其の五前半 「僕はさよならを言わない」
件の光は、都の北東、艮<うしとら>の方角に位置する山の中腹から立ち上っていた。
式機で列を成し、そこへ向かう道中。周囲は朝方とは思えぬ暗さで、一同は
式機の暗視機能に頼り、濁った水の上を滑るように往く。先頭は清明だ。
「まさか鬼門の方に庵を置いてるとはね……まあ、憎しみの力を高めるには丁度いい
隠れ家だったのかもしれないけど、それにしたって常識外だ」
「誰よりも常識を持ち合わせないあなたがそれを言いますか」
いつも通り、打てば響くような憎まれ口が飛んできたことに清明は驚いた。
アメオスの装甲越しに透かし見たヒオムシの顔に、悲愴は見受けられない。
この子は強くなった。自分の元へ来たばかりの頃、夜中に彼の部屋を覗くと
肉親を亡くした孤独にすすり泣いていた少年。その彼が、心中穏やかであるはずが
ないにも関わらず、師たる清明との永別に表向きは平静でいる。
――それでこそ、陰陽師だ。
「いやはや……こんなに嬉しいことはない」
「どうした?」
平岡が怪訝そうに首をひねった。傍から聞いていれば、ヒオムシにきつい一言を
言われた清明が、暫くぼんやりしたと思うと、突然涙ぐんで「こんなに嬉しいことはない」
と呟いた――それだけのやり取りだ。不審といえば不審である。
しかし隆道は彼の気持ちを手に取るように解しえていた。きっと今の清明は、
存外立ち直りの早い愛弟子を誇らしく思っているのだろう。
山の中腹に、ぽっかりと洞穴が口を空けていた。そこから流れ出てくる、どす黒い
『気』のようなものが、隆道ら未来の人間にもはっきりと視えていた。
「以前より遥かに強力な……これは、敵意か?」
「違うね。もっと濃密で、醸成された“殺意”――もう君たちに手加減する必要が
無くなった。だから今回は紅蓮も、本気で掛かってくると思った方がいい」
作戦は単純だった。清明が紅蓮を足止めし、隆道と部下四人、及びヒオムシは
“道”を通って現代へ急行。ブラックホール発生器を破壊し、二つの世界を切り離す。
しかし清明が全力の紅蓮を満足に足止めできる保証は無く、向こうに着いたとして
この世界へ来たときのように、出現ポイントがずれる可能性もある。
危険な賭けではあった。しかし、清明は頑としてプランの変更を聞き入れなかった。
ヒオムシの余生を慮ってのことであろう、彼は決まってこう言うのだ。
「私ひとりでは心もとないかい? なに、伊達に大陰陽師を名乗ってたわけじゃない。
ツチイミは破壊できないが、どうにかして紅蓮を討ち取ればそれで終いさ」
それが出来ぬから、お前は罪も無い少年を戦わせねばならなかったのだろう――
隆道が思ったことはしかし、口をついて出ることは無かった。
彼の覚悟を、いまさら無駄にするものか。
隆道は誓いを立てた。それを守ることこそ、清明の決意に報いる最善の道で
あるように思えたのだ。
「心の準備はいいかい?」
「いつでも」
「行けます、師匠」
清明を先頭に、彼らは魔窟への突入を開始した。
内部に入った途端、出迎えるのは強烈な砲撃。黒い火柱が虚空を貫き、隆道と
ヒオムシが神剣でそれを弾く。
二機の影から十二神将が飛び出し、反撃の砲火を放った。
「ツチイミは抑える! 手はずどおり、時空の抜け道を探すんだ!」
多角的に入り乱れる火線を縫うようにツチイミが向かってくる。その手に握られた
最後の神剣・天叢雲が隆道を襲おうというところで、割り込んだ十二神将によって
その突進は止められた。
「早く!」
「……行くぞ、お前たち」
別れの言葉は無かった。ヒオムシがどんな顔でこの瞬間を迎えたのか、それを
知る者はいない。
六機が戦線を離脱し、開けた洞窟の奥へ向かう。紅蓮はそちらを追わんと機体を
翻したが、神将機に押し勝つことができない。
「いくら数が多いとは言え……このツチイミと拮抗するだと?」
「仮にも神性が宿る式機ぞ。それに、術者の差が圧倒的じゃあないか……!」
「驕慢な!」
不意に一歩下がり、神剣を横薙ぎに振るう紅蓮。十二神将はぱっと散開し、
弧を描いて反転、各々が膨大な霊力を弾としてツチイミに砲撃を浴びせる。
降り注ぐ光条が、呪詛を刻まれた装甲に弾ける。しかし損傷はない。神剣を
上段に構え、砲火の雨を意にも介さず、紅蓮は清明を乗せた機体に向かってきた。
「この程度の攻撃で、足止めが果たせると思うか」
「なんだ、解ってるんじゃないか」
巨大な剣が正確に清明の身体を引き裂く――と、貫かれた体が紙に変じた。
「式か!」
「私とて、このままで三位式機と張り合おうなどとは思っておらぬよ」
別の機体の頭上に、ゆらりと清明が現れる。その手が複雑な印を結び、薄い唇が
一言、二言と呪を唱えた。
それを合図に、神将機が三機ずつ集まって四つの塊に分かれる。それぞれの機体が
輝き出し、式機を構成するパーツが見えざる力で分解されていく。
「何をする気か知らんが、終わるまで待ってやる義理はない」
正面の塊に、ツチイミが突進した。しかし神剣の切っ先は、三機が合わさって発する
力場のようなものに阻まれ、機体まで届かない。
「たった三機分の力で、天叢雲を止めるだと!」
紅蓮の目の前で、バラバラになったパーツが新たな式機を再構築していく。
「知ってるかい、未来では変形合体する機体が人気だそうな。そして、合体中は
攻撃してはならない――という、暗黙の了解があるらしい」
自分も流行に乗ってみた、と清明は嘯く。それから急に真顔になり、
「実を言うと、これを戦いに使うのは初めてだ。だから――光栄に思えよ、紅蓮。
大陰陽師・安倍清明の、最初で最後の本気を見せてやる」
そう言うと同時に再構築が終わり、光の中から四体の式機が現れた。
「あれが“穴”……か?」
「穴と言うよりは、柱だな」
洞窟の奥に、それはあった。
地の底から天へと、山を貫いて伸びる光の塔。その根元に土蜘蛛が行列を成し、
次々と光の中へ飛び込んでいく。
「うーむ……こちらに来るときは、入り口は球状に見えたはずなのですが。
道自体は高次元空間にあるものですから、重力の影響を受けるのでしょうか……?」
「芦野、こんな時ぐらい自重してくれ」
「とりあえず、隊長、私たちも飛び込めばいいんでしょうか?」
藤枝の問いに答えるより早く、いくつもの列になっていた土蜘蛛が一斉に
こちらを向いた。
「気づかれたぞ、隆道」
「確認した。……来た時と同じだ。シュバルツシルト面が無いから、飛び込んでも
潮汐力で原子分解される恐れはない。こいつらを蹴散らし、突入する!」
「了解!」
敵の強さが桁違いだったために活躍の場が無かった鬱憤を晴らすが如く、部隊の
四人がハルミネで先陣を切った。土蜘蛛の砲撃は数が多いものの単調で、彼らは
巧みに機体を操ってそれを避ける。上月の精確な応射が敵の陣形に穴を穿ち、
残る三人がそこへ雪崩れ込み、長刀と短刀の乱舞が始まる。
彼らを包囲し、数の暴力で押し潰さんと動き出した土蜘蛛たちは、数的有利が
意味を成さないイレギュラーに直面する。即ちそれは左右から突っ込んできた
アメオスとホシカゲであり、その圧倒的な火力と神剣の威力によって瞬く間に
殲滅されていく。
内と外からの攻撃に混乱した土蜘蛛らが光の柱に向かって敗走を始めたとき、
勝負は決した。示し合わせたように、隆道とヒオムシは逃げ出す敵群に剣を向ける。
「囚われし魂たちに、せめて久遠の安らぎを与えん」
「肉体の死と共に、魂もまた無に還るが理。許せ」
切っ先から放たれた、眩いばかりの光条。白い輝きが全てを呑み込み、土蜘蛛の中に
縛されていた人々をも消し飛ばしてゆく。
その照射が終わったとき、広大な地下空洞を埋め尽くしていた土蜘蛛は、もはや
一機たりとも残っていなかった。
「……救えんことは解っている。解っているんだが…………」
「少なくとも、彼らはもう苦しまぬよ。あれがたった一つの救済だったのだ、隆道」
胸の痛みを無理矢理に無視し、隆道は屹立する光輝を見上げた。
「行こう。我々の世界へ」
最終更新:2009年12月09日 23:42