全国ツアーを目前にASKAが喉の変調を訴えた。CHAGEの体調も万全ではない。予定していたクリスマスアルバムの制作もスケジュールの都合から暗礁に。追いつめられる2人。だが「無駄なことなんてひとつもない」、彼らはこの言葉を胸に、いつだって大きな山を乗り越えてきたのだ。
「クリスマスアルバムは諦める」
一度決めたことを絶対にくつがえさないASKAが、今回は珍しく諦めの姿勢を示した。
「そうだよな。このスケジュールじゃ無理だ……」
九月のスケジュール表をながめながら、力なく呟くCHAGE。
クリスマスアルバム──。
それは、二~三年前から、年間のリリース予定に必ず組み込まれていたものだった。組み込まれてはいたものの、レコーディングスケジュールとツアースケジュールの間に制作する余裕がなく、ずっと見送られてきていた。
でも、今年こそはなんとかいけそうな気配があった。
アルバム『RED HILL』をレコーディングしながら曲を書く。アルバム完成と同時にクリスマスアルバムのレコーディング。九月はコンサートリハーサルに入るが、昼間リハを行って、夜中にスタジオに入れば、なんとかやれるはずだ。
自信をもって断言する彼らに、レコード会社も十二月リリースの予定でスタンスを整えていたところだった。
ところが、思った以上に『RED HILL』の進行が押した。レコーディングに時間がかかり、ふたりにはクリスマス曲を書く余裕はまったくなくなっていた。
後には飛ばせないスケジュールが待ち受けている。例えば、オーストラリアのスチールロケ、コンサートリハーサル……。
「だけどできる。なんとかやれる」
マネージャーの中野は何度もASKAに確認をとった。でも、目の前に真っ黒なスケジュール表を突きつけても、ASKAはやれると確信していた。
クリスマスアルバムに対して、それくらいの深い思い入れがASKAの中にあったのだ。
「クリスマスは特別なものだ。誰もが幸せを感じるクリスマスのアルバムを出したい」
ASKAは常にそう言っていた。でも言っているだけではチャンスは訪れない。スケジュールがないのはわかっている。それならば、自分たちでスケジュールを作っていけばいい。
これがASKAの考えだった。
CHAGEもASKAの考えに賛成だった。
だが、『RED HILL』のレコーディングが終わりに近づいてきた頃、ふたりの疲労度がピークに達していたのも事実だった。特に後半は、CHAGEの表情からまったく笑顔が消えていた。
「CHAGE、どっか具合が悪いの?」
実際、私もCHAGEの様子を見て小声で何度かASKAに尋ねたことがある。
ムードメーカーのCHAGEに笑顔がなくなると、途端に現場は火が消えたようになる。CHAGEの元気はみんなの元気につながる。だから、CHAGEが静かだと、彼の周りの景色すべてがモノクロームの世界になってしまう。
CHAGEばかりではない。ASKAも気丈な姿勢を見せるものの、口調や表情に制裁が欠けていたのは誰が見ても明らかだった。
「こんな状況では曲作りはできない。スタジオに入ってもテンションは上がらない」
ASKAは思い切って、最後の結論を出したのだった。
私は、あれほどこだわっていたクリスマスアルバムの制作中止を知ったとき、ふたりが相当落ち込んでいるのではないかと思っていた。
オーストラリアロケの件もレコーディングを断念した理由のひとつだった。あそこでロケを中止していれば、今頃クリスマスアルバムを制作していたかもしれない。私が関わった仕事が、大事なアルバムを断念させたことの原因のひとつになっていると思うと、やりきれなさでいっぱいだった。
「もちろんスケジュールの問題がいちばんだったけど、今がその時期じゃないってことだと思うよ。今ではなくて、次のチャンスを待てってこと。きっとあのとき、ああいう状態の中でクリスマスアルバムを出さなくてよかったって、そう思えるときが絶対くるよ」
でも、ASKAは彼特有のプラス指向の考えで、逆に私を救ってくれた。救いを求めていたのはASKAのほうだったはずなのに。
あのときの失敗も、あのときのつまずきも、全てこの日のためだと思えるときがくる──。
彼らはいつだって失敗をも成功に変えてきた。それは失敗を糧にしてしまう彼らの許容量の大きさと、常に前向きの姿勢で進む歩幅の大きさがあったからだ。
無駄なことなんてひとつもないんだ──。
彼らの一挙一動が、私たちスタッフにそう教えてくれていた。
アルバム『RED HILL』に収録されている「THE TIME」は、まさに彼らの歩いてきた姿勢を示す楽曲といえるのだ。
「それに、クリスマス曲を諦めたわけじゃないから」
ASKAのクリスマスにかける思いは消えていなかった。
九月に入り、コンサートリハーサルがスタートした。
昼間はリハーサル、夜はレコーディング。ちょうど一週間ばかりの間、彼らはこのスケジュールで動いていた。
そして、彼らはクリスマス曲をレコーディングしていた。そう、シングルにカップリングさせる曲に、クリスマス曲を選んでいたのだった。
すでに十一月十九日に、『RED HILL』からのシングルカットとして、「You are free」と「なぜに君は帰らない」がリリースになることは決まっていた。
この二曲はタイアップで世の中に先行して流れていたが「ぜひシングルに」という声が沸き上がり、急遽リリースが決定した曲である。シングルとして押されたこの二曲は二枚に分けられ、それぞれにクリスマス曲がドッキングすることになった。
「You are free」には「WISH UPON A STAR」(「星に願いを」)。「なぜに君は帰らない」には「White X'mas」を。
ストリングスアレンジに服部良一さんのお孫さんである服部隆之さんを起用し、往年のスタンダードナンバーをCHAGE&ASKAが歌う。
誰もが知っていて、誰もが口ずさめる曲といっても、では誰もがレコードを持っているかといえば、実は意外に持っている人が少ない楽曲である。
だったら僕らが歌って、みんなにじっくり聴いてもらおう。これがスタンダードを選んだ理由だった。
ちなみに「WISH UPON A STAR」はクリスマス曲ではない。これはディズニー映画『ピノキオ』のテーマソングである。
「大好きな曲だった。クリスマス曲ではないけど、その匂いがするものとして、今回歌わせてもらった」
CHAGEもASKAも、そしてディレクターの山里もアレンジャーの服部氏も、今回のレコーディングに関わった全ての人の"愛する曲"としてレコーディングされた一曲だった。
また、服部氏によるストリングスアレンジで生まれ変わった「世界にMerry X'mas」も「You are free」に収録されている。「なぜに君は帰らない」のほうには、CHAGE曲の「Knock」が入っている。シングルを意識して、『RED HILL」からあえて外した楽曲だ。
二枚合わせればミニアルバムに値する、豪華メニューのシングルである、
諦めずに、方法を見つけ出して実現していく彼らのパワーをここで改めて垣間見たような気がした。
「声が出ないんだ。どうしても出ない……」
シングルのレコーディングが終了し、本格的なリハーサルに入った途端、ASKAが喉の変調を訴えた。
医者に行って調べてもらったが、声帯に異常はないという。普通にしゃべれるのだが、いざ歌おうとするとまったく声が出ない。
原因がわからないまま、喉に注射をしてからリハーサルスタジオに入るというのがASKAの日課になっていた。
すでに時は九月の中旬。
ステージの構成も演出も固まらない状態で、スタジオに焦りの色ばかりが漂っていた。
演奏は中断され、バックバンドのブラックアイズとともにミーティングが繰り返される。
そしてスタジオはメインヴォーカル不在のまま、演奏が再開される。ASKAは演奏を聴く側にまわり、CHAGEのメインヴォーカルとコーラスだけでリハーサルは続けられた。
ところが、演奏が終わると、どこからか咳込む声が聞こえてくる。
CHAGEだった。CHAGEがギターを抱えたまま、苦しそうに咳込んでいる。
「どうした。風邪か」
ステージプロデューサーの大久保がCHAGEに歩み寄る。
「ごめんごめん。こんなときに風邪ひいちゃって。でも、大丈夫だから……」
CHAGEは気丈に言うが、顔がほてっているのは遠目にもわかる。
「だめだ。今日は中止にしよう。まだまだ日にちはあるしさ。ふたりとも焦らずに体を治そうよ」
大久保の言葉で早いうちにリハーサルは終了となった。
ただ、この早めの切り上げで、ふたりは自宅でステージ構成、演出に専念することができた。
「見えた。これで決まった」
翌日にはステージの筋書きを抱えてスタジオにやってきたASKA。
「あとは実際にやってみるだけだ」
表情がグンと明るくなったASKAは、ブラックアイズのメンバーにテキパキと指示を出す。でも、相変わらず喉は回復の兆しを見せない。
そして、十月一日。彼らは最後の仕上げである五日間のリハーサル合宿を行うために、つま恋へと出発したのだった。
つま恋のエキシビジョンホールには本番同様にステージセットが組まれていた。
「ここって、こんな小さかったっけ」
CHAGEが感慨深げにホール全体を見回す。
つま恋のエキシビジョンホールといえば、CHAGE&ASKAがデビューのきっかけとなったポピュラーソングコンテストの本選会が行われた場所だ。
十五年前、まだアマチュアだったふたりは、つま恋のステージに立つことをずっと夢見ていた。次々に予選を勝ち抜き、このステージに立ったときは、あまりの大きさに足がすくんだという。
そのときの彼らは、今や一万人クラスの会場を何日間もこなせるアーティストに成長し、足をすくませた場所をリハーサル会場として使うまでになっている。
当時のことを懐かしんでいるのか、CHAGEはしばらくステージに腰を下ろして、客席をじっと見入っていた。後ろではASKAがサウンドチェックを行っている。マイクに向かって、何度となく発声練習を繰り返している。でも、何度やっても、声はかすれてマイクにのらない。
「おまえさ、喉じゃなくて肺じゃないの? 肺に穴があいて、声が出ないってことも考えられるぞ」
ASKAの声を聞いていたCHAGEが、マイクに向かっているASKAに声をかけた。硬直するASKA。
「おれ、医者に行ってレントゲン撮ってもらってくる」
ずっと喉だとばかり思っていたが、CHAGEの言うように、肺が原因ってことも充分ありうる。
ASKAは岡田を従えてさっそく近くの医者へと出向いたのだった。
ASKAが医者から戻ったのは夕食時だった。
「肺は異常なかった。喉も異常なかった。ただ……」
ASKAの言葉にみんな身を乗り出した。
「疲れからくるものだって。疲労から声が出ないことがよくあるんだって」
リハーサルの遅れ、まとまらなかったステージ構成、演出……。
ここ数週間、ASKAは焦りばかりが先行して、形にならないステージを思いながら、眠れない日々を送っていた。それが積み重なって、声に悪影響を及ぼしていたのだ。
「あんた、あんまりクヨクヨしちゃだめだよって医者に言われた。とにかく寝なさいってさ」
ASKAは医者の言葉をそのままみんなに伝えて、照れたように笑った。
歌手御用達の有名な医者ではなく、事情をあまり把握していない、たまたま近くにいた医者からのひとことは、深刻でないぶん、ASKAに安堵をもたらしたようだ。
喉ではなかった。肺でもなかった。ただ、自分で自分を追い詰めていただけだった。
本当の原因がわかれば、あとは解消していくことに集中すればいい。
ステージ構成もできた。演出も見えている。もう悩むことはないのだ。
気が楽になったのか、ひさしぶりにゆっくりと眠ることができたASKAは、次の日から少しずつ声を出せるようになっていた。
リハーサルの合間には、CHAGEとともにキャッチボールに興じる。汗をいっぱいかいて、何度もTシャツを替える。
「おれに足りなかったのはこれだよ。体を動かしていないのも原因だったんだ」
思えばずっとスタジオにこもっていたCHAGEとASKA。もともと体育会系の人間だけに、ときには体を動かさないと、エネルギーのやり場を失って、あちこちに支障をきたしてしまうのだろう。
そして合宿の三日目。やっとASKAの声が戻ってきた。ブラックアイズの演奏に合わせて、力強いASKAの声が、会場いっぱいに響き渡った。
東京から駆けつけた山里は、バンドに的確な指示をする。特に彼は音楽的な見地から、楽曲のアレンジチェックをしてゆく。
プロデューサーの渡辺は、ステージ全体の流れを見ながら、一曲一曲の曲順をチェックしてゆく。
よりシビアな目で見るために、都内のリハーサルにはあえて立ち合ってこなかったふたりの意見は、すでに客観的に流れを見ることができないCHAGEとASKAの、大きな力になる。
都内のスタジオからずっと彼らのリハーサルを見てきて思うのは、ステージ作りは、一曲の楽曲を完成させることと同じであるということだ。
イントロがあって、1コーラス目がきて、サビがきて、間奏がきて、2コーラス目に入って、サビ、サビ、そしてエンディング。
各パーツにどんな曲をもってくるか、曲を組み合わせてどういう集合体にしていくか。それがそのまま、曲でいう1コーラス目に値して、次のメロディーへと進んでいく。
コンサートテーマにそいながら、起承転結をふまえ、あちこちにテーマの伏線をからめ、やがてコンサートという大きな一曲として仕上がっていくわけだ。
これらはCHAGEとASKAが都内のリハーサルで作り上げたものだが、やっていくうちにどこか不自然な部分も出てくる。もちろん、その不自然さは素人にはわからない類のものだ。それを厳しく見極めるのが山里と渡辺である。彼らはステージを引き締める最後のよきアドバイザーとなる。
その夜は、振り付けのレイモンドがやってきた。
前回のツアーから、コンサートのサビというべき決めの振り付けを担当してもらっている、黒人ダンサーである。
「時間がない。今からやろう」
ASKAはリハーサル終了後、ホテルの部屋にレイモンドを呼んだ。ふたりでいっぺんに習うよりも、個人レッスンのほうが効果的だ。
さっそくリハ中に撮ったビデオを流しながら、レッスンに入る。レイモンドはどういう振りがASKAを引き立てていくかをよく知っている。ASKAが魅力的に見える振りを考え、それを伝授していく。でも、ときに黒人ならではのリズム感が要求される振りを見て、さすがにASKAは音を上げる。
「じゃあ、こうは? こうは?」
流暢な日本語でレイモンドが踊る。ASKAも必死についていく。
「違う。こうだよ。それは一拍ズレてる」
レイモンドも容赦しない。
ふたりの汗が部屋の絨毯にしたたり落ちる。ふたりの足元を見れば、激しい動きで絨毯はあちこちで毛羽立っている。
「ホテルの人、絨毯を見てなにがあったんだって思うでしょうね」
ビデオを操作していた福島が、私にそっと耳打ちした。
振り付けのレッスンは深夜の二時まで続いた。
翌朝がCHAGEの番だった。
レイモンドの振りを見て、CHAGEはすぐに踊りはじめる。
「CHAGEさんって、物覚えいいね」
レイモンドがしきりと感心する。
「おれが物覚え悪いわけじゃないぞ。おれは作りながらやっていたから時間がかかったんだ」
ASKAがレイモンドの言葉を聞いて、口をとがらせる。笑って肩をすくめるレイモンド。
「おれが、おれが」
この言葉が出てこそのASKAである。
「山下に怒られた。ステージでウロチョロしないでくださいって」
CHAGEが舞台監督の山下を指さす。生真面目な山下にはCHAGEのギャグが通じないことが多く、CHAGEはいつも山下ににらまれている。
「あの野郎、本番で仕返ししてやる」
この強気の姿勢こそがCHAGEである。
つま恋の最終日。やっといつものふたりに戻った気がした。それは余裕ができた証拠だろう。それは前へ進む勢いがついた証拠だろう。
七月から十月にかけて、激動の日々だった。
アルバム『RED HILL』を制作し、クリスマス曲をレコーディングして……。
彼らはものを作ることだけに没頭してきた。
そして十月十日からスタートしたコンサートツアー「史上最大の作戦'93~'94」では、四カ月にわたって制作していた彼らの分身が、堂々と披露されることになる。
無駄なことなんてなにひとつなかった。
つまずいたことも、ひととき立ち止まってしまったことも、すべてがこの日のための過程であった。
大きなツアーバッグを提げて、笑顔の彼らがあなたの街へ降り立つのももうすぐである。
最終更新:2025年12月22日 00:41