差しで。ある者は呆れ果てた顔つきで。またある者は、こちらを見下し、嘲るように。

(これって・・・このナケワメーケの力!?)

「健人君、しっかりして!惑わされちゃダメ。これはこの怪物の力よ。みんなの本当の姿じゃないわ!」
「う・・・嘘だ。みんな・・・みんな僕のことなんか・・・僕のことなんか・・・!!」
 健人がうわごとのように呟きながら、激しくかぶりを振る。その瞬間、辺りの空気がざわりと揺れた。健人は微動だにしないのに、祈里だけが空気の流れに飲み込まれそうになる。まるで、邪魔な祈里を追い出して、健人を独りにしたいかのように――。
「ナケワメーケ!!」
 怪物の雄叫びが、さらに辺りの空気を震わせる。
「そうは行くもんですか!」
 祈里はクッと唇を噛むと、とっさに健人の腕を掴み、何とかバランスを取って持ちこたえた。



   イエローハートの証明 ( 第11話:届け、本当の心 )



 裏庭の暗がりにそびえ立つ巨大な影。ラブたち三人とウエスターとサウラーは、さっきより二回り以上も大きくなったナケワメーケと向かい合っていた。
 その後ろには、物音に驚いて屋敷から出てきた人々が、驚愕と恐怖の面持ちで、怪物を見上げている。
 庭は暗いが、ナケワメーケの体は淡く発光しているようで、その内部がぼんやりと透けて見えた。健人の位置は、さっきと変わらず怪物の顔のあたり。そこに祈里の姿も見える。もっとも今は、先程までとは比べ物にならないほど、二人の姿が小さい。
「うわ、ブッキーと健人君、あんな高いところに居るよ。どうしよう・・・。」
 ラブがそう呟いた時、ナケワメーケが動いた。
 すわ攻撃か!?と身構えるウエスターとサウラー。が、ナケワメーケは右手をゆっくりと上げただけ。その手は掛けている眼鏡の蔓を、カチャリと押し上げた。

「ナケワメーケ!サーチ・モード!」
「危ない、下がれ!」
 ウエスターとサウラーが、全員を庇って前へと躍り出る。その途端、ナケワメーケの眼鏡から一筋の光線が発射された。
 二人の姿を、光が照らし出す。
「ウエスター!サウラー!」
 焦りの浮かんだせつなの顔。驚いた表情のラブの顔。心配そうな美希の顔。そんな三人の顔もまた、暗い裏庭に浮かび上がる。続いて、彼女たちの後ろから遠巻きにこちらを眺めていた人たち――この展開に、今は逃げ腰になっている御子柴家の人たちの姿も、光はゆっくりと舐めていく。
 が、それだけだった。光線に吹き飛ばされることも、何か痛みを感じることもない。
 全員の様子を確認してから、美希が不思議そうに呟く。
「本当に・・・ただのサーチライトなの?」
「ううん、違う。見て!」
 せつなが小さくかぶりを振ると、さっとナケワメーケの顔を指差した。

 健人が眼鏡の方を凝視したかと思うと、見る見る表情を変えて苦しみだしたのだ。その隣で、祈里も驚きの表情でこちらを眺めてから、すぐさま健人の方に向き直り、懸命に落ち着かせようとしているのが見える。
「ねえ。健人君、苦しんでるよね。」
 ラブが泣きそうな声でそう言ってから、ふらりとナケワメーケに近付こうとするのを、せつなはその肩を優しく掴んで止めた。

「このナケワメーケ、素材は彼の眼鏡だったね。」
 不意に、サウラーがナケワメーケに視線を向けたまま、誰にともなく言った。
「ええ、そのようだわ。」
「じゃあ、おそらく彼は今、一番見たくないものを見せられているんじゃないかな。相手が口に出さない、自分に対する負の感情・・・あるいは、そう思われているんじゃないかと彼が心のどこかで恐れているもの。それを何百倍にも何千倍にも増幅させて映し出しているとしても、不思議じゃないね。」
 サウラーの口調に、苦いものが混じる。ナケワメーケの特殊能力については、自分が一番詳しいという自負――それは、その能力を使うのが、かつて彼の常套手段であったからこそ持っているものだ。
「そんな・・・。それじゃあアタシたちの姿が、健人君をあんなに苦しめてるってことなの?」
 美希が哀しげにサウラーの顔を見上げる。

「見ろ!坊っちゃんが苦しんでる!」
「大丈夫ですか?坊っちゃん。しっかりして下さい!」
「くそぉ・・・怪物め、坊っちゃんに何をした!」
 後ろから人々が口々に叫ぶ声が聞こえる。屋敷の中に逃げ込みかけていた人たちが、健人の様子を見て、戻ってきたらしい。

(こんなに心配してくれている人たちが大勢いるのに・・・この人たちの姿も、健人君を苦しめる材料になってしまうの・・・?)

 哀しみの色を濃くするせつなの瞳。その脳裏には、四人で初めて出かけたボーリング場での出来事が浮かんでいた。
 サウラーが呼び出したオウムのナケワメーケのせいで、人々が皆本音を口に出し、そのせいであちこちでいがみ合いが始まった、あの時。自分を微塵も疑っていないラブの本音に触れて、せつなは大きく心を動かされた。ただリンクルンを奪うためだけに近付いたはずなのに、かつてないほどに、激しく――。
 あの時は、その衝撃の正体が何なのか、まるで分からなかった。でも今思えば、あの時ラブの本心を知ったことで、せつなの心の中に、ラブに対する信頼の礎のようなものが生まれたのだ。プリキュアを倒すことが使命であったあの頃でさえ、心の奥底では決して揺らぐの事が無かったほどに、強力な。
 健人と御子柴家の人々の間にも、信頼の絆はきっとあるはず。健人は今、それを見失っているのだ。

「何とか・・・みんなが心から心配しているんだってことを・・・本当の心を伝えられれば・・・」
 せつなが低い声で呟く。すると、いつになく落ち着いた声が、すぐ隣から聞こえた。
「そっか。ねぇ、サウラー。健人君を苦しめているのは、あたしたちの“姿”だけなんだよね?」
 ラブが、そのキラキラした瞳を真っ直ぐにサウラーに向けている。
「だったら、声はちゃんと届くんだよね?あたしたちが伝えたいこと、正確に伝わるんだよね?」
「おお、そうか!ヤツは眼鏡のナケワメーケだもんな。ならば、あの少年に声を届けてやればいいんだな?」
 ウエスターも明るい声を出す。二人の・・・いや、美希とせつなも含めた四人の眼差しを眩しそうに受け止めて、サウラーはフッと息を吐き出し、口元だけで小さく笑った。
「そうだな。100%確実とは言い切れないが、やってみる価値はあるね。」

「分かった。」
 サウラーの返事に、静かにそう答えるや否や、ラブが思い切り息を吸い込み、声を張り上げた。
「ブッキー!健人君!聞こえる~?聞こえたら、合図してー!」
「ナケっ!?」
 ナケワメーケが、声の主を探すように、再びライトを走らせる。その光を特に避けようともせず、ウエスターがラブの傍らに立った。
「大声なら任せろ!おーい、少年!聞こえたら手を挙げろ。俺の声が聞こえるか~っ!?」
「ウエスター、一緒に叫ぼう。その方がよく聞こえるよ。じゃあ、全員で行くよっ!」
 ラブが仲間たちを見回して、せーの!と音頭を取る。せつな、美希、サウラーも、それに加わる。

「おーい、健人くーん!!ブッキー!!」
「聞こえたら、合図してー!!」

「あ・・・応えたわ!」
 せつなが嬉しそうに叫ぶ。
 健人の方は、相変わらず怯えた表情で震えているが、祈里がパッと顔をほころばせ、右手を高々と上げて振って見せたのだ。
「よし、行けるぞ!おーい少年!!耳を澄ませてよぉく聞け~!!」
「健人君!聞こえたら、合図して~!!」
「ブッキー!健人君に、アタシたちの言葉を・・・」

「ちょっと、君たち。そんなに口々に叫んでは、届くものも届かないよ。」
 相変わらず冷静な口調で、色めき立つ仲間たちを制するサウラー。すると、そんな彼の背中に、あの・・・と語りかける声がした。
 振り向くと、黒い背広に黒いネクタイ姿の若い男が立っている。どうやら一部始終を遠巻きに見ていた、御子柴家の使用人らしい。
「これ・・・良かったら使って下さい。あと幾つかあるはずなんで、今取りに行ってます。それで、あの・・・あの、どうか坊っちゃんを・・・!」
 彼の手に握られていたのは、円錐形のプラスチックに箱型の器具を取り付けた、この世界のアナログな機械――。一台の拡声器だった。

 ――仲間が心配なら、行って出来ることをやるのが自然じゃないんですか・・・。

 ラビリンスの青年の言葉とあの時の彼の表情が甦る。それに重なるようにして、今目の前に立っている、常に真っ直ぐな眼差しを自分に向けてきた四人の少女の姿が。
 小型の機械と、男の真剣な顔とに交互に目をやってから、サウラーが再び、フッと小さく笑う。
「人間には、相手を思いやる心がある、か。あの頃の僕には分からなかったが、今なら分かる気がするよ。」
「え・・・」
「いや、ありがとう。あなたも力を貸してくれませんか。いや、是非ともあなたたちにお願いしたい。危険が無いように、僕たちが全力で守りますから。」
 深々と頭を下げるサウラーの姿をポカンと見つめていた男は、再び真剣な表情に戻ると、しっかりと頷いた。

 仲間たちの元へと駆け戻っていく男を見送って、サウラーが目の前に居る仲間の一人に囁く。
「美希。君に一つ、お願いしたいことがあるんだ。」
「いいわよ。何?」
 怪訝そうに首を傾げた美希は、サウラーの言葉を聞いて、任せといて、と自信たっぷりに微笑んだ。


   ☆


 大きな窓の方を見つめたまま、小刻みに震えている健人。その横顔に、祈里は必死で呼びかけていた。
「健人君!健人君、しっかりして!」
「ごめんなさい・・・ごめんなさい。僕はやっぱり、ダメなヤツなんだ・・・。よく分かったよ。だからもう、そんな顔で僕を・・・」
「健人君!」

 映し出されている映像は、直視したくないような厳しい表情ばかりなのに、健人は目をそむけない。いや、そむけることが出来ないのかもしれない。
 いやいやをするように首を横に振りながら、それでもその目は魅入られたように、窓の方を見つめている。
 その姿が、祈里には少し前の自分の姿と重なって見えた。手元をおろそかにして患畜に噛まれ、その後、大好きな動物たち全てに恐れられ、避けられ続けたあの時の。
 自分の部屋に一人閉じこもって、何度も何度も、動物たちの恐れと嫌悪の表情を思い起こしては、まるで動物たちが自分を責めているように思い込み、どんどん自分の殻の中に閉じこもってしまった、あの時の。

(このままじゃ、健人君は自分の失敗に囚われたまま。何とかして連れ出さなくちゃ!)

 この状況で、果たしてそんなことが自分に出来るだろうか、という不安がまたしてもこみ上げてくる。それを必死で振り払い、祈里は健人の腕を掴む手に、ギュッと力を入れる。
 すると、その時。

「おーい、健人くーん!!ブッキー!!」

(え・・・ラブちゃん!?ううん、美希ちゃんとせつなちゃんの声もする。それに、隼人さんと瞬さんも?)

 思わずキョロキョロと辺りを見回して、窓で無いところから外を見ようとするが、窓以外は相変わらず暗くどんよりとした灰色で、外の様子をうかがい知ることは出来ない。

「聞こえたら、合図してー!!」

 今度はラブ一人の声。祈里はこくんと頷くと、右手を目一杯上げて、大きく振った。
 途端に歓声のような複数の声が聞こえる。祈里は、健人の腕を掴んだ手に改めて力を籠めると、その腕を大きく揺さぶった。
「健人君!ほら、聞こえる?外でみんなが、わたしたちを呼んでいるわ!」
「嘘だ・・・誰も僕のことなんか・・・」
「よく聞いて!声が聞こえるでしょう?みんなが、わたしたちを心配してくれているよ!」

「みんなが・・・心配?」
 健人の瞳がわずかに揺らぎ、その目がぼんやりと祈里の方を向いた。祈里はここぞとばかりに、うん!と大きく頷いて見せる。
「でも・・・みんな本当は、もう僕には失望していて・・・」

「坊っちゃーん!!」

 俯いて、暗い声で呟きかけた健人が、驚いたように顔を上げた。どうやらスピーカーか何かを通しているらしく、さっきのラブたちの声より数段大きな若い男の声。それが健人の耳に、はっきりと届いたのだ。
 すぐに、さらに大勢の声が、二人の耳に聞こえてくる。

「坊っちゃん!大丈夫ですかっ?お怪我はありませんか?」
「気をしっかり持って!負けちゃダメです。坊っちゃんはお優しいけど、ここは、“何くそ!”という気概をお持ちなさいっ!」
「坊っちゃん、しっかりして!私たちの声、聞こえてますか!?」
「坊っちゃん、頑張って!」
「頑張れ!」
「頑張って下さい!」

「この声・・・みんな、僕の家の人たちの・・・!」
 健人の視線が窓から離れ、灰色に淀んだ空気の中に、何かを探すように彷徨い始める。
 祈里は、少し安心したように表情を緩めると、見えない仲間たちに向かって、頭の上で両手で大きく丸を作って見せた。
「ありがとう、ブッキー!健人君、あたしたちも応援してるよ。負けないで!」
 すぐにラブの声が返って来た。その声に大きな力を貰って、祈里は健人に叫ぶように呼びかける。
「健人君!外からは、わたしたちの姿が見えているわ。みんな心配しているから、手を振ってあげて。」
「手を・・・ですか?でも、僕は・・・」
「じゃあ、手を挙げるだけでいいわ。大丈夫。それで誰かが健人君を悪く思うことなんて、絶対に無いよ。」
 きっぱりと言い切った祈里の声に押されるように、健人が恐る恐る右手を上げる。すると、外からの声がわっと湧き立ったのが分かった。
「ほら、聞こえる?みんな健人君が答えたのを見て、喜んでいるわ!」
 祈里の言葉を後押しするように、再び複数の声が響く。

「坊っちゃん!私たちはいつだって、坊っちゃんの味方ですよ!」
「私たちはそれぞれ、自分に出来ることで坊っちゃんを応援したい!お風邪を召されないように、気持ちよくお休みになれるように、毎日を楽しく過ごされるように・・・。私は毎日そう願って、坊っちゃんのお世話をしています。」
「坊っちゃんを含め、御子柴邸全員の健康は、私の料理にかかっている。それが私の誇りであり、喜びなんです。」

 力の入った若者の声。穏やかな響きを持つ女性の声。自信に満ちた壮年らしい男の声。
「皆さん、そんなに僕のことを・・・。でも、僕は皆さんの期待に応えられるような人間じゃ・・・」
 その時、健人の呟きに答えるように、ひときわ重みと落ち着きを伴った声が、静かに響いてきた。

「坊っちゃん。私たちは、坊っちゃんと同じ立場にはなれません。だから、坊っちゃんの気持ちが分からないこともあるかもしれない。
でも、坊っちゃんはお小さい頃から、私たち使用人にも家族のように接してこられた。だから私たちも、坊っちゃんを家族のように思っています。
坊っちゃんが頑張ったり、悩んだり、喜んだり、落ち込んだりしている姿を、私たちはいつも、それぞれの仕事を通して、応援しながら見守っています。
忘れないで下さい。私たちはみんな、坊っちゃんが好きなんです。」

「皆さん・・・!」
 健人の目から涙が溢れ、頬を濡らす。そのくしゃくしゃになった顔を微笑みながら眺めていた祈里は、あ・・・と小さく声を上げた。

 窓に大写しになっていた人々の形相。その映像がすぅっと消えて、元通り、夜の裏庭が映し出されたのだ。
 見下ろすと、仲間たちの姿が小さく見える。その周りには、黒っぽい揃いの服を着た二十人ばかりの大人たちが、祈るようにこちらを見つめているのが見える。
 まだ涙を止められないでいる健人にそれを伝えようと思った時、不意に景色の一部がわずかに歪んだように見えて、祈里は再び目を見張った。

(この窓・・・濡れてる?)

 もっとよく確かめようとした時、二人の足元がガクンと揺れた。体の位置が少し下がったように感じたが、はっきりしたことは分からない。それよりも、明らかに変化したのは辺りの光景だった。
 二つの窓の映像にビリビリとノイズが走り、再び元の人々の顔の映像に戻ったかと思うと、窓が突然大きくなり始めたのだ。
 僅かにあいていた隙間が繋がって、二人の前の壁一面が、急速に窓で埋め尽くされていく。
 急激な変化に目をパチパチさせた祈里は、その狙いに気付いて戦慄した。

(まさか、健人君にまたみんなの恐ろしい表情を、強制的に見せつけるために――!?)

「健人君!目を閉じて。早く!」
 咄嗟に叫ぶ祈里。だがその言葉が終わるか終らないかのうちに、大きくなった窓から突然、予想外のものが飛びこんできた。


   ☆


 総勢二十人ほどの御子柴家の使用人たちが、四台の拡声器をナケワメーケに向ける。ラブ、美希、せつなは彼らと一緒に祈里と健人の様子を見守り、ウエスターとサウラーは、最前列でナケワメーケの動きを注視していた。
 幸い、ナケワメーケは巨大化して体の動きが鈍ったのに加え、本人曰く“サーチ・モード”の時には、攻撃してこないようだった。健人に呼びかける人々を前にしても、一向に動きを見せない。
 だが、油断は禁物だ。サウラーは自分にそう言い聞かせながら、のっそりと裏庭に立ち尽くす怪物の姿を眼光鋭く見つめる。
 やがて人々の間から歓声が上がった。健人が恐る恐るといった調子で右手を挙げ、人々の声に応えたのだ。それを見て、俄然、語りかける声にも力がこもる。
 すると、今まで動きの無かったナケワメーケが、再び右手で眼鏡を押し上げた。

「みんな、下がれ!」
 ウエスターの一言で、ラブたちが御子柴家の人々と一緒に、建物の裏口ギリギリのところまで下がって距離を取る。
 身構えるウエスターとサウラー。だが、二人はすぐに怪訝そうな顔になった。
「なぁ、サウラー。ナケワメーケが・・・縮んでないか?」
「ひょっとすると、巨大化し過ぎて動きが鈍くなったのを、調整するつもりかもね。」
「ほぉ。そうであれば、もう少し小さくなって欲しいものだ。そうすれば、俺たちで動きを止められる。」
「ああ、そうだな。」
 不敵に笑うウエスターに返事をしながら、ふと感じた違和感。その正体に気付いて、サウラーが苦々しい表情になる。
「いや・・・どうやら僕らの希望的観測は外れだ。見ろ、ヤツの眼鏡の大きさは、変わらないぞ。」
「何っ!?・・・えーっと、それって、どういうことだ?サウラー。」

 サウラーが返事をするより早く、ナケワメーケが動いた。その体を三分の二ほどの大きさにまで縮めたところで、不釣り合いに大きくなった眼鏡の蔓に、三度手をやったのだ。
「ナケワメーケ!全画面・モード!」
 大きな眼鏡の表面がキラリと光ったかと思うと、眼鏡だけがさらに巨大化し、ナケワメーケの顔全体を覆うようにして貼り付く。

「まずいわ。また健人君が!」
「ボクヲ バカニスル ナ~ケワメーケ!」
 思わず叫ぶせつな。それと同時に、芝生に向かって拳を振り下ろすナケワメーケ。
 ウエスターとサウラーが拳の下へと滑り込み、その巨大な鉄槌を受け止める。その苦しい体勢のままで、サウラーが叫んだ。
「今だっ、頼む!」

 声と同時に、カシャン!という大きくて乾いた音が響いた。そして次の瞬間。
「ナ・・・ケワメ・・・ケ・・・」
 怪物は太い両手で顔を覆い、よろよろとよろめいた。まるで真昼の太陽を思わせるような眩い光が、左右から突如ナケワメーケを襲ったのだ。
 いつの間にか、庭の四隅に野外イベントに使うような移動式の照明が設置され、裏庭に四方からの光の軌道を描いている。

「ウエスター!」
「おうっ!」
 瞬時に跳び上がったウエスターとサウラーが、二人同時にナケワメーケの膝裏を左右から蹴りつける。さすがの怪物もこれにはたまらず、どうっと仰向けに転倒した。

「どう?スポットライトを浴びて歩く難しさが、分かったかしら。」
 光がすぅっと弱まって、裏庭に凛とした少女の声が響く。彼女が御子柴家の人々に頼んで、ライトを運んでもらったのだ。
 すっかり柔らかくなった光の輪の中に現れた少女に、サウラーはニヤリと笑って呼びかけた。
「お見事。」
 少女は――美希は、さっと腰に手を当ててポーズを決めると、茶目っ気たっぷりにウィンクを返した。
「アタシ、完璧!」


   ☆


 ウエスターとサウラーが見守る中、仰向けに倒れたままのナケワメーケの中を、祈里と健人が移動する。時間はかかったものの、何とかナケワメーケの顔の横辺りに辿り着き、そこから二人はようやく外に出た。

「坊っちゃん!!」
 気が抜けたのか、へなへなと崩れ落ちるように座り込んだ健人の長身を、御子柴家の使用人たちが抱えるようにして、大急ぎで手当てに向かう。
「ブッキー!!!」
「みんな、ただいま。心配かけて、ゴメンね。」
 祈里も一瞬座り込みそうになったが、何とかこらえて、駆け寄ってきた仲間たちに笑顔を見せた。
 健人ほど消耗が激しくはないものの、長くナケワメーケの中に居たせいなのか、それともさっき窓から飛び込んできた強烈な光のせいか、何だかまだ頭がくらくらする。
 美希が祈里の腕を自分の肩に回させて、身体を支える。せつなも素早く反対側に回った。
 二人の親友に支えられて、祈里はゆっくりと歩き出す。が、後ろから聞こえてきたウエスターの声に、その歩みが止まった。
「よし、これでコイツにとどめが刺せる。そうすれば、ようやくひとつ片が付くな。」

「ブッキー、どうしたの?」
 三人の後ろを歩いていたラブが、祈里の様子に気付いて声をかける。
「うん。ちょっと・・・」
 躊躇いがちに言葉を探す祈里。だが、その言葉は仲間たちの耳には届かなかった。突然、四人の足元から押し殺したような悲鳴が聞こえてきたからだ。

「誰の声!?」
 ラブが仲間たちの前に躍り出て辺りを見回す。サウラーが瞬時にその前に立った。ナケワメーケのダイヤに手を掛けていたウエスターは、首だけをこちらに向けて様子を窺っている。
「ダメだ・・・ダメだ・・・た、助けてくれ・・・!」
 今度は下の方から恐怖に上ずった男の叫びが聞こえた。ハッとして声の主を探すサウラー。その目に、既に天井が無くなった実験室の中で、腰が抜けたのか、座ったままわなわなと後ずさろうとしている博士の姿が飛び込んできた。
 迷うこと無く実験室に飛び降りるサウラー。恐怖に目を見開いた博士が見つめる先には、先程ナケワメーケが現れたときに、彼が急いで閉めた分厚い扉があった。その扉の向こうで、ガチャガチャとガラスが触れ合うような音がしている。その音の正体に気付いて、サウラーの額に冷や汗が浮かんだ。

「つかまれ!」
 急いで博士を抱え上げ、裏庭へと飛び上がる。ガタガタと震えている博士の両肩を掴んで、サウラーは低い声で尋ねた。
「教えてくれ。あのダイヤは、元々はラビリンスのものだったはず。どうやって手に入れたんだ。」
「・・・貰ったんだ。」
 博士がか細い声で答える。
「貰った?誰に?」
「“北”と名乗っていた。長い黒髪の・・・背の高い女性だ。」

(やっぱりノーザか・・・。)

 今はもう居ない、ノーザの冷たい微笑を浮かべた瞳が蘇って来て、サウラーは一瞬押し黙る。代わりに博士に問いかけたのは、せつなだった。
「さっき、ダイヤにプリキュアの技を手本にした自動消滅プログラムを仕込んである、って言ってましたよね。どうやってプリキュアの技を?」
「・・・・・・。」
 せつなの質問に、博士の目が泳ぐ。助けを求めるように顔を上げた先には、祈里の強い眼差しがあった。その隣には美希が、さらにその隣にはラブが並んで、真っ直ぐに博士を見つめる。

「・・・分かった。話そう。」
 博士は観念したように頷くと、この事件の発端と言える出来事を、静かに語り始めたのだった。

~第11話・終~



最終更新:2014年09月29日 21:28