びぃえふに登場する数々の兵器が、現実ではどんなものだったのかなぁという疑問に潜水艦を発見するコーナー。
記念すべき第十回を迎え、日頃のご愛顧に感謝しつつもイマイチ伝わりにくい大増量サービスでお届けします。分けろよ馬鹿。
今回は「ジョン・ブローニング・ワークス」と題し、現代の銃器のメカニズムの礎を築いた天才技師ジョン・ブローニングの生涯を追いながら、びぃえふに登場する彼の手による銃器を紹介していきたい。
記念すべき第十回を迎え、日頃のご愛顧に感謝しつつもイマイチ伝わりにくい大増量サービスでお届けします。分けろよ馬鹿。
今回は「ジョン・ブローニング・ワークス」と題し、現代の銃器のメカニズムの礎を築いた天才技師ジョン・ブローニングの生涯を追いながら、びぃえふに登場する彼の手による銃器を紹介していきたい。
1855年、アメリカのユタ州の銃工の家に生まれたジョンは僅か18才にして父を超える腕を見せ、24才の時にはレバーアクション式のライフルで特許を取得した。この特許は彼が生涯で得た128の特許の第1号である。彼の腕前を語る上で、こんな例がある。当時アメリカ最大の銃器メーカーだったウィンチェスター社がジョンに「三ヶ月以内に出来たら一万ドル、二ヶ月以内に出来たら一万五千ドル」という条件を提示してライフルの設計を依頼した。対してジョンは「一ヶ月で作るから二万ドル欲しい。ただし一日でも遅れたら1セントも要らない」と答え、そして彼はやってのけた。こうして生まれたこの銃、ウィンチェスターM92は時代考証もお構いなしに西部劇でよく見られるほどの人気を博した。この後も彼とウィンチェスターの関係は続いていく(しかしながらジョン自身はレバーアクション方式に限界を感じていたらしく、ショットガンに関しては独自にポンプアクション方式のものを開発していた。これが「トレンチガン」として名高いM1897である)。
そんなある日のこと、ジョンは撃った後の銃口から噴き出す発射ガスを見て、このガスを何かに使えないだろうかと考えた。手始めにレバーアクション式の銃を改造して簡単なガス・オペレート式の給弾機構を組み込んだところ、上手く作動させることに成功した。しかしこの方式ではセミオートにしか出来ず、少ない装弾をすぐに撃ち切ってしまう上に装填に時間が掛かってしまう問題もあった。特に給弾方式の問題はフルオート機構を開発してからは顕著になった。この解決の糸口になったのは、カウボーイのガンベルトだった。ベルトにズラリと弾薬を並べているのを見たジョンは、弾薬をそのままベルトリンクで並べて薬室に送り込むアイデアを得た。これがどれほどの正答だったのかは語るまでもない。ガス圧によって作動する方式のM1895機関銃の連射性は従来の手回しクランク式を遥かに凌駕するもので、戦闘の体系そのものを変革してしまうほどのものとなったのは戦史が示すとおりである。
そんなある日のこと、ジョンは撃った後の銃口から噴き出す発射ガスを見て、このガスを何かに使えないだろうかと考えた。手始めにレバーアクション式の銃を改造して簡単なガス・オペレート式の給弾機構を組み込んだところ、上手く作動させることに成功した。しかしこの方式ではセミオートにしか出来ず、少ない装弾をすぐに撃ち切ってしまう上に装填に時間が掛かってしまう問題もあった。特に給弾方式の問題はフルオート機構を開発してからは顕著になった。この解決の糸口になったのは、カウボーイのガンベルトだった。ベルトにズラリと弾薬を並べているのを見たジョンは、弾薬をそのままベルトリンクで並べて薬室に送り込むアイデアを得た。これがどれほどの正答だったのかは語るまでもない。ガス圧によって作動する方式のM1895機関銃の連射性は従来の手回しクランク式を遥かに凌駕するもので、戦闘の体系そのものを変革してしまうほどのものとなったのは戦史が示すとおりである。
そんなジョンによる機関銃としてびぃえふに登場するのが、陣地や車輌に備え付けられているM1919機関銃である。この銃は前述したM1895 の改良型、M1917を空冷化したものである。それまでの機関銃は連続射撃によって銃身が過熱するのを水で冷却していたのだが、この方式は機関銃の重量がかさみ、歩兵部隊の機動力低下に繋がった(MP40の項で触れた「後続部隊の機動力不足」もこれが原因)。また、戦域で水を確保できないことも多かった。そこで銃身をそのまま交換できるようにした空冷式機関銃が主流になっていったのである。
使用弾薬は7.62mm×63で、従来の布製から改められた金属製のベルトリンクによって繋がれている。運用は基本的に射手と補助手の二人一組で行う。後に改良を受け、ジープや戦車の車載機銃とされた他にも、パイポッドを装備して分隊支援火器に使用されたケースもあった。米軍ではベトナム戦争を境にサコーM60に代替されていったが、輸出先の幾つかの国では改良を受けて未だに現役である。
使用弾薬は7.62mm×63で、従来の布製から改められた金属製のベルトリンクによって繋がれている。運用は基本的に射手と補助手の二人一組で行う。後に改良を受け、ジープや戦車の車載機銃とされた他にも、パイポッドを装備して分隊支援火器に使用されたケースもあった。米軍ではベトナム戦争を境にサコーM60に代替されていったが、輸出先の幾つかの国では改良を受けて未だに現役である。
しかしジョンの設計した分隊支援火器として最も有名なのは、やはり「歩く機関銃」ことBAR1918だろう。びぃえふに於いても威力と精度の点から随一の性能を誇るこの銃の誕生は、名前のとおり1918年にまで遡る。BARとは「Browning Automatic Rifle」の略で、主に塹壕から塹壕への行進射撃用武器として設計された。その名称やセミ・フルオートの切り替えが可能な点からアサルトライフルの元祖という誤解を受けがちだが、運用形態や機構の点から軽機関銃に分類するのが正しい。8kgにも達する重量は歩兵用ライフルと比較すれば相当なものだが、機関銃としては格段に軽いものであり、歩兵部隊の機動力は大きく向上されることになる。敵の的になりやすいにも関わらず、その火力から射手を希望する兵士は多かったという。ただしびぃえふ兵士なら身に覚えがあるだろうが、20発しか入らない箱型弾倉ではすぐに弾が切れてしまう。銃身の交換もできないことから継続射撃性に問題があった。あくまで味方の突撃を支援するための制圧射撃を旨とした銃なのである。第一次大戦、第二次大戦、そして朝鮮戦争からベトナムに至るまで、米軍の兵士達と共に前線に在り続けた名銃である(余談だが、現在でも米軍の歩兵戦術に於いては、機関銃手を「Auto Rifleman」と呼称している)。
さて、このような名銃を生み出す傍らでジョンとウィンチェスター社の関係は少しずつ冷え込んでいた。ジョンがウィンチェスター社とは正式な雇用関係を結んでいなかったことやパテント料の分配、軍用銃のセールスに際してのコルト社との接近など理由には様々なものが挙げられるが、決定的となったのはとある銃の売り込みをウィンチェスター社が蹴ってしまったことである。
その銃とはセミオート式のショットガン、A-5(ブローニング自動五連ショットガン)、しーぽんにおいて英軍工兵に接近戦での高火力を与えているあの銃である。ウィンチェスター社がセミオートのショットガンなど売れないという判断で逃したこの銃は、ジョンが渡欧して販売権を与えたベルギーのFN (ファボリックナショナル)社に多大な利益をもたらした。このモデルは専らハンティングモデルとして売り出され、ヨーロッパで大ヒットを記録した。
英陸軍特殊部隊SASにおいては、少数ではあるがこの銃を運用する部隊があった。突発的な遭遇戦においては一発必殺ともいえるショットガンに勝る武器は無いとし、近接戦闘ではショットガンの数が勝敗を決めるという報告まで出されている。ともあれこのA-5はハンティングモデルゆえに装弾数が少ないという欠点こそあったものの、前衛を務める兵士を始めとして好評を博していた。
英陸軍特殊部隊SASにおいては、少数ではあるがこの銃を運用する部隊があった。突発的な遭遇戦においては一発必殺ともいえるショットガンに勝る武器は無いとし、近接戦闘ではショットガンの数が勝敗を決めるという報告まで出されている。ともあれこのA-5はハンティングモデルゆえに装弾数が少ないという欠点こそあったものの、前衛を務める兵士を始めとして好評を博していた。
時に1904年、フィリピンにて先住民のモロ族が植民地統治を行うアメリカに対して反乱を起こした。鎮圧に当たった米軍は、薬物によって狂戦士化したモロ族に対して予想外の苦戦を喫した。当時米軍が使用していた.38ロングコルト弾では突撃してくる敵を止めることが出来ず、接近を許して敗北するケースが目立ったのである。そのため合衆国戦争省(現在の国防省)は新たな弾薬のガイドラインを発表し、新規に開発した.45口径の弾薬と同時にそれを使用する自動拳銃の設計を指示した。このトライアルには多数のメーカーが参加し、最終的にサヴェージ社とブローニング設計のコルトの争いになった。装弾数や構造の単純さにおいてサヴェージ社に分があったが、連続射撃テストにおいて故障を起こしてしまう。
その結果制式拳銃に選定されたのがコルトM1911、民間モデル名「ガバメント」である。びぃえふでは連合兵のサイドアームズとして活躍し、現実においてももはや説明不要とも言うべき名銃である。非常に多彩なバリエーションを持つこの銃だが、ここではびぃえふに登場するM1911A1を取り上げることにしよう。
コルトM1911A1は、M1911に第一次大戦で判明した幾つかの欠点を改修した1927年のモデルである。より手に馴染むようにグリップの形状を変更し、この銃の特徴ともいえるグリップ・セイフティーも手を挟んでしまうケースが多発したために改良を加えている。M1911はブローニングの考案したショート・リコイルシステムにより確実な作動性を確保し、以降の大型拳銃のベースモデルとなった。.45ACP弾は当初の予想通りに優れたマンストッピングパワーを発揮し、故障の少なさも相まって一躍兵士達の信頼を勝ち取った。
戦後も米国では45口径弾に対する一種の崇拝にも近い信頼もあってか、M1911をベースとした多数のモデルが発売されている。そして採用から70年近く立った1985年、制式拳銃の座をベレッタM92に譲る。
しかし一部の部隊では未だにM1911ベースの45口径拳銃を使用し続けており、またパテントが失効した1986年以降はSTI、ストレイヤー・ヴォイド、パラ・オーディナンス、キンバー、果てはスミス&ウェッソンやスイス・アームズ(シグ)という大手メーカーまでもがコピーモデルを生産するに至っている。その需要は軍や警察のみならず、シューティングマッチなどの射撃愛好家にまで幅広い。もはや「45口径」というだけでこの銃を指すことすらあるほどの存在感を持った、紛う事なき名銃である。
コルトM1911A1は、M1911に第一次大戦で判明した幾つかの欠点を改修した1927年のモデルである。より手に馴染むようにグリップの形状を変更し、この銃の特徴ともいえるグリップ・セイフティーも手を挟んでしまうケースが多発したために改良を加えている。M1911はブローニングの考案したショート・リコイルシステムにより確実な作動性を確保し、以降の大型拳銃のベースモデルとなった。.45ACP弾は当初の予想通りに優れたマンストッピングパワーを発揮し、故障の少なさも相まって一躍兵士達の信頼を勝ち取った。
戦後も米国では45口径弾に対する一種の崇拝にも近い信頼もあってか、M1911をベースとした多数のモデルが発売されている。そして採用から70年近く立った1985年、制式拳銃の座をベレッタM92に譲る。
しかし一部の部隊では未だにM1911ベースの45口径拳銃を使用し続けており、またパテントが失効した1986年以降はSTI、ストレイヤー・ヴォイド、パラ・オーディナンス、キンバー、果てはスミス&ウェッソンやスイス・アームズ(シグ)という大手メーカーまでもがコピーモデルを生産するに至っている。その需要は軍や警察のみならず、シューティングマッチなどの射撃愛好家にまで幅広い。もはや「45口径」というだけでこの銃を指すことすらあるほどの存在感を持った、紛う事なき名銃である。
ジョンの死はあまりにも突然に訪れた。彼の生涯最大の売り上げを記録した拳銃、FNハイパワー(当時としては破格の装弾数13発を誇った)の製造工場を見学した折、突如として胸の痛みを訴え、病院に搬送される間もなく心不全で急逝した。世界の銃器に革命を起こした天才の、あまりに唐突な最期だった。
鬼才、ジョン・モーゼス・ブローニング。彼の獲得した特許は全部で128件。その中にはガス・オペレート方式や複列弾倉といった近代の銃器には不可欠なものから、結局実用化されることのなかった技術まで多岐に渡る。だが間違いなく、現在もなお世界の軍用銃において、彼の発明に頼らざるところのものは一つとして存在してはいない。