秋狼記7

東方秋狼記



   第七話:私と似てると思った

 ——初めに、妥協があった。
 選択とは生に強く向かうものである。強い歩みこそが選択である。
 ならば、生きやすい方向に流れた彼の判断は、必ず妥協に帰結する。
 だが何も問題はない。問題は、彼はそれを選択だと信じ過ぎていた事だ。
 妥協という事実を覆い隠すために、厚く厚く塗り固めた蓋は、あまりにも——

   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 朝が来た。
 二度と拝めないとさえ思った日の出に、しかし静流は何の感慨も湧かなかった。まだ何も終わっていない。少なくとも、静流の中では。
「悪魔憑き、か」
 化け蜘蛛の中から現れた紅染月雲は、つまるところ核だった。
 彼が無意識に作り上げた魂の無い心器に悪魔が取り憑いたことで、あのような姿に変貌してしまったのだ。今は支配権が紅染先生に移り人の姿に戻ってはいるものの、完全に祓えたわけではない。『蜘蛛』が力を取り戻せばまた乗っ取られるだろう。
「厄介なことになったな……今更だけどさ」
 迷いの竹林の一角にある家の縁側に腰掛け、独りごちる。
 目の前に広がるのは焼ける竹林。そもそもここは夜が明ける前から明るかった。
 あの後、慧音と紅染先生、そして捕まっていた人達を永遠亭に担ぎ込んだまでは良かった。だが月の姫様がいらぬ挑発をするものだから、当然のように喧嘩が始まり、キレた永琳に共々追い出される羽目になってしまった。「怪我人以外は出て行け」と言ったあの形相はしばらく忘れられないものになりそうだ。
「ちっ、いい加減くたばれよ輝夜ァッ!」
「そっちこそ、諦めたらどうかしら? あなたのせいで永琳に怒られるし、散々だわ」
「どう考えてもおまえのせいだろ!」
「私は悪くないのよ、姫だから」
「いけしゃあしゃあと言ってくれるじゃあないか……わかったよ、永遠に燃え尽きろッ」
「ッ、生意気。あなたこそ、私の華麗な弾幕の前にひれ伏しなさいよ」
 妹紅と輝夜の不毛すぎるケンカを止めに入った無謀すぎる男は二分と保たずに沈黙した。
 静流も蜘蛛を止めた『あの力』を使って止めようとしたのだが、何も起きなかった。試行錯誤するも発動する気配すら感じられず、結局、その正体さえわからぬまま朝を迎えてしまったというわけだ。
 そも人間が何らかの能力に目覚めるというのは非常に稀有なことだ。ならばあの一時、命を拾えただけでも十分だろう。
 ごとり、と頭から落ちてきた二人を見ながら、静流は心からそう感じていた。

   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 リグル=ナイトバグは夜雀の屋台で酒をあおっていた。
 目的は達成したわけだが、まさか中身が人間だったとは。どうやら妖怪と張り合える人間は、あの喧嘩っ早い巫女や手癖の悪い黒白、何を考えているのかわからないメイドだけではなかったらしい。
 それに、あの静流という少女。成り行きで協力したものの……
「たしかに最初の霊撃はすごかったけどさぁ、最後のはどういう事なんだろぅ」
「んん〜、何かあったの〜?」
「黒白ほどじゃないけど、すごいパワーだったんだよねぇ」
 リグルにもわかる。あの静流という少女に、紅白のような強い霊力は無かった。いくらお気楽な妖怪でも、タネが気になることくらいある。
『知りたいかね、リグル君』
 無造作に置かれたペーパーナイフが芝居掛かった口調で問い掛けてくる。酒も飲んでいないというのに、饒舌なナイフだ。
「そうだねぇ。知りたいねぇ」
『実に簡単なことだ。吾輩の妖力を奪い取っていったのだよ、あの小さな淑女は』
「ふぅん……えっ」
 驚いた拍子にぱしゃり、と酒がこぼれた。夜雀も歌を止めてこちらを見た。
『どうしたのかね、夜雀が豆弾幕を喰らったような顔をして』
「なにそれこわい。じゃなくて、妖力を奪うなんて、人間にできるの?」
『なぜそうも驚くのかね。呪符にため込んだ霊力を使えるのだ、吾輩もその代わりに使えると考えるのが自然というものだよ、うむ』
「へぇ。じゃあ私も」
『残念ながら君には無理だ』
「なんでさ」
「私も〜気になるな〜」
『ふぅむ、そうだな。リグル君、君は蟲が持つ妖力を勝手に使えるかね? ミスティア嬢、君は私の声を自分の歌声にできるかね?』
 リグルとミスティアはきょとんとした目で顔を見合わせた。
 そんなこと、今まで考えたこともなかった。
『つまり妖怪とは、そういうものだ』
「ふぅん」
 よくわからなかったが、相槌を打ってリグルは杯を傾けた。

   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

「なぁ。あの火の鳥ってどうやって出してんだ?」
 朝食を食べ終えた夏目は不意にそう切り出した。空恐ろしい事にこの男、二人の本気の弾幕で撃墜されたというのに擦過傷ですんでいた。どういう理屈かはわからないが、あの黒装束はとんでもない強度を持っているらしい。
 妹紅は麦茶を一気に飲み干すと、うーむと唸ってもう一杯。
「そうだなぁ。どこから話したもんかなぁ」
「えっ」
 静流は目を丸くした。誰が言ったわけでもないが、妹紅にそういう事を尋ねてはいけないという暗黙のルールがあったのだ。実際、慧音もほとんど知らないと言っていた。だから聞けば妹紅は怒るものと思っていたのだが……
 そんな思いを知ってか知らずか、妹紅は淡々とした口調で語り始めた。
「昔、都を次々と滅ぼした魔物がいたんだ。そいつは都を移すたびに焼き討ちにするとんでもない悪党だったから、『都焼き』って呼ばれてた。そこで時の帝はヤツを討伐するために都を移して罠を張ったんだ。それが四神相応の地、平安京。なんやかんやであと一歩のとこまで追い詰めたけど、重傷を負った『都焼き』は命からがら逃げ出した。私がそいつと出会ったのは、ちょうどその後だ」
「あー、ちょっと待ってくれ。鳴くよウグイス平安京だろ? なんで妹紅がそこにいるんだ?」
 妹紅はあまり自分のことを話さない。だから、夏目にも言っていなかったのだ。彼女が蓬莱人だということを。
「……まぁ、いろいろあってな。その百年くらい前、不老不死の薬を捨てに行く帝の使者を殺して、薬を飲んだんだ。死ぬほど後悔したけど死ねないから手遅れだ。姿の変わらない人間なんて、同じ場所に住めるわけがないでしょ? だから私は人目を避けるように各地を転々としてたんだ。で、そんな時、私は『都焼き』と出会った」
 夏目に目をやると、ぽかんとした顔で妹紅を見ていた。さもありなん。
 そこで突然、妹紅は手のひらから炎を出した。小さな火の鳥だ。
「こんな感じかな。『都焼き』の正体は全身が炎でできた不死鳥だった。つまりな、そいつは別に好きで都を滅ぼしたワケじゃなかったんだ。不可抗力。近寄ったら燃えた。そんだけの事だったんだ。ま、人間からすれば大迷惑だけどな。でもそいつからしたら理不尽で、悲しかったんだろうよ。ボロボロになって怯えるそいつを見て、私と似てると思った。だから私は、そいつを囲うことにしたんだよ。私の中で。当然そんな事をすれば焼け死ぬのがオチだけど、あいにく私は死なない。慣れるまでかなり掛かったし死にまくったけど、気が付いたら『都焼き』は私に溶け込んでて、私は世にも奇妙な発火人間になってたってワケさ。ま、制御のために術を学んだってのもあるんだけどな」
 みんなには秘密だぞ。そう言って妹紅は締めくくった。
 彼女は何ともなさげに話していたが、静流はふと思った。妹紅は、最初はなんとか死ぬ方法を求めて『都焼き』を請け負ったんじゃないだろうか。帝の使者を殺した罪への罰がほしかったのかもしれない。それとも、純粋に道連れがほしかったのか。
 彼女が好戦的なのは、もしかすると……
「なんで話してくれたのさ? 秘密なんだろう?」
「そうだなぁ。静流には教えておくべきだと思ってさ。それに千秋からは、一度は死んだ気配がしたんだ。そうでしょ、千秋? おまえからはあの世の匂いがするよ。焦げたような、ううん、もっと仄暗い匂い。その影だ」
「えっ、そんな事までわかんのか!?」
「伊達に長生きしてないよ。ふぅん、そうか。死の境界を越えたからここにも来れるのか。死以上に越えられない境界なんて無いからね。影が隠り世のものなら、結界なんて紙みたいなものよね。すごいな。おまえは振り返らなかったのか」
 そう言って微笑む妹紅は、なんというかリラックスしていて優雅だった。こうやって落ち着いている彼女を見ると輝夜に似ているのがよくわかる。人形のような顔立ちも、その立ち居振る舞いも。
「ちょっと待った。私にもわかるように説明してほしいね。紅染先生の事といい、夏目の言ってる事がよくわからないんだよ」
「そうだねぇ。簡単に言えば、千秋はあの世から帰ってきた変なヤツって事」
「こいつが変なのはわかってるけどね。でも、振り返らなかったってのはどういう意味さ」
「二人とも、ちょいと酷くないか」
「根の国から帰ろうとしても、ヨモツイクサやヨモツシコメ、そんないろいろなものが引きずり降ろそうとするんだ。だから振り返っちゃいけない。千秋はその『いろいろ』ごと登り切ったんだと思うよ」
「すげぇ……だいたいどころかほとんど合ってるぜ。妹紅の言う通り、俺の影はあの世の影だよ。悪魔憑きとあんまし変わんねーらしいけど、しょーじき俺にもわからん」
「へぇ。だから真っ黒に変身するのか。だけど大丈夫なのかい。悪魔に乗っ取られると紅染先生みたいになるんだろ」
「そいつはちょいと違うんだな、これが。悪魔って言うけど意志があるわけじゃあないんだ。悪魔ってのはえーと、別の世界の常識みたいなもんだ」
「じゃあなんであんな事になるのさ」
「器が悪ぃんだ。なんつーか、頑固な捻れみたいな心が異世界と繋がって、常識を持ってくるって話だぜ? で、そんなのが力を持っちまうからヤバい事になるってワケだな」
「つまり何だい、おまえは自分が真っ直ぐだから大丈夫だって言いたいのかい?」
 ジト目で尋ねると、夏目は臆面もなく頷いた。
「よくわかったな、お嬢」
「おまえは馬鹿そうだからね。とりあえず、使えれば便利って事はわかったよ。それで、妹紅はなんで私には教えておくべきだと思ったのさ?」
 仕事を終えたような表情でのんびりと麦茶を飲んでいた妹紅は、きょとんと静流を見た。そのまま思案顔で少し悩み、
「もう少し真剣に修行すればわかるよ」
 お茶を濁すようにそう言った。

   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 八意永琳が書斎で調べ物をしていると、ボロボロになった輝夜が入ってきた。
「ねぇ、永琳。妹紅はいつまで黙っておくつもりなのかしら」
「あの少女の事?」
「そう。静流のことよ」
 なんというか、輝夜は変わった。退屈そうな顔ではあるが、いろいろなことに興味を持ち始めている。良くも悪くも藤原の娘の影響を受けているのかもしれない。
「静流には私や妹紅を討つだけの素質があるわ。それは永琳、あなたも例外ではない。妹紅はそれを恐れているのかしら」
「……なんですって?」
「あら。永琳でも知らないことがあるのね」
 血相を変えた永琳を見て、おかしそうに輝夜は笑う。
 なんということだ。何度も遊びに来ているというのに気付かなかった。あの三馬鹿と同じかそれ以下の、ただの人間だろうと思って油断していた。だが、彼女は弾幕を晴れるような霊力も持っていなかったのだ。
「面白いから教えてあげないし、変な気も起こさないでね、永琳。妹紅と同じなのは気に食わないけど、私、あの子を気に入っているの。兎の相手をしてくれるし、私を恐れない。いつか私の暇つぶしにも付き合ってくれるわ。それはきっと、とても面白い事よ?」
 一方的に言い付けて輝夜は出ていった。
 残された永琳は、どうするべきか考え……とりあえず本を読むことにした。


あとがき

 そろそろ軽快に馬鹿を出そうと思っていたのですが、いつになく重くなりました。
 半分以上が説明に費やされています。そして最後にトンデモ事実が。
 あぁそうそう、輝夜と妹紅はすごい人です。ここではそういう事になってます。




-

最終更新:2010年08月05日 16:36
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。