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姫と侍
第一話 病魔と告白


黄金色の西日が差し込む職員室へ一組の男女が入室し、ほぼ同じタイミングで溜息を吐く。
「しかしまあ、永田先生が生徒と不祥事起こすなんてねぇ……」
コジローの呟きに隣の吉河が相槌を打つ。
「……ほんと、びっくりですね」
二人が参加した緊急教員会議の内容は、
ヒアリングを教える永田先生と彼が懇意にする女生徒の関係についてだった。

もちろん教師と生徒の仲がよいだけなら会議など開かれるはずはない。
問題は二人が一緒にいる所をたびたび永田先生の家近くで目撃されていたのと、
女生徒の生理が止まって3ヶ月が過ぎた事だった。
席に着いたコジローはペットボトルのウーロン茶を口にして一息つく。
「なんつーかね、俺が生徒のころは教師と生徒のそういった関係なんて
ファンタジーやメルヘンみたいなもんだと思ってたんですけど……
いざ教師になって同僚がそういう関係になってるなんて、結構ショックですよ」

同じく席に着いた吉河はコジローのぼやきに同意しなかった。
「あら、表に出ないだけで意外と多いと思いますよ?
私が生徒だった時も学校でそういう噂はありましたし。
あの世代の女の子達からすれば、男の先生ってとても大人に見えるものですから」
大人ですかとコジローが呟くと、吉河は男子生徒に比べればですけど、と付け加える。
「教師の方だって、教え子の悩みや不安を聞かされているうちに
段々親身になることもあるでしょうしね」

コジローは唸りながら腕組みをする。
「親身、ねえ……でもそこで一線を越えたらアウトでしょうに」
もう一度ペットボトルに口をつけるコジローに向かって、吉河はとんでもない発言をした。
「あら、石田先生も気をつけないと永田先生の二の舞になるかもしれませんよ?」
思わずコジローは飲んでいた茶色い液体を宙に吐き出し霧にする。

「うっ、ぐほっ、ちょ、ず、ずびません、汚くて」
慌てて吉河が席から立ち上がりコジローの側へ駆け寄る。
「あ、いえいえ、私が突飛な事を言ったのがいけないんですから。これ使ってください」
いそいそとハンカチを差し出す吉河を手でとめ、
コジローはティッシュで机の上に零したウーロン茶を拭き取る。

「その……俺はそうはならないっすよ!俺が生徒と付き合うなんて、
うちの学校に隕石が落ちてくるぐらいの確率でありえませんって!
吉河先生は俺もそういう男と思ってるんすか?そりゃいくらなんでもひどいですよ!!」
「いえその、石田先生の倫理観を疑っているわけじゃないんです」
同僚の剣幕に慌てる吉河を、コジローは不審そうな目で見上げる。
「じゃあまた、さっきの発言はどういう意味ですか?」

「その……結構女子生徒の間で石田先生の評判いいんですよ。
ですからもしかしたら、なんて」
「……そりゃ生徒との仲はいいほうですけど。
でもまあ、俺にその気がなければその先まで関係が進むことはありえませんから」
そこで一息ついてから、コジローは少し自嘲気味に笑った。
「それに非常勤の俺に悩みや不安を聞いてもらおうなんて生徒、いやしませんって」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

(と数時間前言った後にこれだよ……)
武道館で教え子と二人きりになったコジローは、
向かい合い正座をしたタマキへ問いただす。
「で、俺に話したい事ってなんだ?」
「はい……あの……」

相談があると言って部活の後に自分を引き止めたタマキの様子は変だった。
近頃のタマキはよく塞ぎこむ事があったが、今日は特に歯切れが悪い。
部活中もコジローと行った試合であやうく一本取られかけたのだから、
その調子の悪さは相当なものだろう。
(あれは惜しかったな……まあ不調のこいつから一本取っても
あんまり嬉しくはないんだけど……)

腕組みをしてコジローは考え込む。
(タマがここまで思い悩んでいる相談ねぇ……まず剣道の事は……俺に相談しないか。
今の俺の腕でこいつに教えられる事は何もないし)
確かにコジローが技術的にタマキに教えられる物など何一つないのだが、
男かつ年長者でありながらその事実を受け入れてしまうのがコジローの凄い所である。
単にプライドがないという言い方もできるが。

(じゃあ……なにか部活の人間関係で困っているとか?
……でもまあ、そんな素振りは部活の時もなかったし、
部のマスコット的存在のこいつがハブられるとかありえねえしなあ)
それに近頃の部活動を振り返れば、
女子達は以前より過剰にタマキの事を構っていたような気がする。

(進路のことならまずクラスの担任に相談するよなぁ。
こいつは政経の授業受けてないから、勉強で分からない事の質問でもないし。
……じゃあ、こいつが俺に相談する事なんて思いつかねえぞ)
その時コジローの頭に吉河の言葉がよぎる。
『でも意外と多いと思いますよ?私が生徒だった時も
学校でそういう噂はありましたし。あの世代の女の子達からすれば、
男の先生ってとても大人に見えるものですから』

『結構女子生徒の間で石田先生の評判いいんですよ』
(タマが……俺に告白とか?)
コジローは自分の想像に笑いがこみ上げ、自分で突っ込んだ。
(いやいや、ないだろそんなの。
それこそ隕石が俺の頭にピンポイントで落ちてくるぐらいありえない)


自分の想像で思わず吹き出したコジローに、タマキは何事かと首を傾げた。
「あの、どうしたんですか?」
思わずコジローは手の平を振ってごまかす。
「ああ、なんでもないなんでもない」
結局コジローにはタマキの相談の見当が全くつかなかったので、
さじを投げあれこれと推察するのをやめた。

(とはいえどうにもこいつの思いつめた雰囲気……軽々しく促せる話じゃないみたいだな。……まあ明日の授業の用意はもう済ませてあるし、今日はスーパーの特売もない……
鎌崎との練習試合もあっちでやるからこっちが用意する事もないし。
こいつの気の済むまで付き合ってやるか)
そんな風にコジローがのん気に構えてから2分後、ついにタマキは重い口を開く。

「……先生、今交際をされている女性はいるんでしょうか?」
その一言にコジローは目を見開いて取り乱す。
「ま、マジで隕石落ちてきたのか?!」
コジローの言葉に今度はタマキが大きな目をさらに丸くする。
「え?」
「あ、いや、何でもない。……別にその、今特定の恋人とかいないけどよ……」
「そうなんですか………………なら、よかった」

(おいおいおいおいおい、『よかった』って、『よかった』って言ったぞ!
マジでか!マジでそういう……告白なのか!!)
全身から変な汗を垂れ流しつつ、コジローはタマキに恐る恐る尋ねる。
「その、あれだ。なんだってそんな事聞くんだよ。
……まさか、その、お前、相談ってのは…………お、俺と……つ、つつつ」

コジローはつばをごくりと飲み込み、最後の言葉を捻り出す。
「付き合ってくれとか……そういう話だったりするのか」
少し間をおいてから、タマキはきっぱりと答えた。
「いえ、そういうお話ではないんです」


「えええええええええ?さっきの質問の流れでそうならないんかい!
じゃあ何で俺に恋人いるか聞くんだよ?!」
勘違いした俺が完璧ピエロじゃねーか、とコジローは心の中で涙目になりながら絶叫した。
コジローの大きな声に驚いたタマキは、少しオドオドしながら答える。
「その、今更交際からとか……それだと、遅いんです」
「……うん?遅いって……何が?」

「あの……先生は子宮内膜症という病気を知っていますか?」
ますます混乱するコジローの前で、タマキは淡々と話を続ける。
しかし彼女の小さな手がスカートの裾を強く握り締めるのを、コジローは見逃さなかった。
「ああ?……子宮……ナイマクショー?なんだそりゃ」
豆鉄砲に当たった鳩の様な表情を浮かべるコジローへ、
タマキは額に右手の人差し指を当てながら説明する。

「……あたしは専門家じゃないからうまく説明できませんし、
少し記憶が間違っているかもしれませんけど……
子宮内膜という組織が本来あるべき場所以外に発生して増え続け……」
タマキはそっと下腹部を左手で押さえる。
「月経の時に激しい痛みと出血が起こるんです。
そして症状が悪化すれば膀胱や直腸にまで転移して、痛みや出血が増加します」

コジローは、少女の左手が添えられた位置を見てはっとする。
「お前……もしかして、その病気に?」
タマキは小さな頭でこくんと頷いた。
「はい。あたしは子宮内膜症に侵されています」
コジローは愕然として武道館の天井を見上げる。
「そ…………それって、その、治る見込みはあるのか?」

「……薬や手術で症状を抑え治療することはできます。
かなり高い確率で再発するらしいんですけど……」
コジローは少しだけほっとして呟いた。
「そうなのか。でも、治す事は……出来るんだな?」
コジローとは対照的でタマキの声には微塵も明るさがない。

「でもあたしは……発見が遅くて、色々と病巣が転移していて。
このまま病が進行したら最悪……」
タマキはスカートの裾をさらに強い力で掴む。

「子宮を摘出しなければいけなくなるかもしれません」


教え子の告白の重さに、コジローは後頭部をハンマーで
殴打されたような衝撃に見舞われる。

「て、摘出って……取り除いちまうのか?その、子宮を」
混乱したコジローは事態の過酷さに頭が働かず、
オウムのようにタマキのセリフと同じ意味の質問を繰り返す。
「はい。この病は月経の時に脳から子宮へ送られてくる女性ホルモンによって
異常な場所に増えた子宮内膜が出血し痛みを感じたり、
血がつまって組織が死滅したり、病巣の転移がさらに進んだりします」

タマキの大きな瞳が翳り、声のトーンがかすかに下がる。
「ですから、子宮を取り除いて月経が来ない様にしたら……
症状はそれ以上悪化しなくなり、肉体の持つ治癒能力が自然に病を完治するんです」
武道館の中を重苦しい沈黙が支配した。
コジローは唾液を嚥下して咽の渇きを潤しつつ、恐る恐る話しかける。

「だけど……子宮だろ?盲腸なんかとは……わけが違う。
いくら完治できるとはいえ……やっぱりその、それって最終手段だよな?」
タマキは即座に答えた。
「はい。あたしはまだ子宮を摘出したくありません」
そこでようやくコジローもタマキがなぜ自分と二人きりで
話したがったのか理解できた気がした。

「ああ……そういう事か。全くお前は律儀だな。
いくら顧問とはいえ俺へ相談する必要ないだろそんなの。
部活ならいくらでも休んでいいから」
小中学校と部活動に勤しんだ事のないタマキはわざわざ顧問である
自分に断らないと部を休めないと勘違いしているのだろう、とコジローは推察したのだ。
「え?」

しかしタマキの意外な反応にコジローも不思議そうな声を上げる。
「『え』って……お前の相談ってその……
病気の治療をするから部活を休みたいって話じゃないのか?」
コジローの言葉を聞いたタマキは質問に答えず、
わずかに目を瞑り考えこんだ後コジローへ問い返す。
「それでいいんですか?」


タマキの質問の真意がさっぱり掴めず、コジローは首を捻る。
「何がだよ?」
タマキは途切れ途切れに言葉を選びながら答える。
「あの……コジロー先生は、その……女子の試合とかできなくなると……、
あたし達が公式の試合でいい結果を残さないと……困るんじゃないんですか?」
タマキの言わんとする事を理解した後、コジローは苦笑した。

「……おいおい、なんだそりゃ。まさかお前俺の身の上心配してるのかよ?」
タマキが言うコジローの困る事とは、自分が抜けたら剣道部が成績を残せず、
その結果コジローのクビが確定してしまうという懸念だろう。
「とに学生の身分で大人の心配するなんて生意気な。
お前がいなくても、俺が後の4人をみっちりしごいて全国行ってやるっつうの。
俺の指導力なめるんじゃねえぞ」
精一杯の強がりの言葉を並べながら、コジローはタマキの頬を軽くつねる。

(……ほんとはかなり心もとないけど……今はんな事言ってる場合じゃないよな。
そもそも職なんて贅沢いわずに探せばいくらでも見つかるけど、
病気の方はこいつの一生に関わるもんだ。天秤にかけられる話じゃねえだろうに、
こいつは俺のクビなんか心配しやがって)
タマキが少し涙目になりながらコジローに訴える。
「ひゃの……先生、痛いです」

考え込んでいたコジローはずっとタマキの頬をつねっていたままだった。
我に返ったコジローは慌ててその手を離す。
「おお、その、すまんすまん。とにかくあれだ、俺の教育者としての実力がありゃ、
万が一クビになってもすぐに職なんて見つかるさ」
タマキの気が少しでも楽になるようコジローは努めて明るく笑って見せる。

「はい」
「おお、さすがタマ。俺の偉大さが分かるのはお前だけだ」
さらに場を明るくするためコジローが少しおどけてみせると、
タマキはまじめな顔で同意する。
「はい、偉大かどうかは分かりませんけど……、
先生はいい指導者だってお父さんや内村さんも言っていました」

「そっか。タマの親父さんや内村さんがね……」
コジローの笑顔から力が抜け、作った笑みが自然な物に変わる。
自分より年上であるタマキの父や内村に褒められるのは素直に気分がよかったし、
何より口では生意気などと言いはしたが、
臓器を取り除く事になるかもしれない病に侵されながらも
自分の心配をしてくれるタマキの優しさと心遣いが本気で嬉しかったのだ。


「……今は気持ちだけ受け取っとくから、
お前は俺の心配なんかせず病気治すのに専念しろ。部活はいくら休んでもいいからな」
コジローがタマキの頭を撫でると、タマキはわずかに頬を染める。
「あの、あたしは別に部活を休むつもりはありません。極度に体へ負担をかけず
しっかり休むのなら体を動かしてもいいってお医者さんの許可も出ましたし。
もちろん運動の量は減らしてもらう事になると思いますけど」

それまで虚勢を張っていたコジローはまた肩透かしを食らう。
「……って、なんだ部活やっていいのかよ!
……なんか今日の俺勘違いしまくりじゃねーか!」
タマキが少し優しげな目でくすりと笑う。
「笑うなよ!っとに……ま、あれだ。辛い時はマジですぐ言えよ?
お前は時々頭に血が昇ると暴走する傾向があるからな」

「そんな事……ありましたっけ?」
コジローは鼻の穴を広げ、タマキを軽く睨んだ。
「インターハイの東城高戦、忘れたわけじゃないだろうな」
うっと小さく呟くと、イタズラがばれた子供のようにタマキの顔が強張る。
「あ、あの時は、その……ええと…………ごめんなさい」
結局言い返せず俯くタマキにコジローは軽くため息を吐く。

「ま、とにかくあの時みたいに痛いのや辛いのを黙っとくのは絶対止めとけ。
もし部活の時にお前がそういう素振りを見せたらすぐ家に帰らせるからな」
おずおずとタマキは顔を上げる。
「はい……今度は、すぐに言います」
素直なタマキの態度にコジローは軽く笑い、その後神妙な面持ちになる。

「俺で相談にのれる事とかあればいくらでもするから、何でも話してくれよな。
……まあその、なんつーか病気になったのがデリケートな場所だから、
男の俺には言いにくい事も多々あるだろうけど、俺にできる事なら何でもするから」
コジローの言葉に、スカートの裾を掴むタマキの指がピクッと反応する。
「何でも……ですか?」
タマキは真っ直ぐにコジローの瞳を見つめる。


「ああ、もちろんできる範囲で、だけどな」
真っ直ぐその視線を受け止めてコジローは答える。
「あの……」
何かを言いかけたタマキが口を閉じた。
そしてそのまま武道館の中を不思議な静寂が支配する。

「タマ……?どうした、何か俺にして欲しい事があるのか?」
促されたタマキは小さな声で呟く。
「なら先生……治療を手伝ってください」
予期せぬ答えに、コジローは混乱して平時より1オクターブ高い声をあげる。
「治療を……手伝う?俺がぁ?」
教師の困惑した態度に、タマキは少し悲しげに目を伏せた。
「その……迷惑ならいいんですけど」

捨てられた子猫を思わせる悲しそうなタマキの姿に、
コジローは前のめりになって勘違いを否定する。
「い、いやいやいや!迷惑とかそんなんじゃなくて!!
だって俺なんも専門的知識なくて、その、子宮内膜症?って名前もあれだ、
今日初めて聞いたんだぞ?そんな俺に治療なんて」
タマキは少し赤面しながらコジローを見つめる。

「知識はいりません。普通の大人の男性なら、その、誰でもできること……です」
「そ、そうなのか?なら、もちろん協力するけど……」
部活終了後に病院への送迎とかさせられるのかな?
などと軽く考えるコジローの前でタマキは説明を繰り返す。
「先ほども言いましたけど……子宮内膜症が進行し転移するのは、
月経により女性ホルモンが病巣へ分泌されるからです」

「ああ、そういう話だったな」
そこで少女はいったん言葉をとめる。
少し間を置き、呼吸を整えようと深く息を吸い込んでからタマキは続けた。
……最も彼女の呼吸は全く整わず乱れたままだったが。
「だから、あの……月経が止まれば病巣の転移……悪化は止まる。
さらに女性ホルモンが分泌されない間は……
肉体自身の治癒能力が病を自然に治します」


「へー、自然にねぇ」
タマキはコジローの顔を上目遣いに覗き込んだ後、
目を泳がせながらふーと大きく息を吐いた。
まるでムームーハウスでバイトをし始めた時のように、その姿に余裕がない。
「で、その、あれです。あの……だから、先生に協力してほしいんです」
おかしくなり始めたタマキの様子と理解できない要請にコジローは首を斜めにする。
「……ん?どういうことだ」

「あの……治してほしいんです、その、コジロー先生にあたしの病気を。
お父さんも、部活の皆も先生なら大丈夫だろうって」
コジローの首の傾く角度がさらに深くなる。
「いやいやいや、なんでそうなる?お前ら全員俺を医者と勘違いしてるのか?!
何度も言うけど俺には医学の知識とかないんだってば!!
そりゃ俺にできる事があればするけど、できない事はどうしようもないだろ」
教師の言葉に少女は首を左右に振る。

「だから……その、知識とか関係なく……ただ、月経を止めてほしいんです」
ますます頭のこんがらがったコジローは狐につままれたような顔をする。
「おいおい、医者でもない俺に子宮を取り除く技術なんてあるわけないだろ?
大体子宮を摘出したくないってさっきお前が言ったばかりじゃないか」
「そうではないんです……そうじゃなくって……」
その幼い顔に痒い所へ手が届かないもどかしさと耳まで赤くなる恥じらいを同時に浮かべ、
タマキは視線を泳がせ口ごもり続ける。

(……今のタマを見てると永田先生を思い出すな)
会議で教員達の前に立った永田は終始おどおどおろおろしていて、
コジローは正視に耐えなかった。しかもその場になんと永田の相手である女生徒が乱入し、
教員達に向かって先生を苛めないで下さいと言い放ち、
永田はその背後に隠れたのだから始末が悪い。


(本と女ってのはいざとなると肝が据わるっていうか……、
まああの二人の場合は単に永田先生が情けなさ過ぎるってもあるんだろーけど)
コジローはふぅ、とため息を吐くと真剣な眼差しになりタマキを見据える。
自分の教え子が永田のようにおろおろしているのが我慢できず、
彼の口調は自然に少し強く大きくなる。

「なあタマ、さっき約束したばかりだろ。どんな辛い事でもすぐ俺に言うって。
俺はお前に協力したいけど、そんな言葉足らずじゃお前の力になってやれないから」
そこでコジローは視線を逸らし少し照れたように頬をかく。
「その、……病気が病気だから男の俺に言いにくい事かもしれないけど……
勇気を出してはっきり言えよ。これさっきも言ったけど、
俺はお前の病気を治すためにできる事ならなんだってやるから」

ぐるぐると目を回していたタマキは、ごくりとつばを飲み込む。
「な、なんでも……ですか?」
「神様に誓って……」
そこでコジローは言葉を止め、少し頭を捻る。
「いや、お前と約束するならそうだな、ブレイバーに誓って、かな」

「ブレイバーに……」
定まらなかったタマキの瞳の焦点がコジローへピントを合わせるようになり、
額に浮かんでいた汗が段々と引いてきた。
少しずつ落ち着いてくるタマキを見て、コジローは心の中で苦笑する。
(どんだけブレイバー好きなんだよこいつ)

「ああ、だから言えよ。かわいい教え子のためだ、一肌でも二肌でも脱いでやるさ」
「……はい、分かりました」
タマキは居住まいを正し、その全身に強い決意を漲らせる。
(おお、なんか雰囲気が変わったな。……まるであの女生徒みたいだ。
こいつも腹を括ったか……)


コジローは何十人もの教師を前に、
永田を庇い一歩もひるまなかった女生徒を思い出した。
『確かに私は永田先生と交際していて……3ヶ月前から生理が来なくて……
だけど私は……先生に関係を強要されたわけじゃありません!』
(全く永田先生と比べてあの威勢の良さときたら……………………うん?)

その時コジローの心に何かが引っかかった。
(あれ?何だこの胸騒ぎは)
タマキは何度も深呼吸をした後、薄く小さな唇をきっと引き締める。
そんなタマキの言葉の数々を改めてコジローは思いだす。

『先生、今交際をされている女性はいるんでしょうか?』
『その、今更交際からとか……それだと、遅いんです』
『知識はいりません。普通の大人の男性なら、その、誰でもできること……です』
『月経が止まれば病巣の転移、悪化は止まる』
『だから……その、月経を止めてほしいんです』

(……ちょっと待て……それってもしかして……)
今度は永田と交際をしていた女生徒のセリフを心に浮かべる。

『確かに私は永田先生と交際していて……3ヶ月前から生理が来なくて……』

全身の汗腺から嫌な汁が流れ始める。武道館の隅っこで丸くなっているねこの、
悩みのなさそうな顔が今はなんだか恨めしい。

(……おいおいおい……おいおいおいおいおいおいおいいいいっ)

そしてついに、タマキがコジローに向かってその言葉を吐き出した。

「先生お願いです」

コジローに言われたとおり、勇気を出してはっきりとした口調で。


「あたしを妊娠させてください」


その時コジローが頭に浮かべたのは、
流星群が次々と自分の頭へピンポイントで直撃するイメージ映像だった。


「あの……やっぱり、駄目でしょうか?」
放心していたコジローは、タマキの悲しそうな声色で我に返る。
「いやその……駄目とかじゃなくて!ただな……突然すぎて、だ。こう、心の整理が」
愛の告白どころではない。タマキの望みは、コジローによる妊娠。
(れ、恋愛とか結婚とか……いろんなステップふっ飛ばしてるじゃねーか!)
「すいません、いきなりこんなの……迷惑ですよね。やっぱり言わなければよかった」
コジローの胸に、タマキの悲壮な言葉が突き刺さる。

「あの……本当にすいませんでした」
立ち上がろうとしたタマキの手をコジローは掴む。
(そうだ……俺はさっき、タマになんて言った?)
「先生……?」
(タマに何でも相談しろよと言っといて……
相談された俺が言葉に詰まってどうするんだよ)

「その、……ひとつだけ質問していいか?その……治療の相手に……
なんで俺を選んだ?」
少しだけ斜め右上を見て何かを思い出しながら、座りなおした少女は答える。
「先生が剣道部に誘ってくれたからです」
「へ?それだけ?」

別にコジローも『先生がかっこいいから』とか
『タイプですから』などの答えを望んでいたわけではないが、
それでもあまりに簡潔な理由にコジローは拍子抜けしてしまった。
「もし……先生が剣道部に誘ってくれなかったら、
あたしは……今もきっと色んな事を知らないままでした」
「色んな事?」


タマキは頷き、目を閉じてこれまでの高校生活を思い出す。
「部活をする事も、誰かを大きな声で応援する事も、
バイトする事も、みんなで一つの目標に向かってがんばる事も……
部活に入っていなかったら、あたしは全部知らないままだったから……」
コジローは後頭部をぽりぽりと掻きながら、顔を左側へ向ける。
「だけど……それは……それらを教えたのは、俺じゃなくてあいつらじゃないか?」

少女が顧問の視線を追うと、壁から下がった幾枚かの名札が目に入る。
タマキを直接部に引っ張ってきたのはキリノだった。
タマキへ試合中声援を送るよう促したのはサヤだった。
タマキにバイトを紹介したのはミヤミヤだった。
タマキが5人で一丸となる楽しさを知ったのは、サトリが加入してくれたからだった。

「俺がお前に教えてやった事なんて少ないんじゃないか?
多分あいつらだよ、そういった大事な物をお前に教えたのは」
タマキはゆっくりと首を横に振る。
「そうかもしれません。でも皆と過ごせたのは……
皆に会えて色々な事を知って経験できたのは、顧問がコジロー先生だから。
コジロー先生がいたからあたしは皆に会えた、……そんな気がするんです」

コジローが顧問でなければサヤとミヤミヤの騒動は治まらなかったかもしれない。
それならサヤはいまだ幽霊部員のままで、ミヤミヤも同じになっていたかもしれない。
コジローが不快にならない程度の強引さで練習試合に連れて来たから、
サトリも剣道の楽しさを思い出したのかもしれない。
だが、もちろんタマキはそれらの出来事の全てを知っているわけではない。

「俺がいたからあいつらがお前があいつらに?……そうなのかねぇ?」
それは彼女達を導いたコジロー本人ですら分からないことだ。
自分のおかげで今の剣道部があるという事にコジロー自身は実感がわかない。
だけどこの数ヶ月剣道部で過ごしたタマキには、なんとなく肌で分かるのだ。
程度の差こそあれ部員の皆がコジローを慕い、部活動の経験のなかったタマキでさえ
すんなりと溶け込める空気を、目の前の顧問が作りだしている事を。


タマキは頷き、目を閉じてこれまでの高校生活を思い出す。
「部活をする事も、誰かを大きな声で応援する事も、
バイトする事も、みんなで一つの目標に向かってがんばる事も……
部活に入っていなかったら、あたしは全部知らないままだったから……」
コジローは後頭部をぽりぽりと掻きながら、顔を左側へ向ける。
「だけど……それは……それらを教えたのは、俺じゃなくてあいつらじゃないか?」

少女が顧問の視線を追うと、壁から下がった幾枚かの名札が目に入る。
タマキを直接部に引っ張ってきたのはキリノだった。
タマキへ試合中声援を送るよう促したのはサヤだった。
タマキにバイトを紹介したのはミヤミヤだった。
タマキが5人で一丸となる楽しさを知ったのは、サトリが加入してくれたからだった。

「俺がお前に教えてやった事なんて少ないんじゃないか?
多分あいつらだよ、そういった大事な物をお前に教えたのは」
タマキはゆっくりと首を横に振る。
「そうかもしれません。でも皆と過ごせたのは……
皆に会えて色々な事を知って経験できたのは、顧問がコジロー先生だから。
コジロー先生がいたからあたしは皆に会えた、……そんな気がするんです」

コジローが顧問でなければサヤとミヤミヤの騒動は治まらなかったかもしれない。
それならサヤはいまだ幽霊部員のままで、ミヤミヤも同じになっていたかもしれない。
コジローが不快にならない程度の強引さで練習試合に連れて来たから、
サトリも剣道の楽しさを思い出したのかもしれない。
だが、もちろんタマキはそれらの出来事の全てを知っているわけではない。

「俺がいたからお前があいつらに?……そうなのかねぇ?」
それは彼女達を導いたコジロー本人ですら分からないことだ。
自分のおかげで今の剣道部があるという事にコジロー自身は実感がわかない。
だけどこの数ヶ月剣道部で過ごしたタマキには、なんとなく肌で分かるのだ。
程度の差こそあれ部員の皆がコジローを慕い、部活動の経験のなかったタマキでさえ
すんなりと溶け込める空気を、目の前の顧問が作りだしている事を。


「あたしはそうだと思います。だから皆はあたしが先生に治療してもらう事を相談した時、
賛成してくれたと思うんです。……とにかく今のあたしがあるのは先生のおかげだから、
だから先生になら……あたしの未来を委ねてもいい。そう思ったんです」
背筋を伸ばし話すタマキの目には、もう一分の動揺もない。
「……感謝か。それはこっちのセリフだけどな」
そんなタマキはコジローの声に驚きの表情を浮かべる。
「先生が……あたしに感謝、してるんですか?」

「そうだ。今の部の雰囲気があるのはタマのおかげだしな」
タマキは少し悲しげに下を向く。
「でもあたし……テンション同じだし、皆には『つまんない』って言われたし」
コジローは噴出しそうになるのを必死にこらえる。
「くっ……あれは皆ノリで言ってたんだよ。本気じゃねえさ」
「え、そうなんですか?……でも、それだけじゃなくて、
先生にはインターハイの時とか迷惑かけたし……お礼言われることなんて何一つ」

コジローはタマキの否定を即座に笑い飛ばす。
「はは、生徒が下手な事しないよう監督するため顧問がいるんだろ?
インターハイの時俺は自分の仕事をしただけさ。お前が謝る事じゃねえ」
「でも、やっぱり、先生に感謝されるような事なんて思い浮かびません」
「お前はさっき、うちの剣道部の皆と会えたのは
俺のおかげだって言ったけど、俺から言わせりゃお前のおかげだよ」

「あたしの……ですか?」
「幽霊部員だったサヤが来るようになったのはお前の指導で
才能が開花し始めたのが大きいと思うんだよ」
そこでコジローは少しむすっとした顔になる。
「何より、お前に教わる時は俺が教える時より何倍も楽しそうな顔してるしな、ったく」
タマキは小さくなって謝る。
「あの……出過ぎた真似をして、すいません」

「おいおい、別にでしゃばった真似なんて思ってねえよ。
さっきも言ったとおり、サヤのやる気と才能を引き出してくれて感謝してるんだぜ」
「はあ……」
「中学までヤ……部活動の経験がなかったミヤミヤだってそうさ。
あいつもお前といる時はすごくいい顔するからな」


「そう……でしょうか」
少し照れて頬を掻くタマキにコジローは笑ってみせる。
「そうさ。あいつが部活を続けるのはダンと共にお前の存在も大きいと思うぜ。
それに東が入部を決心するきっかけを作ったのは、
お前との稽古で剣道の楽しさと情熱を思い出したから、だろう……」
情熱という言葉口にした後、コジローの語尾は小さくなっていった。

「……先生?」
剣道に対する楽しさと情熱。それを失っていたのは、サトリだけではない。
(こいつとの出会いが、こいつとの勝負での敗北が、
俺の指導じゃなくこいつのおかげで強くなるキリノやサヤの姿が……
俺に自分の情けなさを自覚させ、あの頃の熱い気持ちを思い出させてくれたんだ)

もしタマキがいなければコジローは、きっとだらしのない適当な顧問のままだった。
(俺は駄目な教師から変われた。
……つってもまだまだ少し駄目な教師どまりだろうけど。
そうだ、こいつに一番影響されて変わったのは……)
誰よりもタマキによって変化をもたらされたのは、顧問のコジロー自身なのかもしれない。

コジローの大らかさが今の室江部員を集め、結果タマキを変えた。
タマキの強さと純粋さがコジローにあの頃の情熱を取り戻させた。
そしてその二人がさらに他の剣道部員達に影響を与え、
今の室江高剣道部を作りあげていったのだ。
「だから……俺はお前に感謝してるんだ。
お前のおかげさ。今の剣道部があるのも、……今の俺がいるのも」

軽く頭を下げるコジローに、タマキは慌てて否定する。
「そんな事はないです。あたしは、お礼を言われることなんてしてません」
「そりゃお前が自分で気付いてないだけだよ。
お前の剣には人を変える力があるのさ、人を正しい方向に変える不思議な力が、な」
「でも……やっぱり、あたしは先生のおかげで色々と変われたと思うから……
最初にあたしを部活へ誘ったのは……皆と出会うきっかけを初めに与えてくれたのは
先生だったから。だから先生にそんな風に言われると、なんだか変な感じです」


(最初にタマへ声をかけた時か。……俺とこいつの、最初の出会い……)
コジローはあの時のタマキを思い出す。
タマキを始めて見た時のあの胸の高鳴りが蘇る。

――ただドキドキしていた――
――中学の時隣のクラスのコにひとめボレした時のように――

「……ああ、お前の言うとおりだ。俺がお前を変えたとこもあるし、
そして俺もお前のおかげで変われた。俺達はなんというか……
お互いに良い方向へ影響を与える、そういう関係なのかもな」
あの時感じた高揚の正体が何なのかは今でも分からない。
希望、興奮、……あるいは本当に恋心だったのか?

今自分の全てをコジローに預けようとするタマキを目の前にしても、
その気持ちがなんなのかコジローには判別がつかない。
(だけど……こいつを病から救ってやりたい、
そう強く願う気持ちだけは……確実に俺の中に存在する)
それは異性への恋心ではなく、庇護欲とか父性愛とか
そういった類の物かもしれないのだけれど。

(でも……それがなんなのかは問題じゃない。
俺はこいつを守りたくて……こいつは今、俺の助けを必要としている)
ならばもう答えは決まっている。
「俺に手伝わせてくれよ、お前の治療を」
一瞬タマキの瞳が大きく見開かれる。

「……本当に、いいんですか?あたしから頼んでこんな事言うのは何ですけれど……
先生も辛い思いをするかもしれません」
「かもな。でもお前と俺なら……」
側にいることでお互いを変える事ができた二人なら。
「きっとどんな目に遭っても乗り越えられる、そんな気がするんだ。
だから手伝わせてくれよ、タマの治療を」

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最終更新:2008年10月27日 22:59