小説「とある作業中の裏話」 薄暗い坑道の奥で、一人の男が作業をしている。それも、なぜか一人だけスコップを持っている。 服というよりはぼろ布に近いものを纏っていた。口周りには無精ヒゲが伸びている。 何日も日の光を浴びていないようなうつろな瞳は、スコップが振り下ろされるその瞬間だけ屈折率の関係か、 狂気の色を反射して見せた。 もはやこういうケースにおいて説明が必要なのかどうかわからないが、もちろん彼は玲音だった。 「れ、玲音殿! いったいどうされたのですか?」 鉱山の採掘に参加していた国民の一人が、驚いて声をかけた。 かつて帝國参謀本部で事務をしていたことがある彼は、玲音のことをよく見知っていたのだった。 玲音、顔を上げた。乾いた声で、「君か」と笑う。 「見てわかるだろう」 「と、言いますと?」 「穴を掘っている」 そう言って玲音はスコップを振り下ろした。切断される岩盤。 ふしゅるるるるー、と不気味な息が口から漏れている。 「……まあ、ものすごく広い目で見れば、そう見えないこともないですが。 それにしても、どうしてこんなことに」 ふっ、と玲音が息を漏らした。ひどく遠い目をする。 「もう、どれだけ昔のことになるのか。ここの鉱山の採掘が始まった頃の話だ」 「はあ。とりあえず五日ほど前のことになりますね」 玲音、聞いちゃいなかった。過去の失敗を語る男の口ぶりで語り始める。 「あれは罠だった。そう、最初から罠だったのさ……」 「何ですかセレナちゃん。急いで来てくれってみぎゃああああ!」 目を覚ましたときには、後ろ手に縛られた状態で床に転がされていた。 王城のどこかの部屋だろうとは思ったが、暗くてよくわからない。 というか、いくら最初から罠だからって、描写もなく気絶させることはないだろう。 理不尽な思いに駆られながら、不恰好なイモムシのように床をはいずってみる。 どこかから逃げ出すことができるのではないかと思ったのだが、 そんな都合のいいことはなさそうだった。 扉の開く音がした。 「や、生きてるー?」 その声は、いつものごとく摂政のArebことセレナちゃんのものであった。 王道の展開である。ただ、最近あまりそういったことがなかった分、逆に新鮮でもあった。 心なしか、容赦のなさもグレードが上がっている気がする。 いい加減バリエーションが尽きてきている証拠なのだろう。 「生きてるので殺さないでください」 「キミって時々わけのわからないこと言うね。それはともかく、生きててくれて嬉しいよ。 電圧間違えちゃってたから、さすがにまずいかなーと思ってさ」 足音が近づいてくる。が、暗いのと床で反響するので、正確な位置が掴めない。 ——原始的な恐怖、というものだろうか。 玲音は空元気を振り絞って、明るい声を出した。 「セレナちゃんこそわけのわからないことをおっしゃる。というか、電撃だったんですね。 描写なかったんで今わかりましたよ」 返答はない。 足音が消えた。 「セ、セレナちゃん?」 「なに?」 声は思っていたよりも近くから聞こえた。 「あ、いえ、今回のこれは何なんでしょう? こう、正直最近の自分は比較的静かなものだったかと」 「そーだね」 肯定が返ってきた。ここで畳み掛ければ、と玲音。 「ですので、ここまでの仕置きを受けるようなことは……なかったかと」 「うん、確かに新しいシーズンに入ってからのキミは、静かなものだよ」 「そうですそうです」 「バカみたいなイベントに悪乗りして周りに迷惑をかけることもない」 「大人になりましたね」 「アタシが何を言いたいかわかる?」 玲音は頭をひねった。 「……よくやってるぞ、とか」 「仕事しろよ、だ! この居候!」 「みぎゃああああ! 食い込んでる、食い込んでますセレナちゃん! ガントレットでアイアンクローでこれちょっと描写するといろいろとグロテスクにまずい感じ! ああそうか、だから真っ暗なんだみぎゃああああ!」 「——とまあ、そんなことがあってね。僕はこの鉱山が完成するまで、日の目を見られないのさ」 語り終えた玲音は、スコップを肩にかけ、幾多の失敗を乗り越えた大人の表情だった。 話を聞いていた国民の一人は困惑した顔で、 「はあ。どうしてそんなに格好良く格好悪い話ができるのかわかりませんが、事情はわかりました。 玲音さんのためにも、頑張って掘らないといけませんね」 「そう言ってもらえると助かる。さあ、休憩は終わりだ」 玲音がスコップを担ぎなおしたその時だった。 「落盤だー!」 という悲鳴よりも先に振動を感じた。奥から人が逃げてくる。 「大変だ……玲音さん、ここも危ないです。急いで」 逃げましょう、と彼が言うより早く、玲音は立ち上がった。風を切るようにスコップを一回転させ、 構えなおす。 「君は逃げろ」 「え? でも、玲音さんはどうするんですか!」 「俺がここで食い止める。みんなは逃げろ」 言うなり玲音、走り出した。あまりの速度にだれも反応できない。 「れ、玲音さん!」 揺れる坑道の向こう。一瞬だけ、玲音が振り向いたのがわかった。この期に及んで男の笑み。 「走れ。振り向くな」 それだけ言って、また走り出した。見えなくなる。 「いえ、ですから、落盤なんで誰が残ろうが関係ないですよー! と」 ……できるだけ大きな声で叫んだが、聞こえたかどうか。 * 一時間後、崩れ落ちた岩盤の下から玲音は救出された。 バカの所業である。 おそらく、誰に聞いてもそう答えるだろうが——例えそうだったとしても、 身を張って皆を助けようとした彼の行動は、 はてない国人的に受け入れられ、作業者たちの士気は上がったという。 ……もちろんあまりにバカ過ぎて、この件は一般には伏せられたのだけれど。 執筆 :玲音@になし藩国 ---- #close() ----