ダーレスブルグ南東の街道。
森を抜けて拓けた地を走る馬車に揺られながら、つい先ほどまで感じていた戦いの緊張を溜め息と共に吐き出す。
景色は遠くまで良く見通せて、新たな危険が迫ってくる気配は今のところは無い。
それでも最低限の警戒を怠らないようにはしながら、愛用の弩を布で磨く手は止めなかった。
「助かりました。えーと……デルハラームさん」
向かいに座る少年が穏やかな声で丁寧に声をかけてくる。
確か名乗っていた名前はナインティ・ヤラス。ダーレスブルグ警備隊という明るい身元もあり、信用して良いだろう。
少年らしい細い体躯に杖を手にした姿はとても警備隊らしくはないのだが、これでも有数の実力の神官と言うから驚く。
「いつも通りの仕事をしただけですよ。無事に終わって何よりです」
「いえいえ。初対面で急にお声がけしてしまったのに……」
「慣れていますからねぇ」
はぁ、という要領を得ない溜め息が対面から聞こえてきた。
お互い気が合い、ずっと同じメンバーで依頼を受け続ける冒険者は決して少なくない。
と言うよりも、命を預ける事になる相手だ。信頼出来る仲間を選ぶなら、付き合いの長い相手を選ぶのは当然と言える。
人のいない若木亭で一人泥の様なコーヒーを飲んでいた昨日の朝、この少年は隊長という女性を連れて若木亭へとやってきた。
寝ていた店主を小突いて起こし応対させたところ、獣退治の依頼を直接頼みたくて来たのだと言う。
そこで若木亭の大半のメンバー……つまるところ私を除いた全員が今はフェンディルに向かう馬車の中だと告げられ、肩を落とした彼に依頼ならと手を貸す事を申し出た、という次第だ。
私とナインティ、そしてエスメラルダと名乗った隊長の女騎士。
三人での連携は過不足無く終えられたと考えている。元々していない期待を裏切られる事も無かったし、自分の実力以上の仕事をした気もしない。
誰が相手でも、誰が味方でも、別に一人でも、私がやるべき事は変わらない。
神経を研ぎ澄まし、太矢を番え、対象の急所を狙い矢を放ち、殺す。
「仲間」というカテゴライズが無ければ、射撃対象を選ぶ手間が少しだけ増えるだけだっただろう。
「デルハラームさんは……どなたかと組んでお仕事をされているわけではないのですか」
「基本的に一人か、その場限りのお手伝いですね」
重装備をしているわけでもない、身のこなしが軽やかなわけでもない射手が一人で仕事をする。
その危険性は重々承知しているし、ゆえに引き受けられない仕事も多々ある。
「これから誰かと組むご予定は」
「ありませんね。その気も無いですし」
「差し支えなければ、理由をお伺いしても?」
「裏切られたくないからですね」
ではなぜ一人でい続けるのかと問われれば、「期待」という情が湧いてしまうからだ。
守ってくれる“だろう”、助けてくれる“だろう”、仲間だから。
そんな風に考えてしまえば、その“だろう”が裏切られた時に身も心も傷ついてしまう。
それは不便さを補って余りあるほどの、一人を貫く理由なのだ。
「若木亭の方々は誰かを裏切るような者ではないように見えますが?」
それまで黙っていたエスメラルダも、気付けばこちらに視線を向けて会話に加わっていた。
公的に承認を受け、国からの依頼を何度もこなした冒険者達があなたの期待を裏切る事は無いと、つまりはそう言いたいのだろう。
だが違う。そういう事ではないのだという事は、恐らく「群」で仕事をする騎士様には一生理解出来ない感覚だ。
存じておりますよ、とだけエスメラルダに答えて、私は再び視線を馬車の外に向けた。
「そうですね……彼らは彼らを裏切る事はない。良く出来た人達です」
「屋上から叫ぶのは驚くからやめてほしいという苦情は何度か届いていますけれどね」
「それもまた、人らしい」
「人らしい、ですか……」
ぽつりとこぼすようにナインティは呟き、私と同じように馬車の外に目を向ける。
しばしの沈黙の後、ふう、と溜め息をついたナインティは御者に向け声を上げた。
「すみません。この近くに寄りたいところがあるんですが良いですか」
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「警備隊に入る前、僕は駆け出しの冒険者でした」
何の面白味も無い農村に立ち寄ったナインティは、村人と一言二言言葉を交わした後に村の裏手の道を歩き出した。
良ければ付き合ってもらえませんか、という言葉を無視して馬車に留まるほどの理由もなく、私とエスメラルダは彼について後ろを歩く。
「村から送り出されただけで何の目標も無かったけれど、幸いにも仲間が出来まして。しばらくの間一緒に過ごしていたのですが」
「ですが?」
「……そのうちの一人が、依頼の最中で死にました」
重い沈黙は足取りも重くする。
墓所に向かっているのだと理解出来る頃には、ナインティは荒い息を吐きながら病人の様な足取りで前へ進むのに必死になっていた。
ではそれほどの心労を抱えてなお、なぜ死んだ仲間の墓参りなどしようと思ったのか。
何も言わずに黙り込んでいた。きっと自分には一生理解出来ないものだろうからだ。
「さっき馬車の中で、デルハラームさんはおっしゃいましたね。裏切られたくないと」
なのになぜ話を振るのだ、と。
少しばかり眉根を寄せてしまったが、もしかすればそれはほどよく「悲しみに共感している」演技になっていたのかもしれない。
ナインティはついに足を止める。墓所にはまだ辿り着かない。
「僕は彼女を裏切ってしまった。ザイアの盾を彼女の前に掲げる事は出来なかった」
「……ナインティさん、あなた後方支援を是とする神官でしょう」
「それでも、です。自分に出来る事は本当に何も無かったのかと、今でも考えています」
エスメラルダが口を開く事は無い。部下の言葉に重く沈痛な表情をしている。
警備隊という職業柄、近しい人が怪我をしたり命を落とす経験もゼロでは無いだろう。
それに彼の記憶を重ねているのか、彼の痛みに寄り添おうとしているのか。
黙って視線をナインティに戻した。いずれにしても自分には一生縁遠い振る舞いだろうからだ。
歩き出す。足を止めたナインティを追い抜いてしまった。
「例えばですが、今ここでさっき倒した獣より数段強い獣が現れたとして」
地面に落ちていたナインティの視線が、私の背中へと向けられたのを感じた。
「私はあなた達を守るために何をするかとは考えません。いつも通り、何をすれば相手が死ぬか考えます」
試しに振り返ってみると、エスメラルダは口を開けて唖然としていた。
口を真一文字に結んでいるナインティと目が合う。困惑でも怒りでもない表情の中には、きっと仲間を助けられなかった時には無い物があるのだろう。
「それは、全員が助かる為の最善策が相手を倒す事だからですか?」
「結果的にはそうなる事もあるかもしれませんが、ノーですね」
「では、どうして……?」
ナインティが再びゆっくりと歩き出す。
それを見て、私も前を向き直して歩き始めた。実に陰気な墓参りだが、血生臭い冒険者らしいとは言えるかもしれない。
「それしか出来る事を知らないからです。ただ弩の使い方を知っているだけの獣なんですよ、私は」
思えば、最初に矢を放った時からしてそうだった。
自分の身を守るためには、相手を殺すしか無いと思った。だから殺した。
頼れる者がいない中で生計を立てるには、狩りに生きるのが最も楽で適していた。だから殺した。
いつしかその生き方に疑問を抱かなくなって、今はもはや「だから」という言葉を付けずに何かを殺して生きている。
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村はずれの丘の上にある墓所の、その隅にある墓標。
いかにも村人のお手製な味のある文字で名前が彫られていて、村人の誰かが供えたのか花とパンがバスケットに入って置いてあった。
この石の下で眠る顔も知らない狩人は、獣によって殺された。弩ではなく牙によって。
ナインティは静かに跪いて祈り、エスメラルダは一歩下がってそれに倣い、私は略式で手を合わせた後に丘からの眺めを何の気なしに眺めていた。
「人」の振る舞いだと思った。
誰かの死を悲しみ、自らを省みる。過去を悔やみ、自分に何が出来るかを考える。
羨ましい生き方だった。
仲間と呼べるほどの存在の死も、今を変えたいと思い悩む事も私には無かった。恐らくこれからも無い。
「獣」に身を堕とす「人」はいても、「人」として生きられる「獣」はいない。角が立たないように表面をなぞる事は出来たとしても。
三人とも黙りながら帰り道を歩く。気まずい沈黙というわけではない。
少しばかり過ぎた物言いをしたかと思ったが、流石は公権力として働く二人だ。何も言わずにいてくれているだけかもしれないけれども。
村に戻ってからナインティはまた村人と簡単に挨拶を交わし、馬車は再びダーレスブルグに向けて走り出す。
「僕に出来る事、か……」
揺れる馬車の中、ぽつりとナインティが言葉を漏らした。
独りごとにしては大きく、誰かへの言葉にしては形を成していない。
自分との対話、と考えるのが一番自然かもしれなかった。
「デルハラームさん、ありがとうございました」
今度は明確に自分に向けられた言葉だった。
感謝される心当たりは無かったので、思わず首を傾げてしまったが。
「はて。感謝されるような事は何もお話し出来なかったと思いますが」
「だとしても。僕は多分この先思い出すと思うんです、今までにない言葉をくれた『人』だなって」
その言葉と態度が本当に心からの、嫌みや意趣返しも含まれていない言葉だったものだからやり辛い。
出来れば二度と組みたくない相手だと思って苦笑いしながら、私はもう小さくなって見えなくなった農村と、その向こうの丘へと目を向けた。
自分は「獣」でいられるようにと、そんな願いを悟られないようにしながら。
最終更新:2021年05月10日 23:08