『闇の書』の防衛プログラムであるヴォルケンリッターは、最初は少し戸惑っていた。
 何故なら、今まで自分たちのことを『人間』として扱う人間は居なかったのだから。
 我々ヴォルケンリッターは兵器。
主となった人間の命令を遂行し、目的の為なら血を流すこともいとわない、冷徹な戦闘用機械。
 しかし、今回の主、『八神はやて』は、そんなことはしなかった。
 それどころか、『命令』すらしない。
するにしても、あれをやったらあかん、程度の注意でしかない。その殆どが『お願い』なのだ。
 ヴォルケンリッターには、『核』となる部分が存在する。
 『核』の原型は人間であり、それだからこそ人間のような思考能力を持ち、行動することができる。デバイスとは違い、自らの意思で行動できる。
 だからヴォルケンリッター達は『機械』として行動することをやめた。
 そう、はやてが望むように、『人間』であることを望んだのだ。

 日本の夏は暑い。それは勿論日本人であるはやてには周知の事実であったが、防衛プログラムであるヴォルケンリッターは、そんなことを知らなかった。

 「あっちぃぃぃぃ~~。」

 ヴォルケンリッターの一人、外見だけ見れば最年少のヴィータは、はやてに買って貰った服を着、そしてその中に空気を送るべく、一か所をつまんで自分の方に戻してから外側に引っ張る作業をしていた。
 本日も三十度を超えた。日本の夏は絶好調のようだった。
 猛烈な光線を照射する太陽が、はやてら一行を容赦なく襲撃する。
 ヴォルケンリッターが初めて経験する、ただの『気温』だけではなく『湿度』死ぬほど高い夏。狼形態のザフィーラを除く全員が、じっとりと汗をかいていた。

 「耐えろ、ヴィータ。」
 「あんだよ、シグナムも暑そうな感じじゃねーか。」

 はやてを乗せた車椅子を押していたシグナムは、暑さなど知らぬといったような顔だが、どう見ても暑そうだ。雰囲気と汗で。

 「ちなみにこれが普通なんやで。」

 まだ新しい麦わら帽子を被ったはやてが、汗を持っていたタオルで拭きながら言った。白のワンピースが、吹いてきた風に僅かに揺れる。

 「あらあら。大変ねぇ。」

 何故か汗をかいていないシャマルが涼しい顔で答える。何故かいていないのかヴィータが問うと、「知らなくてもいいことがあるのよ、うふふ」とファジーに流された。
 現在、一行は『風芽丘図書館』に向かっている。
 はやては、シグナムに「我々の甲冑の形状を決めて頂きませんか?」と、言われて家の本棚を調べたが、そういった資料が一切無く、『バリアジャケット』のデザインを決めようと図書館行きを決めたのである。
 ただ、様々な準備に追われ、夏になる今の今まですっかり忘れていた。

 ―――所変わって市立風芽丘図書館。
 蔵書数はごくごく平均的。施設も平均的。入館数も平均的な――悪く言えば特色のないこの図書館。
 ひと際目を引く風貌のヴォルケンリッター―――外国の親戚・知り合いということにしてある彼ら・彼女らをつれて入館したはやては、早速さまざまな資料を机に並べて甲冑―――つまりはバリアジャケットのデザインを紙に纏めていた。

 「うーん……。」

 ヴィータは……赤いイメージ。そして、ドレスがいいかもしれない。
 事前にバリアジャケットについて説明を受けていたはやては、甲冑ではなく、それよりも動きやすそうで、ヴィータに似合うデザインを時折メモ用紙にペンを走らせながら考えている。
 赤、ドレス、かわいい、帽子、とメモ用紙に文字が並ぶ。
 机に置かれた資料の本をめくる。中世の時代のドレスに視線を残し、ヴィータのバリアジャケットを考える。
 ポン、とアイディアが出てきた。それを紙に大まかな感じで書き残す。

 「シグナム……。」

 シグナムに甲冑は似合う。でも、それじゃあどうだろう。動きやすさも考慮したほうがいいのでは、と彼女はヴィータの時と同じように考えた。
 もう一度資料にざっと目を通し、案を紙に書き込む。
 ――悩みながらも、はやての顔はとても楽しそうだった。

 どう頑張っても犬耳があり、かといって帽子を被ると違和感があり、狼の形態では『ペット禁止』(ヴィータが笑った)に引っかかってしまうため、ザフィーラは館の外で待機。その他のメンバーは、はやての目に届く範囲で行動していた。
 シグナムは、やけに様になる様子で足を組んで雑誌コーナーで雑誌を読み、シャマルはお料理の指南本と、その他の本を。ヴィータはというと、漫画本コーナーで片っぱしから読みまくっていた。
 なんとも平和だった。

 「あ? お前なんだ?」
 「え? 見えるの? 君。」

 ヴィータが漫画本から顔をあげて言った。これが後にどうなるかも知らず。




 はやてが持つ闇の書、その内部の暗黒では、未だかつてない情報の奔流が渦巻いていた。
 それを読み取り、過去のデータベースと照合する。

 ≪該当データ、及び類似データ無し≫

渦巻く光の粒子が、『彼女』を取り囲んでいる。粒子が星なら、その空間は正に宇宙。
今まで蓄積してきた『全て』を保存している、その空間の、もしも真ん中があるとしたらそこであろう位置に『彼女』が立っていた。
今もなお流れ続ける映像、それを彼女は見ていた。

 「シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ……そして主、はやて。」

 流れる銀髪。美しき線を描く体。澄んだ瞳。
 その『彼女』に名前はない。
 管制人格、闇の書の『本来の役割』を果たすために働く、それが彼女の役割『だった』。

 「ッ! このっ!」

 彼女を束縛する無数の『鎖』。
手足には足枷、それらはどこまでも遠い暗闇に延びている。彼女は、今までで何回目になるかもわからない、意味の無い抵抗をする。
 だが、拘束具が空しく揺れて音を立てるだけだった。

 「なんで―――なんで、なんで!」

 彼女は泣く。
 それは悲鳴に近い。

『本来の役割』すら思い出せず、ところどころ欠損したデータベースをひたすら検索して『役割』を探し、自分ができることを必死に、全力で果たす日々。
 拘束され、能力のほとんどを封じられた彼女の行動は著しく制限されている。すなわち、権限が削りとられている。

 「はやて……、アナタならこの拷問を、そして悲劇の種を摘み取ってくれるかもしれない。」

 だから、彼女は願う。


 ―――――誰か助けて、私はここにいる、と。



はやてに家族ができた。
 一般的に、家族とは養子になるか、血縁関係であるか、なるか、しかない。
 でもそれは本当だろうか、と、小学生ながらも八神はやては考えた。
 心さえ繋がっていれば。血ではなく、法律でもなく、絆が繋がっていれば家族と言えるのではないか。
 魔法、闇の書、魔法、ヴォルケンリッター。信じがたい話だったが、常日頃から小説を読み、想像力の豊かなはやては、そういったことに憧れており、割とすんなりと信じることができた。
 なにせ、実際に目の前でそういったことを見せられたのだから、信じざるをえなかった。

 「じゃあヴィータは茶碗運んで――シグナムは味噌汁な。」
 「OKはやて。後はアタシたちがやるからさ。」

 朝食。
普段はいつも一人で簡単な料理を作り、食べていた。音なんか殆どない。挨拶するべき人間は、写真の中で微笑んでいる両親だけだ。
あまりの寂しさに最初は涙が溢れ、そのせいで鼻がでてきて味噌汁の味すらよくわからないで食べていた。しかし今はどうだろうか。

「主、それではいただきましょう。」

 烈火の将シグナムはすでに味噌汁を運び終えて、自分の主が席につけるように車椅子をテーブルに押していた。バリアフリーが重視されたこの家では、車椅子でも問題なく移動ができる。

 「いただきます。」

 この言葉を言うのが嬉しい。夜眠ることが楽しい。

 「あーもう、この箸とかいう食器、使いにくい!」

 髪を下ろしたヴィータが悪戦苦闘しながら箸を使い、食べにくそうに卵焼きを二つに割り、口に運びながら言った。食事する時は常に簡易食、もしくはフォークなどの食器だったからだ。

 「こうだ。」

 す、と人間の姿のザフィーラが箸をヴィータに見せ、正しい動作を教える。
 続いてシグナムが箸を開いたり閉じたりする。その動きは既に日本人のそれである。

 「そのうち慣れると思うんよ。時間が必要やね。」

 他愛もない会話をするのが楽しい。お風呂に入るのが楽しい。

 「あら、ヴィータちゃんは子供用のスプーンが……。」
 「うるせー。」

 シャマルがヴィータを茶化した。そんな彼女の箸は、一般の人とそう大差ないレベルで運ばれている。つまるところ、ヴィータのみが上手く箸を使えていないことになる。

 「新聞取ってないな……。」

 ポツンとシグナムがこぼした。彼女は、新聞の経済の面を読むのが日課なのだ。

 はやては思う。全てが楽しい。だって、家族が出来たのだから。


―――――――――――――――――――――――――


 悲劇は、人知れず起こる。
―――誰かが囁いた。

 はやてには持病がある。ただ、それを『病気』にカテゴリするのは、少々間違いがあるかもしれない。何せ、医者に診察してもらっても原因の特定すらできないのである。
 そして、その病気には一つの特徴があった。
 闇の書の覚醒、ヴォルケンリッターの現界、それと同時にその『症状』は確かに、そして加速度的に『進行』していたのである。

 「く、あ、あ……。」

 痛かった。あまりに痛かった。

 「あ、あああああ……。」

 ナイフを突き刺した時ってこんな痛さなんかな。痛覚からの連絡をそらそうとしているらしく、はやての思考は既に正常の領域から離脱していた。
 深夜を越して、そして朝方。はやては激痛で目を覚ました。
 体の内部が強烈な勢いでかき混ぜられ、焼きごてを突っ込まれているような熱さ、痛み。
 悲鳴を上げることすらできなかった。
 隣ですやすやと睡眠を貪っているヴィータが千里以上先にいるように感じる。
 覆いかぶさった布団が、大木のように重く圧し掛かっているように思えてならない。こんな時、どうすればいいんや。

 「……ィータ、ヴィー、タ。」

 か細い声でヴィータを呼ぶ。
脂汗が額から落ちる。気を抜けば直ぐにでも意識が消失してしまいそうな気がした。だから、彼女は拳を握り締めて耐える。そして我が家族を呼ぶ。聞こえていなくてもいい、奇跡でもいい、気がついて、と願いながら。

 「はやて? おはよーー。」

 ヴィータが気がついたらしく、目を開けた。そして大きく伸びをする。ちなみに今は髪の毛を編んでおらず、はやてのパジャマに身を包んでいる。
 もぞもぞと布団をどかし、そして異変に気がついた。はやての表情がおかしい。

 「はやて? はやて?! どうしたんだよ?!」

 はやての背に手を差し入れて、姿勢を戻しながらヴィータが半ば叫ぶように問う。

 「――いたい。」
 「はやて?」
 「しぬほど。」

 限界であった。心臓、つまり胸付近を手で潰れんばかりに握り締めていたはやては、ベットに座っているヴィータに向けて体を倒れこませた。

 「はやて?! はやてぇ!!」

 悲鳴が上がった。
最終更新:2009年01月27日 00:48