あのファンタジックな図書館に別れを告げ、廊下をつらつらと歩く。図書館の中は井戸水のように温度が一定に保たれていたが、その魔法は館の中までは行き届いていない。やっぱり暑い。そしてこのまま外に出れば真夏の照りつけるような熱線が待ち受けている事は想像に難くない。
涼しい図書館から真夏の炎天下へ。この落差は壮絶だ。しかし、今は真夏の最終兵器が付いてきている。その心強い味方こそ、やっぱり付いてきたチルノ様だ。
「あー冷やっこいなぁ」
「持つべきものは友達だね」
リグルと静流にべたべたと触られたチルノは少し戸惑ったようにしていたが、お調子者というか何というか、褒められているとわかると鼻高々に胸を張った。
「あ、あたいは最強だからねッ、夏なんてコテンパンよ。えっへん」
「でも、夏をコテンパンにしたらいろんな人が困るよ」
「それもそうね。夏はあたいが大活躍の季節だし」
「なんだよ、おまえが活躍するのって冬じゃないのか?」
「だって冬はあたいが何もしなくても凍ってるじゃん。凍らせるのが面白いのにさっ」
妖精というのは環境で力が上下すると聞いたが、チルノは違うのだろうか。妖精の中では埒外の強さを持つ彼女のことだから、そういうルールも当てはまらなくなっているのかもしれない。チルノの場合はきっと、やる気の問題なんだろう。
どちらにせよ、凍らされる側は死活問題だろうな、と静流は思った。
「そういえばさぁ、黒白は毎日のようにここを襲撃するんだってね」
「あたいに言わせれば、よく飽きないわねっ」
エントランスに着いたところで交わされた何気ない会話に、静流はぴくりと眉を跳ね上げた。
「どうしたの、静流?」
「なぁ、その黒白……つまり霧雨の娘は毎日来るんだろう? 今日は来たかい?」
「あ……っ」
リグルがはっとした表情になったその時、外で地鳴りがした。
そう、まるで大威力の弾幕が激突したかのような音だ。その音を聞いただけでわかる。襲撃者は凄まじいパワーを持っていて、甚大な被害を撒き散らすであろう事が。
音を聞きつけて、わらわらと妖精メイドがやって来た。あっという間にエントランスは臨戦態勢。しかし司令塔がいないせいか各々が思い思いの配置に付いているので、これで迎撃効果が上がるかは微妙なラインだろう。だからがんばれ門番、生きろ門番。そして門前で食い止めてくれ。
「あたいの出番ね!」
「そうだね!」
やる気満々で外に出ようとする二人。いや、様子がおかしい。これは——
ピリリッ、と嫌な予感がして、静流は姿勢を前に傾けた。
『む、この魔力は……待ちたまえリグル君!』
ペーパーナイフが叫ぶ。二人が止まる。
「伏せろッ!」
その隙を逃さず、静流は二人に飛び掛かって問答無用で押し倒した。
直後、極太のビームが玄関のドアを壁ごと木っ端微塵に粉砕し、静流達の頭上すれすれを通過して突き当たりの中二階に直撃した。運悪く射線上にいた妖精達は皆、黒焦げになって落ちていく。妖精は死なないとはいえ、あまりにも凄絶。
もしも反応が少し遅れていたらと思うとぞっとした。だがそんな感情はおくびにも出さない。
「門番のヤツ、しくじったな」
『むぅ、なんという威力……』
「相変わらずのパワーだね、
マスタースパークは」
「いや、あたいの方が強いね」
「助けられておいてよく言うよ」
立ち上がって和服に付いた埃を払い、静流は改めて周りを見回した。今の一発で妖精メイドが七割に減っている。これがマスタースパーク。噂には凄まじい威力だと聞いていたが、なるほど評判通りだ。
これでは門番も大怪我くらいはしているだろう。そう思った瞬間、さっきまでは中二階だった瓦礫の山が少し動いた。
「うぅ……こんなところまで吹っ飛ばされるなんて……」
出てきたのはボロボロになった門番だった。
「大丈夫かい、優秀な門番さん」
「ええ、なんとか。あの、今のうちに逃げてください……巻き込まれますよ……ッ」
「もう遅いと思うよ、私は」
皮肉げな微笑を浮かべて、静流はチルノとリグルを指さした。
「あったま来たわ! これでもくらいなって感じよ!」
「ちょっと私も頭に来たなー! この怒りはしばらくおさまる事を知らないね」
『吾輩も、この無礼は看過しがたいな』
売られた喧嘩は買うと言わんばかりに闘る気満々だ。チルノに至ってはすでに氷の剣を発動している。腹に据えかねているというのもあるが、丸一日近く図書館にいた反動で、体を動かしたくて仕方がないのかもしれない。それでもチルノは十分暴れていた気もするが。
実際、静流もやる気だった。相手は魔法使い。覚えた内容を実践するには持ってこいだ。それに、今の落とし前はきっちり付けなければ。
「門番は少し休んでいるといいよ。私達で時間を稼ぐ」
「ふーんだ。このあたいが出る以上、時間を稼ぐだけなんてあり得ないねッ」
「ま、倒しちゃってもいいよね」
『よろしい、では迎撃だ。征くぞ、淑女諸君』
「ふぅん、じゃあそっちは任せたよ」
壊れた玄関に突っ込んでくる黒い影を見据え、静流は前方に花札のような呪符を八枚投げて配置した。図書館で改良した特別製だ。そしてその付近に袖から取り出したヒトガタを放つ。
黒い影が入ってくる瞬間を狙い、静流は呪を唱えた。
「急ぎ急げ律令の如く、集えッ『天眼』!」
バチンッとヒトガタから呪符へ電撃のようなものが迸り、続いて呪符で囲まれた空間に雷光が荒れ狂った。
「おおおお! なんだぁッ!?」
突然の襲撃に黒い影は驚きの声を上げながら天井高くまで飛び上がり、雷撃をすんでの所で回避した。だが、それは単なる脅しに過ぎない。本命は、雷光の中から現れた巨大な鎧武者だ。
式神・天眼。
顔だけでなく肩や膝などに鬼や狐など八種の面を身に付けた鎧武者だ。背丈は軽く九尺を越え、手にした薙刀は大木をもひと薙ぎで切り倒すほどの大きさだ。チルノ達はすでに一度見ているから驚きもしないが、妖精メイドや黒白は明らかに動揺していた。
「いきなり大盤振る舞いだね、静流」
「出し惜しみする理由も無いからね。天眼、あの黒白を逃がすな」
『御意』
正面の鬼面でギロリと黒白つまり魔理沙を睨み、天眼は薙刀を構えて腰を沈めた。この広間の天井が高いといっても、この武者が跳躍して薙刀を振るえば天井も一刀のもとに両断できそうだ。
だが魔理沙は若干頬を引きつらせながらも、まだまだ余裕といった様子だ。
「おまえさん、見ない顔だな。紅魔館の助っ人か? でも、そんなゴツイ代物じゃ私は倒せないぜ。人形遣いには慣れてるんでな」
「へぇ、それは残念」
静流は肩をすくめた。天眼は動かない。ただ威圧するのみ。
それを魔理沙が怪訝に思うより早く、密かに攻撃は始まっていた。
「あたいから目を離したのがあんたの敗因! つまり一瞬の油断が命取り!」
すでに魔理沙の近くまで飛んでいたチルノが、身の丈ほどもある氷剣で斬りかかった。
「ち……ッ、そういうことかよ!」
慌てて回避するが、そちらにはすでにスペルカードを掲げたリグルがいた。
「でもな、囲まれても関係ないんだぜ。魔符『スターダストレヴァリエ』!」
『抜かったようだな!』
「これこそチャンスだね! 季節外れのバタフライストーム!」
魔理沙が繰り出す星弾の壁を、リグルのランダム弾幕が削り取っていく。
まさに油断。魔理沙の選んだスペルはある意味で様子見。リグルの全開スペルをうち負かすことは到底不可能。まさかいきなり最高クラスの持ち技を披露してくるとは思わなかったのか、魔理沙は後悔したように歯噛みした。
「こんなことなら、もっと上のスペルにしておくんだったぜ……ッ」
「きゃッ!」
だが、全方位に広がるスターダストレヴァリエは、挟み撃ちをするはずのチルノを叩き落とすことには成功していた。剣一本しか用意してなかったチルノでは、これを防ぐのは難しかったのだ。
だが、そこで天眼が動いた。
『憤ッ』
大きな手でチルノを受け止め、投げ返したのだ。
「あたいのサイキョー技を喰らえッ! 冷符ッ、瞬間冷凍ビームソード!」
到達するよりもずいぶん早く、チルノは氷剣を横薙ぎに振るった。
その瞬間、切っ先から刃のような冷凍光線が発射され、弾幕の壁が一気に凍り付いた。
同時にホウキの穂が凍って砕け散る。
スペルブレイクだ。
「うそだろッ!?」
「目にもの見たかぁ〜っ! これがあたいの技だ!」
「ナイスだよチルノ!」
「ぐっ、このやろ」
いきなりの事にバランスを崩しながらもバタフライストームを必死で避ける魔理沙に、静流は容赦なく追撃を加えんと呪符を展開した。五芒星型の砲台を六門。理屈を理解した今、以前よりもずいぶん自由に扱えるようになった。
「急ぎ急げ律令の如くッ」
呪符の間を霊力が循環し、発生した力場がチルノの撒き散らした冷気を集めて冷凍光線として放つ。静流は知らなかったが、それは魔理沙の得意とするシュート・ザ・ムーンによく似ていた。
「おまッ、なんでそれを——うわぁッ!」
驚異的なスピードで回避する魔理沙だったが、一発が掠って服が凍り付く。チルノほど強力ではないのでこの程度だ。そして魔理沙はこんな程度の攻撃で落ちたりはしなかった。もちろん静流もそんな期待はしていない。
魔理沙は体勢を立て直すために大きく旋回し、距離を取ろうと奥へ飛ぼうとする。
だが、二ノ太刀はすでに構えられているのだ。
式を喚び出したとき、静流は命じた。逃がすな、と。
天眼の鬼の顔がギリリと魔理沙に向いた。
ほんの一瞬の間をおいて、鬼面の大きな口から、雷撃が放たれた!
——ォォォオオオオッ!
真横に放たれた雷は大気を引き裂き鳴動させ、まるで獣を捕らえる網のように広がりながら魔理沙へと殺到する。
だが、それすらも黒い影を捉えるには至らない。
「本日二度目の、マスタァ……スパァァァァク!」
構えた八角形の箱から発射された極太のビームが、雷を呑み込んで玄関の破損をさらに広げていった。射線上にいたはずの静流は、天眼に抱えられて退避している。天眼ならば一歩で躱せるのだ。
「くそっ、勘がいいな……」
「違うね。私はおまえの攻撃がよぉく見えるんだ」
「へぇ、じゃあホントかどうか試してやるんだぜ。光撃『シュート・ザ・ムーン』!」
魔理沙がニヤリと笑う。これは、魔理沙からの星弾と死角から大量のレーザーで挟撃する少々卑怯なスペルだ。飛べない静流が気付いた頃にはゲームセット間違い無しだ。
だが、静流は動じる素振りも見せず、冷静に一歩右へズレた。
「後ろからレーザーが来るよ。全部で七本だ」
「ありがとッ」
「言われなくてもお見通しだってのよ!」
二人とも囮の星弾に惑わされることなくレーザーを回避し、魔理沙へと飛ぶ。
一方で静流は背後のレーザーをことごとく見通し、指示を出していく。
「そりゃないぜ! なんで初見でわかるんだよぉ!?」
「ふん、だから言っただろう。攻撃が読めるんだ。天眼ッ」
『御意!』
天眼が薙刀の石突きを床に突き立てると、魔理沙の周囲にいきなり数本の雷が落ちた。
もちろんこんなものは牽制だ。たとえ当たっても少し痺れるだけ。当然のように魔理沙は軽々と回避したが、それで時間が稼げればそれで良かった。
その隙を逃さず、リグルがスペルを宣言する。
「チルノ、パス行くよ! 隠蟲『永夜蟄居』!」
「あたいに任せろぉッ。凍ぉ符ぅッ! パァァフェクトッ、フリィィィィズ!」
冷気でリグルの弾幕さえ凍り、次々とストックされていく二人の弾幕。さすがに卑怯なほどの弾幕の密度に、さすがの魔理沙も逃げ腰だ。
「やれやれ……こいつはマズいんだぜ……」
呟きながら魔理沙がこっそりと手にしたスペルカードを、静流は見逃さなかった。
「まずい、追い詰めすぎた……ッ! チルノ、リグル! 逃げろ!」
「そんなの、できるわけないってのよ! あと一歩で魔理沙を倒せるっていうのに、そんな時にあたいのサイキョー技を止めるなんてッ、そんな馬鹿な真似はできないねッ!」
「右に同じ!」
「ばか……ッ、それはまずいんだよッ」
もし避けられないとわかれば、魔理沙は迷わずに相殺を狙うだろう。あのマスタースパークで。恐ろしいことに、静流が見たカードにはファイナルと書かれていた。
「止めろッ天眼!」
『応』
命令に応えて天眼が駆け出す。
魔理沙は八角形の箱を構え、勝ち誇ったような顔で笑う。
「こいつが私の奥の手だぜ! ファァイナルッ・マスタースパァァァァアァク!」
誰かが何かを言うよりも早く、箱で増幅された魔力が溢れ始めた。
いくら極太でも直線なら避けるのも難しくない。
だが魔理沙の構え、それはッ——ゆっくりと薙ぎ払うための構えだ!
『怒ッ!』
走り込む天眼が、刃を返した薙刀を魔理沙に振り下ろすが、空に逃げられる魔理沙には当たらない。
天眼は本来、攻める事を目的とする式神ではない。その八つの顔で死角無く敵を見通すための式神だ。その上、静流は建物の中では完全に力を発揮できない。だから少し遅れた。振りが、踏み込みが、次第に一瞬ずつ遅れていく。
だからそこは静流がカバーしなくてはならない。狙われていない自分が止めるべきだ。とはいえもう時間が無い。あの細い形だけの光線が何倍にも膨れ上がるまで、二秒も猶予は残されていない。
自分のやり方では、魔理沙のような瞬間火力は出せない。
ならばどうするか。
背後へと走りながら静流は考える。すばしっこい魔理沙を止める方法を。
半端な攻撃では止まらない。それはさっきわかった。おそらく全身の防御力を上げているのだろう。冷静に考えて、静流が呪符で出せる攻撃力は小悪魔程度。あの魔理沙にはシャボン玉と揶揄されたそうだが、つまりはその程度だ。
次、式神。これの問題は、静流の霊力量と命中率だ。まず、間に合わせると十全の力を出せない。そして、発動に時間が掛かる上に単発を当てるのは難しい。『弾幕』ごっことはよく言ったものだ。
三次元的に動く相手に当てるなら、範囲攻撃。それも、電光石火の一撃。
静流は深く、さらに深くへ。マッコウクジラの如く自分の中へ没入していく。得た知識、自分の持ち物を洗いざらい検索していく。負けを認めるのは自分の持ち物を最大限利用してからでいい。そして静流の経験上、それで負けた事はほとんど無い。どいつもこいつも、力があるほど油断する。
そうだ。魔理沙は油断している。最初から、今まで。自分のパワーで蹴散らせると慢心している。
それは馬鹿のすることだ。
そして自分は、馬鹿に負けたことは無い!
「箱……大砲……!」
自分から無制限に出続ける霊力は、つまり人型の霊脈みたいなものだ。それを集めて束ねて撃てばいい。足りない要素は、増幅と加速を重ねてクリアする。
そのために必要なものを、静流は持っている。
「已蒼!」
手のひらに出現するのは鳥型の蒼光。
これは静流がずっと霊力弾だと勘違いしていたもので、その正体はとても原始的な式神だ。大地の精霊と表現してもいい。とはいえ、まるで翡翠のようなそれはほとんど力を持たない。チルノの氷弾一発にも満たない威力だ。
だが、このカワセミには特殊な能力があった。
「——飛べッ!」
まさに一瞬。已蒼は前に差し出された手から飛び立つと、尾から伸びる蒼い軌跡で魔理沙へと続く螺旋を描いて消えた。その間は1秒にも満たない。
その軌跡こそ、已蒼の能力。
已蒼は空を飛ぶ筆だ。そしてこの筆で描かれた軌跡は霊子製。呪符や印ともなり得る。
「なんだこりゃ……」
魔理沙が気付くが、もう遅い。
描いたのはあまりに長い砲身だ。あとは、静流の出す霊力を装填し、発射するだけ。
だがそれは、自動的に完了するッ!
「ぐわぁッ!」
一瞬で到達した霊撃波が魔理沙に直撃。ほぼ完全に動きを封じた。
ついでにファイナルスパークの狙いが逸れる。魔力光線は細いまま。
「よくわからないけどチャンス!」
「あたいの勝ちねッ!」
次の瞬間、チルノとリグルの合作弾幕が容赦なく魔理沙に降り注いだ。
少しして静かになった後、見守っていた門番達から歓声が上がった。
ホウキも折れてボロボロになった魔理沙は、悪夢でも見ているような顔で静流を見た。
「根拠もなく私を侮ったヤツはみんな、そういう顔をするんだよ。愉快だなぁ、くふふ」
静流は優雅に袖で口元を隠して、嫌らしい笑みを浮かべたのだった。