吠え猛る竜の群れが、数刻前まで自分たちが居た研究所を焼き尽くしていた。
空気を震わせるいななきは、言葉の通じない幻獣からハッキリと怒りの感情を伝えてくる。
けたたましい警報と共に襲来した彼らが何に怒っているのかまでは、まだわからない。
「こっちだ!」
飛空艇の発着場を駆ける。竜達が襲っているのは研究施設で、幸いにしてこちらに意識を向ける様子はない。
まだ動かせそうな小型の飛空艇も何隻かある。後部座席に荷物を放り込み、離陸に備えた。
「武器とアンプルはあるか、マスター?」
「あるだけ持ってきた!掴まってろ!」
手早くドアを閉めて操縦桿が引かれると、一度大きく揺れた後に飛空艇は空へとゆっくり浮かび上がる。
自分が生きていた時代には考えられない乗り物、乗るのは初めてではないが浮遊感には未だに慣れない。内蔵がゆっくりとシェイクされ、ほんのり吐き気が込み上がってくる気がする。
まがりなりにもかつては蛮族の一隊を率いた将が乗り物酔いか。そう自嘲しているうちに、飛空艇は飛び交う竜と同じ高さまで浮かび上がっている。
飛空艇はそれなりに大きな音を立てている。竜がこちらに気を向ける気配がしたが、かといってこれ以外に燃え盛る研究施設から離脱出来る方法は無かった。
口元から残り火を漏らす一体の竜と目が合う。
ひどく長く感じる一瞬の視線の交錯ののち、けれども竜はその口元の火を収め、代わりに何か声を――吠えるのではなく、語りかけるように――発した。
「……目を覚ます?なんだって?」
「マスター、どうした。敵ではないのか?」
操縦席へ訝しむ視線を送ると同時に、竜は我々から顔を背けて再び真下の研究施設へと目を向けた。
我に返って慌てた手付きで操縦桿が引かれ、飛空艇は急加速する。
研究施設を離れ、竜の群れも小さく見えるようになってから、ようやくマスター・ショーンは深い深い溜息を漏らした。
「おい、ナー」
「どうした?さっきから様子がおかしかったが」
「お前、『然るべき時に目を覚ます』ってどういう事だかわかるか?」
まるで要領を得ない質問に、沈黙以外の何も返す事は出来なかった。
目を覚ますというのであれば自分は砂漠の地層から掘り起こされて目を覚ました存在で、然るべき時というのはそれこそわけがわからない。
マスター・ショーンも同様に首を傾げながら飛空艇を操縦していたが、しばらくしてぼそりと呟くように独り言ちた。
「あの竜がな、私に言っていたんだ。なぜか理解出来た。竜語なんて覚えたはずもないのに」
飛空艇は海を越え、山を挟んだ反対側の地方へと向かっていく……。
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「……で?お前さんがそんな夢を見てて寝坊したもんだから、今日の朝食はワシが用意する羽目になった、と?」
「そうだ」
「ふざけんじゃないわい!ワシゃ料理なんぞ出来ないからお前さんをここに置いてるんだと言うに!」
「掃除と洗濯も出来ないだろう。借金があるから買い物もだな」
「うるさぁい!」
博士が叫び、唾と同時にスープに混ざっていたボルトが飛んだ。サッと皿を引き、自分のところにそれが入るのは回避する。
四苦八苦しながら博士が作った機械油のスープは既に如何ともし難い色をしていたが、それでも唾液と金属片の混入は避けたかった。
博士――発明家ショーン・ベイは油分の浮いたスープを勢いよく口の中に流し込み、テーブルを叩くようにして立ち上がり、薄くなった白髪頭を揺らしながら黄ばんだ白衣に袖を通す。
「今手掛けている発明が完成すれば、協会から多額の報酬が入るのは間違いないんじゃ」
少しだけ引き締まった表情で博士は語る。
修繕したドゥームに飛行機能と潜水機能、更に映像記録機構と耕作用の動作パターンを組み込み、おまけにバリアを張りながら天気予報も出せて、匠の遊び心として万が一の際の自爆装置も完備。
そんな魔導機が完成すれば、マギテック協会の人間はひれ伏しながら二十万ガメルはポンと出すだろう……とまで早口にまくし立て、高笑いを堪えきれなくなった博士が上機嫌に笑い始めるのを見届けたところで席を立った。そろそろ洗い物を済ませて家事に取り掛からねばならない。
博士は基本的に下品で大雑把でどうしようもなく、加えて致命的にセンスが無い。
しばらくは魔導機修理の内職で糊口をしのぐ日々が続きそうだと考え、溜め息をついたところで博士は笑い終えてこちらに向き直った。
「それで、シャーバオラ。お前さんの今日の予定は?」
「午前中に掃除と洗濯。午後は修理依頼を済ませたら夕食の準備。博士の手伝いは必要か?」
「いや、いい」
それでも、この工房もどきのあばら家での生活は平和で明るいものだとは思う。
少なくともあのような凄惨な夢を見る理由が思い当たらないほどには。
「出来れば晩飯は根菜のシチューにしてくれ。一日一度はまともな物を食べたいんじゃ」
「了解、マイマスター」
それに、どれだけセンスがなくて下品だとしても、博士が自分にシャーバオラという名前と居場所をくれた事には変わりはないのだ。
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山を越えた飛空艇はレーゼルドーンの南西へと降り立った。蛮族掃討が進んだこの時代においても、未だ人の手が充分に及んでいるとはいえない地域。
だが、それは研究所から万が一追手が来たとしてもおいそれとは見つからない事と同義でもあった。
竜の言葉という謎はあったにしても、今の自分たちにはそれを確かめに研究所に戻るような選択肢はもとより無い。
操縦桿から手を離したマスター・ショーンは、深く溜め息をついて後部座席の輸送バッグを漁った。
「貴重な一本だ。手早く済ませるぞ」
取り出したのは赤い液体の入ったアンプルだ。蛮族の食人衝動を抑える。
人造蛮族とも言えるタロスの自分にとってはこのアンプルは必要なものだった。人里に潜り込むにも、マスターと共にいるためにも。
二の腕に手慣れた手付きで注射を済ませ、若干の目眩が襲ってきた後には守りの剣特有の不快感は落ち着いている。
飛空艇を降り、やや離れたところに見える海岸の街へと歩き出す。見慣れない飛空艇の着陸は確認されているはずだが、説明とごまかしは上手くマスターがやってくれる事だろう。不必要な警戒を招かないためにも武器はロックをかけて置いていく。
「マスター、俺たちはこれからここで生きていくのか?」
「少なくともしばらくは、な。不安か?」
「研究所のような生産設備を作るのは難しいだろう。アンプルはどうする?」
「それは……」
続く言葉が発せられる前に、街からやってきた警備兵の手にする魔導灯が我々を照らした。
敵意が無い事を示すために二人で両手を上げ、こちらを訝しむ警備兵に意識を向ける。何はなくとも“蛮族”はここでは生きていけないだろう。アンプルが効いている間は少なくとも人族である必要はあった。
「そこで止まってくれ。二人か?」
警戒を露わにする年老いた警備兵に、マスターはつらつらと嘘を並び立てる。
魔導器部品の運送業をやっていたが、運送先で着陸前に飛行蛮族の襲撃を受けて云々。
こんな嘘がまかり通るのかと不安にならざるを得なかったが、マスターの話を聞いた警備兵は今にも泣きそうな顔をしながら我々二人に同情してくれたのだった。
「そうかい、襲われた上に積荷を奪われてクビで行くところも無いなんてなぁ、うう……」
「いいんです、いいんです、命あっての物種。上司の圧も強いんで、二人で独立して工房でもやろうかって話していたからちょうど良かった」
警備兵が振り返って我々を街へと案内し始めた途端、マスターはこちらに顔を向けて歯を見せて笑った。
先の不安はある。だがまずは今をどうにかしなければならない。
この警備兵が呆気ないほどにすぐ警戒を解いたのも、進みすぎた文明が蛮族を駆逐しかけている歪なパワーバランスのせいだ。まさか自分が襲われるわけがない、多くの人族はそう考えている。
だがそうではない。危険はすぐそこにある。自分という存在もそうだし、竜の襲撃が来るまで研究所で開発されていた異常な魔導機――アームドイフリートと言った――と研究者達もそうだ。
私とマスターは知らせなければならない、後世に遺される危険を。
だが私とマスターは知られてはならない、“火想者”から逃げる自分たちの事を。
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埃を被った図鑑を読みながら頭を抱えていたら、気付いた時にはまた夢を見ていた。
今の自分ではない、蛮族だった自分。夢の中の自分はルーンフォークではなくタロスで、図鑑によればダークドワーフによって造られた残酷な戦闘種族らしい。
二の腕を触ってみる。当然ながらアンプルを打った形跡などはなく、自分は人を襲おうとも食べようとも思わない。
それでも目覚めた自分には幾ばくかの不安が残っていて、ナーと呼ばれた夢の中の自分につい思いを馳せそうになってしまう。
「シャァァァァバオラァァァァァ」
その思考を現実へと引き戻したのは、キッチンから聞こえてきた悲痛な博士の声だった。
近隣農家に頭を下げてもらってきた売れない野菜は質が悪いから、時間をかけて煮込んで柔らかくする必要がある。そう博士に言って鍋を弱火にかけたまま、少しの間調べ物をしよう……と考えていたのを思い出す。
慌ててキッチンへ向かうと、食卓に顎をつけて悲しそうな顔をした博士がいた。空腹のあまりに発した情けない声がさっきの呼び声だったらしい。
「お前……ワシは一日頭脳労働し続けてもうお腹空いて仕方ないのだと言うに……」
「すまない博士、寝ていた」
「おおう……ルーンフォークの反乱じゃ……」
シクシクとわざとらしい泣き真似をする博士を尻目に、今夜の献立となる根菜のシチューを仕上げにかかる。
煮崩れた野菜をゆっくりとかき混ぜながら、野菜を分けてもらった家々で言われた事を思い出す。
『あの博士と一緒じゃシャーバオラ君も大変ね』
『ルーンフォークも損だよな。あんなのでも見捨てられないんだろ』
後ろに目をやる。テーブルに突っ伏した博士はグゥと腹を鳴らし、ブゥと屁をこいた。
確かに大変なのは否めない。
だがこんな博士が主人でも見捨てられない……その気も起きないのは、果たして自分がルーンフォークだからなのだろうか?
「博士は、俺がもしルーンフォークじゃなくてタロスだったとしたらどうする?」
「なんじゃ。本格的に反乱を企てとるんか」
「まさか。夢を見たんだ」
シチューを仕上げながら、先程見た夢の話をする。
タロスだった自分。竜の襲撃。研究所からの逃避行。恐らくは魔導機文明時代の人と文明。
食卓に二人分の皿を並べ終える頃には話し終えていた。
「夢じゃな」
「だからそう言っただろう」
「違う。実際に魔導機文明時代に行けるなんて、夢でも羨ましい。ワシが見たい」
そう聞いてふと思い返す。向こうの世界でもマスター・ショーンはいた。
目の前でズゾゾゾと下品な音を立ててシチューを啜るショーン・ベイ博士と、夢の中の頼れるマスター・ショーンが結びつくかは別だが。
「で、話を最初に戻したいんだけれども」
「お前さんがタロスだったらどうする、って?」
あっという間に皿を空にして、博士は俺と目を合わせた。久しぶりにまっすぐに目を合わせた気がする。
「どうもこうもせんわい。アンプルなんて天才のワシなら作れるじゃろ、構わず連れて帰ったわい」
自信満々に実力が伴わない事を平気で言うのだから、口に含んだシチューを吹き出しそうになった。
しばしば遠くまで遺跡探索の旅をしていた博士がジェネレーターがあった遺跡に訪れて、その時自分は初めてシャーバオラという名前を得た。
自分が生まれた七番ジェネレーター以外は全て壊れていたから、兄弟姉妹も自分にはいない。
ルーンフォークでもタロスでも、唯一の家族を裏切ろうという気持ちにはならないだろう。種族関係なく自分が博士を見捨てないのは、きっとそういう事だ。
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刀を振る。鋼が空気を切り裂いて音を立てる。そこに居もしない敵をイメージの中で両断し、構え直して残心を取る。
マスター・ショーンが大枚はたいて調達した郊外の研究施設は、元は別の工場か何かがあったのかかなり広いスペースがあった。
無心に刀を振れるのはありがたい。集中している時には、たとえアンプルが切れかけていたとしても多少は人を襲う衝動が紛れる。
「お疲れ様。ヒューレに少しは近づけてるかい?」
背後からマスターに声をかけられる。振り向くと微笑みながら水筒を投げ渡してきた。
氷が入った冷たい水を喉から流し込むと、体の奥底で燃えたぎっていたイグニスの火も少しは和らぐような気がした。
「まさか。伝説には程遠い」
「しかし、小説の描写を自力で再現しようとはねぇ……武人ってのはわからないな」
剣神ヒューレ。研究所にいた時、マスターが差し入れてきた小説でその存在を知った。
まだ蛮族に対抗する力を持たない弱き人族を守るため、剣を手に戦い続け神になった男の伝記。
その在り方にはなぜか心惹かれるものがあり、同じ本を何度も何度も繰り返し読み、いつのまにか自分に初めて「憧れ」というものがある事を知った。
もっとも、銃が普及した今の時代においては蛮族が刀一本で同じ事をしたとしても鼻で笑われるだけかもしれないが。
「断薬三日目、調子はどんなもんだ?」
「……若干の不快感はあるが、抑えられないほどじゃない。ただ、あまり近くにいるのは推奨出来ない」
「そうか」
険しい表情をしてマスターはカルテに何かを書き加えた。
アンプルの再生産は試行錯誤を繰り返したが断念せざるを得なかった。
秘匿されていた研究所でのみ行えていた薬の開発が、中古の工房ひとつで出来るはずが無いのはわかりきっていたのは確かだ。
だが、それでもアンプル無しではこの先生活していく事は難しい。私は蛮族本来の衝動が抑えられなくなるし、マスターは戦う能力がないから万が一の時に為す術もない。
せめてもの対症療法として人族の古い伝統にある精神修養法に縋ってはいるが、さしたる効果が無いであろう事はマスターには見抜かれているようだった。
「在庫はどのくらい保ちそうだ?」
「今ある分だけなら半年がどうにか。新たに生産する手段が見つかれば……」
「いや、いい。その可能性はもう無いとわかっただろう、マスター」
マスター・ショーンは不服そうな表情を見せるが、何かを言い返す事はない。
もうわかっている、この日常にはタイムリミットがある。その上で為すべき事を為さなければならない。
自分たちに課せられた“為すべき事”とは何か。
アームドイフリートの秘密を後世に伝え、然るべき時に目覚める……竜の言葉をそのまま信じるのであれば。
「ナー。お前にもやりたい事があるはずだし、俺だってお前としたい事は本当はたくさんある。だから……」
「だから?」
「弱気な事を言わないでくれよ」
「……ただの事実だ。嘘はつけない」
話しながら、嫌な予感がしていた。心臓の鼓動が妙に早い。冷やしたイグニスの火が再び燃えようとしている。
腕に力が入り、無意識に刀に手をかけようとする……その右手を左手で抑えて、抜きかけた刀を壁へ放り投げる。
「ナー!?」
「来るな!」
発した声と裏腹に、突如鎌首をもたげた衝動が体を動かす。
地面を蹴ると放たれた矢のように体は動き、マスターを掴んで壁へと叩きつける。寸前で勢いはどうにか抑えたが、背中を打ったマスターは苦しそうに呻く。
首を締めるか、喉元に喰らいつくか。視界がチラつくのが自分でもわかる。意識が途切れ途切れになり、――スッと、波が引くように衝動は落ち着いた。
荒く息を吐くマスターは注射器を握りしめている。持ち歩いていたアンプルを打たれて沈静化したのだと自覚した時には、今度は自分が情けなさに項垂れる他なかった。
「……良かった」
それでもマスターは優しく肩を抱いてくる。手が震えている。痛みか、恐れか、緊張か。
どんなに心を許した無二の親友でも、我々は相容れない種族だった。
「マスター」
「なんだ」
「さっき言ってたよな。私としたい事って、なんだ」
「そうだな……お前は研究所とこの工房しか今の世界を知らないが、綺麗なものは世の中あふれてる。二人でフィールドワークの旅でもしながら見に行こう」
「素敵だな」
「フェイダンに降る雪とかどうだ。冷える時期には街が白く染まって、魔導灯の光が淡く輝くんだ」
「そうか。一度見てみたいな」
「学生の時に神紀文明時代の遺跡で見た月も素晴らしかった。霊峰の頂上にあって、雲がかからない月が遺跡の魔力で青く染まるんだ」
「危険そうだな、私が守らないと」
「たまには工房の外に出て散歩するだけでも良い。この辺りは温暖だから、季節の花が山を彩るのが見られる」
「半年じゃあまだ花は咲かないかもしれないな」
「……半年じゃヒューレには届かないんだろう。生きてくれ、ずっと」
どんなに相容れない種族でも、我々は無二の親友同士だった。
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「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いや、いいんだ。ショーンさんは確かに変人だけれど、根が憎めない人なのはみんなも知ってる」
帰っていく背中に頭を下げる。借金を取りに来たマギテック協会の男性は、事情を話すと労いの目を向けて何も取らず帰ってくれた。
博士は少し前からベッドに寝たきりでほとんど起き上がれずにいる。
病気や怪我ではない、機嫌を損ねたわけでもない。人間は老いには勝てないというだけの話で、病気や怪我ではないからこそ逃れようがない。
博士はこの世を去ろうとしていた。
「シャァ……バオラァ………」
いつぞやと変わらない調子で発そうとしたのだろう声が、いつぞやとはまるで違う弱々しい響きで耳に届く。
寝室に戻ると博士は机のマギスフィアに手を伸ばそうとしていた。何十年も博士が肌見放さずにいた、相棒とも呼べる少し大きなマギスフィア。
それを手に取って博士に差し出すと、博士はマギスフィアではなく俺の手を掴んで起き上がろうとした。その背中に手を添えて車椅子へと乗せる。
黄ばんだ白衣はもうずっと壁にかけたままだ。
「寝てなくていいのか」
「いいんじゃ。工房に行く」
車椅子を押して埃だらけの工房に入る。そこに置かれているのは一台の魔導騎獣だ。
四輪駆動の二人乗り、しっかりしたフレームの作りは多少の荒い運転、ともすれば戦闘にも耐えうるだろう。
少し前から博士は、一日の中のわずかな起きていられる時間はこの魔導ビークルにかかりきりだった。
「昨日の続きじゃ。テキパキやれ」
「そうは言ってもな博士。俺は博士ほど機械いじりは慣れてないんだ」
「うるさい。未完成のまま放り出すわけにもいかんじゃろて」
「わかったわかった」
博士はマギスフィアを操作し、設計図のホログラフを表示する。その図に従って自分があれこれとビークルをいじる。時折、博士からそうじゃないと叱責が飛ぶ。
ここのところはずっとこんな調子だった。根菜のシチューも久しく食べていない。
マギスフィアを操作する手が以前にも増して細く筋張っているように見えるのは気のせいではないだろう。
気になっているのは、なぜ日常生活を半ば放棄してまでこのビークルの製作に時間をかけているのかだった。
「なぁ、博士にとってこれは一体なんなんだ?」
「お前の足に決まっとろうが」
「俺の?」
「当たり前じゃ」
作業の手を止めて博士に目を向ける。博士は気だるそうに背もたれに寄りかかりながらも、鋭い目つきで俺の手元を見続けていた。
「お前、ワシが死んだ後もここに居続けるつもりじゃないだろうな」
「……考えたこともなかったな」
「頭を使えバカタレ。それでも天才の家族か」
何かを言い返すのも違うと感じて、再び作業に戻った。
配線を繋ぎ、フレームをはめ込み、魔導機用のマギスフィアを組み込み……。
その全てを博士はじっと見続けていた。
「この世の中にはお前が知らんものがたくさんある」
作業を続ける自分の横で、博士は独り言を言うかのように話し始める。
「雪が降る街も、月明りに照らされる山道も、毎年咲く花も。旅の中で色んな美しいものを見た」
「いいじゃないか。俺も見てみたい」
「見に行け。これに乗って」
作業の手を止めた。博士と目を合わせる。
これまで見た中で一番の真剣な眼差しだった。
「春が来れば雪は溶ける。朝になれば月は隠れる。花は咲けば必ず枯れる」
「……そうだな」
「人は生まれれば死ぬ」
「……そうなのか」
「そうだ」
もちろん理解はしていた。だが、博士が死ぬ実感は自分にはこれまでなかった。
「だから人は生きた証を残すんじゃよ。先人達の生きた証、これほど美しいものもない」
「じゃあこれは、博士の生きた証か。そんなもの俺がもらっていいのか」
バカタレ、と苦笑混じりの叱責が飛んだ。
あちこち抜けてボロボロになった歯を見せて、博士は笑っていた。
「ワシは知識を遺すんじゃ。お前がこれから見るもののために」
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《マスター・ショーンの記録》――ブルーム郊外の遺跡より
「タロスについて」
サンプル7番、初のルーンフォークではない研究個体。
ピルクス地下にて発見されたタロスを私はナーと名付けた。
ルーンフォークとタロスには妖精が見えないという共通点が存在する。
今思えば「太陽の巨人計画」に妖精が関わっていたからこそ、その特性が生きているものかの確認としてルーンフォークやタロスが集められていたのかもしれない。
結果として早期に研究対象から外れた彼は私の監視下にあった。
試作のアンプルを定期的に打てば理性的に会話の出来る彼は、しきりにコーウンで見た生々しい災禍を私に語った。
歴史学者などにとってみれば貴重な記録であっただろうが、結果として表に出る事が無くて良かったと言えるだろう。
閉鎖空間でのアイデンティティの喪失を防ぐため、私はいくつかの娯楽を彼に提供した。
適度な運動と人族社会の創作物だ。
その中で彼は剣神ヒューレの記録をもとに書かれた娯楽小説に何らかの共感を覚え、結果として私は自費によって全巻を揃えさせられる事になった。
研究所を出てこの地に辿り着いてからは在庫の少ないアンプルを節約しながら使っていたが、やはり理性的な彼とて衝動には抗えないらしい。
幾度か大けがを負わされそうにもなり、彼の提案で私は再び彼に長い眠りについてもらう事にした。
正直に言えば彼と気ままにフィールドワークの旅などしてみたいものではあったが……。
“火想者”ではない研究所の生き残りとしてこの記録を残し、守るためにもそれは出来ない。
先ほど最後のアンプルを彼に投与した。
あとは彼の血液を記録閲覧権に結び付けるだけだ。
この記録を見ている後の時代の誰かが“火想者”の企みを阻止する事。
そして私が最も敬愛する“鬼”に穏やかな眠りをもたらしてくれる事を願う。
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近隣の人に手伝ってもらった博士の葬儀が終わった日の夜、久しぶりに昔見た夢の続きを見た。
だいぶ現代らしい文明で一人目覚め、マスターと自分の使命を継いで最後を迎える……。
自分が死ぬ夢を見るのは、博士が死んだ日の夜だからだろうか、などと考えて、あまり引きずると博士に怒られそうだと思う。
布団から起き上がり、作り置きしていた根菜のシチューを黙々と食す。一人だと消費が遅くて食べきるのに時間がかかってしまう。
家の掃除は済ませた。
老朽化したボロ家だが、近くの農家が物置代わりに使ってくれるらしい。
博士の自信作だった二十万ガメルの価値があるという改修型ドゥームは、協会の人たちが頭を抱えながらパーツ取りという形で引き取っていった。
おまけにおまけを重ねて借金を完済した事にしてくれた辺り、自分の知らない博士の人徳を今更知ったような気がしてしまう。
愛用の調理道具セット。
初めて作り方を教えてもらった火縄壺。
使い古したランタン。
端が黄ばんだ白紙の本。
くたびれた羽根ペン。
塗装の剥げたパイプと、苦くてまだ吸い慣れない煙草。
珍しく良いものらしいティーセット。
少し大きすぎる、二人用のテント。
家に残ったもの全ては荷台に詰め込んだ。
シャッターを開き、魔導ビークルに乗り込む。
マギスフィアを起動し、エンジンをかける。元気な駆動音がレスポンスとして返ってくる。
アクセルを踏み込むと、工房から進み出た車体が朝の日の光を受けて輝いた。美しいもの、とりあえずひとつ目だ。
それじゃあ、行ってきます。マスター。
最終更新:2023年02月16日 06:06