「おやおや小川さん、これはこれは」
集合場所の本屋さんの前で携帯を見ていると、
私に気づいた安藤さんがすたすたと近づいてくる。

「こんばんわ、安藤さん」
私の挨拶に反応がない。
見ると彼女は顎に手を当てたまままじまじと私の方を見つめながら、
ゆっくりと私の傍を一周する。
「……あの、これ、似合ってませんか?」
やっぱり、向日葵の柄の浴衣なんて少し子供っぽかったのだろうか。

「いえいえ、とっても似合ってますよ」
少し間を空けてから、にか~と笑った安藤さんが答えた。
「ま、いきなりコケティッシュ満載な格好で誘惑するのもどうかと思いますし、
最初はこんなもんでしょう、うん」
「そう……ですか……なら、いいんですけど」
「で、誘った主はまだですか?」
「今さっきメールが来ました。もう一人後輩の方を誘ってくるから
少し遅れるって」

清村さんにお茶会(メイプルのケーキを公園で清村さんと食べる集いのことを、
いつからか自然とこう呼ぶようになっていた)で花火に誘われたのはつい昨日。
日曜日は部活もないので、いつも優柔不断な私は珍しく即座にはいと答えていた。

「しかし、4人で花火大会ですか……これが意味するところは何なんでしょうね」
「意味するところ?」
私が首をかしげると安藤さんは考え込むように俯いた。
「二つの事態が考えられます。ひとつは、いきなり小川さんだけ誘ったら警戒されるから
あたしともう一人を誘った。もう一つは、単に人数が多ければ賑やかでいいと考えているのか。
このどちらかで、小川さんは出方をかなり変えなければいけなくなりますよ」

「私の……でかた?」
「ええ、もちろん。この滅多にないチャンスに指をくわえているつもりじゃないでしょう?
学校も違うし学年も違う。一週間のうち合える時間も限られてる。
そんな間柄なんて、何もしないでいたらそのままお別れですよ。
と、噂をしていれば清村さんの登場ですね」
安藤さんの視線を追うとそこには髪を短く刈り楕円形の頭をした男の人と、
肩から鞄を下げた清村さんがこちらへ向かってくるのが見えた。

「よ、二人とも早いな。こいつは俺の部活の後輩の安井」
楕円形の頭の人がぺこりと頭を下げる。
「うっす、とりごや高校2年の安井です。清村さんがいつもお世話になってます」
「で、こっちが小川さんと安藤さんだ」
「初めまして、あの、成明高校1年の小川です」
「どうも、町戸高校2年の安藤です」
「じゃ、メンバーもそろった所で早速出店巡りに行きますか。
ちゃんと先輩らしくオゴって下さいね」

気軽そうに清村さんの肩をぽんぽん叩く安井さんの頭に
清村さんが鬼のような笑顔でアイアンクローを極める。
「何でお前が仕切ってんだよ安井?!お前が金なくて
夏休み遊べずバイト漬けだってぼやくから連れて来てやったんだろうが!!」

「これは後者……いえ、もっと悪い第3の事態ですね」
二人のやり取りを見て安藤さんがやれやれとため息を吐きながら私に耳打ちした。


花火が始まるまでまだ間があるので、それまでぶらぶらと露店を回ることになった。
「おお、フランクフルトだフランクフルト。いいなー、食いたいなー」
「はいはい分かった分かった」
清村さんが奢ってあげる。
「ああ、あっちには焼きそばだー」
「全くお前はよく食うな」
清村さんがまた奢ってあげる。

「ああ、りんご飴だーー」
「ハハハ、空気読めよいい加減」
清村さんが顔を引きつらせながらそれでも奢ってあげる。
「自分も空気読めてないでしょうに……小川さんほっといて何後輩と遊んでるんだか」
そんな清村さんを見て安藤さんがボソリと呟く。
「あん?なんか言ったか」
「いえいえなんでもありません」

「あー、あっひはふぁたがひだー」
「だからせめてねだるなら口のものを全部食ってからにしろよ!」
「……とりあえずあいつは邪魔ですねー」
安藤さんの目が妖しく光った。

「あ、あんな所にメイプルで小川さんに絡んだおばさんが!」
「え、マジかよ!」
思わず私と清村さんがそっちを見る。
しかし人ごみの中にそれらしき人物はいない。
と、その時
「うわっ冷たい!」
という悲鳴が背後から上がった。

「あらら、あたしとしたことが土塚スレへ50の倍数個目に投下されるSSに出てくる
ブラックねこに躓いて偶然かき氷を安井君にぶっ掛けてしまいました。失敗失敗」
「安井、大丈夫か?」
「うわーん、この人わざとぶふぇらっぼぉ」
と、安藤さんがバランスを崩した。
すごく演技っぽい不自然さで。

「おおっと、そのまま足を滑らせて射的で取ったブレイドブレイバーの
人形を安井君の口に突っ込んでしまいました。これは大変」
「あの、安井さんほんとに大丈夫ですか」
もしかしてこれは、清村さんと私が話しやすくなるよう
安井さんを帰らせようとしているんじゃないだろうか。
だとしてもやりすぎだと思う。

しかし安藤さんはさらに止めの一撃を安井さんに放つ。
「なんてことでしょう、さらに手元が狂って安井君の頭をわた菓子を作る
機械に突っ込ませてしまいました」
「うわああああ、安井が真っ白アフロのプチおしゃれさんに変身したー!!」

とりあえずわた菓子屋さんに謝って、露店の裏に泣き叫ぶ安井さんを座らせる。
「すいません、あたしのドジのせいで安井君を純白アフロから
カキ氷の真っ赤なイチゴシロップが滴るいい男に変態させてしまいました」
「……多分それシロップだけじゃなくて血も混じってるぞ……」
「ここはあたしが責任持って介抱しますので、
せめてお二人だけでも楽しんじゃってください」
やっぱりあれはわざとだったんだ。
だけど安藤さん、いくらなんでもこれはやり過ぎなのでは……。
さすがにこれじゃ清村さんが安井さんを心配して二人きりになれないよ……。
「そっか、じゃ安井のこと頼むわ」
えええええええええぇ。

清村さんはあっさりと安井さんの側から離れていってしまった。
「あ、あの、いいんですか、安井さんの怪我ほっといて」
「あれぐらいの怪我ならうちの部活なら日常茶飯事だからな」
清村さんに追いついて聞いてみると、清村さんはこともなげに言う。
後輩が流血しているのに動じないなんて、
きっと私が想像もつかないような厳しい練習を毎日しているんだろうな。

清村さんと安井さんはついこの間までいやいや部活動をしていた
私には想像もできないメニューをこなしてきたアスリートなのだろう。
「やっぱりサッカーって過酷なスポーツなんですね」
自然と憧れの気持ちが声に出てしまう。
しかしそんな私に清村さんは複雑そうな顔をした。
「……ああ、うん、そうだな。ある意味過酷だよ、うちの部活は」

「そんなことより人増えてきたな……人ごみではぐれそうだ」
そういうと清村さんが私の手を握ってきた。
思わず私の体が固まりそうになる。
だけど、そうなったら相合傘の時のように清村さんに
嫌がっていると誤解されてしまうかもしれない。
だから私は努めて普通の振りをした。

「小学校のころまではここの町に住んでてよ、
ここら辺の裏から雑木林の中に入れたはずなんだけどな……
あ、あのお稲荷さんだ!
ほら、ここから行けるんだよ。で、見晴らしのいい所へ行けるんだ」
しかし木々の中に足を踏み入れた私達は驚愕する。
「あの、清村さん……」
その薄暗い通り道は、カップルで溢れていた。
しかもそのカップルたちは、お互いに密着したり、唇を重ね合わせたりしていて。

「……なんか、場違いなとこに入っちまったか……?」
「あ、あの、早く目的の場所に行きましょう!」
視界の端に浴衣を肌蹴させた女性がいたような気がして、
私達は耳まで赤くしながら必死になって細い林道を駆けた。

林を抜けて私の視界が開けるのと最初の花火が上がるのは同時だった。
「おお、何とか間に合ったな」
安堵のため息を吐きながら、清村さんが鞄からブルーシートを出して草むらに敷く。
高台から間近に見る極彩色の花々は、幻想的で美しかった。

「きれい……」
「それに大きいな。こっからだと打ち上げ場所が近いからなー」

それからの花火が終わるまでの1時間30分は、本当にいい時間だった。
だけどなぜだろう。
そんな美しい花火を見ているうちに、私の心の中に沸々と不安が湧き上がってくる。

――学校も違うし学年も違う。一週間のうち合える時間も限られてる。
そんな間柄なんて、何もしないでいたらそのまんまお別れですよ――

メイプルで清村さんとあと何回会えるんだろう。
清村さんとこんな風に過ごせる時間がどれだけ残されているんだろう。

7色の光に照らされる清村さんの顔を横目で見ながら、
私の心はなぜかどんどん負の感情で締め付けられる。

私達の関係も、この花火のようにいつか儚く消えてしまうのだろうか。


「あー、きれいだったな、花火。こっから見たのは正解だったな。
ちょこっと蚊に食われるのが欠点だけど、俺も虫除けスプレーかけてくりゃ良かった」

「あの……清村さん、その、話したいことがあるんです」
「ん、何?」

傾斜のある高台で、私のほうが清村さんより高いところにいたから、
いつもは清村さんを見上げる私が、彼と同じ目線で向き合う。
曇りのない目で見つめられると、鼓動が体の外に聞こえるじゃないかと思うほど大きくなる。
だけど、目を反らせない、反らしたらいけない。
私が告げる言葉は目を合わせないまま言うようなことじゃないから。

「何、結構重要なこと?」
私の様子がいつもと違うことに気づいたのか、清村さんが戸惑ったように聞いてくる。

でも言えない。
そんなに難しい言葉じゃないのに。
全て舞台は整っているというのに。

と、清村さんが畳んだブルーシートを引きなおそうとする。
「……とりあえずさ、すわったほうがいいんじゃないか?
立ちっぱなしだと足に悪いし。ま、気持ちの整理がつくまでじっくり考えろよ」

こういう時でも、清村さんは優しい。
おばさんに難癖をつけられた時も、メイプルで雨に濡れていた時も、
私がどれだけ迷惑をかけてもこの人は優しくしてくれる。
多分このまま私が何も言葉を発さなければ、一晩中私の側にいる。
この人はそういう人なんだ。

「いいんです、今、言いますから」
ブルーシートを敷こうとする清村さんの手を止めさせて、私は深呼吸する。

「あの、私を清村さんの彼女にしてください!!」
それだけ一気に言うと、私は下を向いて唇を噛む。

「……え、彼女?」
素っ頓狂な声を聞いたとたん、私の中の何かが決壊した。

「あの、ごめんなさい、お断りの返事はメールでいいですから!」

驚くのも無理はない。
こんな幼児体型で、凹凸がなくて、中学生と間違われるような
色気のない人間に告白されたんだから。
なんだか無性に恥ずかしくなって、私は一刻も早く清村さんの前から
去りたくなって、林の方へ走り出した。

何か後ろから声が聞こえた気がしたけど走った。
林の中であられもない姿の女性とすれ違った気がしたけど走った。
露店の前で安藤さんに呼びかけられた気がしたけど走った。
そしてそのまま駅前の駐輪場まで辿り着くと、半分泣きながら自転車をこぎ始めた。
林の中で見た女性みたいに胸が大きければ、
彼女にしてもらえたかな、なんて馬鹿なことを考えながら。

『お茶会』の公園の前の坂で携帯が震える。

――清村さんからだ――

恐る恐る本文を見ると、そこには

『俺でよかったら、彼女になってください。
こういうのは直接本人の前で言わなきゃいけないけれど、
なるべく早く返事したいからメールでする。悪いな。
さっきはその、突然だったからとっさに答えられずごめん。
ところでさ、考えたら俺下の名前知らな』

と書かれていた。

思わず携帯を落としそうになって、もう一度目を通す。
――俺でよかったら、彼女になってください――
確かに、そこにはそう書いてあった。

思わず嬉しさで叫びそうになったところで、またメールが届く。
今度は安藤さんからだった。

『かわいそうな小川さん。こいつに変なことされて半泣きだったんですね?
とりあえず捕獲しときましたけどとどめはまださしていません。
煮るなり焼くなり小川さんの好きなほうでヤっときますから、指示をお願いします』

添付された画像には、携帯を持ったまま後頭部から血を流して
気絶している清村さんの姿が映っている。
今度こそ私は手から携帯を落としてしまった。

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最終更新:2008年10月28日 20:44