私の魔法の師、マーシー・リンフィールドからある日そう言われた。
記憶をなくした私が師匠に拾われ、魔法師としての修行を始めてから3年が経とうとしていた時だった。
「素直すぎる…?どういうことですか?」
「あなたの魔法師としての才は申し分ない。もう少し修行を続ければ、一人前の魔法師となるでしょう」
才能があると言われるのは嬉しいことだが、それ以上にさっきの言葉が気になる。私は黙って師匠の言葉を待った。
「でも、『組織』の一員としては頼りないと言わざるを得ない。魔法ではなく、別の面でね」
「別の面…」
「私たちには敵が多い。他人に安易に正体を明かすこともできないほど」
「だから目的のために人を騙すことが多いし、逆に騙されて罠に嵌められそうになることもある」
「…」
師匠の言いたいことはわかる。私たちの『組織』は少なくともエーラムと敵対していて、場合によっては個人の恨みを買うこともあると聞いていた。『組織』の一員として働くには、ただ魔法を扱えるだけではままならないことも多いだろう。
「でも
リーフ。素直なあなたでは、人を騙すことも人の嘘を見抜くことも厳しい…いえ、できないと言っても過言ではない」
「その素直さゆえに、あなたは実直に修行を行い、これまで魔法を覚えることができたのかもしれないけど…その素直さは時として邪魔になるの」
「…」
何も言うことができない。確かに私は人を騙すこともしないし、他人に言われたことは素直に信じてしまう。師匠の言う通り、このままでは駄目なんだろうけど…
「…それでは、私はどうしたら…?」
「…これはあなたの生まれながらの性格についての問題。簡単にどうにかできることではないわ」
「それとも、魔法で無理やりにでも性格を変えたほうがいい?あまりお勧めできないけど」
「…っ」
「…とにかく、今言ったことは覚えておいて。今日はもう部屋に戻って休みなさい」
「…はい」
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「…はぁ…」
自室に戻り、私はため息をつく。そしてその場に座り込み、師匠に言われたことを反芻した。
「素直すぎる、かぁ…」
そんなことが問題になるなんて、思ってもなかった。魔法でどうにかできるんなら良かったけど、私はそんな魔法は知らない。
でもどうにかしないと、私はもしかしたら組織に…パンドラに、捨てられてしまうかもしれない。記憶をなくしてからずっとパンドラにいる私は、他の生き方を知らない。パンドラに捨てられたら、今度こそ終わりだ。一見くだらない、でも私にとっては死活問題なこの問題に向き合うしかない…んだけど…
「…どうしたらいいんだろう…」
今すぐ解決すべき問題ではない、でも気になって仕方がない。気にしなければきっと、私はいつまでもパンドラの一員として頼りないままだろう。
…自分一人で考えていても仕方がない。私は、私の一番好きな召喚魔法を使うことにした。
私の呪文詠唱とともに、部屋の中に「黒い服の男の人」が現れた。彼の名前はケンゴ・フジワラ。「ニンジャ」と呼ばれる異界の戦士の投影体で、よく私の話し相手になってくれる友達だ。
「ドーモ。
リーフさん。どうした?ケジメ直前のヤクザのような顔をして」
「何言ってるのかよくわからないけど、まあ、ちょっと悩みが…」
「…ふむ。言ってみるといい」
そして私はフジワラに、師匠に言われたことを話した。こんなこと、彼に言っても仕方がないのはわかってる。もしかしたら、解決策を望んでいたんじゃなくて、ただ誰かに話を聞いてもらいたかっただけかもしれない。
一通り語り終えたところで、フジワラが覆面に隠された口を開いた。
「なるほど、話はわかった。しかし
リーフさん。残念ながら私では力にはなれなさそうだ」
「うん、そうだよね…」
「確かにあなたは素直だ。そしてあなたの師匠が言うように、その素直さは影に生きるものにとって命取りとなることもある」
「しかしこればかりは、すぐにどうにかすることは実際難しいだろう…」
「わかってる。師匠も多分、意識させておきたかっただけだと思うから」
「そうか。まあ、急ぐと死ぬ。焦って解決しようとする必要はない」
「うん…ありがとう、フジワラ」
少し気が楽になった。やっぱり、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。落ち着いた私は、少し気になったことをフジワラに聞いてみた。
「そういえばフジワラは、どうして黒いマスクをしているの?」
「ああ、これか?」
フジワラは彼の顔の下半分を覆い隠している黒い覆面を指差し、私はそれに黙って頷く。
「そうだな…やはり一番の理由は自らの正体を隠すためだろう」
「正体を隠す?」
「ああ。仮に潜入の際に見つかったとしても、逃走中に顔の印象が残りづらく、はっきり見られたとしても正体を掴むことは難しい。それ故ニンジャはこのような覆面やメンポをつけることが多いのだ」
「そうなんだ…じゃあ潜入でもなんでもないのに今つけてるのはどうして?」
「何となくだ」
「えぇ…」
「まあとにかく、『自分自身を隠す』と言うのが一番の目的だ」
「…自分を、隠す?」
何故かその言葉が、私の中で強く引っかかった。フジワラはそのまま話を続けた。
「影に生きる者は、自分が何者か知られてはいけない。敵にも、場合によっては味方にも」
「そして…自分自身にも」
「え…?」
意味がわからなかった。自分に自分を隠す?どういうことなのか。何のためにそうするのか。私が不思議そうな顔をしていると、フジワラは教えてくれた。
「正体を悟られない、ということは顔を隠すだけでは不十分なこともある。顔や体格を隠せても、細かな所作、体の動かし方、そういったところから正体が露見することもあるのだ」
「だから、影に生きている時には元の自分とは別人になることも必要になることがあるのだ。まあ、基本はそんなことはないがな」
「…だから、自分自身が誰なのか…自分に隠すこともあるってこと?」
「ああ、その通りだ」
「…」
私はそのまま黙ってしまった。フジワラの言ったこと、全部はわからなかったけど、自分に必要なことのように感じた。ずっとそのことが頭の中をぐるぐるしていた。
気がつくとフジワラは姿を消していた。魔法の効果が切れてしまったのだ。
「…ありがとう、フジワラ」
私は消えてしまったフジワラに感謝を述べつつ、棚にある布切れを手に取った。
自分自身を隠す必要があるとフジワラは言った。私にとっての自分自身とは、どこで生まれ、どうやって生きてきたかもわからない記憶をなくした自分だ。でもその自分は素直すぎて、「
リーフ・ノーランド」として生きることは難しい。だったら、そんな自分は隠すべきだ。隠してしまった方がいい。
手に取った布切れを巻き、顔の下半分を覆い隠して鏡の前に立つ。そこには、いつも見慣れた自分とは少し違う顔が映っていた。
「…案外、変わるものだね」
今の自分は、今までと違う気がした。こうしてしまえば、素直な自分を隠してしまえる気がした。「
リーフ・ノーランド」として生きていける気がした。
「やるしかない、か…」
こうして私は、誰かもわからない自分自身を隠すことにした。
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───
「…ん…」
自分を呼ぶ声で、若干朦朧としていた意識が覚醒する。声の主はフローラさん…私の実の姉だ。
「ああ、すみません。ボーッとしてたです」
「そう…疲れてるんじゃない?」
「いやあ、大丈夫ですよ」
今日は仕事の都合で、フローラさんの家を訪ねている。そこで彼女が料理を振舞ってくれるそうなので待っていたら、うとうとしてしまったようだ。
昔のことを思い出していた。私はこの覆面をつけるようになってから、「素直すぎる」ということから離れ、嘘を見抜く力や狡猾な手段、騙し討ちも覚え、パンドラの一員としていられるようになった。「素直」から離れようとした結果からか、変な口調にもなっちゃったけど…
フローラさんは、どうやら食事の準備ができたから私を呼びに来たようだ。彼女に招かれ食卓へ行くと、いつか食べたのと同じような家庭料理が置かれていた。
「どうぞ、召し上がれ」
「はい、いただきます」
私は覆面を外し、食事を口に運ぶ。彼女の料理は唸るほど美味しい、というわけではないが、私にとってはとても安心する味だ。
「美味しい?」
「うん」
そう答えた後、ハッとしてフローラさんの方を見る。彼女はただ、微笑んで私の方を見ていた。私は慌てて覆面をつける。
「しょ、食事中は話しかけないでくださいって言ったじゃないですか!」
「ふふ、ごめんなさい。ちょっと聞いてみたくって」
「全く、からかわないでくださいよ…」
「でも、どうしてそんなに嫌がるの?私は好きよ、マスクを外した時の素直な
リーフ」
「嫌なものは嫌なんですよ!」
そう言って、私は覆面を外して食事を再開する。隠していたはずの自分…「ルーシー・ストラトス」が、覆面を外すとどうしても出てきてしまう。所詮隠しているだけで、消えたわけじゃない。隠しているものがなくなると、簡単に出てきてしまうのだ。
こうしてフローラさんと過ごしていると、あの時のことを思い出す。彼女と出会い、そして邪神に会いに行った時のことを。ただ、それを思い出すと同時に、考えてしまうこともある。
…私はなぜ、フローラさんを助けてしまったのか?
あの時の私は、確かに彼女に邪神の力を与えてはいけない、助けなければいけないと考えていた。それはきっと、記憶を取り戻した私の中の「ルーシー」がそう願ったからだろう。でも、それならシュローダー兄さんを殺したのは何故だろう?ルーシーなら、彼を殺そうとは思わなかったはずだ。だったら、パンドラとして生きている私の中の「
リーフ」が邪魔者の排除をさせたのかもしれない。
リーフとして生きるなら、フローラさんを助ける必要もなく、ただ他と同じように仕事をこなせば良かっただけだ。それでも、ルーシーが彼女を助けてしまった。
私の中には、二人の『自分』がいる。片方を隠し、もう片方の自分を演じてきたはずが、記憶が戻ったことで隠していた自分が隠しきれなくなってきた。私はルーシーとして生きたいのか、
リーフとして生きていたいのか。そもそも、今更どちらかを選ぶことなんて出来るのか?あの時邪神に言った、『私の世界』とはなんだ?
…私は、誰なんだろう?
そう思ったところで、私はその考えを隠してしまうように、また覆面をつけて自分を隠し、自分が誰だかわからなくする。
「あら、もういいの?」
「はい、美味しかったです…とっても」
そうだ。自分が誰かなんて、今はきっと関係ない。考えたって答えは出ない。ただ私は、目の前にいる姉を守るだけだ。彼女と過ごす、『今』があればいい。
『今』が続けば、それで──────
最終更新:2019年12月13日 20:27