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 ああ眠いなぁ、と童顔に小柄細身な立派な軍人ヴァジルカ=ハウゼルは思った。
 今は昼の十二時過ぎ。
 軍人が昼間から眠くなるなんて――と思うかもしれないが、この男、ヴァジルカには訓練はほとんど必要ない。体は人工筋肉により一定の力を発揮できるし、骨格も強化素材で補強されている。頭脳に関してはもう言うことはない。少年時代に受けた強化手術や電子機器、それに最新型ナノマシン群により普通の人間ではありえない情報処理を行える。
 今やる仕事といえば、佐渡島のハイヴの偵察くらいか。
 その程度では疲労しようにしない。
 暇を持て余した軍人というのもどうかと思うが……。
 ヴァジルカは今日の昼、和食の――サバの煮付けを食べた。最初和食を食べたときは「奇妙な味だ」という感想しか抱かなかったが、最近は「おいしい」に変わった。これがほとんど合成されたものだというのは途中で気がついたが、それでも美味ということには変わらない。
 昼寝はヨルムンガンド級輸送艦の仮眠室ですべきだろうが、最近は新潟基地の屋上でするようになった。何故か? だって気持ちいいじゃんとはヴァジルカの言葉。
 開放されている屋上への階段を登り切ったヴァジルカは、昼寝の前にタバコでも吸おうかとしてポケットを探って、箱を取り出す。手慣れた手つきでタバコを一本咥えると、さっきから手の中で温めていた金属製のライターを空中に放り出して、それをパシンと音をさせて同じ手で取る。
 風が吹いている。
 心地が良い風だ。
 まだ冬に近い今だったが、ヴァジルカはそんなのどうでもよかった。
 今着ている軍服であれば、この程度はなんとかなる。というよりむしろ、本人が寒さや暑さに強いという身体的な特性がある訳だが。
 ヴァジルカが屋上を見渡すと、一人の人物が目に入った。屋上の手すりに体重を預けるようにしてどこか遠くを眺めているのは、検非違使あやの。吹き抜ける清い風があやののツインテールを右へ左へ揺らす。
 ふと、あやのがヴァジルカの方へと視線を向けた。

 「よお」
 「………」

 ライターを持った手で何気なく挨拶をしてみる。ところが、あやのは一切の反応をせずに銅像になっている。否、その眼はヴァジルカの上から下まで観察をしている。
 と、その眼が咥えられているタバコを捉えて、そしてさっと手に持ったライターを一瞥した。
 特に話すこともないのでヴァジルカは、いつも通りに屋上のタンクの側へと歩いて行く。と、今まで興味がないような顔をしていたあやのが動いた。手すりの側から離れてヴァジルカの後ろをトコトコとついて行く。
 そしてヴァジルカが口に咥えていたタバコにライターで点火――というところであやのが素早く動く。抵抗すること許さないような勢いでヴァジルカの正面へと移動すると、咥えていたタバコを奪ったのだ。ライターの火が虚しく揺れる。

 「……屋上は禁煙じゃないだろ」
 「……体に悪い」

 ヴァジルカは不機嫌そうにライターの火を消して、ポケットに捻じ込む。
 そのツインテールの少女に軽くガンを飛ばしてみるも、あやのは動じることがない。それどころか、逆に睨みかえす始末。十秒経過しても二人の視線は重なったままで、屋上をつまらなそうに風が吹き抜ける。

 「お、俺は特別なんだよ」

 あやのとの身長差が大差無いヴァジルカは、その圧力に負けてたまるかとばかりに視線を逸らさない。反論しようとしたものの、なぜかどもってしまった。何が特別なのかを詳しく説明することが出来ない為に、言い訳にしか聞こえないところが虚しい。
 その虚しいセリフを聞いたあやのは、持っていたタバコを指先で器用にも回して見せる。そしておもむろに胸のポケットに放り込んで、金属製のチャックを閉めた。

 「てめえッ」

 手を伸ばしてタバコの奪還を試みようとするヴァジルカだったが、それは目に見えない障壁で阻まれることになった。手が「胸」ポケットの前で静止する。おもに胸的な意味の、男にはない、ソレ二つ。タバコ一本を諦めきれないのは、喫煙者の悲しい性なのか。
 してやったりと口の端を持ち上げるあやの。わざとらしく胸を押さえて数歩後退すると、ヴァジルカに聞こえるかどうか怪しい小さな、それでいて男を退けるのに十分な言葉を発する。

 「……変態」
 「ぐっ、……だがどうする? 俺は構わず開けてしまうかもしれん」
 「その時は大声あげて泣けばいい」
 「………女って生き物はこれだから……」

 俺の給料返せと、最近暇な軍人ヴァジルカは心の中と外でぼやく。
 なんでこのあやという女が喫煙することを許容しないのかさっぱり分からないが、ヴァジルカは踵を返してあやのから離れる。そしてさっきと同じようにタバコを取りだして咥え、ニコチンを要求してくる体を満足させるべくライターを取り出して、火を――
 タタタン、と地面を駆ける足音。

 「奥義 隼蹴り」

 ヴァジルカは、とっても綺麗に背中に決まったあやののドロップキックでスッ飛んだ。
 強化されて頭脳でも、タバコを吸おうとする行為だけでドロップキックは予想できなかったらしい。ライターとタバコの箱がどこか明後日の方向に転がっていく。顔面から地面へと叩きつけられるよりも前に肘で衝撃を軽減した為に、その喫煙者はダメージを負わなくても済んだ。
 何が奥義なのか。一体なんだそれは。
 マンガか? 否、この世界ではそっちの方面の文化が進んでいない筈ではないか。
 ニコチン不足でイライラしていた童顔喫煙者は、もう意地となるしかない! という意味不明な思考に至った。
 喫煙者は消毒だとばかりに次なる攻撃をしようとしているあやの。それを尻目に、狩りの対象者であるヴァジルカは、地面を蹴るが如く――どう見てもゴキブリの動作で――ライターの方へと進み、

 「必殺 落雷落とし」

 あやの流格闘術の必殺技―――どうみても踵落としです。
 あやのは、ステップを踏むように足を運んで、足を振り上げる。
 そして童顔ゴキブリの背中に、踵に乗せられた全体重と全ての力が斧を振るように叩き込まれた。ドズン、と嫌な音が周囲に響く。堪らずその場で停止してしまう哀れな一匹の男。手抜き無しの一撃は、相当利いたようだ。屋上を吹き抜ける風が、気持ち悪い。
 言うまでもないことだが、眠気は落雷が落ちるが如く消え去った。

 「ふぅ~~、鈍ってしまっている」
 「つーーーーーー! たかがタバコでここまでするかよ!」

 汗もかいていないのに額を手の甲で拭うあやの。心なしか爽快そうな雰囲気である。
一方のヴァジルカは冗談抜きで痛かった。
 体の強化はなされていても、それはあくまで頭脳などに重点を置いた強化。体自体の強度は常人と大差ないのだ。そんなことを勿論あやのが知っている訳がないが、無抵抗の人間に容赦なく踵落としは如何なものか。真相は本人のみぞ知る。
 背中をさすりながら、ヴァジルカは体を反転させてその場に座るような体勢をとる。
 それを、ジロジロ遠慮なく見ているのは蹴り少女こと検非違使あやの。ツインテールが風に揺られている。だが、それだけである。さっきの動作でも髪の毛は一切乱れていない。

 「―――?!」
 「―――――」

 タバコの小さな箱を見やり、ライターに視線を固定したところで、あやのがまた新たな技を仕掛けるべく片方の脚を引き始める。それに気がついたヴァジルカは、溜息をついて両手を上げて見せた。

 「降参する。女とガチバトルはしない主義なんでね」
 「……ガチ?」
 「……あぁ、ほら、マジでって意味」
 「……マジ?」

 話が局所的に通じていない様子である。
 バトルの意味は、多少英語を知っている者であれば誰でもすぐに解る事だが、ガチは英語ではないからやむを得ないのかもしれない。だから今度は「マジ」と言い換えてみたのだが、これも通じていない。ああそういえばこの世界では通じないのだったな、とヴァジルカは思い出した。
 そう説明すべきか、と軽く思考し始めたところで、あやのが自然な動作で傍らに座った。
 ちなみに二人は、今日が初対面ではない。
 何回も顔を合わせているのだが、特に話すことがないので、それほど親しく会話をしてこなかったのだ。

 「とにかく、マジってのは本気で、とか本当に、って意味だと思ってくれればいい。あんま り深く考えるとアレだろ」
 「変なの」

 体育座りになったあやのは、笑みを浮かべるでもなく、あきれるような表情になるわけでもなく、ただ真顔で言ってくれた。

 「未成年がタバコ……軍法会議モノ」
 「俺はな、俺はな、――お と な !」

 あやのは、触れてはいけない点を軽く突いた。勘違いをしていけない。ヴァジルカはれっきとした大人であり、未成年ではない。つまりお酒も飲めるしタバコを吸えるし、子供には見せられない書物も購入出来るのだ。さらに言えば結婚も可能である。
 だが、少し考えて頂きたい。
 元の世界ならいくらでも証明する手段がある。個人情報がプログラムされた手帳なり、軍部に所属している証明であるなにかを提示。最悪軍部に問い合わせてもよい。
 ところがここは異世界。元の世界の証明書など役に立たないし、本部への通信すら出来ていない状況なのだ。別の世界から来ました、とも言えない。
 辛うじて通じそうなのは、ガキの頃に脳味噌弄って、成長が遅れている。
 ……それも却下である。この世界では人体を強化する技術そのものが一般的ではないし、そもそも無いに等しい。口が裂けても言えない。
 体育座りで膝を抱くような体勢で、ヴァジルカへ向ける視線に哀れみを混ぜ始めたあやの。それを、固い屋上に緩く座ったまま睨みつけるヴァジルカ。視線がぶつかり合う一点で、金属を溶接するが如く火花が散った。

 「ふ~ん」
 「信じてるか?」
 「信じてると思う?」
 「……いいや。もう、いいや」

 あやのの、どこか儚げな雰囲気の両目を睨んでいたヴァジルカであったが、証明すら出来ない故にそこで黙るしかなかった。負けた。ガキに負けた。心の中でヴァジルカは、目から変な汁を流すしかなかった。
 そう、母なる海のように塩分を含んだ汁を。断じて涙ではない。

 「ずっと聞きたかった事がある」

 さっきからずっと視線を逸らさないあやの。
 ヴァジルカはそれに耐えきれずに、どこか遠い空を見ている。

 「貴方――いや、貴方達は、何者?」

 これに正直に答えるわけにはいかない。ヴァジルカは、パタンと音をさせて後ろに倒れこむと、腕を枕にして昼寝のポーズをとった。昼寝をするつもりはないが、なんとなくだ。色々な言い訳を考え、数秒後にあやのの方に顔を向ける。

 「機密事項につき回答不可だよ、君」
 「……なんで?」
 「それを無理やり聞きだしたら軍法会議モノでねぇ」

 くくく、喉で笑うヴァジルカ。軍法会議モノというところにアクセントを乗せて、あやのに返答してやる。軍とは実に便利だ。真実の隠蔽を行うのがあまりに簡単すぎる。
 他のナイトメア隊員と比較して表情の薄かったあやのの顔が少し不機嫌そうになる。どうだ、参ったかとばかりのヴァジルカの態度と口調が気に入らないらしい。それを知ってか知らないか、ヴァジルカが鼻で「ふふん」と笑った。
 次の瞬間、世界を目指せる突きがヴァジルカの鳩尾に突き刺さった。
 それはもう、綺麗に。ご丁寧にも中指の関節が突き出した拳で。

 「おぐっ! あああああああああ……」

 七転八倒。赤子のように体を丸めて痛さに耐える。
 この検非違使あやのという少女は、冷静そうに見えて、実は全然そうではないという事実が今確かになった。戦闘で一切の感情の揺れを見せないというのに、このヴァジルカという男はそれを覆してみせた。ただ、痛みの方向に。
 表情の変化こそ少ないが、不機嫌そうなあやの。彼女は、痛みに耐えるヴァジルカをじっと観察している。片や体育座りのツインテール少女、片や「ああああ」と声を上げる一人の男。
 これがシュールというのだろうなと、ヴァジルカは思った。

 「頼むから本気で殴らないでくれ……」
 「……検討しておく」

 そういうと、彼は立ち上がる。
 彼は安眠の地を目指してヨロヨロと歩き始める。
 当初の目的である昼寝をするための動作だったのだが、先ほどの格闘――むしろ一方的な制裁で眠気は宇宙空間の果てまで飛んで行ってしまっていることに気がついた。歩みを 止めるヴァジルカ。どうするべきだろうか、と思考する。
 あ、じゃあタバコで体力と気力を回復しよう。
 これからどうするべきかは、それからでも遅くはないし。そう言う結論を出した。転がっているタバコの箱とライターへと足を進めて、タバコの箱を手に取った。背後で膨れ上がる殺気に、ヴァジルカは神速の回避行動に移った。
 ……だが、熱源誘導ミサイルのようにあやのは狙いを外さない。
 ぎゅるぎゅるぎゅる。

 「必殺 回転雷撃落とし」
 「おおおおおおおおおお?!」

 回転しながらのドロップキック。哀れなり。






 「―――さて、本日皆に集まってもらったのは他でもない」

 重苦しい空気を打ち破る様に、富士キサラギが口を開いた。
 軍人として必要最低限の基礎訓練や射撃訓練。BETEと戦うのに必須の戦術機の戦闘シュミレーション。その他を終えて、食事をとった後の今。気だるさ残る午後。いつもなら今までの自分たちの戦闘についての意見交換やフォーメーションの研究をしているはずだが、今日は早めに引き揚げた。
 温かい合成茶を啜っていた面々は、キサラギの言葉に面を上げて、体勢を正す。――正していないのが一人いるが。
 食堂の一画、長方形の机を陣取ったナイトメア隊のメンバーは、各々で視線を交わした。

 「他でもないって、いつも通りだろ。ついでに近いと思うゼ」
 「まぁまぁ。そう言わず聞きましょうよ」

 どこか諦め口調の宵崎 白夢は、自分の長い白髪を指で弄りながら答えた。それを隣に腰かけていた椎名 宗一にやんわりとなだめられると、むう、と言ってキサラギの方を向いて押し黙る。香舞園 理佳は既に知らされてあったらしく、肘をついて頭を支えた体勢で待機中。合崎 リンはどこか落ち着かない様子で自分の十字架のネックレスを軽く握っている。検非違使 あやのは、どこからか持ってきたお茶菓子を食べている。
 キサラギは最後の一口の合成茶を飲み干すと、コトンと音をさせて机の上に容器を置く。

 「我々は、かの部隊――サクラ部隊と、どう接していけばよいのかということだ」
 「決まってんだろ。放置、放置。連中は俺たちが知っている以上のナニかを抱えてる。……何せあの香月副司令官だゼ? 得体の知れないことに首を突っ込んでる気がしてならねーし」

 深刻そうな顔でキサラギが言うと、白夢がさも当たり前であるかのように即答した。まるで、答えを既に考えてあったかのような速度で。
 すると、いかにもダルそうな雰囲気のショートカットの少女の理佳が、これまたダルそうに口を開く。

 「……私も気になって色々調べてみたんだけど」

 ナイトメア隊の視線が理佳に集中する。キサラギが先を促すように相槌を打つと、理佳は椅子に深く座りなおして腕を組んだ。

 「サクラ部隊専用のやたらとデカい格納庫があるだろ? あれなんだけど、外見は格納庫に見える。そこが問題なんだよな~」
 「と、言うと? どういうことです?」
 「……それが普通なのではないでしょうか?」

 妙な表現を使用した理佳に対して、宗一と、今まで黙っていたリンが口を開いて質問する。外見が格納庫で、中身もあの高性能機を収納しておく格納庫。それになんの問題があるというのだろうか。
 理佳が続ける。

 「考えてみろ。……アレ、いつ建てられた?」
 「…………さぁ」

 ナイトメア隊の全員が黙り込んだ。考えてみれば、あの大きさの格納庫なら、一日二日で建てられるはずもない。隊長でもあり纏め役でもあるキサラギがそれに対して何かを思い出すかのように言葉を紡ぐ。ただし最初に「これは上官が否定していたが」と言ってから。

 「聞いたことがある……あれは実は新兵器で、浮いてきたとか……」
 「……浮いて? ちょっと待って。あの有名な凄乃皇みたいにってこと?」

 その噂話を、途中であやのがさえぎった。明らかに信じていないニュアンスを含んだ言い方だったが、完全否定している訳でもない。所謂半信半疑と言ったところか。
 普段と違って冷静な理佳は、その言葉を聞いて数瞬沈黙して、

 「でさ、近くで見ようとしたら警備兵に門前払いを食らった。頭きたけど……これも実は問題あり。だってさ、中に入れないならともかく、格納庫に近寄ることすら禁止されている。んで、さっきの格納庫は新兵器って噂。格納庫自体も、中身も新兵器なんじゃねーか?」
 「と、いうよりも、そう言う風に考えるのが妥当、ということか」
 「そうそう」

 キサラギが頷きながら合成茶の入っていた容器に口をつけて、中身が空っぽであることに気がついて元に戻す。
 みんなを反応を見ていたあやのが、再度口を開いた。

 「あの機体の能力は異常。ああいったモノは、悔しいけど常にアメリカとかの大国が作ってきた。けど状況から考えて、アレは日本で製造されたように思える」

 思った通りの事を口に出して、そのまま黙る。食べかけの茶菓子に手を伸ばすと、リスのように端から削り取る様にして食べるのを再開する。

 「確かに。悔しいがそうなる。異常と言えばメイゼもそうだ。みんなは模擬戦闘の時の事を覚えてるか? アイツ、銃弾を空中で撃ち落としてた。あれは異常なんてものじゃない。人間じゃない」

 軍人とも平時の口調ともつかぬ言い方でキサラギが言う。その目は、どこか遠くを見つめているように食堂の壁に掛けられた小さな絵を凝視している。特に意味はないが、人間というのは、何かを思い出す時に関係のないところを見つめてしまう性質があるのだ。
 音速で発射される弾丸を、回避することならなんとか可能かも知れないが、それが迎撃となると話は違う。銃弾を銃弾で撃ち落とすという行為は、本来高度な電子機器が行うべきことである。人間の仕事ではない。
 そういえば―――メイゼは人間を止めたと言っていた。
 体を弄った、と言っていた。
 大事な人を護るために人間の尊厳を捨てた、ということなのか。いや彼風にいうなら任務のためにか。
 キサラギは、あの新兵器、そしてメイゼらはオルタネイティヴ計画に関してなんらかの形で関わっているのか、と思った。
 一般的に言う超能力を所持した人間の研究もその中に――大真面目に入っており、当初はBETAと意思の疎通を取るためのものであった。結局、「BETAは人類を生物と見ていない」という無残な結果に終わった。
 ひょっとすると、オルタネイティヴ計画の中で一般には公開されていないのがあり、その内の一つがあの高性能機、そしてメイゼらなのではないか。
 これはあくまで推測に過ぎない。
 キサラギは、みんなに言うのであれば、もう少し情報が必要だと考えた。
 だが、一体全体、どうやって情報を得るのだ?
 あのメイゼは防衛戦以降口を開かなくなり、言うまでもなく格納庫には入れない。香月副司令官に尋ねるという手は却下。一介の兵士に重要な情報をペラペラ喋るわけがない。サクラ部隊で一人だけ口が軽そうなヤツがいるが、仮にも軍属。可能性は低い。
 こんな状況で「どう接するか」ということを考えるなど、おこがましい。
 キサラギは一人心の中で苦笑した。
 みんな思うことがあるのか、腕を組んだり、意味なく合成茶を飲んだりして沈黙する。
 聞こえるはずのない時計の秒針の音が、空間に満ちているように思える。

 「あ……」

 リンが誰にも聞こえないように押さえて、でも十分な声量になってしまった言葉を言った。みんなの視線がリンに集まり、その双眸が見つめる先を探す。

 「メイゼか……」

 喉が渇いていたのだろうか。
 いつにもまして厚い鉄仮面を被ったその男は、自分以外の一切に興味を示さずに食堂に設置してある冷水器の前に立つ。そして小さなコップに水をなみなみと満たすと、一気に胃袋に流し込む。それだけでは足りないらしく、一回二回三回四回五回六回七回八回九回……。

 「なぁ……英雄ってのはよく飲むんだな」

 唖然とした様子で、理佳は呟いた。







 どうすればよいのだろう。
 トレーニング施設の一画。ベットにも似た器械を使って腹筋をしていたリンは、息を荒くしながら考えていた。うだうだ考えるくらいなら、運動でも――ということで始めた筋トレだったが、結果は変わらず。思考は踊る。されど進まず。
 上半身はスポーツブラと白いシャツのみ。下半身は軍服のズボンのまま。
 スプリングが体重の移動に合わせてギシギシと金属的な音を立てる。
 どんな時間に来ても、ここは誰かいる。軍人というのは体が資本故に、命令を受けていなくても体を鍛えに来る連中は山ほどいる。どことなく汗臭い空気が呼吸するたびに肺に入ってくる。

 「――ふっ! ふ、う」

 両手を組んで頭の上に置いて、誰に言われるでもなくただ上体を起こして、元に戻す。
 それをしばらく続けていた所為か、汗がシャツとズボンに染み付く。額から汗が流れ落ちていて、床に落ちる。すると、汗が目に入りそうになった。

「……痛ッ」

 腹筋を中断。器械の上に座る。
 目をゴシゴシ擦ると、痛む目の痛みが引いてきた。ほっとした様子で腹筋を再開しようとして、―――また、汗が目に入った。しかも、大量に。瞬間、沈黙してしまう彼女。数秒後、リアクションを起こし、

 「……。~~~~~~~!」

 汗というのは、元体液である。
 見方を変えれば体の体温調節のために流れ出た体液であるが、流れ出ることを前提としているので、成分が普通の体液(母乳等を除く)とは違っている。つまり、プール等の時に水が鼻から入ると痛いのに、牛乳が逆流しても痛くないのは成分の違いである。試しに成分を調整した水溶液を鼻に入れていただきたい。痛くないはずだ。多分。
 痛い。
 両目を擦りながら立ち上がり――そのままトレーニング用の器械の鉄の足に躓いてすっ転んだ。今度は顔面を押さえるリン。あ~う~などと意味不明な言葉が漏れる。
 硬質な床を誰かが歩いてきて、リンの側で足を止めたような音が聞こえた。顔を上げてみると、同じ部隊所属の香舞園 理佳の小柄姿があった。その表情は不思議なものを見るような感じで。具体的に言うと小動物でも見るかのような、なまあたたかいしせん。
 なまあたたかい、しせん。

 「……アンタは何をやってんだ」
 「り、理佳……」

 誰にも見られたくない醜態を見られた所為なのだろうか。心の中と体からしょっぱくて苦い涙が出てきた。これは目が痛い・顔面が痛い、ということで出てきた涙であって、などと心が言い訳を叫ぶ。その言い訳を抑制しつつ、リンは立ち上がった。

 「な、なんでもありません!」

 垂れる汗。それを気にせずに、しょぼしょぼする目を見開いて、腕を堂々と組んでそう答えた。ただ締まらない事に鼻の頭が赤くなってしまっている。幸いなことに髪の毛は三つ編みにしているお陰でほとんど乱れることはなかった。
 汗を拭くための白いタオルを首にかけた理佳は、今しがたリンが転倒していた場所を指して、

 「……でも顔から転ん」
 「違います! 新しい訓練です! そうなんです!」

 もうどうにでもなれ、いやいや、これは隠蔽せねば。
 羞恥心からか、リンの顔が真っ赤になっていく。
 それに気圧された理佳は、首にかけていたタオルで首筋を拭いて、一歩後退した。なんというべきか、普段の丁寧な物言いが完全に変化してしまっている。ここで追求したらヤバイかもしれない、と本能が騒いだのだ。

 「そ、そう、か。……とりあえず休憩しよう」
 「――ハイ」

 二人は周囲をしばらく見まわしていたが、4人は腰かけられそうな黒いベンチに座った。いつ用意したのかは不明だが、理佳が水の入った透明なコップを渡してきた。
 ひんやりとしたコップを受け取ると、指先から冷気が伝わる。

 「あ。ありがとうございます」
 「いやいや、いいって」

 静かに冷たい水を飲む二人。
トレーニングに励む軍人らを見つつ、理佳に渡されたタオルで汗を拭く。すると、運動することで生まれた無駄な熱が徐々に消えていき、通常の体温に戻っていくのを体で実感することができる。トレーニング機器の稼働音と人の声が混じり合った独特の喧騒が耳に心地よい。

 「にしても……最近はどうしたんだよ?」

 唐突に抽象的な言い方で理佳が話を切り出した。リンは意味がよく分からないので、理佳の顔を見ただけで留まる。
 理佳は椅子に座り直すと、持っていたコップの水を一口飲んだ。

 「戦術機訓練の成績は下がる。射撃訓練も下がる。話しかけても答えないことがあるし、食事量も減った。アタシじゃなくても多分みんな気が付いてると思うけど」
 「それは……」

 そうなのだ。戦術機の仮想訓練では単純なミスを連発。射撃訓練では拳銃・突撃銃・機関銃・狙撃銃、全ての成績が低下。自由時間では一人椅子に座ったまま放心状態。普段食べる量を食べきらずに食堂を後にする。とどめは溜息だ。事あるごとにハァ、と息を漏らす。
 ここまで来ると誰にでも分かる。「ああ、こりゃなにかあったな」と。
 その内の一人が理佳であり、今日偶然尋ねる機会を得たのだ。
 明らかに動揺しているリンに、理佳はショートカットの髪の毛を整えてから問いかける。

 「ほら、話してみ?」
 「え? 何を、ですか?」
 「とぼけても無駄無駄。何かあったんだろ?」

 無駄無駄に合わせるように人差し指が左右に振られる。その指を気が抜けたように見つめていたリンは、水を一口飲む。それから理佳の眼を見つめると、口からもごもごと意味不明な言葉が出てくる。
 それを急かす必要は無い。無理に聞き出そうとして本人が拒否を起してしまうと、そこで話は終了となる。だから理佳は、「話してみな?」という感じに口調を柔らかくする。

 「その~~えっと。そんなに大きなコトじゃないんですけど……その……とある人物、をですね、一目見た時にかっこいいなぁ、って漠然と思ったんです。だから、少し知りたくて陰から見てたんです。ううん、最初の方は一緒に話したりして」
 「ふむふむ」

 内股になって、コップを持っていない方の手で自分の腿を撫でる。もじもじしているというのがぴったりである。自分の爪先付近を見て、思い出すかのように、絞り出すかのように言う。

 「……一緒に訓練とかして気がついたんです。その人はとっても危うい心を持ってるって……」

 彼女の家は、様々な動乱を越えて、一人として欠けていない幸福な――。
 という訳ではない。
 戦術機乗りとして極めて優秀だった父親は、度重なる対BETA戦で信頼する味方を次々殺されて、徐々に疲弊していった。そして、味方を護るためにBETAに一人で特攻して、果てた。死ぬ直前の父親の顔は、今も忘れない。そしてその時の出来事がリンの心に残り、人の心を読む力となった。リーディング能力ではない。人間があらかじめ持っている推測する力だ。直感と言ってもよい。
 危険な事をして、命を落とす人を見たくない。
 ……だがそれは無理な話だ。
 BETAという存在がある以上、どこでも戦場になりうるのだから。
 だからリンは決意したのだ。「傷つく人を見ないように、自分が盾になる」。

 「私が見てきた人の中で、あんな心の人を見たことはありません。でも、なんとなく分かるんです。自分なんてどうでもいい、ただ戦う事こそ全てだ、って」
 「―――で、どうしたいんだよ」

 独白するかのような口調。先程ののもじもじとした様子は既に無く、表情もどこか曇っている。思いだすのは訓練や戦場での出来事。
 人すら自分の為に殺せるあの瞳は、ふと気がつくと色を失っていた。
 壊れてしまったのだろう。
 今まで壊れた人間を見たことはない。でも、あそこまで心を閉ざしているのだ。誰一人として気がつかない方が不思議だ。否、気が付いている人間はいるに違いない。だが、英雄ということで遠慮しているのか、「英雄は心も強い」などと思っているのか。判断はつかないが、あんまりだ。
 ……偽善、これは偽善か、それとも自己満足か。エゴとも言える。
 本人に確認をとったわけでもなし、情報も自分の五感のみ。これで「助けたい」などと考える自分は、間違っているのだろうか。自分より――「低い」人間を哀れむことは、そのほとんどが「優越感」から来ているらしい。すると、この感情もそうなのかもしれない。
 弱弱しげそうに口を開きかけて、すぐに閉じる。

 「まぁ――その、嫌なら言わなくてもいいって。アタシだって言いたくないことは山ほどあるし。完全な人間は居ないっていうし、悩み事は必ず相談しないといけないって法律もない」

 誤魔化すように頬をポリポリと爪でかくと、理佳は立ち上がった。一気に水を飲み干したかと思うと、その冷たさに顔をしかめて軽快なリズムで立ち去った。
 手元には水の入ったコップとリンが残される。
 リンは一人で悩みの海に取り残されて沈黙せざるをえなくなった。






 某日 とある部屋にて。
 撃震77式戦術歩行戦闘機。
 F-4 ファントムの帝国軍仕様機であるこの機体は、信頼性や整備のしやすさなどから度重なる改修を受けて性能を第二世代レベルまで引き上げて、現在も人類の戦力の中核を担う戦術機である。
 その戦術機のカタログデータや、現場での評価などが纏められた用紙に一通り目を通したとある人物は、なんの躊躇もなくこう言ってのけた。

 「全然駄目ね」

 身も蓋もなかった。
 その人物とは、ワーカーホリック(本人曰く日常)にして技術屋であるシーナ=アッシェル技術担当員である。
 使い込まれたツナギに、爆弾のようなナイスバディ。美しく長いブロンドの髪の毛の彼女は、今は色っぽさを捨てた様子で椅子に腰かけている。普段は開けている胸元のが今は開いていないのが見て分かる。

 「……ハッキリ言うのねぇ」

 と、言いつつさほど不機嫌そうでもない香月副司令官は、同じように椅子に脚をを組んで座って、シーナと同じプリントに目を通しつつ、本物のコーヒー(高級品)を啜る。カフェインが彼女の天才的な頭脳の回転率を引き上げる。
 シーナの双眸が香月の顔を捉える。普段はどことなく苦手な人種である香月。でも今はお得意の技術面。態度は同等か、それ以上。
 今まで武装の開発ばっかりに気を取られていたシーナは、試しに機体のスペックデータを寄越すように言い、手に入れて目を通してみた。R戦闘機と比較するまでもないが、特にこの「撃震」の性能が低すぎる。
 防御力も中途半端。レーザーを防ぐことすら困難。
 中途半端な防御のせいで機動力も全ての機体に劣る。
 火力は同等。
 前線ではなく主に防衛用に配備されているというが、これはいかがなものだろうか。

 「これは主に防衛に配備されると聞きましたが?」
 「そうよ。流石に前線に出すにはアレだから」

 でも、必要であれば出すんだけど。そう香月は付け加える。
 ああ、この機体で斬り込みをかけろと命令された兵士は気が気じゃないな、とシーナは思わず苦笑しかけた。戦術機という鉄の棺桶の中で食われるのを待つのは、考えるまでもなく辛い。
 シーナは持っていたノート型パソコンを取り出すと、机の上に置いてキーを幾つか叩いて操作して、とある画面を呼び出す。そして香月の方へと向ける。

 「……と、いうことで」
 「?」
 「コレ、を使います」
 「あぁ……このじゃじゃ馬を?」

 ちょっと意味が分からないらしく、香月は画面を見たまま思ったままの事を口にする。そのルージュをひかれた唇は、しばし動きを止める。
 じゃじゃ馬。
 それは、改良された04式でも対BETAにおいては威力が足りないという残酷な結論。小型のBETAには有効であるが、突撃級などの大型種には少々威力不足。それを「舐めるな」とばかりに設計したものなのだが、一言で言うなら「デカイ」。
 そう、威力と連射性能を追求したこの「60.5mm長銃身バルカン砲」は、口径は勿論、通常の弾薬よりも強力なものを大量に使用した強力弾を使用する上に(弾薬部の全長が長い)、銃口の跳ね上がりが極端に大きい。手で持って撃とうものなら、至近距離でしか命中しないという程。こんな銃を戦術機に持たせたところで、戦果を上げられるかは謎である。しかも、重い。連射速度が04式とは比較できないほど大きい故に、必然的に冷却装置やその他の部位が大きくなってしまった。他にも、弾薬の収納場所も巨大である。
 黒光りする巨大なヘヴィバレル。
 いかにも、と言った巨大なソレを、シーナは画面の中で撃震に二門装備させた。……といっても配置しただけだが。
 否、持たせるのではない。――肩付近に置いたのだ。

 「――こうすれば反動を抑え込めることができます。ただ今の74式可動兵装担架システムそのものを撃震から撤去して、改良するなり新しいのを製造させるなりしなくちゃいけませんけど」
 「……でもこれじゃあ移動速度が著しく低下しちゃうじゃない」

 無機質なパソコンの画面を覗き込んでいた香月が指で撃震を指しながら指摘する。その通りである。肩に大型武器を乗せて、しかも専用のシステムを二門装備させれば、ただでさえ遅い撃震の機動力は死んだも同然だ。
 その言葉に、シーナは動ずる事はない。

 「そもそも防御にしか使用されないのに機動力は必要ありません。動ける大型大砲レベルで十分です。圧倒的な大火力にてBETAの接近を許さなければ問題ないですし、他の戦術機にカバーしてもらえばなんら問題はない。そうでしょう?」
 「火力特化機体ということ……面白そうじゃない」
 「そういうことです」
 「そういうこと、ね」

 ふふん、といった様子で香月が同意してくる。その様子を確認したシーナは、手早くパソコンをたたんで席を立った。金髪がはらりと揺れる。

 「どこ行くのよ」
 「今から設計をするので。明日には持っていくので製造ラインの確保お願いします」
 「は? そんなの一日二日で出来る作業じゃない……」
 「できますから」

 と、時間がかかるはずの設計作業を一日で行うとシーナは宣言して見せた。流石の香月でも、戦術機の装備を一日で設計する能力はない。だというのに、この女性には可能らしい。あっという間に扉から出ていくシーナを、香月は目で追うしかなかった。
 香月が私も年かしらねぇ、と一瞬考えてしまったのは秘密である。







 あとがき。

 グダグダ全開。書きたいことがうまく伝わらない。文章が揺れまくる。
 どうも、N式です。
 今回は日常描写を多めに入れてみたわけですが、なんということでしょう。今までも最長の長さとなっております。
 リンの心境の変化に関して「ねーよw」と感じた方はご連絡願います。書いてる自分が心配になってしょうがなかったんです。しかも題名がこれでいいのかすらワカラナイ。
 誤字や批評感想などがありましたら掲示板の方へ。それでは。
最終更新:2009年02月05日 19:58