SF百科図鑑

George R.R. Martin "Blood of the Dragon"

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2001年

6/29
マーティン「龍の血」2章まで読みました。
いろいろな苦難を乗り越えながら生きてゆくけなげな娘の話&&いかにも一般受けしそうな内容です。王位継承権を持ちながら人望のない兄&&兄の計略のため無理やり嫁がされる妹&&一族の体に眠る「龍の血」とは何なのか? 人間ドラマと、いかにもヒロイックファンタジー的な謎がからみあって、売れそうな内容に仕上がっています。RPGが好きな人にはたまらんでしょう。2年前読んでいたらはまっていたかも&&去年FF9、ドラクエ3とパスしてRPGから遠ざかっている今は、今一つ乗り切れないものを感じますが。
2章では、この兄妹がドロゴ一行と旅をする場面で、兄があまりにどんくさいので妹が嫌気がさして、「歩きなさい!」と命じて置き去りにします。で、この娘は、政略結婚の夫ドロゴに毎晩いやいや体を与えていたのが、急に前向きな性格になってある夜自分のほうから馬乗りになり、「草の海」を越えるころ(13歳&&犯罪じゃあ!)には妊娠していることが判明します。2章はここまで。
なんだか、兄ヴィサリスが脅し文句に使う「龍の血が目覚める」が重要な伏線になっているような気がしません? 馬も乗れないようなどんくさいヴィサリスが、軍なんて率いるのは無理だろう、王の器ではないと酷評されているこの兄、手酷い屈辱の仕打ちを受けて、後半で爆発するのでは&&期待させられます。楽しみに先を読むとしましょう。

ああ、もちろん、「底の世界」も今日中に半分はいきます。

さて、ここで、マーティン「氷と炎の歌」の世界像をおさらいしておこう。
作品を年代順に並べると
・放浪の騎士(伝説は永遠に・収録)
・王冠ゲーム(第1長編)
・王たちの戦い(第2長編)
・剣の嵐(第3長編)
・龍の血(クワルテット収録)
・冬の風(第4長編/近刊)
となる。
このシリーズは要するに、「7つの王国」の王族たちの王位争奪戦を描くものである。発狂した王(龍の血?)を退位させた3家の貴族が王国を支配していたが、家同士の力のバランスが崩れて王位争奪ゲームが始まってしまう。その間に、北方の「氷の壁」の向こうで邪悪な勢力がうごめき始める。その間、タ-ガリアン家の家長ヴィザリスが7つの王国奪回を手伝う軍を出してくれる騎馬民族のリーダー(=ドロゴ?)に妹を売り渡し結婚させる。この部分が「龍の血」のエピソードと思われるから、要するに「剣の嵐」の後半に折り込まれているのか? 「剣の嵐」はまだペーパーバック化されておらず未入手のため未確認である。
この流れから見ると、第1、第2長編を読まずにいきなり「龍の血」の1エピソードのみ楽しむというのは無理かも知れない。しかし、この部分だけでも娘の根性記という観点から十分面白く読める。正編を読んでから読み直せば更に面白くなるだろう。なお、長編版は巻末に人名、用語辞典も入っており、至れり尽せりである。

6/30
今年の翻訳SF(長編)は例年になくつまらない。特に早川文庫はひどい。ほとんど存在意義ないじゃないの?と言いたい。単行本の文庫化か、売れ線の娯楽物か、さもなくば「なぜそれを?」と首をかしげたくなるような訳者の贔屓の引き倒し的作品。ステイブルフォードの「地を継ぐ者」とかマーフィー「ノービットの冒険」なんて、訳してほしいと思っていたやつ誰もいなかったんじゃないの? 何を考えているとこういう奇妙なラインナップになるのか、全く理解に苦しむ。選択に公正さや客観性がまるでないだけでなく、売ろうという気があるのかどうかすら怪しくなるぐらい、近視眼的で場当たり的である。たぶん、編集者のIQは60もないのではなかろうか?
早川、創元が悲惨なだけに、ウィルスン「スパイダ-ワールド」を出した講談社、ワトスン「オルガスマシン」を出したコアマガジン、オールディス「スーパートイズ」を出した&&どこだっけ?&&が実際以上に快挙に見えてしまう。閉塞状況を打開しようと焦りながらも視野の狭さ、頭の硬さを抜けだせない早川にない、ノンケの出版社の柔軟性ゆえの快挙ということはいえよう。しかし、こういったどちらかというと通向け、マニアックな作品が出る一方で、ヒューゴー/ネビュラ賞受賞作といった基本的な、教科書的な作品が全然訳されない状況はまさに末期的というほかない。一部のマニアックな人間が突っ走る一方で、中間的なバランスの取れた人間がSFから離れ、その結果として、「真ん中の、普通の」SFを出版する人間が誰もいなくなっているのだ。
こんな状況なのにSFを見捨てないおれは、ほんとうに偉いと思う。

そんなおれであるがゆえに、ヒロイックファンタジイのヒューゴー賞受賞は、それがいくらマーティンとはいえ、由々しき事態だと思う。
ファンタジイのヒューゴー賞受賞は、マキャフリイのパーンの竜騎士もあったが、あれはまだSF的だった。竜そのものでなく竜に似た生物であり、バイオテクで配合した生き物ではなかったか。タイムトラベルだってネタに入っていた。つまり、SF的なファンタジイだった。
純粋なヒロイックファンタジイといえば、ライバーの「凶運の都ランクマー」だけではなかろうか。
しかし、「氷と炎の書」は、筋金入りのファンタジイである。「竜の血」はその1エピソード。これでいいのだろうか?
ライバーはその魔術的な文体の魅力ゆえに、純粋なファンタジイでも許せた。
しかし、マーティンはどうか? 少し弱いのではないか? 初期の思弁性が全く影をひそめた最近の作品はどうも&&という印象をぬぐえない。
そういった作品群を好きな読者がいるのは仕方がないと思う。別にそういう読者をどうこういうつもりはない。
しかし、何でSFの賞なんだ? その年のSF短編は、SF読者の目から見ても、SF性の全くないこのファンタジイ作品より劣っていたということなのか?
最初からファンタジイを読もうと思って読むのなら、それなりの心構えもできる。しかし、おれは今、SFの受賞作を読んで、SFの傾向を把握しようとしているのに、そのさなかに何でこんな純粋のファンタジイ(サイエンスファンタジイですらない)を読まなければならないの、どういう観点からそれによってSFについての何かを学ぶことができるわけ?といいたい。
この作品に罪はないのだろうが、この作品にヒューゴー賞を与えた君たちは何なの?と苦言を呈さずにはいられない。シリーズが売れていて、作者が元SF作家であったがゆえの贔屓の票? 何にせよ、アメリカのファン層はちょっと精神年齢低いんじゃないの?と疑わずにはいられない。まあ、ビジョルドが長編賞を3回も取れるような国柄だから、読者のレベルがわかるといってしまえばそれまでだけど。
この作品も、世界幻想文学大賞受賞というなら、たぶん読む気になるんだろうけどねえ。

というわけで結構うんざり来ているのだが、我慢して読もう。「伝説」収録の中編も、浪士が少年を弟子にして勝ち抜きの試合をするという、ほとんど「宮本武蔵」のような(笑)。こんな作品の関連作品がSFの賞を取るなんて、アメリカにはこれに賞をやらないとならないぐらい、SFが書かれていないの?枯れてるの?といいたくなってしまう。

いつものことながら、愚痴ばっかりになってしまう。

SFM8月号、ワトスン「オルガスマシン」、ウエルズ「宇宙戦争」「モロー博士の島」「タイムマシン」購入。5500円なり。金の出ていくのは早い。

マーティン「竜の血」3章まで読む。「草の海」を越えて馬の門をくぐったところへ、ヴィサリスが追い付いてきて、娘とヴィサリスがまた喧嘩をします。だから何なのよ?ついていけねーや。話の展開がのろい。つっかれるなぁ。
コンタクトを2週間忙しくて替えてないことによる疲れもあるかも。
あぁ~旨いラーメン食いたいなぁ。昨日久々にじゃんがら食ったらまあまあだった。

マーティン、読み終えるつもりだったのに、猛烈な睡魔に襲われ5ページも読まないうちに爆睡していた。

7/1
マーティン「竜の血」★★★★★
面白かった~。前言は撤回します。ファンタジーだと思って馬鹿にして、ごめんなさい。後半の展開は凄かった。息子の命名式に乱入した兄を、デニーはあっさり処刑させてしまいます。その後、戦が起こり、ドロゴも重傷を負ってしまい、馬に乗っている最中に容態が悪化し落馬してしまいます。この世界では落馬するような人間は人の上に立つ器ではないとされているため、すぐに噂が広がり部下が次々と去ってゆきます。デニーはドロゴを治すため、レイプされているところを助けた治療師の女(実は一種の魔女だったことが後でわかる)に治すよう頼む。女はドロゴの傷を見て魔術の力でなければ治せないといい、デニーは周りがとめるのもきかずこれに応じ、協力を約束する。女は、「生には死であがなわねばならない」デニー「わたしの命?」女「いいえ」で、ドロゴの乗っていた種馬の血が必要だといわれ、安心するのですが&&。儀式の最中テントの外に出されて待っていると、急に産気づいてしまう。デニーは周りに抱えられテントに運ばれたところで気を失うが&&目覚めてみると腹の子は死んでいたという。竜の子の姿をして生まれたというが、実は魔術の生け贄にされたらしい。ドロゴは生きているものの植物人間状態。儀式のごたごたでドロゴの部下の間で殺しあいがあって何人か死んでいる。植物人間の生のために自分の子やその他の命が引換にされたと知りデニー逆上。女を拘束し、ドロゴをしばらく介護したものの治る見込みなく、結局、自分の手でクッションを顔にかぶせて死なせてやる。その火葬の儀式で、竜の卵3つも一緒に葬る(ちなみに例の魔女も一緒に焼かれる)が、燃えているのを見るうちにデニーは炎の中に引き込まれてしまい&&焼跡から生きて発見される。しかも竜の卵からかえった3匹の竜が彼女の体にまとわりついている。彼女の竜の血が本物であると証明されたのだ。誰もがひざまずいて、彼女の配下になることを誓う&&そしてこの数百年の間で初めて誓いの儀式に竜の歌声が高らかに響くのだった&&。
力強く、感動的なエンディングで、人気があるのがうなずけます。主人公の娘が最初の弱々しく哀れなキャラクターから、次第に力強く時に残酷な指導者のキャラクターへと成長してゆく過程が見事に描き出されています。やたら人が死に、血なまぐさい描写が多いのも特徴でしょうね。それに竜や伝説、魔術といったファンタジー的なガジェットを組み合わせ、説得力のある物語を紡ぎ出す才能はやはり凡手のものではない。ストーリーは要するに権力を争っての殺しあいなわけで、日本の時代劇(特に戦国時代)とほとんど変わるところはないのですが、そうでありながら陳腐な感じが全くしないのは作者の力量の証明でしょう。(もっとも、だからといってヒューゴー賞を与えることには異論があるが。なお、蛇足ながら、治療の話は、ちょっとマッキンタイアの「夢の蛇」を思い出させた。)
中編でこの面白さなら、長編は期待できそうだ。デニーの物語は独立したサイドストーリーとのことであるが、できれば第4巻以後(作者によると当初は3部作の予定だったが6、7作にはなりそうとのこと)で、デニーの活躍も見てみたいところである。誕生した3匹の竜のその後も知りたいし。わくわく。早く読みたいな。
ところで、作者によればこのシリーズより前に、「黒と白と赤と」という長編(切り裂きジャックを追い掛ける3人の男をめぐる改変歴史物らしい)を書いていたのだが、その途中で「氷と炎」のストーリーを思いついたため中断しているとのこと。個人的にはそちらのほうを読んでみたかったのだが、未完のまま、この本「クアルテット」の冒頭に&&。未完の長編を(しかも今後続きが書かれる予定であるものを)読むのは気持ちが悪いので、やめておく。漱石の「明暗」みたいに、途中で作者が死んだのならともかく。
ちなみに他の二本はハリウッド映画の脚本など映像絡みの作品。作者は80年代から90年代にかけて映画の仕事に追われ、「ワイルドカード」以外の小説の仕事がほとんどできなかったのだ(特に長編は全く余裕がなかった)。
というわけでこの本は、「竜の血」以外は、無理に本にするために持ってきたページ数合わせに等しいものばかり。つまりは、「竜の血」を単行本に入れるための涙ぐましい企画ということか&&出しているのがNEFSA、ほとんど自費出版に近いし&&(笑)。
ところでマーティン、最近、「ライアへの讃歌」の題で短編集が編まれたけど、どんな作品が入っているんだろう? 興味のあるところである。

さて、これで残るは、
タートルダヴ「底の世界」
ウィリス「大理石のアーチに吹く風」
だけとなった!!!
ウィリスは今のところアシモフ誌バックナンバー以外では読めず、アシモフ誌バックナンバーの入手方法不明のため、目下タートルダヴを読むのみだ! その後は、長編である。

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