東方秋狼記
第九話:あと三秒で自爆するッ!
紅魔館は霧の湖のほとりに建つお屋敷だ。
ほとりといっても湖に大きく突き出した敷地に建っているので、実際は湖の真ん中辺り。広大な敷地は緑。赤レンガに白いアクセントの巨大な館が湖面を覆う霧に浮かぶように見える様は、得も言われぬ絶景だ。湖岸も整備されており、船を乗り付ける桟橋まである。
もっとも、夜になるといかにも吸血鬼の居城といった風情でおどろおどろしいのだが。
そんな紅魔館に行くには三つの方法がある。湖を回り込むか、船で湖を渡るか、飛んでいくかの三つだ。ただし門は湖を向いているので、歩いて行く場合はさらに紅魔館を回り込む羽目になる。
静流達は結局、チルノが湖面を凍らせて作った氷船で湖を渡っている。本当は
リグルが巨大なカブトムシを呼び出すはずだったのだが、残念ながらカブトムシは夜行性だった。
どういう仕組みなのか、氷船はチルノの力で勝手に進む。揺れはなく、おまけに涼しく、溶けることもないと来た。とても便利だ。
しかし、あと半分といったところで船は止まってしまった。
「あたい疲れた」
「まぁ暴れた後みたいだし、仕方ないね。でも、どうやって動かそう……」
湖のど真ん中で首を捻るリグル。まっこと役に立たない妖怪である。
見かねた静流は嘆息し、読んでいた本をぱたりと閉じた。もちろん預かりものである。
「そうだな、この私に考えがあるよ」
『君の考えを聞こう、静流君』
「要は、推進力を作ればいいんだろう? 簡単じゃないか」
そう言って静流は船の後端に呪符をぺたりと貼り付けた。
途端、止まっていた船がゆるゆると動き始めた。霊力を少しずつ放出しているのだ。
「……遅いね」
『うむ、遅いな』
「なんだよ。止まってるよりマシだろう?」
だが、確かに遅い。このままでは歩いた方がマシというくらい、遅い。とはいえ連続で炸裂させれば船が壊れかねない。
「マシだけどさぁ」
「……ふん、わかったよ。どうなっても知らないからな」
あくまで勘だが、五角形に呪符を並べて増幅すれば推進力は増すはずだ。チルノと戦ったときは無意識に並べていたが、あれはきっとそういう布陣なのだ。足りない出力は蜘蛛にとどめを刺したときのようにペーパーナイフを使えばなんとかなる。
「急ぎ急げ律令の如く、廻せ廻せ廻せ!」
呪文を口にした直後、十枚重ね、計五十枚の呪符が吼えた!
急激な加速にリグルが、チルノが、静流がバランスを崩す。即席の『砲門』からビームをぶっ放す氷船は、どうしようもない速さで湖面を切り裂き爆走し始めたのだ。
「何これぇぇええ!?」
『むっ、これは……ッ』
「だからどうなっても知らないって言っただろう!」
「言ったけど、言ったけどさぁああ」
「止め方なんて知らないからな」
「ヒャッハー! あたいの船は最速だぁぁあッ!」
顔を青ざめさせるリグルを後目に、先端に立って喝采を上げるチルノ。
なかなか対照的だな、と静流は胸中で呟き、そんな事をのんびりと考えている自分に驚いた。ついこの間までは人里の側でない妖怪と話をするなんて考えたこともなかったというのに。どうにも夏目が来てから妙な事になっている気がする。
閃光を引いて滑走する船はまるで彗星。
真上を飛ぶ妖精も何事かと振り返る。
船の後ろには巨大な水柱。否応にもこれは目立つ。
遠かった紅魔館は今や目の前に迫っていた。
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紅魔館の門番、紅美鈴は自前の椅子に腰掛けたまま、うつらうつらと船を漕いでいた。
とても優秀な門番長としての誉れ高い彼女でも、眠いときは眠い。
この美しい門構え。その背後にそびえるのは世にも美しい悪魔の洋館。美鈴の仕事は、その外観を守ることだ。よって、門番だけでなく、外の仕事はだいたいが美鈴の守備範囲だ。今朝もいつものように広い庭の手入れをしていた。と思ったら黒白が突貫してきた。超スピードで。止めに入ったら弾幕とかそんなチャチなものではなく、極太の破壊光線をお見舞いされた。
だから、疲れて睡魔に襲われるのは致し方ない事だと美鈴は主張したい所存である。
「しかたないです妖怪だもの〜 咲夜さんとはちがいます〜 ルルルルル……」
夢うつつのまま、紅魔館で流行っているメイド哀愁歌を口ずさむ。
自分と小悪魔の合作というだけあって、うたた寝の最中でも歌えてしまう。というより、これで頑張って眠らないようにしているのだ。
「ダメな上司はイヤだけど〜 デキる上司も困りもの〜 しかたないです怖いもの〜」
「ごきげんね、美鈴」
「しかたないんです咲夜さん〜 私あなたとはちがいます〜 ルルルルル……えっ?」
一気に目が覚めた。そして青ざめた。反射的に背筋を正し、ぎりぎりと錆びたネジのようにぎこちなく振り返ると、見慣れた銀髪のメイドが立っていた。彼女、十六夜咲夜は相変わらずの美人顔を少し引きつらせて微笑んだ。
「歌の寝言なんて器用なのね、美鈴は」
「えっ、あ、その、これはですね」
「羨ましいですわ、館中で流行るような歌を作れるなんて」
バレている。確実、そう、チャージ完了したミニ八卦炉を向けられたら負けるというくらい確実にバレている……!
圧倒的窮地……ッ!
絶望的。
逃げ場無しのラストスペル。
つまり、崖っぷち……ッ!
美鈴は死よりも恐ろしい制裁を覚悟した。いつか来ると思っていた。
「い、いやですねぇ。私みたいな門番に歌が作れるわけないじゃないですか」
せめてもの悪あがき。無駄とわかっていても、口が勝手に動く。
「じゃあ、誰が作ったのかしら? ぜひ会ってお話ししたいんだけど」
「さ、さあ。誰なんでしょうねぇ、ははは……」
咲夜以上に引きつった笑みを浮かべる美鈴。だが、そんな事をしていたせいで完全に反応が遅れてしまったのは間違いない。
何への反応か。
そう、盛大な水柱をひっさげてこちらへと突貫してくる氷の船である。
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「ホントに止め方知らないの!?」
「おかしいな……そろそろ呪符の霊力が尽きる頃なんだけど」
『このままでは、そう、正面から訪問することになるな。実に紳士的ではないか』
「そういう問題じゃないんだって! あそこには怖い門番が……!」
『何、こちらは用事があって来ているのだ。問題はなかろう』
「問題は、この船がどう考えても襲撃者に見えることだろうね」
すでにこの時、静流は覚悟を決めていた。そしてできる限りの手を考えた。
氷船は白黒の魔法使いもかくやというスピードで湖岸に乗り上げ、高々と宙を舞った。
真っ赤な門が前方に見える。
「やばいよヤバいよ、あいつまでいる!」
「なにビビってるのさリグル! さいきょーのあたいがいるから大丈夫だって!」
その時ふっと船から上昇の勢いが消えた。後方斜め下へ放射されるビームがここに来て弱まり始めたのだ。
しかし一度付いてしまった勢いは止めてもらわねば止まらない。
高々と舞い上がった船は、門へと一直線に降下していく。門前で談笑しているらしい二人はまだこちらに気付いていない。もしもこのまま突っ込めば敵対は免れられないだろう。そしてリグルの反応を見るに彼女たちは恐ろしく強いのだ。
そう判断し、静流はありったけの呪符を船に貼り付けてからリグルとチルノに抱きついた。
「うわっ!? いきなりどうし——」
「あんた何を——」
「飛ぶんだよ。この船は、あと三秒で自爆するッ!」
『えぇぇえぇぇええッ!?』
二人分の絶叫を引きずって、静流は潔く船から飛び降りた。一秒。地面へダイブしながらチルノを放り、リグルと上下を逆転した。二秒。上に回って地面が見えたことで我に返ったリグルは激突寸前で急上昇。三秒。その直後、門へと弾丸のように突っ込むはずの氷船は霊撃で木っ端微塵に砕け散った。拳大の破片となった氷は、霊撃と真夏の暑さにやられて消えた。
「うわー、きれい」
「いいもの見れて良かったじゃないか。氷の花火なんて風流だろう」
目を輝かせるリグルに、静流はいけしゃあしゃあと賛同した。
チルノはというと、妙に誇らしげな顔でふんぞり返っていた。おまえがやったワケじゃないぞ。
「な、なんですか今の!?」
すぐ先の門から素っ頓狂な声が飛んできた。これだけ大騒ぎをすればさすがに気付く。
駆け寄ってきたのはメイドではなく、中華服の女性だった。なんとも朗らかそうな外見だが油断はならない。なぜならここは悪魔の館、紅魔館。
一番最初に反応したのはチルノだった。
「あたいの傑作よ!」
「氷精ッ! また性懲りもなく来たみたいですねぇ〜!」
チルノの姿を認めた途端、中華風の妖怪から朗らかさが消えた。まるでキレた慧音みたいな表情で指をばきばきと鳴らし始めた彼女は、静流とリグルにも目を向け、誰からぶっ殺してやろうかと言わんばかりだ。
なるほど、彼女が噂に聞く紅魔館の門番か、と静流は納得した。これは怖い。
「リグル、降ろして。私は客として来たんだ、別に恐れることもないだろう?」
「そ、そうだねっ」
少し高度を下げてぱっと手を放すリグル。
身軽に着地した静流は、今にも襲い掛かってきそうな門番に本を見せた。
「これ、輝夜に頼まれて返しに来たんだ。通してくれるかい?」
「あっ、それは……! ううん、騙されませんよ。
パチュリー様は本を貸し出したりしません! つまりあなたは賊!」
ああ、ダメだ。話が通じない。
というか、輝夜の使いという事を証明できるものが無いのだから仕方ない。
「舐められたものですね……黒白といい、あなたといい……そんなに本が欲しいかぁ! そんなに私の苦労を増やしたいんですかーッ!」
「……はぁ、わかったよ」
「ならば神妙に——」
「おまえは私が盗んだと言うんだろう? それは、おまえが職務怠慢で人間の私を通してしまったって言っているのと同じ。つまりおまえはそれを、サボってたって事を認めるんだね?」
「へっ?」
「だってそうじゃないか。私の霊力がたいしたことない事くらいわかるだろう? それでここから本を盗むなんて、不可能じゃないか。おまえが『サボっていない』のならね」
「あ、いやそれは」
「もしおまえがサボってて私を通したんだって主張するなら、私を煮るなり焼くなり、好きにすればいいよ。私も少しは抵抗するつもりだけど、どうせ勝てないだろうしな」
後ろではリグル達が固唾を呑んで見守っている。まさか堂々と言葉で勝負するとは思っていなかったのだ。だが静流は自分から妖怪に勝負を挑んだことはない。勝てないとわかっているから、自分からは手を出さない。
真っ直ぐに門番の目を見据え、静流は余裕を持って問い掛けた。どうなんだい、と。
「う……っ」
門番はたじろいだ。黙って見ているだけでどんどん自信が薄れていく。
頃合いを見計らい、静流はリグル達に目配せして門番の横を通り過ぎた。
「あなたが優秀な門番で助かったよ」
あとはメイドだ。追い付いてきたリグルが耳打ちする。
「どうするの? あいつはここを仕切ってる人間だよ?」
「なんだって?」
静流は眉を跳ね上げた。そういえば紅魔館には人間が一人いた気がする。悪魔の犬とかいうあだ名で、里でも恐れられていたはずだ。
「でも私は門番を倒して入ったわけでもないしね、胸を張っていればいいさ」
「そうかなぁ……」
「リグルったら心配性ね。いざってときはあたいが倒してやるわ」
結局、本当に通れてしまった。
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紅美鈴は冷や汗をかいていた。
チルノ達が来たことでこれ幸いと出動したが、それが結果として裏目。
初対面の人間の少女に痛いところを突かれ、状況はさらに悪化した。咲夜からの視線はますます厳しいものになり、隠し事があると確信されてしまった。この生意気な子どもを有無を言わさず力で放り出してやりたかったが、それが実行に移せない。背後からの見えざる力に縛られて、美鈴は身動き一つとる事ができなかった。
咲夜さんさえ見ていなければ、と思ったが、
「あなたが優秀な門番で助かったよ」
最後の言葉で、美鈴はその間違った考えを改めざるを得なかった。
(バレている……ッ!)
彼女は、あの鋭い眼は見抜いていた。自分の不純な動機、そして恐れを。
美鈴を呪縛していたのは咲夜ではなく、そう、あの少女だったのだ。
なんという度胸ッ、なんという凄味……!
少女の吸い込まれるような眼を思い出し、美鈴は身震いした。
「それで、美鈴? あんなに焦って、あなたは何を隠しているのかしら」
後ろからの冷ややかな声に、美鈴は振り返って引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
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手入れの行き届いた庭を歩きながら、静流はほっと胸をなで下ろしていた。
先程まで黙っていたペーパーナイフが感嘆したように唸った。
『追い込まれた状況であの門番の立ち位置を見抜くとは、さすがである』
「え、どういう意味?」
『静流君は、あの門番が我々よりもメイドを気にしている事に気付いたのだ。あの無茶な言いがかりも、恐れるがゆえ。まぁ、あの瀟洒な淑女がここのハウスキーパーならば当然とも言えるが』
「そう。あいつは話を逸らそうとしていた。私達を叩き出すことで、あのメイドから逃げようとしているみたいだった。だから、わざと聞こえる声で言ってやったのさ。五分五分だったけど、乗ってくれて助かったよ。正直、生きた心地がしなかった」
「へぇー」
わかっていない顔だった。
「あなたのおかげで助かりましたわ」
不意に掛けられた声に振り向くと、先程の銀髪メイドが、ずっとそこにいたような自然さで立っていた。
「館の中は広いので、私がご案内しますわ」
いつの間に現れたのか驚く前に、彼女は上品に微笑んだ。
紅魔館での長い一日が、始まる。
あとがき
ただ水上バイクがやりたかったー! その衝動のままに書きました。
というわけで、とうとう紅魔館編が始まります。
めーりん……あれは酷い事件だったね……
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最終更新:2010年08月07日 21:16