高町なのはの朝は、平均的な小学生と比較しても、極めて早い。
彼女は早起きが得意ではない。しかし、それでも彼女は頑張ったのだ。だからこそ、早起きができるようになった。
 ということで、インテリジェントデバイスの『レイジングハート』の声で朝起きたら、直ぐに目を覚まして、いつも着ている赤の線が入ったジャージに着替える。

 「よいっしょ、んんんんん~。」

 そして自らの部屋でせっせと準備体操をし、全身の筋肉や腱を伸ばしにかかる。脚を広げて体を前に倒して床につけたり、といった動作だ。流石に若いだけあって、しなやかに動く。
 やがて、もう十分だと思ったのかストレッチをやめて、レイジングハートを首にかけて自分の部屋を足音を立てないように出た。
 見つからないようにしているわけではない。ただ、一々起こすのが嫌なだけだ。

 「よしっ。行ってきまーす。」

 と、自分の家が経営している喫茶店の奥に向かって小声で言うと、なのはは自宅を出た。朝の空気がおいしい、朝の太陽が道路を照らしている、そんな時間帯。

 彼女が、つまり、なのはがこんな訓練を始めたのは、本人曰く「居候」である『キール=ベネシャル』の影響であることが大きい。
 PT事件終結後、彼女はその力を買われて正式に魔導師になった、なんて事にはならない。なにせ彼女はまだ小学生なのだ。そんなことを許すほど時空治安維持局は甘い組織ではなかった。
 現在のなのはの立場は『見習い魔導師』ということになっている。
 本人はいきなり魔導師になりたかったらしいが、「なれますか?」と尋ねたところ、「ええ。なれますよ。正し、ある程度の学力と教養――つまり試験を受けることと、厳しい体力測定、さらに仕事上で必要な法律を覚えることと、親の、もしくは親族の同意書など、とっても大変ですが。」と係の人ににこやかな笑顔で言われたので、すごすごと引き下がるしかなかった。
 何しろ彼女は九歳、小学生。あまりに若すぎて『予備隊』への入隊すらできない状況なのである。
 しかし、彼女の才能は維持局にとっても欲しい。
それを幼いころから伸ばせないか、ということで、異例の『見習い』という措置が取られたのだ。
 その『見習い』にもいくつか条件があった。

1、 魔法をむやみやたらと使用しないこと。
2、 『指導官』をつけること。
3、  何かあった場合は『指導官』の指示を仰ぐこと。

 と、言うことで男性の指導官『キール=ベネシャル』がやってきたのである。
 キールが、「どこに住めばいいんだ」と言ったとき、彼女は自身の家に同居すればいいと提案した。彼女本来の性格がそうさせたのだ。
 彼女の家はそれなりに人気がある喫茶店『翠屋』を営んでいる。
 ケーキが美味しいと近所では評判のお店、そこに彼は意外とすんなり住まわせて貰うことを了承された。
 なぜか? それは高町家が魔法の存在を知らされているから、というのと、なのはの推薦だからということ『も』ある。
 なのはが『見習い』になるに辺り、維持局は「実質戦争ができない」日本にコンタクトをとった。だが、日本政府は魔法の存在を否定した。つまり、時空維持局そのものを拒否したのだ。
 じゃあ実際に見せればいいと言うかもしれない。しかし、例えそれが現実の現象であると突きつけたところで、低姿勢な日本が大きな行動を起こすとも思えない、そう円卓は決定した。(既に日本については調査済みであった。)
 だったら、来るべき『魔法の存在を第97世界に発表する日』に備えて『協力者』を増やすべきだ。なら、『高町なのは』の家族に協力者になってもらえばよい。
 と、いうものの、高町家は当初、難色を示した。
 当然だ。知らない人がいきなり家に住み込むという一大事なのだから。
 しかし、キールに実際に会い、その性格を気に入ったのか、なのはの父親である高町士朗は彼が一緒に働くことを条件に了承した。
 なにより、彼には珍しい才能があった。
 それは、プロ級のコーヒーを作る技術。
 豆の選択から道具、さらに隠し味、そして様々なコーヒーの入れ方まで。
「粉末は慎重に慎重に慎重に」「あと二十一秒で……」「温度を計算しろ」などと呟きながら、何故か不気味に瞳を輝かせながらコーヒーを作る。
 その味は、士朗を思わず唸らせた。
 それ以来、キールは翠屋のコーヒーメーカーになった。

 マラソンとは、哲学に似ているらしい。無心に、ただ一点を目指す。
 もっとも、なのははそんなことを考えず、体を鍛えるために走っている。
 運動音痴だろうがなんだろうが、走ったり筋トレをして体に日常生活以上の負荷を与えれば、間違いなく体は引き締まっていく。

 「ハッ、ハッ、ハッ。」

 息のリズムは一定に、決して乱さずに吸って吐いて。冷たい十二月の空気に二酸化炭素が多くなった息が吐き出され、新たに酸素の多い大気がなのはに吸い込まれる。
 朝の公園は静かだ。鳥などの動物以外に動くものがいない。
 なのはは、そのまま公園を何周もする。徐々に距離を伸ばしていかなくては現状維持にしかならない。距離を増やしてこそ、『特訓』の意味があるのだ。
 この特訓は、決してダイエットとかといったことではない。そもそも彼女自身肥満体形ではないし、小学生から減量なんてとんでもない、健康にかかわる。

 ≪前回より速度が上昇しています≫
 「うん。」

 首にかかったレイジングハートからの言葉に、僅かに速度を落とす。常に同じ速度を維持するようにキールに言われていたからだ。
 それから暫くの後、彼女は足を止めた。
 頬は赤く染まり、体中に汗が伝い、息は乱れている。「その手」の人間が見たら、きっとその気になってしまいそうである。
 周囲には誰もいない。時間はそれなりになってきたが、やっぱり誰もいない。

 「帰ろうか、レイジングハート。」
 ≪Yes.Master.≫

 彼女は、キールに「朝、魔法の練習をしてもいい?」と聞いた。すると、「それは駄目だ。走るぐらいにしておけよ」と言われたので、それに従った。
 基礎体力をつけるのは、きっと損にはならないと思ったのもあるし、健康にもいいかな、と思ったからである。戦闘には魔法が使用されるとは言え、基礎体力は必要である。戦闘の最中に魔力の貯蔵が少なくなってきたら、それこそ『息切れ』になりかねない。

 彼がコーヒーを作り始めたら、決して触れるな、それが高町家の暗黙のルールである。

 「よしよし、いい子だ……。」

 本人曰く、「マズイコーヒーで鼻血吹いた、それ以来、俺は、自分が入れたコーヒー以外は飲めない体になったんだぜ……。」と、戦場で妻を思う戦士の顔で語り始めたため、それ以来誰も突っ込んでいない。そんなことをすれば、おいしいコーヒーを飲めなくなってしまうからである。
 『キール=ベネシャル』。
 本人は治安維持局の陸軍か海軍に入りたかったらしいが、「適正無し」として七課入りが決まった男。あまりに纏まらないボサボサ茶髪に長身、戦闘に関してはそれなりの評価を受けている。なのはの為に特別に派遣された『指導官』である。
 大槍型鎖付きストレージデバイス『コキュートス』と、『氷結の魔力変換素質』を武器に接近戦を挑む。そのデバイスは、そん所そこらのデバイスとは違う。能力ではない。主に強度がすごい。
 さて、彼は高町家の食卓に出すためのコーヒーを淹れている。だからと言って、彼が手を抜くことはない。手を抜くぐらいなら、彼はきっと海に飛び込んで国境でも超えるであろう。決して冗談は言っていない。

 「キールさんおはようございます。」
 「よう、お早う。」

 既に翠屋のエプロンを着たキールが、帰ってきたなのはを店内で出迎えた。彼はこれから高町家の朝食の手伝いをするのだ。
 でも、彼は家の誰よりも早く起きて店内の掃除をし、訓練をし、コーヒーを作る。とどのつまり、彼はコーヒーホリックというか、マイスターというか、とにかくそんな感じなのである。
 そればっかり強調するのもあれだが、他に趣味らしき趣味も持っていないのだから、彼を説明するときはまずコーヒーから入る。そのほうがきっと分かりやすい。多分。


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 騎士たちに伝えられたのは、残酷な事実だった。
 彼女の体は、最初なんとか下半身だけで済んでいた麻痺が、徐々に悪化してきている。つまり、上半身まで広がってきているということである。
 担ぎ込んだ近所の病院の医師は、「原因が特定できない以上は手の出しようがない。」と、暗い色を含んだ表情でヴィルケンリッターに語った。
 もし、もしも、麻痺が重要な器官にまで広がったら。
 ヴォルケンリッターは、はやてに『蒐集』についても説明していた。

 「そんなんいかん。絶対にあかん。」

 と、はやては断固として蒐集行使を拒んだ。相手から能力や力を引き抜いて保存、解析の後に己の技として使役する魔法。それは、はやての性格上は到底許されるものではなかった。
 原因不明の病。治療法すら分からない。しかし、時は決して待ってくれない。
 だから、彼女・彼らは決意した。蒐集をはやてに気がつかれないように行い、そして闇の書の力でもってはやてを治すと。
 万が一麻痺が心臓・肺に達した場合、はやての命は無い。

 「うらぁぁぁぁ!」

 ヴィータのグラーフアイゼンの一部が開閉し、推進装置らしきものが、火を噴きながらヴィータを強制的に加速させる。
 対するは熊ほどの大きさの、蜘蛛にも似た魔法生物。脚部についた鋏を振りかざしてヴィータを切り裂かんとするも、その絶対的な威力をもって叩きつけられた鉄槌に頭部を粉砕され、吹き飛んだ。

 「カートリッジロード!」
 ≪Explosion!≫

 カートリッジを追加でデバイスに叩き込む。より一層火炎が勢いを増し、ヴィータは、周囲に群がってくる蜘蛛どもをものの一撃のうちに吹き飛ばした。
 降りかかる体液は、バリアジャケットを汚すことはなく、表面に展開する真紅の障壁に阻まれて地面に落ちる。
 静寂。
 余剰魔力がグラーフアイゼンの排気口から強制的に排出される。その間およそ数秒、ヴィータは動くことなくその場に立っていた。
 深き森。いつまでも続く、暗闇が満ちる場所。
ヴィータがこんなところにいるのも、勿論理由がある。意味なくこんなところにいる道理はない。

 「蒐集開始。」

 既に息絶えた蜘蛛達の体から、光り輝く何かが飛び出していく。
 殆どの生物に存在すると言われる『リンカーコア』。
 それらを集めることにより、『闇の書』のページ、なんと666ページもあるのだが、それを全て埋めて強大な力を覚醒させ、はやての病気を治す。それがヴォルケンリッターの目的だった。
 はやての病気、つまり麻痺の原因は、科学では分からない。
 魔法でしかわからない器官の異常、すなわちリンカーコア。幼いころから『闇の書』は、はやてのリンカーコアに強く結び付き、そして魔力を侵食していた。
 結果、それが体の麻痺として現れた、と、シャマルは見抜いたのだ。
 ヴォルケンリッターだけの権限で『闇の書』を使うことが出来ても、『制御』までには至らない。
 しかし、きっと主であるはやては闇の書を手放そうとは思っていないし、事実を勧告したところで断る可能性が高い。たとえ手放そうとしても、果たしてどういった現象が起こるのか、ヴォルケンリッターには見当もつかなかった。
 持っているだけで厄を呼び込み、手放すことすら何が起こるか分からない。まさにこれは『過ぎた力』だ。

 「………ふぅ。」

 手に持った闇の書にリンカーコアが吸い込まれていく。一匹につき一ページ。あまりの収穫のなさにヴィータは舌打ちをした。
 わざわざ闇の書で他の世界に来たというのに、これっぽっちでは採算が全くとれない。
 はやてがいる世界である地球には、極端に魔法生物が少ない。
 ヴィータを含む全員は、正に焦っていた。

 「―――そうだ、その手があった。」
 「ちょっと待って、それはどうかと思うぞ。」

 いい考えが浮かんだと、グラーフアイゼンを肩に担ぎ、歩き出そうとした矢先、声がかかった。しかし、どこにも姿は見えない。
 もちろん大木の後ろに妖精なんていない。居たらヴィータに狩られている。

 「あんだよ、邪魔すんなよな。人の体に同調してついてきてるだけなんだからさ。」

 幽霊。
その言葉を信じる人は少ない。ヴィータもそうだった。『だった』。

 「そんな小さな獲物、いくら大量に狩っていたってしょうがないと思うんだ。」

 例の図書館でのこと。ヴィータがふと視線を上げると、そこには男が立っていた。
 それだけだったらよかった。だから、お前なんだ、と声をかけた。
 そしてその男が、見えるのか、といった刹那、その男の横から歩いてきた制服の女が、男の中をすり抜けた。
 そして男は、あはは、と笑うと、俺はね、ちょっと幽霊を仕事にしてるんだよ、とおどけたような、悲しい口調で言った。
 それ以降、この男はヴィータに『憑いて』きている。だから、姿は見えない。
 本人が言うには、魂には一種の波長がある。オレの波長と、君の波長が似ている、だからついていく。もう何十年も喋ってなくて寂しくてね、と。
 つまりは気に入った、とでも捉えればよろしい。

 「リンカーコアを持っていて、しかも比較的見つけやすい、それは大きな魔法生物なんかじゃない。もっと近くにいると俺は思うのだが……。」
 「そんなの居たか?」

 この男、生前は魔導師に近い、裏の仕事に就いていたらしく、ヴィータの魔法に関する説明にも動じることなく理解し、なおかつ質問攻めにしてヴィータを困らせた。生きている内に会いたかったと彼は言っていた。
 ヴィータは、良質なリンカーコアを持っていそうな生物を探しながら問うた。

 「人間さ。魔導師なら持っているはずさ。こんな妙な蜘蛛を倒すよりもずっと効率的だ。」
 「それは盲点だったな。もっとでっかいドラゴンとかにしようと思ってたんだけどさ、そっちの方が確かによさそーだ。」
 「それと少し取引がしたい。」

 男は持ちかけた。その間もヴィータは森の中を歩いて行く。獲物がいないか目を光らせながら。

 「オレを入れる器を探して、ついでに入るために手伝ってほしい。その代わりにオレは君に力を貸して戦闘をサポートする。」
 「どのぐらいの力を持っているかにもよるな。」
 「そうだな――――まぁ、生きているときは岩を割ることぐらいはできたね。」
 「わかった。」

 岩を割れるなら十分だ。
今は少しでも力がほしい。そして、なるべく早くリンカーコアを蒐集して、はやてを治してやりたい。なら、ここで手を組んでおいて悪くはないはずだ。

 「手を組むよ。ところで名前は?」
 「名乗るほどのものじゃない―――――。」


 「ただ、生前は『暗き王冠』と名乗っていた。」



 こうして、『暗き王冠』と『鉄槌』は契約を交わした。
最終更新:2009年01月26日 16:04