太陽閑話

「オーマーン、ルキスラはどんなところなんだ!?」
狭い馬車の中、早くもオーマーン卿は今回の思い付きが、果たして間違いではなかったのかと自問していた。
「栄えた国だよ、みな安全に暮らしている」
「そうか!それは素敵だな!太陽(ぼく)のおかげに違いない!」
「ああ、きっとそうだろう」
オーマーン卿は、隣から覗き込む幸せそうな笑顔に向かって応えた。
何も狭い馬車の中で、わざわざより窮屈に隣に座るようなことはしていない。
アンヘリエル・テスケリエル・トリポケイラ。
この身も心も明るい巨大な男は、馬車の中で背を伸ばして座っていることができず、上半身を対面の座席にまでぎゅうぎゅうに詰めないと収まらないのだ。
本来この馬車はさして狭いわけでもない。なんなら4人乗りこんでもゆったり過ごせる、ただ人が移動するために使うにはちょっと贅沢なくらいの馬車を手配したはずだった。
そして朗らかに大声で、恐ろしく近い距離から話しかけてくるのだ。ここまで顔を近づけてくるのは、犬か牙をもって襲い掛かる魔物くらいのものだろう。
窓を全開に風を入れ、あの冒険者たちはいったいどうやってこの男と馬車を共にしているのだろうかと、思案ついでに目を閉じて、ルキスラまでの道中をやり過ごそうとした。
「いい人達が不安にならないよう、ルキスラでも太陽(ぼく)が不滅だってことを教えて回るぞ!安心してくれ!」
「大丈夫、大丈夫、誰も太陽が滅びるなんて思っていないさ。それに、銀鱗隊(われわれ)や蒼鷹騎士団もいるんだ、ルキスラの人々は概ね安心して暮らしているよ、ありがとう」
「そうか!それは素敵だな!回り回って太陽(ぼく)のおかげだ!どういたしまして!」
ルキスラまではあと半日ほどある。
夜の間にアンヘリエルを馬車に積み込んで行くのがいいという彼らの助言に「まさか、君たちの仲間を預かるんだ。丁重に客人として迎えるつもりだよ」などと紳士ぶりを発揮した自分が恨めしい。
迫りくる体温に耐えつつ、それでも涼しげな物腰を崩さない、ルキスラ銀鱗隊慧尾(すいび)隊が長、オーマーン・シーマル卿の忍耐力は並の冒険者を遥かに凌駕しているようだった。


ルキスラ銀鱗隊は、国政を司る要人の警護のために擁立された少数精鋭の騎士部隊である。
指揮系統の長は皇帝であり、実態として銀鱗隊は彼の私兵隊という側面も持っているが、皇帝の手腕によって政敵に疎まれることもなく、必要な時、必要な場所で、必要な人物を警護する働きを十全に発揮していた。
銀鱗隊の部隊は大小あれどその性質によって4つに区分されている。
皇帝に侍り、片時も警護の隙を作らない「瞳」の部隊。政府要人の警護をする「翼」の部隊。要人が集会する際の施設警護を担う「爪」の部隊。この3つはある意味ルキスラ帝国「そのもの」を守るための部隊であり、とりわけ「瞳」の部隊は銀鱗隊の中でも傑出した実力者が揃った花形だ。
そして4つ目「尾」の部隊。
彼らはルキスラ帝国民「ではない」国賓の警護を担っており、唯一国外へも赴く点において、やや特殊な性質を持っていた。護りの磐石な帝国内から外に出れば蛮族領と隣り合うこの地域において、外に出るというのは、それだけで危険を伴っている。
尾は切れればまた生えるもの。
ルキスラ銀鱗隊「尾」の部隊は、唯一人員の入れ替わりが激しい、荒事専門の遊撃部隊であった。


日が傾き、ルキスラの城下町が斜陽に照らされる頃にオーマーン卿とアンヘリエルは彗尾隊隊舎に到着していた。
隊舎は丁度蹄鉄のような形をしており、玄関正面に作戦室兼武器保管室、奥に進むと左右分かれ、それぞれ食堂と宿舎に繋がっており、中庭の訓練場をぐるっと囲んでいる。
隊舎は西日を受け入れるように建てられており、訓練場では数人の隊員が練武に勤しんでいた。
皆銀鱗の盾を構えており、盾に反射する日の光が規則正しく蹄鉄の内側を照らしてゆく様は、アンヘリエルの目にも眩しく映ったことだろう。
「諸君、ルキスラの客人を連れ帰ったぞ」
オーマーン卿が声をかけると、隊員達は構えを解いて二人を迎えた。
逆光に照らされたアンヘリエルはダークトロールと見紛うような風貌だったが、オーマーン卿の信頼が成せる術か、隊員たちはアンヘリエルの大きさに驚きつつも臆せず暖かく歓迎した。
気を良くしたアンヘリエルがいつものアレをすると、流石に皆怪訝な顔をしたが、慣れた様子のオーマーン卿が手を叩き騒めきを収めた。
「明日からの訓練計画を伝える。もちろん彼を交えた特殊訓練だ、皆作戦室に集まれ」
銀鱗隊の面々は手際よく装備を片付けると、作戦室へと駆けていった。
統率の取れた隊員たちを見ると、ここまでの道中の苦境が癒やされていくようだった。
「彼、本当に腕は立つんですか?」
臆面なくするりとオーマン卿の横に立ったのは、慧尾隊副隊長のマーティン・コーダスだ。
オーマーン卿よりやや小柄で若年、しかし隙のない熟練の武人のような佇まい。目付きは鋭いが、訝しんでいるというよりは、卿の連れてきた未知数の大男の実力を油断なく見定めようとしていた。
「さて、どうかな。見どころはあると思うんだが、、、マーティン、お前はどう見る?」
オーマン卿はにやりとマーティンに問いかけた。
「何よりも無駄な動きが多すぎます。とても腕の立つ冒険者とは思えない、、、、、、ですが、そのせいか本当の実力も測りかねる、、、といったところでしょうかね。」
観察すれば観察するほどマーティンの眉間にシワが寄っていく。
アンヘリエルが踊りながら作戦室の中に入っていくのを見届けると、マーティンは完全に首を傾げてしまった。
「はっはっは、私にも読みきれないのさ。ただ、あいつの人を守ろうとする気概には見るものがある、それだけが確かだ」
そう聞くとマーティンは肩をすくめて、他の隊員たちに続いて作戦室へと向かった。
「ま、隊長が得体のしれない奴を連れてくるのは初めてじゃないですしね」


作戦室の壁には銀鱗の盾が整然と飾られており、それらは一つの巨大な盾を見上げるように表を向けて、窓から差し込む夕日をその盾に集めていた。
Shining Silver Scale Shield
通称4Sと呼ばれるそれは、銀鱗の煌盾。
見た目や形は銀鱗の盾と大きく変わらないが、白銀に輝き精緻に並んだ鱗の文様は、銀鱗の盾とは一線を画した武具であることを物語っている。銀鱗隊の中でも特に実力を評価され、銀鱗隊の責務を全うし隊員たちの規範たりうると認められた者しか扱うことのできない一品だ。
壁に飾られているものは飾り盾で、通常使用は念頭に置かれていない巨大なエンブレムのようなものだが、この印のもとに集い、ルキスラ帝国の防衛の要となることの名誉と矜持を、いつでも隊員たちに思い出させるに十分な威厳を持っていた。
それは銀鱗の盾たちが集めた夕日を反射し、作戦卓を昼間のように照らしていた。

そんな銀鱗隊の誇りを背に、オーマーン卿は改めて隊員たちに改めてアンヘリエルを紹介した。
「彼はアンヘリエル、ダーレスブルグの冒険者ギルド「そびえたつ若木」亭の冒険者だ。彼のパーティでは、まぁ見ての通りだが盾役を担っている。
 先日彼らに依頼して共闘したとき、彼が実に興味深い戦い方をしていてな、お互い学べることが多いのではと招かせてもらった。」
さ、アンヘリエル。と促されると、アンヘリエルもまた改めて今回の経緯を語った。
「みんな僕のことはよく知っているよね。そう、太陽だよ。僕は昔、僕がいつの日か滅びるって予言を見つけてしまってね、こんな嘘を信じてしまって不安になる人がいたら悲しいなと思って旅を始めたんだ。みんなを安心させたくてね」
銀鱗隊の面々は、アンヘリエルではなくオーマン卿を怪訝な表情で伺っていた。オーマーン卿は穏やかな笑みのまま動じないフリをしていたが、今日ほどこの作戦室の居心地が悪いことはなかっただろう。
当然アンヘリエルが室内の不穏なざわつきに気づくことはなかったが、しかしアンヘリエルの表情は神妙なものになり言葉を続けた。
「ただ、この旅は、、、僕が思っていたより、ずっと過酷だったんだ。そして、今のままの僕では、みんなを十分に安心させることは出来ないとわかった。僕は太陽だ、陽の光はこのラクシアに生きるすべてのものに等しく降り注がなくちゃいけない、、、でもそうしたくても、僕の力が足りなかった。悔しいけれど、太陽失格だ」
何人かの隊員は察するものがあったのかもしれない。アンヘリエルの言葉を受け止め、しかし太陽太陽とおかしなことを繰り返されるせいで咀嚼しきれずに押し黙っていた。「僕は、僕の光が届くところで人に傷ついてほしくない。人だけじゃない、動物も、草木も、、、、悪さをしないなら蛮族にだって安心してほしいんだ。全ての命は大きな巡りの中で繋がっている。無闇に断ち切れば、その巡りは淀んで、よくないことが起きるんだ。僕は太陽だから不滅だけれど、僕の友達はそうじゃない。その淀みが巡り巡って、その人達を傷つけるかもしれない。旅の中で、そうやって苦しんでいる人たちを知ってしまったんだ。だから僕は──」
そびえ立つ若木亭の皆のおかげで最近は随分喋れるようになっていたアンヘリエルだが、元来3行以上の言葉をまともに理解出来ない程度の知力の持ち主だ。
いよいよ脳の限界を超えそうになり、目が回り始めていたところに助け舟が出た。
「強くなりたいってことだな、誰をも、誰からでも守れるように。あまりに傲慢だがシンプルだ、嫌いじゃない」
アンヘリエルのことを情熱的に妄言を吐く巨人と認識し始めていた他の銀鱗隊員と違い、マーティンはアンヘリエルの真意をざっくばらんに解釈してくれたようだった。
「そう、そういうことだ!君は敏いな!ギレルモみたいだ!」
「その人のことは知らないが、一応ありがとう」
他の隊員たちも戸惑いから回復し、どうにか合点がいったことにしてアンヘリエルの言葉を飲み込んだようだった。
かなり怪しいが、自己紹介も完了したということで、オーマーン卿が手を叩いた。
「と、いうわけだ。明日からの訓練に数日アンヘリエルに参加してもらうことにした。この体を見ればわかると思うが、かなり力が強いぞ。戦い方も奇抜だ。我々彗尾隊は不測の事態に対処する能力を常に磨いておかねばならん。そこで彼が訓練に参加すれば、、、不測の事態はきっと起きてくれるだろうということだ。お前達には日々の訓練では得られない実践に近い経験を、そしてアンヘリエル、君は我々が日々磨き上げてきたルキスラ銀鱗隊警護術の技を学ぶといい」
アンヘリエルはぱぁ!と明るい表情にもどった。褒められたと思ったのだろう。
「ああ、楽しみだ!」
今日はこのくらいでお開きにしよう、とにかく風呂に入りたい、かなり堪える一日だったんだとオーマーン卿は宿舎へと向かっていき、隊員たちもそれに続いて解散した。
「俺はマーティン・コーダス、彗尾隊副隊長だ。よろしくなアンヘリエル」
「よろしく、マーティン!僕はアンヘリエル・テスケリエル・トリポケイラだ!」
マーティンが手を差し出し、アンヘリエルが両手で握手をした。
「俺も明日が楽しみだよ。もう日が落ちるな、隊舎を軽く案内しよう」
マーティンがそう言うと丁度夕日が差し込まなくなり、銀鱗の煌盾に照らされていた作戦室がすっと暗くなった。
「、、、、、アンヘリエル?」
アンヘリエルを宿舎に運ぶために、隊員たちはもう一汗かく羽目になった。


次の日、皆隊舎で食事をしたら早速訓練を開始することになった。
いつもなら皆さっさと食事を済ませてしまうところだが、本当は昨晩のうちに冒険者の暮らしのことを色々聞いてみたかったのだろう、若い隊員たちはアンヘリエルの周りに集まり、談笑を交えながらの平和な朝食を過ごした。
アンヘリエルが仲間やこれまでの旅のことを話す隙間に、やたら食事を褒めるので、普段の慣れた朝食もより楽しめたのだろう。
訓練を開始する頃には、昨日の警戒も随分解けたようだった。

一同を練兵場に集め、オーマーン卿は訓練計画を伝えた。
まずは、主に若い隊員の訓練。
アンヘリエルを襲撃者と見立て、突破力のある蛮族に対応する方法を模索する。
国内での警備では、要人を襲う者が現れたとしても、その規模や手口はある程度限られる。
しかし「尾」の部隊である彗尾隊の任務では、いくら想定していても対応しきれない状況に陥りうるのだ。
帝国の外に出れば、大破局の傷跡はまだ残っており、やむを得ず危険な山道や渓谷を通らなければならない場合がある。
通常襲撃を受ければ真っ先に逃走を図るところだが、そのような場所では挟撃を狙われやすく、逃走は非常に困難になる。
このような状況こそ訓練しておきたいところだが、トロールを練兵場に連れてくることなどできるわけもなく、かと言っていきなり任務について実践では不安も残る。
オーマーン卿は、一人の力では絶対に止められない蛮族に対し、限られた人数でチームアップし対抗するための技術と心構えを学ばせたいと考えていた。
そこでアンヘリエルが適役というわけだ。
ダークトロールにも見劣りしない巨躯に膂力、ただ突っ込んでくるだけで脅威になる存在が味方についてくれたのは願ってもない機会だった。

まずは単純に巨大な敵というのがどれだけの驚異か身を持って体験するために、一人ずつアンヘリエルのタックルを受け止めてみることとなった。
アンヘリエルは気乗りしないようだったが、仲良くなったばかりの隊員たちに頼まれると断りきれず、見事に全員を吹き飛ばしていった。
マーティンが「ダークトロールならお前達が倒れたところに斧を振ってくるだろう、気を失っても逃げ回れよ」などと発破をかけ、隊員たちは擦り傷だらけになりながら奮闘した。
しかし当然気合でどうにかなるものではなく、みなぜいぜいと息を切らしへたり込んでいた。
これはオーマーン卿としては非常に満足いく結果だったようだ。
「逃げ場のない場所で、こんな敵に襲われることもある。敵が賢しければ、寧ろそんな場所でこそこういった戦術を取ってくるだろう。要人に随伴できる人数は最大でも5、6人。そんな環境で挟撃を受ければ、突進してくるトロールを止めるのに割ける人員は多くても2人だ。馬車を捨ててでも逃げなければならない場合、その場で一番実力のあるものが随伴することになるからな。どうだ、絶望的だろう」
実に愉快そうな声色でオーマーン卿は語ったが、その瞳は暗渠の如く深い闇を湛えているようだった。
「すまないな、ただ怯えさせたいわけじゃない。訓練と経験を積めば、一人でどんな蛮族も押し止めることはできる。アンヘリエルが協力してくれるのはまたとない機会だ、存分に学ばせてもらおう」
オーマーン卿の様子を見て、アンヘリエルにも気持ちが入り直したようだった。
強くならなければ、犠牲を出さずに守り切るという選択肢を選ぶことはできないのだ。
休憩を挟んだあとは、5人がかり、4人がかり、3人がかりとチームの人数を減らしながら同じ訓練に励んだ。
どのようにすれば勢いよく襲ってくる巨体が止まるのか、傷をいくつも作りながらも徐々に技が磨かれてゆき、ついには二人がかりでアンヘリエルの足をとり、バランスを崩させその場に転ばせ止めることに成功した。
周りから歓声が上がる中、誰よりも喜んだのはアンヘリエルだった。
地べたに転がされたまま「すごいぞ君たち!僕は安心だ!」と叫んだ。
人が成長する場に立ち会うのは、自分自身と仲間たちがより強くなることができるという証左を得たようで、心がいっぱいの「大丈夫だ!」に満たされたのだ。


昼食をはさみ、午後はアンヘリエルの訓練をすることになった。
アンヘリエルに課せられた訓練は、シンプルな模擬護衛戦だ。
オーマーン卿が護衛対象、それをマーティンが狙う形だ
「安心しろ、オーマーン!僕が守ってやるからな!」
意気揚々とタワーシールドを構え、アンヘリエルはマーティンに対峙した。
「アンヘリエルにも分かりやすいよう、最もシンプルなルールでの訓練だ。アンヘリエルは私の護衛、マーティンが襲撃者だ。私はここから動かない。5分の間、私への攻撃を全て防げばアンヘリエルの勝ち、一撃でも通せばマーティンの勝ちだ」
マーティンは自信満々のアンヘリエルを前に、これから自分がしようとしていることを思い少し憂鬱だった。
「いいか、アンヘリエル。これから俺は、お前の弱点をしつこく攻めるからな、どんな結果になっても拗ねるなよ?」
「ふふふ、ここは絶対通さないぞ!」
アンヘリエルの呑気さには毒気を抜かれてしまいそうだったが、顔を下げて深くため息をついた。
アンヘリエルはトリッキーな行動はしても性格が愚直すぎるのだ。遠からぬうちに痛い目を見るのは明白だった。
「さぁ、開始だ!」
オーマーン卿が合図をすると、マーティンは顔を上げた。
「最初から押し通るつもりはない」
マーティンの肌は青白く変化し、額から2本の角が伸びていた。
「エネルギー・ボルト」
マーティンのかざした手からまっすぐオーマーン卿を目掛けて魔力の矢が放たれた。
愚かにも飛び道具を想定していなかったアンヘリエルは面食らったが、ギリギリのところでオーマーン卿の前に盾を構え一発目を防いだ。
マーティンは間髪入れずに、2本目、3本目のエネルギー・ボルトを放つ。
「ほら、そんな構え方で守り続けられると思うのか?」
盾をオーマーン卿の前に釘付けにされ、アンヘリエルはそこから動けなくなった。
「それで自分のことはどう守るつもりなんだ?リープ・スラッシュ」
4発目の魔力は形を変え、アンヘリエルを刃のように切り付けた。
アンヘリエルは持ち前のタフさで倒れこそしなかったが、この戦況がこのまま続けば遠からず受けきれなくなることは自明だった。
一向に近づいてこない相手に対し打開策はなく、アンヘリエルの表情に陰りが差した。
「それに、こんな攻撃にどう対処するんだ?」
マーティンは手のひらの上に火球を創り出し、高く放り投げた。
火球は空気を喰いながら進み、放物線が下降し始めるころには二人を飲み込めそうな大きさにまで成長していた。
「ファイアボール」
このままではオーマーン卿に被害が及ぶと気づいた瞬間から、アンヘリエルの判断は早かった。
タワーシールドを火球に向けて放り投げ、オーマーン卿に覆い被さった。
アンヘリエルの狙い通り、火球は確かに空中で弾けて散ったが、タワーシールドも燃え尽きてしまった。
「大丈夫かオーマーン!?」
アンヘリエルは慌ててオーマーンを抱き起こしたが、当のオーマーン卿はのんびりと煙の向こうのマーティンを指差した。
煙が晴れると、マーティンの手のひらには再び火球が作り出されていた。
「ファイアボール」
咄嗟の判断だったとはいえ、アンヘリエルも自分が最悪の一手を選んでしまったことに気づいたようだ。
マーティンは火球を高く掲げどんどん成長させていたが、そのまま霧散させるように魔法を終わらせた。
「ここまでだ、アンヘリエル」
再びオーマーン卿に覆い被さろうとしていたアンヘリエルを制し、マーティンは異貌化を解き訓練を中止した。
「2分だ、たった2分しか経っていないぞアンヘリエル」
訓練前の自信満々な表情は見る影もなく、完全に情けなく落ち込んでいた。
「マーティンすまない、がっかりさせたか?一瞬君のことをズルいと思ったが、僕のためだったんだろう。手も足も出せなかった」
マーティンは叱られた大型犬のような様子で項垂れるアンヘリエルの肩を叩いた。
「あまり落ち込むなとは言わない、お前は弱くないからな。咄嗟に盾を投げたのも別に悪い手段じゃなかった。本当に他に選べる手段がないのなら、決死の判断は必要だ。ただ、お前は素直すぎる。これまでは仲間が支えてくれてどうにかなっていたんだろうが、自分の弱点をもっと把握しておいたほうが良いだろう。お前と過ごした時間は短いが、それでも何をすれば追い込めるかわかり易すぎだ。敵意を持ってお前やお前の仲間を狙ってくる者ならもっと早く気づくだろうし、手加減もしてはくれない」
肩を落とすアンヘリエルに、マーティンは厳しく続けた。
「そして一つ、絶対に変えなきゃいけないことがある。戦いの中で、お前はお前自身も守らなくちゃいけないんだ。こればかりは今まで運が良かったとしか思えない、お前が倒れればお前の守ろうとしている人も傷つくことになるんだぞ。自己流で戦うことを否定はしないが、盾の扱いには技術が必要だ。安心しろ、これからしっかり教えてやる」
「ありがとう、マーティン。僕はもっと学ばなくてはいけないな」
マーティンはもう一度肩を叩き、アンヘリエルに顔を上げさせた。
「さて、訓練を続けたいがお前の盾は俺が焼いてしまったからな、、、隊長、あなたの事だからきっと最初から銀鱗の盾を渡すつもりだったんでしょう?」
そう声をかけられたオーマーン卿は、やれやれと肩をすくめた。
「ああ、その通りだ。全く、訓練が全部終わってから彗尾隊に勧誘がてらプレゼントしようと思っていたんだがな、どうせなら訓練中に慣れてもらうとしよう」
オーマーン卿は見学していた隊員を呼び、アンヘリエルに合う銀鱗の盾を持ってくるよう指示をした。
「というわけだ、これから君に新しい盾を贈る。ここでしっかり扱いを学べば君の心強い味方になるだろう。それにしても、随分乱暴にやったもんだな、最初から異貌化までするとは思っていなかったよ」
「俺もあなたと同じでしたからね。アンヘリエルには、何故か期待したくなる」
マーティンもオーマーン卿のように肩をすくめてみせた。
確かな実力があるのに不器用で、不器用なのに唯一つの目的のためならどんな手段でも取ろうとする。アンヘリエルのアンバランスな魅力に、二人とも絆されてしまったようだ。

しばらくすると、銀鱗の盾を探しに行っていた隊員が手ぶらで戻ってきた。
「隊長、かなり探したんですが、どの盾もアンヘリエルには小さすぎるんです。持ち手に腕が通らないので扱えないかと、、、いかがしましょう?ひとまず間に合わせの盾を用意するにしても、彼に合う大きさの盾が市内の武具店で見つかるかどうか」
それを聞くとオーマーン卿もバツが悪そうに頭をかいた。アンヘリエルの大きさはもちろん分かっていたが、もともと大ぶりな作りの銀鱗の盾すら合わないというのは想定外だった。折角贈ると決めていたのに、これから特注で作らせるとなるとアンヘリエルの帰国に間に合いそうもない。
皆が困惑した表情で、微妙な空気が流れるなか、アンヘリエルはハッと思いついたように作戦室へと駆けて行った。
「オーマーン、安心しろ!君の心遣いを無駄にはしないぞ!」
アンヘリエルが作戦室に飛び込むと、にわかに不穏な音が聞こえてきた。
ガコッと大きな家具を動かすような音だ。その後に続けて「よし、僕にぴったりだ!」というアンヘリエルの歓声。
オーマーン卿はもう笑うしかなく、項垂れながらマーティンを見た。
マーティンは知りませんよ、こっちを見ないでくださいと、にべもない態度だ。
そしてアンヘリエルが作戦室を飛び出してきた。
飾り盾として掲げられていた「銀鱗の煌盾」を持って。
満面の笑みで。
盾を探してくれていた隊員に対して「安心しろ!丁度いいぞ!」などと声をかけて、すっかりご機嫌だ
陽の光をまばゆく反射させる煌盾は、まさしく自分にピッタリな盾だとでも言いたげな様子だった。
声をかけられた隊員は「ア、アンヘリエルさん、流石にその盾は、、、いえ、私が口を挟むことではないんですが、、、、、隊長!?良いんですか?」と狼狽えている。
尊敬と憧れを込めて4Sと呼ばれるその盾が持ち出されている事自体に、他の隊員たちの間にもざわめきがひろがっていった。
引くに引けないオーマーン卿は、腹をくくり隊員たちにも聞こえるよう語った。
「良かろう。もちろん私はこの盾の価値を、ここの誰よりも理解しているつもりだ。ただ銀鱗隊の矜持が籠っているだけじゃあ無い、ルキスラ帝国の安寧と繁栄を支えてきた歴史と誇りの象徴だとすら思っている。だが同時に、それは盾だ。それは飾られる為に作られたものだが、これからも部屋を照らすだけなら断然、誰かを守る為に使われるべきだろう。扱える者が現れるとは思っても見なかったが、きっと今がその時なんだ。アンヘリエル、そいつの本懐を果たさせてやってくれ」
マーティンが助け舟を出すように手を叩くと、隊員たちも納得したように拍手を伝播させていった。
極めて異例だが、一介の冒険者アンヘリエルが4Sの使い手として受け入れられたのだ。
拍手の中、オーマーン卿は一つ付け加えた。
「とは言え、ただ君に渡してしまってよい物というわけでも無いんだ。アンヘリエル、その銀鱗の煌盾は君に「貸し」ておく。我々彗尾隊はいつでも優秀な人材を募ってるからな。4Sを扱える新人なんてこれまで一人もいなかった。君が旅の目的を遂げた後でいい、その盾を持ってここへ戻ってこい。その時は客人としてではなく、ルキスラ銀鱗隊の仲間として歓迎しよう」  
オーマーン卿の言葉を受けて、拍手はより大きく、暖かなものになる。
拍手に気づいたアンヘリエルは盾を掲げ、皆にその雄姿を見せた。その場にいた誰にとっても誇らしい姿だった。                                                        

そしてその後数日に渡り、アンヘリエルは隊員たちと共にマーティンとオーマーン卿に訓練をつけてもらい、驚くべきスピードでルキスラ銀鱗隊警護術の技を習得したのであった。


帰国の見送りは静かに、マーティンだけが現れた。
アンヘリエルはそれがとても嬉しかった。
アンヘリエルに触発されてか、若い隊員たちも4Sを目指しより一層訓練に励むようになっていた。
隊舎を去る際、若い隊員たちに、見送りには行きたいけれど負けてられませんからねと送り出されたのだ。
オーマーン卿もいつにも増して熱心に訓練の指揮を取っていた。
「それじゃあ、お前の旅の無事を祈っている。きっとまた会おう」
マーティンとアンヘリエルは固く握手をし、馬車は進みだした。
「ありがとうマーティン、きっとまた!」
朝日に照らされながら去っていく馬車を一瞥すると、マーティンは隊舎へと戻っていった。
アンヘリエルが戻った時、誰も欠けずに迎えてやるつもりだ。

こうしてアンヘリエルのルキスラでの旅は終わった。
アンヘリエルが銀鱗の煌盾を託された時、彼の頭の中がこのキラキラの盾を使ってどうやって光ろうかという考えで一杯で、まるで話を聞いていなかったことに誰も気づかなかった点を除いて、この数日間の交流は皆にとって実りあるものだった。

おわり。

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最終更新:2021年12月13日 18:58