東方秋狼記
第十話:悪夢みたいな存在ね
紅魔館は広い。外観も大きな洋館だが、中はそれよりも広かった。
ほとんど、迷いの竹林でさえ滅多に道に迷わない静流だが、ここばかりは案内役がいてくれて良かったと思った。西洋風の館は複雑、というより方向感覚が狂う。赤い内装も、なかなか目に悪い。
前を歩くのはメイド長、十六夜咲夜。人間がどうしてそんな大役を任されているのかと静流は首を捻ったが、理由はすぐに判明した。ここのメイドは咲夜以外、妖精だったのだ。あんな遊び好きな種族を雇うなんて。主人はきっと暇なのだろう。
「ここが図書館ですわ」
どれだけ歩いたのか。時間さえ曖昧になってきた頃、咲夜は大きな木製の扉の前で立ち止まってそう言った。
見るからに分厚そうな扉だ。生半可な衝撃では壊れないぞ、と言っているかのよう。
『ふむ、実に素晴らしい。だが、惜しむらくは幾度となく壊されている事か。不届きな輩もいたものだ』
ペーパーナイフが芝居掛かった口調で唸る。いっぱしの鑑定家みたいな物言いに、咲夜が眉を跳ね上げる。静流も怪訝な表情を浮かべた。どう見ても傷なんて無いじゃないか。
「いつも
パチュリー様が直していらっしゃるはずですが……」
『これほどの扉ならば主張を持っているものなのだよ、お嬢さん』
「はぁ……」
お嬢さんと呼んでいい歳なのか、と一瞬失礼な考えがよぎったりしたが、納得したように頷く咲夜からは年齢というものが読み取れない。もしかすると、まだお嬢さんなのかもしれない。不思議な人だ。
咲夜は大きな扉を押しながら、こちらを振り向いた。
「どうしたんだろ……?」
「あの、ちょっと手伝ってくださいませんか?」
「あたいに任せろ! これくらいあたい一人で!」
チルノが咲夜を押しのけて威勢良くアタックするが、いくら押せどもいっこうに開く気配がない。
「なんで!? 最強あたいのパワーで開かないなんて!」
「押し方が悪いんじゃないかなぁ……」
「どうやら修復を繰り返すうちに、立て付けが悪くなっているみたいですわ」
「一人で開けられない扉って、どうなのさ……?」
『扉も嘆いているようだ』
「だろうね。もったいないお化けが出るよ」
ふんだらーっと奮闘するチルノに加勢しようと
リグルが扉に手を当て、体重を乗せた。
それでも開かない。
続いて咲夜も押すが、開く気配がない。
「一体どうなってるの? びくともしないよ」
「あたいが押しても開かないなんて、生意気よこの扉!」
「おかしいわね……今朝は開いたんだけど……」
「こうなったら、あたいのソードフリーザーでぶった斬ってやる!」
「やめなよチルノ、怒られるよ」
そこで、後ろで成り行きを見守っていた静流が声を上げた。
「押してダメなら、引くのが普通じゃないのか」
その言葉に、皆が一斉に振り向いた。
それは盲点を突いたアイデアだった。
なぜ、この扉は押すものだと思っていたのだろうか。押してダメなら引けばいい。あまりにシンプルだが、それゆえに忘れられやすい、忘れてはならない基本。壊すのはこれを試してからでも遅くない。
「でもさぁ静流、この扉は間違いなく押して開ける扉だよ?」
「ええ。パチュリー様も構造をいじっているわけではありませんし」
「難しい事ばっかりで、わけわかんないってのよ、あんたは」
困惑顔の三人に身振りで下がるように伝えると、静流は出し抜けに即席の霊力弾を扉に放った。咲夜が止める間も無く、蒼く光る翡翠のような霊力弾は緩やかな弧を描きながら扉を捉え——
「あッ!」
跳ね返った。
「よく壊されるって言っただろう? これはきっと、泥棒対策なんだろう。こんな感じで、扉に加えた力は逆方向に変換されるんだ。押せば押すほど扉は閉じようとする。つまり、引けば勝手に開いてくれる」
言いながら静流は大扉をゆっくりと引っ張った。
ギィと、扉が音を立てた。
「ほら」
「なんか、気持ち悪いね……」
引っ張れば引っ張るほど、自分の体は開く扉に引きずられて前進する。たしかに気持ち悪い扉だ。
「でも、なんでわかったの?」
「よくわからないけど、わかるんだ。自分の事なのに気味が悪いよ」
チルノと小競り合いをしてからというもの、今までとは世界が変わってしまったかのように感覚が鋭くなっていた。冷静に眺めていると、「こうすればいい」という解決策が理由も無くふっと湧き出てくる。くらくらとする頭に活を入れなければ、目眩でも起こして倒れそうだった。
気味が悪い。さっきの霊力弾も少し威力が増していた。あんなに早く作れるものでもなかったのに。
「どうかしました? 顔色が悪いですわ」
唐突に咲夜が顔を覗き込んでくる。ツリ目気味の美人顔が突然視界いっぱいに広がったのに驚いて、静流は反射的に一歩退いた。
「うわッ!? だ、大丈夫だよッ。それよりも、入るよ!」
跳ね上がった心拍数を隠しきれない様子で、静流は大扉を一気に引き開けた。
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「どういう事だ輝夜ぁッ!」
永遠亭に殴り込んできた妹紅に、輝夜はゆったりと振り向いた。
そろそろ来るだろうと思っていた。
「あら、何の事かしら?」
「とぼけんじゃねぇよ! 静流を紅魔館に行かせるとか、何考えてやがるッ」
「あなたがあんまりにも動かないから、じれったくって」
「この……ッ」
怒髪天を衝く勢いの妹紅に胸ぐらを掴まれても、輝夜は楽しげな表情を崩さない。
「あなたは何を隠しているのかしら? 何を恐れているの? 藤原妹紅ともあろう者が。私にも少しはわかるけれど、知りたいじゃない。『ほんとうのこと』を」
「そんな事のために……ッ。静流はなぁッ、てめぇの玩具じゃねぇんだよ!」
「そうね。でも、あなたの『お人形』でもないわ」
びくりと震え、妹紅の表情が歪んだ。悲哀とも、怒りとも違う。いろいろな感情がない交ぜになったような人間らしい顔に。ぎり、と歯を鳴らすのは何かを耐えているのか。輝夜はそっと囁き、その傷を切開する。
「どうして静流にこだわるのかしら? 昔のあなたに似ているから? 過去の贖罪? 何かの代償行為? それとも……」
「てめぇ……」
「受けられなかった愛情を、家族ごっこで取り戻したいのかしら?」
輝夜は眼を細め、握力の消えた妹紅の手を払った。
「そもそも私はいつも通りのことをしただけよ? そう、ギブアンドテイク。与えてばかりも貰ってばかりも、不公平でしょう? だからこれは私のお返し。私と地上の者として付き合ってもらっている事への、ね」
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図書館という言葉に偽りはない。六角形の大広間、その壁一面が本棚で埋め尽くされ、遥か上の天井まで積み上がっている。一体棚が何段あるのか、そしてそこにどれだけの本が収められているのか、そんな事を考える気も起きないほど、そこは本だらけだった。
まるで本の塔。その中心に、彼女はいた。
紫髪をまっすぐに伸ばし、涼しげなキャミソールに身を包んだ彼女は、ただ一人ゆったりと椅子に腰掛け、三日月型のテーブルで静かに本を読んでいる。
気怠げな紫瞳がゆっくりと扉に向いた。
「……まぁ、咲夜なら開けてくるわね」
クールな暗い声。それに対し、咲夜はやんわりと首を横に振った。
「いいえ、パチュリー様。開けたのはお客様ですわ」
「なんですって……?」
パチュリーは眉を跳ね上げた。愕然とした表情でチルノを、リグルを見る。
「世界の終わりだわ……」
「あんた失礼ね!」
「いや、客は私だけだよ。こいつらは、えぇと、お前達はなんでここまで付いてきたんだ?」
静流は怪訝な顔でリグル達を見た。
紅魔館まで乗せていってくれとは言ったが、中まで付いてこいとは言っていない。
それはリグルも同じで、どうしてここまで付いてきたのかわからずに首を捻った。こんな恐ろしいところに来てどうするよと、チルノと顔を見合わせた。しかしチルノは何も考えていないようだった。これはいつもの事なので気にしない。
「まあいい。輝夜に頼まれて本を返しに来たんだよ」
「あぁ……あの本ね。そこら辺に置いておいてちょうだい」
パチュリーの口調はそっけない。でもその瞳は興味ありありといった様子だった。そう、まるで昆虫標本を見る子どものような目で静流を見ている。彼女は呼んでいた分厚い本を閉じると、指先で軽くテーブルを叩いた。
すると上で本の整理をしていた赤髪の小悪魔が飛んできて、そそくさと椅子を用意し始めた。
「そんな事よりも、こっちに来て話しましょう? あなたに興味があるの」
「ああ、いいよ」
「えぇぇっ!?」
静流があまりにあっさりと承諾したのに驚いて、リグルは思わず声を上げていた。
自分が助けに行った時さえ態度は疑わしげで刺々しかった。それだけ慎重な静流が即決するなんて、チルノの気にあてられて頭がどうかしたのではないかと思ってしまう。
「私も今は知りたい事があるし、逃げようにも無理みたいだからね。毒を食らわば、というやつさ。その知識と蔵書、せいぜい利用させてもらうよ」
三人が束になっても勝てないような七曜の魔女を相手に、静流は臆する色もなく口の端を持ち上げて言い放った。妖怪を恐ろしいものだと言っておきながら、この態度。その度胸が一体どこから出てくるのか知りたい。
そんな事を思っていると、静流はすたすたと歩いていって躊躇うことなく椅子に座った。
「さ、どうぞ。早く聞きなよ。さっさと帰らないと日が沈んで危ないからね」
「ま……あなた次第ね。じゃあまずは……どうやって扉の仕組みを見抜いたのか、ね」
「わからない。ただ、ふっとあれが『あべこべ』な扉だってわかったんだ。そういうの、無いか? 麻雀で何の根拠もなく『当たる』牌がわかるような、その日に限っていつもの道を通っちゃいけないと感じるような、そんな事が」
「まさしく虫の知らせだね」
リグルは静流の後ろからひょっこりと顔を出して言った。リグルはそういう危険への感覚が冴えているのだ。今はそういうのを感じない。だからきっと今ここは安全だ。
パチュリーはもう一つの椅子を指さした。座れということらしい。
「もともと私は霊感があって、結構遠くにいる妖怪の位置もわかる事はあったけど、それ以外に心当たりなんて無いよ」
パチュリーは手元の紅茶を一口飲むと、深く嘆息した。
「……それは霊感というレベルじゃないわ。巫女の勘とも違う」
「じゃあ、何だっていうのさ」
「そういう勘はね……無意識が導いた答えなのよ。その場にある情報を無意識のうちに摂取して、知らない間に計算して……答えだけが意識に出てくる。だからみんなそれを勘だと思うのよ」
言いながらパチュリーは鮮やかな和柄のカードをテーブルに広げていく。
「この中に、一枚だけ本当の護符が隠れてるわ。どれ?」
「私に一番近いヤツ、月だ」
「正解。じゃあ、その護符が今は何枚あるかしら」
「は? おまえはさっき一枚だけって……あれ、増えてる。芒が全部だ。次はあかよろし、みよしの……」
「そう、正解。どうやって見分けてるの? 感覚でいいわ」
「感覚……そうだな、壁がある感じ」
「ふぅん。確認するけど……妖怪や氷精と行動できるということは、あなたは術を使えるのよね。誰に習ったのかしら」
「形見の呪符を書き写して使ってるだけさ。だから私は霊撃と障壁くらいしか使えないよ」
そう静流が答えると、パチュリーの雰囲気が変わった。なんてこと、と呟くのが聞こえる。
ずいと前に乗り出し、獲物に食らいつく獣のような目で、しかし無表情のまま静流の顔を覗き込む。その鬼気迫る様子は、一切の情報を逃さないと言わんばかりだ。
「その耳飾り……ルーンね。これじゃあお守り程度だけど……氷に火の複合ッ、それに、左のは太陽……! そう、そういうこと」
「一人で納得していないで話してくれないか? 私も話を聞くために席に着いたんだよ」
「あなたはそもそもがおかしいのよ。習いも学びもしないのに術を使えるというのは私に言わせればめちゃくちゃな事よ。もし呪符を書き写して術が使えるのなら、そこらに出回っている粗製濫造のお札が効果を持つ事になるわ。それができてしまう時点で、あなたは普通の人には収まらない」
「なんだよ、私が生まれつきの魔法使いだとでも言うのか?」
「あなたは人間。でも、紛れもなく鬼才よ。なんとなくなんて、いい加減なノリで感覚的に陰陽術を使えてしまう鬼才。魔理沙からすれば悪夢みたいな存在ね」
興奮冷めやらぬ様子のパチュリーに、静流は不満げに声を上げた。
「そうは言うが、私の霊力は微々たるものだよ。それは矛盾するんじゃないのかい」
「……そうね。私も初め、それが不思議でならなかったわ。どうしてこんな微弱な霊力で術が使えるのか」
「あ、私もそれが不思議だった」
そもそもリグルが興味を持ったのも、わずかな霊力で強力な霊撃を使える事だった。チルノと引き分けたというのも理解できない。チルノは人間と互角になるような弱い妖精ではないのだ。
チルノの話では、静流も氷を操ったという。しかも赤いソードフリーザーだ。そんな芸当ができるほど力は強くないはずなのに。
「その疑問はこれ、私が作った測定器で解決するわ」
パチュリーは時計のような道具を取り出すと、さっと静流に向けた。近付くほど赤い針がくくっと回る。
「結論から言えば、あなたはいつも休むことなく微弱な霊力波を出し続けているわ。だだ漏れよ」
「そんな感覚は無いけどね」
「自分の腕が在るといちいち実感する人がいると思う……? あなたにとっても周りにとっても、霊力を出しっぱなしの状態が『当たり前』すぎて気付かないのよ。そしてあなたは無意識に、出る霊力を体の一部のように使っている。コウモリのようにね」
「コウモリ?」
「そう。一部のコウモリは目が見えない代わりに、超音波を出して反射波を感じることで状況を察知するのよ。あなたはそれと同じ。無意識の霊力波が妖怪や呪物に干渉しているのを無意識に感知しているの。意識に出てくるのは曖昧な結論だけ」
「だけどさ、今日までこんなに鋭くなったことはないんだよ」
「それは耳飾りの力よ。そこに刻まれているのはルーンという魔術文字……火と氷のルーンは始まりを、太陽のルーンは力と鋭い洞察力を意味するの。でもこんなもの、本来ならお守り程度にしかならないわ。でも、開花寸前の状態で才能を封じていたあなたには十分だったのよ」
「つまり何さ、この変な感覚は、その才能とやらが開花した証ってことか?」
「そういう事になるわね」
「ちょっと待ってよッ」
リグルは立ち上がると、テーブルの上に身を乗り出した。どうしても気になることがあったのだ。
「力をずっと出し続けるなんて、そんな事、できるはずが無いよ! どんなに強い妖怪でも、そんな事をしたら一日も保たずにバテちゃうんだってば」
「だから鬼才なのよ。霊力は無尽蔵だけど、体の中に溜めておけない。常に消費される。見方を変えれば、息をするように術を失敗し続けているとも言えるわね」
「気に食わないな。それじゃあ私が劣等生みたいじゃないか」
「事実、そうなのよ。あなたは才を全く制御できていない。宝の持ち腐れもいいところ」
にべもなく断言され、静流は口をつぐんだ。自覚があるのだろう。
パチュリーは楽しげな表情で言った。
「野放しにした才能は不幸を招く。何事も中途半端はいけないのよ。……どう? ここなら陰陽道に関する本も無尽蔵にあるわ。せめて、だだ漏れの霊力を利用できるようにするつもりはないかしら」
その提案に、少しだけ考える素振りを見せて、静流は頷いた。
「たしかに、中途半端だったよ。なりふりは構わないと決めていたのにな」
「決まりね。それで……早速だけど、上で遊んでるチルノを止めてくれないかしら。そろそろ止めないと、うちの司書が泣いてしまうわ」
「リグル、任せたよ」
「えっ?」
「私は空を飛べないし、引き分けもまぐれみたいなものだからな。それに、何事も中途半端は良くないのさ。私に付き合って『うっかり』ここまで来たのなら、うっかりついでに私に付き合ってくれてもいいだろう?」
静流が不敵に笑うときの言葉は、だいたいがものすごく身勝手だ。だが、リグルにはとても正当性のある言葉に聞こえてしまうのだ。
「うーん……そんな気がしてきたよ」
「じゃ、頼んだよ。蟲の王」
「はーい」
体よく使われているだけな気がしないでもなかったが、静流の頼みなら仕方ない。リグルは図書館で騒ぐ友人を止めるために飛んだ。
あとがき
パチュリー登場。この出会いが静流の転換点になります。たとえるなら、ポケモン図鑑を手に入れたのが今回。って今さらかい。
静流ばかりなのもアレなので、後半がリグルの視点に。彼女は男の子です。
今のところ強さはリグル=チルノ>小悪魔>静流。がんばれ主人公。
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最終更新:2010年08月11日 15:27