秋狼記2

東方秋狼記



   第二話:その言葉を信じるぞ


 人里はなかなか広く、まるで城下町のように整備の行き届いた造りをしている。
 力も持たない弱い人間が妖怪から身を守るためには、これくらいの堅牢さと規模が必要なのだと慧音は言っていた。他にも各地に点々と集落はあるが、町と呼べるほどの規模を持っているのはこの里だけだ。
 そんな里だが、寺子屋などというものは白沢塾をおいて他にない。そもそも、読み書きと簡単な計算ができればそれでいいのだから、親戚連中が教えれば事足りるのだ。
 この里の人間は、それ以上のことを学ぶほど余裕がない。つまりはそういうことだった。
「へぇ……ここが寺子屋か。思ってたのよりでかいな」
 件の寺子屋は里の一角、稗田の家の近くにある。立派すぎないものの重厚かつ品のある山門は来る者を拒まないというポリシーを体現しているようだった。そして上部には外敵の侵入は許さんと言いたげな獣の姿が彫り込まれている。
「なにボーっとしてんのさ。入るよ」
「おい、いいのかよ勝手に入って」
「ダメなら門は閉じてるよ」
 にべもなく答え、静流は白沢塾の門をくぐった。

   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 頭の上にちょこんと中華風の博士帽のようなものを乗せた女性、慧音は突然の来訪にも関わらず快く出迎えてくれた。しかも麦茶まで用意して。
 慧音は夏目の真ん前に座ると、麦茶を差し出しながら口を開いた。
「改めて、ようこそ。もう聞いているかもしれないが……私は上白沢慧音。ここで教師をしている身だ」
「あ、どうも。俺は千秋。夏目千秋といいます」
 素直に受け取り、夏目は手短に名乗った。
 妙に礼儀正しい。静流は内心驚きながらも胸をなで下ろしていた。この男のことだ。誰の前でも不遜な態度をとるのではないかと心配していたのだ。
「——で? 静流がわざわざ私のところに連れて来たんだ。何かあるんだろう?」
「何かっていうか、それを聞きに来たというか……お嬢、頼んだ」
 ぴくりと唇を震わせ、静流は夏目の頭をぶん殴った。びくともしなかった。
「よりにもよって丸投げか……!」
「仕方ないだろ? うまく説明できねーんだから」
「ふん、まぁいい。単刀直入に言うとさ、先生。外から来たらしいんだよ。夏目は」
 外から来た。その言葉を聞いた途端、慧音の目に理解の色が灯った。里の誰よりも行動範囲の広い慧音は、今までも何人かの外来人を保護したことがあるらしい。そして里にはそうやって居着いた人が少数ながらも存在している。全て人から聞いた話だが、その相手があの稗田阿求だから信憑性は高いだろう。
 そんな事も含め、大雑把にここへ連れてきた経緯を説明すると、慧音は納得したように嘆息した。
「それは大変だったな……妖怪に襲われる前で本当に良かった。静流、お手柄だぞ」
「そうとも思えないけどね。なんかすごい厄介事を引き込んできたような気がするんだ」
「こらっ、年上に失礼なことを言うもんじゃない」
 偉そうな静流を小突こうとした慧音を、不敵な夏目の声が止めた。
「——いや。お嬢の言う通りだな。俺はいわゆるトラブル体質ってヤツでしてね。黙っていても事件の方から寄ってくる。ここに来たのも間違いなくそのせいだ」
「トラブルという次元で幻想郷に迷い込むのはかなり難しいと思うんだが」
「ここって結界か何かで覆われた閉鎖空間なんでしょう? だとしたら俺との相性は最悪だ。俺には結界がほとんど無意味なんですよ。だからこうやって、うっかり入っちまう。俺の意志とは無関係にね」
 そう言って夏目は肩をすくめた。この程度のことには慣れているようだった。
 悲嘆した様子も見せず、声にも張りがあって諦めは感じられない。いや、彼の言っていることが正しければ帰ることも簡単なのだろう。内外の境界……たとえば博麗神社に行けばいいのだから。
 ただ問題は……迷い込んだのが自分一人ではないということだろう。
 相方とやらを見つけるまでは、うっかり帰るわけにはいかないのだ。
「その相方、生きてる保証はあるのかい?」
「し、静流……ッ」
 ふと口をついて出た疑問に、慧音が血相を変えて振り向いた。当然だ。こんな、誰もが考えたくない話題をわざわざ振るなんて、考え無しとしか思えないだろう。だが、それをはっきりさせないことには先には進めない。そう静流は思ったのだ。
 しかし夏目は気にした様子もなく、さも当然と言いたげに笑った。
「でなきゃあいつとコンビなんか組んでねーよ。この程度、いつものことだしな」
「そうか……わかった。私はその言葉を信じるぞ」
 微笑む慧音。相変わらずだな、と静流は内心で嘆息した。この人は優しくて、裏がない。羨ましくもあるし、子どもの静流が見ても危なっかしくもある。まぁ、だから里の人々から好かれているのだろうが。
 しかし——
「夏目といったな。とりあえず、今日はうちに泊まっていくといい」
 この台詞には静流も瞠目した。思わず口に含んだ麦茶を噴き出すところだった。
「いいのか先生!? こんな怪しい男を泊めてさ」
「へ? そうは言うけどな、静流。おまえの家に泊めるわけにもいかんだろう? この里には宿もないし……」
「歳を考えると先生の家の方が問題じゃないのかい?」
「おーい、お嬢ー。俺を何だと思ってんだー?」
「阿求が言ってたんだよ。先生に近付く男の八割は先生目当てだってね。つまり八割の男は先生にそういう感情を抱くわけだろう? 私が見るに、夏目。おまえはその八割だ」
「バカ言うなよ、お嬢。俺がそんな男に見えるのか?」
「見えるから言っているんだ。おまえの考えてることくらい、目を見ればわかるよ」
「ぐっ。たしかに慧音先生は美人だぜ? でもよ、だからといってそんな行動に出るほど馬鹿じゃねーよ、俺は」
「はン、どうだかね」
「お嬢! てめー、信用してねーな!?」
 普段は寡黙で通っている静流がペラペラと言葉の応酬をしている。そんな珍しい光景を見たからか、慧音は止めることも忘れ、しばらく呆然と見ていた。慧音の知る限り、静流という少女は他の子どもたちと話そうともせず、かといって大人の中に迎合しようともしない、孤高だが不安定な生き方をしている。
 そんな彼女がこれだけ言い合える相手というのは、とても貴重なのではないか。そう思うと、止める気にはなれなかったのだ。
「この仏頂面ッ!」
「目つき悪いのはおまえもだよ!」
「やめないか二人ともッ! 頭突くぞ!」
 ……結局、慧音が止めに入ったのは、二人が額を付き合わせて睨み合いを始めた後だった。

   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

「……で、なんでこうなるんだ?」
「私が聞きたいよ」
 本当に、なぜこんなことになってしまったのか。買い物をしながら、静流は嘆息した。
 あの後慧音が二人に言い渡したのは、二人とも自分の家に泊まれ、という結論だった。どうやら彼女は夏目を静流に任せようと思っているらしいのだが、それはいかんせん心配だ。なので、三日くらいは慧音と静流、そして妹の瑞穂の三人が一緒に監視することを思い付いたらしい。
 はた迷惑なことだと最初は思ったが、慧音にはいつも世話になっている手前、断ることもできなかったのだ。そのまま気が付けば二人で買い物に行かされている次第である。
 慧音は裏がないが、里の皆が思っているよりしたたかなのだ。
「おい夏目。おまえ、料理はできるのか?」
「ああ、できるぜ。柚姉に拾われた頃からやってきたからな」
「拾われた……? 親はいないのか?」
「いたらこんなとこ来てねーよ。おまえこそ、親はいいって言ったのかよ?」
「いたらあんなとこで釣りなんてしてないよ」
 あの場所は里の外れ。半分くらいは妖怪のテリトリーでもあるのだ。
 たしかに田畑が広がり漁にも最適な川が流れているなど、重要な産業の地になっているのは確かだが、それでも危険なことに変わりはない。稲刈りなどの大仕事でもない限り、子どもはまず近寄らせてもらえないだろう。
 とはいえ、夏目はそんな事情を知るはずもない。ただ、親がいないのは理解したらしい。
「なんだ。しっかりしてんなーと思ったら、そういうことか」
「財産もろくに残ってないし、食い扶持は自分で稼がないといけないんだよ」
「稼ぐって……どんな仕事してんだ? まさか漁師とか言わねーよな」
「あたりまえだろ。魚はその日の夕食だよ。私の仕事は請負人。私にできる範囲で依頼を請け負っているんだ」
「その歳でできる範囲って、結構限られてこないか?」
「何言ってんのさ。手紙届けるのも仕事だよ。最近じゃそれが本業になってるけどね」
 この幻想郷に郵便というシステムはない。そもそも集落が少数過ぎる上に、その行き来がそこそこ命懸けなのだから仕方ない。
 しかしその割に郵便配達の依頼は多い。今はそれを利用して、郵便配達屋のようなものを作れないかと考えているところだ。枚数や距離で値段を設定して明文化すれば、一つの商売として成り立つ。静流はそう確信していた。ただ、いかんせんそれだけの力がない。資金がないし、人脈もない。そんな状態で下手に始めれば強欲な大人に横取りされるのはわかりきっているのだ。
 会話を保たせるために、買い物がてらにつらつらと郵便システム構想を話してやると、夏目は面白いモノを見るように不敵な笑みを浮かべた。
「へぇ。ってことは郵便局がないのか、ここは」
「ちょっと待って。おまえの世界にはもうあるのかい?」
「昔からあるぜ。いつだったかは忘れたけどな。ただ、ここにないなら画期的なアイデア、独占企業だ。一気に大富豪になれるかもしれねーぞ」
「わかってるよ、それくらい。ただ、私には力が足りないんだ。このままじゃ大人に勝てないだろ。考案しても、結局それを横取りされるのがオチだ」
 そう。横取りされないためには、大人に負けない資金力と人脈がいる。だから今だっていろいろな依頼を受けているのだ。
「……おまえ、ホントに子どもか?」
「うるさいなぁ」
 うっとうしい、と言いたげに手を振って静流は嘆息する。
 その頃にはもう、買い物は終わっていて、日は沈みかけていた。よくもまぁこんな時間まで一緒に過ごしたものだと苦笑しながら、静流は帰途についた。

 ——少女は知らない。その時まさに、事件が起きていたという事実を……


あとがき

 どうも。影時間を生きる作者です。
 物語で難しいのは、風呂敷を広げる序盤と、広げた風呂敷を畳んでいく終盤だと思っています。その点、展開済みの風呂敷を使えるのが二次創作のいいところですね。特に東方シリーズはかなり自由が利く高性能風呂敷。至れり尽くせりですが、同時に作者には一定以上のオリジナリティを要求してきます。使いこなすのは難しそうですね。




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最終更新:2010年08月05日 16:21
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