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陸奥大和と半魔の勇、そして太平記の英雄たち・その時代
一三三〇 陸奥大和、赤坂の地にて楠木正成と出会って戦い、興味をもつ。
半魔の勇、足利庄にて足利尊氏と出会って戦い、目をつける。
一三三一 正成、赤坂城にて挙兵。大和の「沸騰糞尿作戦」で幕府軍大打撃。
同年、護良親王も挙兵。勇も参戦。大暴れの後、両軍とも姿を消す。
後醍醐天皇、幕府に囚われて隠岐へ島流しとなる。
一三三二 正成は千早城、親王は吉野にて再び挙兵。日本中が混乱の渦に。
一三三三 尊氏と新田義貞、幕府に反旗を翻す。大和と勇、隠岐にて出会う。
後醍醐天皇、隠岐脱出。幕府は倒れ、建武の新政による新政府設立。
尊氏、武士たちの苦情相談所を設置。大和、高師直と共に事務仕事の日々。
一三三四 親王、勇に尊氏の暗殺を命じる。が未遂に終わり、親王は鎌倉にて幽閉される。
(建武元年)正成、この頃は京都周辺の小規模反乱鎮圧の為に走り回っている。彼が
京都にずっといれば、事態はかなり変わっていたと思われる。
一三三五 鎌倉にて北条氏の反乱起こる。勇、混乱に乗じて親王を抱き殺す。
尊氏、鎌倉にいる弟の直義を救う為に出兵。反乱鎮圧には成功するも、
親王殺害の嫌疑をかけられてしまい都に帰れなくなる。
義貞、尊氏こそ新政府に対する反逆者と訴えて認められ出兵。だが
勇の仕業で戦う決意を固めた尊氏にはまるで敵わず、都へ逃げ帰る。
一三三六 大和、都に攻め込んできた尊氏と対峙。だが武士たちが尊氏にかける
必死の思いに押されてしまう。
勇、足利軍の間者として師直らを平安京の奥深くに招き入れる。が、それが
罠で新田軍の反撃にて足利軍壊滅。しかし敗走する足利軍に武士たちが
大勢着いていく。正成、それを見て建武新政府の末路を悟る。
湊川の合戦起こる。正成、大和と戦い没する。勇、大和と戦い逃亡。
尊氏、京都を制圧。後醍醐天皇、吉野に逃れてまたしても新政府を宣言。
これにより尊氏の北朝と後醍醐天皇の南朝が並立、南北朝時代が始まる。
建武政府は南北朝と違って唯一の政権なので、鎌倉幕府や江戸幕府や明治政府などと
立場的には同格のもの。が、その寿命ときたら上記の通り。いかにこの時代が、
日本国史上他に類を見ない、乱世中の乱世であったかが解ろうというものである。
つーか……手ぇ抜いてるみたいな一年刻みの年表ですけど、本当にこのペースで
鎌倉幕府→建武政府→室町幕府(南北朝)、と武力革命による「政権ダッシュ」
してたんです。天皇も朝廷もさんざん走り回って。つくづくスゴい時代。そして、↓
一三九二 足利義満、南朝との和平交渉に成功。室町幕府による天下の統一為る。
一五七三 織田信長、室町幕府を滅ぼす。その覇道の影にも陸奥の姿あり。
二〇〇七 勇の子孫と大和の子孫、出会いと再戦は今のところ未定…………
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