「目標確認――なんて大きさだ。ここからでもあんなに細かい形が見える」
ホシカゲが飛ぶ。その装甲に空の色を映し、流星のように。
眼下は火焔地獄。町も森も山も、炎と影の世界に変わっている。本来なら
ヨーロッパの美しい景色が見えたはずなのだが。
「一太刀でケリを付ける……破ッ!」
神剣を構え、機体はさらに加速した。長距離を比喩でなく一瞬にして
踏み込むは三位式機のなせる技。閃光が巨大な傘に迫る。
極端なスローモーションのように時が引き延ばされた世界の中で、
隆道は敵機の全身から闇が爆発するのを見た。
「……ッ、対空迎撃は万全か!」
枝分かれしながら空を埋めてゆく、黒い火線――なかには、執拗に
ホシカゲを追ってくるものも混ぜられている。
「しかし!」
隆道は避けて、避けて、避けた。黒い光の網目、その隙間に機体を
滑り込ませてゆく。闇の中で乱舞する光は、しかし確実に敵へと近付いて
いった。躱しきれない分は神剣で弾き、もう必殺の間合いへ。
「一気に中核を叩く!」
神剣・佐土布都神、一閃。巨大な傘の頂点へ。
刀身長よりも遥かに遠く伸びた太刀筋、その軌跡が周囲の空間もろとも
敵機を逆袈裟に貫いていた。
「土蜘蛛と同類ならば……魂を縛り付ける呪符、それさえ破壊すれば」
土蜘蛛の呪符は、魂魄の力を効率よく循環させる都合上、機体の中心付近に
埋め込まれている。ホシカゲの剣はそれを狙って振り抜かれたのだ。
斬り裂かれた巨体が、二つに割れ――
すぐに元の姿を取り戻した。
「外した? 呪符の位置が違うのか?」
一瞬の隙。そこへ、闇の線条が至近距離から雨と放たれた。
爆発に包まれながら脱出を図る隆道の耳に、場違いな声が響く。
「違うよ。この“ソラガセ”はね、あたしが呪符なしで動かしてるの」
陰陽式機伝 イメージ・アンド・ワード 其の六(2)「裁かれざる者」
子供の声だ。そう意識したときには、機体の自由が効かなくなっていた。
「封縛結界!? それにあの声……呪符がない、だと」
三位式機ほどの巨大なエネルギーを金縛りにする結界を展開するには、
純粋にそれ以上のエネルギーを注ぎ込むか、非常に高度な術式を用いるしかない。
前者は事実上、ありえない。三位式機を力で凌駕できる存在は、同じ
三位式機のみなのだから。となると、後者……あれを操っている者が、
隆道より腕の立つ術者であるということになる。
「何者だ? その機体……どこから持ち出した!」
「訊くんなら一つずつにしてよね。二番目は教えてあげないけど。
あたしのことも、あんまり訊いてほしくないなぁ」
巨大な傘から、白い光が飛び立った。地上からの黒煙で汚された空に
踊るような輝線の尾を引いて、そのままホシカゲの内部に入ってくる。
周囲の景色を映していた操手室の内壁がブラックアウトし、隆道の
目の前に『それ』が現れた。
「まぁ、教えてあげてもいいや。あたしは“ヤコ”――怨霊よ」
怨霊と言うも、見た目には十代前半の少女だった。
白い小袖に緋袴、巫女のようないでたち。快活そうな笑みを浮かべ、
可憐に見えようかというその顔の中で、ただ双眸だけが異様である。
暗い。一切の光を跳ね返さぬ瞳。
昏い。覗き込んでいるはずの自分が映らぬほどに。
冥い。子供の――否、人の目ではない。
「不壊の三位式機でも、操手は壊せるんでしょう」
ぞくり、と悪寒が駆け抜けた。少女の手が伸びる。
「死ねばいいよ」
隆道の厚い胸板に押し付けられた、小さな掌。
そこから光と焔が迸り、比喩でなく彼の心臓が『爆発』した。
「……っ、は……!」
呼吸が詰まり、血流が止まる。
痛みを感じる暇すらなく、男の視線は往復した。
一辺の邪悪さすら見せずに微笑む少女。胸に空いた大穴。光のない瞳。
焼け焦げた自分の肉。暗闇。己の口からこぼれる液体……
「ぃ、えよ」
三位式機の特権、言霊増幅機関が発動する。隆道の胸の傷痍は瞬く間に
心臓や肺を含めて修復され、ヤコが驚きに口をとがらせた。
「あれぇ、術もなしに操手まで治せちゃうんだ。アタマ消さないと駄目かな」
あくまで無邪気に言うヤコだが、子供と思って手加減できる相手ではない。
隆道は狭い操手室のなかで身体を捻り、殺すつもりで肘の一撃を繰り出した。
手ごたえはない。
代わりに、胸郭の中心で二度目の炎が爆ぜた。
「今度はちゃんと痛いでしょ? 魂が壊れるまで、このまま続けてみようか」
――遊んでいるのか。
胸の傷をまた再生しながら、隆道は戦慄を禁じ得なかった。ヤコの言うとおり、
第二撃は全身に鋭い痛みの波紋を広げている。まるで見えざる刃物が爆発と
同時に生まれ、意志を持って体内を暴れ回っているかのように。
頭に同じ攻撃を受ければ、一も二もなく終わりだ。それを解っていながら、
この敵は隆道の精神を先に折るつもりでゲームを仕掛けている。
傷が癒えるや、第三の爆発。防御や攻撃に転じる隙が与えられない。
「ねえ、壊れられるって幸せなことだよ」
衝撃と痛みが視界にスパークを散らす。今度は腹だった。
幾度、破壊と再生を繰り返したのか。
いつしかホシカゲは地に墜ち、隆道の目は焦点を結んでいなかった。
操手室は血に染まっている――元々体内にあった血は、すべて出尽くして
しまったのではないか。そんな考えが浮かぶような様相である。
「無理しなきゃいいのに」
崩れ落ちた老兵を覗き込むヤコの口調は、やはり侮蔑や嘲笑を含んでいない。
これほど凄惨な遊戯を行っておきながら、そこにある悪意はたった一つ。
「脆きは肉、か。ソラガセ、破法術式起動――“会生殲断”」
憎悪。純粋に黒く。
それを乗せて、大型強襲式機ソラガセが再び変形し始める。
「みんな、死ねばいいよ」
巨大な傘の、開かれた『骨』にあたる部分。それが柱状の本体から分離し、
先端に黒い光を集めながら本体の周囲を回転し始めた。
「この術はね、生きものだけを狙い撃ちにするんだ。逃げても隠れても、
どこまでだって追いかけていく“死”をばらまく。
存在の苦しみから、みんなをあたしが救ってあげるの」
そして、闇が散った。
一つ一つは小さなエネルギー弾である。しかし、動植物を葬るには十分過ぎる
威力を秘めている。それが空を黒く染め上げるように荒れ狂うのだ。
最初の砲撃で焼き尽くされた地上に、新たな地獄が顕現した。人が、獣が、
木々が燃える。追尾してくる黒い炎に灼かれて、一瞬にして乾いた砂と化す。
「やめ――」
「黙りなよ」
砲弾を叩き込まれたような衝撃が、隆道の肺腑を潰した。開きかけた口から
声の代わりにまた血が漏れる。既に舌が慣れてしまい、鉄の味は感じない。
「やめろ、なんて言うくらいなら、自分の危機をなんとかする言霊でも考えれば
いいのにね。それとも降参する?」
――なんだ、これは。
三位式機などという強力無比の武器を操りながら、この有り様はなんだ。
今も周囲で命が消えていくというのに、いいように遊ばれて。
敵は怨霊。霊に拳は届かず、機体に剣は効かず。法師ではないから、悪霊を
滅するための言葉なども知らない。
勝てないのか。
土蜘蛛を相手に鬼神のごとく戦えたところで、紅蓮のツチイミや目の前の
少女には手も足も出ない。所詮はその程度の力なのか。
『肉体を動かす力は命、精神を動かす力は魂と区別するんだ……』
ふと、清明の言葉が蘇る。
怨霊――もちろん、それは命なき者。ならば残っているのは魂か。
魂を形作るものとは何だろう。精神の源……。
「癒え……よ」
考える間に肉体の負荷が限界に達し、隆道はまた息を絞り出すように
言った。その言霊を、ホシカゲに秘められた無尽蔵のエネルギーが
形にする。破壊された器官が復活し、傷ひとつない肉体が取り戻される。
すぐに次の攻撃が来るだろう。解っていても、どうにもならない。
そのはずだったが、不毛な繰り返しの果てに偶然が味方した。
爆発――大気が震える。それが連鎖、連鎖。
ソラガセの巨体が焔に包まれる。
「なに、この術装!?」
少女の知らない力。
それをあえて術と形容するなら、人間が神に頼らず生み出した術。
科学と言う名の魔術が生み出した武器――ミサイルだった。
苛烈な攻撃の中でも破壊を免れて残った、イタリア空軍の戦闘機部隊が、
限界まで積み込んだミサイルを巨大な敵に斉射したのである。
先にホシカゲを迎え撃った対空砲撃がこの瞬間も動いていれば、ミサイルは
すべてソラガセに届かぬまま火球と化していただろう。
だが、いま掃射されているのは生命体を追尾するエネルギー弾。
命を持たぬミサイルを迎撃することはできない。
「……けどね!」
殺到したミサイルに吹き飛ばされた、ソラガセの装甲が再生してゆく。
「あたし怨霊だよ? 死んでるんだから、もう殺すことなんてできないよ」
エネルギー弾の放出が止まり、巨大な式機が再び傘の形をとった。
空を埋め尽くす黒い光で、邪魔な戦闘機を掃滅しようというのである。
しかし、既にここまでで十分過ぎる時間が稼がれていた。
「身体の半分くらいはくれてやる――治癒のノウハウを得たからな」
少女が振り向く暇すら絶無。
ミサイルに気を取られたヤコが結界の拘束を緩めた瞬間、ホシカゲが
逆手に持った神剣を自らの操手室に突き刺した。切腹にも似たその行動は、
しかし隆道の自殺などではない。自らの半身もろとも、ヤコの霊体を
貫いたのである。
剣それ自体が強力な霊性を帯びた佐土布都神なら、あるいは霊にも届くはず。
一種の賭けだったが、成功したようだった。少女の幻影が揺らいで消える。
「……これで終わり、とは行かんだろうな」
神剣を引き抜き、機体と自身の肉体を修復した隆道は、戦闘機の編隊に
向けて放たれた黒の火線を、自機の射撃で打ち消した。
術装、徹魔光礫『星蛍火』――続けて、ソラガセ本体へと連射。
「奴の本当の霊体もあの中にいるはずだ。しかし……ただ斬っても無駄だった」
的をホシカゲに絞った砲撃が、分岐と屈折を繰り返しながら空を闇に染める。
その悉くを回避しながら、隆道は勝利への道を思案する。
「魂か。怨霊となるからには、なにか原因があるはずだ。あんな子供が、
生きとし生けるものをこうまで憎む理由……」
思い返すは、これまで斬り捨ててきた土蜘蛛に縛り付けられていた人々。
死せる者はもはや救い得ない、そう諦めざるを得なかった戦いの日々。
だが、本当にそうか。消し去るしかない、救うことは出来ぬと。
滅ぼせない敵と向き合った今こそ、その魂を救わねばならないのではないか。
怨霊を力で消滅させられぬとあらば、成仏させるものと相場は決まっている。
方法はわからないが、手掛かりがあるとすれば、過去。
ヤコの記憶の中だ。
「三位式機の全能性に賭けるしかない、か――行くぞ!」
ホシカゲがかつてない加速を持って、濁った空を切り裂いた。ソラガセの巨体に
剣を突き立て、その内に潜む少女の魂へと意識を集中する。
「なにする気!?」
驚いたような声とともに、小さな姿が見えた。
「もう殺せないと言うのなら、その憎しみだけでも葬らせてもらう!」
隆道の魂が、身体を離れて飛ぶ。危険な挑戦だったが、これしかない。
肉の重みを伴わぬ手を伸ばし、ヤコの魂を目掛けて一直線に。
「――いいよ、見せてあげる」
伸ばした指の先で、光を失った瞳から闇が広がる。
「でもね、それってあたしをもう一度殺すより難しいことだよ」
少女の輪郭が闇で満ちる。それは光射す世界に穿たれた破孔。
隆道はいま、ようやく理解した。あの瞳の奥にあったのは、果てしなく広大な
虚無であり、想像を絶する暗黒の深淵なのだと。
憎悪に縁取られた、絶望の扉。
その彼方――記憶の世界へと、老兵は躊躇わず飛び込んで行った。
<続く>
最終更新:2012年05月11日 22:26