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其の四後半 「いのち短し蜻蛉 汝の名は」




「……何故、離脱したのだ。神宮を守らなくてよかったのか?」
「神官たちは連れてきた。建物など、後で再建すればいい。今は、より差し迫った
 問題について話す必要がある」
 隆道らは清明の屋敷にいた。連れてきた鹿島の神官たちは、今ごろ陰陽寮に
出頭しているはずだ。
 清明は、紅蓮が本気で戦わなかった理由がわかったと言う。
「紅蓮の目的について以前言ったことを、覚えているかい」
「未来の科学技術を手に入れ、上位次元に侵攻する……」
「そう。我々平安人が『高天原』と呼ぶ、神の世界だ。そのためにはまず、
 ツチイミと共に君たちの世界へ行かねばならない」
 土蜘蛛だけでも手に負えなかったのに、紅蓮が自分たちの時代にやってきたら
――想像するだけで気分が悪くなる。
「しかし、だ。彼はなぜ、さっさと未来へ行ってしまわなかったと思う?」
 そう聞かれると、隆道には解らなかった。目線で部下に問うも、反応は芳しくない。
「こっちの時代で、まだやることがあったとか……?」
 控えめに藤枝が発言する。あり得そうな答えのひとつだが
「うーん、いろいろ考えてはみたのだけど、こっちでやることなんて無さそうだね」
 清明はやんわりと否定する。
「ならば、何らかの理由で未来へ行けないから留まっている――ということか?」
「そっちが正解。土蜘蛛を未来に送り込む時空の虫食い穴も、ツチイミが
 通るには小さすぎたんだ」
 平岡が首を傾げている。
「……サイズにそれほど差があるとは、思えねーんだけど?」
「ああ、見かけの大きさの問題じゃないんだ。つまり何と言うか……ツチイミは
 『えねるぎー』が大きすぎて抜け道に入れない、というのかな。連結された
 二つの世界が均衡を保とうと働いて、巨大な力のやり取りを制限している。
 だからツチイミに乗って未来へ行くためには、道を広げる必要があった」
 徐々に隆道は事情を理解し始めていた。
「何らかの手段で我々を利用し、通路の拡張を成そうと企んだのか……?」
「もう実行されてしまったけど、当たってるよ。道を広げるには非常に大きな
 『えねるぎー』が必要だった。しかし紅蓮は、独力ではその力を引き出せなかった。
 ツチイミでさえ、単機ではその力を出すに足らない。しかし、三位式機同士が戦い
 際限なく高め合う力を互いにぶつければ……」
 情報端末で何かのシミュレーションを行っていた芦野が、顔を上げずに引き継ぐ。
「繋がりを持った二つの宇宙のエネルギーバランスに、致命的な崩壊がもたらされる
 ……その状態なら、三位式機でもワームホールを通過できる。それがあの男の
 策略であり、私たちはまんまと乗せられたことになりますね」
「じゃあ、紅蓮はもう俺たちの世界へ――?」
 戦慄すべき可能性に青ざめる平岡。恐慌を起こす寸前で、なんとか留まっている
といった表情である。
 清明は「落ち着け」と手で制し、窓外に見える光の柱を指差した。
「あれが抜け道だ。あれがまだ残っていると言うことは、紅蓮はこちらの世界に居る。
 もし既に彼奴が行ってしまったのなら、通路は閉じられているだろうからね」
「道が開いたのに、まだ行かぬのはどういうことだ?」
「あれはね、私たちを待ち伏せしているのさ」

 清明によると、この屋敷の場所は清明が許可した人物でない限り――たとえ
紅蓮とツチイミほどの強敵であっても――絶対に見つけられない。古の呪術に
よって守られ、たとえ直前まで尾行していたとしても、この屋敷の存在そのものが
認識できないのだという。
「だから、残った脅威である二体の三位式機と、この大陰陽師・安倍清明を葬って
 後顧の憂いを断つためには、あの光の下で待っているのが最も確実な方法という
 わけさ――あんまり待たせるわけにも行かないな。さっさと未来に飛んでから
 通路をすっかり破壊し、私たちをこっちの世界に閉じ込めてもいいのに、わざわざ
 待ち構えていてくれるのだから」
 紅蓮が自分たちを待っている。そう思うと、隆道は自然と身の引き締まるような
気がした。たった二度しか戦っていない相手だが、その所業によってどれほどの
人間が命を奪われたかを考えれば、共に天を戴かざる間柄であるのは明らかだ。
「決戦、ということになるか?」
「いいや、君たちが紅蓮の挑戦を大真面目に受けることはない」
 清明には策があった。
「たとえ紅蓮が私たちをこの世界に置き去りにしても、こちらには二体の三位式機が
 ある。二体あれば、あるいは充分に大きな穴を穿てるやもしれん。しかし
 三位式機と言えど、単機では世界の壁を破れない。だから……」
「我々が先に未来へ戻り、通路を破壊してしまえば、奴はもう我々の世界へは
 来ることができない……そういうことだな」
 土蜘蛛が隆道らの世界に襲来したのは、人工ブラックホールを作り出す実験が
原因であった。時空に開けられたごく微細な穴が、異なる平行宇宙でその時を
待っていた紅蓮によって拡げられ、災厄湧き出ずる魔穴と化したのだ。こちらから
道を作ろうとせねば、さしもの紅蓮とて新たに道を架け、宇宙の境界を再び踏み越える
ことはできない。
「ヒオムシ、隆道どのに付いて行きなさい。土蜘蛛の駆逐には手が必要だ」
「だが清明、締め出された紅蓮がこの世界で暴れるのではないか。そうなった時、
 三位式機が無くば困るだろう? アメオスは残した方が――」
 清明以外の全員が心配そうな顔をしていたが、彼の決意は既に揺るがしがたい
古木の如く、その心に根を張っていた。
「この世界が生んだ災厄は、この世界で解決するのが理というもの。異界の
 人である君たちに、これ以上の迷惑は掛けぬ」
 なおもヒオムシは食い下がろうとしたが、清明は不敵に笑う。
「私を誰だと思っているんだ。当代最強、天下無双の大陰陽師という肩書きを
 伊達に自称しているのではないよ」
 清明に勝算があろうと、未来へ渡ってしまえばヒオムシは二度と彼に会うことはない。
自分を救ってくれた恩師との今生の別れが、唐突にやってこようとしていた。

「やはり唐突過ぎたのではないか、清明」
 月を見上げる大陰陽師と、杯を交わす老兵。
「産みの親を亡くしてからの、育ての親ではないか。二度も親を失う子の気持ちを
 少しでも慮る心があるなら、もっと早くから心の準備をさせておくべきだった」
 隆道はもちろん、ヒオムシのことを言っている。彼はあの後、自室にこもったきり
出てこようとしないのだ。
「育ての親――そうだな、あの子は私をそんなふうに思っているかもしれない」
 だが、と清明は続ける。
「私には少なくとも、親を名乗る資格もそう呼ばれる資格もないよ」
「なぜだ」
「私はあの子を、親切心から助けたわけではないんだ」
 隆道にだけ明かすのだ――そう言って清明は、ヒオムシと出会った震災の日に
起きたことを、ぽつりぽつりと語り始める。

 その日は見渡す限り、瓦礫と黒煙が都の全てだった。
 死者も生者もみな黒く煤け、動かなければ周囲のモノと区別が付かない。生きていても
ちろちろと揺れる残り火に向かってうわ言を呟いているような者は、清明のような
陰陽師が見れば、既に魂が毀たれた生ける屍であることが解ってしまう。
 大震災――その言葉は、これを表現するにはあまりに記号的である。神々が
まったくの気まぐれで地上に描き出した、現世の地獄の名としては。
「否、地獄は人が夢想した虚構に過ぎない――」
 これは戒めのために作られた嘘などではない。否定しようのないリアルだ。
目をつぶって何秒待ったとて、消えてはくれない無限の悪夢だ。
「歯がゆいな、地獄よりもなお悪いこの光景を表す言葉が見つからぬとは」
 そんなことを言いながら、この機に乗じて人々の消えかけた命を喰らわんと
瓦礫の影に潜んでいる魑魅魍魎を駆逐していた清明が、その親子を見つけたのは運命だったか。
 中年の女性が、ぴくりとも動かぬ少年を胸に抱いて、倒壊した家屋の傍らに座り込んでいた。
「あ、あなた様は――?」
 狩衣姿で歩いていたため、貴族か何かと勘違いされたらしい。清明が、自分は
陰陽師であると言うと、女性は血相を変えて叫んだ。
「お願いです! 息子を助けてください!」
 請願されても、彼女の腕の中に命の輝きは見て取れない。恐らくは流行病だろう。
 人には肉体と精神の二要素がある。肉体を動かす力は命、精神を動かす力は
魂と定義される。その少年は、肉体に魂を残したまま命が燃え尽きていた。遠からず
魂も肉体の死を感じ取り、この世界から消滅してしまうだろう。
 命も魂も、失われてしまえば取り戻すことはできない。
 だが――清明は気づいてしまった。
 その少年の魂が持つ、清廉な輝き。それは長年求め続けたものではないのか。
「ちょっと、いいかな」
 少年の胸に手を当て、じかにその精神に触れることで、彼は確信する。
 この子こそ、アメオスの適合者だと。

 失われた命そのものを取り戻す術はない。
 だが、命が失われた身体を蘇生させる方法ならある。清明はそこで、非情きわまる
選択をする――そのときの彼は、躊躇いながらも自分を止めることができなかった。
「お気の毒ですが、息子さんはもう死んでいます。ただし、彼を生き返らせる
 方法が一つだけある――」

 “泰山府君の祭り”。
 それは、生者の命を死者に与える秘術。大陰陽師が、子を亡くした母親に
問うのだ。このまま息子を逝かせるか、あなたの命を彼に譲るか、と。
 母の答えに迷いは無かった。
「私の命でこの子が助かるなら、どうか、やってください」
「一つの命が生きられる時間は決まっている。この術で蘇らせた息子さんは、
 あなたの生きるはずだった余命と同じだけしか生きられないが、それでも?」
 彼女の決意は揺るがなかった。平均寿命が五十前後という時代にあって、彼女の
命を受け取った子供が、果たして十年も生きられるか解らないと知ってなお。
 それは親のエゴだった。一分一秒でも長く我が子を生かしてやりたいという、
時の流れへのささやかな反抗。母から子への、空虚で尊い愛だった。
「わかりました。彼は私が引き取り、責任を持って育てましょう。では、彼の
 魂が消えてしまわぬうちに……息子さんを、しっかり抱いて」
 印を結び、呪文を唱え、母の身体を律する生命のパルスを、その腕に抱かれた
子供の中へと導く。安らかな顔で眠るように絶命した女性の腕の中、第二の命を
宿された少年が目を開ける。
 打算だ。母の愛に心打たれたわけでも、憐憫の情に動かされたわけでもない。
自分はただこの少年を、来るべき戦いに利用するためだけに生かしたのだ。
 罪悪感が頭をもたげる清明の心中など知らぬ様子で、その子はぼんやりと彼を見上げた。
「始めまして、私の名は安倍清明。今日から私は、君を陰陽師として鍛える。
 君の名を、教えてくれるかな」
「……ひよし。日吉と言います」
 生まれて始めに与えられた名は『真名』と呼ばれ、術者が最も他人に知られては
ならない情報となる。清明は新たな生を受けた日吉に、新たな名を授けた。
「そうか、日吉。その名は今後、誰にも言わずに心の中にしまっておくんだ。
 今この瞬間より、君の名は『ヒオムシ』となる。いいね」
 ヒオムシ。それは、蜻蛉の類といわれる短命の虫。朝に生まれ、夕に死ぬという
儚い存在。長くは生きられないその子の宿命を表す、刹那の仮名であった。

 親子の情に付け込んで他人の子をまんまと連れ去った清明は、ヒオムシに術者としての
訓練を施し、やがて式機――アメオスに乗って戦うことを教え込む。
 先がない命に情など移すまい、と心に決めていた。常人に倍する時を生きてきた
彼だからこそ、人と深く関わるほど、訪れる別れが心を傷めると知っていたから。
 心に決めていたのに――まるで親のような感情を抱いてしまった。
 だから彼は、ヒオムシを未来へと送り出さねばならなかった。手元に残しておけば
必ずやその最期を看取らねばならなくなる。長らく心の痛みなど忘れて過ごしてきた
清明には、そのとき自分が悲嘆に押しつぶされずにいられる自信が無かったのだ。

 隆道は衝撃のあまり、酒盃を取り落としてしまう。あの皮肉屋の、涼しげな
顔の、それでいて闘志は誰より熱い少年に、僅かな寿命しか残されていないだと?
「私はあの子を、アメオスに乗せて戦わせるためだけに生かしたのさ。そんな男が
 どんな顔をして、彼の育ての親を名乗ればいい」
「待て、清明。ヒオムシは……あいつは、あとどれくらい生きられる?」
 大陰陽師はかぶりを振った。
「わからない。そう長くはないと思うが、あの子にまつわる未来は見ないことに
 していてね……」
 杯に映った月を飲み干し、清明はしなやかな手の一振りで酒を片付けた。
「正直に言って、今の隆道どのなら一人でも土蜘蛛の掃討をこなせるだろうと
 思う。そうしなかったのは、最後に残された少しの時間くらい、あの子を
 戦いのない場所で生かしてやりたかったからなのかもしれない」
 だから、と清明は続ける。
「ヒオムシを、どうか頼むよ」
「……任されよう」
 子を手放す親の悲しみなど、欠片も見せないで。それでも感情を隠しきれないで。
自分より遥かに老成しているはずの清明が、この時ばかりは幼く、不器用に見えた。
「ああ、それから――」
 立ち上がりながら清明が言うので、隆道も立ち上がりながら聞いた。
「ヒオムシは自分が一度死んで、母親の命と引き換えにこの世に戻ってきたのだと
 いうことを知らない。両親を震災後の疫病で失い、自分だけが運良く助かったのだと
 教えてある。……これ以上、要らぬ心労を背負わせたくないんだ」
「わかった。今の話は誰にも言わん。俺の心の中にだけ、しまっておくとしよう」
「ありがたい」
 月が美しい時間だったが、二人は各々の寝床へ戻った。目覚めればその時は、
全てが決する朝なのだから。
 床の中で目を閉じながら、隆道は己に新たな誓いを立てる。
 ――必ずや、ヒオムシが「生き長らえて良かった」と思えるようにしてやる。
 ヒオムシが戦うことしか知らぬままで短い命を終えたのでは、清明は本当に
自身の言葉どおり、戦わせるためだけに少年の命を引き伸ばすような酷薄な男に
なってしまう。
 決して、決して彼をそんな人間にはするまい。



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最終更新:2009年12月09日 23:41