しき
史記は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。
正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ
食客3000人も
孟嘗君の元を去った。しかし食客の一人、
馮驩だけは残った。
そこで
馮驩は
斉の宰相に復職させるために一芝居を打つことになった。
まず
馮驩は
秦へ赴き、
昭襄王に謁見し「斉の宰相だった
田文が秦へ仕官したがっています」と告げた。
昭襄王はこの頃までには田文の才覚に一目置き、さらに自身も斉の内情に詳しかったので、すぐさま使者を出した。
次に
馮驩は急いで
斉に戻り、
湣王に謁見して「
秦が
田文を
斉から引き抜こうとしていますが、そんなことになっては一大事です。
田文を
斉の宰相に復職させ、領地を増やして、詫びるべきです」と説いた。
続いて
湣王は
秦の使者が
斉に入ったことを知ると、ただちに
田文を
斉の宰相に復職させ領地を増やしてその非を詫びた。
田文が
斉の宰相に復職すると、
馮驩は立ち去った食客たちを呼び戻すように進言した。
しかし
田文は
「私が復職できたのはひとえに貴殿の力添えがあったからだ。
それにひきかえ、私が宰相を罷免されたの見て立ち去っていった奴らなど、どうして迎え入れてやろうものか。
それどころか顔につばを吐いてなじってやろう」と言う。それに対し
馮驩は
「彼らは田文が貧窮してしまったから立ち去ったまでのことです。
富豪の周りには人が多く、貧乏になるとそれが減ってしまうのは当然のことです。
朝の市場には人だかりがあるが、日が暮れると人がまばらになるのは、並ぶ商品が少なくなるからです。
食客たちが立ち去ってしまったのも、あなた個人を嫌った訳ではなく、これでは生活が出来ないと感じたからなのです」と言うと、
田文もこれには納得し、立ち去った食客たちを呼び戻した。
最終更新:2012年01月30日 18:39