東京から新潟へ行く方法をいろいろ検討します。
根本的な問題
実家の川口町へ入る道が全て崩壊しています。
空路で新潟市に行けたとしても、実家へ行くことが出来ません。陸路の長野経由、福島経由の何れも新潟市、あるいは長岡市までは行けるのですが、実家へ行くことが出来ません。
徒歩
選択した経路は湯沢まで新幹線で行き、湯沢から実家付近までは大将@バター犬へ車で送ってもらい、崩れたトンネルの上を徒歩で越え、実家まで向かうことにしました。
移動
東京を午前10時頃に新幹線で出ます。約2時間で越後湯沢へ着きます。大将@バター犬へは連絡済みのため、駅まで迎えに来てくれています。
越後湯沢へ着いた時点では、大きな災害状況も見られず、本当に大きな地震があったのか分からないような状況です。
ありま@バター犬と途中で待ち合わせ、実家付近へ向かいます。
峠越え
さて、ニュースでも報道されましたが和南津トンネルは崩れており、実家へ行くのが困難な状況です。トンネルを抜けることは出来ないので、トンネルの上を徒歩で越えることにします。ありま@バター犬がスクーターを用意してくれていたので、それを押して二人で峠を越えます。
峠を越えると、いきなり倒壊した家屋が目に入ります。実は写真を撮ろうと思いデジカメを持っていったのですが、あまりにも酷い状況に撮影を躊躇します。結局この日はデジカメでの撮影は行いませんでした。
峠を越えるとあき@バター犬の家が。近くの道路は陥没やひび割れをしています。あき@バター犬の家は倒壊はしていないものの、家の中は酷い荒れ様でした。
若干話をし、両親のいる避難所へスクターで向かいます。
被災地
スクーターで避難所へ向かう途中、町内を見ながら向かいます。が・・・、あまりにも酷過ぎる。家屋の倒壊が半端ではありません。道路も陥没だらけです。
避難所へ
悲惨な光景を目の当りにしながらも避難所へ向かいます。避難所である小学校に着いたものの知人がいません。小学校内には先生がいます。家族の居場所が把握できないまま、避難所内を彷徨います。暫くすると、みやたか@バター犬を見つけます。家族が実家へ戻っていること聞き、二人でスクターで実家のある集落に向かいます。
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酷い。。。道路の陥没、倒壊が半端ではありません。
実家
実家に着き、母親、父親の顔を見てほっとします。が、実家の状況は酷いものです。瓦はほとんど落ち、家の中の壁も落ちています。裏山は崩れて実家へ。。。
また、雨も降ったため、瓦の無い実家は水浸しでした。
実家の状況を確認し、避難所の状況も把握します。避難所には豆炭こたつや石油ストーブがあるため暖は十分にとれています。田舎なのが幸いして電気が無くても暖をとる手段が多かったのです。
食糧も十分な量が供給されています。国の動きが早く、食糧が手に入らなかったのは地震直後の2〜3日です。その後は自衛隊により物資が供給され、贅沢を言わなければ十分な量を食べることができます。
再び峠越え
さて、避難所が比較的良い状況であることは確認できました。
次は、今後の住まいの心配です。実家は土砂くれずれが酷く安心して冬を越えることが出来ません。家屋の破損状況も酷いため、両親と話し合った結果、長年住んだ実家は諦めることにしました。
ここで問題です。次はどこへ住むか。仮設住宅を頼りにしたいところですが、いつ建つのか、また仮設住宅に確実に入居できるのか。新潟は11月を過ぎれば初雪が降る年もあります。また、川口町は豪雪地帯で毎年少なくとも2mは雪が降ります。
実はくぼぴんさんの御厚意で守門村の別荘を私の両親へ貸して頂けるとの事です。本当に感謝です!!その別荘の状況を確認しにいきます。
ただし、再び峠を徒歩で越えなければなりません。。。
大将@バター犬に峠を越えた地点まで迎えに来てもい、大将からくぼぴんさんの別荘まで連れて行ってもらいます。別荘のある場所と状況が確認できたため、今晩は大将@バター犬のアパートに泊めてもらいます。
被災地から若干はなれているため、被害が比較的小さかった大将@バター犬の地区ですが、大将@バター犬の家屋だけ結構な被害があったそうです。
大将@バター犬の家はクリーニング店を営んでいますが、この震災の影響で非常に忙しくなっているそうです。ボランティアや報道関係者が被災地に近く被害の少ないこの地区へ多く来ているためのようです。
翌日は土曜日ですが、大将@バター犬は翌朝早くから仕事があるため、仕事前に峠の直前まで送ってもらいます。何度も送ってもらい感謝です!!