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コトバは人格から自由でいられるか
僕らは自由にコトバを発することが出来る
だが僕が発したコトバは僕のものなのか
だが僕が発したコトバは僕のものなのか
あるいはたしかにクラムボンは彼のものかもしれない
しかしそれだってコトバとして表記される可能性を
秘めたものである以上独占できるものではない
秘めたものである以上独占できるものではない
A.B.C.D.E.F.G...つまり
コトバは本質的に何者にも束縛されることのないものであるが
僕らはコトバを発することに対して責任を負わされている
僕らはコトバを発することに対して責任を負わされている
責任というコトバは往々にして便利ではあるが
結局のところ本能的に
結局のところ本能的に
僕らはコトバ自体を信用することができない
例えば
過去の偉人は名言を残したから偉人なのか
過去の偉人は名言を残したから偉人なのか
天は人の上に人をつくらず
と、発した人が遠い中世の農村にもいたかもしれない
と、発した人が遠い中世の農村にもいたかもしれない
名言はコトバ自体の価値はもちろん
新しく獲得した知恵を広く知らしめたことに価値がある
新しく獲得した知恵を広く知らしめたことに価値がある
コトバと模倣が溢れかえる世界でのみ
得ることが出来る価値観もあるかもしれない
得ることが出来る価値観もあるかもしれない
「信じ難いもの:愛の言葉 誘い言葉
信じ難いもの:寂しい夜の あたしの耳」
信じ難いもの:寂しい夜の あたしの耳」
ことのはに
しんじていると
かきつらね
うかべたせつな
せつなさをしる
よみびとしらず
しんじていると
かきつらね
うかべたせつな
せつなさをしる
よみびとしらず
カテゴリ: [雑多] - &trackback() - 2006年12月03日 04:55:05
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