東方秋狼記
第四話:出る幕なんて無いんだよ
——それは、妖怪と言うにはあまりに異質な存在だった。
川の中から現れた"それ"は、夜の闇に溶け込んで輪郭が定かではない。ぼたぼたと流れ落ちる水のせいで、汚泥が盛り上がっているかのような錯覚すら見るものに与えてしまう。……否。事実、それは汚泥を全身にまとっていた。土でも何でもない、肉を溶かしたような黒い流動体が体表を絶えずうごめいているのだ。
その中で、爛々と輝くは8つの赤い目だ。どこかで見たことのある配列だが、その異様な外見が邪魔をして何だったのか思い出せない。
「なんだ……こいつは」
慧音は焦燥感も露わに呻いた。幻想郷にいるのは、人に似た姿を取る妖怪ばかりではない。だが、それを差し引いてもこんな怪物は初めてだ。生命を感じない。何者だ、これは。こんなものがいるという記録は残っていない。
「外来種か……?」
かつて吸血鬼が現れたときはすさまじい戦争になったという。だとするとこいつも……。
背筋を嫌な汗が伝った。
ぎろりと、8つの目がこちらを見た。無機質な丸い目から、ドロドロとした情念が吹き上がってきているような気がした。それが物言わぬ圧力となって慧音をなめ回す。ああ、なんて気持ちの悪い目だ。まるで人を値踏みするような、毛の一本まで観察し尽くすかのような貪欲さを感じる。
このままではやられる。確信めいた予感が、慧音を観察の呪縛から解き放った。
スペルカードを取り出し、構える。
「……来い」
それは開戦の合図。
「ッ!」
黒い汚泥が唸るように慧音へと迫り、ズガンッ、と地面を穿つ。深々と突き刺さる汚泥にぞっとしつつ、空へと逃れた慧音は用意していたスペルカードを発動した。
「産霊『ファーストピラミッド』!」
まずは小手調べなどと言っていられない。使い魔という名の魔法陣=発射台が最大数で展開する。
避けきれるものなら避けてみろ。
この開けた場所に、おまえの逃げ場など無い。
まして空すら飛べないのでは、弾幕ごっこは絶望的。
さぁ、里の人を帰してもらおうか。
【〜〜〜〜〜〜!】
妖力の塊が次々と生産され、黒い汚泥へと落ちていく。三点からの挟み撃ち。慧音の下にいる以上、逃げ場はない。
だが、慧音は手を緩めない。もとい、緩めるわけにはいかなかった。
妖力弾に身を打たれながらも、怪物は真っ直ぐにこちらを見据えていたのだ。8つの赤い光は慧音の危機感をひたすらに突き刺していた。
効いていない。効いていないのだ!
「……栄霊『セカンドピラミッド』!」
胸中の焦りを表に出すことなく、慧音は無慈悲にも二枚目のスペルを発動した。
ルール違反だ。だが、そもそもルールなど知る由もない相手。弾幕ごっこのつもりで挑むのは愚かに過ぎる。
三角形に並ぶ発射台に、逆三角形に配置された発射台が重なる。だが、まだ足りない。数が増えたところで、威力は変わらないのだ。砲弾をいくら当てても堅固な城は揺らがない。ならば、大砲を当ててやろう。
「滅霊『サードピラミッド』!」
さらにもう1セット、発射台が出現し——
——墜ちた。
回転する妖力の円盤。それが、隕石か何かのように汚泥を押し潰さんと落下する。
もはや神風特攻隊にも似た、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない質量兵器。
「はぁ、はぁ……」
息を荒げながら、慧音は勝利を確信する。
その一瞬の安堵が、終戦の合図となった。
【——ー〜—_—ーッ!】
化け物の腕が突如跳ね上がり、三枚重ねの魔法陣を突き穿つ。一本、二本、三本と腕が増え、その度に魔法陣は削られていく。だが、その過程を慧音が見ることはなかった。なぜなら、それはまさに1秒にも満たない一瞬のうちに行われたのだから。
「が……ッ」
慧音に理解できたのは、自分が突然伸びてきた黒い腕に右腕を掴まれて落下しているという事だけだった。
あり得ない。
ここまで届くほど、ヤツの腕は長くない。
なんなんだ。一体何が起きた——!?
勢いよく肩から地面に叩き付けられながら、慧音の頭にはただその疑問が浮かんでいた。
「ぐっ……はぁ、はぁ……」
肩を押さえ、立ち上がる。骨が折れたのか、腕がだらんと下がったまま動かない。
こんな時、自分が人間じゃなくて良かったと慧音は思う。もし人間だったら、このまま何もできずに終わっていた。
眼前の化け物は、八つの目で慧音を見下ろしている。汚泥のようだった体は先程の攻撃で伸びていて、脚のようなものがわかるほどになっていた。そしてその一本に、達郎が縛られていた。糸のようなものでグルグル巻きにされている。
「なるほど……そういうこと」
慧音は口元を歪めた。ようやく、怪物の姿が理解できたのだ。
——あれは、蜘蛛だ。
少々異なる部分はあるが、あの目の配列は蜘蛛のものだ。それに先程の黒い腕も、勢いよく放たれた蜘蛛の糸だとしたら説明が付く。一体どんな理屈で化生の者となったのかはわからないが……そこまで気にしている余裕はない。
「鈍重かと思ったが、蜘蛛なら速いのも頷ける」
いつ飛んでくるかわからない糸を警戒しつつ、慧音はスペルカードを取り出す。糸には糸だ。もっとも、こちらが張り巡らせるのはレーザーだが。
「未来『高天……」
いざ発動せんと口を開き——
「ぐぅ……ぇッ」
出てきたのは血の混じった吐瀉物だった。
何が起きたのかわからない。ただ、痛みに似た灼熱感が腹部を焼いている。
恐る恐る見下ろすと、
ほっそりとした腹から、
大人の腕ほどもある黒い爪が、飛び出していた。
——————。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
幻想郷の夜は、そこまで暗くはない。
月の明かりが外界よりも強く、妖しく地上を照らしているからだ。新月の夜でさえ、星明かりが道を照らしてくれる。もちろんそれは人間から夜への恐怖を取り去るには微弱に過ぎるが、夜目の利く静流にとっては十分すぎるほどだった。
道は簡単だ。
川に沿って走ればいい。
幸いにも河原は走るのに困らない程度に平らだ。
とはいえ、走りっぱなしというのは辛いものがある。
息はかなり上がっていた。夏夜の空気にじわりと汗ばむ。
前方で稲光のように瞬くのは、おそらく慧音の弾幕。
「なんだありゃ……」
目の前を走るのは、夏なのか秋なのかはっきりしない男。彼は遠方で瞬く光を見て目を丸くしていた。迷い込んだばかりで知らないのだ。『弾幕ごっこ』と呼ばれる、妖怪との対決を。
「慧音先生が戦っているんだ。わかっただろ? 私達の出る幕なんて無いんだよ」
諭すように静流が言ったその時だった。
【———〜——__—ッ!】
声にならない風音が、夜の空をつんざいた。
あとがき
ど、どうも……36です(ビクビク)
遅れた上に微妙な出来映えとか……うわぁ酷い。戦闘シーンの動かなさたるや、コマンド式のゲームかと言いたくなるレベルです。しばらく本から離れてるとこんなものか……
苦情、感想は適当な掲示板へどうぞ。
-
最終更新:2010年08月05日 16:22