ある少年の最期
<ある少年の最期>
轟々と燃え盛る炎を前に為すすべすらなくて、口が空気を求めていつまでもパクパクと動くのをやめてくれなかった。
大嫌いだった僕の姿が炎に照らされ影を作る。その影に覆いかぶされるように小さな女の子が膝を抱えていた。
まるで眠っているように静かだった。今まさに覆いかぶさらんとする悪魔を前に、彼女は怯えるでもなく。
いやそもそも。そんなことできるわけもなく。
彼女の胸には塞ぎようのない大きな穴が空いていた。
胸元のフリルから赤黒い滴りが落ちている。こんな時だというのに、僕の喉は渇きすら覚えてしまっていた。
「……ごめん、ネオ」
口から絞り出すように謝罪を述べる。僕はこれから彼女にひどいことをする。許してほしいとは、もう言えなそうだ。
それでも。
それでもと。
僕は彼女の足を切り落とした。
<1>
「なぁんで君なんかとこうしてお茶をしばかなきゃなんないのかねぇ」
「それ、僕の前で言いますか」
端正な顔を憂鬱と退屈で歪めている青年に、僕は苦笑いを向けるしかなかった。青年は本当に勘弁してもらいたいといった風に頬杖をついて行儀悪くずるずると音を立てて紅茶に口をつけている。
「まったく、僕は家庭教師じゃないんだよ? 君の出来が悪いのは構わないけれど、もっとこう出来は悪いですが頑張りましたみたいな風を装うことはできなかったのかい?」
「僕の記憶では貴方は確かに僕の家庭教師だったと思いますが……?」
「そうだったっけ? まぁ細かいことは気にしないでくれ。僕は君みたいな子供に付き合うのは嫌だと……カップを置くときに音をたてない。こんなものはマナーというより一般常識だよ」
「う……」
そうやってズルズルと音を立てて紅茶を飲むのはどうなんだと思いながらも、指摘された以上は直さなければと姿勢を正す。
「まぁ分かるよ? 久々のお父さんとのお茶で緊張して手でも震えたんだろう。でーもだからってお茶零してカップまで割るかなぁ~」
ぐうの音も出ない。あの時の父は一言すらなく席を立ってしまったわけだし。
「……君さ、本当にこんなことしたいのかい?」
「どういうことですか?」
「……んー……」
珍しく言葉を選ぶ青年。そして、しばらくして口を開いて
そして頭の上に落ちてきた踵に潰されて舌を噛んだ。
「もうちょっと真面目にやれ、ロクデナシ」
「……ネオ、流石にそれは」
青年が白目をむいてバタンと倒れると、我が麗しの専属メイドが現れた。
小さな体躯と金の髪、翡翠のような瞳。芸術品と見まがう美少女であったが、今にも人を殺しそうな殺気を辺りにまき散らして天高く足を掲げていた。
……いやまぁ、人によっては死んでいたであろうが。
「ふっ……まったくお転婆だねネオは。今日はなんだかご機嫌斜めかな?」
「〇ね」
本当に辛辣である。
彼女はネオ。僕の専属メイドである。
正式な名前はネオアームストロングサイクロンジェットアームストロングというが、長すぎるのでネオと呼ばせてもらっている。
「はっはっは、なあに女の子の踵落としなんて僕にとってはご褒美だよ。あちょまってなんどもやっていいわけではっあとそこはっ」
「痛い痛い、ネオ、見てるだけで痛い」
青年の股間に容赦なく冷徹なトゥーキックをかまし始めたネオを止めながら、青年に手を貸して起こした。
ネオはすごい不服そうだった。
青年の名前はフォグという。数年前から僕の家庭教師をしている……はずだ。何を教えてもらっているかは僕によくわからないけれど。
「悪いけどっ、男に礼をっ、言う気はぁぁぁ~……」
「別にいいですから。とりあえずジャンプとかした方がいいですよ」
耐久力高めだがそこはさすがに鍛えられないらしい。もしくは僕に見えないようにどかどか蹴られているお尻へのダメージで声が途切れ途切れになっているのかもしれないけれど。
「このゴミ屑は置いておいてっ!……ネイ様」
「どうしたの?」
フォグが明後日の方向へ蹴りだされると(ここは二階だが)、急にネオがニマニマと笑い始めた。
「外出許可、もらえました!」
「えっ、本当!?」
「……ネオ、条件をつけたでしょう?」
パッと二人で手を取り合って小躍りしていると、あきれ顔の女性が眼鏡を直しながらテラスに出てきた。
「あー……えーっと」
「一つ、夕方までには帰ってくること。二つ、フォグさんに同行してもらうこと。三つ、坊ちゃまのお勉強が終わってから」
「うー……ケチー」
「なんですか?」
「にゃああああ!」
ぽん、っとネオの頭の上に手を置いたら、なぜかネオが苦しみだした。
ルアーナはこの屋敷のメイド長だ。優しい顔立ちをした理知的な女性だが、どういうわけか高いフィジカルと謎の攻撃技術を持っている。
ネオは僕の専属メイドという肩書だが仕事上にはハウスメイドたちと変わらないので、ルアーナが実質的な上司である。結果、なぜかいつもネオがあの謎技術を食らって怒られていた。
まぁ半分くらい僕のせいだけど。ごめん。
「まずは坊ちゃまのお勉強が終わってから、フォグさんに許可をもらうところからでしょう。蹴り飛ばしてどうするんですか」
蹴り飛ばして二階から落ちた彼のこと自体は心配してないあたり、ルアーナもフォグには辛辣だ。
「でもフォグは別にどうでもいいし」
「だから条件だって言ってるでしょう」
「にににににいいい」
「ルアーナ、ネオ白目剥いてるから」
ネオの頭も置いている手も動いてないはずなのにぶるぶるとネオの手足が震え始めたので慌てて止めたが、ネオはもう意識を彼方へやっていた。
結局ネオはルアーナに連行されていってしまって、生垣にでも落ちていたのかフォグが髪の毛から枝を生やしながら帰ってくるまで冷えた紅茶をちびちび飲むしかなかった。
<2>
「あ、ダメ――ぶふぁあ!?」
一瞬で断られた、と思ったらネオが全力でフォグの顔面に回し蹴りをぶち込んだ。
二回転半の滞空、フォグの長い髪がプロペラみたいだった。
「えー!? なんでー!?」
「可愛く強請、るなら……蹴る前にしてほしかったな」
すごいなぁ、あんなダメージでかそうな感じの蹴りなのになぜか頬が腫れてるだけで済んでる。首が取れたっておかしくないのに。
まぁ、そうはいっても僕自身フォグは二つ返事でOKしてくれるものだと思っていた。
『愛しの愛娘の愛を込めたデートのお誘いだ! 地の果てまででもお供するよ!』
みたいな?
「ベルナ? シンディア? エンティア? それとも……」
「ああ、いやそういう子たちではないよ?」
ちなみにその人たちはネオがフォグの家にいたころに“仲良く”しているところに遭遇したことがある人たちらしい。何人名前が上がるんだ。
「昔ロシレッタで僕が作った会社があったんだけど、そこから何故か呼び出し食らっちゃってね。普段なら無視するんだけど、どういうわけか僕にしか解決できない問題なんだそうだ。もう二、三回使者を追い返してたんだけど今回の使者さんに何度も何度も頼まれちゃって断りきれなくて」
「へぇ、かわいかったんだ?」
「なかなか美人だったねびゃあああ!?」
あ、血が出た。
「というわけでルアーナさんこの愚鈍は用事あるらしいから二人で行ってきていい?」
「ダメですね」
「こっ……はっ」
にべもなくダメと言われるとなぜか床に転がるフォグの腹をけり上げた。正直可哀そうである。
「じゃあルアーナがついてきてー?」
「ごめんなさいねネオ今日は旦那様に来客の予定があるからそれと目上の人を呼び捨てしないように」
「ひぃん」
「………」
ネオがかくかくして面白いことになっていたが、なるほどと思ってしまった。
それで外出許可が出たわけだ。
額に手をやり、軽くソレに触る。小さな角がそこにはある。
ナイトメアと呼ばれる人族の間で生まれる突然変異。この角が生まれる時に母親を傷付けることから母殺しと呼ばれることもある忌み子だ。世間体を気にする父上は、自分の一族に生まれたナイトメアをずっと疎んでいた。
これでも父上と一緒に過ごさせてもらえるだけ有情だと思っているし、この有様であっても家庭教師をつけてもらってもいる。
ただ、父上はそれでも僕がひっそりと生涯を終えることだけを願っているのは変わっていないと思う。だから僕の外出許可は滅多にあることではない。理由はきっと、来客の前に僕が現れないようにしたかったのだろう。
「……なーんでそんなことを気にするかね」
「?」
フォグが鼻血を花柄のハンカチで拭きながら、僕に話しかけてきた。ルアーナとネオには聞こえないように。
「いいかい? 君と君の父親はあくまで他人だ。君が多少察しが良くても彼の考えなんて百パーセント読めるわけじゃないんだよ」
「今まさに百パーセントの思考を読まれている気がするんですが」
「そりゃ、僕は天才だからね」
フォグが溜息交じりに髪をかき上げる。
そうすると、彼の頭にも同じような角が見えた。
「彼が君のことを好きだろうと嫌いだろうとそんなことを気にする必要はないし、彼の行動がそのまま君への評価になるわけでもないよ。男が男の言動に一喜一憂なんてしていたら恋愛なんてできないさ」
……意外なことに、彼は僕のことをかなり気にかけてくれているらしい。同じナイトメアだからかは分からないけれど。
「じゃあ私もロシレッタとかいうところ行く!」
「なんだって!? もちろんネオなら大歓迎さ! せっかくだからギャルリ・シャンデルで買い物をしよう! 君に似合う服を選んであげるよ!」
「いいんですか?」
「君はダメ! 僕は君のためには一銭も使わないからね! 僕は君が嫌いだ!」
そういう意味で言ったわけじゃなかったんだが……この人は割とズケズケと物をいう。
まぁ、正直ハッキリものを言ってくれるのは心地いいぐらいに思っている。それはネオも一緒で、好きとか嫌いとか、隠したほうがよさそうな感情をズバズバ言ってくれるのは、僕にとって気持ちのいいことだった。
そういう意味でこの二人は親子なんだなぁ、と羨ましく思う。ネオはルーンフォークであるわけだから本当の意味で血が繋がってるわけじゃないけれど。
「だから」
ピシと。何かが割れるような音がして。
「夕方までに帰ってくるようにって言ってますよね」
「みゃあああああ!?」
「僕まであああああ!?」
……今日はそんなに天気もよくないし、家でゆっくりしようということになった。
<ある女好きの出立>
「いやぁ……酷い目にあった」
脅威の威力を誇るあの攻撃技術を受けた首を鳴らしながら、僕はレイライン邸の門をくぐった。
「お疲れ様です」
ルアーナはなかなかに強烈な女性だがそれも魅力的ではある、などと考えていると、門のすぐ近くに止められた馬車から声をかけられた。
「おや、迎えにきてくれたのかい? そんなに急ぐこともないと思うんだけどね」
「いえ、社長からは火急と申し付かっておりますので」
あの落ち着いた子がそんなに急ぐ用事とはいったいなんだろう、と考えながらも馬車に乗り込むと、黒いローブを被った女性が座っていた。ちらりと見える顔立ちをみるに、美人というよりは可愛らしい少女という印象だ。きっと使い走りよりも歌い手とか踊り子でもしたほうが似合うだろう。
「出して」
使者が御者に合図を出すと、馬車がゆっくりと動き出した。
「………君さ」
「なんですか?」
ふと気になって、使者に話かける。
「さっきまで竈の近くにでも居たのかい? 何か“焦げたような”臭いがするよ?」
<3>
母が存命の頃使っていた石造りの研究室は今や僕の遊び場になっていた。
「ネイ様ここドリル付けませんか?」
「ブースターも付けよう」
ネオがフォグからかっぱらった魔導バイクにオプションをつけるのが最近の僕らの流行りだ。
以前自分の背中につけて空を飛んだブースターを引っ張り出してきてそれをバイクの後方に取り付け、カウルの先端に工具箱から出したドリルを取り付ける。
「これ回るならエンジンに直結したほうがいいよね。カウルの中シリンダー通して」
「ブースターからの回転でも行けませんか?」
「あーそっか。そっちの方が回転数高いか」
別に何を掘削するにしたってそこまでの回転数が必用とは思わないが、やはり回転数は浪漫だ。できればこれはバイクなのだからドリルの回転力で空気の壁を粉砕する程度のことはやってほしい。いずれ変形して人型ロボットになったときは右手のメイン武器として使いたい。
「んー……ちょっとうまく回るか分かんないです」
「場所が離れてるからね。前につけるわけにいかないし」
「ちょっと焦げるくらいなら大丈夫ですよ?」
「いや、カウルの前につけたらたぶんネオが後ろに吹っ飛んじゃうよ」
以前自分にブースターを付けたとき滞空時間30秒ほどだったが、その時は屋敷の壁を二枚割ったのでこれを運転席の前に付けたらバイクの発進と同時に搭乗者が背後に吹っ飛んで行くだろう。それはもはや乗り物じゃない。
「あれ、これ以外と難しい」
「カウル外してエンジン回りに穴開けるよりは簡単だと思いますけど」
「んー……ここにシリンダーあると乗った時足に当たらない?」
「回転だけなら熱もこもらないんじゃ?」
「いや繋がってるのブースターだし……ちょっと曲げるか」
「曲げて大丈夫ですか? 中のシャフトうまく回らないんじゃ」
「シリンダーに余裕を持たしてシャフトを曲がる素材にする」
素材箱(と僕らが呼んでいるガラクタ箱)を探るが、いい感じのものがない。
「んん? あれ、確か……」
「これですか?」
「いやこれはちょっと古いから……うまくいくかな」
試しにシリンダーの中に通して繋げてみるが、動きが少しぎこちない。油をさしてぐりぐりと回す。
「錆とりした方がいいかな」
「これブースター軽く回したら錆とりできませんか?」
「ネオ、あのねぇ」
まったく。
「天才?」
「それほどでも」
<あるメイド長の頭痛>
「こちらです」
「ああ、どうも」
応接間までお客人をご案内する間、私はちらりと後ろを盗み見る。
今まで旦那様がお呼びしたことがない方だった。服装もこのあたりでは見たことがない。身形としては小ざっぱりしているし元老院の方からの紹介でもあるから身元ははっきりしているのだろうが。
「どうかいたしましたか?」
「! い、いえ……失礼致しました」
こちらが盗み見ていたことに気づいたらしい。それでも柔和な笑みを崩さない。
その物腰が何故か、すごく恐ろしい。下心を感じるというより、心を感じさせないのだ。
「不思議なお屋敷ですね。後から石造りを付け足したような」
「……ええ、主の先妻様が特別に作らせた部屋があるので」
「なるほど。特別な部屋ですか」
何を探っているのか、視線がコロコロと動く。奥様が作らせた研究室に興味があるのか、そちらを重点的にみている。
別段金目の物があるというわけでもないはずだし、今やあそこは坊ちゃまとネオの遊び場だ。貴族様が何か気にするようなものはないはずだが。
「あの――」
ついその視線を不快に感じてお客人に声をかけようとして。
ドーン! と目の前のドアが吹き飛んだ。
「…………」
「おや……」
そしてもくもくと煙が中から出てきて、ゲホゲホとせき込む二人の子供が出てきた。
「まさかブースターが爆発するなんて……」
「シリンダーの回転が止まって内圧が……」
あ、と二人が声を出して私とお客人を見る。
「る、ルアーナさんこれは……」
「あ、あの……いらっしゃいませ」
……いつもならここでネオの頭を掴んで高振動を流し込むところだが、そういうわけにも行かず。
それよりも、お客人の反応が気になった。
「君がアトラさんの息子だね?」
「アト……は、はい。アトラは僕の母です」
「はは、そう畏まらないでいいよ。僕は昔アトラさんにお世話になってね」
「そうなんですか?」
「ああ。息子さんの話も聞いているよ」
「…………」
奥様がレイライン卿に嫁いでからずっと私はここに務めている。だが彼がこの屋敷にきたことはないはずだ。
坊ちゃまが生まれてからというならさらに繋がりはない……はず。時折奥様が屋敷を抜け出していたことはあったが、その時にあったということなのか? しかし、あの時は――……。
「そろー……」
「ところで、ネオ」
「ひっ」
「貴女どこへ行こうというの? 主をおいて」
「うににににに」
とにかく近くの窓を開けるように指示を出して、応接間にお客人を向かわせる。
きっと主にも今の音は聞こえている。事情を説明すればまた小言を言われるだろう。軽く頭痛がするようだった。
<4>
「んー……」
「ネオ、足当たってる」
「だってー、暇なんですー」
僕のベッドに寝転がりながら足をパタパタさせているネオに、その先に僕の背中があると抗議すると、ネオは余計にゲシゲシと僕の背中に足を押し付けてくる。
研究室でブースターを爆発させた後、ルアーナに部屋でじっとしているように言われた僕らは寝室に引っ込んでいた。まぁ、僕らが悪いとは思う。今頃ルアーナは父に小言を言われているだろうし。
「ネオも本読む?」
「この部屋の本大体読んじゃいましたし~」
「んー」
ネオは意外にも本も好きだ。と、いうより僕が持っている本がネオの琴線に触れたというか。魔導機術に関する本とそれが活躍する戯曲ばかり集めていた。ネオはあまり長く眠ったりしないし、僕の護衛という側面もあるので夜中の僕が寝ている間の暇つぶしに読んでいるらしい。今日の外出でも、僕は魔動機を見に行きたかったが、ネオは本を買おうとしていた。おかげで僕が戯曲を読んでいると隣でネタバレをしてくるので僕も戯曲関連は読まなくなった。一回怒るべきかもしれない。
ぺし、ぺっぺし、と背中をリズミカルにたたき始めたネオに、何かしてあげたほうがいいか、と考え始める。
そこでふと机の上に置かれたペンに目が入った。
「ネオ」
「はいー?」
気の抜けた返事をするネオがこちらへ目を向けたところで手招きをする。ネオはなんだか気だるげだったが、僕がニコニコしていたからかふらふらと寄ってきた。
そこで紙を取り出して、さらさらと上に文字を書く。
『無敵ロボ』
「?」
「設計図書かない?」
そこでネオは一瞬驚いたようだったが、すぐにキラキラと目を輝かせていた。
最初、本当に最初の話。ネオが生まれたときのことだ。
フォグが今借りているアトリエがあるのだが、僕がそこを訪れた時、偶然にもフォグがどこからか拾ってきたジェネレータ……つまりルーンフォークを作り出す機械が起動していた。フォグは自分の身の回りの世話をする人を欲していたらしい。
そして、彼女は僕の目の前で生まれた。
僕は目の前に現れた機械と人体が融合したような姿を見て、感激で多くのことをしゃべり、そして彼女は無機質に答えを返した。
『君にそんな情熱があるとはね、びっくりしたよ』
と、後にフォグは言った。
『でもね、なんで君が名を付けちゃったんだい? ん? おかげでネオは僕より君に懐いているし、君のお世話がしたいとか言い出すし』
すごい怒っていたけど。
その時に僕はネオに求めたのだ。
変形も合体もできない、と語るまだここまで感情豊かではなかったネオに、じゃあできるようになってと。
『無敵ロボ』になってと。
「まずネオが中央にいる。それで、バイクがこう変形するでしょ……」
「私なんか棒人間みたいですね。何メートルなんですか」
「そりゃ、大きければ大きいほどいいよ」
「ひゃー」
二人で出したいろいろな設定を実現できそうな架空のパーツが余白を埋め尽くした頃、気が付くと日は傾き始めていた。
なんだかネオは終始顔を赤くしたり青くしたり怒ったり驚いたりしながら体をくねくねしていたけど、いい暇つぶしになったのではないだろうか。
<ある主人の困惑>
「……よくわかりませんな」
客人にこんなことを言うのは失礼に当たりそうだが、正直客人が何を求めているのかまるで分からなかった。
「そうですか?」
客人は飄々と答えると、カップから口を放し、それをソーサーに置いた。
その所作には何ら不自然さはなく、当然だが音など立てることもなかった。
この男はとある元老からの紹介で知り合い、今日初めて家に呼んだ。しかし、どういうわけかこの男は今になってアトラ……つまり私の前妻の名を出した。そして、奇妙な提案をしてきたのだ。
自分を息子、つまりガルネイトの家庭教師として雇わないかというのだ。
「別に法外な賃金を要求する気はありませんよ? 無給でも構いません」
「………」
話が旨すぎる。というより、この男の目的が読めなかった。
元老院の老人からの紹介で仕事を与えるということは実質元老院との繋がりもできるということだ。
恥ずべきことかもしれないが、レイライン家は実際のところ落ち目だ。アトラが死んでからアトラの実家との繋がりも薄くなり、後妻との間にも子宝に恵まれていない現状、レイライン家は実質孤立無援、政に関わる立場からは大きく離れてしまっていた。そこにそのような繋がりができるのは決して悪いことではない。家のことを思えば、受けない理由は何もなかった。
しかし、引っかかる。この男はそれで何を求めるというのだろうか。
「彼には先ほどお会いしましたが聡明そうではありましたが貴族としての振舞いに関してはもう少しというところでしょう?」
痛いところをつく。ガルネイトはどうにもそういう所作がぎこちない。あのフォグとかいう男を雇う前よりは幾分まともになったように感じるが、伝統あるレイライン家の跡継ぎとして求められるラインには到底及んでいない。
「………」
何故、アトラの名を出す。アトラと私の不仲など、それこそアトラの知り合いであれば知っていて当然だろう。
私に対してアトラの名前を出すこと自体、地雷をつつくような行動ではないのか。
あるいは、アトラと知り合いというのは虚言で、実際には我が家にある何かを狙っているのか。
そこまで思い、しかし正直に言えば我が家にそれほどの物品が眠っているなどということはない。ガルネイトを通してアトラの実家とのコネクションを得たいとしても、あちらも魔動機文明以降代を重ねるごとに領地を失っている貧乏貴族には違いがない。確かに当時に大きな功績があったとは聞いているが、もし何かしら彼らが受け継いでいたとしても、一人娘のアトラを失ってからその勢力は目減りが激しく、もはや我が家のほうがマシと思えるほどの落ちぶれ方だった。取り入るというなら、あちらのほうが遥かに容易いだろう。
分からん。この男に目的などないのか? しかしフェンディルの出ではないにしても身形はそれなりの貴人であることは明白だった。
私はしばらく思案した後、深く深く溜息をついた。
「実はガルネイトには既に家庭教師をつけておりましてな。働き口なら別の家を紹介いたしましょう」
「………」
客人は断られると思っていなかったのか、少し目を見開いていた。
「……それは残念です。よいご縁だと思ったのですが」
客人はそれ以上に語ることがないと言いたげに席を立ち、さっさと帰ってしまった。そして私はまた溜息をついた。
……腹立たしいことだが、あのフォグという女好きは私の息子の家庭教師を申し出た時、別の元老の若いころのスキャンダルを持って私の元を訪れた。法外な賃金を受け取って自分が作ったルーンフォークを雇わせたり用事もないのにルアーナの寝室に忍び込んだり好き勝手にやっているあの男は、しかし当の昔にレイライン家再興の道しるべを私にもたらしている。
突然現れた出自不明の貴人という意味ではどちらも同じだったが、金に困っていてさらにルアーナを口説きにきたという欲望丸出しのあの男のほうが遥かに信用できる。もちろん気に食わないが、男としてそのような欲を持って生きることは理解に容易いし、あの男の周りを調査しても本当に女遊びしかしていないことが分かる。
損得でしかものを判断できない私であっても、信用できない男を身近に置くという危険は犯せなかった。
そしてそれ以上に、私はガルネイトにこの家を継がせる気はない。
「……アトラがなんというかは知らんがな」
あの女が機械いじりなど教えるから、と恨み言を言いたい気になるがもう死んでしまっていては詮無い。
貴族など面白みのない仕事なのだ。ガルネイトがそれを望まない限りは、私からそれを求めることはしないと決めていた。野心を持たずに家督のみをついでしまって没落していく貴族を何人も見てきた。ガルネイトにはそこまでの情熱は持てないだろう。幸い後妻は非常に強欲な女だ、彼女であればおそらくレイライン家を継ぐに足る野心を持った子供を育てるだろう。ガルネイトが望むのであれば技術者でも冒険者でも、好きなものになればいいと思っている。
そう、だからこれは優しさなどではない。そんな損得の関わらない感情など、当の昔に亡くしているのだ。
<5>
それは突然やってきた。
「………?」
夜、何故か鼻孔をくすぐる紅茶の匂いに目が覚めた。
「ネオ……?」
目をこすりながら体を起こすと、カーテンがひらひらと揺れ月明りが差し込んでいた。
一瞬ネオが本でも読みに来たのかと思ったが、ネオはルーンフォークであるため夜目が利く。僕の護衛も兼ねる彼女はいつも本を読むとき本だけ持って部屋を出て廊下にある椅子に座って読んでいる。朝早く起きるとだらしなく涎を垂らして寝ているのだ。何冊かそれでダメにしている。
ネオに月明りは必要ない。だからテラスにいるのは別の人だ。
「………」
「やあ」
テラスに出ると、昼間の客人がティーカップに紅茶を注いでいるところだった。
「おっと」
一瞬叫びそうになってしまったが、すっと口に手を当てられてしまった。
「驚かせてしまってすまないね、君にどうしても話したいことがあって。どうか少しの間話を聞いて頂けないかな?」
僕は頷いて、彼に促されるまま対面についた。
……情けない話だが、彼に勝てる気がしなかった。
僕の周りには何人か“強い”人たちがいる。ルアーナの謎の攻撃技術、ネオの足技、そしてフォグはあらゆる魔法に精通している。彼らが持っている気配のようなものを感じることがある。この人たちには逆立ちしたって勝てないであろうと実感する瞬間がある。
そして彼にも、それを感じていた。あるいは、それをわざと臭わせて僕が騒がないようにしたのか。
「昼間は驚いたよ、随分と危ない遊びをしているようだね」
「え、ええ……申し訳ありません」
「いやいいさ、僕も子供の頃そんな遊びばかりしていたよ」
彼はコロコロと笑って、紅茶を口にした。
「……君、魔導機術に興味があるのかい?」
「まぁ……少し」
「アトラの息子だね」
コロコロと笑う。
意外だ、と思う。昼間に会ったときは何か気を許せないような雰囲気を纏っていたけれど、実際に話してみると穏やかで慈しみすら感じる笑顔を見せてくる人だった。年の頃は父より一回りくらい年下であろうか。
「あまり君の睡眠時間を削るのもよくないね、単刀直入に言おう」
彼はころんとテーブルに何かを転がす。小さな宝石のような。
「マギスフィア……?」
見慣れたものだ。古びているが、それは魔導機師が使うマギスフィアだった。これを通して魔力を流して、魔導機師は魔導機術を使う。
「君、僕の弟子にならないかい?」
「え?」
「僕は今ロシレッタで魔動機師をやっている。結構大きな研究所を任されているんだよ」
降ってわいた話に、僕は言葉を失ってしまった。
「……えっと、突然すぎて」
「まぁ、無理もないね。だが、昼間も言ったろう? 僕は昔アトラに世話になったんだ」
青年はマギスフィアを操作してビジョンを映し出す。
そこには僕とそう変わらない年齢の少女が写っていた。
「分かるかい?」
「……母上?」
ぼんやりとだが面影がある。亡くなったのはかなり前だが、それでも母の顔を見間違えるわけがなかった。
「子供の頃のアトラさ。お転婆でね、僕は彼女にブースターを背負わされて遠くに飛ばされたものさ」
「………」
本当にお転婆でびっくりするし、なんだか背中がむずがゆくなる。覚えがありすぎる。
「そうだね……僕は彼女に恋をしていたんだよ」
「恋、ですか?」
「そう。でも僕の家はあまり評判がよろしくなくてね、彼女に見合う男になるためにいろいろしたんだが、間に合わなくて。僕がそれなりの地位につく前にレイライン卿の元に行ってしまったよ」
寂しそうに自嘲する彼には力がなかった。それほどまでに母に恋焦がれていたのだろうか。
「……アトラが忘れ形見を残して死んでしまったと聞いて正直動揺したよ。君がナイトメアであるがために実の父に邪見に扱われていることも知った」
彼は僕の額の髪をかき分けると、角を外気にさらした。
「些細なことのはずなんだよ、そんなこと。そんなことで自分の子供をゴミのように扱ってしまう人のもとに、アトラの忘れ形見を置いてはおけない。どうだろう」
僕の弟子にならないか? と彼が手を伸ばしていた。
優しく、慈しみを感じる瞳。僕の理想とする父の姿だった。そしてそれは、きっと実の父からは一度も向けられたことがない視線だった。
「ごめんなさい」
「………」
「それでも僕は父上のもとに居たいですし、なにより……」
本当に嫌になる。人の顔色ばかり窺ってしまう自分に。そして、それに気付いてしまう自分に。
「……あなたは嘘は言ってないけれど、本当のことも言ってないですよね? 母上のことが好きだったのは本当かもしれないですけど、僕のことは別に気にしてないと思います」
「いやそんなことは」
「じゃあ、僕の名前が分かりますか?」
「………」
彼は黙り込んだ。わかりやすい。自分の思い通りにならないと黙り込んで考えてしまうのが彼の癖なのだろう。別に僕の名前を知っている客人はそれなりにいる。フォグはまぁ僕の名前を今でも覚えているか分からないけれど、父に取り入ろうとする人は僕の名前を呼んでなれなれしくしてくることだってあった。
そんな僕の名前すら分からないぐらい、僕はオマケだった。
「……まいったね。親子そろって強情で、間抜けだ」
「すいません」
「いや、いいよ」
穏やかな顔をしているが、スイッチが変わったのが分かる。あるいは、最後のたがが外れたのかもしれない。
それと同時に何か紅茶以外の臭いが鼻についた。
何か、“焦げ”臭い。
「これくらい聞いていいかな?」
「……なんでしょう」
僕が席を立ち、部屋の中に歩き始めると、彼は僕の背中に問いかける。
「アトラが死ぬ直前に、君に何を言ったか」
「………」
「やはりそうか。息子に託したんだね」
彼の声色に喜色が滲む。
目的がようやくわかった。母の最期の言葉。大人になって、腕のたって信頼できる人とともに訪れてくれと託したもの。
「太陽の巨人計画。あるいはアームドイフリートか。その研究データを彼女が握っていたはずだ」
「知りません」
「おやそうか」
とにかく誰かを呼ぼう。ドアの向こうにネオはいるだろうか。彼はもう話し合いなどしてくれるはずがない。
僕は速足になってドアに飛びつく。
「――君も失ってみるといい。きっと僕の気持ちがわかるだろうから」
「ネオ……?」
ネオが何故か僕の部屋の正面で椅子に座っていた。薄暗いはずの屋敷の廊下にあって、その姿がスポットライトに当たったみたいに浮き上がっている。
辺りはまぶしいほどの灯りがあった。
炎だ。炎が屋敷の廊下を覆っていて、しかし僕の部屋の周りにだけその炎が至っていない。
そして、そして。
「ネオオオオオオ!?」
炎に照らされた彼女の胸の中心に、取返しがつかないほど大きな穴が開いていた。
<ある専属メイドの最期>
「ほえ~……」
大きなあくびが出てしまう。
静かな夜だ。ネイ様が寝てしまってからやることもなくて数回読み返した戯曲をまた読み返している。
『霧の王』、なんだか妙に超常じみた男と村で蔑まれていた女の子を助ける話だ。女の子は蛮族へ生け贄に捧げられるはずだったのに、男が惚れてしまったので一緒に逃げるという。男は手を変え品を変え女の子を守り、最後にお約束で女の子は某国のお姫様の血筋だったのです。そして男と女はその国に戻って幸せにくらしましたとさ、めでたしめでたし。
恋愛ものはどこが面白いのかまったくわからないのだけど、この話は男が魔法以外にも魔導機を使ったりもするから面白い。何故かこれを読んでいるとフォグの顔がちらつくが。たぶん男がフォグみたいな口調のせいだろう。
「………まぁ」
ネイ様が望むなら、一緒に逃げてやらんこともない。
ネイ様は父親に関わるとすごく臆病で足を止めてしまう悪癖がある。拒絶されたらどうしようと思って手が震えて教えてもらったことがうまくできない。父親だって自分の子供にそんなに怯えられたら席を立っても仕方ないと思う。お互いがお互いを思ってすれ違ってしまうとこはまさしく親子ってことなんだろう。私はルーンフォークで親はいないけど。
……いやあの人は親じゃないから。あんな節操なしが親だなんて認められるか。
「………」
スカートのポケットに入れた『設計図』を指先でなぞる。
やりたいことが他にあるなら、そっちに走ってもいいと思う。ネイ様は視野が狭いからそんなに多くのことを上手くできないだろう。貴族をやりながら魔動機師になんてなれないと思う。旦那様が親をやりながら貴族ができないように。だから、もしネイ様が機械いじりが好きなら、幸いあの甲斐性なしにはそのスキルもあるわけだしあれに着いていったっていいと思う。
そしたらネイ様を連れて、今まで見たことない、世界の隅々まで見に行こう。
そしていつか、こんな夢物語を現実にできる人になってくれればいい。ネイ様にできなくても、ネイ様の次の人ができるようになる手伝いができればいい。その結果なんて、そこにいる人たちに任せてしまえばいいさ。
「なーんて」
「――子供同士かと思ったら、なかなか乙女の顔をする」
ずぶん。
淡い独白に差し込まれた横やりが胸を貫いた。
「私が手に入れられなかったものがここにあって、あの男の子供が手にするなど許せるはずがない」
声が出なかった。空間がゆらりと揺れて、男が現れる。
昼間の客人だ。どうやったのだろう、本当に近づくまで気配も音もしなかった。
男の指がゆっくり私の胸から抜き取られる。そこにはだらりと赤黒い血がまとわりついていた。
――暗転。
<6>
「どうだい? 僕の絶望が分かったかな?」
男の高笑いが耳障りだった。胸を貫かれたみたいに呼吸ができない。浅い息を吐いてネオに駆け寄り、その細い体を抱きとめる。
冷たい。こんなにも周りが炎に包まれているのに、何故か彼女だけは不自然なほど冷たかった。
「どうした? もっと泣き叫んでくれよ、そういう場面だろう」
「なんでこんな」
「なんでって……」
男を睨みつけたが、男はニヤニヤ笑っていたのに突然はたとやめて
「……なんでだっけ?」
「……!?」
「別に彼女を殺す必要はなかったな。生かしておいて君との交渉に使うべきだった。反省するよ」
男は手を振るう。
すると火の勢いが強くなり、じりじりと近づいてきた。
「ついカッとなってしまったんだ、許してくれ。結果としては変わらないが、まぁ、はずみだな」
「はずみ……」
「どうでもいいんだそういうことは。君は私にアームドイフリートの研究データの在り処を教えてくれればいい。そうだな、そしたら君を生かして逃がしてやってもいいぞ?」
嘘だとすぐに分かる。もう何も隠していなかった。攻撃的な笑みをこちらに向けたまま、ゆっくりと歩いてくる。
燃えていないのはそちらだけ。だが、絶対にそっちには逃げられない。だってあの人はそのためにこの部屋だけを燃やさなかったのだから。
「……ぎぃ!!」
「ほぉ?」
奥歯を折れるほど噛みしめて全身に血を巡らせる。
肌は青白く、角は大きく肥大化する。ナイトメアが持つ異能の姿だ。
「ああ、それが噂に聞く≪異貌≫というやつか。はは、聞きしに勝る醜さだ」
「なんとでも言って!」
ネオを抱えたまま全力で火の中に飛び込む。ちりちりと肌が焦げる感触がしたが、なんとか抜けた。
思った通りだ。操っている炎はあいつの周りだけ。他はただの炎だ。
火の勢いは強いが、これなら逃げられる!
「まぁ、逃がしたら間抜けがすぎると思わないかい? ≪グルーボム≫」
「!」
すっと炎が左右に開いて、男が現れると同時に足元に衝撃が走る。
「トリモチみたいなものだよ。知ってるかい?」
足裏が床に接着される。大した粘着力じゃないが足止めには十分だ。男は一瞬の間に距離を詰め、抜き手を構えていた。
「君が死んでしまうと大変だから手足ぐらい落として行くけどいいかな?」
「いいわけ! ない!」
「おっ?」
男の抜き手が僕の体に突き刺さる、ように見えた。
僕の実際の体はわずかにずれた場所にある。
その隙にグルーボムで抑えられた足を無理やりはがして距離を取る。
「……シャドウボディ? 君マギスフィア持ってたのかい?」
男が小首をかしげる間に、とにかく走り出す。
ネオの腰にあるマギスフィアが炎に照らされちらちらと光る。
当たり前だけど寝るときまでマギスフィアを持ってたりはしない。ただ単に、ネオが持っていただけだ。ネオは護衛としてあそこに居たのだから、その程度の武装はしている。そしてこの姿になると魔法を発声なく使えるという利点がある。
≪シャドウボディ≫は自身の姿をブレさせる魔法だ。使われると思っていないというのは、この一瞬を争う攻防ではかなりの利点になったらしい。
そのまま階段に向かって飛び降りた。
とにかく外へ出る。下の方が火は強いと思うが、おそらく僕の部屋の真下はまだ燃えてない。テラスで男と会話しているとき、火のちらつきが見えたりとか強い臭いがしたりとかはなかったのだから。あの男が火を操るとしても、光や臭いまで完璧に抑えることなんてできないだろう。
外へ出さえすれば解決する。ネオは確かに今死んでしまっているが、ルーンフォークの肉体は決して腐敗しない。高位の操霊術師ならば後遺症なく生き返らせることができるという。
記憶を一年失うという代償があるが。
「それでも」
きっとこの子となら何度でも仲良くなれると信じている。
<とある追跡者のぼやき>
「ああ、真下か」
<7>
バチバチバチ!
稲光が弾けるように急激に天井が焼け崩れると、男がスタンと瓦礫の上に降り立った。
「こっちからなら出られるとでも?」
「う、っ!」
踵を返し来た道を戻ろうとするが、階段は焼け落ちて崩れ始めていた。
男のいるほうの反対側は激しく燃え上がっている。それでも行くしかなかった。
「……殺してしまう気はなかったんだけどね」
男がそんな風に独り言ちたことを後ろに聞こえた。
確かにこれは失敗だったと思わざるを得ない。
こちらは火の勢いが強く、窓がない。家の中央に向かう廊下だからだ。足裏をちりちりと焦がしながら進むが、それも数メートルで限界がきた。火の強さは問題としては大きくない。それよりも空気が足りないのだ。そして、この先へ行っても出口に着きはしないという事実が体を蝕んでいった。
どうしたらいいか分からない。
「っ!」
ノッカーボムを作り出し、適当な壁に投げた。しかし威力が足りない、壁は崩れることはなく、むしろ火の勢いはどんどんと強くなっていく。
……あ。
<とある追跡者の思い直し>
「死体が消失さえしなければ聞き出すことくらい可能か。回収しよう」
<8>
とにかく前に進む。もう足取りはふらふらと向かうしかない。
「おや、まだ動いていたか」
「………」
男は追うことをやめたのかゆっくりとした足取りで僕に笑いかけにきた。
「諦めるなら助けてあげてもいいよ」
「………」
無視する。男がもし力尽くで僕を回収しようと思えばもうできるだろう。
楽しんでいるのだ。この状況を。僕が諦め、足を止め、自分に助けを乞うように。
きっと助けてくれるのだろう、この状況から。
しかしその後はきっと地獄だ。
だから目の前の地獄に挑むのか?
ああ、挑むのだ。あともう少しなのだから。
「おや………?」
僕が振り返ると、男は一瞬にやりと笑ったが、きょとんとした。
僕が笑ったからだろう。
さあ、吠え面かきやがれ。
<とある追跡者の驚嘆>
「ノッカーボム? 壁を破れるほどの威力が?」
<9>
転がり込むように破った壁の向こうに飛び入る。
「かっ……はぁ」
わずかだが、ここには空気があった。ようやく息を吸う。
石造りの廊下、つまり母上が増築させた部分に入った。
少し前僕がブースターをつけてぶち抜いてしまった壁は、防犯の関係で外側の壁はしっかりと直したようだが中側は急増で客人に見える部分だけ直していたため中身はすかすかだった。
おかげで低威力の爆発でもあの壁だけは破れた。父の見栄っ張りな部分に感謝しなければならない。
出口側はもう燃えてしまっている。だがあの部屋の前にある大窓はまだ無事のはずだ。
よろよろと立ち上がり、大窓へ向かう。
そしてそこへ手を伸ばして。
<とある追跡者の詠唱>
「『ファイアポート』」
<10>
「う、あ!?」
「捕まえた」
大窓が突然開いて、男の手が僕の手を掴んだ。
どうやった!? なんで先回りできたんだ!? そんな思考すら無意味だ。捕まってしまえば、僕の力で大人の男に敵うわけがなかった。
ぐい、と腕を引っ張られたことで、抱えたままのネオが振り落とされてしまう。彼女は力なく床に倒れてしまった。
「おやすまないね、後生大事に抱えていた死体を落としてしまったかな?」
「うっぐ……」
「はっはっは、なかなか楽しい鬼ごっこだったよ。けどこれで勝ちかな? それともまだ何か秘策があるかい!」
窓の桟に足をかけ精一杯踏ん張るが、男の力は果てしなく強い。おそらくはまだ全力ですらない。
「……母なら」
「? なにかな?」
「母なら、傍にいてほしいならそういうはずだ」
最後の抵抗だ。
「……なに?」
「母は相手が何であるかなんて気にしない。家の評判が悪かったとか、ふさわしい男とか、そんなことを、母は気にしたりしない」
そうだ、母は自分を傷付け、家名を汚し、父と不仲になる原因となった僕を、それでも愛してくれた。
「……アトラが気にしなくても、彼女の親や周りが――」
「そんなもの! 母は黙らせる!」
そうだ、覚えている。母は気に入らなければ大声で怒鳴って父すら説き伏せてしまう人間だった。褒められたものではないかもしれないが、母はそういう強い人間だった。気に入らないことがあればしっかりと声に出して言ってしまう、そんなネオやフォグのような人だったはずだ。
「だから――!」
残る全力を持って力を籠め、思いっきり引っ張って。
そして、言ってやった。
「別にアンタのことなんて好きじゃなかったんだろ!?」
「―――」
男の髪がぶわりと湧き上がり、今までの比ではない力をもって僕の体を引っ張り上げた。
ここだ。僕は踏ん張っていた窓の桟から足を外し。
つんのめった男は体制を崩し。
そして僕は足を延ばし、腕の力でさらに加速をつけて。
そう、どんな“強い”人でも鍛えられない。――男ならば!
「ごああああ!?」
僕の足はキレイに、鋭く、究極に。
男の股間にトゥーキックを叩き込んだのだ。
<とある追跡者の激怒>
殺してやる。
絶対に殺してやる。
「……まだ動くんですか」
殺してやる。あのクズのガキは殺してやる。呆れたように私をみて殺してやる。殺してやる。
グラグラと揺れながら殺してやるは、窓から中に殺してやった。
馬鹿が、わざわざ殺しやるに戻るなんて!
殺してやるを追って殺してやる。あの殺してやるのルーンフォークを引きずって隣の部屋へ殺してやった。
袋のネズミだ。殺してやって殺してやる。できるだけ惨たらしく殺してやる。
もうあの方も関係ない。殺してやるのだ、あのクズのガキを!
「バカだなぁ……」
殺してやるを追い詰めたところで、殺してやるの憎たらしい声が殺してやった。
「わざわざ追いかけてくるなんて。勝算もなく袋小路に戻るわけないでしょ」
魔導バイク。殺してやるが魔導バイクに跨っていた。
「回らないのはしょうがないから、刺突力だけでいくよ。推力の方は……まぁ、折り紙付きだね」
まるで彗星のように。
ガキから放たれたその巨大な弾丸は。
私の腹部をふかぶかと貫き。
太陽のごとく輝きを掲げ。
私の肉体をバラバラに引き裂いた。
<11>
突進力、刺突力、推力は予想通り。しかしながら予想してなかったことが二つ。
「まいったなぁ」
一つ。予想を上回る爆発力が、あの男だけでなく屋敷を貫き、火災で脆くなっていたそれを崩してしまった。
結果として。
唯一の出入り口が瓦礫でふさがれてしまった。
もう一つ。この炎は特別製のようだ。まるで隙間から入り込むように、この石造りの研究室すら燃え始めていた。
こうなってしまってはここはピザ窯のようなものだ。僕らはここで蒸し焼きになるしかないらしい。
今からこのピザ窯から脱出する術は思いつかないし、もう頭も回らないくらい煙に巻かれてしまった。全力で壁を何かで殴ったところで、脱出までの時間なんてあるわけない。
たくさんのガラクタが放り込まれた素材箱をひっくり返して、そこにネオを寝かせた。
この素材箱はもともと母がアームドイフリートの研究データを保管していた大型マギスフィアを収納していた箱だ。母がこの家に嫁ぐときに持ってきたもので、あの『大破局』の戦火の中でも中のものを守ったという代物だ。もしかしたらこの炎にも耐えられるかもしれない。
やはりというかなんというか、いくらネオが小さいといっても足がはみ出している。
本当に申し訳ないのだが、メイド服はもうボロボロな状態で足をあげているのでかなりあられもない恰好だった。助かったときにいろんな人に見られちゃうなぁと思いながらも、自分も大概だったので何かかけてあげることもできない。
「?」
ネオのボロボロのスカートのポケットから何かがはみ出していた。
「あー……」
あの『設計図』だ。無敵ロボ、ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロングの設計図。
こんな呪いをこの子に残していいのかと自問する。が、すぐに頭を振る。
これはネオと僕が作った設計図だ。僕一人の判断で燃やしていいものではない。
……ないが、一つだけ。僕の案にネオが恥ずかしがって嫌がった項目を書き加えておく。
『胸から出るビーム、ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲!!』
これで思い残すことはないか。
……無数にある。それでも叶わないと分かっているのだから、腹を決めなきゃ。
鋸を取り出した。
喉はカラカラなのに、涙がぼろぼろと流れた。
本当は死にたくないし、一緒にもっといろんなところに行きたかった。
いろんな生き物をみたかったし、いろんな魔導機をみたかったし、いろんな景色を見たかった。
いろんな人と知り合いたかったし、フォグがいう大人の世界も見てみたかった。
無敵ロボの完成を一緒に喜びたかった。
それでも。
それでもと。
ただ、生きてほしいと。
僕は彼女の足を切り落とした。
<ある女好きの帰還>
「一体なんだったんだ、あの子は?」
一夜して、僕は再びフェンディルの地を踏んでいた。
もう少し長旅になるはずだったのだが、何故か『問題が解決した』と突然彼女が言い残し途中で降り、僕は再びフェンディルに戻ることとなった。急ぎの使者だった訳だし、何かしらの通信手段をもっていたのかもしれないが、本当に唐突だった。
「なんか騒がしいね、どうしたんだい?」
がやがやと噂話をしているマダムたちに話しかける。そんな間にも後ろを男たちがバタバタと走り去っていった。
「あら、知らないの? 今その話題で持ち切りよ?」
「へぇ? 元老のおいぼれでも死んだかい?」
昔は僕に並ぶ豪傑だったが、最近はめっきり孫可愛がりの好々爺になってしまったかつての戦友を思い浮べて冗談を飛ばしたが、彼女たちが言ったことはもっと深刻だった。
「レイライン卿の邸宅が全焼ですって。何人か今も見つかってないそうよ?」
<あるメイド長の狼狽>
「見つかった!?」
「い、いえ……町中探しましたがどこにも……」
「とにかく見つかるまで探して! ナイトメアの男の子とルーンフォークの女の子、目立つし見つけやすいはずよ!」
「あの、ルアーナさん……」
「やめて! 聞きたくない! とにかく探して!」
「……旦那さまから、連れてくるようにと申し付かっております」
<ある主人の慟哭>
「……やあ」
「……ああ、フォグ・レオ。用事は済んだのか」
「まぁ、ね」
救い上げた灰を木箱にしまうと、レオに向かって相対する。
「君なら彼女を救えるだろう、どうだ?」
視線を傍らの大きな鋼鉄の箱の中に移すと、そこには女の子が一人、眠っていた。
彼女はネオという。ガルネイトの専属メイドとしてこのレオに押し付けられたルーンフォークだ。
何があったかは想像がつかない。彼女の胸には大きな穴が空いていて、両足が何者かに切り落とされていた。
この箱には見覚えがある。アトラが持ち込んだ嫁入り道具の一つだ。中に何が入っていたかは分からないが、最近はガルネイトのおもちゃ箱になっていたはずだ。そして、ここはアトラの研究室があった場所。ここで何が起きたかはわからない。石造りの壁が燃え尽きるような火災の中で何が起きたかなど私にはわからない。
それでも、彼女を誰がここに入れたかは分かる。
「……ああ、ネオは助かるよ。記憶は一年程度なくなってしまうだろうけど、ルーンフォークはアンデットにはならないから」
「そうか」
「………」
「ああ、これか」
木箱の中に入っている灰に視線を落とす。
その灰の上には、小さな突起がついた骨が転がっている。
「発見された遺体は彼女を除くと一人だけ。瓦礫に埋もれていた誰か分からないバラバラの死体だけだ」
「その灰は」
「ああ、ガルネイトだ」
無駄に髪を伸ばして隠そうとしていた角だが、こうなってしまっては隠しようがない。
「この箱の上に積もっていた瓦礫をどかしたとき、覆いかぶさるように灰が積もっていた。骨らしきものはこれだけだ」
まるで箱を火から守るように。
力が入らない。今にも倒れそうだった。
それでいて握りこぶしは皮膚を突き破らんほどに結んでいた。
「レオ、ここは任せる。もうすぐルアーナがここにくる、事情を説明してくれ」
「分かった」
いつも生意気にあーでもないこーでもないというあの男が、何故かこの時だけは素直にこちらのいうことを聞いてくれた。
それが彼なりの気遣いであることは、すぐには分からなかった。
<とある元専属メイドの目覚め>
「む?」
何故かフォグのアトリエで目が覚めた。
――――――――
昨日は、――(きのう)は――≪No Data≫――きのう――≪Back≫――≪No Data≫――昨日(きのう)、は――≪Back≫…
――――――――
昨日は、どこで寝たっけ? でもいつもならネイ様の部屋の前で寝てるのに、なんで突然フォグの家?
まさか寝てる間に拉致された? いやあの野郎ぶっ飛ばすぞ。
なんて息巻いていたら、フォグが私の枕元で眠っていた。手には何か紙切れを握っている。
……なんだろう? 落書きのようだ。字は……ネイ様のものだろうか。
一体なんなんだ、この状況。ネイ様やルアーナは知ってるのか? この馬鹿の暴走はもう目に余る。いい加減思いっきり懲らしめてやらないと。
「フォグ、起きろー!」
と叫んで、いつものようにフォグを蹴りつけようとした。
最終更新:2022年11月23日 01:30