SF百科図鑑
ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』ハヤカワ文庫SF
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匿名ユーザー
2000年日記
8/5
(略)
あわせて長編も進めようと、「月無慈悲」を2年ぶりぐらいに読み始める。途中で革命地下組織の活動の説明をえんえんとするくだりで退屈さのあまりぶん投げていたのだが、そこから再度。その苦痛な説明部分を字面だけ読み終えてやっと次のセクション、ああ疲れた。前途多難。
「月無慈悲」面白くねえ! くっだらねえ。ほんとにこれがハインラインの最高傑作なのか? 登場人物もネタも陳腐で類型的、革命思想も古臭くて、何で月が独立しなきゃいかんのか全くもってアブサード。幼稚くさい。こんなものがいちばんいいという奴の精神年齢を疑う。半分近く読んだけど、今まで読んだヒューゴー賞受賞長編の中で「ダブルスター」を下回る愚作だ、今のところ。ちなみに「ダブルスター」の次の愚作は「放浪惑星」(笑)。「放浪惑星」が愚作だということについてはアマゾンコムでも酷評だらけで溜飲を下げたところだ。たいていが「馬鹿げている、月が割れてその中を飛ぶ飛行船? 全く阿呆らしい。この作品がヒューゴー賞をとったのは後半部分の宇宙船内部の描写のためで、前半部分は救いようがない」「猫に似たエイリアンが人間と疑似性行為をする、信じがたいほどくだらない、ナンセンス」といった全く同感の酷評。いやあ嬉しいねえ、自分の嫌いな作品を他人も貶してくれると。月無慈悲、とにかく文字どおり「読めない」ので、ちょっくらアマゾンコムの貶してある書評でも探しに行くか(笑)。
この作品が最後のハインラインの受賞作品。もうこれであの通俗的で退屈な小説を読まなくていいかと思うと、嬉しい。もうちょっとの我慢だよ(笑)。まあ、「異星の客」「宇宙の戦士」は面白かったけど。でもとどのつまり、何が嫌いって、いちばん嫌なのは、多分登場人物が型にはまっていて魅力に乏しいところだろうな、人間が描けていないもん。どこがSFを文学に高めた男だよ、文学のブの字もねえじゃねえか。
アマゾンUKから本が七冊届く、もうサイコー!
でもアマゾンコム(米)のほうは、船便でなかなか届かないし(七月中旬には発送されているはずなのに)、絶版オーダーは、「見つかりました!」と喜ばせておいて「再度業者にアクセスしてみたら売れていました」と落としやがるし。しかも次に出してきた値段が一〇ドルから一〇〇ドル(! とんでもない悪徳業者だ)に上がっていやがるし。Zショップで申し込んだ業者からはメールの返事が全然来ないし(後で見たらアマゾンコムを通じた支払いはできない業者だったようで、知らずに「アマゾンコムで払います」とか書いたからシカトされたのか?)。頭に来るよ、絶対業者の評価★(最低)にしてやる! アマゾンコムは駄目だ! やっぱりUKの方が使い易いよ(航空便のみだけど航空便にしては送料が穏当だし)。
ああ~、しかし、月無慈悲読まなきゃならないかと思うと気が重くなる・・・。
しかし、俺ってほんと巨匠と相性が悪いよなあ。まずハインラインは殆ど駄目。アシモフは好きだけど、クラークは「都市と星」以外は良いと思ったことがない。「幼年期の終り」すらあんまり好きじゃないし。特に嫌いなのが、名作といわれる「太陽系最後の日」、あの最後の一行でSFに目覚めたなどとぬかしやがる輩が多いのにはほとほと呆れ果てる、おれはあの一行を読んでSFから足を洗うことを一時真剣に考えたのだ(笑)。あのいやらしい、楽天的な人間中心主義、生理的に受け付けない。科学への信頼、総毛立つ。畢生の愚作だと思うんだけど。これがデビュー作ということで、クラークのあらゆる限界がさらけだされた見本のような作品だよなあ。あと、やたら宇宙の神秘とかを強調して不可知論主義に傾いた「2001年」「宇宙のランデヴー」系もあんまり好きじゃない。物語性が乏しいよねえ、ただ神秘的なものを淡々と描写してるだけであんまり深みはない。ただ描いてるだけで、思弁してるわけじゃないもんね。というわけで、70年代に入るとクラークがドバッと出てくるのでちょっと怯えている(笑)。
8/5
で今、月を貶した書評を調べてみたら、満点と零点の両方があって、SFに何を求めるかで印象が全然違う。誉めている書評の要点は、革命の描写がいいとかアイデアがいいとか、マイクが生き生きしているとかいうものだが、総じて思想的な部分や表現法には無頓着なものが多い。貶してある書評は、「自由を得るためには殺人、詐欺、その他もろもろの不正が当然許されるかのような内容には我慢できない」「性差別主義が露骨で古臭い」「ワイオのキャラが我慢できない」「革命の細胞を増やそうとする数学的描写があまりにボアリング」「月語の描写がひどい、英語の基本部分である冠詞を全てなくするという推論には無理がある」等様々。冠詞は翻訳で読むと分からないが原文はそうらしい、中には翻訳の再訳で翻訳者のミスか?と思っている笑えるものまであった。まあしかしそう大した問題ではない。やはり致命的なのは、当時は新しかったのかも知れない革命思想が今では古臭く大時代に見えてしまうことだ。セクシズムが前面に出ているというのは例えば月では女の数が少ないので女をめぐって男が殺しあうのが当たり前、というくだりで「品物の数が足りないと物価があがる」といった比喩を使っているところに表れている。
つまりこの本では、「異星の客」でみられた一見進歩的な思想の化けの皮が剥がれたのか後退したのか、思想的な面での進境がまるでなく、限界性を露呈しており、「お説教部分」の突っ込みがまるで足りない。
あとは、そのような限界性を我慢した上でどれだけ「物語」として楽しめるのか、ということだが、物語としても、今のところそう成功しているとは言えない。なぜなのか内観してみるに、やはり一人称の主人公のキャラになじめないというのがいちばんだ。とにかく主人公が無思慮に前進するだけの人物で全く深みがなく、想像力と同情心に欠けている。弱者切り捨ての発想である。つまり、革命といいながら、弱者が強者に抵抗する革命ではなく、真の強者は暴力的/詐欺的方法を用いてでもかりそめの強者を排除してよい、という意味での革命に過ぎない。革命を起こす党派の内部においてはあくまで力の論理が働き、弱者は切り捨てられる。崩壊した共産主義革命諸国の内部、我が国過激派の内部等で起こったのと全く同じ論理と実態の齟齬に対する感受性は、当然のことながらこの本にも全く欠けており、先見性、洞察力、繊細さがない。主人公のキャラクターが作品の思想構造と不可分に設定されているがゆえに、思想構造自体が皮層的で薄弱であれば、主人公のキャラクターも浅墓で共感を呼びにくいものとならざるを得ない。
ようやく苦しみながら250ページを超えたが、とにかく読むのが苦痛である。後半で少しは改善されるといいのだが。
8/10
月無慈、すっかり諦めて後回しにすることに。これは要するに歴史小説と思った方がよい。アメリカ独立戦争を、SFの舞台設定の中でやり直してみたというだけ。だから、SFではなく歴史小説と思って読むことにしよう。そう思えば多少は読むに堪えるかも知れない。(くっそ面白くもねえ=本音)
で、結局「光の王」を先に読むことにしたが、これが面白い、「コンラッド」に比べてだいぶこなれてきて。内容的にはーーところどころ面白い説教の場面とかは出てくるもののーー単なる娯楽読み物で深みはまったくないが、スタイルは斬新だし、面白いからいい。このスタイルでこれだけ面白いものが書ければいいでしょう。ただし、熱狂はできないが。
2001年
7/18
「月無慈悲」いよいよ終盤。
ハインライン節といっていい「正義のためなら暴力も許される」の思想に貫かれた、好戦的な戦争SFである。
この作品が「右翼的な「宇宙の戦士」とは対照的な、革命の物語であり、ハインラインの思考の柔軟さに驚かされる」などという頓珍漢でおめでたい評価をする人も多いようだが、いったい彼らはどこを読んでいるのか。右翼だろうが左翼だろうが、ハインラインのいいたいのはただ一つ「自分が正義と信じることのためなら人を殺してもいい、爆弾を落としてもいい、メディア統制による世論操作をしてもいい」ということである。統治する側=地球の視点からすると被治者の側の物語であるが、それをいうなら、「宇宙の戦士」だって、圧制の物語ではなく、異星人に対する戦争の物語であった。「異星人」が支配者でなく単なる異質な者だったという点を除くとその論理構造は全く同じである。ハインラインの特徴は、正義のためなら殺人や暴力も許される、という一方的独善的な思考に基づく戦争肯定の一点に尽きる。左翼、革命だからリベラル、という発想が誤りであることはわが国学生運動、赤軍派の末路を見れば誰にも明白であろう。右だろうが左だろうが暴力肯定は最終的に独善的な圧制に堕落する。攻撃対象を打破した後、または打破することを諦めた後の攻撃のポテンシャルはエネルギー保存の法則により、必然的に内攻/下攻するのである。このような、猪突猛進する自称正義の内包する危険に対し、ハインライン的なある意味で単純で分かりやすい好戦的思考は鈍感であり過ぎる。ただし、鈍感だから間違いとも言い切ってしまえないのが悩ましいところだ。所詮人間というものは不完全なものでありその中で自由や権利を勝ち取るためには障害となる多少の他人の権利侵害はやむを得ない必要悪であり、その必要悪がなければ文明の進歩そのものを否定することになってしまう、という性悪説に根ざしたニヒルな認識にもある種の説得力があることは否定できない。マキャベリズムを一概に誤りと決めつけてしまえないのと同種の悩みがある。少数の個人の苦しみや死など全体の問題からすれば切って捨てるしかない、という理屈もそれなりに論理的であり、単なる感情論、ヒューマニズムで否定するのみでは偽善者、綺麗ごとのレッテルを貼られかねない。
ただし、少なくともハインラインが、このような悩みを示すことなく単純明快に「切って捨てる」「いうことをきかないやつは殺す」「無料の昼飯はない(飯にありつくためには人を殺さなければならないこともある)」という論法の一本槍で、想定される反対意見に一顧だに与えないのは、ハインラインの限界を示すということだけはいっていいと思う。全く知的な態度ではないのである。本作は、したがって、「ハインラインの自由な思考」ではなく「ハインラインの思考の不自由性を露呈」した作品と捉えるべきであり、従前の評の大部分はその意味で明白な誤りであり、自らの「思考の不自由性を露呈」したものと考えざるを得ない。
ただ、ここで展開されるハインラインの思考が不自由ではあるとしても、だからこの作品の価値が低いといっているわけではない。ハインライン流の「不自由で硬直した好戦志向」が有無をいわさぬ一方的で徹底的な押し付けがましい筆致でしつこく描き出されているところに一種の潔さや、狂気の一歩手前の迫力が感じられるのも否定できず、ハインラインと思考回路の似た人にはたまんないんだろうなあ、という意味で理解できるのである。そういう冷めた目で、ハインラインの好戦思考にアレルギーを起こすことなく見れば、一貫した主張に貫かれた直線的な物語として芸術的な美しさすら感じられるかも知れない。ちょうど、発狂して腹を切った三島由紀夫の晩年の作品が、硬直した国粋主義に貫かれていることにより、逆に刃物の切っ先のような美しさを持っていたことを否定できないのと同じように。私だって、自分がパンダではないからといって、動物園のパンダを見て楽しめないというほどには、真面目でもないのである(笑)。
7/19
ハインライン「月は無慈悲な夜の女王」★★★★
教授の死とマイクの「死」という、劇的な結末でちょっとだけ加点した。第2部後半から第3部にかけての地球との交渉過程は結構面白かった。ただ、やはり、その直線的な暴力/欺瞞肯定主義が馴染めないので満点には届かない。いかにもハインラインらしい作品であるし、その後隆盛するミリタリーSFの嚆矢という点で、ハインラインの戦争SFの歴史的意義は認めざるを得ないのだが。