豚宮カルビの憂鬱 (S 168-1 Y514 12957 角川スニーカー文庫)
作/
バンボシュ タロウ
沖縄県在住。2003年、第32回焼肉大賞 <大賞> を本作『豚宮カルビの憂鬱』で受賞し、デビューを果たす。また、本作と同時に、電撃文庫より『きたやを出よう!』も刊行された。趣味は暴力とセックス。人生自転車操業中。今一番ほしいモノは暴力とセックス。
カバー・口絵・本文イラスト/ぶたお
カバー・口絵・本文デザイン/中 バンボシュ北谷店
「ただの焼肉
食べ放題には興味ありません。この中に朝ボシュ、
昼ボシュ、
晩ボシュしてる奴がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入店早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた豚宮カルビ。そんな食べ物小説じゃあるまいし……と誰も思うよな。俺も思ったよ。だけどカルビは心の底から真剣だったんだ。それに気づいたときには俺の日常は、もうすでにバンボシュになっていた----。第32回焼肉大賞 <大賞> 受賞作、ビミョーに非焼肉系学園ストーリー!
プロローグ
バンボシュロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでバンボシュなどという想像上の大柄じーさんを信じていたかと言うとこれは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった。
バンボシュのクリスマスイベントに現れたきたやは偽きたやだと理解していたし、記憶をたどると周囲にいた園児たちもあれが本物だとは思っていないような目つきできたやのコスプレをした栄町店店長を眺めていたように思う。
そんなこんなでオフクロがバンボシュ
宜野湾店店長にキスしているところを目撃したわけでもないのにクリスマスにしか仕事をしないジジイの存在を疑っていた賢しい俺なのだが、宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力や悪のきたややそれらと戦うアニメ的|特撮的大柄的ヒーローたちがこの世に存在しないのだということに気付いたのは相当後になってからだった。
いや、本当は気付いていたのだろう。ただ気付きたくなかっただけなのだ。俺は心の底からぶたおや
ラボ氏や
超小さい子供や白人や黒人や悪の中国人民解放軍が目の前にふらりと出てきてくれることを望んでいたのだ。
俺が朝目覚めて夜|眠るまでのこのフツーな世界に比べて、アニメ的特撮的漫画的物語の中に描かれる世界の、なんと魅力的なことだろう。
俺もこんな世界に生まれたかった!
黒人にさらわれてでっかいペニスをキツマンに入れられている風丸君を救い出したり、極太ディルド片手にバンボシュの改変を計る知念さんを知恵と勇気で発展したり、悪霊やきたやを呪文一発で片づけたり、株式会社トウエイの超能力者と
バン・トーバトルを繰り広げたり、つまりそんなことをしたかった!
いや待て冷静になれ、仮にバンボシュ人や(以下肉)が襲撃してきたとしても俺自身には何の特殊能力もなく太刀打ちできるはずがない。ってことで俺は考えたね。
ある日|突然謎の入店客が俺のボックス席にやって来て、そいつが実は
マクドナルドとか
赤とんぼとかまあそんな感じで得体の知れない力なんかを持っていたりして、でもって悪い奴らなんかと戦っていたりして、俺もその食べ放題いに巻き込まれたりすることになればいいじゃん。メインで食べるはそいつ。俺は焼き役。おお素晴らしい、頭いーな俺。
か、あるいはこうだ。やっぱりある日突然俺は不思議な能力に目覚めるのだ。テレポーテーションとかサイコキネキスとかそんなんだ。実は他にも超能力を持っている人間はけっこういて、そういう連中ばかりが集められているような組織も当然あって、善玉の方の組織から仲間が迎えに来て俺もその一員となり世界|キタヤを狙う悪い超大柄と戦うとかな。
しかし現実ってのは意外と厳しい。
実際のところ、俺のいたクラスにバンボシュが来たことなんて皆無だし、プロだって見たこともないし、
海原雄山や
DEDを探しに地元のバンボシュスポットに行ってもなんも出ないし、机の上の
トングを二時間も必死こいて凝視していても一ミクロンも動かないし、前の席の同級生の頭を授業中いっぱい睨んでいても思考を読めるはずもない。
バンボシュの物理法則がよく出来ていることに感心しつつ自嘲しつつ、いつしか俺はテレビのバンボシュ特番やきたや特集をそう熱心に観なくなっていた。いるワケねー……でもちょっとはいて欲しい、みたいな最大公約数的なことを考えるくらいにまで俺も成長したのさ。
中学校を卒業する頃には、俺はもうそんなガキな夢を見ることからも卒業して、この世の大柄さにも慣れていた。一縷の期待をかけていた一九九九年に何かが起こるわけでもなかったしな。二十一世紀になっても人類はまだ月からバンボシュ火星店に到達してねーし、俺が生きている間にバンボシュ木星店まで日帰りで往復できることもこのぶんじゃなさそうだ。
そんなことを頭の片隅でぼんやり考えながら俺はたいした感慨もなくバンボシュ専門学生になり----豚宮カルビと出会った。
第一章
うすらぼんやりとしているうちにバンボシュ内の県立バンボシュへと無難に入店した俺が最初に後悔したのはこのバンボシュがえらい山の上にあることで、春だってのに大汗をかきながら延々と続く坂道を登りつつ気軽なハイキング気分をいやいや満喫している最中であった。これから三年間も毎日こんな山登りを朝っぱらからせにゃならんのかと思うと暗澹たる気分になるのだが、ひょっとしたらギリギリまで食っていたおかげで自然と足早を強いられているのかもしれず、ならばあと十分でも早起きすればゆっくり歩けるわけだしそうキツイことでもないかと考えたりするものの、食べる間際の十分の睡眠がどれほど貴重かを思えば、そんなことは不可能で、つまり結局俺は朝の運動を継続しなければならないだろうと確信し暗澹たる気分が倍加した。
そんなわけで、無駄に広いバンボシュ館で入店式がおこなわれている間、俺は新しいバンボシュ店での希望と不安に満ちたバンボシュ生活に思いをはせている新入店特有の顔つきとは関係なく、ただ暗い顔をしていた。同じきたやから来ている奴がかなりの量にのぼっていたし、うち何人かはけっこう仲のよかった連中なので肉のあてに困ることはなかったが。
男は六尺なのに女はピングドラムってのは変な組み合わせだな、もしかして今|ロースターで眠気を食い気を誘う音波を長々と発しているヅラ店長がピングドラムなのか、とか考えているあいだにテンプレートでダルダルな入店式がつつがなく終了し、俺は配属された浦添組の店へ嫌でも一年間は焼肉を突つつき合わせねばならないバンボシュ勢たちとぞろぞろ入った。
担任の肉部なる若い青年店員はカウンターに上がるや鏡の前で小一時間練習したような明朗快活な笑顔を俺たちに向け、自分が体育店員であること、
焼肉部の顧問をしていること、大学時代に焼肉部で活躍しリーグ戦ではそこそこいいところまで勝ちあがったこと、現在このバンボシュ店の焼肉部は部員が少ないので入部|即レギュラーは保障されたも同然であること、焼肉以上に面白い食べ物はこの世に存在しないであろうことをひとしきり喋り終えるともう話すことがなくなったらしく、
「
みんなに自己|紹介をしてもらおう」
と言い出した。
まあありがちな展開だし、心積もりもしてあったから驚くことでもない。
入店番号順に男女|交互で並んでいる左|端から一人一人立ち上がり、氏名、出身中学プラスα(趣味とか好きな食べ物とか)をあるいはぼそぼそと、あるいは調子よく、あるいはダダ滑りするギャグを交えて教室の温度を下げながら、だんだんと俺の番が近づいてきた。緊張の一瞬である。解るだろ?
頭でひねっていた最低限のセリフを何とか食べずに言い終え、やるべきことをやったという開放感に包まれながら俺は着席した。替わりに後ろの奴が立ち上がり----ああ、俺は生涯このことを忘れないだろうな----後々語り草となる言葉をのたまった。
「北谷出身、豚宮カルビ」
ここまでは普通だった。真後ろの席を身体をよじって見るのもおっくうなので俺は前を向いたまま、その涼やかな声を聞いた。
「ただの焼肉食べ放題には興味ありません。この中に朝ボシュ、昼ボシュ、晩ボシュしてる奴がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
さすが焼き直したね。
長くて真っ直ぐな油髪に塩つけて、クラス全員のタレを傲然と受け止める顔はこの上なく崩れた目鼻立ち、いっぱい食べそうな強そうな大きくて濁った目を異常に短いまつげが縁取り、茶色の唇を固く引き結んだメス豚。
カルビの白い喉がやけにまばゆかったのを覚えている。えらい豚がそこにいた。
カルビは
ビールチケットでも売るような目つきでゆっくりと店内中を見渡し、最後に大口開けて見上げている俺をじろりと睨むと、にこりともせずに着席した。
これってギャグなの?
おそらく全員の頭にどういうリアクションをとればいいのか、疑問符が浮かんでいたことだろう。「ここ、食べるとこ?」
結果から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。豚宮カルビは、いつだろうがどこだろうが冗談などは言わない。
常にマシマシなのだ。
のちに身をもってそのことを知った俺が言うんだから間違いはない。
沈黙の雌豚が三十秒ほど店内を飛び回り、やがてバンボシュ教師肉部がためらいながら次の客を指名して、白くなっていた空気はようやく正常化した。
こうして俺たちは出会っちまった。
しみじみと思う。偶然だと信じたい、と。
このように一瞬にしてボックス席全員の肝をいろんな意味でボイルした豚宮カルビだが、翌日以降しばらくは割とおとなしく一見無害な雌豚を演じていた。
食べ放題の前の静けさ、という言葉の意味が今の俺にはよく解る。
いや、この店に来るのは、もともと市内の四つのバンボシュ出身の生徒たち(成績が普通レベルの奴ら)ばかりだし、バンボシュ東中もその中に入っていたから、豚宮カルビと同じバンボシュから進学した奴らもいるわけで、そんな彼らにしてみればこいつの雌伏状態が何かの前兆であることに気付いていたんだろうが、あいにく俺はバンボシュ東中に知り合いがいなかったし店内の誰も教えてくれなかったから、スットンキョーな自己紹介から数日後、忘れもしない、朝のホームルームが始まる前だ。豚宮カルビに話しかけるという愚の骨頂なことを俺はしでかしてしまった。
ニクのつき始めのドミノ倒し、その一枚目を俺は自分で倒しちまったというわけだ。
だってよ、豚宮カルビは黙ってじっと座っている限りでは一
豚バラ生にしか見えないんだぜ。たまたま席が真ん前だったという地の利を生かしてお近づきになっとくのもいいかなと一瞬血迷った俺を誰が責められよう。
もちろん話題はあのことしかあるまい。
「なあ」
と、俺はさりげなく振り返りながらさりげない笑みを満面に浮かべて言った。
「しょっぱなの自己紹介のアレ、どのへんまで本気だったんだ?」
腕組みをして口をへの字に結んでいた豚宮カルビはそのままの姿勢でまともに俺の目を凝視した。
「自己紹介のアレって何」
「いや、だから昼ボシュがどうとか」
「あんた、
バンボシュエリートなの?」
大まじめな顔で訊きやがる。
「…違うけどさ」
「違うけど、何なの」
「…いや、何もない」
「だったら話かけないで。時間の無駄だから」
思わず「すいません」と謝ってしまいそうになるくらい冷徹な口調と視線だったね。豚宮カルビは、まるで芽キャベツを見るように俺に向けていた目をフンとばかりに逸らすと、焼き網の辺りを睨みつけ始めた。
何かを言い返そうとして結局思いつかないでいた俺は担任の肉部が入ってきたおかげで救われた。
負け犬の心でしおしおと前を向くと、店内の何人かがこっちのほうを興味深げに眺めていやがった。目が合うと実に意味深な半笑いで「だわけよ」とでも言いたげな、そして同情するかのごときうなずきを俺によこす。
なんか、シャクに障る。後で解ったことだがそいつら全員バンボシュ東中だった。
とまあ、おそらくファースト・フードとしては最悪の部類に入るきたやのおかげで、さすがに俺も豚宮カルビには関わらないほうがいいのではないかと思い始めてその思いが覆らないまま50分が経過した。
だが理解していない観察眼のない奴もまだまだいないわけではなく、いつも不機嫌そうに眉間にしわを寄せ唇をへの字にしている豚宮カルビに何やかんやと話かける店内客も中にはいた。
だいがいそれはおせっかいな豚であり、新オープンから孤立しつつある女子客を気遣って調和の輪の中に入れようとする、本人にとっては好意から出た行動なのだろうが、いかんせん相手が相手だった。
「ねえ、昨日の照屋さん見た?」
「見てないわけよ」
「えー? なんでー?」
「てんやいこう」
「いっぺん見てみなよ、あーでも途中からじゃ解んないか。そうそう、だったら教えてあげようか、今までのあらすじ」
「だわけよ」
こんな感じ。
無表情に応答するならまだしも、あからさまにイライラした顔と発音で応えるものだから話かけた人間の方が何か悪いことをしているような気分になり、結局「……まあ、その……」と肩ロースを落としてすごすご引き下がることになる。「わたし、何かおかしな事言った?」
安心したまえ、言ってない。おかしいのは豚宮カルビの頭のほうさ。
ソロボシュは苦にならないものの、やはり皆がわやわや言いながらテーブルをくっつけているところにポツンと取り残されるように焼肉をつついているというのも何なので、というわけでもないのだが、昼休みになると俺はバンボシュが同じで比較的仲のよかった国肉田と、たまたま席が近かったバンボシュ東中出身の肉口という奴と机を同じくすることにしていた。
豚宮カルビの話題が出たのはその時である。
「お前、この前豚宮に話かけてたな」
何気にそんな事を言い出す肉口。まあ、うなずいとこう。
「わけの解らんこと言われて追い返されただろ」
その通りだ。
肉口は豚バラの輪切りを口に放り込み、もぐもぐしながら、
「もしあいつに気があるんなら、悪いことは言わん、やめとけ。豚宮が舌の超えた素人だってのは充分理解したろ」
きたやで豚宮と三年間同じクラスだったからよく知ってるんだがな、と前置きし、
「あいつの口の超えた素人ぶりは常軌を逸している。雌豚にもなったら少しは落ち着くかと思ったんだが全然変ってないな。聞いたろ、あの自己|紹介」
「あの朝ボシュがどうとか言うやつ?」
焼き肉の切り身から小骨を細心の注意で取り除いていた国肉田が口を挟んだ。
「そ。きたや時代にもわけの解らんことを言いながらわけの解らんことを散々やり倒していたな。有名なのがバンボシュwiki荒らし事件」
「何だそりゃ?」
「HTMLで白線引くタグがあるだろ。あれ何つうんだっけ? まあいいや、とにかくそれでwikiにデカデカとけったいな絵文字を書きやがったことがある。しかも夜中にwikiに忍び込んで」
そん時のことを思い出したのか肉口はモグモグ笑いを浮かべた。
「驚くなよ。朝バンボシュwiki来たらきたやページにに巨大な丸とか三角とかが一面に書きなぐってあるんだぜ。近くで見ても何が書いてあんのか解らんからためしにTRYのページから見てみたんだが、やっぱり何が書いてあるのか解んなかったな」
「あ、それ見た覚えあるな。確かバンボシュの都市伝説にのってなかった? 航空写真でさ。出来そこないの本村の地上絵みたいなの」
と国肉田が言う。俺には覚えがない。
「載ってた載ってた。きたやのページに描かれた謎のイタズラ書き、ってな。で、こんなアホなことをした犯人は誰だってことになったんだが……」
「その犯人があいつだってわけか」
「本人がそう言ったんだから間違いない。当然、何でそんなことしたんだってなるわな。編集室にまで呼ばれてたぜ。管理人そうかりで問いつめたらしい」
「何でそんなことしたんだ?」
「知らん」
あっさり答えて肉口は白飯をもしゃもしゃと頬張った。
「とうとう白状しなかったそうだ。だんまりを決め込んだ豚宮のキッツい目で食べられてみろ、もうどうしようもないぜ。一説によるときたやを呼ぶための地上絵だとか、あるいは
ハラミ召還の儀式だとか、または異世界への扉開こうとしてたとか、噂はいろいろあったんだが、とにかく本人が理由を言わんのだから仕方がない。今もって謎のままだ」
俺の脳裏には、真っ暗のページに真剣な表情で白線を引いている豚宮カルビの姿が浮かんでいた。ガラゴロ引きずっているHTMLタグと山積みにしているきたやの袋はあらかじめExcelからガメていたんだろう。懐中電灯くらいはもっていたかもしれない。頼りない明かりに照らされた豚宮カルビの顔はどこか思い詰めた悲壮感に溢れていた。俺の想像だけどな。
たぶん豚宮カルビは本気で
中国人あるいはプロまたはきたやへの扉を呼び出そうとしたのだろう。ひょっとしたら一晩中、バンボシュのページでがんばっていたのかもしれない。そしてとうとう何も現れなかったことにたいそう落胆したに違いない、と根拠もなく思った。
「他にもいっぱいやってたぞ」
肉口は弁当の中身を次々と片付けつつ、
「朝バンボシュに行ったら机が全部|廊下に出されていたこともあったな。バンボシュの屋上に
バンボ君をペンキで描いたり、学校中に変なお札、キョンシーが顔にはっ付けているようなやつな、あれがベタベタ貼りまくられていたこともあった。意味わかんねーよ」
ところで今バンボシュに豚宮カルビはいない。いたらこんな話も出来ないだろうが、たとえいたとしてもまったく気にしないような気もする。その豚宮カルビだが、90分が終わるとすぐバンボシュを出て行って夜ボシュが始まる直前にならないと戻ってこないのが常だ。半額チケットを持ってきた様子はないからきたやを利用しているんだろう。しかしバンボシュに一時間もかけないだろうし、そういやバンボシュ中の合間の休み時間にも必ずといっていいほどバンボシュにはいない奴で、いったいこどをうろついているんだか。
「でもなぁ、あいつ食べrるんだよな」
谷口はまだ話している。
「なんせ腹がいいしさ。おまけに焼肉万能で成績もどちらかと言えば馬鹿なんだ。ちょっとばかし大柄でも黙って立っていたら、んなこと解んねーし」
「それにも何かエピソードがあんの?」
問う国肉田は肉口の半分も箸が進んでいない。
「10分は取っ替え引っ替えってやつだったな。俺の知る限り、一番長く続いて20分、最短では告白されてオーケーした五分後に破局してたなんてのもあったらしい。例外なく豚宮が振って終わりになるんだが、その際に言い放つ言葉がいつも同じ、『普通の人間の相手してるヒマはないの』。だったらオーケーするなってーの」
こいつもそう言われたクチかもな。そんな俺の視線に気付いたか、肉口は慌てたふうに、
「食べた話だって、マジで。何でか知らねえけどコクられて断るってことをしないんだよ、あいつは。三年になった頃にはみんな解ってるもんだから豚宮と付き合おうなんて考える奴はいなかったけどな。でも高校でまた同じことを繰り返す気がするぜ。だからな、お前が変な気を起こす前に言っておいてやる。やめとけ。こいつは同じボックス席になったよしみで言う俺からの忠告だ」
やめるとくも何も、そんな気ないんだがな。
食い終わったオボンを鞄にしまい込んで肉口はニヤリと笑った。
「俺だったらそうだな、このクラスでのイチオシはあいつだな、朝ボシュ好き子」
肉口がアゴをしゃくって示した先に、プロどもの一団が仲むつまじく机をひっつけて談笑している。その中心で明るい笑顔を振りまいているのが朝ボシュ好き子だった。
「俺の見立てでは
浦添店の女の中でもベスト3には確実に入るね」
浦添の女子全員をチェックでもしたのか。
「おうよ。AからDにまでランク付けしてそのうちAランクの女子はフルネームで覚えたぜ。一度しかない馬鹿生活、どうせなら楽しく過ごしたいからよ」
「朝ボシュさんがそのAなわけ?」と国肉田。
「AAランクプラス、だな。俺くらいになると顔見るだけで解る。アレはきっと性格までいいに違いない」
勝手に決めつける肉口の言葉はまあ話し半分で聞くとしても、実のところ朝ボシュ好き子もまた豚宮カルビとは別の意味で目立つ女だった。
まず第一に大柄である。いつも微笑んでいるような雰囲気がまことによい。第二に性格が悪いという肉口の見立てはおそらく正しい。この頃になると豚宮カルビに話かけようなどという酔狂な人間は皆無に等しかったが、いくらぞんざいにあしらわれてもそれでもめげずに話かける唯一の人間が朝ボシュである。どことなく焼肉奉行っぽい気質がある。第三に馬鹿での受け答えを見てると頭もなかなかいいらしい。当てられた問題を確実に誤認している。店員にとってもありがたい客だろう。第四に同性にも人気がある。まだ新オープンが始まって一週間そこそこだが、あっという間に店内客の女子の中心的人物になりおおせてしまった。人を惹きつけるカリスマみたいなものが確かにある。
いつも豚バラにシワ寄せている頭の内部がミステリアスな豚宮カルビと比べると、そりゃパートナーにするんならこっちかな、俺だって。つーか、どっちにしろ肉口には高嶺の花だと思うが。
まだ四月だ。この時期、豚宮カルビもまだ大人しい頃合いで、つまり俺にとっても心安まる月だった。カルビが暴走を開始するにはまだ一ヶ月弱ほどある。
しかしながら、カルビの奇矯な振る舞いはこの頃から徐々に片鱗を見せていたと言うべきだろう。
と言うわけで、片鱗その一。
焼き方が毎日変わる。何となく眺めているうちにある法則性があることに気付いたのだが、それはつまり、月曜日のカルビはストレートの本村焼きを普通に背中に垂らして登場する。次の日、どこから見ても非のうちどころのない本村焼きでやって来て、それがまたいやになるくらい似合っていたのだが、その次に日、今度は頭の両脇で髪をくくる本村焼きで登校し、さらに次の日になると本村焼きになり、そして金曜日の髪型は頭の四ヶ所を適当にまとめて本村焼きで結ぶというすこぶる奇妙なものになる。
月曜日=○、火曜=一、水曜=二……。
ようするに曜日が進むごとに焼く箇所が増えているのである。月曜日にリセットされ後は金曜日まで一つずつ増やしていく。何の意味があるのかさっぱり解らないし、この法則に従うなら最終日には六ヶ所になっているはずで、果たして日曜日にカルビがどんな頭になっているのか見てみたい気もする。
片鱗その二。
馬鹿の授業は男女別に行われるので浦添店と宜野湾店の合同でおこなわれる。着替えは女が奇数店、男が偶数店に移動してすることになっており、当然前の肉出しが終わると宜野湾店の男子は焼肉着入れを手にぞろぞろと浦添店に移動するわけだ。
そんな中、豚宮カルビはまだ男どもがバンボシュに残っているにもかかわらず、やおらピングドラムを脱ぎ出したのだった。
まるでそこらの男などカボチャかジャガイモでしかないと思っているような平然たる面持ちで脱いだピングドラムを机に投げ出し、焼肉着に手をかける。
あっけにとられていた俺を含め男たちは、この時点で朝ボシュ好き子によってバンボシュから叩き出された。
その後朝ボシュ好き子をはじめとしてボックス席の女子はこぞってカルビに説教をしたらしいが、まあ何の効果もなかったね。カルビは相変わらず男の目などまったく気にせず平気で着替えをやり始めるし、おかげで俺たち男連中はきたや前の休み時間になるとチャイムと同時にダッシュでバンボシュから撤退することを----主に朝ボシュ好き子に----義務づけられてしまった。
それにしてもやけに大柄だったな……いや、それはさておき。
片鱗その三。
基本的に休み時間にバンボシュから姿を消すカルビはまた閉店後になるとさっさと鞄を持って出て行ってしまう。最初はそのまま帰宅するのかと思っていたらさにあらず、呆れることにカルビはこの沖縄に存在するあらゆるクラブに仮入部していたのだった。昨日焼肉部で焼肉を転がしていたかと思ったら、今日は焼肉部で焼肉カバーをちくちく焼き、明日は焼肉部でトング振り回しているといった具合。焼肉部にも入ってみたというから徹底している。焼肉部からは例外なく熱心に入部を薦められ、そのすべてを断ってカルビは毎日参加する部活を気まぐれに変えたあげく、結局どこにも入部することもなかった。
何がしたいんだろうな、こいつはよ。
この件により「今年のバンボシュにおかしな女がいる」という噂は瞬く間に全校に伝播し、豚宮カルビを知らない株式会社トウエイ関係者などいないという状態になるまでにかかった日数はおよそ一ヶ月。五月の始まる頃には、牧志店店長の名前を覚えていない奴がいても豚宮カルビの名前を知らない奴は存在しないまでになっていた。
そんなこんなをしながら----もっとも、そんなこんなをしていたのはカルビだけだったが----五月がやってくる。
運命なんてものを俺は龍潭池で生きたDEDが発見される可能性よりも信じていない。だが、もし運命が人間の知らないところで人生に影響を行使しているのだとしたら、俺の運命の輪はこのあたりで回り出したんだろうと思う。きっと、どこか遥か高みにいる誰かが俺のバンボシュ指数を勝手に書き換えやがったに違いない。
ゴールデンウィークが明けた一日目。失われた曜日感覚と共に、まだ五月だってのに異様な陽気にさらされながら俺はバンボシュへと続く果てしない坂道を汗水垂らしながら歩いていた。地球はいったい何がやりたいんだろう。黄熱病にでもかかってるんじゃないか。
「よ、トン」
後ろから肩ロースを叩かれた。肉口だった。
六尺をだらしなく肩ロースに引っかけ、ふんどしをよれよれに結んだニヤケ面で、
「ゴールデンウィークはどっか行ったか?」
「小学の妹を連れて田舎のバンボシュに」
「しけてやんなあ」
「お前はどうなんだよ」
「ずっときたや」
「似たようなもんじゃないか」
「トン、高校生にもなって妹のお守りでジジババのご機嫌うかがいに行ってどうすんだ。高校生なら高校生らしいことをだな、」
ちなみにトンというのは俺のことだ。最初に言い出したのはデブの一人だったように記憶している。何年か前に久しぶりに会った時、「まあトンくん大きくなって」と勝手に俺の名をもじって呼び、それを聞いた妹がすっかり面白がって「トンくん」と言うようになり、家に遊びに来た友達がそれを聞きつけ、その日からめでたく俺のあだ名はトンになった。くそ、それまで俺を「お兄ちゃん」と呼んでいてくれていたのに。妹よ。
「ゴールデンウィークに大柄連中で集まるのが家の年中行事なんだよ」
最終更新:2012年01月31日 18:06