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bansan

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電脳コイル


甲殻機動隊 GOST IN THE SHELL


甲殻機動隊 stand alone complex

 TVアニメとしては当時最高傑作だった。今でも映画やアニメに大きな影響を与えてると思う。日本の映像作品の欠点はリアルさだと思っている。リアルといっても絵が写実的という事ではない。特にアニメでは人間をリアルに描くのは難しい。銃を撃ったときの反動でどこの筋肉が盛り上がるかとか、人を殴った時にどう反動があるかとか。欠点といっても世界に誇るジャパニメーションを上回るものは無いが、映画と比べるとリアルさが問われる。このTVシリーズは果敢にその点も頑張っている。
 リアル世界ではとうてい出くわさない状況を描けるのが映画やアニメだから、当然暴力シーンや戦争シーンが出てくる。その中で日本の映像に出てくる銃を打つシーンが気になって仕方なかった。例えば銃と銃を付き合わせて会話をするシーンを良く見る。ここでなぜ敵と長く話しをする必要があるのか。考えてほしい。この状態になった時、リアルならば先に撃った方の勝ちだ。あーだこーだ言う必要は無い。もし相手が先に撃ってきたら・・・と考えると構えた瞬間に撃つべきだ。暴力シーンをリアルに描くという事はこういうことだ。小説ならまだしも、これは映像だ。心理を語るより、銃を構えてすぐ撃つという事がどれだけの映像的インパクトを与えるか。恐怖を与えるか。小説で何万語を語るより、数秒の銃撃映像が人には衝撃がある。
 そしてダメな映像作品ほど、出演している一人の人間の死が軽く描かれている。人が1人死ぬと言う事を丁寧に重たく描いている作品が見たいのだ。まるでゲームをしているように、まるで草でも刈るように人が死んでいく映像こそが子供に影響を与えると思う。人が死ぬと言う事をもっと重たく怖く描いて見せる必要がある。そうすることで、どんなに人間の命が重たいのかを知ってほしい。
 私がリアルと言う事はこういうことだ。これが全てではないが、この作品にはリアルが詰め込まれている。言葉では表現できない衝撃を、映像と音と言葉で表現している。もちろん言葉も重要だ。この作品では独特の文学と科学を深く理解した人が書いたと思われるセリフが使われている。見た人の中には理解できない人もいたと思う。そんなすごいセリフとリアルな映像が共存した最初の作品だといってもいい。しかしだからこそ、理解されない部分もある。科学や文学に興味の無い人には”もっとやさしい日本語をつかってほしい”と言われてもしょうがない。ある意味、切り捨ててるのだ。でもそれもしょうがない一面がある。そもそも万人に受け入れられる作品なんて無いからだ。私から見れば、ぬる湯に浸かっているような作品でも癒されるといって評価される作品はある。しかしこの作品では癒しは関係ない。リアルがテーマなのだから。      上へ

甲殻機動隊 stand alone complex 2GIG

 これは上の作品の次期シリーズなんだけど、クオリティが上がっていて飽きさせない作りにはビックリする。批評を書くといってもコンセプトは同じ作品なんで特に2だからと言うわけでは無い書き方をしますが、ご勘弁を。
 副題のstand alone complexだが、この言葉の意味を考えるだけで何か楽しいのは私だけだろうか。この言葉(以下SAC)は直訳すると”一人ぼっちのコンプレックス”だが、この作品の中で使われると若干意味が変わってくる。”ネットにつながっていないコンプレックス”になると思う。もうすでに今でも若い人、特に学生は携帯を持っていないとSACと同じ感情を感じる人が居るのかもしれない。学校や家に居てもメールのやり取りやチャットで友達と話しをする。携帯を持っていなければ参加できず孤独感を感じているはずだ。
 しかしこの作品の中のSACはさらにもう少しひねりがあるように感じる。それはSACという題名が先にあって作品が作られているからだろう。(と勝手に想像)現在と違うのは作品中で電脳技術というものがあるからだ。人間の電脳化とは携帯を持つのとは異なると思うからSACの意味も若干異なるように思える。電脳化するには携帯を持つ以上にお金がかかるだろうし、貧乏な人には事故にあって命をつなぐ最終手段ともなっている。今のように簡単に子供に買ってあげられるような通信端末ではなく、生命活動の中に入り込んできた通信端末なのだ。したがって最初のうちは厳かに、慎重に扱われていたと想像出来るが、作品中ではそれがまるで現在の通信端末と同じように扱われている。だから自然とウィルスは存在するし娯楽としての一面もある。そんな時代に電脳化しない人達のコンプレックス・・・。
 電脳化しない人だけがSACを感じる事がテーマだと最初考えていたが、作品中ではそれがずれていく。そして最後2GIGの最終話の最後に主人公達に言わせている。「笑い男事件」と「個別の11人事件」の発生の原因がSACだと。この2つの事件はいってみればネットテロだ。ネットが無くては存在しない事件なのだ。それなのにSACとはどうしてか。それは「ネットでつながっていても、孤独へのコンプレックスが存在する、まして電脳化したゆえにそのコンプレックスが増徴された」だと私は受け止めている。
 人間や生命は視覚、聴覚、触覚などで自分と他人を識別する。感覚とは最後は脳だ。だから本来は他人になりすまして自分の存在を確かめる事はできない。だから自分の感覚で自分を識別した時だけ自分の存在を確認する事ができる。しかし自分と他人は違う個体だと識別した時に、他人が本当に存在しているのかを疑問に思ってくる。そうするとさらに自分の存在さえも危うくなってくる。まして電脳化してネットの中から送られてきた映像が直接脳の視覚野に入ってくるのだ。自分と他人の区別が付きにくくなる。そうしたら益々我々人間は自分とは何で、その存在を考えるようになるような気がする。それがSACの根源にあるような気がしてくるのだ。
 ネットでつながっていても、はたして本当に自分は存在するのか。この世の中は存在するのか。この世の中で自分は一人ぼっちではないのか。   上へ

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