東方秋狼記
第十九話:次は外さない
耳の欠けた鈴仙・優曇華院・イナバは八意永琳の元に駆け寄ると、真夏の竹林をひた走って乱れた息のまま、あたふたと身振り手振りで状況を説明したのだった。
それによると、こうだ。
人里を越えて紅魔館からは少しずれた森へと向かう途中、輝夜と鈴仙は人里で暴れる怪物を発見。目が合った途端に不意を突かれて撃ち落とされたという。それからは自警団の人と協力……できていたかはわからないが、とにかく怪物を人々から引き離すことはできた。しかし怪物は一体、また一体と現れ、二人だけでは守りながら戦えなくなってきた。そこで輝夜は相手を一手に引き受け、鈴仙に連絡係を任せたらしい。
「怪物……妖怪とは違うのね?」
「は、はい。なんか変なんですよ。生き物っぽくないというか……」
「たぶんそれ、夏目が言ってたカルネヴァーレだ」
「カルネ……あぁ、紅染先生が罹ったっていうアレか! でも、夏目の言い方だと簡単に罹るようなもんじゃないって感じだったろ?」
「私が聞いたのも、そういう話だったわね」
顔を見合わせる妹紅と永琳。
「それがそうでもないんだよ」
「うん、みすちーもそんな感じの怪物にやられちゃったみたいなんだ」
「えっと、そーせーじだっけ」
「どう覚えたらそうなるのさ。尊人党だろう」
「尊人党?おっとどこかで聞いたことがある名前ですね。たしか、そうそういつだったか私の新聞に取り上げたことがありますよ!妖怪を排除しようとする珍妙不可思議な秘密結社があるという記事で。しかし奇妙ですね私は名前を出した憶えはありませんが——もしかして静流さんは情報通だったりしますか」
即座に思い出すあたりさすがというか、射命丸のおかげで説明する手間が省けた。
「ブン屋ほどじゃないけどね。一体どうやってるのか知らないけど、尊人党は人間をやめさせる技術を持ったみたいなんだ。それで今は紅魔館を襲撃してるはずだけど、やっぱり付け焼き刃ってことみたいだ」
「人間やめさせる、ねぇ。それじゃあ目的もどっか行っちまうよなぁ」
「まだ理性を保っていたヤツもいた。そいつだよ、霧の湖を真っ二つにしたのは」
「なんと!こんなところで号外の真相が判明とは、新たな号外を書かなきゃダメですね、いえいえまずは裏を取るのが先です」
「なに自己完結してんのさ。行くのはいいけど、鉄火場だよ」
うずうずしている射命丸を横目に永琳は冷静に続きを聞いていた。
「それで鈴仙、姫は何か言ってた?」
「ふぇっ? あッ、はい。たしか姫様は輝くトラペゾヘドロンがどうとか……」
「だそうよ、どうかしら静流。心当たりはある?」
水を向けられた静流はすぐさま意識を射命丸から外して頭を働かせた。
ここに来てようやく静流の存在に気付いたのだろう。視界の隅で鈴仙がぎょっとしたような顔で後じさりした。波長が狂う、とか呟いているが今のところは無視。
「そういえばこの前、輝夜がほしがっていたな」
『それならばこの吾輩、ある程度は知っているぞ静流君。輝くトラペゾヘドロン、それは狂気と悪意に満ちた、異世界の風景が見られる道具なのだよ。手にした者はそれを異界の窓と表現したというが、真偽は不明だ』
「そいつはつまり、なんだ。あの胡散臭いスキマ妖怪みたいに、ってことか?」
「でしょうね。八雲紫の覗き見だけを道具にした……そんなところかしら」
「そんなもの、何に使うんだろうね輝夜は。そんな気味の悪いものを見てみなよ、よほど胡散臭いヤツでもなければ狂ってしまうよ。心に隙間があれば、もしかしたら異界の常識とやらを身に付けるほどにね」
「ウサンってなにさ」
「そんなことも知らないから馬鹿って言われるのさ。おまえはその輝くなにがしを見ればズレた頭のネジが少しは元に戻るんじゃないのかい」
「あら、それならちょうどいいのがいるわよ、ここに」
「お師匠様!?」
前に押し出されて、鈴仙は肩をびくつかせた。
彼女の真っ赤な目には覗き込んだ者を狂気に落とす力があるというが、彼女はあまり人と目を合わせようとしない。能力がどうこうというより、かなりの人見知りなんだそうな。
「わ、私の目を」
「やらなくていいよ面倒くさい」
「ひゃう!?」
静流に頭をはたかれ、鈴仙はうずくまった。欠けた耳は血も出ておらず、なんとも作り物くさい。
「まぁいい。ともあれ、人里の危機なんだろう」
「そういうことになるわね。私としては姫の援護を優先させたいのだけど」
「私は記事にできそうならどこにでも行きますよ」
「あたいはその化け物をブッ倒す!」
「私も、あいつらは許せないよ……!」
永琳の意見に次々と手が挙がるのを見て、妹紅は焦ったように、
「おいそれじゃあ瑞穂はどうすんだよ?」
その言葉で、打倒・尊人党に燃えていた妖怪たちの視線が一斉に静流に集まった。
だが当の静流は落ち着いたもので、
「帰る場所が無くなっても困るだろう。私もそっちに行くよ」
聞きようによっては薄情とも取れる言葉を吐いた。
しかし、何も考えていないわけではない。タイミングからして、土御門実篤と尊人党に何の繋がりも無いと考える方が難しい。手のひらの上で踊るようで癪だが、手掛かりくらいにはなるかもしれない、と思ったのだ。
静流にこう言われては反論もできず、妹紅はくしゃっと頭を掻いて、
「わぁったよ。私はここで留守番してるから、さっさと終わらせてこい」
「あやや、あなたは人里側だと思っていましたが行かないのですか?」
「はン。ここにも守んなきゃならんヤツがいるだろ?」
後方の病室で静かに寝息を立てる永琳と、その奥にいるであろうミスティアを指さした。
『至言であるな。では、本丸は彼女に任せて行くとしようか』
「いや、ナイフが仕切っちゃダメでしょここは」
「つまりとーぜん、あたいがリーダーねっ! 行くぞ者ども、このあたい様に続けー!」
「ガッテンです!ワクワク」
「ちょっと貴女たち待ちなさい、ああもう……仕方ない。鈴仙、静流をお願いね」
騒々しいったらありゃしない。
意気揚々と人里に向かって飛んでいくチルノ達の背中を見ながら、静流はこめかみを押さえて嘆息した。案内のできる鈴仙を放置してどうする。
ため息をつきたいのは鈴仙も同じだ。
なんでよりにもよって、こんなしんどい役に当たってしまうのか。自分は師匠を呼びに来ただけなのに、なんでこんなところで人妖がたむろしているのか。ますます輝夜の言う運命とやらを信じたくなってくる鈴仙であった。
★
事態は一刻を争うはずなのに、二人はとぼとぼと竹林を歩いていた。
重苦しい沈黙が二人の間を支配している。鈴仙・優曇華院・イナバは目が合わないように気を付けながら、ちらりと隣を歩く人間の少女をうかがった。
なんというか不気味な少女だな、と鈴仙は思う。
ためしに波長を読み取ってみると、かなり不安定で、周りの波長にまで少しずつ影響を与えているような気がする。しかも以前に診た時よりも間違いなく酷くなっている。ひょっとすると中に『よくないもの』がいるんじゃないだろうか、とまで考えてしまう。
不意に静流が振り向き、目が合った。
「どうしたのさ」
「えっと、急がなくていいの?」
苦し紛れに言ってみると静流は呆れたような顔で、
「変なところで真面目なんだな。少しでも到着を遅らせたいっていうのが本音のくせに」
心の奥まで見透かしたような言葉に、鈴仙は頬が引き
つるのを感じた。
その通りだ。でも、なんで?
「永琳に私のことを任されただろう、鈴仙。普通はこういうとき、私を引っ張って飛んでいくものじゃあないのかい。でもおまえはそんな素振りも見せずに道を案内するだけだ」
「う……」
「だから、行きたくないんだろうと思って一緒に歩いていたんだ。どうする? 行くのか、行かないのか。どちらでも私は責めないけどね、永琳がどう思うかは私にはわからない。さぁ、選びなよ」
迫るわけでもない投げっぱなしの問い掛けだが、鈴仙にはそれが超重大な決断のように思えて仕方なかった。知らず足を止め、ごくりと生唾を飲む。
静流はどうしろとも言わない。刀のように鋭い目でただじっと見つめるだけだ。だけどこんなの、命令も同然じゃないか。
「……ッ、わかった……行くわ」
肩を落としながら理解した。紅魔館でもきっと、こんなふうに門をくぐったんだと。
「よし、じゃあ頼んだよ」
「ええい、もうやってやるわよ! やればいいんでしょう!」
半ばヤケになって、鈴仙は静流の腕をひっつかんだ。そのままぐいっと小柄な体を脇に抱えて、勢いよく飛び上がる。
だが、調子がおかしい。なんとも体が重いのだ。誰かを抱えて飛んだ事なんて無いので、最初はこんなものかなとは思ったが、人里が近付いてきた頃に気になって聞いてみた。
「ちょっと、あんたやっぱり重いんじゃないの?」
「馬鹿を言うんじゃないよ。おまえより小さい
リグルは軽々と飛んでいたんだ」
「えっ、ウソ、だったらこの重さは何……?」
「もしかすると、式神分の重さかもしれないな」
うっすらと青い光を灯した瞳で静流は言った。光は右手も包んでいる。たしかに彼女からは複数の波長を感じる。だが、何か違うような気がしてならない。
たぶんこれは、静流が重いわけじゃない。もしかすると、自分自身が何かに引っ張られているのではないか。たとえば重力みたいに——
どんどん変な方向へ考えが進んでいくのに気付いて、鈴仙はぶんぶんと首を振った。
「ポジティーブ、ポジティーブ」
「それを言う時点で後ろ向きだと思わないのかい」
「……あんた、友達いないでしょ」
「いないね」
しれっと言われたのが悔しくて歯噛みする鈴仙だが、すぐに自分も友達なんてほとんどいないことに気付いて肩を落とした。言わなきゃよかった。
後悔している間に人里に着いた。
静流を降ろし、周囲を見渡す。この辺りは住人の姿もまばらで、先に行った永琳たちはそこそこ離れたところでドンパチを繰り広げているようだ。ここからでも弾幕らしき閃光が見える。
鈴仙がどうするか考える前に、静流は動き始めていた。
「見つけた……!」
「ちょっと、どこ行くのよっ」
慌てて追い掛けると、目抜き通りに出た。
そのど真ん中に、着流し姿の初老の男が立っていた。灰色の髪を後ろに撫でつけて髷を結い、武将のように見事な髭をたくわえている。全身から発せられる、ただならぬ迫力に圧され、鈴仙は後じさっていた。
彼の隣に静流そっくりな少女がいるのを見て、鈴仙はようやく事態を飲み込んだ。
老人がゆっくりと振り向く。精悍な顔つき、鷹のような眼には爛々とした狂気が宿っているように見える。それは傍らの少女も同じで、虚ろな目は満月でも見たかのようだ。
「……あと二分も遅ければ、次の段階へ移行していたところだよ。予想よりもずいぶんと遅いが、なにかあったのかね、静流」
重くも覇気に満ちた声だ。それだけで今すぐ逃げ出したい気分に襲われた。
静流の表情は不機嫌そうなまま変わらなかったが、波長は一気に乱れた。
「おまえに名前を呼ばれるのは、この上なく不愉快だ!」
ぎらりと瞳が光り——次の瞬間、矢のような雷撃が老人に襲い掛かった。
空気を引き裂く音だけでも、それは本物の稲妻に近いものだとわかった。だがそれは、老人の体を素通りして遥か彼方に消えていく。
「ちッ、やっぱり幽体か」
まるで蜃気楼のように揺らめきつつ、老人は渋い顔で、
「まだ未熟ではないか……いかんぞ、それはいかん。この調子では、わしの計画が狂ってしまう。段階を進める前に、調整不足をなんとかせねばならんのか……ううむ、実に手の掛かる娘だ」
「うるさいんだよ。次は外さない……土御門、おまえの核は視えているんだ」
「次などというものが存在すると、そう思うかねッ?」
老人、土御門の気迫がよりいっそう膨れ上がった。
途端に、そこら中から武器を手にした人間たちがわらわらと姿を現した。男もいれば女もいて、歳もまばらだ。しかしどれも揃って目は狂気を宿していて、腕には『尊』の字が彫られている。
波長を読み取ると、どいつもこいつも異様に短くて、気持ちの悪い揺らぎをしている。おかげで一瞬、自分の能力が原因かと疑ってしまったほどだ。
彼らこそが尊人党だと鈴仙にもわかった。てゐの接近を感じ取れるようにわかった。
「うそッ、なにこれ!」
「今まで隠れていたんだろう。よくもまぁこれだけ」
まるで入れ替わるように、気が付けば土御門老人と静流そっくりな少女は姿を消している。
『力を出し切ることだ。次があるようにな』
置き土産とばかりに、風に乗って彼の声が目抜き通りに不気味に響いた。
それが合図だったのだろう。人間達が一斉に武器を構える。
「怪しい薬を売って歩く妖怪兎め……覚悟しろ!」
物々しい斧を持った髭面の男が口火を切る。
べつに怪しい薬を売っているわけじゃないのだが、そんなことを説明しても聞き入れてもらえそうにない雰囲気だ。
かといってこんな人里のど真ん中で変に暴れれば、自分の、ひいては永遠亭全体の評判が落ちかねない。それはつまり輝夜と永琳の評判だ。そんなことが許されるはずもない。なにより自分の命が危うい。兎鍋にされておしまいだ。
「ちょ、ちょっとどうするのよこんな数!?」
「なんとでもなるだろう。これは弾幕ごっこじゃないんだ。つまり、遠慮無しってヤツさ」
「あんた、なんでそんなに冷静なのよぅ」
まるで怖じ気付く様子もない静流が鈴仙には理解できない。自分より弱いはずの少女を何が支えているんだろう。
「一応、瑞穂の前ではカッコイイ姉で通っているんだよ」
「あんた、えーっと何だっけ……あっ、シスコン?」
「うるさいなぁ、ビビっていたのはどこ行ったのさ」
「言わないでよ、せっかく忘れかけたのにぃ」
「兎は憶病だって聞いたけど、本当なんだな」
「そこ誰情報よ?」
静流は返事の代わりに袖から呪符の束を取り出した。
尊人党の面々が、一斉に襲い掛かってくる。その数、実に五十余!
「これを抜けられたら教えるよ」
「ちょっ、まさか本気で戦うの!?」
「私はここでは容赦しないことで有名な何でも屋だ。今さら、何を失うっていうのさ」
封を切られた呪符が花吹雪のように宙に舞う。
これだけの枚数をどうやって作っているのだろう。そんな疑問が浮かんだ矢先、静流は白手袋をはめた手で天を示した。
「——色折織に散らせ、崩月!」
あとがき
少しくらいはゆるい空気を混ぜないと息が詰まりそう。
今度の相方は鈴仙です。イメージは年下の親戚に振り回されるお姉さん。
もう終盤なので、とりあえず伏線もどきを回収できるといいのですが……
ちなみに……胡散というのは「怪しいさま」という意味。
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最終更新:2011年03月07日 00:08