ニュー・アルバムの作成もいよいよ大詰め。そして、リリースと同時にC&Aは全国ツアーに突入する。この壮大なプロジェクトには、2人の魅力に引きつけられて集まった様々なスタッフが加わっている。C&Aと彼らの一途な思いは不可思議な偶然を生んでいく──。
スタジオへ行くのに気が重かった。CHAGEとASKAに会うのに勇気がいった。私はふたりに会って、言わなければいけないことがあった。
それは、すでに決定になっていた海外ロケの件だった。
アルバム発売と同時にスタートするコンサートツアー「史上最大の作戦'93~'94」のツアーパンフレット、アルバムの告知用ポスターのためにスチール撮影を行わなければならない。
アルバムレコーディング終了後、三泊四日の海外ロケに出発。
それが強行手段なのはわかっていた。でも、いい写真を撮りたいという思いが、制作スタッフの気持ちを駆り立てた。マネージメントサイドへの交渉の結果、海外ロケを決行できるギリギリの時間を空けてもらうことができたのだった。
当初、カメラマンの杉山芳明氏の提案で、ロケ地はマウイ島の火山地帯に決定していた。
「三日間でハワイなんて……」
一週間前にマウイ・ロケ決定を伝えたとき、CHAGEもASKAもかなり後ろ向きの姿勢を示した。杉山氏の言葉を借りながら、マウイで撮影する必要性を必死に伝え、なんとかふたりを説得したばかりだった。でも、実は説得しているそばから、私自身マウイは違うんじゃないかと思いはじめていた。
今のCHAGE&ASKAにマウイの真夏の空気感が必ずしも必要かどうか、一抹の不安があった。
それに、今度のアルバムとコンサートツアーがどんな色になるのかきちんと把握しているわけではなかった。アルバムはこの時点でタイトルすら決まっていない。スタジオに行くたびに断片的に耳にする曲からも、アルバム全体の色を想像することは難しい。この秋からCHAGE&ASKAを表現するヴィジュアルの手だては、ほとんど闇の中だったといっていい。
でも、考えれば考えるほどマウイではないという気持ちに傾いていった。もっと違う色だと思った。黄色や赤の砂。赤茶けたゴツゴツした岩。例えば映画「バグダッド・カフェ」の荒涼とした色合いが、今のCHAGE&ASKAのイメージに思えて仕方がなかった。
そしてこの日、決定したマウイ・ロケを大胆にもくつがえし、イメージに近いロケ地が臨めるオーストラリアへと変更したばかりだった。
渋る杉山氏を説得したまではいいが、肝心のふたりにどう話そう。あくまでも漠然としたイメージだけであって、ふたりをうなずかせる大きな材料はないし、コロコロと変更するような詰めの甘い仕事ぶりを指摘されるのも嫌だった。こんなとき助け舟を出してくれる、説得にかけては天下一品の中野マネージャーは、渡辺プロデューサーとともに海外出張にでかけて不在なのだ。
時は八月中旬。レコーディングは順調に進んでいたが、もっとも過酷な状況に差しかかっていた。オケ録りはほぼ全曲終了し、メインヴォーカルの録りの真っ最中だった。彼らの生活は、昼間は机に向かって詞書きを行い、完成した詞をもって夜からヴォーカル入れという、精神的にまったく余裕のない状態にきていた。この時期、レコーディング以外のことを彼らに言うのはタブーだ。言っても、彼らの脳には何もインプットされないことを誰もが知っているし、逆にインプットされるほどのインパクトのある話は、極力避けなければいけない。
その反対に、事務所が気にするほど、ふたりの精神が細くはないことも知っていた。アーティストと呼ばれる人特有のナイーブな面を持ち合わせているが、逆境に立ち向かうタフな一面もある。それが大勢のスタッフを引っ張ってきた彼らの力と魅力でもあった。
いつもはスタッフがやろうとしていることを理解しようとする物わかりのいいふたりだが、しかしやっぱり今回は別だった。
きついスケジュールの中に、やっと決まった海外ロケ。
マウイで納得しているところに、変更のニュースは、彼らをイライラさせるに十分だと思えた。
固く閉ざされたスタジオの扉が、この日ほど重いと感じたことはなかったかもしれない。
スタジオのロビーは静まり返っていた。いつもつけっぱなしになっているテレビすら消されている。
「CHAGEさんは自宅で詞を書いていて、もうこちらに向かっています。ASKAさんは中でコーラスを入れていますよ」
レコーディングスケジュールを管理している江下が笑顔を向ける。レコーディング中のCHAGEとASKAの精神状態をいちばん把握している彼に、さりげなくふたりの様子を尋ねた。
その答えによって、話の切り出し方を変えていこうと思った。
「睡眠時間が減る一方だから、ちょっとつらそうですけど、テンションは高いですよ。アルバムタイトルも昨夜決まったし」
江下の言葉で思わず身を乗りだした。今、いちばん知りたかったアルバムタイトルだ。
「『RED HILL』っていうんです。いいタイトルでしょ」
RED HILL……。赤い丘……。
江下が続ける。
「なんか壮大な感じですよね」
赤茶けた岩……。砂漠……。荒涼とした大地……。
アルバムタイトルと描いていたロケ地のイメージが頭の中でいきなり合致した。まだ蜃気楼のように揺れていた景色が、くっきりと形になった瞬間だった。
「何をぼんやりしてんだよ」
いつの間にかASKAが傍にきていた。私はASKAを見て自信をもって言う。
「オーストラリアに変更したのは間違いじゃなかった」
あれこれと考えていた説得の道順なんて吹き飛んでいた。これは何か見えない力に導かれたとしか思えなかった。私の脈絡のない言葉に呆れているASKAに、ロケ地を無理矢理変更したことを伝えた。そして、この不思議なめぐり合わせの答えをASKAに求めた。
「おれたちの波長を拾ったんだよ。同じところを目指している者同士って、知らない間に波長を拾い合っていて、言葉で伝え合わなくても一致するものなんだよ」
例えば渡辺プロデューサーが企画したチャリティ団体「Save the Children」支援と、シングル曲「Sons and Daughters~それより僕が伝えたいのは」の一致がそうだった。
「こんなことしょっちゅうだよ。ナベさんなんか、もう驚きもしないもの」
ASKAはそう言いながら、一枚の詞を差し出した。
夢から覚めるのか 夢へ向かうのか
まぶたの何処かに 映し出される赤い丘
アルバムタイトル曲の「RED HILL」。
トップに立ったゆえの疑心暗鬼。挑みながらもどうしようもなく湧き起こる危惧。
そこに書かれていたのはまさに今の彼らを取り巻く現状だった。
順風満帆に航海しているように見えるC&A号だが、いくつもの赤い丘が立ちはだかっている。赤い丘を越えたとき、そこにあるのは安らぎの夕焼けなのか、危険を示すレッドゾーンなのか。
そこにあるのは敵なのか、味方なのか。
「かっこいい曲ですよ」
江下の言葉にASKAが小さくうなずきながら言う。
「悩んだもん。もう何度も壁にぶち当たってさ」
「RED HILL」はひさしぶりにボツになる危機感を味わった曲だったという。
ベーシスト、ギタリスト、ドラマー……、この楽曲に関するすべてのミュージシャンが一度はギブアップした曲。誰もが煮詰まり、誰もが、同じようにASKAに訴えたという。「できない……」。
でも、辛抱強くきっかけを待った。淀んだ思考が解き放たれ、音が流れるそのきっかけが訪れるのを待った。
「『GUYS』のときの「WHY」がそうだった。みんな一様に音を上げてさ。ミュージシャンのイメージを引き出せない曲が悪いんだって自分なりに納得したけど、最後まで諦めずにいたら、結果的にどんどんいいものが出てきて。アルバムの中でいちばん好きな曲と言ってくれる人が出るような曲になったんだ。「RED HILL」もまったく同じ状況だったけど、「WHY」でやれたんだからいいものになるって信じてたよ。悩んだ分だけ、いいものになるってね」
「おれだって悩んでんだよ」
突然、CHAGEが話に割り込んできた。自宅で詞に取り組んでいたCHAGEがスタジオに現れたのだ。
「どうだ、できたか?」
ASKAの問いにCHAGEの顔が曇る。
「だめだ、1コーラスしかできない」
ASKA曲の詞はほとんど完成形の状態だった。あとはゆっくりと見直して、詰めの作業をするところまできていた。
ところがここにきて、CHAGEの一曲だけが完成されずに残されることになった。先にできていた曲のヴォーカル入れ、コーラス入れでスタジオに詰めているうちに、どんどん時間が過ぎ、詞に費やす時間が削られてしまっていたのだ。
「CHAGE、はじめるぞ」
スタジオから山里が顔を出した。
シンセバスを基調とした柔らかいメロディーが扉から流れてくる。タイトルは「You are free」。ブラックコンテンポラリー風の、大人っぽいバラードだ。
ASKAが先に入れていたコーラスの上を、CHAGEが重ねる。これが今日の作業だった。
「あの、でも、もうチャンネルがないんです……」
CHAGEがスタジオ内のブースに入ろうとしたとき、エンジニアの横山が卓の前で硬直していた。
サウンドに厚みをもたせるCHAGE&ASKAのレコーディングは、いつだってチャンネル不足に陥る。エンジニアはそのたびに他のチャンネルを整理して、ないところからまっ白なチャンネルを作り上げていく。これが大変な仕事なのだろう。横山はひとりで緊迫している。
「横山、そのポケットの膨らみはなんだ。そこにチャンネルを隠しているだろう」
山里のジョークでスタジオの雰囲気が一気に明るくなる。CHAGEとASKAにつられて笑った横山は、気を取り直してチャンネルの整理に取りかかるのだった。
CHAGEのコーラス入れは順調に進んだ。前回のアルバム『GUYS』のときは、ロンドンでレコーディングされたこともあって、時差ボケと環境の変化がCHAGEを苦しめた。喉が本調子にならず、ヴォーカル入れ、コーラス入れに支障をきたした。
でも、今回はピッチも狂わず、的確に声を音譜どおりに表現している。
CHAGE&ASKAの楽曲はハーモニーの美しさに定評がある。特に本筋のメロディーに絡んでくるC&A特有のカウンターメロディーが、彼らの楽曲に膨らみと彩りを添える。
「いい曲ですね。なんか、シングルとしてもいけますよね」
江下が漏らした言葉に、ASKAがニヤリとして言った。
「まかさんかい」
それがどういう意味なのかわからなかったが、「You are free」が、彼らの味を存分に生かしきった一曲になろうとしているのは確かだった。
「こんなん出るかー!」
CHAGEがブースの中で叫んでいる。
「大丈夫。絶対出る。もう一度だ」
山里がマイクを通してCHAGEを励ます。スタジオに響きわたるカラオケ。CHAGEが歌う。でも、途中で容赦なく音は切られる。
「違う。ここはシンコペじゃない。リズムを食う必要はないんだ」
クールに指摘する山里。荒々しいCHAGEの息づかいがスピーカーから聞こえる。
「OK、もう一回だ……」
まるで体育会系の特訓を思わせるやりとりだった。
八月下旬。レコーディングも最後の追い込みに突入していた。この日は「なぜに君は帰らない」のコーラス入れが行われていた。最近のC&Aの傾向である"ハネもの"として仕上がっていて、ぶ厚いサウンドとスピード感が「YAH YAH YAH」を思わせる。
特にサビのコーラスキーが高く、CHAGEは自分の限界である「C♯」に挑んでいる最中だった。
「よし、聴いてみよう」
山里のOK出しで、CHAGEはフラフラと椅子に座り込む。
「一瞬、生まれたときから今までの出来事が走馬灯になって見えた」
とぼけてみせるCHAGEだが、プレイバックされたテイクは見事なものだった。CHAGEは限界の音域に挑戦しながらも、歌詞に注がれている思いをコーラスで表現している。
楽器のように正確に、しかも情感を失わずに。
CHAGEのコーラスを聴いていて、コーラスはただ声を重ねるだけではないという当たり前のことを、改めて実感するのだった。
「坪倉と連絡取れたぞ。今、こっちに向かっている」
ASKAがスタジオに入ってきた。
坪倉唯子。B.B.クィーンズのヴォーカリスト。現在、コーラスの仕事をこなしながら、アーティストとしても活躍している、実力派のヴォーカリストだ。
ASKAはほんの一時間ほど前に、あることを思いついていた。
"「なぜに君は帰らない」のサビのトップに、女性コーラスを入れたい"
それもヤワな声じゃなく、迫力をもったドライブ感のある声で、曲をギュッと引き締めたい。
ASKAの頭にすぐに浮かんだのが坪倉唯子だった。でも、売れっ子で多忙の彼女がすぐにつかまるはずもない。
「探そう。彼女しかいないんだ。つかまらなかったらそれまでだ。女性コーラスは諦める」
絶対つかまるはずがない。その場に居合わせた誰もが思った。でも、ASKAの勢いにつられて、スタッフは都内中のスタジオへ手分けして電話をすることになった。もちろん、スタジオにいるかどうかもわからなかった。地方へ行っている可能性だって大いに考えられるのだ。
ところが、拍子抜けするくらいあっけなく彼女はつかまった。いつもC&Aが使っている、バーニッシュストーンスタジオでレコーディングの最中だったのだ。
まためぐり合わせである。C&Aの導く力、はかりしれない吸引力。一体、この人たちはどうなっているんだろう。驚きよりも呆れる気持ちのほうが強くなってしまう。
「すっげー声」
坪倉唯子の声は噂以上のものだった。1テイク終わるたびに、CHAGEが体をのけぞらせる。ASKAはしてやったりの顔で、始終笑みを絶やさない。
「いいぞー、シングル候補だぞー」
山里がASKAとうなずき合う。曲が完成間近になるたびに耳にするセリフ。楽曲のクオリティーの高さを物語る、大事な合言葉である。
翌日は、アルバムのイントロダクションとなる「夜明けは沈黙のなかへ」のレコーディングだった。すでにアルバムの一曲目は「なぜに君は帰らない」に決定されていた。イントロのインパクトの大きさをさらに際立たせる、静かな序曲が必要だというASKAのアイディアで、急遽スケジュールに組み込まれたのが「夜明けは沈黙のなかへ」だった。
たった二分くらいの短い曲だが、荘厳な雰囲気が漂っていて、幾重にも重ねるコーラスが命といえる楽曲だ。
ASKAはずっとブースに入りっぱなしだった。山里は別のスタジオでミックスダウンを行っていた。ディレクター不在のまま、ASKA自ら歌ってディレクションするという、神業的な作業が繰り返されてた。
スタジオのロビーでは、キャニオンの佐多がCHAGEに歌詞の確認をしている。
「ああ、そろそろレコーディングも終わるなあ。なんとか発売日に出せそうだな」
CHAGEがしみじみと呟く。山を乗り越えたような安堵の表情を浮かべるCHAGEだったが、まだ最後の一曲が残されているはずだった。詞待ち状態で保留になっていたCHAGE曲だ。
「ああ、あれはASKAにバトンタッチした。でも、今回のアルバムには入れない。アルバムが終わってから、ゆっくりレコーディングしたいからさ」
まだタイトルのないM3と呼ばれているこの曲は、初期のC&Aを彷彿とさせるサザンロック調の骨っぽい曲だ。アルバムに華やかさを添える、とてもいい曲だと思っていた。ASKAがスタジオで盛り上がっていたのを覚えている。
「M3はASKAさんが詞を書きたいって言ったんですよね」
佐多が歌詞カードをチェックしながらCHAGEに尋ねる。
「うん。そうしたら、あいつ一日で書いてきてさ。別に話し合ったわけでもないのに、おれが目指している詞を上げてきたんで、ちょっとびっくりした」
めぐり合わせがここにもひとつ転がっていた。CHAGEがASKAを導いて、めぐり合ったとき、まるで計算され尽くしたかのような完璧な作品になる。
「まさにTAOだな」
CHAGEが静かに口を開いた。
「自然体でいると何かが導いてくれるんだよ。何も考えずに自然に進んでいくと、到達する場所が必ずある。今、おれたちってそういうところにいるんじゃないかな」
今回のアルバムに収録されているCHAGE曲の「TAO」。中国の思想家、老子の教えにある言葉で、「道」「河」「目的達成」「到達」といった意味をもつ。そして、この言葉を引用して老子が説いているのは「自然体」である。自然体に戻ることで、すべてのことが開けてくるという思想だ。CHAGEはこの思想を自分なりに解釈して、安らかなラヴソングに仕立てている。
輝くもの 導くもの 形のない それはTAO
CHAGE&ASKAは、この三カ月間、レコーディングだけに精神を費やしてきた。
アーティストは誰もが、聴く人を驚かせたい、セールスを伸ばしたいという思いをもっている。でも、それはできあがってからの二次的な目標にすぎない。
制作中の目指すべきところは、自分なのだ。
自分を納得させるものを作れるか作れないか──。
自らと向き合って、自分を自然体へ引き戻さなければ、メロディーや言葉は生まれない。それは純粋な域へ到達してからはじまるものだといえるだろう。
そして、彼らから発進される純粋な波長を察知した人々は、いつの間にかそっと彼らに導かれていく。
「こんなアルバムをずっと作りたかったんだ。やっとやれた。やっとできた」
コーラスを終えたASKAが、ロビーのソファに深く腰を沈めた。時計の針は朝の七時を指していた。
三日後には、アメリカのコーラスグループ、14カラット・ソウルが「You are free」と「Sond and Daughters~それより僕が伝えたいのは」のコーラス入れのために来日する。まだまだレコーディングは終わらない。でも、アルバムの色と形がしっかり見えたこの時点で、ふたりの中のレコーディングは終盤を迎えている。
CHAGEの剃り残したあとのひげ、ASKAの伸びきった髪は、ここ数週間でそれぞれのルックスの一部になってしまっていた。ひげをゆっくり剃って、髪を切って、いつものさっぱりしたふたりに戻れるのももうすぐた。
アルバムタイトル『RED HILL』。発売は十月十日。コンサートツアー「史上最大の作戦'93~'94」の初日と同時に店頭に並ぶ。
その日は、開演ギリギリまで『RED HILL』を聴く人々が、会場の周りにひしめくだろう。
そして彼らの引力で『RED HILL』にめぐり合った人たちは、このアルバムが導く新たなCHAGE&ASKAの世界へと到達できるはずである。
最終更新:2025年12月22日 00:40